もう一度手を

「泰明」
 名を呼びながら、天狗は返事を待つこともなく庵の戸を開けた。
「――天狗か」
 中にいた彼は、特に驚く様子もなくこちらに視線を向けた。
 下駄を脱ぎ捨て、室内へと上がりこむ。内裏での儀は、もう終わったようだ。
 今日から、新しい年が始まる。この庵へ来たのは、年明けの挨拶をするためなのだ。
 この時期、陰陽師は内裏で多数の儀に携わる。そのため泰明もまだあちらにいるだろうかと思ったが、庵にい
てくれて良かった。
「仕事はもう済んだようだな」
 足早に彼のもとへと向かった。そして腕を伸ばし、抱きしめる。
「……っ、急に何だ」
「……しばらくぶりだ、この感じは」
 泰明はこちらを睨んだが、それには構わず、腕の力を強めて閉じ込める。
 今は、傍にいさせて欲しい。彼の存在を感じたいのだ。泰明が内裏にいる間は、逢うことさえ出来なかったか
ら。
「――腕を緩めろ。動けない」
 ほどなくして、彼の声が聞こえた。もう解放しなければ泰明の呼吸が苦しくなるだろう。
 彼も帰って来たばかりで疲れているだろうに、勝手なことをしたかもしれない。
「――悪かったな、急に」
「……それで、私に用があるのか?」
 反省しながら天狗が腕を解いたとき、泰明は俯きながら言った。頬は仄かな紅色に染まっている。
 彼の頭に手を載せ、口を開いた。
「年明けの挨拶をしようと思って来たが……後でも構わん。お前も疲れているだろうからな」
 早く逢いたくて訪ねて来たが、泰明は疲労しているはずだ。年明けの挨拶は後にしよう。
「天狗……」
「休むつもりなら、出直す。お前が落ち着いた頃にまた来るから」
 こちらを見る彼と目を合わせる。身体が十分に休まった頃に逢ってくれるのなら、それで良い。泰明に無理を
させたくないのだ。
 だが天狗の言葉が終わったとき、彼はそっと唇を動かした。 
「――ない」
「泰明?」
 あまりにも小さな声音。何か言ったようだが聞こえなかったので、尋ねる。
 彼は短い沈黙の後、もう一度口を開いた。
「……帰る必要は、ない」
 言葉の最後に、泰明は天狗の袖を掴んだ。頬は先ほどよりも濃い紅になっている。
 普段あまり聞くことの出来ない、彼の気持ち。天狗の胸に、愛しさが溢れた。
「……そうか、ありがとう。今年は良い子だな、泰明」
「――うるさい」
 天狗が頭をなでると、彼は袖を掴んでいた手をどけ、目を逸らした。それもまた、好きな仕種だ。
「こちらを向け。まあ……今日のところは、愛らしいこの手に免じて許してやるか」
 先ほどまで自分に伸ばされていた手を取り、その甲に唇を当てた。
「天狗っ……」
「――今年もよろしくな、泰明」
 目を見開く彼に告げた。今年もずっとこうして、傍にいさせて欲しい。
 泰明は少しの間沈黙したが、頷いてくれた。
 そのことに礼を述べる。それからもう一度、綺麗な手の甲に唇を当てた。


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