■ 合 同 競 技 ■
私が初めて先輩に接したのは、三年の時の合同競技授業の日だった。
三年と四年で二人一組のペアを作り、学園から遠く離れた寺まで、誰が早く配付された札を納めるのか競争すると言う授業だった。
勿論、妨害や戦闘、別のペアから札を奪う事が許され、しかもその道のりには罠や仕掛けが施されている。生半可な心構えでは大怪我は免れないだろう。
ペアとなる人はクジで決まる。割り箸の先に付けられた赤い印を便りに、私は自分の相手を探した。
「あ…」
「お?」
その人は簡単に見付かった。しかし、彼と目が合った瞬間、私は自然と表情が歪んでいくのを感じた。
『最悪』の二文字が思考を支配する。
何故なら彼は、四年生一の問題児として有名な人物だったからだ。
「…佐東先輩」
「俺の相手はお前か?えーと、名前なんだっけ?」
「三年い組の上狛御麿です」
「は?まみむめも?」
「か・み・こ・ま・み・ま・ろ!ですぅ!どんな耳してるんですか!?」
「あっはは!悪い!」
何が愉快なのか、先輩の笑い声を聞いて私はガックリと肩を落とした。彼の噂は聞いた事があった。
落第ギリギリで進級した落ち零れ忍たま。
手裏剣は二年生より下手、テストは追試常習犯、成績は常に最下位、その他諸々……。
これだけならまだしも、忍者として致命的な「血を見ると失神する」と言った弱点まであった。
そんな駄目先輩が今回のパートナー。私は頭が痛くなるのを感じた。
「まあまあ、今回宜しく頼むわ」
だらしないのかなんなのか、ずれた頭巾で片目を隠した状態でニッと笑う先輩。
私は溜め息をつきながら競技のスタート地点へと足を向けた。
「お、おい、シカトかよ」
「先輩、私はビリだけは嫌です。どうか私の足を引っ張るような事をないで下さいね」
「ちぇっ、ツレないな」
彼自身辛口な言葉には慣れてるのだろう。私が言った嫌味を全く意に介さない様子で唇を尖らせた。
「ん?御麿、お前クジ運無いなぁ」
ふいに滝夜叉丸に声を掛けられる。
「全くだよぉ」
「あぁ!お前は知ってるぞ!グダのグダ夜叉丸!」
「平滝夜叉丸です!てか、わかってワザと間違えただろう!」
「確かにグタグダ煩いけどな」
少し遅れて、五年ろ組の竹谷八左ヱ門先輩も来た。
「竹谷、お前滝夜叉丸とペアか!」
「おぉ!良いなぁお前は。可愛い御麿と一緒でよぉ」
「良いだろ〜!羨ましがれ!」
少しレベルの低い会話をする先輩二人。どうやら佐東先輩は竹谷先輩と仲が良いらしい。
その後暫くはじゃれ合うような会話を続け、最後に「お互い頑張ろうな」と声を掛けて私達は自分の立ち位置へ向かった。やがて授業は始まり、私と先輩はのんびりと道を歩いた。
「良い天気だなぁ!ピクニックに丁度良いな」
「呑気な事言ってる場合じゃありません。それより、札はちゃんと持っているのですか?」
「あぁ、ちゃんとコケシの中に…」
そう言って彼は持っている木の人形の首をカパッと開けた。
コケシに見せ掛けた鎖分銅。これが先輩の得意武器らしい。お茶目通り越して呆れるが。
私は先輩のコケシから札を抜くと素早く懐にしまった。
「あ!おい!札は五年生が持つ決まりだろ!」
「先輩に持たせると気が気じゃありません」
「信用無ぇな俺…」
不貞腐れる態度がとても上級生とは思えない。
私はもう何度目かの溜め息をついた。そこから暫くは平坦な道が続いた。
しかし、先に行った生徒達が仕掛けた罠と言う罠に全て引っ掛かる先輩の所為で、私達は鈍行を余儀無くされていた。
まぁ、そのお陰で私が罠にかかる事は無かったけど。
「…何でそんなあからさまに怪しい罠に次々引っ掛かるんですか?」
「いやぁ、なんでだろな〜、あはは」
そう言って笑う先輩は、既に全身泥だらけだった。
「笑い事ではありません。お願いですから、人前で後輩扱いしないで下さい」
