もうすぐ、わたしは、消える。
 わかる、わかるよ。
 体が重いもの。あれだけの戦闘のあとだからとか、そういう疲れとかの重さじゃないんだよ…。



冷たくて優しい温もり



「チサー、なにしてるんだよ、早く来いよ!」
「う、うんっ」

 少し離れた先に、レキがいる。
 最初は隣同士の距離だったはずなのに、気がついたら、結構距離が出来てしまっていた。レキは怪訝そうな顔をしているけれど、とてもすがすがしい気持ちで満ち溢れているのが、よくわかる。
 当たり前だ。わたしたちは、使命を果たした。ジュキトやセアレ、ギルドやトレジャータウンのみんな、この世界に住むポケモンたちの意志や願いを背負って、ここまでやってきた。そして、星の停止を食い止めたんだ。だから、当たり前のことなんだ。
 そんなレキになんとか、追いつこうと、走り出したそのとき。
 ほたるびのようなやわらかい光が、ひとつ、ふたつ。
 ぽわん、ぽわん、と、わたしの周りに現れて。
 少しずつ、その数は大きくなっていった。
 わたしを包むように。

「……!」

 ああ。
 ついに。
 そのときが、きてしまったんだ。 

「チサ…?」

 わたしが追いつくのを見守っていたレキが、慌てた様子でこちらに寄ってきた。
 
「ど、どうしたんだよ! この光はいったい…」
「…ごめんね、レキ」

 わたしは言った。
 このときがきたらちゃんと喋れるように、って、じげんのとうを必死に登っているときにも、頭の片隅で考えていた、言葉を。(そんなだから、レキに時々ぼーっとしているよ、って突っ込まれていたっけ)
 だって、ちゃんとしゃべれるかどうか不安だったんだもの。…お別れの言葉を。

「ヨルドが言っていたんだ。星の停止をくいとめると、未来を変えてしまうと、未来の世界にいたポケモンはみんな消えてしまうんだ、って」
「……え?」

 レキの体の動きがピタ、っと止まった。

「だから、わたしも消えてしまうんだって。…ジュキトが、未来へ帰る前に教えてくれたんだけど…ジュキトと記憶を失う前のわたしは、それを知った上で、自分たちが消える覚悟をして、星の停止を阻止するために、この時代へやってきたんだって。…そのときのわたしたちには、失うものは何もなかったから」

 そして、セアレもそれは同じだったんだ、と、付け加えた。
 レキは動かない。大きく見開いた目も、口も、手も。こおり状態になったように、動かない。
 わたしはそんなレキから、目をそらさずにしっかりと見つめて、言葉を続ける。少しでも、最後まで焼きつけるために。

「だから、ここでお別れ。…今までとても楽しかったよ。本当はレキと一緒に、もっともっと、探検したかったんだけれどね。…今まで話せなくて、ごめんね」

 光の粒子たちがどんどん増えていく。
 さっきのような体の重さは、不思議とない。むしろ、どんどん、軽くなっていっているような気がする。

「なんだよ…それ」

 ずっと押し黙っていたレキが、震えた声でそう言った。
 そして、わたしの両肩を乱暴に掴んで、立て続けに叫んだ。

「なんだよ、それ! どうして、どうしてだよ! なにがなにがなんだか、わからないよ!!」

 レキはこんらん状態になっていた。当たり前だ、こんなこと突然言われたら、誰だってそうなる。
 …本当は、ヨルドとジュキトからそう聞かされたときのわたしも、本当は…。

「いやだよ! オイラたちずっとずっと、一緒だったじゃないか! だから、これからもずっと、そうだって…!」

 ああ、やめてよ。
 そんなすがるような目で見ないで。叫ばないで。

「チサがいたから、臆病で弱虫だったオイラも探検隊を結成することができた。いろんなことを乗り越えられた。夢だった遺跡のかけらの謎も解けた。何より…この世界を救うことができた。…オイラ、チサがいないと、」

 だめだよ。一匹でも、強く生きていくんだよ。レキなら、大丈夫!
 …そう、わたしは言った。言ったつもりだった。でも実際は言っていなかった。そう言おうとしていたのに、口から出た言葉、それは。

「…や、だよ」

 ああ、だめ。だめだよ、わたし。
 それは、言っては、だめ…だめなんだよ。

「…チサ?」

 レキがわたしの顔を覗き込んでくる。
 ああ、もう、限界だ。

「わ、わたし、だって、きえたくない…きえたくないよぉっ…!」

 それまで漏らすまい、と、必死にせき止めていたわたしの中の防波堤が、崩れ落ちた。
 それと同時に一気に、喉の奥でせき止められていた本音が、目の奥でせき止められていた涙が、洪水のようにあふれ出た。

