文句を付ける

「泰明」
 夕刻。松の上から地面へと降りた天狗は、そこにいる者を呼んだ。
「……天狗」
 彼――泰明は、目を見開いてこちらを見る。
「良く来たな」
 一歩彼に近付いて、口を開いた。
 この時刻に北山を訪ねているということは、帰る途中に足を伸ばしてくれたのだろう。泰明は任務を遂行した
後、良く自分のもとへ来てくれるのだ。
 忙しく、疲労もしているはずだが、逢いに来てくれる。幸せを感じながら、黙って彼を見つめる。
「――何だ?」
 訝しげな顔で尋ねる泰明。視線の理由が気になったのだろう。天狗は、返答した。
「近くでお前を見たいと思ってな」
 こうして共に過ごせるときは、出来るだけ傍に行きたいのだ。美しい瞳を、覗き込む。
「……目を覗き込むな」
 直後、視線を逸らされる。だが、泰明の頬は薄い紅色に染まっていた。恐らく嫌がっているわけではなく、落ち
着かないだけなのだろう。
 愛らしく想いながらも、告げた。
「横を向くことはないだろう。お前も陰陽師なら儂をもう少し敬え」
 天狗の中でも最高位にあたる自分は、山を守護する神と呼ばれることもある。彼は神仏を尊重する立場にある
のだから、もう少し敬ってくれても良いと思うのだが。
「敬って欲しいのならば神らしいことをしろ」
「睨むな。全く、儂がもう少し短気なら罰を当てるところだぞ」
 鋭く切り返す泰明に、伝える。そのような顔で見られたら、不機嫌になり力を奮う神もいるはずだ。
「……うるさい」
 視線をこちらに向けず、彼は小さな声を上げる。
 神に文句を付けるなど、本来ならば許されぬことである。
 だが。
「――まあ、お前に罰を当てることなど出来るはずがないか」
 天狗は、呟いた。
「……天狗?」
 その言葉に反応したのか、泰明がこちらを見る。
 天狗はそっと彼の頭に手を載せ、口を開いた。
「これだけ傍にいて欲しいと想う相手に、罰を与えることは出来ん」
 どんなことが起こっても、泰明を傷付けることは出来ない。本当に、大切だと想っているから。
「――天狗」
「……どれだけ睨まれても、お前が危険なときは必ず助けに行ってやる」
 目を見開く彼に、告げた。何度睨まれても、何度文句を付けられても、泰明に助けが必要なときは誰よりも早
く手を差し伸べたい。
「――ありがとう」
 短い沈黙の後、彼は唇を動かした。
 愛しさで胸が満たされる。同時に、少し欲も出た。
「……そうだ、泰明。敬わなくて良いから、お前の温もりを分けてくれないか?」
 不思議そうな顔で、こちらを見る彼。
 言葉の意味は説明せず、その唇に自分のそれを重ねた。


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