「いたた、キツい事言うねぇ」
「当然です。さっきも言いましたけど私、ビリだけは絶対嫌ですからね」
「すまんすまん。次からは気を付け…ッどわっ!?」
言った側から先輩はまた落とし穴に落ちた。
最初は先輩に手を差し出したりしたけど、何度もあるのでもうそんな気も起きない。
「早く登ってきて下さい。先に行きますよ」
「ま、待て!目に土が…!」
目を擦りながらよろよろ這い上がる先輩に目もくれず、私は先を急いだ。
その時、
「上狛ぁ!伏せろぉッ!!」
「え?」
先程とは違う先輩の語調に思わず振り返る。
そして、猛スピードで迫る戦輪が視界に入り、私は反射的にそれを交わした。
「うわっ…!」
間一髪、もう少し遅かったら怪我をしていただろう。
しかし、戦輪が襲って来たと言う事は…。
「やっぱりお前達が最後尾だったか」
「この声はグダ夜叉丸か!」
まだ目が開かないのか、目を閉じたまま先輩が声を上げる。
「滝夜叉丸、お前もっと前にいただろ?何でまだこんな所に?」
「ふふっ、ただ前列を通るだけでは優秀な私にとってつまらん。だからだ」
「ここでちょっとライバルを減らそうと思ってね」
次いで竹谷先輩も出て来た。しかも、三枚の札を手にして。
この授業は札がなければ失格。つまり、既に何人かは失格者が出ていると言う事だ。
そしてその原因が、目の前にいる事も。
「まぁ、そう言う事で」
「いざ、参る!!」
滝夜叉丸が投げた戦輪が空を切る。同時に竹谷先輩が苦無を手にして佐東先輩に切りかかった。
「はっ!」
「うわわ!わ!」
紙一重で戦輪を交わす。佐東先輩は情けない声を上げてわたわたと地面を這って逃げた。
「ま、待てよ竹谷!俺今、目がっ!!」
「問答無用!」
「ひいぃッ!」
だらしなく逃げ回る先輩。とても上級生とは思えない。
だけど札は自分の手元にある。己さえしっかりしていれば失格の心配は無い。
しかし、その余裕がかえって裏目に出てしまった。
「おい、滝夜叉丸。どうやら札は御麿が持ってるみたいだぜ」
「っ!」
「そうか。確かに佐東先輩に持たせたら不安だろうしな」
しまった、余裕を見せ過ぎた。完全に狙いが私に絞られてしまった。
「竹谷先輩。上狛御麿の相手は私一人で十分です。先輩はそこの駄目人間の相手して下さい」
そう言って滝夜叉丸はクルクルと戦輪を回し始める。
滝夜叉丸と戦えば、勝負は恐らく五分。勝てる可能性は十分にある。
ただ、心配なのは…
「竹谷ぁ、俺ら友達だろ?見逃してくれよ」
「嫌だ。合同授業に友達も何も無い!」
「鬼ぃ!」
少し離れた場所でうろうろしてる先輩が足手纏いにならなければ良いのだが…。
だが、考えた所で仕方無い。私は戦う決心すると苦無を抜いた。最初は互角に戦えると思っていた。
しかし、主に頭脳戦を得意とする私は滝夜叉丸の隙の無い攻撃に翻弄され、苦戦を余儀無くされた。
「はぁッ…は…」
「どうした御麿。息が上がってるぞ」
戦い方の違いからか、明らかに私の方が消耗が激しい。
「竹谷!いい加減に見逃してくれよ!」
「まだ勝負はついてないッ!」
横目で先輩達を見る。逃げるだけの佐東先輩も、そろそろ体力の限界だ。
決着がつくのも時間の問題だろう。
「そろそろ決着をつけるぞ。御麿覚悟!!」
その掛け声と同時、彼は複数の戦輪を同時に投げ付けて来た。
目の前に迫るそれを見て、私は横へと逃げる。しかし、
「ッ、あ!」
疲労して足が上がり切らず、不覚にも石に躓き転倒してしまった。
「貰ったぁ!」
倒れた私に向かって駆け出す滝夜叉丸。
ここまでか、そう思ったその時、
「うわぁッ!?」
「どわっ!」
竹谷先輩の攻撃を交わしていた佐東先輩と滝夜叉丸が衝突した。
いきなり横から飛び込んできた彼に、滝夜叉丸はなす術もなく横に倒れる。
