勝るか


 見知った扉の前に、天狗は辿り着いた。呼び鈴を鳴らしてから、問いかける。
「泰明、いるか?」
 インターホンからの返答は聞こえなかったが、静かな足音が聞こえて来た。
「――上がれ」
 ほどなくして、呼びかけに応じて、彼は扉を開けてくれた。
「邪魔するぞ」
 軽く挨拶をした後、足を踏み入れ、靴を脱いだ。
 戸内に上がり、泰明の背を見ながら廊下を歩く。ほどなくして、リビングに着いた。手に提げていた紙袋が、小
さく揺れる。
「……座るか?」
 椅子を引きながら、彼はこちらに視線を向ける。だが。
「いや、まずはこれだな。ほら」
 そこには座らず、持っていた紙袋を泰明に見せた。
「――私に、か?」
 彼は目を見開き沈黙していたが、しばらくして、口を開いた。
「バレンタインデーだからな。もちろん、お前にだ。ナッツ入りのチョコを作ってみたが、食えるか?」
 その瞳を覗き込みながら、尋ねた。
 バレンタインデー。どうしても贈りものをしたくて、日時を決め、先日泰明に声をかけた。彼は承知し、家に招
いてくれたので、今、こうして晴明が不在の時間に向き合えているのだ。
「――大丈夫、だ。ありがとう」
 ほどなくして、泰明はそっと手を伸ばし、紙袋を受け取ってくれた。天狗は、安堵の息を吐く。
「それは良かった」
「私、も……」
 直後、小さな声が聞こえて来た。天狗は、問いかける。
「何だ?」
 彼は紙袋を椅子に置き、テーブルの一角に手を伸ばす。入って来たときは視界に入らなかったが、そこには、
綺麗な紙に包まれた小さな箱があった。
「バレンタインデー、だからお前、に、作ったのだが……」
 泰明は、ゆっくりとこちらに箱を差し出す。その腕は、震えていた。
「……チョコか?」
 箱を見つめながら、彼に問う。
「そう、だ」
 頬に薄紅を浮かべ、泰明は頷いた。
 自分のために、手作りの贈りものを用意してくれたことは、嬉しい。薄紅色の頬は、とても愛らしい。
 だが、どうしても気になることがある。
「それは、嬉しいが……」
 言葉の最後に、笑いが混じった。下を見ていた泰明が、視線をこちらに向ける。
「――何故、笑っている」
 眉を寄せる彼と目を合わせてから、天狗は、返答した。
「――お前、チョコ溶けそうなくらい頬赤いぞ」
 馬鹿げた発想だが、随分緊張し、体温も高くなっているようなので、本当に贈りものが溶けるのではないかと
思ったのだ。色付いた頬が愛らしく、そして面白く、つい笑い声を上げてしまった。
「うるさっ……」
 泰明は、こちらを睨む。だが。
 その言葉が終らぬ内に、素早く彼の手から箱を受け取った。
「――せっかく用意してくれたチョコが溶けたら悲しいからな。ありがとう」
 大切な泰明がくれた贈りものだ。溶ける前に、食べさせて貰おう。天狗は、目を逸らさずに礼を述べる。
「ん……」
 彼は一瞬目を見開いたが、ほどなくして柔らかな声を上げた。
 愛しさと、嬉しさが、天狗の胸を満たして行く。
「――泰明」
 小さな声で、その名を呼んだ。そして。
「何だ……」
 彼の唇が動き始めた直後、その身体を強く抱きしめた。
「――先ほどより、頬、熱くなったか?」
 耳介にそっと唇を寄せ、尋ねる。色付いた頬は、とても愛らしい。だから、緊張に勝る熱を、自分が与えられ
たら良いと思うのだ。
「……莫迦」
 泰明は、呟く。だが。
 頬の色は、先ほどよりも濃いような気がする。
 緊張に勝る熱を、与えることが出来たようだ。


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