翌日、三郎と雷蔵は寝床の直ぐ近くにある川に向かった。
「今日は川で遊ぶのか?」
 問い掛けると雷蔵は首を横に振った。
 彼は朝から奇妙な物を作っていた。長い木の枝の先に糸を括り付け、糸には曲がった針やら小枝等が結ばれている。何かの道具だろうか。
 川のほとりに着くと、雷蔵は適当な石をひっくり返した。
 そして裏に着いてる小さな虫を二、三匹捕まえるとそれを針に刺す。
「…何やってるんだ?」
「へへっ」
 雷蔵は楽しそうに笑って見せると、木の棒を振って糸を川の中へと垂らした。
 川の中を覗けば、魚が数匹泳ぎ回ってるのが見えた。
「あぁ、成程」
 針の回りをグルグル回る生き物を見て、これは魚を捕る方法の一種である事を知る。
 ややあって一匹の魚が針を突付く。ピクピクと木の枝が水中に引き込まれ、雷蔵は咄嗟に身構えた。
「お!来た!」
 雷蔵は水面の様子を見ながら糸を引いたり緩めたりして魚を自分達のいる方向へ誘導させた。
 徐々に強く、ギリギリと糸が引っ張られる。強い引きにいつしか雷蔵の表情は真剣なものになっていた。
「く……ぅ…!」
 パシャッと魚が水面で跳ねる。魚は必死で逃れようとするが、どうやら力は雷蔵の方が上のようだ。
「頑張れ雷蔵!もう少しだ!」
「ぐ…うぅ…ッ、ぬあっ!!」
 グイッと一際強く竿を引く雷蔵。その瞬間、大きな魚が宙で弧を描くようにくねりながら岸に上げられた。
「やった!…て、冷たッ!!」
 打ち上げられてもその魚は元気良く、岸辺で何度も跳ね回った。
「こ、こら!大人しくしろ!」
 魚が再び川に落ちそうになり、三郎は慌てて魚を取り押さえる。しかし、魚の尾が水を跳ね上げて三郎はびしょ濡れになってしまった。
「うわっ!こいつ魚の癖に生意気な!」
 跳ね回る魚に戯れる三郎。その様子が微笑ましいらしく、雷蔵は彼を見て笑った。

 川の中に逃げられないように石で囲いを作り、そこに捕まえた魚を泳がせて、雷蔵は二匹目を掴まえようと再び竿を振った。
「あの魚、今日の君の昼飯?」
「うん」
「ふ〜ん、私はよっぽど飢えた時か獲物が捕まらなかった時ぐらいしか魚は食わんな」
「え?…ぁ…あ?」
「私は普段何食ってるかって?」
「うん」
「この森で捕れるものだよ。特に珍しい物でもない」
 雷蔵の問いに曖昧な回答をする。
 まさか人間の肉を食っているなんて、口が裂けても言えやしない。
 それでも雷蔵は納得したように頷くと、再び水面に目を向けた。
 静かな時間が流れる。
 三郎が退屈そうに欠伸したのを見て、雷蔵は持っていた竿を三郎に差し出した。
「私?私は良いよ。魚なんか直接川に入れば掴まえられるし」
「んっ」
 いいからやってみろ。そんな言葉を言いたそうに雷蔵は竿を突き出す。
「わかったわかった。やるから」
 半ば諦めたように竿を受け取る三郎。
 しかし、それでも退屈なのには変わりない。川のせせらぎと共に時間も流れていった。
「なかなか食い付かないなぁ。…さっき直ぐ釣れたのはまぐれか?」
「うん」
「そっか。じゃあ、大体糸を垂らしてからどれぐらいで掛かるんだ?平均で」
「えッ!?う、うぅ〜ん…」
「あ、ごめんごめん。困らせて悪かった。言葉が話せないって不便だな」
「…うん」
 雷蔵の口からは感嘆詞はいくらでも紡がれるが、やはり他の意味のある言葉は出なかった。
 辛うじて伝わるのは、肯定の『うん』と否定の『ううん』ぐらいだ。
「それは生まれつきなのか?」
「ううん」
「へぇ…いつ頃から?」
「あ〜…う〜!」
「あはは、ゴメンって。疑問詞は御法度なんだな」
「…うん」
 少し怒ったのか、雷蔵は頬を膨らませた。
 言葉が無くても、その表情で何が言いたいのかがわかる。それが人間の面白い所ではあるのだが、と三郎は思った。
 その時、糸に繋がれた小枝が水中へと吸い込まれた。
「あ!」
「お!来た!」
 漸く来た当たりに、三郎は思い切り竿を引いた。
「あッ!?ぇ、あ!」
 突然、雷蔵が慌てるように川を指差して声を上げた。
「え、何だ雷蔵?」
「あ!あ!」
 ただならぬ表情。水の中に何かいるのだろうか。
 しかし、覗き込んでも目に映るのは魚だけだ。
「何心配そうな顔してるんだ。この棒を引っ張れば良いのだろう?」
 糸の先には魚がいるのだから、後は思い切り引っ張って釣り上げれば良い。
 そう思って三郎は力任せに身体を引く。
 川から身体を離したからだろうか。はっきりと浮かび上がった、魚ではない影に気付かなかったのは。
「あーっ!あーっ!」
 危険を知らせるように雷蔵は叫ぶが、三郎は魚との戦いに集中していた。
「くっ…い、意外に重ッ!」
 やや太めの木の棒がしなり、糸がピシピシと音を立てる。
 魚は抵抗するように、加わる力とは逆の方向へと泳いだ。
 その時、謎の影と魚の影が重なった。
「うわっ!!」
 急に強く竿が引かれ、三郎は勢い良く川へ引き寄せられた。
「あぁッ!」
 慌てて雷蔵は手を伸ばしたが、三郎が岩下に引き摺り込まれるが一瞬早く。
 ドバンッ!!
 派手な水音を立てて三郎は川の中へと引き摺り込まれて行った。

