全てが教える

「お師匠、ゆっくりお休みになって下さい」
 師の前に正座し、私は一礼しながら言った。
 外は既に夜の闇に染まっている。もう休まなければ明日に影響が出るだろう。寝る前の挨拶をするため、私は
お師匠の庵に来たのだ。
「ああ、分かった。お休み、泰明」
 柔らかく笑い、師は言った。眠りに就く前はいつも挨拶を交わしているが、この笑顔は見る度に安堵する。
「はい。では……」
 胸に温もりを感じながら、退席しようと頭を下げる。
「――泰明、もう少し共にいてはくれないか?」
 だが静かな声が聞こえ、私は目を見開き頭を上げた。
 お師匠は、真っ直ぐな視線をこちらに向けている。その瞳は普段と変わらず優しかったが、奥には確かな願い
を秘めているような気がした。
「……はい」
 私は、そっと頷いた。師の傍にいることを、拒むはずがない。
 お師匠は唇を綻ばせると、こちらに身体を寄せ、私へと手を伸ばした。
「ありがとう。本当はすぐに帰すつもりだったのだが……お前の目を見て、耐えられなくなった」
「――お師匠」
 頭をなでる師の手から、温もりが伝わって来る。頬は熱くなったが、不快ではなかった。
 深く呼吸をしながら、私は掌を胸に置く。
 お師匠は、聡明な人だ。巧みに言葉を操り、本当の気持ちを悟らせることなく怨霊を鎮めることも出来る。
 師がどのようなことを感じているのか。それを読み取ることは難しい。
 だが、私の髪をなでる手はとても優しく動いている。こちらを見ている目は、とても美しい。
 その全てが、先ほどの言葉が嘘ではないことを、私に教えてくれていた。
「泰明、すまない。もう少しだけ……」
 お師匠は、手を止めずに唇を動かした。その刹那に目が合い、鼓動が跳ね上がる。
 拒むはずがない。私は俯き、はい、と小さく返事をした。


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