「はぁ…はぁ…んっ…はふ…んんっ!!…はぁっ…」 謁見の間に場違いな、と思える吐息が溶けていく。 謁見の間…そう、ここはアルビオンではなくトリスタニア王城の謁見の間。 「んぁっ!…ん…ぁ…くぅっ!!…はふ…ん…」 つまり目の前に居るのはウェールズ様ではなく…とは言っても後ろにウェールズ様が居るのだが…アンリエッタ姫殿下である。 因みに、この悩ましい吐息を出しているのは、残念ながら私ではなく… 「はっ…ぁ…ん…はぁ…っ!?…はふ…はぁ…はぁ…」 私の手を握ったアンリエッタ姫殿下であった。 −−−−−−−−−− ゼロの使い魔中期連載SS「オクトメイジ」 第十六話「手と心と小さな日常 −ある意味最高の握手−」 −−−−−−−−−− ラ・ロシェールの宿屋から飛び立った私たちが向かったのは、魔法学院ではなくトリスタニア王城だった。 最初は魔法学院へ向かっていたのだけれど… 『ウェールズを王城に』 というルイ姉さまの言葉で王城へと方向を変えたのだ。 最初は、勅命を受けたルイ姉さまと当のウェールズ様の二人だけで向かって貰おうと思っていたのだけれど… だって…アンリエッタ姫殿下って、私の事好きじゃないみたいだし… でも、そんな私の思いも届くことはなく…と言うより、ウェールズ様から『一緒に行ってほしい』と言われてしまっては仕方ないというもの。 本当に仕方なく、私を含めた4人は一路トリスタニア王城へと向かったのだ。 「ラ・ヴァリエール侯爵様三女ルイズ様、四女リーゼロッテ様…おなーりぃぃぃっ!!」 「ひぅっ!?」 こう、高々と名前を叫ぶのはトリスティンの伝統なのだろうか。 続けてタバサやウェールズ様も呼ばれて入って来たけれど、残念ながら驚いた声を出したのは私だけだったようだ。 「アンタって、本当に小心者ね…まるで小動物だわ…はぁはぁ…」 「ほ、捕食者の様な目をしながら言わないでください、ルイ姉さま」 隣に居るルイ姉さまの呼吸が妙に荒々しくて少し怖いけれど、遠目(恐らく30メイル先位?)に見えるアンリエッタ様の獰猛な目の方がずっと怖い…って、睨まれてるような… 「ルイズ!無事に帰ってきたのねルイズ・フランソワーズ!」 「姫さま!」 まるで隣に居る私が見えてない様にルイ姉さまを抱きしめるアンリエッタ姫殿下に、ルイ姉さまが嬉しそうに声を上げている。 いや、見えてないのは…見えないようにしているのは私に対してだけだろう。 タバサや、勿論ウェールズ様にも視線を送っていたから。 「無事ウェールズ様を助け出してくれたのね。やはりあなたは私の一番の友達ですわ。タバサさんも手伝ってくださいまして、ありがとうございます」 「もったいないお言葉です、姫さま」 近くに居るのに近くに居ないような感覚。 まるで、私だけが取り残されたような感覚。 でも、そんな気持ちをいつも助けてくれたのは… 「姫さま。我が妹、リーゼロッテもウェールズ皇太子様を助けるのに尽力しました。どうぞ労いのお言葉を…」 「ルイ姉さま…」 ルイ姉さまのまっすぐな言葉に後押しされるように、私はアンリエッタ姫殿下を見た。 でも、アンリエッタ姫殿下は視線を合わせてくれない。 アンリエッタ姫殿下の視線は、ルイ姉さまに向いたままだった。 「…リズ、手を差し出して」 「え?…あ、はい」 突然言われたルイ姉さまの言葉が何なのか一瞬わからず、戸惑ってしまったけれど 私は不格好ながらも、何とか右手を差し出すことができていた。 それから数瞬遅れて、ゆっくりとアンリエッタ姫殿下が手を差し出してくる。 握手、シェイクハンド。 嫌なら無理にしなくても良いのに、とも思うけれど…アンリエッタ姫殿下って凄い美人なんだよね。 握手だけでもしたいって言う人も一杯居るわけで…勿論私もその一人なわけで… 眉間に皺を寄せ、目を瞑ったアンリエッタ姫殿下。そこまで嫌なのだろうか。 でもアンリエッタ姫殿下の手の進みは止まらず…いや、一気に進んで私の手を取った。 その、瞬間だった。 「はひゅぅっ!?」 まるで全身に電気が走ったように、アンリエッタ姫殿下は全身を『がくがく』と震わせたのだ。 それでも私の手を離す事はなく、力強く握ってくる。 「え?…えっ?」 突然の事に驚いてしまい、思わず周りを見回してみると いつの間にか衛兵?近衛兵?…よく分からないけど…達が居なくなっており この広い謁見の間には、私たち5人しかいなかった。 「ふむ…リズ、アンタからも握り返しなさい。緩急をつけて、優しく…時折強くね」 「は、はぁ…っ!?」 「はぁ…んぁっ!…はふ…んんっ!…んっ…はぁ…はぁ…」 ルイ姉さまに言われるとおりに、まさしく『にぎにぎ』という擬音が聞こえるほどに力を入れたり緩めたりしながら 時々指を動かしたりして、アンリエッタ姫殿下の手を握ったのだ…けれど… 妙にアンリエッタ姫殿下の吐息がエロいというか何というか… それに、この匂い…凄い… 「もう良いわ、手を離してあげて。これ以上したら気絶するから」 「え?…あ、はい」 「はひゅんっ!