「〜〜〜〜っ!」
 水は水面近くよりも深い所の方が流れが早く、激しい水流に揉まれるように三郎は流された。
 藻掻くように手足を動かす。竿は既に手放していたが、あまり深場を訪れない彼は慣れない水の中でどう流れに対応すれば良いのかわからない。
 要するに、三郎は泳げなかった。
(ヤバッ…息、が…!)
 ゴプッと大量の泡が吐き出される。次いで空気を吸いたい衝動に襲われるが、水中と言う空気の無い場所では叶わない。
 やがて酸欠の苦しみで意識が遠のきかけた。
 その時、
「…ッ!?」
 ギリリ、と腕を締め付けられるような圧迫感に、三郎は顔を上げた。腕を、誰かが強い力で握り締めている。
 水中で視界がぼやけて良く見えないが、水の色に映える金が、それが誰かなのか伝えた。
(雷、蔵?)
 グンと水面が、光が近くなる。
 早くその大気に顔を突っ込みたくて、三郎は水面に向かって腕を伸ばした。
「ッ……はぁッ!っ、げほッ!げほッ!」
 気持ちが先走って、水面に顔を出す直前から息を吸ってしまった為三郎は酷く噎せた。
 雷蔵に導かれるままになんとか浅瀬来ると、膝を付いて激しく咳き込む。
「げほッ!ごほっ!」
「ぁ…うぅ…っ」
 気管に入った水がなかなか吐き出せずにいると、雷蔵は困ったような声を出しながら背中を叩いてきた。
 トントンと規則的な振動に、ゴホリと大きく咳きをする。
 漸く呼吸が楽になって、三郎は浅く慎重に呼吸してから大きく息を吸った。
「…雷蔵、もう大丈夫だから」
 もう心配無い事を告げれば、雷蔵はワァと声を上げて飛び付いて来た。
「うわっ!雷蔵!?」
「ぅ、えあ!え…ぃ…!」
 話せなくてもどうにか言葉を伝えようとしているのがわかる。
 恐らく、『ごめんなさい』と。
「わかったわかった。私は怒ってないから。ちょっと落ち着けって」
「うぅ〜」
「……大分流されたな。取り敢えず元居た場所に戻ろう。な?」
「…うん」
 三郎はやや重い身体で立ち上がると、雷蔵に手を差し出した。