「いたた、佐東先輩!なんなんですかいきなり!」
「悪い!謝るついでにグダ夜叉丸捕獲!」
次の瞬間、先輩は一瞬にして滝夜叉丸の身体を鎖で拘束した。先輩は鎖の扱いだけは得意らしい。
あっという間の出来事に、私は呆然としてしまう。
「何してんだ上狛!早く逃げろ!!」
先輩の言葉にハッと我に返れば、竹谷先輩が私に向かって駆け出していた。
焦って背を向けて駆け出そうとするが時既に遅し、竹谷先輩が行く先に立ちはだかっていた。
それとほぼ同時、
「はッ!」
「いっで!!」
滝夜叉丸が先輩の脛を思い切り蹴り上げた。
その気の緩んだ一瞬を狙い、彼は鎖から抜けると戦輪を先輩の喉に突き付けた。
「情けないですね、佐東先輩」
「あ〜、マイリマシタ…」
「はい、ゲームオーバーだ。御麿ちゃん」
にっこりと微笑み、竹谷先輩は手を差し出す。札をくれ、と言う事だろう。
もしここで戦っても、恐らく勝てないだろう。
勝負が、見えた。
「私達の負けです」「何であそこで逃げなかった!?この場から逃走出来る最後のチャンスだったんだぞ!!」
「いきなりの事で呆気に取られたんです!先輩こそ戦わないで逃げてばっかりで、恥ずかしくないんですか!?」
滝夜叉丸達が立ち去った後、私達は激しく言い争った。
結局私達は札を奪われ、事実上失格になった。
「仕方無いだろ!目にゴミが入ったんだから!」
「だったら早くゴミを取り除けば良いじゃないですか」
「いや、もう取ったのだが、目を開こうとするとまだ痛む。ちょっと眼球やられたかもしれない」
どれだけ不運なんだこの先輩は。そして先輩に付き合わされる私は。
そこで私は、ふとある事に気付く。
「先輩」
「何だ?」
「先輩いつも片目隠してますけど、隠してる方の目もゴミ入ったんですか?」
「あぁ、そう言や平気だった」
先輩はクイッとずれた頭巾を引き上げて右目を出した。
あまりにもあっさりと答えるので、私は前のめりに転びそうになった。
馬鹿だ。馬鹿で、阿呆なんだこの先輩は。
「…もう付き合ってられません…」
脱力したように呟いて、私は来た道を戻ろうと踵を返した。
「おい、何処行くんだよ」
「決まっているでしょ。学園に帰るんです」
「何で?」
「何でって…、私達は失格になったんですよ!何処まで阿呆な…ん…」
阿呆なんですか、と続けようとした私の言葉は、ハッキリと告げられる事のないまま途切れる。
先輩は一枚の札を私の目の前に突出してきたのだ。
「…え?札…?私達の?」
「そう。お前に渡したのはダミーだ」
「ダミーって、私を騙してたんですか!?」
「ああ。ついでにこんなのも」
そう言って先輩は更に札を二枚、懐から取り出した。
「これが竹谷からパクったやつで、これが滝夜叉丸の奴が背中に隠し持っていたやつ。あいつら結構溜め込んでいやがった」
それを聞いて私は唖然とした。
先輩はただ逃げていたのではない。私の見て無い、しかも竹谷先輩も気付かない僅かな隙をついてこの札を盗んだのだ。
こんな、落ち零れの先輩が…。
「ほら、先行くぞ先。ただでさえ遅れを取ってるんだから」
「あ、はい。…って、誰の所為で遅れたと思ってるんですか!?」
きっと、きっとまぐれか何かだろう。
そう思う事にし、歩き始めた先輩を追うように私も先へと足を進めた。その日の夜、適当に夜営出来そうな場所を見付けると警戒線を張って油紙を木に渡して簡易的な屋根を作った。
「今頃竹谷先輩達、慌ててるでしょうね」
背中合わせで水でふやかした干し飯を食べながら私は先輩に話し掛けた。
「いや、アイツはとっくに札を抜かれた事に気付いてるさ。お前に渡した札が偽物ってのもな」
「はぁ?じゃあ竹谷先輩はワザとこの札を…」
「ま、そんな所だな」
