『…う…三郎…』
(何?母さん…聞こえないよ…)『私は今から人間と戦うわ。お前をこれからも守る為に、私はまだ死ねない。でも…人間も誰かを助ける為に私と戦うの。もしかしたら、母さんは負けるかも知れない。幼いお前を残していくのは、とても不安なの…』
(母さん…言ってる事が難しくてわからないよ…)『…人間が来たわ。三郎、良い子にしていてね。母さん、きっと迎えに行くから…』
(何処に行くの?ねぇ、母さん…行かないでよ)(母さん…何処?何処に行ったの?返事してよ…)
(母さん……)
豪快に流れる水。川が大地を削る音に耳を澄せ、彼は水の中に糸を垂らした。
上手く魚が食い付くだろうか。竿を握りながら彼は思う。
魚を釣っても、直ぐに食べる訳ではない。見晴らしの良い高台にある墓に供えるのだ。
聞いた話、現世で供えた物はあの世で百倍になると言う。
一匹釣れば百匹、二匹釣れば二百匹。
食べ切れないな。二百匹の魚を想像して彼はクスリと笑う。
だけど、きっと喜んでくれるだろう。魚が大好物だったから。川辺に座り始めて一刻が経つ。
流石に退屈になってきたのか、暇を紛らわすように三つの尾を揺らした。
その時、水面に浮ぶ小枝がピクリと動き始めた。
「あ!」
用心深く小枝を見詰める。やがて、それは水中へと引き込まれ始めた。
魚が食い付いた。そう確信すると、彼はゆっくりと竿を引いた。
急に引っ張るような事はせず、ゆっくりと魚をこちらに導くように。
次第に魚の影がハッキリと見えてくる。
最後にと糸を強く引き上げる。糸の先に小振りながら元気の良い魚が飛沫を撒き散らしながら暴れていた。
「わっ…!釣れた!」
ピチピチと岩の上を跳ね回る魚。慌てて掴まえると、事前に作っておいた堀に泳がせる。
彼は生まれて初めて釣りで魚を釣ったのだ。
しかし、嬉しい筈のそれなのに、彼の表情に喜びはない。
「…見ていて欲しかったな……初めて釣れた瞬間……」
一番側にいて欲しかった人。一緒に喜んでくれる人。
しかしその彼は、此所には居ない。
「雷蔵……」
溜め息を漏らしながら、三郎は寂しげに呟いた。
“ちゃんと見ていたよ”
届いた『言葉』に、三郎はバッと振り返る。
今一番側にいて欲しい彼が、微笑んでいた。
「雷蔵!もう歩けるのか!?」
“うん、いつまでも寝てばかりもいられないしね。そしておめでとう。初めて魚釣れたね”
「あぁ、ありがとう。いつも雷蔵が釣ってた魚より大分小さいが」
“それでも、僕が初めて釣った魚より大きいよ。上出来上出来”
雷蔵は、ニコリと笑うと褒めるように三郎の頭を撫でた。高台の上にある大きな石。その石の前に三郎が釣った魚と雷蔵が摘んだ木の実を供えた。
“お墓、此所にしたんだね”
「うん、此所なら川も俺らの寝床も、この森全体も見回せる。それに、母さんはこの場所が一番好きだった」
雷蔵は近くに咲いてる花を何本か摘み、墓前に供えると静かに手を合わせる。
墓石の下には、あの狐の毛皮が埋まっているのだ。
“さて…三郎”
「何?」
“そろそろ教えてくれないかな?僕は何で助かったのか。僕が元気になったら教えてくれる約束だろ?”
「…あぁ、約束はちゃんと守るよ。…って言っても、俺もハッキリとはわからないから殆ど推測だけどな」
三郎は草の上に腰を下ろすと、雷蔵も横に座るように促した。
「多分、母さんが助けてくれたんだと思う…」
それは満月の前日、あの悪夢の夜まで遡る。
憎しみを晴らす為に妖狐になった事を酷く後悔したその瞬間、それは起きた。
突然雷蔵の身体から、『光』が放たれた。
「ッ!?」
強烈な光に、三郎は雷蔵に出会った日の事を思い出す。恐らくは、それより強い閃光。
あぁ、こんな力を喰らったら確実に命は無い。死ねば雷蔵の元へ行けるだろうか。と、刹那の瞬間に思った。
やがて光は牙となり、三郎の身体を丸ごと飲み込んだ。少しばかり気を失っていたのか、三郎は雷蔵から少し離れた土の上で目を覚ました。
「…、生きて、る?」
身体は人の形を保っている。特別力を失った感覚もない。ならば、一体何が?