 濡れた着物は絞って岩に引っ掛けた。今日は日差しが強いから直ぐに乾くだろう。
 三郎と雷蔵、お互い生まれたままの姿で焚き火を囲む。
「へぇ、人間は魚を焼いてからでないと食えないのか」
「うん」
 先程釣った魚を棒に刺しながら、雷蔵は頷いた。
「面倒だな。私だったら生で食べるが」
「はは…」
 雷蔵にとっては生で食べる事の方が非常識らしく、彼は苦笑いを浮かべた。
 火の側に魚を刺した棒を立てた状態で固定する。
 やがて鼻をくすぐる魚の焼ける匂いに三郎は鼻を鳴した。
「あ、これ嗅いだ事ある匂いだ。人間が野宿した後ってこんな匂いがする」
 徐々に焦げが付く魚を見て「そうか、これは魚が焦げる匂いだったのか」と三郎は感心する。
 彼が興味深く魚が焼ける様子を眺めていると、背後でバシャンと大きな水音が聞こえた。
 魚が跳ねたにしては大き過ぎるその音に、二人は反射的に川へ目を向ける。
「あ!あーっ!」
 そこには、先程見た黒い影があった。
 下流に向かって泳ぐそれを見て、雷蔵は怯えたように三郎を見る。
「あ、あぁ。雷蔵、心配無いよ。あれも化け物だけど害は無いから。多分」
「え?」
 泳ぎ去る影を目で追う。その時、見覚えのある棒が視界に映った。
「あ!」
 河岸に突き立てられたそれを見付けて、雷蔵はそこへ駆け寄る。
 それは紛れも無く、先程川に流された雷蔵の釣竿だった。
 手にして持ち上げると、糸の先は水に浸かっていてその先に何かが繋がれていた。
 それごと持ち上げれば、雷蔵は糸の先に結ばれたそれに目を丸くした。
「えぇッ!?」
 大量の胡瓜。釣竿に野菜と言う何処か倒錯した様子に、三郎は笑った。
「ははっ、アイツなりの餌を横取りした詫びのつもりなんだろうな」
「あ、う?」
「さっきの影な、この下流に住んでる河童だ。この森には私以外にも化け物は住んでるからな」
「へぇ…」
 悪い奴じゃないのだったら一目見たかったな、と言いたそうに雷蔵は残念そうな顔をした。
 影は下流へ流れ、反射する水面に隠れて見えなくなった。
 暫く川を見つめていた二人だが、漂って来た焦げ臭い匂いにハッと顔を上げた。
「あ、ヤバッ!魚が!」
「あぁあ!」
 慌てて焚き火まで戻る。
 魚は尻尾の先は真っ黒に焦げてしまったが、それ以外はなんとか無事だった。
「あいっ」
「ん?」
 雷蔵が魚を差し出す。
 食べて良いよ。そう言う事だろうか。
「私はいいよ。腹は減ってない」
 昨夜人間を三人程食べたから。なんて言える筈は無いが。
 少し困った微笑みの後、雷蔵は唇と歯で器用に皮を剥すと身の部分を囓った。
「ん〜っ!」
「美味いか?」
「うん!」
 捕れたての魚はさぞ美味いのだろう。雷蔵はニコニコと笑みを崩す事なく魚に齧り付いた。
 三郎自身は魚にはあまり興味が無い。どちらかと言うと人間を好んで食べるのだが、目の前の雷蔵があまりにも魚を美味しそうに食べるから、思わずコクリと喉が鳴った。
 それを雷蔵は見逃さず、再び食べさしの魚を差し出す。
「んっ」
「……わかった。じゃあ、一口だけ」
 そう言って三郎は程よく焼けた魚の身を一口食べた。
 魚は生で食べる時より柔らかく、全く違う味がした。
 それを美味いと言うのかは、三郎には判断出来なかったが。
「……なんか、不思議な味だな」
「う?」
「だが、悪くないな」
 その感想に満足したのか、雷蔵はニコリと笑う。
 再び夢中で魚を食べる雷蔵を、三郎はひたすら見詰めていた。
(不思議だな。雷蔵は言葉が話せないのに、表情や行動で多くを語りかけて来る)
 笑ったり、楽しんだり、雷蔵を見ていると、彼は全身全霊で楽しみながら生きている事がわかる。
 人間を殺し、憎む事で生きてきた自分とは訳が違う気がした。
(もし母さんが人間に殺されなかったら、俺も雷蔵みたいに生きていたのかな)
 ふとそんな疑問が思い浮かぶ。
 同時に、その可能性を壊したのも、目の前に居る雷蔵である事を思い出した。
 無意識に拳が固くなる。それに気付き、三郎は深呼吸をした。
(おっと、殺気を出す所だった。危ない危ない)
 まだ真意を気付かせてはならない。もし雷蔵がそれを知ってしまったら全てが台無しになってしまうだろう。
 今はまだ、雷蔵のトモダチを演じるだけ。
 そんな事を考えながら、三郎は揺らめく焚き火の炎をじっと見詰めた。






