傍にいたい 老木の根元に腰掛けたまま、泰明はゆっくりと空を仰ぐ。 十日ほど前、泰明は生まれて初めて嘘を吐いた。小天狗の死を悲しむ龍神の神子の涙を止めるために。だがそ れによって泰明は酷く苦しみ、力を失ってしまった。そのため、現在は北山の天狗と共に過ごしている。 「――だが、天狗。私はこのようにも思うのだ」 太い枝の上に立っている天狗に、泰明は小さな声で語る。 「お師匠の傍にいたい、と……それが私の幸せなのかもしれぬ、とも思う」 先ほど、泰明は天狗に、私と同じように神子が自分を想ってくれれば、私は幸せなのではないだろうか、と言 った。だが、泰明の胸にはもう一つの考えがある。それは、晴明の傍にいることが自分にとっての幸せなのでは ないだろうか、というものだ。 「泰明……」 「どちらが答えなのか、私には分からぬ。だが、苦しんでいるときに私が求めたのは――」 神子のために嘘を吐いた直後、顔の封印が強く痛み、このまま壊れてしまうのかもしれない、と思った。そのとき、 欲したのだ。晴明の、優しく温かな手を。 「――泰明、結論を急ぐな」 天狗は諭すように言うと、大きな羽音を立てて泰明の目の前に下りた。 「神子が想ってくれてるのが幸せかもしれないってのも、晴明の傍にいるのが幸せなのかもしれないってのも、お前 の正直な想いだろ?」 「――ああ」 「だったら、神子にも晴明にも会って、確かめれば良い」 泰明は口を噤んだ。任務を放棄してしまった自分がこのように思うことなど、許されぬのかもしれない。だが、それ でも。 「――天狗。まだ、間に合うだろうか」 会いたい、と思った。神子と、晴明に。たとえ拒絶されようと、激しい叱責を受けようと、大切な人たちに会いたい と思った。 「無責任に間に合う、なんて言えないが――神子も晴明も、お前のことを待っていると思うぞ」 天狗は優しさを宿した声で答える。 「――そうか」 天狗の答えを聞いた泰明は、ゆっくりと目を閉じた。 「少し眠れ、泰明。帰ったときに倒れたら格好悪いぞ」 「……分かった」 その言葉に従い、泰明は天狗と共に庵の中へ入り、しばらくぶりの眠りに就いた。 (全く……) その後、天狗の計らいもあり、泰明は北山にて神子と再会することが出来た。神子を邸まで送り届けた泰明は、 今、晴明の邸へと向かっている。 (神子……) 余計な手出しをした天狗を疎ましく思う反面、少しだけ感謝もしていた。神子に会い、互いの想いを知ることで、 顔の呪いを解くことが出来たのだ。 (私は――神子が愛しい) その気持ちに偽りはない。彼女はとても大切な女性だ。心の底から守りたいと思っている。しかし。 (今の私は、お師匠のことばかり考えている……) 先刻までは彼女のことばかり考えていた。だが、今は晴明のことばかりが頭に浮かぶのだ。 (私が、本当に欲しているのは――) まだ答えが分からず、泰明は目を伏せた。 「お師匠……」 寸刻の後、泰明は晴明の邸のすぐ傍で立ち止まっていた。 (私には――まだ貴方の傍にいる資格はあるのでしょうか?) もしも晴明に拒まれたら、と考えただけで、足が動かなくなってしまったのだ。 (貴方と共にいられないのならば――) 「泰明!」 俯いた泰明の耳に、聞き慣れた声が飛び込んできた。 「――お師匠」 ずっと会いたいと思っていた人が、自分のもとに駆け寄ってきていた。 「……お師匠、私は――」 「泰明っ……」 泰明が謝罪の言葉を口にするより早く、晴明は泰明を強く抱きしめた。 「――お師匠?」 「戻ってきてくれたのだな――良かった」 晴明の声は震えている。泰明は背中に、ずっと求めていた晴明の手の温もりを感じた。 「――お師匠、役目を放り出して、私は逃げてしまいました。申し訳ありません……」 「構わない。泰明――よく苦しみを乗り越えたな」 晴明は腕の力を抜き、真っ直ぐに泰明の目を捉える。 「お前は強い。自分自身の力で闇から抜け出したのだ」 「お師匠――私は、強くなどありません。苦しみに耐え切れず、逃げてしまったのですから……」 「だが、お前は戻ってきた。それはお前自身の力だ」 優しく、温かな晴明の声。しかしそこには、どこか悲しい響きが含まれていた。 「お前はもう――私などよりずっと強い」 「……お師匠?」 言葉の意味を理解出来ず、泰明は聞き返す。 「もう、お前には私など必要ないのかもしれない」 「――!」 言葉にならぬほど、泰明の胸が痛んだ。 「……泰明?」 「お師匠――そのようなことを仰らないで下さい」 泰明は、消え入りそうな声で言葉を紡ぐ。 「……私は――貴方の傍にいたいのです」 何故かは分からない。だが、どうしても晴明を失いたくないのだ。 「泰明――ありがとう」 晴明は微笑み、もう一度泰明を抱きしめた。 (……何故倒れそうだったあのとき、私は貴方を求めたのだろう。何故私は、貴方の傍にいたいと思ったのだろ う……) 神子への想いとは違う、晴明への想い。その正体が分からぬまま、泰明は身体の力を抜き、晴明の温もりを感 じた。 |
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