■ 酒 場 で の 語 ら い ■




 お酒と言う物は不思議な飲み物である。
 血中にアルコールを微量取り込むだけで、人の性格を180゜変えてしまうものである。
 それは、普通は温厚と呼ばれているこの人物でさえ例外ではなかった。

「うぅ〜……」
 薄暗い店内、グラスを握り締め、喉の奥からぐもった声を漏らす。
 元々客が少ないこのバー。カウンターの隅の位置に彼は居た。
 カウンターに突っ伏したまま動かないその客が心配になったのか、女将がそっと彼に歩み寄る。
 彼のテーブルには、既に彼一人が空けたのであろうボトルが塀を作っていた。
「ミストさん、ミストさん。こんな所で寝てたら風邪引きますで?」
 ミストと呼ばれて人物は、むくりと頭を上げるとムスッとした表情で答えた。
「べぇつに寝てないよ。お母さんボトルも一本追加!」
「えー、まだ飲みはるん?」
 少し困った顔で女将はボトルを取りに暫しそこを離れる。
「あんまり飲み過ぎると身体に悪いで?」
「飲まないとやってらんないよぉ」
「また仕事でなんかあったん?」
 グラスに酒を注ぎながら女将が優しく問い掛けると、ミストの眼が少し潤んだ。
 その表情を見て女将は彼に何があったのかを悟る。
「…また身体について何か言われたん?」
「……制服。店の制服、何で男物着てるのか?…とか、仮にも店長なら相応の服装をするべき、とか…どっかのオバサンに……何も知らない癖に……」
 声を低くしてポツポツと答えるミスト。
 彼は半陰陽であって男でも女でもない。ただ、女と思われる事に強い嫌悪感を抱いている故、服装は公私共に男の物が多い。
 だが、悲しいかな彼の容姿と風貌はどちらかと言えば女性に近い。
 その事にミストは強いコンプレックスを抱いているのだ。
「そりゃ、私は店長だし…相手は何も知らないから、謝るしかなかったんだけど……何も言い返せないのが悔しくってさ……」
 そう言うとミストはぐいっとグラスを煽った。
 みるみる内に酒が喉の奥に落ち、あっと言う間にグラスの中は氷だけになる。
 端から見たら気持ち良いぐらいの呑みっぷりに、一人の客が彼に引き寄せられた。
「おっ!姉ちゃん良い呑みっぷりだねぇ」
 そう言ってミストに話し掛けたのは初老を迎えたぐらいの男性。髪は白髪が混じり、顔には遠目でもわかるぐらいはっきりと皺が刻まれている。
 ミストはその男をキッと睨むと、ダンッ!と叩き付けるようにグラスを置いた。
「姉ちゃんって言うな!私は女じゃない!」
 酔いも手伝ってか、普段の穏やかさが微塵も感じられない口調でミストは怒鳴った。
 それに気圧されてか、男は驚いたように目を丸くする。
「ええっ!こりゃ失礼しました!…いやぁ、アンタ綺麗な顔してるから、俺ぁてっきり…」
「信じられない?なんなら象さんいるけど、見る?」
「ミストさん、ここで脱がんといてや?」
 呆れたような苦笑いを浮かべて女将が言う。
 男は暫く驚愕で暫く戸惑っていたが、更にミストに追い討ちをかけるように質問した。
「アンタ仕事は何やってんだ?女装子か?」
「オカマでもなーーいっッ!!」
 ダンッ!ダンッ!ダンッ!
 両手拳でカウンターを叩いて声を張り上げる。
 客が少ないとは言え店の外にまで響きそうな声に、女将は「ミ、ミストさん落ち着いて…」となだめるように声を掛けた。
「はっはっは!またえらい元気の良い兄ちゃんだ!悪かった悪かった。謝るから怒んな」
「ふんっ!」
 機嫌を損ねたように、ミストはグラスに酒を注ぐ。
 だが、初老の男は機嫌良さそう笑うとミストの隣に腰掛けた。
「隣、良いかな?どうも一人酒ってヤツぁ苦手でな」
 その言葉にミストは一瞬嫌な顔をする。しかし、直ぐピッと指を突き付けて言った。
「条件。私を女扱いしない事。カマ扱いもしない事」
「わかってるわかってる。あ、女将俺にも酒一本」
「はいはい」
 と、女将は再びその場から離れた。
 その間もミストはひたすらボトルを空にする勢いでグイグイ酒を喉の奥に落す。
 その横顔を見て、男は気付いたように口を開けた。
「アンタ…透明人間かい?」
「ん、そうだけど?」
「これは偶然。私も透明人間なんでさぁ」
「はぁ?にしては老けてるねぇ。肌も肌色だし…」
 その男はミストが言うように透明人間特有である青い肌をしていない。
 男はグラスに氷を入れながら言った。