 それから時は少し進む。
 三郎と雷蔵が出会って数日が経過した。
 昼は雷蔵と遊んで過ごし、夜は人間を狩って食う。そんな生活が連日のように続いていた。
 そして、その夜もまた、三郎は人の肉を求めて暗い森を彷徨っていた。

 木が灯す淡い光に引き寄せられ、三郎は獲物の居場所に辿り着いた。
(1、2……4人か。一度に相手するのはキツいか…)
 大人数が相手なら、三郎は無理に襲う事は滅多にしない。
 しかし、今回ばかりは少し事情が違っていた。
(よりによって雷蔵といつも遊んでる所を野営場所に選ぶとはな…)
 できれば明日この場所に人がいた痕跡を残したくない。
 万が一、雷蔵が人間や人間のいた場所を見た事で、里心が付いては困るからだ。
(とどめを刺すまでは、雷蔵を人里に帰す訳にはいかない)
 食うのは無理でも、せめて追い払わなければ。
 三郎は立ち上がると、真直ぐに人間がいる方へ歩きだした。

「あん?誰だお前ぇ」
「この森に住む者だ。貴様らに忠告しに来た」
 焚き火の光に照らされ、三郎の姿が盗賊達の眼に映る。
 側頭部より生えている耳と四本の尾を認め、下っ端らしき男が小さく悲鳴を上げた。
「あ、兄貴!み、耳が……コイツ、人間じゃねぇッ!」
「コイツが町で噂の人食い狐なんじゃ!?」
「へっ、たかが狐一匹じゃねぇか。忠告って何だ?」
 どうやら強気な者は先頭の男だけで、後は腰抜けらしい。
 それを知って三郎はニヤリと笑った。
「ここは俺の縄張りだ。今直ぐ此所から出て行け。直ぐに立ち去れば命だけは見逃してやる」
「テメェふざけんな!!」
 男は逆上したように叫ぶと腰に差していた刀を抜いた。
 それを見た下っ端達は男を止めようと間に入る。
「あ、兄貴よしてくれ!」
「相手は化け物だぜ?相手もああ言ってるし、此所は大人しく引きましょうや」
「馬鹿かお前は。たかが狐ごときにビビってたら末代までの恥だ。怖いなら引っ込んでろ」
 どうやらこの男は全く身を引くつもりは無いらしい。
 頭の悪い男だ、と三郎は自らの鋭い爪を相手に向けた。
「折角逃してやると言ったのに…。そんなに死に急ぎたいのなら直ぐにでも冥府へ送ってやる」
「はっ!洒落臭ぇ!!」
 刀を振り回す男。しかし、人間の動きなど、三郎にとって止まって見えるに等しい。
 三郎は振り下ろされる刀を紙一重でかわすと、流れるような動きで男の背後を取った。
「なッ!?」
「洒落臭いのはどちらだか…」
 ザシュッ
 三郎が小さく呟いた刹那、彼の爪により男の背中が無残にも切り裂かれた。
「ぐああぁぁッ!!」
「あ、兄貴ぃ!!」
 地に伏せる男。辛うじて致命傷には至っていないが、恐らくもう動けないだろう。
「さて、次は…」
「ひぃ!うわああぁああぁ!!」
 三郎が下っ端達を一瞥した瞬間、一人が悲鳴を上げて逃げ出した。
 他の二人も腰を抜かしながらもよたよたと逃げ惑うが、三郎はそれを許さなかった。
「逃がさん!」
 逃げる男の目の前に狐火が灯る。
 逃げ場を失った二人は、三郎と狐火を交互に見詰めながら震えた。
「た、助け…!」
「残念だったな。お前もあの男のように直ぐに逃げたなら助かったものを」
「うわあぁ!どうか!どうか命だけは!…ぁ、お、俺よりコイツの方が美味いです!」
「なッ!?テメェ!…ぃ、いや!骨と皮しか無いおいらなんかよりコイツの方がずっと美味いですよ!」
「な、何言ってやがんだ!コイツが言ってんのは嘘だ!どうかコイツを先に食ってくれ!」
 とうとう先に喰われる順番の擦り合いを始めてしまった男達を、三郎は冷めた眼で見詰めた。
 醜い。人間はなんて醜いのだろう。自分が助かる為には、他人の犠牲を厭なわない。
 今までそんな人間を何度も見て来たが、やはりいくら見ても慣れる事無く気分が悪くなる。
「案ずるな。二人共同時に食ってやる。だがそのまま食うのはつまらないな」
「ひ…」
「ああ、そうだ。先日生の魚と焼いた魚は味が違うと知ったんだ。それは人間も同じなのか試してみたい」
 掌の上に狐火を作り出す。男の眼に恐怖と絶望が入り交じる。
「せめてもの情けだ。焼かれる方は苦しませず一瞬で死なせてやる。この狐火を纏う事を望むのはどちらだ?」
「ひ、ひぃああぁぁぁあッ!」
 一歩、また一歩と三郎は二人に近付く。
 ガチガチと歯の根が合わなくなった二人は、もうまともに話す事もままならないだろう。
 もう埒が明かない。ならば二人共火炙りだ。
 そう結論付け、三郎は凶器の手を振り上げた。
 しかし、

