夂を


「――天狗」
 庵の傍で、足を止めた。ゆっくりと、待機する者に呼びかける。
「――帰ったな。泰継」
 ほどなくして、彼は戸の位置を変え私に挨拶をくれた。
 疲れも、少し消える。安堵しながら、そっと、頷く。
「……今、戻った」
 年の変わる際。旧年の穢れを祓い、帝に謁見する。任務が終わったので、ようやく帰れた。既に、元日の夕刻
だ。
「――疲れているな。無理せず、身体を休めろ」
 ゆっくりと庵に足を踏み込んだとき、天狗が戸の位置を戻しながら優しい言葉をかけてくれた。
 久しぶりに逢えた彼。天狗の瞳に、私が映っている。唇は、綻んでいた。彼の傍でならば、身体を休められ
る。
「天狗、ありがとう」
 深く息をする。そして、見つめながら礼を述べたとき。
 彼は、すぐ傍に移ってくれた。
 少し冷えの取れた頬に、そっと手が伸ばされる。
 思わず、身じろいだ。
「――冷えを消せば、安らぐ」
 頬が、そっと挟まれる。驚いたが、幸せだった。任務がある際は得られなかった安堵。久しぶりに伸ばされた
手。瞳を、瞼で塞いだ。
「天狗……」
 彼に、呟く。天狗が傍にいてくれるから、冷えは、既にない。消えてしまった。
 彼の齎してくれた安堵。ゆっくりと、息をする。嬉しさが、募った。
 瞳を塞ぐことはやめたとき。天狗の言葉が、聞こえた。
「……冷えているな、泰継」
 指に、唇をなぞられる。胸が、壊れそうになる。
 そして、彼の唇が、寄せられた。
 再度、瞼で瞳を塞いだとき。
 冷えは、唇からも、消えてしまった。


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