もどかしさと賭け

 夕刻。気に入りの松に腰かけていた天狗は、静かな足音に気付いた。
 身を乗り出し、そこにいる人物を確かめる。やはり、馴染みのある顔だった。
「――泰明。どうした?」
 地面に降り立ち、彼――泰明に声をかける。
 この時刻ならば今日の務めは既に終わっているはずだ。恐らく私用があるのだろう。
「……気を鎮めに来た。邪魔はするな」
 彼は一瞬だけ目を見開いたが、すぐにいつもの落ち着いた声音で返答した。
 北山には澄んだ気が常に満ちている。そのため、泰明も良くこの地を利用するのだ。
「分かっている」
 頷いてから、数歩後ろにさがった。あまり近くで見られても迷惑だろう。
 ほどなくして瞼を閉じ、彼は深く呼吸をした。
 大木の幹に凭れながら、その姿に視線を向ける。
 泰明の邪魔をするつもりはないが、見ているだけというのも退屈だ。目を閉じた横顔はとても綺麗なので、何
もせずにいるのはもどかしい。
 どうせなら、彼を楽しく眺めたい。そう思ったとき、ひらめいた。
 泰明が自分の視線に気付いてこちらを向いたら良いことがある。そのように思いながら眺めてみよう、と。
 これならば退屈することもないだろう。天狗はひたすら彼の姿を見つめた。
 泰明は、気付いてくれるだろうか。
 
 それからしばらく目を逸らさずにいたが、彼の視線がこちらに向けられることはなかった。
 やはり、無理な賭けだったか。
 そう思ったとき。
「――天狗」
 泰明は、振り向いた。眉を寄せ、自分を呼びながら。
 彼に歩み寄り、尋ねる。
「……どうした?」
「先ほどから何故こちらを見ている」
 泰明は訝しげに唇を動かした。やはり視線に気付いたようだ。
 彼と目を合わせ、天狗は真相を打ち明けた。
「……賭けをしていた。お前が視線に気付いて振り向いたら、何か良いことがある、と」
 言葉が終わったとき、泰明は驚いたのか目を見開いたが、すぐに横を向いた。
「――あれだけ見つめられていれば誰でも振り向くだろう」
 彼の言う通りかもしれない。だが、自分に気付いてくれたことが嬉しいのだ。
 それに。泰明も、嫌がっているわけではないはずだ。
 今、彼の頬は仄かに染まっているから。
「そうか?」
 頬に手を伸ばし、軽くなでる。
「天狗っ」
 声を上げ、こちらを睨む泰明。だが、やめるつもりはない。
「……早速、ひとつ良いことがありそうだ」
 彼に告げ、唇を重ねる。
 泰明は少し身じろいだが、それ以上の抵抗はしなかった。


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