「寿命が近いんで…こればかりはどうしようも無ぇ。肌の色はメイクで誤魔化してんだ。考えてみろ。全身真っ青な爺さんが街中歩いてたら通報されっぞ?病院に」
「ぷっ、あはは、確かに」
 ミストがここに来て初めて見せる笑顔に、女将はほっと安堵の笑みを零した。
「アンタ、いくつだ?」
「180ぐらいだったと思う」
「若いなぁ…。俺ぁその15倍生きてるぞ」
「へぇ、結構おじいさんなんだ」
「あぁ、50年ぐらい前から急に老けてきてさぁ。こりゃいよいよ俺も潮時かなって。最近仕事も止めて以来ずっと飲んだくれよ」
 ゴクゴク、と男もミストに負けず劣らない勢いで酒を飲み干す。
「はい、お酌」
「おぉ、すまないね」
 ボトルを傾け、ミストは透明な液体を男のグラスに注ぐ。
 ついでにと自分のグラスにも酒を注ぎ足した時、男はポツリと口を開いた。
「俺さぁ、アンタぐらいの子どもがいるんだ。いや、正確には『いた』だけどな」
「いた?」
 その言い回しにミストは男の顔を見る。
「二人子どもがいてな。娘と息子な。可愛い子だったんだけど…突然女房が別れるって言ってさ。三下り半ってやつか。息子は俺が引き取ったんだけど、そん時の俺は別れたショックでまともな生活出来る訳が無く、ロクに子どもの面倒見ず…ある日息子は…家を出ちまった。それ以降ただの一度も子どもの姿を見てねぇ」
「………」
 男の話に、ミストは黙って耳を傾けている。
 いつの間にかボトルの酒は空になっていた。
「ホント駄目な父親だったよ。その後は真面目に生活して働いて…金には恵まれたが出会いには恵まれなかった。俺の子ども…今頃何処で何してるやら」
 グビグビ…。またグラスを空にしたミストはダンッとそれを机に叩くように置く。
「…元気なんじゃない?親が無くても子は育つって言うし…」
「う〜ん…そう言うモンかぁ?」
「そう言うモンでしょ?あ、女将さんお酒もう一本!うんとキツいの!」
 まだ飲むのだろうか。然程酒に強くない筈なのに、恐ろしい量の酒が減って行く。その上、更に度数の強い酒を頼むと言うのか。
「いい加減にしときや、ミストさん。これで終わりにしとき」
「うぃ〜…」
 カウンターに最後のボトルが立てられる。
 グラスに注ぎストレートのまま口に含めば、やはり些か強過ぎたのか、直ぐに咳き込んでしまった。
「ッ!…げほっ!…ぁー、やっぱりキツい…」
「無理したらあかんで。水持って来よか?」
「いや、良い。大丈夫だから。これぐらいなら飲める」
「偉い!それでこそ漢だぜ兄ちゃん!」
 ハッと、ミストは男を見詰める。酔った勢いでも、この時一時凌ぎでも、男として見られるのが、彼にとって嬉しいものであった。
「…へへっ、おっちゃん…結構良い人だね」
「今更気付いたか若造が!」
「調子に乗るな!」
「はははは!」
「あははは」
 無邪気な冗談の掛け合い。その様子を微笑ましく見詰めていた女将は、つまみを二人の間にそっと置いた。
「えーと…何の話してたっけ…。あぁ、子どもさんの話だっけ?」
「そうだ。当時の息子は本当にガキだったんだ。家出した後、何して生きてんだか…。悪い事してなかったら良いが…」
「………」
 グラスの酒を半分程飲み(今度は噎せなかった)、ミストは声を低くして話した。
「もし悪い事、してても…生きる為だから、もし息子さんに会う機会があっても、責めたら駄目だよ…」
「兄ちゃん?」
「私も、孤児だったんだ。治安の悪い場所でゴミ箱漁る生活。まぁ…私は発育が遅くて子どもでいた時間が長かったから、殆ど姉が盗みとかしてたけど…運命共同体ってやつ。私も共犯…」
 そう呟いたミストの顔に少し影が落ちる。その表情は、今まで苦難な道のりを歩んでいた事を物語っているようであった。
「へぇ…兄ちゃん、苦労してたんだな…」
「まぁ、ね…。でも、私みたいになよなよしてる人でも、立派に生きてんだよ。だから、息子さんも元気。絶対元気!」
「そうか…そうだよな!兄ちゃんこそ良い奴じゃねぇか」
「あ、今更気付いたんだ」
「っ、このヤロウ!」
 冗談混じりの笑いを伴ったチョップが、ミストの脳天に直撃した。
「はは♪…いつか…会えると良いね。息子さんに…」
「あぁ。お前さんのお陰で元気が出た。これから余生、息子に会える日だけを望んで生きてくよ」
「うん、じゃ…息子さんとの再会を願って…乾杯!」
「乾杯!」
 二つのグラスがぶつかり、チンと甲高く鳴いた。