成程、と私は全てを納得して溜め息を吐く。
佐東先輩と竹谷先輩は普段から仲の良い友人だ。きっと出来の悪い友が途中でリタイアしないように、遠回しな演技で札を渡したのだろう。でなければ、このヘッポコ先輩が札を手に入れる等出来る筈が無い。
よくよく考えてみれば、例えプロの忍者でも、視界を塞げば捕らえるのは容易い。竹谷先輩も簡単に佐東先輩を捕らえる事が出来た筈だ。
「…なんだよ、黙りこくって」
「いいえ、ただ少し安心しただけです。もし竹谷先輩が本気だったら、少し軽蔑してました」
競技前には「お互い頑張ろう」と声を掛けていたのに、いざ競技が始まるとコロリとその心境を変えて敵になる。
もしそれが自分なら、もし相手が綾部とかだったら、なんて安っぽい友情だったのだろうと絶望していたかも知れない。
「なぁ、上狛」
「何ですか?」
「軽蔑すんのは別に良いけど、三年生までにしろよ」
「え?」
意味深な先輩の台詞に、私は顔を彼へ向けた。
「俺と竹谷は特殊なケースだ。竹谷以外にも、仲の良い友ばかりを狙う生徒もいる。雨鳥の術、知ってるだろ?それだけ、忍者の世界はいつ誰が敵になるのかわからねぇんだ。真に忍者になりたいなら覚悟しておけ」
「………」
そんな事ぐらい、先輩に言われなくてもわかっている。
でも、信じたくなかっただけ。共に学び、戦った仲間といつか敵同士になる日が来るのを。
「…先輩」
「ん?」
「先輩が真面目な事言うの、ハッキリ言って気持ち悪いです」
「おいッ!人が折角真剣な話してやってんのに」
「先輩は、辛くないんですか?今まで仲良くしてた人と戦う事が」
「………」
今度は先輩が黙る番だった。
少し溜め息を吐いたり頭を掻いたりと落ち着かない動作をしてから、彼はゆっくり口を開いた。
「辛くないって言うと嘘になっちまうな。でも俺馬鹿だから、いつかの事とか、そんな先のことなんか考えらんねぇ。まぁ、少なくとも学園で生徒やってる内は本気で違(たが)う事はまず無いから。合同競技で裏切られるのも、俺は初めてじゃねぇし」
そうか。先輩も三年の時に誰かに裏切られたのか。
と言う事はやはり、覚悟すべき所は覚悟しなければならないのか。
「因みに、先輩は去年誰に裏切られたんですか?」
「えーと、鉢屋に不破に久々知。去年俺と組んだのが善法寺伊作先輩で、鉢屋達は食満先輩、七松先輩、潮江先輩と組んでて、競技開始直後にその三組に狙われて即終了」
「そ、それって裏切りって言うより単に不運なだけでは…?」
「まぁな。でもそう言った裏切りや裏切られた場合の対応を学ぶ為に、この合同競技があるんだ。情に流されると下手したら大怪我しちまうし、皆本気で戦って来るから手加減も出来ない。もしこれが本番だったらって気持ちを頭の隅に置いてな。まぁ、俺は運悪かったけどな」
「………」
この合同競技にそんな意味があるなんて知らなかった。
三年生までは学園が生徒の安全を保護してくれる。しかし、四年生になり実戦授業が始まると自分の身は自分で守らなくてはならない。
この授業は、その学年へ上ろうとする三年生の為にある授業なのだろうか。
だとしたら、それを教えているのは先生ではなく、この先輩達。
「先輩…私、忍者になると言う事が少しわかったような気がします。忍者になる為に避けて通れない道を先輩達は通って、尚私達にそれを教えてくれようとしている。そうですよね?先輩」
「かー…」
「て、寝てるぅ!?」
あまりにも早い寝付きに、驚愕を越えて呆れた。
やはりこの先輩は阿呆だ。見張りとか、そう言うのを忘れて寝てしまうなんて。
そして、その阿呆な先輩に対して真面目な話をしてた事に対して恥ずかしくなった。
「…あほらし。寝よ」
先輩を見てたら真面目になるのが馬鹿らしくなってきた。もう良いや、寝てしまおう。誰かに見付かったらその時だ。
