ばは


「少し、身体を伸ばすか」
 夜。天狗の、呟きを聞いた。
「外に移るのか?」
 声の主を、そっと見つめる。
 今日は、北山の庵で静かに過ごせる。お師匠も、許可をくださった。
 夕の食事も少し前に済んでいる。無論少し準備すれば眠れるが、安らぎを見据え天狗は少し疲労したいらし
い。
 頷きが、目に映る。
「庵は狭い。腕を振り回し、泰明に傷は刻みたくない」
 そっと笑い、隣に直立する天狗。
 少し、落ち着いた声。立っている今も、瞳は逸らされない。守られていると感じる。熱くなる頬。
 だが。室内に並ぶ品はともかく、客を気にすることはない。
「……天狗と、並ばせろ」
 小さく、求める。胸の音はうるさい。
 天狗は、目を見開いた直後に、許可してくれた。

「指が鬱陶しくて悪い」
 小さな謝罪が聞こえた。澱みなく筋を伸ばす天狗の腕。戸から少し外に移った場所で、指や手も振り周囲を見
ている。
「静寂は続いている」
 自分の身体も少し凝っている。そっと伸ばしつつ解し、答える。
 ときおり、天狗の手がすぐ傍を横切る。仄かな幸せが止まない。
 再度、自分の腕を伸ばしたとき。
「泰明」
 不意に、響いた。胸が、更に鳴る。天狗は既に静まっていた。目を合わせ、止まる。私も、腕は下ろす。
「てん、ぐ」
「良く、待ってくれた。今度は静かに触れる」
 辛さのない声が聞こえた。息を呑む。天狗が、私と距離を詰める。
 そっと、伸ばされる腕。天狗に、包まれた。
 長い、接触。胸の奥に存在した願いは、報われている。
 呼吸が少し苦しい。黙し、傍にいたことを賛美されている。胸は満ちる。
 力を強める天狗。だが、止める気はない。
 嬉しさが溢れる。思わず、少し後ろに移るが、再度、天狗の胸に寄りたい。
 一瞬怯むが、呼吸する。
 私の幸せを、知って欲しい。
 迷わない。すぐに、足の位置は戻した。


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