鋭い武器

 夕刻。その日なすべきことを全て果たし、私は北山に行った。
 そして今、隣には天狗がいる。私が北山に着いたとき、松の上から降りて来たのだ。本当は落ち着いて気を取
り込むつもりだったのだが、傍に天狗がいると胸がざわつく。不快な気分になるわけでは、ないのだが。
「泰明」
 天狗に声をかけられ、視線を向けたとき。
 何故か、右手を握られた。
「――何だ、急に」
「……爪、綺麗だな」
 理解出来ない行為の理由を尋ねたが天狗はそれには答えず、私の手を目の高さまで持ち上げ指の背を見てい
た。
 爪など、気にしたことがない。そして、私の爪がそれほど優れているとは思えない。
「そうか?」
 見入るほどの価値はない、と思ったが、まだ手は解放されなかった。天狗は少し目を伏せ、私の爪を見つめて
いる。
 普段とは違う真剣な眼差しに、鼓動が速くなった。
「……儂とは違う」
 しばらく黙っていた天狗が、ごく小さな声で言った。
 どこか寂しそうなその声に、私は目を見開く。
 確かに、私の爪と天狗のそれは違う。武器として使うことがあるため、天狗族の爪は非常に鋭い。
 他者を傷付ける危険のある爪が、天狗はあまり好きではないのかもしれない。
 だが。
「――私は」
 あることを伝えるために、口を開く。だが、上手く言葉が出なかった。
「泰明?」
 天狗は不思議そうにこちらを見る。
 私は一度深く呼吸をしてから、唇を動かした。
「お前の爪から……澄んだ気を感じる」
 確かに、天狗の爪は武器になり得る。だが、この爪からはとても美しい気を感じる。
 それはきっと、この男は他者を傷付けるためにそれを使わないからだ。私は、そのような爪のほうがずっと綺
麗だと思う。
 天狗は目を見開き黙っていたが、ほどなくして唇を綻ばせた。
「……そうか。なら、この爪に唇を付けてくれないか?」
 私の手を解放した後、自分の手を差し伸べながら天狗は言った。
 突然の提案に反応出来ず、口を閉ざす。やはり、天狗の発想を理解することは難しい。
 だが――その願いを叶えることは、嫌、ではなかった。
 温かな手を取り、ゆっくりと唇を近付ける。
 頬が熱い。だが、天狗に応じたい。
 私は目を閉じながら、唇で爪の甲に触れた。
「――どうした」
 天狗の手を解放し、問いかける。天狗は何も言わず、驚いたような顔で視線をこちらに向けていたから。
「――本当にやるとは思わなかった」
「……そうしろと言ったのはお前だろう」
 私は言われたことに従ったというのに、何故天狗が驚くのだろう。
 だが、そう思ったとき。
「――泰明」
 天狗はありがとう、と言った後、もう一度私の手を取り、唇で爪に触れた。


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