そう思うようにし、私も重くなった両目を閉じた。次の日、やっぱり先輩は馬鹿だった。
「のわあぁぁッ!?」
もう先輩が罠にかかるのは慣れた。いちいち気にしてたら時間が勿体ない。
時限は正午まで。もう最前列はゴールしたのだろうか。
途中、竹谷先輩と同じく何人か札を狙った生徒が襲いかかって来たが全て無視した。
敵が現れたら逃走あるのみ。
佐東先輩は幸いにも逃げ足だけは速かったので、罠にかかる事以外は逃げる事に困らなかった。
やがて私達は、道が二つに別れている地点に辿り着いた。
ここまで来ればゴールまでは半刻だ。
私は地図と道を交互に見、近道である右の道へ進もうとした。
「おい、どっち行くんだよ?」
「どっちて、右のルートに決まってるじゃないですか」
「待て。右のルートの先には洞窟には罠が仕掛けてある。此所は回り道でも左のルートを進むべきだ」
「何言ってるんですか。左のルート進んだら一刻はかかります。私達にはもうそんな余裕は無い筈ですよ」
太陽はもう直ぐ頂点に差し掛かる。急がなければゴール出来ない。
「急がば回れと言うだろ」
「回ると間に合いません」
「間に合わなくても寺へは行ける。俺は左の道譲らないからな」
「あ、そうですか。じゃあ先輩は一人でそっちのルート行って下さい」
話合うだけ時間の無駄だ。私は先輩を放っておいて右へ進んだ。
「罠に掛かって泣いても知らねぇぞ!!」
子どもみたいな台詞を受け流すのも慣れた。
私はもう先輩の事は無視する事に決めた。その洞窟は先輩の言った通り、本当に罠だらけだった。
床に張り巡らされた縄、不自然に埋まっている石、岩の壁から突出した木の根。
罠回避は苦手分野だが、ゆっくり行けば大丈夫。
そう自分に言い聞かせながら、松明の明かりを頼りにそろそろと洞窟を進む。
罠自体はあからさまな物が多く、分かりやすい物が多い。
これならば余裕だ。そう確信した。
だからだろうか。地面に仕掛けられた百雷銃に火の粉が落ちた事に気が付かなかったのは。
突如、けたたましい程の連続した破裂音が私の耳を突いた。
「うわッ!?」
火縄銃の一斉射撃に似た音に、不覚にも私は松明を落としてしまう。
しかもその火が、行く先の縄を焼け切ってしまった。
「ッ!しまった!」
ほぼ同時に、地響きのような音がなる。罠が発動するまでに逃げなくては。
しかしそれより早く、無数に空いた壁の穴から針が放たれた。
「きゃあぁッ!!」
慌てて飛んで来た針を交わす。しかし、焦れば焦る程罠が我身に絡み付いた。
避けた先で踏んだ岩、今度は矢が降り注いだ。
「やだッ!!も、降参ッ!!」
いくら懇願しても、無機質なそれは聞き入れてくれない。
そんな事を忘れてしまう程に、私は冷静さを忘れてしまった。
更に最悪な事に下に落ちた矢が松明を弾き、地下水の水溜まりの中へ落ちてしまった。
ジュウ…と音を立てながら辺りが暗闇に覆われる。
全く視界が利かない。もう何処から矢が飛んで来るのかさえわからない。
ヒュンと空を切る矢の音。もう駄目だ。そうキツく目を閉じた、その時だった。
「っッ!!?」
突然、身体がガクンと折れたかと思うとフワリと身体が浮上った。
まさか今の矢で即死したのだろうか。いや、違う。誰かの肩に担がれているのだ。
一体誰が。答えは、彼の息遣いで直ぐわかった。
「佐東、先輩?」
「喋るな!ここを一気に抜ける」
先輩が進む方向にはまだおびただしい数の罠がある。しかし、それに構わない様子で突き進んだ。
「先輩!そっちは罠が…!」
「黙れ!俺は何処に罠があるかわかんねぇんだ!」
先輩が足を踏み出す度に、木と木がぶつかる音や擦れる音がする。
ややあって連続して矢が放たれる音がし、私は思わず身を縮こめた。
だが、
(えっ…?)