…はぅぅ…はぁ…はぁ…」 動悸を抑えられぬままにアンリエッタ姫殿下の手を握り続けていた私に、ルイ姉さまが今度は『離せ』と言ってくる。 それに思わず私は一気に手を離してしまうと、アンリエッタ姫殿下は後ろに体重でもかけていたのだろうか と思うほどに、後ろにある玉座に勢いよく倒れこんでいた。 でも、私の視線を釘付けにしていたのはアンリエッタ姫殿下ではなく、アンリエッタ姫殿下が立っていた場所。 真っ赤な絨毯。 それが、立っていた場所だけ色が変色しているのだ。 それが、私が感じた匂いの元なのだと…本能が言っている。 「ほら、物欲しそうな顔してるんじゃなわいよ」 「え!?…ぁ…」 涎でも垂らしていたのだろうか、そう思ってルイ姉さまに声を掛けられた瞬間口元を拭ってしまった。 急いで視線をアンリエッタ姫殿下の方に向けたの…だけど 「すぅ…すぅ…ん…くぅ…くぅ…」 「寝て…ます、よね?」 「えぇ…『沢山出して』疲れたのでしょ」 ストレスが溜まっていた、ということなのだろうか。 確かウェールズ様とアンリエッタ姫殿下は従兄妹だと聞いている。そのウェールズ様の無事が分かって、一気に力が抜けて眠ってしまったという事なのだろう。 「は、あはは…相変わらずですね、アンは」 でも、ウェールズ様は頬を掻きながら苦笑していた。 「時々遊びに来て下さいね、私の愛しい人」 「は、はい。ウェールズ様!」 姫殿下本人が寝てしまっては長居をするわけにもいかず、私はウェールズ様に別れを告げ タバサの使い魔、シルフィードに乗って魔法学院へ向かおうとしていた。 あ、まだウェールズ様手を振っている。 「タバサ、さっさと出発して」 「了解。お腹もすいたから、急いで」 「きゅいきゅい、急いで帰るのね!」 時々遊びに来て…とは言ってくれたけれど、きっと頻繁に会うことはもう出来ないだろう。 まさか、ウェールズ様とはいえ私が男の人を好きになるなんて思いもよらなかったけれど、好きになったものはしようがない。 それにしても、またシルフィードが喋ったような… 「ねね、シルフィード。何か喋ってくれたら美味しいもの一杯食べさせて…って、あぁっ!泣かないで! 冗談だから、後でちゃんと食べさせてあげるからぁぁっ!」 「きゅいぃ〜…」 「シルフィードは喋れないけど、私たちの言葉はちゃんと分かってる」 もしかして本当は喋れるのではないか、と思って食べ物で釣ろうと思ったけれど、大きな目から大量の涙を『ぼたぼた』と流し始めたので急いで謝ってしまった。 どうやら言葉は理解できるらしいし、結構頭が良いのだろう。 「あなた最近喋りすぎ」 「ごめんなさいなのね、きゅいきゅい!」 「…?」 また、喋ったような? 「おかえりなさい、リーゼロッテ!」 「ケティ!」 魔法学院寮の中庭に降り立った時、迎えてくれたのはケティだった。 もう怪我は大丈夫なのだろうか、私を勢い良く抱きしめてくる。 「お帰りなさいませ、ルイズ様、タバサ様」 「ただいま、って言うと…まるでこの寮が私達の家みたいね」 「確かに」 家…か。私がこの寮に住み始めてまだ数か月とも言えないほど短いのに、心が落ち着いてくるのは確かにあった。 そんな気持ちにしてくれるのは、きっとルイ姉さまでありタバサであり… 「どうしたの、リーゼロッテ?」 「ううん、なんでも〜」 きっと、ケティのお蔭だろう。 「んっ…んぅ〜〜〜…はぁ…よし、久しぶりのぉっ…錬金、あ〜んど…コンデンセイション!」 久しぶりの寮の朝。数日振りなのに、本当に久しぶりに感じる。 私は意気揚々とコップを作り出し水を少しと棚の裏に隠してある『固定』をかけた蜂蜜を混ぜた。 そう、はちみつ水だ。 「んっ…んっ…こく…こく…はぁっ…しあわせぇぇ…」 私が作る水はその辺りに売っている水等とは比べ物にならないほど質が良い。 単純に『質』と言っても、H2Oの水であれば良いというものではないのだ。 空気中の水分を凝縮し、不純物を取り除きナトリウム、マグネシウム、カリウム等鉱石に含まれるミネラル成分を極上の割合で錬金して混ぜてこそ作れる、まさに『名水リーゼロッテ』と言っても過言ではない。 まぁスクウェアとなった今では、周りから言わせれば能力の… 「また能力の無駄遣いしてる…今日のおやつ減らすよ?」 「あぁっ!それだけは許してぇぇ…」 突然入って来たケティの辛辣な言葉に、私は涙を流しながら縋り付いていた。 なんでもない日々。とても貴重な日々が続いていく。 「そういえば、リーゼロッテ達がアルビオンに行っている間にね…ほら、コルベール先生って居るでしょ。あの人、2年の女学生と付き合い始めたんだって」 「え〜うっそ〜?」 でも、世界はそんな貴重な日々すらも、私達から奪おうとしてくる。 「ホントだってば。だって昨日、その女学生からお弁当貰っていたんだから」 「わぁ…」 でも、その足音が私たちに聞こえてくるには… 「そういえば、リーゼロッテの隣の家じゃなかったっけ…ほら、ウェルプストーっていう」 「えぇ、キュルケなのっ!?」 まだ、暫くかかりそうだ…