本来の

「天狗」
 沈み行く陽を受けながら、私は庵の戸を開けた。
「お帰り、泰継……」
 部屋の中心に座っていた彼は、立ち上がって傍に来てくれた。
 その視線は、真っ直ぐに私の瞳へと向けられている。
「……天狗?」
 しばらくして、私は口を開いた。彼は、微動だにせずこちらを見つめている。何か思いを巡らせているのだろ
うか。
「少し、気が乱れているな。疲れているのか?」
 天狗の手が、頬へと伸びて来た。
 常人は気付かぬほどの、僅かな乱れ。彼には、見抜かれていたようだ。
「庵で休めば、すぐに落ち着く」
 確かに、今日は多数の任務をこなしたので普段よりも疲労している。だが、室内にいればすぐに戻るだろう。
 そう思ったとき、頬に当てられた掌がゆっくりと動きはじめた。
「――泰継。神木の下に行かないか?」
 静かで、優しい声。私を、気遣ってくれているのだろう。
 外へ行き鎮めるほど気が乱れているわけではない。だが、優しいその気持ちが嬉しい。
「……分かった」
「では、行こう」
 思わず頷く私に、天狗はそっと笑いかける。
 私と彼は、近くにある神木へと歩き出した。

「――泰継」
 神木へと向かう途中、私は声をかけられた。
「何だ――」
 立ち止まり、視線を動かしたとき。
 彼の唇が、額に触れた。
「……天狗」
「――すまん。お前と、並んで歩けることが嬉しくてな。どうしても、触れたくなった」
 天狗は自らを嘲るように笑い、私の唇を指で軽く押す。
 頬が、熱くなった。
 天狗がそう願っているのなら、私は。
「……そうか」
 そっと、瞼を閉じる。天狗は恐らく、私の唇にも触れると思うから。
「――泰継」
 天狗の声が、聞こえる。私の身体は、より熱くなる。
 だが。
 唇に柔らかなものが当たることはなかった。頭に掌の温もりを感じる。
「……天狗」
「これ以上、気が乱れては困るからな。今はこれで良い」
 驚いて目を開けると、柔らかな笑顔で私の髪をなでる天狗がそこにいた。
「――そうか」
 速い鼓動を感じながら、答える。
 そして私と天狗は、もう一度歩き出した。

「この辺りが良いだろう」
 彼は声を上げた。目の前には、清らかな気を纏う天狗松が立っている。
「そうだな。天狗、少し待っていてくれ」
「分かっている」
 彼は頷く。
 私はそれを確認してから、目を閉じて深く息を吸い込んだ。

「――天狗、行こう」
 何度か呼吸を繰り返してから、私は彼に声をかけた。
「そうだな。もう、落ち着いたか?」
「大丈夫だ。それから……」
 その問いに返答してから、私は天狗の目を覗き込んだ。
 彼に、伝えなければいけないことがあるから。
「何だ?」
 天狗は、穏やかに笑っている。
 私はもう一度深く呼吸をしてから、口を開いた。
「――もう、気は鎮まっている。だから、どこに触れても良い」
 先ほど、別のところにしたことを、本来の場所にして欲しい。
 清らかな気を取り込んだばかりの今ならば、気も乱れないはずだ。
 そして――私も、天狗に触れたいと思っているから。
「……ありがとう」
 彼は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに笑顔で私の頭に手を載せた。
 そっと、目を閉じる。
 ほどなくして、本来の場所に柔らかなものが当たるのを感じた。


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