佐東先輩の動きが不規則になる。それは彼が飛んで来る矢を避けている事を物語っていた。
四方八方から飛んでくる矢を交わすのはそう容易な事では無い。
その時、急に辺りが明るくてなった。
良く見れば周りの地面に刺さっている木の根が燃えていた。どうやらそう言う仕掛けもあるらしい。
しかし、明るくなったにも関わらず、先輩は猪突猛進を続ける。
「せ、先輩!明るくなりましたのでもうちょっと落ち着いて…!」
「明るい?もう洞窟抜けたのか?」
「何言ってるんですか!見ればわかるでしょう!」
「わかんねぇから聞いてるんだ!」
佐東先輩の言葉に違和感を感じた。まるで何も見えていないような言い方だ。
少し顔を上げて先輩を見ると、思わず息を飲んでしまった。
彼の目元を覆う一枚の布。
先輩は見えていないようなのではなく、本当に見えて居なかったのだ。
「先輩!目が!」
私が大声を上げるとほぼ同時に、矢が壁から矢が放たれた。
「だから静かに……ぐッ!?」
「きゃっ!」
突然先輩が前のめりに倒れ込んだ。
その拍子に側にあった岩が位置を変える。壁から突出した幾本の竹筒がこちらを向いた。
何が飛んで来るかわからないが、取り敢えず身を伏せる。
しかし、逆に佐東先輩は苦無を片手に立ち上がった。
刹那、竹筒から勢い良く棒手裏剣が飛び出した。
危ない!そう叫ぶ前に先輩は苦無を振り上げ。キイィィン!
甲高い音を残して、五本の棒手裏剣が地面に落ちた。
目隠しされた状態のまま、たった一なぎで先輩は飛んで来た棒手裏剣を全て叩き落としたのだ。
暫く警戒した様子だったが、もう何も出て来ないとわかると、先輩はドサリとその場に座り込んだ。
「あ〜、ビビったぁ…」
溜め息を吐くように、ガックリと肩を落とす先輩。
その時、私は先輩の左足首の傷に気付いた。
かなり深い傷なのか、痛々しい裂け目からは血が流れている。
「先輩、足に凄い怪我…」
指先でその箇所に触れる。温かな液体で少し濡れた。
ポンと頭の上に手を置かれる。次いで優しい声で先輩は言った。
「まぁまぁ、お前は怪我は無いか?」
「…え?」
先輩の顔を見上げる。口しか見えないが、いつものあの笑顔を浮かべていた。
「本当に馬鹿な人ですね。私の心配より自分の心配したらどうですか?」
「イコール、お前は怪我無いんだな。それなら良かった」
「何でそうなるんですか!て言うか、何で目隠ししてるんですか!?」
「目隠しは…まぁ、こっちにも都合があるんだ」
「どんな都合ですか。ったく…ちょっと足見せて下さい」
私はシュルリと先輩の頭巾を解くと、包帯代わりにそれを先輩の足に巻き付けた。
しかし、出血の量が多くて頭巾は直ぐに赤く染まってしまう。仕方無いので自分の頭巾も解くとそれで先輩の大腿部をキツく縛った。
「取り敢えず応急処置です。ちゃんとした手当ては寺に着いてから救護隊に任せましょう」
「あぁ、ありがとな」
そう言って先輩は再び笑ってみせた。洞窟を抜けると、直ぐ寺へ続く階段が見えた。
先輩の「血を見るのが嫌だから目隠しを外したくない」と言う我儘の所為で、彼を誘導するのに少し時間が掛かったが、それでも時間に余裕を持って私達はゴール出来た。
「先生、札を持って来ました」
「四年は組の佐東一郎と三年い組の上狛御麿、札を三枚所持してゴール。お疲れ様。向こうで雑炊作ってあるから食いに行って来い。救護所はその奥だ」
「はい」
「あ〜、やっと終わったぁ!」
「早く雑炊を食べに行きましょう」
そろそろ空腹を訴えそうな腹を抱えつつ、私と先輩は指示された場所へ行く。
そこでは、先にゴールした人達がわいわいと鍋を囲んでいた。
