ここは美神令子除霊事務所執務室。時は…2月14日。セントバレンタインディと呼ばれる日。
「かっ…かかっ…かかかかかかっ…」
所長椅子に座る美神令子は、真っ赤になりながら唸っていた。
恐らく魂に『大阪』と刻まれているであろう事務所員の横島忠夫なら『便秘ッスか?』と無遠慮に聞き、事務所の食事処と化した氷室キヌならコップ一杯の水と共に薬を持ってきていただろう。だが、事務所メンバーはみな除霊に出払っており、事務所には美神一人しか居ない。
「か…買って…しまった…」
GS美神短編「ドリーミンオブドリーマー〜婚約記念日はValentine day?〜」
何を、と聞くのは不躾だろうか。彼女の両手には小さな小さなピンクの可愛いラッピングをされた小箱が、ちょこんと乗せられていた。
「一箱2600万のチョコレート…」
ゼロの数を4つ程間違えてないだろうかという値段。その小ささから云っても、チョコレートが一つしか入っていないだろうと想像するのは容易かった。
「こ…れをバレンタインデーの日に意中の男の人に食べて貰う事で、たちまち渡した女性にこっ…恋をして…」
明らかに普段からは考えられないほどの滑舌の悪さである。
彼女の言葉を要約すると、惚れ薬入りのチョコレートの様だ。
だが、その値段から言って普通の惚れ薬ではない事は当然だろう。
実は、美神はこのチョコレートが届いた午前10時から、今の午後4時まで全く同じ事を繰り返していた。
Prrr…Prrr…
突然の電話の呼び鈴。口から心臓が出てしまうのではないかと思うほどに驚いた美神は、何とか平静を保とうとして…
『カチャ…お電話ありがとうございます。只今美神令子除霊事務所メンバーは全員で払っており…』
…いる間に、留守録テープが動き出した。
意を決して取ろうとした手が宙を舞う。やはり取ろうかとも思ったが、大した用事ではないだろうと椅子に座りなおした。
『あれ、美神さーん? 居ませんか? えっと…』
どうやら電話主はキヌのようである。
『今日バレンタインデーですから、皆で小パーティしようって話になりまして…』
連絡は明日に…カチャリ、と通話の途中で切れた。
録音時間が過ぎたのだろうが、美神の頭には先ほどのキヌの声がリフレインしていた。
『皆で小パーティしようって…』
「馬鹿…よね…」
流す気も無いのに目から涙が溢れる。
今日はバレンタインディ。
それは全国の恋を知る女性のための日。
『コトリ』と、チョコレートが床に落ちる。
そんな小さな音すら、今の美神には腹立たしくて…今の自分をあざ笑ってる気がして…
「こんなものっ!」
拾い上げ、床に叩きつけ…叩きつけ…
「こんな…こんな…」
叩き付けられるわけが無かった。
限度を知らぬ涙に視界を遮られ、チョコレートを胸に抱きならが床にへたりと座り込んでしまう。
涙が出るのに声が出ない。
いっそのこと赤子の様に大声が出るならまだ良かった。
キヌのようにさめざめと無ければ女らしかっただろうか。
だが、美神の口から漏れるのは吐息だけ。
涙は蛇口の壊れた水道の様に溢れるのに。
『泣いてどうする』と私の中の『私』が問う。
泣いた所でアイツが帰ってくることは無い。
今頃キヌやシロやタマモと一緒に小パーティとやらで賑わっている筈なのだ。
暖房を付けている筈なのに、身体がふるりと震える。
鼻水を啜り、涙を乱暴に拭き一言やっと出た言葉。
「ホットチョコレートでも飲もうかな…」
勿論小さいチョコレートである。これだけで足りるはずもない。
冷蔵庫から牛乳と生クリームを取り出し、湯煎をしながら溶かしていく。
これを飲めば少しは元気が出るだろうか。
ママ…美智恵は良く私に言っていた。
『令子。泣きたくなったら甘いものを飲みなさい。それだけで大分楽になるから』
それから、泣きたくなるとホットミルクやらホットチョコレートやらを、皆に隠れてそっと飲んでいた。 恐らく台所を我が居所と言い切るキヌ辺りは気付いているとは思うが…
「あちっ…」
不用意に素手で触れてしまい、びくりと手を離す。
『何をやっているんだ』と頭に響く。
私らしからぬ失敗。 いや、それだけ心が辛いのだ。
ゆっくりとコップに注ぐ。
冷えたコップに注がれた所為か絶妙な温度になったのか、芳醇なカカオの香りが鼻腔をくすぐる。
『ふぅー』とため息ともつかぬ息で冷まして一口。
口に広がる甘いチョコレートの味。
「おいし…」
身体と共に心が温まり、ほっとする。
大丈夫。
もう、大丈夫。
さぁ、もう一口。
だが、それが叶う事は無かった。
「さむーっ!! んぐっ…んぐっ…あつー!?」
突然隣に現れた男に奪われた。
見る必要もない。この声。この漫才のような会話。彼だ。
「アンタ何でこんな所に居るのよ…」
「お、俺居ちゃいけないッスか!?」
「今寒い思いして」とぼやく彼…横島の顔が見れない。
見てはいけない。
きっと…泣いてしまう。
「さっき、おキヌちゃんが電話してきたわよ、小パーティするって」
「そうそう。シロタマとおキヌちゃんの女の子だけでパーティするから帰れーって言われたんスよ」
時が…止まる…
今、何て言った?
『女の子だけでパーティするから…』
横島はそう言ったのか?
