繰り返した質問

  太い枝の上で、天狗は高い空を見つめていた。日の光が笠の布越しに目を差す。一睡もしていない天狗にとっ
て、その日差しは残酷なまでに目映い。
(――泰明……)
 瞼を閉じれば、想うのは彼のことばかりだ。昨晩の去り際に見た表情が焼き付いている。
(あんな顔をさせるつもりはなかった……)
 眉を寄せた――苦しそうな、悲しそうな表情。当然だろう。礼を言いに来てくれたのに、険しい声を浴びせてしま
ったのだから。
 謝らなければならぬ。だが、逢いに行ったら何をするか分からない。想いが暴走し、泰明をどこか遠くへ連れ去
ってしまうかもしれない。
 それだけは避けなければならない。泰明の幸せを願うのならば。
 そう考えながら目を開けたとき、よく知っている者の気を感じた。
「……晴明か」
「ああ。天狗、降りて来てはくれないか?」
 下からよく通る声が聞こえる。笠を近くの細い枝にかけてから、地面に下りた。
「どうした?」
「いや、爽やかな風に誘われてな」
 晴明はいつものように微笑み、明るい青が広がる天を仰ぐ。真白の袖が風に靡いていた。
「……回りくどい言い方をするな」
 天狗は小さく息を吐いた。これでは全く説明になっていない。
「――そうか。では簡潔に言おう」
 急に、晴明の声色が変わった。凛とした、真剣な声だ。
「晴明……」
「泰明が傷付いている」
 天狗の瞳を見据え、晴明は告げた。
「なっ……」
 言葉を詰まらせる天狗を真っ直ぐに見たまま、晴明は続ける。
「神子殿のもとへは向かったが、ずっと沈んだままだ」
「――そうか……」
 晴明の顔を見ることが出来ず、思わず視線を逸らした。
「――天狗」
 晴明は天狗を呼ぶ。その顔を見ないまま、言った。
「……悪い。だが、傷付けたかったわけじゃない。泰明には幸せになって欲しいと思っている」
「本当にそれで良いのか?」
 低い声が耳に響いた。胸を射るような、鋭い声。
「……どういう意味だ」
 眉を顰めて視線を元に戻すと、再び瞳を捉えられた。
「泰明が他の者の傍に行っても良いのか?お前は――それを笑って祝福出来るのか?」
 今度は、目を逸らすことが出来なかった。
「――それは……」
 見抜かれている、溢れ出しそうな感情を。泰明の幸せを願っていることは事実だが、隠し切れぬほどの想いを抱
えていることもまた事実なのだ。
「お前のことは信頼しているし、感謝もしている。天狗、お前は大切に想う者を傷付けるような男ではないはずだ」
 静かだが確かな灯を宿した双眸が、天狗に向けられている。
「――晴明……」
「――それではな。私が言えるのはそれだけだが……お前のことを信じている」
 天狗に言葉を求めることもなく、晴明は軽く手を挙げてその場を後にした。

「……信じている、か……」
 枝に腰かけた天狗は、目を伏せて呟いた。
(晴明……お前の信頼に応えられるだろうか……)
 まずは、泰明に逢うべきだ。そして謝罪しなければならない。だが彼の顔を見たら、膨れ上がった想いを止めら
れないかもしれない。そうなれば、泰明を惑わせてしまうだろう。
 そして何よりも、この感情をぶつけた後、自分自身が何をするか分からないのだ。
(泰明は、神子を守ろうとしている……)
 龍神の神子は泰明にとって何ものにも代えがたい存在だ。恋慕の情を抱いてはいないのかもしれない。だが、
あの清らかな娘が泰明の大切な人だということは揺るぎない事実だ。泰明の内を満たしてくれたのも、彼女だっ
た。
 神子と共にいることが彼にとっての幸せならば、この想いは胸の奥へと封じなければならない。
 泰明には、幸せになって欲しいから。
(……幸せになって欲しい――幸せに?)
 昨夜見た泰明の表情を、頭に描く。
『――っ!離せっ!』
 一瞬だけ振り返った彼の瞳は、悲しみに満ちていた。
 嘘を吐いて混乱し、この北山で過ごしていたときよりもずっと。
(……幸せを見付けて欲しいと思っているのに、儂が一番苦しませてどうするんだよ……)
 胸に痛みを覚え、天狗は深く笠を被った。
 謝りたい。しかし、身体が動かない。
 ただ、黄赤に染まり始めた天を見上げることしか出来なかった。