 ズドォンッ!!!

「な…ッ!」
 突然耳を襲った轟音に、三郎はビクンと身体を跳ねさせた。
 ガクガクと膝が震える。立つ事さえままならず、三郎は膝を突いた。
(な、何が…!?)
 全く力の入らない足に、三郎は戸惑う。
 その時、背後から別の男の声が聞こえた。
「俺が居ない間に、随分子分達を可愛がってくれたな」
「お、親分!!」
(親、分…だと?)
 しまった、まだ仲間が居たのか。
 大柄の男の隣に先程逃げた男がいる。恐らく彼は逃げたのではなく、この男を呼びに行っていたのだろう。
 不覚の事態に、三郎は舌打ちをする。
「流石親分!一発ですよ!」
「いや、弾は当たってねぇ。だがな、狐ってのは雷とか銃声のデカい音が苦手なモンなんだ。その証拠に…見ろ、完全に腰を抜かしてやがる」
 腕を引かれて無理矢理立たされる。しかし、それでも足はまともに地面に付いてくれない。
 三郎は悔しさに強く男を睨み付けた。
「さぁ狐、礼を言わにゃならんなぁ…おいッ!!」
 バキッと頬を殴られる。
 次いで男は三郎の尻尾を掴み上げた。
「痛っててて!!」
「ほぅ…なかなか良い毛並みじゃねぇか。尾だけでも売ったらさぞ高値が付くだろうな」
「ッ…!!」
 ギリリと歯を食いしばり、三郎は男を睨み付けるが、男は臆する事なく三郎を嘲笑った。
「ははっ、悔しいか?ならばまた火を出せば良いだろう。それとも、腰が抜けて出せないのか?」
「親分にかかれば、妖怪だろうがなんだろうが鼠と同じですね!」
「親分!そのままやっちまえ!」
 囃立てる下っ端達。それに応えるように男は刀を抜いた。
 しかし、勝てない喧嘩を売る程、三郎も馬鹿ではない。
(出来れば、この力は使いたく無かったが…)
 雷蔵を殺す為に溜め込んでいた力。今それを解放すれば、七尾に匹敵する力を発揮出来る筈だ。
 恐らく一瞬で辺りは灰と化すだろう。
 だが、それを使えるのは一回きりだ。それ程の力を出すには、また一から力を蓄えなければならない。
(大丈夫、雷蔵はまだ私の側にいる。力はまた集めれば良い)
 三郎の瞳が金色に光る。突如空気が熱く変化し、男達は軽くうろたえた。
「な、なんだこのただならぬ妖気は!?」
「へっ、死に際の悪足掻きか?そんなハッタリで俺を倒そうなんざ百年早いわ!」
 三郎が今までに無い力を秘めている事に男はまだ気付かない。
 やがて三郎の身体は光を帯び、巨大な力が大気を震わせた。
「ヤバいって!コイツ何か企んでやがる」
 下っ端が怯えた声を上げる。それが合図だ。
「ハッタリかどうか、死んでから考えな」
 口角を釣り上げるように笑み、三郎は溜め込んだ力を解き放とうとした。
 しかし、