「いやだ…いやだ、いやだよっ! 消えるって、消えるってどうなるんだろう。死んじゃう、ってこと…かな?」
「チサ…」
「いやだ、いやだいやだっ! 怖い、怖い、怖いよ…レキィィっ…!!」

 だめだよ、こんなこと言っちゃだめなのに、わたし。せっかく、”最後は笑ってお別れ”って頭の中で決めていたのに、これじゃあ、すべて台無しじゃないか…っ! …そう思うのに、堰を切って一気に流れでてきたものたちを、止めることはできなかった。涙、嗚咽(おえつ)、恐怖…。
 ジュキトたちが時空ホールへ飲み込まれたときは、自分が消えるとか、実感がわかなかった。それよりも、この世界をなんとか救わなきゃ、という気持ちの方が強かった。あるいは、心のどこかで信じられなくて、その事実から目を背けていたのかもしれない。
 確かに、人間だったころのわたしは、記憶をなくす前のわたしは、自分が消えても構わない、と、思って、この時代にやってきたのかもしれない。
 けれど、今のわたしは…。

「こわい…こわ…ぃよぉぉおお」

 ディアルガに勝って。
 時の歯車も、すべてあるべき場所へ収めて。
 ”今のわたし”も、消えるのは嫌だし怖いけれど、自分が消えてしまっても構わない、この世界が、わたしが大好きなこの世界を救えるのなら…レキたちが幸せになれるなら、消えてしまっても構わない。そう、強く思っていた…はずだったのに。それがなんで、今になって?
 …ジュキトが言うように、失うものができてしまったから? それとも、記憶を失う前のわたしも、人間のわたしも、本当は心の中では、消えるのが怖くて怖くてたまらなかったのかな…?

「ぅ、ううっ、うえ…」

 いつもいつも、レキはわたしのことを助けてくれていた。
 自分のこと臆病だなんていうけれど、そんなことないんだよ。だって、いざというときはとても頼りになったもの。…わたしだって、レキがいなかったら…。
 だから、最後くらい、わたしのことが重荷にならないように、いつもと変わらない笑顔で別れようと思っていたのに。結局、弱々しい本音がぼろぼろと出てしまった。
 すとん、と、わたしは顔ごと地に伏した。
 消えるのが怖いと、涙を流しながら震えるわたしをあざ笑うかのように、光はどんどん強くなっていく。どんどん。
 ああ…わたし、消えちゃうんだ。
 消えちゃうんだ。
 消えちゃうんだ。
 いやだよぉ…。
 ごめんね…レキ。最後まで、自分のことでいっぱいいっぱいで。みっともなくて。
 でもね、こわいよ、こわい、こわい、こわい。ごめんね…レキ…。
 いやだごめんこわいレキこわいごめんねレキレキいやいやいやこわいこわいこわい。

 不意に。
 ぎゅううう、と、何かに締め付けられているような感覚があることに、わたしは気づいた。

「…れ…キ?」

 伏せていた顔を上げると、レキがわたしを、抱き締めているのがわかった。
 強く強く。
 カタカタと全身を震わせながら、でも、強く強く。

「…あ、アチャモって抱きしめるとポカポカする、って本当なんだな」

 声も震えていたけれど、でも、さっきまでの悲痛そうな声ではなくて。むしろ、温かくて、優しくて。…必死にそういう声を出すようにしてくれているんだって、すぐに気づいた。少しでも、わたしが怖くならないように、って。本当は、レキだって辛いはずなのに…。

「…レキ、も、みずポケモンなのに…あったかいんだね」 
「そ、そうか? …きっと、チサがポカポカしてるから、その温度がオイラにも、うつってるのか…な」

 あははは、と、レキは照れくさそうに笑い声をたてた。もっとも、ここからレキの顔は見えないから、どんな顔をしているのかはわからないのだけれど。
 わたしもレキの背中に手を回す。レキの冷たい体温が、じんわりとわたしの熱い体温に染みわたっていく。そして、さっきまでの動揺が嘘のように、信じられないくらいの早さで私の心は安らいでいって、波紋ひとつない水面のように、落ち着いていった。
 レキの顔を見ようとしたそのとき、

「あ…」

 光の粒子の群れの流れが、ひときわ激しくなった。思わず、互いに身を離す。光の激流が視界を塞いでしまっている。レキの姿形はかろうじてわかるけれど、その顔までは見えない。もう、見えない。