「あ、もしかしてこのホットチョコレートってすっごい高かったりしなかったりー!?」
「えぇ、高かったわよ。アンタの時給じゃ一生掛かってやっと買えるかどうか位に」
『ギャーすんませーん!?』と叫びつつ反射的に土下座する横島。
そう、高かった。
だけど、値段なんて関係ない。
「一粒2600万したのよ…アンタに…横島君に食べて…もらっ…くて…」
そうだ。横島に食べて貰いたくて買ったのだ。本当ならホットチョコレートではなく、確りとした装飾のされたチョコレートを頬張って欲しかった。
駄目だ。見てしまった。もう涙が止まらない。
言葉が嗚咽に換わる、代わる、変わる。
もう、力が入らない。
土下座する横島の前にへたりこみ…こみ…
「いやぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!?」
「のっぴょっぴょーーーん!?」
見てしまった。
Gパンから『さきっちょ』がはみ出ていた。
横島は悪く無いのに、反射的に蹴り飛ばしてしまった。
そういえば、あのチョコレートって媚薬も入っているんだっけ…
私も少し飲んだ気が…
横島は放物線を描き、ゆっくりと仰向けに倒れる。
私は、追い討ちを掛けようと突っ込んで
モロに見てしまった。
仰向けに倒れた横島のGパンのファスナーが弾けて出てきた…出て…出…
「うああああぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
「み、みかっ…美神さっ…やめっ…いたっ…マ、本気で痛いッスよー!?」
叫ぶ叫ぶ踏む踏む踏む。
勿論『アレ』を踏んでいるのではない。
踏んでいるのは彼の腹筋。
気持ち悪い? 違う。 単純に恥かしいのだ。
確かに彼が現れた時、そのままなし崩し的にそんな関係になって良いとさえ思った。
思ったけれど、実際目の当たりにして…
踏む。踏む。踏む度に『ひたひた』と私の足に当たってくる。
『かぁっ』と自分の顔が熱くなるのを感じる。
心臓の鼓動が全身に響いてくる。
目が離せない。
『見るな』と頭の中で自分に叫ぶが目が逸らせない。
無理に逸らそうとして…
「あっ」
「えっ!?」
バランスを崩してしまった。
滑稽だなぁ…と倒れながら美神は心の中で呟く。
きっと思い切り床に頭を打って、苦悶の声を上げながらのた打ち回るんだろうな…
そう思っていた
今横島君を踏んでいたのに
視線の先に今まで何かを捉えていたのに
頬に感じる『ぷにっ』とした感触と滑った感覚。
同時に腕が床を付いた。
うめき声。
がくんとした衝撃。腕に感じる鈍痛。顔と、髪と胸に感じる暖かい何か。
そして…
目の前、僅か数ミリの所で震える『それ』
「せ…責任…取ってくれるわよね、忠夫?」
「れ…令子ー!?」
「にへへぇぇ・・・うふふふふふふふ・・・」
「ちょ…ちょっと美神さん、その寝顔は流石に100年の恋も冷めちゃいますよーっ!?」
ここは美神令子除霊探偵事務所。時は夜の10時過ぎ。既に横島は帰っている時間である。
キヌも後片付けを終え、今帰ろうとしていたのだが…
美神が緩みきっただらしない笑みを浮かべながら所長机を枕に寝る姿を、ため息を付きながらキヌは呟いた。
「もー、そんな顔を横島さんに見られたらどーするんですか? ほら、寝るときは布団に入って…きゃあ!?」
ぐいぐいと引っ張り、叩き、突付き何とか起こそうとするが、相当深く寝入ってしまってるらしく、全く目覚める気配がない。
耳元で声を張り上げる。全く無防備だった。美神ではなく、キヌが。
その無防備なキヌに美神は思い切り抱きついたのだ。
「うふふー忠夫〜…キスしてぇ〜…」
「ちょっ いやー! 美神さんっ私は横島さんじ…むむーっっ!?」
何とか剥がそうとするキヌを、まるでヘビを思わせる動きで組み伏せ唇を奪ってしまう。
「ちぃーっす。わーわわ忘れ物〜っと…ぬぉわ!?」
絶好のチャンスは最悪のタイミングでやってくる、と故人は言った。
ドアが無造作に開けられ、横島が入って来たのだ。
「…っぷは! よ、横島さんっ! こっ、これにはふかーい訳がぁ!!」
「い、いやー…俺は前にアニメで見たフレーズを真似していただけで、何も見てないから…」
明らかに真正面にキヌの姿を捉えつつも『見ていない』と主張する横島。
「待って」と避けぶキヌに妖しい笑みを浮かべながら腕を回す美神。
入り口に立つ横島は、美神が寝惚けている事に気付いていないのだ。
だから…
「は…はは…ご、ごゆっくりー!?」
叫びながら扉を閉めて走り去る横島を止める術を、キヌは持っていなかった…
「うぁぁぁん…美神さはーん、一生恨みますからねぇぇ…特に作者ーっ!」
最後に不穏な言葉を聞いた気がするが、恐らく気のせいだと思いたい。
それから暫くの間、横島の姿は忽然と消えていた。
風の噂だと、きつねうどんの好きな妖狐が愛しそうにお腹を撫でていたとか、どこかの霊峰山の修行場に居る竜神の姫が結婚して竜神の里に帰った等と聞くが、恐らく関係のない話である。
はしがき
夢オチー!?な感じのゆめりあんが ヤ(病)ンデレ美神さんをお送りします。
…返品不可ですよ?
おキヌちゃんには悪いと思いつつも最後はこんなオチに…
さぁ次はタマモンな話かもしれません。
プロットはあります。っていうより、前回の「夏長話」の『続き』に位置する話になります・・・?
つまり
横島はどっちに行ったのか!?
じゃないですね。
横タマの行方は!?
シロ加えた3(ピー)はどーなった!?
などなど、一部?には嬉しいお話が来る…かも、しれないような事も無きにしも非ず…
えぇ、予定は未定なのです。
では、次回に…
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