 どれくらいそうしていただろうか。気付けば日は沈み、星が瞬く刻になっていた。
(いつまでもこうしているわけにはいかない……)
 それでも腰を上げられず、自分を忌々しく思う。
 そのとき。
 澄んだ気を肌に感じた。
 間違えるはずもない。狂おしいほどに想っている者の気だ。
 すぐに笠を外し、枝から飛び下りた。
「――泰明……」
「あ……天狗」
 名を呼ぶと、泰明は少し身体を震わせて下を向いた。
「泰明……」
 何故ここに来てくれたのだろう。昨晩、ひどく傷付けてしまったのに。
 そんな思考に耽っていると、泰明の小さな声が届いた。
「――天狗、昨夜は急に帰ってしまってすまなかった。お前は私を引き止めてくれたのに……」
 胸に、甘美な痛みが浮かんだ。
 彼が謝る必要などない。悪いのは全て自分なのだ。
 どうして、彼の心はこんなにも無垢なのだろう。
「――謝るな。謝らなければならないのは儂のほうだ」
「天狗……?」
 伏せていた顔を上げ、泰明は天狗を見る。
「泰明、昨夜は悪かった。いきなり大きな声を出されて、驚いただろう」
「天狗……」
 安堵したのか、泰明の顔が僅かに和らいだ。
 同時に、天狗の胸に熱が広がって行く。
(ああ……もう、駄目だな)
 無理だ、この気持ちは止められない。
 妖となり自分でも分からぬほど長く生きて来た。強い神通力もある。
 だが、この想いを秘めたまま笑っていられるほど大人ではないのだ。
「――泰明」
「――天狗?」
 頭に手を乗せると、泰明は怪訝そうに首を傾けた。
「……どうしても、お前に伝えておきたいことがある。良いか?」
「――ああ」
 何も問わず、泰明は小さく返事をした。
「――ありがとう。泰明……天狗が元は人間だということは知っているか?」
「――ああ……知っている」
 頷いた泰明に、続きを告げた。
「そうか。お前も知っている通り、驕りの過ぎた修験者は天狗に身を堕とすことになる。儂は人間だった頃の記憶
などもうないが……恐らく下らぬことに力を使い、闇に染まったのだろう」
 驕りたかぶった修験者。それが、天狗となる前の自分の姿なのだ。
「――天狗」
 そっと、泰明の艶やかな髪をなでる。
「――泰明、お前はいつも呆れるくらいに純粋だ。きっと何があっても妖になったりはしないだろう。本当は……そ
んなお前がずっと眩しかったのかもしれない……」
 逢う度にからかいの言葉ばかりが口を衝いて出たのも、この気持ちを隠すためだったのだろう。
「――天狗……」
 泰明は驚いたように目を見開いている。その瞳を見つめ、言った。
「――泉に落ちたお前を見たとき、我を忘れて濡れた身体を抱き上げていた。お前がいなくなってしまうことなど考
えたくない。ずっと北山にいて欲しいとさえ思っていた……」
 彼が苦しんでいる姿など見たくなかった。耐え切れずに、力を込めて抱きしめてしまったほどだ。
「……天狗……」
 目を大きく開けてはいたが、泰明は顔を背けることなく、真っ直ぐにこちらを見つめてくれていた。
「――神子を呼び出したとき、お前が幸せになれればそれで良いと思っていた。だが……儂はお前を傍で見つめ
ている神子を妬んでいたのだ。最高位の天狗が年端も行かぬ娘御に嫉妬するなど、可笑しな話だろう?昨夜お前
の手を遮ってしまったのも……そうしなければ想いを堪えられそうになかったからだ」
 泰明の傍にいる者が自分でなかったことが、悔しかった。本当は、彼の傍から離れたくなどないのだ。
「天狗…………」
 身を屈め、小声で自分を呼ぶ泰明と目を合わせた。
 想いが、溢れ出す。
「泰明……儂は、お前のことが好きだ。正直に言えば……他の誰のもとにも行かせたくない」
 伝え終えた後、天狗はひとつ息を吐いた。
 これが、本当の気持ちだ。隠し切れなくなった想い。
 泰明は、俯いていた。何も言おうとはしない。
 彼を、惑わせてしまったのだろうか。
 二人の間に、しばしの沈黙が流れた。
「……もう、お前の傍にはいられないのだと思っていた……」
 目を伏せたまま、泰明が呟いた。
「……泰明?」
 声をかけると、泰明は天狗を見上げた。その瞳に迷いはないように見える。
「――天狗、私は神子を守りたいと思っている。だが……昨夜お前に拒まれたとき、張り裂けそうなほどに胸が痛
んだ。それは……お前の傍にいたいと願っているからだ……」
 言ってから、泰明は再び下を向いた。
「――泰明……」
 心の片隅で信じられない、と思ったが、彼が嘘など吐けないということはよく知っている。
 泰明も、自分を想ってくれているのだ。
「――頬が、熱い……」
 俯いたまま、泰明は左の頬を押さえていた。
「……大丈夫か?」
 慌てて尋ねると、泰明は顔を上げた。
 呪いが消えている。
 間近で見るその顔は、息を呑むほどに美しかった。
「……天狗……呪いが、解けているか?」
「……ああ、解けている」
 答えると、泰明は目を逸らすことなく言った。
「私は……天狗が愛しい。お前の傍にいたい……」
 言葉の最後に、泰明は涙を流した。月と星の光に照らされた雫。
 それを目にした瞬間、泰明を抱き寄せていた。
「……泰明」
 そのまま、唇を重ねた。
 彼の涙を止めるために。そして何よりも、想いを伝えるために。
「――ん……」
 くぐもった声が耳を掠めた。全身が熱くなる。
 口付けを終えてから、愛しい身体を抱きしめた。
「――嫌だとか言っても、もう遅いぞ。儂は……お前を離さない」
 離すものか、絶対に。こんなにも幸せな気持ちになるのだから。
「――言わない、決して」
 小さいが、決意のこもった泰明の声。彼も、自分と同じように幸せを感じてくれていれば良い。
 囁くように、問いかけた。
「――泰明、幸せを知っているか?」
 この質問に、今の彼は何と答えるだろうか。
「――傍にいて、お前を想うこと……それが私にとっての幸せだ」
「――正解だ」
 腕に、自然と力が入った。その答えを、何度でも聞きたい。
「――そうか」
「――泰明、幸せを知っているか?」
 もう一度、繰り返す。
「……何故二度訊く」
「……昨夜は聞きそびれたからな」
 微笑んで、泰明の髪をなでた。
「……莫迦」
 望んでいたものではなかったが、温かさに満ちたその言葉も、嬉しかった。


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