逃しても


 襟は重ね、帯も締めた。単を着終え、私はゆっくりと褥に入る。
 そして、隣にいる者に声をかけたとき。
「……天狗」
「泰継」
 彼も、静かに私の名を呼んだ。
「――すまない。先に、私が聞こう」
 一瞬驚いたが、短い沈黙の後、天狗に尋ねた。どのような言葉をかけようとしてくれていたのか、教えて欲し
い。
 だが、首を横に振り、彼は口を開いた。
「いや、お前の用件から聞こう。何だ?」
 天狗が、私の瞳を真っ直ぐに見る。頬が熱くなったが、その質問に返答したくて、深く、呼吸した。
 そっと、唇を動かす。
「――お休み、と、お前に挨拶をするつもりだった」
 小さなことではある。だが、寝る前の言葉を彼に告げようと思っていたのだ。いつものことではあるが、天狗
と挨拶を交わす時間は、とても大切なものだから。
 天狗は、一瞬目を見開いたが、すぐに優しく笑ってくれた。
「――そう、なのか。儂も、同じだ」
 天狗は、その手を私の頭に伸ばす。温もりが、伝わって来る。そっと目を閉じた。
「……本当、か?ならば、嬉しい」
 髪をなでるその手に安堵しながら、私は呟いた。彼と、同じことをするつもりだった。通じ合っているよう
で、胸にも温もりを感じる。
「儂もだ。いや……惜しい気もするな」
「惜しい?」
 その言葉に少し驚いて、私は瞼を開けた。何が、惜しいのだろう。
 天狗は、頷いてから、口を開いた。
「先ほど黙っていれば、儂に挨拶してくれるお前の声を聞けたのだろう?それを逃したのが、惜しい気がする」
 頭に置いた手はどけず、穏やかな瞳で彼はこちらを見る。鼓動が、速くなった。
 私の挨拶を、天狗は求めてくれているのだろうか。
「――私も、お前にお休みと挨拶をされると、いつも胸が満たされる」
 小さな声で、私も告げる。私と彼は、また同じように思っていたらしい。それは、とても、嬉しい。
「……では泰継。口を閉じてくれるか?挨拶を、聞いてくれ」
 天狗は一瞬目を見開いてから、唇を動かした。挨拶を、してくれるのだろう。
「――分かった」
 頷いて、口を閉じた、そのとき。
「……泰継。お休み」
 柔らかな声で、彼は眠りの挨拶をしてくれた。その言葉に、私も応じたい。
「――天狗。静かに、聞いて欲しい」
「――よし、分かった」
 笑顔で、頷く彼。
 深く呼吸をしてから、鼓動に負けぬよう、私は告げた。
「――お休み、天狗」
 彼は、私の頭に置いた手を、もう一度優しく動かしてくれた。


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