「き、狐だ!!狐の仲間が来た!!!」

 下っ端の叫びに気が削がれ、三郎は力の放出を押しとどめる。その時、

「はあああぁぁぁッ!!」
「雷蔵!?」

 聞き慣れた声に、三郎は彼の名を呼んだ。
 次の瞬間、三郎を掴んでいた男の身体が、鈍い音と共に大きく揺れた。
「ぐ、ぅ…ッ!」
 その場に頽れる男。それに伴い、三郎も尻餅を付く。
 倒れた男の向こうでは、人の頭ぐらいの石を持った雷蔵が立っていた。
 雷蔵が手に持っているそれで、男の頭を強打したと理解するのに僅かに時間を要した。
「雷、蔵?」
「……、…」
 いつも穏やかである筈の彼の顔が、今は信じられない程険しい。
 あまりにも鋭い目付きに、三郎は身の毛がよだつのを感じた。
 下っ端男が慄き身を引こうとした瞬間、雷蔵は彼の方へ向き直した。
「おい…狐が二匹なんて聞いてねぇぞ!」
「お、親分!起きて下さいよ!」
「うぅ〜…ッ!!」
 二人を睨み付けながら唸り声を上げる雷蔵。
 ゴトリ、と持っていた石を投げ捨て、彼は怯える男に飛び掛かった。
「はあぁッ!」
「ッ、があっ!!」
 恐らく、先程三郎が受けたものより強い拳を食らい、男の身体が少し飛んだ。
 間髪を入れず、雷蔵はもう一人の男に掴み掛かる。
「うぅううッ!!」
「うわッ、は、離せこの野郎!!…ぐあッ!」
 男が抵抗するのも構わず、雷蔵は彼の身体に何度も鉄拳を浴びせる。
 三郎はそんないつもと様子違う雷蔵を見て困惑していた。
「何、で…」
 雷蔵は優しい。いつも笑顔で、常に自分より他の生き物の事を考えるような男だ。
 その彼が、怒りを露にして人間に殴り掛かっている。
 それが三郎を守る為でなければ何なのであろうか。
(お前…何で、俺を助ける為に、そこまで…?)
 いくら下っ端とは言え、相手は大人三人だ。正真正銘の人間、ましてや少年である彼が無傷で済む筈が無い。
「ッ、テメェ!」
「う"あッ!!」
 腹部を殴られ、雷蔵は辛そうに息を吐いた。
 しかし、瞳に宿った光は失せる事無く、決して折れず立ち上がった。
 お互いボロボロになりながらも、雷蔵は戦い続けた。
「雷蔵…も、いいよ…っ」
 無意識に自分を抱き締める。雷蔵の怒りが、何故かとてつもない恐怖に感じた。
 だがその時、三郎は魚とはまた違う焦げ臭い匂いに気付き、反射的にその方向へ顔を向けた。
 先程三郎が背中を裂いた男が鉄の筒を構えていた。
 筒の向けられていた先には……

「雷蔵!避けろぉッ!!」

 ズドォンッっ!!

 再び森の中を巨大な音が木霊した。




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