「チサ…っ!」

 …もう、大丈夫。
 もう、怖くない。ううん、怖くないなんてそんなのは嘘だけれど、それでも、さっきよりは平気だ。
 冷たいはずのレキの身体の温度が、わたしに温もりを…安らぎを与えてくれたから。
 だから、言える。

「今まで本当に、ありがとね。レキなら、一匹でもちゃんと生きていけるよ。だって、レキは本当に強いもの、大丈夫!」
「チサ! チサあっ!」

 必死に叫んでいるレキの声が、遠くなっていく。
 わたしの意識も、遠くなっていく。わたしはここにいるのに、わたしは遠いところにいる。

「…消えてしまっても、わたしはレキのこと、わすれないよ。消えてしまっても、わたしは、レキのそ」

 そこで、何を言おうとしたのか忘れて。忘れる? なにを? あ、わたし、きえ、



 ばいばい、れ








 荒れはてた岩の道を、ちっぽけなポケモンが一匹、歩いていた。
 その歩みは遅く、まるで何か重りを背負って歩いていくがごとく。その足は震えていた。しかし、一歩一歩、力強く地面を踏みしめていた。
 顔は、涙や鼻水、汗、と、ありとあらあらゆる体液でぐしょぐしょになっていたけれど、見苦しい顔をしているという自覚もあったけれど、それでも、その一匹は背中に感じる重みを苦とせず、歩いていた。背中に、目には見えない、もう一匹の重みを背負いながら、歩いていた。
 もう一匹の物理的な重さはとても軽いものだっただろうけれど、精神的な存在としての重みは、はかりしれない。正直、あまりの重さにその一匹は潰されてしまいそうだった。
 それでもその一匹は、荒れはてた岩の道を歩き続けた。しっかりと前を見据え、その小さな背中にもう一匹の重みを背負いながら、歩き続けた。
 …今はもういない、もう一匹の重みを背負いながら、歩き続けた。









 ……。
 …しろ…い。
 まっしろ…で…なにも…みえない…きこえ…ない。ここは…どこだ。”私”はどこにいるというのだ?
 …”私”? ”私”とはなんだ。…”私”…は……だれ…だ。
 いろがみえてきた…みどりいろとももいろのこたい…くさ…ぽけもん…そう…”私”…は…せかいにひかりを…そのために…ぽけもんたちと…ときをこえて………あおいこたいが。
 あおいこたい? いまのはなんだ? …ああ、くろくなってしまった。くろ。くろ。くろい。それまではなにもかんじなどしなかったのに、きゅうにじゅう力をかんじた。…おもえばついいましがた、このうえなく強れつな…くうきの振動をかんじたきがする…空気がこわれてしまいそうなほどの。
 ふいに、まぶたがひらく…ゆっくりと。みえたものは、あお。あお。あお。青。そして、ひかり。まぶしい光。ああ、青いのはソラで、この光は確かタイヨウというものだ。はなをつくようなにおい。でも良いにおい。なつかしい潮の匂い。
 …懐かしい?
 そう思ったとき、”わたし”は”わたし”が『誰なのか』を思い出した。それと同時に、それまでどんな思考が駆けめぐっていたのかを忘れてしまった。夢から醒めたとたんに、それまでどんな夢を見ていたかを忘れてしまうように。

「”わたし”…は……」
「……チサ?」
 
 そう、”わたし”の名前はチサ。そして、今の声は…。
 声が聴こえた方向を見る。そこにいたのは、2匹のポケモン。茶色のと、青いの。
 …青。すぐそばに広がる、海の色だ。わたしはこのポケモンを知ってる。そう、彼の名前は…。

「…ただいま、レキ」

 自然と、その言葉が口から出た。無意識に出たその言葉だけで、自分の置かれている状況が不思議と把握できた。自然と、自分が笑顔になっているのがわかる。
 レキがこっちに向かって走ってくる。そして、飛びつくようにわたしを抱きしめる。わたしの名前を何回も呼んで。

「おかえり、チサ!」

 その冷たい温もりは、優しくて、心地よかった。
 あの消える間際にレキがわたしに与えてくれた、あの温もりと同じ温もり。
 そして思う。

 これからも、ずっと一緒だよ…!




END




のっけからクライマックスシーンの、それも結構な捏造話で申し訳ありません。
いきなり自分の消滅という事実を突きつけられて、それでもあっさり受け入れてしまうなんて、うちのチサがそんな殊勝な性格だろうかとかなんとかもだもだ思いながら打ってしまったものです。
ディアルガさま生き返らせてくれてありがとうございます、本当ありがとうございます。
欲を言えばジュプトルやセレビィやヨノワールたちも…!とか思いましたが、そんなわけにもいきませんよね…それはそれでいったらうーんだと思うし。




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