ひとつの恋の終わり


「…もう、戻ってこないつもりか」

 不意に、背後に投げかけられたその言葉に、足を止めた。振り返らずに、そのままで、

「…何の話だ」

 と、それだけ言った。
 
「とぼけるな。私が気づかないとでも思ったか」
「…フフ、やはりお前には気づかれてしまったか、ヨルド」

 そう言いながら振り向けば、そこにいたのは一匹のポケモン、ヨノワール。そのヨノワールの名前が、ヨルドだ。
 …自然と、笑みが浮かんでしまったのは何故だろう。相手は、

「笑うところではない。…お前は、自分が何をしようとしているのか、わかっているのか」

 …相手は。これ以上にないまでの殺意を込めた赤い目で、こちらを睨みつけているというのに。

「ああ、わかっているさ。お前を殺そうとしている。いや、お前だけではない、今のこの時代に生きるすべての生命を消そうとしている。自分も含めてな」
「…正気の沙汰じゃない」
「そうだな。狂っているのだろう。この黒い闇しかない、ポケモンたちの心がすさみきった、時の止まった最低な時代でも、生きるモノたちがいることには変わりはない。それなのに、今からそれを破壊しにいこうとしている。この世界を、美しい”元の”世界に戻したいという、自分のエゴでな」

 自分の言った言葉は事実だが、自分への言い訳をしているような気がした。いや、実際そうなのだろう。それでも、さして迷いがないのは覚悟を決めたからなのか、本当に狂ってしまったからなのか。それは、自分でもわからなかった。

「…フフフ、それとも、その前にヨルド、お前は私を殺すのかな? 今ここで」

 戦闘になるかもしれないのに、何故か、くすくすと笑い出してしまった。
 ヨルドはその赤い目をこちらに向けたまま、何も喋ろうとはしない。しばらく、沈黙が続いた。周囲は不可思議に浮かぶ岩と闇そのものだけがあって、生命の息吹を感じさせる音も物も、なにもなかった。そう、それが”この時代の普通”なのだ。
 痺れを切らして口を開こうとしたとたん、ヨルドが小さく、それでもはっきりと、言葉を紡いだ。

「……”今はまだ”、殺しはしない」
「……ほう?」
「たった一人で、何ができる? 何もできずに、絶望にうちひしがれ…この闇に包まれた生活に戻るのが、関の山だ」

 ヨルドは、そのまなざしとは正反対に、実に淡々と言った。
 正直、彼の言う通りだと思う。それでも、まだ実行に移さないまま、絶望はすることはない。なので、こちらも淡々とした口調で返す。

「まあ、それは確かに言えるな。ヨルド、お前がそう思うなら、もう何も話すことはな」
「だから、」
「…っ」

 彼の大きな両腕が、『彼女』を包みこんだ。小柄な人間の彼女の身体を壊さないように配慮したかのように、優しく、いや、なによりも、

「…だから。行くな、千鎖(ちさ)。私の側から、離れるな」

 それは、いわゆる自分の恋人に対してする抱擁だった。

「…ヨルド…」

 ――私にとって、千鎖、お前が側にいてくれるだけで、それだけで、この闇の世界も美しい世界になるというのに。
 それなのに、お前はこの闇の世界を消しにいくというのか。
 生命たちを、消しにいくというのか。
 お前を、消しにいくというのか。
 私を、消しにいくというのか。

 …そんなヨルドの内心を、『彼女』――千鎖が察したかどうかはわからない。千鎖は強引でもなく、かつ極端に優しくもなく、ごく自然な動作で彼の両腕を振りほどいた。
 そして、彼の望まぬ言葉を、口にする。

「…さよならだ、ヨルド。次に会うときは…敵同士だな」

 彼の赤い目を、その澄んだ黒檀(こくたん)色の眼でしっかりと見据えながら。千鎖の表情は、無表情にも、厳しい表情にも、微笑んだ表情にも見えた。
 しばらくして、彼女は彼に背を向けて、岩がむき出しの道を歩き出した。その先には果てしなく広がる闇しか、視界に入らなかった。彼女が、望んで闇へと吸い込まれていくようにも見えた。
 彼女はもう、二度と自分の元へは帰ってこない。彼女の後姿を見てそう確信したヨルドもまた、彼女に背を向けて、これまで通ってきた道を戻っていった。彼女の後を追ったりなどはしなかった。
 それがせめてもの今まで過ごした時間に対する情けなのか、ただの強がりなのかはわからなかったし、別にわかりたいとも思わなかった。
 限りなく、どうでもいいことだったからだ。
 彼女と彼は、これで敵同士になったということには、変わりはないのだから。


 これはまだ、一人の人間と一匹のジュプトルが出会う前のお話。





END




人間とポケモンで恋人とかいいんじゃないか。ほら、シンオウの神話でもいろいろあったじゃないでs(ry
…という妄想の元生まれた設定です、”主人公は人間の頃、ヨノワールと恋人同士だった”という…。(遠い目) 正直、物好きにもほどがある設定なのは自覚しております…。ゲームのヨノワールがあまりにも報われない気がしたので、そこを補完したいなあと思ったのはいいのですが、もっとえぐぐて救われないことになりました…ねorz



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