恐る恐る身を起こして顔を上げる。
三郎の目の前に、一匹の狐が金色の毛の束のような物を咥えてこちらを見ていた。
「あ…」
否、狐と言うより、狐の形をした発光体と言った方が正しい。
地に倒れている雷蔵の少し上、重力に縛られる事なく座っている。顔がハッキリ認識出来ない事、やや透けて見える事から、それには実体が無い事が判った。
しかし、何処か凛とした立ち振る舞いは、三郎の遥か昔の記憶を掘り起こした。
「ッ…母、さん?」
懐かしい面差しに三郎は問い掛けるように呼ぶが、狐は答えない。
そして、三郎はその狐が何を咥えているのか気付いた。
それを認識した時、三郎はハッと自分の尾に目をやる。
「なっ!?尾が…」
四本ある筈の三郎の尾が、今は三本しかない。
間違い無い。狐が咥えているのは、三郎の尾だ。
次の瞬間、狐は尾を咥えたままくるりと宙で身体を翻した。
「あ、待って…!」
三郎の声が届かなかったのか、狐はそのまま雷蔵の体内へ潜るように消えていった。
再び辺りが暗くなる。今までの事が嘘のように静寂が戻った。
三郎は消えた狐を追うように雷蔵の元へ寄った。
近くで雷蔵の身体を見て、三郎は驚愕に目を見開く。
彼がどれだけ念じても塞がらなかった傷が、跡形も無く消えていた。
まさかと思い、三郎は恐る恐る雷蔵の口許に手を当てる。
三郎の指は、確かに弱々しくも確かな呼気を感じ取った。
「生き、てる…!雷蔵!!」そこからは必死だった。
失血により冷えた身体を擦って温めたり、少しずつ水を飲ませたり、兎に角雷蔵を助けようと無我夢中で彼の介抱にあたった。
その甲斐あってか、雷蔵は空が染まる時刻に意識を回復させる事が出来たのだ。
「あの時母さんが答えてくれなかったのは、多分怒ってたんだと思う。母さんが望んでたように良い子でいられなかったから。でも、それでも母さんは俺の尾で雷蔵の命を繋ぎ留めてくれたんだ。今は感謝している」
サァ、と風が通り過ぎる。
肌を霞める大気が心地良く、三郎は目を閉じた。
“僕も、三郎とまたこうして一緒にいられて嬉しい。しかも、会話も出来るようになるなんて”
目覚めた後でも、相変わらず雷蔵は言葉を口に出して喋る事が出来ない。しかし、以前と違って、三郎が雷蔵の意思を読み取る事で確実に言葉で話が出来るようになった。
三郎の能力が成長したのか、雷蔵の中にある三郎の尾が意思の疎通を可能にさせたのか、その原因については未だ説明が出来ない。だが、会話が出来るようになったのは思いもよらぬ幸運だった。
しかし、良い事ばかりが起きた訳ではない。
「…なぁ、雷蔵」
“何?”
「俺はずっとお前と一緒に居たい。でも、お前は二度と人里には戻れない。その事に対して心残りは無いのか?」
雷蔵が意識を保って居られるのは、三郎の傍に限られた。
彼は三郎の力を受けて命を繋いでいる。もし一定距離、三郎の力が届かない距離を離れてしまうと雷蔵は活動が出来なくなってしまうのだ。
また、三郎も尾が四本無いと人の形を保てない。力の届かない場所では、たちまちに狐の姿に戻ってしまう。
つまり、三郎と雷蔵が力で繋っている限り、二人は永遠に離れる事が出来ないのだ。
それが三郎にとって気掛かりで仕方無かった。
しかし、雷蔵はクスリと笑うとそっと三郎に寄り添った。
「雷蔵?」
“僕は構わないよ。人の居る場所に帰る気なんて、この森に来た時から無いんだから”
「…そっか」
それ聞いて、三郎の心が少し軽くなる。
「…なぁ、雷ぞ…ぁ、あのさ…」
“ん?”
妙に言葉を詰まらせた三郎に疑問を持ち、雷蔵は彼の顔を見た。
「あのさ……そろそろ、本当の名前、教えてくれないか?」
“へ?”
「ほら、雷蔵って俺が付けた名前だし…その、『雷』の字もあるし…」
もごもごと言いにくそうに言う三郎。雷は三郎にとっては嫌うべきもの。そんな字を名にした事を、今更申し訳なく思っているのだろうか。
だが雷蔵は、全く気にする様子なく首を横に振る。
“僕は雷蔵だよ。君と出会った時から”
「でも…」
“僕嬉しかったんだ。君に名前付けてもらって。それにカッコいいじゃん、『雷蔵』って”
カッコいい、その感覚は三郎には理解出来ないものだったが、雷蔵が言うならそうなのだろう。三郎は照れ臭そうに笑った。
「あ〜、やっぱり俺、雷蔵が好きだ!」
“ふふ、でも僕が君の母親を食べてしまった事実は変わらないよ?”
「いや、母さんは死んでなんかないさ。今もお前と俺の中で生き続けてると信じてる。お前が生きているのがその証拠だ」
“三郎…”
そっと手を重ねる。そして、燦々と輝く日の光を全身で受けるように大地に寝そべった。「雷蔵…」
“ん?”
「ずっと、一緒だからな」
“うん、ずっと一緒にいよう”真夏の強い日差し。
騒がしい程の蝉時雨。
二人の仲を祝福するように、降り注いでいた。
〜fin〜
〜〜あとがき〜〜
妖パロは書いてて楽しかったのですが、途中修正入れたら話のバランスがガタガタになってしまいました;;;
拭うべき伏線はちゃんと拭けているのか、それも心配です;;;
取り敢えず、敢えて拭わず置いていた伏線として、
・雷蔵が失語した理由
・雷蔵が人里を逃げ出した訳
・雷蔵が何故九尾を食べたのかがあるんですが、これは続編が出た時に繋げようと思っています。
一応続きも考えてあって、それには三郎や雷蔵以外のキャラも出せたら良いなと考えてます。
取り敢えず、次回は姿は出さなかったけど影だけ出演した河童さんにもスポット当てたい。
次に妖パロ書くならこれの続編(二期)か、それに繋げる小話か、それはまた気分次第になるかも。
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