勝負の後

 
「晴明!」
 そろそろ寝ようかと考え褥に入った瞬間、大きな羽音と共に天狗が庵にやって来た。
「どうしたのだ天狗、このような刻に……」
 何か火急の用だろうかと思い、褥から出る。だが彼に目を向けたとき、両手に大きめの瓢箪を持っていることに
気付いた。
「ここに非常に良い酒がある。密かに購入した美酒だ」
 手に持った瓢箪を、天狗は軽く振って見せた。
「――それで?」
「――儂と勝負をしろ、晴明。今日こそはお前に負けん」
 下駄を脱ぎ部屋に入った天狗は、私に瓢箪を突き付けた。夜であるためか声は静かだが、面持ちは驚くほどに
真剣だ。
 今日のような月の美しい晩に、天狗は飲み比べの勝負を持ちかけて来ることがある。だが、今宵はいつもとは
違い、私にも伝わって来るほどの気迫に満ち溢れている。
 絶対に私に勝つ。そのような気持ちでいるのだろう。今まで彼との勝負に敗れたことはないが、それでも気圧さ
れてしまうほどの強い想いが感じられた。
「分かった、良いだろう」
 絶対に天狗に勝つ。私もそう決意して、頷いた。彼の強い瞳には、真摯に対応したいのだ。
「ああ。それから、ひとつ提案がある。敗者は勝者の願いをひとつ聞かなければならない、とするのはどうだ?こ
うしたほうが気合がい入るだろう」
 天狗は一本指を立て、唇の端を上げた。
 なかなかに面白い条件だ。それに彼の言う通り、こうすればより真剣に勝負を行うことが出来る。
「そうだな……賛成だ」
 私は答え、天狗から瓢箪を受け取った。
「そうか。では――始めるぞ」
「ああ」
 必ず、勝つ。そう思いながら、蓋を開けた。

「――勝負はついたな」
 瓢箪の中の酒を半分以上飲み干した頃、隣に座っていた天狗が低い声で呟いた。
「ん?そうか?」
 天狗は全く酔いを感じておらず、もう私の敗北が決定したということなのか。口に残った甘さを味わいながら横
を見ると、天狗は小さく息を吐いた。
「……これ以上は無理だ」
 天狗は頭を押さえ、角高杯の上に瓢箪を置いた。苦しげに眉を寄せており、顔は赤くなっている。確かに、これ
以上続けては彼に負担がかかるだろう。
「――そうか。では、私の勝ちだな」
「――ああ。約束だ、お前の願いをひとつ叶えてやる。言ってみろ」
 天狗は悔しそうに横を向いた。私よりもずっと長く生きているはずなのに、彼はときおり子どものような仕種を見
せることがある。
「そうだな……」
 顔に笑みが広がりそうになるのを堪えながら、考える。
 だが、すぐに決まった。私が彼に叶えて欲しいと思うことなど、たったひとつしかない。
「その顔――決まったのか?」
 天狗が私の顔を見る。その瞳を見つめ返し、言った。
「ああ。天狗、これからも私の傍にいてくれないか?」
「――晴明」
 天狗の顔には驚きの色が浮かんでいる。
 しかし、私は言葉を続けた。
「それが、私の願いだ。叶えてくれるか?」
 私の願い。それは、これからも彼の傍にいることに他ならないのだ。
「……叶えるに決まっているだろう。これからも、儂はお前の傍にいる」
 ややして、天狗は答えてくれた。呆れたような表情だったが、その声はとても優しい。
「――ありがとう。私の願いは成就した」
「――待て、これでは簡単すぎる。もっと別の願いはないのか?」
 天狗は、このままでは気が済まない、といった様子だ。
 けれど、私の願いは叶えられた。これ以上彼に願うことなどない。
 ああ――しかし、彼が少しわがままな願いも聞いてくれるというのならば。
「そうだな……では、今宵、お前の温もりを私にくれないか?」
 そっと、両腕を彼の首筋に絡める。天狗は一瞬だけ目を見開いた後、その顔に微笑みを浮かべた。
「――分かった、叶えよう」
 私の纏う白い単の襟が、大きな手に開かれた。


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