近付いて

  「楽しい宴だったな、泰明」
 椅子に腰かけた晴明は、テーブルの上にあったグラスを手に取りながら言った。中に満ちた赤いワインが揺れ
る。つい先ほどまでの賑やかな宴を思い出すと、自然と顔が綻んだ。
「――そうですね」
 一瞬考えたようだったが、台所で手を洗っていた泰明も晴明の言葉を肯定した。
 クリスマス・イブである今夜、天狗の提案により彼や泰継、そして泰明と共にこの家でささやかな宴を開いた
のだ。神主としての仕事を早めに終わらせていたことが幸いした。
 遅れて来たが大いに宴を楽しみ酒を飲んでいた天狗、美味しい料理を用意してくれた泰明と泰継。神職の長で
あっても、やはり聖夜の宴は楽しいものである。社に祀っている神にも、これくらいは許してもらいたいものだ。
 そんなことを考えていると、泰明が台所から出て来た。
「お前も楽しんでいたようで何よりだ」
「――はい」
 微かな笑みを浮かべ、泰明は頷いた。あまり表情には出さなかったものの、やはり泰明も宴を楽しんでいたよ
うだ。
「良ければお前も座りなさい」
「はい」
 テーブルを挟み向き合う位置にあった椅子に、泰明は腰を下ろした。ここからだと彼の顔がよく見える。
 晴明は目を細めてワインを口に運んだが、あることを思い出し手を止めた。
「――そういえば、泰明。お前はあまり酒の香りを好んではいなかったな」
「はい。得手ではありません」
 泰明はあまりアルコールの類を好んではいない。晴明も普段泰明がいるときは酒を飲まぬようにしている。今
日は天狗が何本も上等のワインを持って来たため、つい口にしてしまったのだが。
「それでは、今日はもうこれくらいにしておこう。私もお前に近寄らぬほうが良いな」
「――お師匠」
「それに、お前に酒の香りは似合わない。お前にはこのような香りのほうが合っている」
 晴明は指を鳴らした。現れた式神が、テーブルの上に包装された小さな箱を置く。
「――これは……」
「菊花の香だ。受け取ってくれるか?」
 以前部屋でこの香を焚いた際、泰明の表情が和らいでいたことを晴明は覚えている。クリスマスのプレゼント
として渡そうと、専門店で購入したのだ。
「――ありがとうございます」
 泰明は微笑み、その箱に手を伸ばす。だが何かを考えているのか、一瞬だけ表情を曇らせた。
「――どうかしたのか?」
 一体何を考えているのか。尋ねると、泰明は晴明を見つめ、言った。
「――お師匠。貴方が近くに来て下さることを、私は嫌だなどとは思いません」
 少し間を置いて、晴明はその発言の意味を理解した。
 先ほど何気なく言った近寄らぬほうが良い、という言葉に、泰明は答えているのだ。
「――そうか」
 椅子から立ち上がり、泰明に近付いた。見開かれた両の目が晴明を見ている。
 そのまま肩に手を置き、唇を重ね合わせた。
 自分の言葉をどこまでも真っ直ぐに受け止める。そんな泰明が、堪らなく愛しいのだ。
「……っ、お師匠……」
 唇を離したとき、泰明の頬は薄紅色に染まっていた。
「……やはり、近付かぬほうが良かったのではないか?顔が赤いぞ」
「――いいえ、そのようなことはありません」
 小さな声だったが、泰明ははっきりと否定した。
 そのように言われると、また彼を愛しく想ってしまう。
「それならば……もっと深くお前に触れても良いか?」
「――貴方が望まれるのなら」
 頬をなでて訊くと、泰明は微かに首を縦に振った。
「では……私の部屋に」
 しなやかな身体を横向きに抱き上げる。泰明は戸惑ったようだったが、抵抗することはなかった。

「――お師匠。私も……貴方にお渡ししたいものがあります」
 自室のベッドに身体を横たえさせると、頬を染めたまま泰明が口を開いた。
「ほう。何を用意してくれたのだ?」
「――扇を……」
 扇。泰明が選んでくれたそれを見たいという気持ちもある。だが、今はそれよりも。
「ありがとう。それはとても楽しみだが……今はお前に触れたい。良いか?」
「……はい」
 その言葉を合図に、泰明の纏う黒いセーターの裾を掴んだ。


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