酔った男の食し方
夜闇に降る雨は蜘蛛の糸のように見えた。
生あたたかい春のそれが、雨どいを伝い、軽やかでいてどこか物悲しい音を響かせている。
俺は縁側でビャクと酒をすすっていた。
蒼い闇空には月も浮かばない。冬は終わり、雪は溶け、しかし木々はまだ花をつけない。
特に何を眺めているわけではなかった。ビャクと飲む時間は、純粋に酒の味を楽しめる。
酒をすする俺達の間に会話はない。それは今にはじまったことではなく、昔からだ。古美術商の宮沢がつきまとってくるようになってからは、複数で飲む機会が増えた。しかし基本的には静かにすする酒の方が好きだった。
俺は空になった杯を置いた。
皮膚の下にくすぶる熱を感じる。そっと着物の胸元を開けると、湿った空気が肌をくすぐる。瞼を伏せれば、火照った吐息が唇から漏れていった。
「潮、酔ったのか?」
ふとビャクの視線に気づき、顔を向けるとそんなことを訊いてくる。
酔っているのはビャクの方だ。こいつは酔って顔が赤くなることはないが、目が据わってくる。低い声は更に低くなり、かすかに艶を帯びる。
そう言えば、いつから酒を飲んでいるのだろう。
思い出そうとしていると、耳に雨音がじっとりと染みこんでくる。そのうち、何を思い出そうとしていたかも忘れてしまった。どうせ大したことではなかったのだろう。
俺は庭の夜闇に視線を戻した。
途端に目眩がする。ふわりと揺らいだ俺の体は、思わずビャクにもたれかかってしまった。すぐさまビャクは肩を抱いてくる。しかし今はその手を振り払うのも面倒だ。
確かにいつもより酒量が過ぎているかもしれない。今夜は珍しく煙草の買い置きをきらしていた。口寂しさを覚え、余計に酒へと手が伸びている。
俺の肩を抱いたまま、空の杯にビャクが酒を注いだ。
水面が揺れる。波紋が静まると杯の底に描かれた鮮やかな牡丹が現れた。
「口寂しいな」
酒もいいが、やはり煙草が欲しい。呟きながら俺は無意識に指で唇を触っていた。
ビャクが俺の手を掴んで唇から離し、代わりに自分の唇を押しつけてくる。啄むような口付けを繰り返し、舌で唇を割り、ぬるりと口膣を舐め回す。
これは俺の発言を受けての行動なのか。
にわかに口寂しさはやわらいだが、その舌の動きはいい加減しつこい。
「もういい」
気だるい体を動かしてビャクから離れたが、ふたたびビャクが俺の肩を抱いて自分の元へと引き戻す。
「まだ俺の口が寂しい。ここに、しゃぶりつきたい」
胸元にあいた手を伸ばしてくると、胸の突起をつまみ、耳元で吐息混じりに囁いてきた。
何を考えているのか。
「吸っても乳は出ないぞ」
すぐさま睨みつけてたが、耳朶を甘噛みされて眼差しが緩む。
「んっ……ビャ、ク!」
固く尖っている胸のそこを指先で転がされ、息を詰めた。腕に爪を立てると、色気を増したビャクの赤い瞳がうっとりと見つめてくる。
俺は抵抗を忘れて、その瞳の色に見蕩れた。
上半身で生じた疼きは、徐々に下半身へ伝わっていく。居たたまれなさに脚を動かすと、着物の合わせが乱れ、太腿があらわになった。
「誘ってるのか?」
「阿呆。そんなわけ……」
ビャクの手が股間へ伸びてくる。太腿を撫でながらそこに辿り着くと、下着の上からやんわりと揉んだ。
「勃ってる」
「お前が触るからだ」
喜々としながらビャクは、開いた脚の間に俺を座らせる。背後から手を回してくると、下着の中に手を忍びこませてきた。
体の中で一番熱い箇所に熱い手の平を添えられていうのに、包みこまれるその感触が心地いい。
俺は身をよじって吐息をこぼした。
ふいにビャクは、股間に触れている手とは別の手を動かした。酒で満たされた杯に指を浸し、その指で俺の唇をなぞる。
「口寂しさは、もういいのか?」
そう言ったはずだ。
ビャクは指を俺の口に入れ、舌をくすぐる。すぐに引き抜くと、もう一度、指を酒に浸してから俺の口元まで持ってくる。
「それなら杯で飲ませろ」
不平を言いながら、酒の雫が滴るビャクの指から視線が反らせない。背後の部屋に置いた行灯のほのかな明かりに照らされて、それは妖しい色にきらめく。
ついさっきまで、存分に飲んでいたのと同じ物だ。側にある杯にもなみなみと注がれている。しかしそれがひどく魅惑的な飲み物に思えてきた。
下唇を濡れた指でなぞられ、促されるままに開いてしまった。
すかさずその指を入れられる。俺はそれに小さく音をたててしゃぶりついた。
舌に広がる強い酒精。ビャクの体温でぬるくなった酒は随分と甘く感じる。
指をゆっくりと動かされ、猫じゃらしに戯れる猫のようにそれに舌を絡めていると、そのうち頭がぼうっとしてくる。
ビャクの指は舌をもてあそぶだけもてあそび、離れていった。
「あ……」
未練がましく濡れた声を漏らしてしまうと、ビャクが耳元に唇をすりつけて熱い息を滑らせる。
「酔ったお前は無防備で、たまらない」
「酔ってないぞ」
俺は憮然として答えた。
酒は好きだが、ひどく強いわけではない。それでも今夜はまだ、他人に指摘されるほど酔っていない。
「酔ってる」
何が面白いのか。更に言いながらビャクが小さく笑い声を漏らす。
こいつが声を出して笑うのは珍しい。
「酔っているのはお前だ」
「潮の方が」
不毛だった。
溜め息をつくと同時に笑いがこみ上げてきた。
ビャクに背を完全に預けると、ビャクは俺の唾液で濡れた指で胸の突起を再び触りはじめる。下着の中に入れていた手も愛撫を再開させたが、それは急速に攻め立ててくるようなものではなく、じっくりと俺を味わおうとするもの。
全身に広がる疼きはひたすら甘い。
雨音も耳に心地いい。
このまま快感に身を任せてもいいと思った俺は、仕方がなく酔っているのだと認めてやった。
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