 やがて夜も深くなり、話題の無くなった二人は自然と御開きにと話を向けた。
「今日のお代は俺が出してやろう」
 そう言って財布を出したのは男の方。
「え?駄目だよ。私結構高いお酒ばかり飲んでたし…」
「何、金だけは持ち腐れてんだ。それでも払いたいなら今度またあった時にでも酒を奢ってくれ」
「そう?……じゃあ、ゴチになります♪」
「素直で宜しい!あ、兄ちゃん立てるか?」
「ん、大丈夫………ぁ、あれ?」
 ゆっくり立ち上がったミスト。しかし、かなり酔いが回っているのか、直ぐにふらふらと座り込んでしまった。
「ミストさん!大丈夫かいな?」
 慌てて女将が彼の元に駆け寄る。ミストは座り込んだまま困ったように笑った。
「あ、あはは…やっぱり駄目みたい…」
「お前さん帰れるのかい?何なら送ってやろうか?」
「ん、大丈夫…妹呼ぶから…」
 そう言ってミストはポケットから携帯を取り出した。

 連絡を受けて数分後。一台の車がバーの前に止まった。
「ミスト!」
「あぁ、リネスぅ〜…」
 男に肩を借りて漸く立っていたミストは倒れ込むようにリネスに抱き付いた。
「わっ!今日も凄い酔っ払いぷり!」
「すまねぇな姉ちゃん。俺ちょっと乗せ過ぎた」
「いえ、こちらもご迷惑お掛けし…ッ!?」
 リネスは男の顔を見て驚愕に顔色を変えた。
 何故なら目の前にいるその男は……。
「あ…ぁ、貴方は…ッ!」
「ああ?俺は通りすがりのただの爺さんだ。リネス」
「……貴方に呼び捨てされる筋合いはありません!」
 キッとリネスは鋭く男を睨み付ける。
「こりゃすまねぇな。安心しな。俺は他人としてその兄ちゃんと飲んでた。それだけだ」
「………」
「姉ちゃん、その酔い潰れ兄ちゃんの酔いが覚めたら伝えてくれないか?どうやら俺が息子に出会える日は、もう永久に来ないらしい。だから、息子の代わりにまた酒に付き合ってくれないか?ってな」
「…うん…」
「じゃあな!兄ちゃん達」
 踵を返し、男は手を振りながら立ち去っていった。
 後に残ったのは、リネスと酔い潰れたミストの二人。
「…帰るわよ。ほら、しっかり立って……ミスト?」
 酔って朦朧とした意識の中、リネスの温もりと立ち去った男の声が、ミストの遠い過去の記憶を呼び覚ます。
 苦難の過去より、更にその昔。幸せを噛み締めた僅かな時間。

「…父、さん…」

 頬を濡らした涙は夢現の記憶と共に雫となって消えた。

〜fin〜




〜 あ と が き 〜

ミストさんの悩みとか生い立ちとか。本気でコンプレックス抱いてるのです。
まぁ、この日の出来事は翌日には全部忘れてしまいますが、ミストさん。
因みに、サイトうp用としてミストの台詞のある部分をオブラートに包みましたが、実際彼は直接的表現を口に出す事に躊躇いありません。素で言います。




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