「一郎!今年はゴール出来たんだな!」
「あ、不破に鉢屋!久々知も!」
先輩達が一郎先輩を囲んだ。
目隠ししているのに何でわかるんだろう。声を発したのは不破先輩だけなのに、と疑問に思う。
それだけ勘が鋭い人なのだろうか。いや、それにしたらあの罠に掛かる確率は異常だ。
「おい、佐東」
「おぉ、竹谷!お前一位だってな!スゲェよな!」
「え?」
竹谷先輩が一位?誰もそんな話してないのに。
「全っ然嬉しくない。誰かさんが二枚も札を盗んだりしたからな」
否定してないと言う事は、その情報は本当なんだろう。
誰かが噂をしたのだろうか。周りには何人も生徒が居る。一人ぐらいそんな話をしていても可笑しくは無いけど。
「一郎、お前そんな悪い事したのか?」
「え?いやだって何でもありの合同競技じゃねぇか。それに、先に仕掛けたのは竹谷の方!」
「悪いコにはお仕置が必要だよな?皆」
「お仕置賛成!て訳で救護所へGO!」
「えっ、ちょっと待てよ!」
わいわいと楽しそうに、先輩達は佐東先輩を担ぎ上げて救護所へと行ってしまった。
「全く、お気楽な先輩達だなぁ」
「グダ夜叉丸…」
「お前までグダ夜叉丸言うな!」
一喝吠えて滝夜叉丸は私を睨み付ける。
だが、その後直ぐにに真剣な表情をして口を開いた。
「御麿、お前佐東先輩をどう思う?」
「どうって…ただのヘボ忍たまにしか見えないけど…。まぁ、妙な所で勘が鋭いような…」
「だよな。私もそう思うのだが…」
「だが?」
「うむ、私が最初に投げた戦輪、この武術に長けて気配の消し方も天下一品と言われる私が」
「言わない言わない」
「死角から投げた戦輪に一早く気付き、お前に伏せるように叫んだ。しかも目が全く見えない状態でだ。これをどう思う?」
「どうって、竹谷先輩が佐東先輩に合図送ったんじゃないの?」
「いや、あの時先輩は私の背後、つまり同じく死角に立っていた。合図を送るのは不可能だし、第一これから札を奪おうとする敵に合図を送る意味は無いだろう」
「え?」
話が微妙に矛盾している。竹谷先輩は友達の誼で佐東先輩に手加減をしていたのではないのか?
「まぁ、竹谷先輩も偽の札を持たされるまでは予想していたらしいけど、まさか自分の札がとられるとは思ってもみなかったと嘆いておられた」
「それであんなに怒ってるんだ」
救護所に目を向ける。佐東先輩が善法寺先輩に足の傷の手当てを受けていた。
「これは酷い!良くここまで我慢出来たね」
「先輩、思い切り染みる薬塗ってやって下さい」
「いや、これ以上痛いのは勘弁…」
「よし一郎、目隠し外そうか!」
「い、今だけはマジ止めてくれ!今外したら血が…!」
「止めない!三郎、腕押さえてろ」
「はいはい♪」
「なぁ、マジ勘弁してくれ…ホント、血だけは見せないでくれ!頼むから…っ!」
「それじゃ、オープン!」
「止めろおぉッ!!」
能ある鷹は爪を隠すと言うが、あの情けない悲鳴を上げている先輩に隠す程の爪があるのだろうか。
だが、あの洞窟の中で見た、一なぎで棒手裏剣を叩き落としたのも、紛れも無い佐東先輩。
今でもあの時の先輩と、今顔面蒼白で目に涙溜めてる先輩が同一人物であるのが信じられない。……あ、気絶した。血が嫌いなのは紛れもない事実のようだ。
「佐東一郎…わからない人です」
はぁ、と溜め息をつき、私は先生に手渡された雑炊に口を付けた。〜fin〜
〜 あ と が き 〜初接点な二人。カプ前。
最初御麿は一郎に対してあんまり良い印象は持ってなくて、一郎はそれまで興味が無かった感じ。
この頃の御麿は一郎の異常聴力について知らなくて、何で突然一郎が忍者出来るようになったのか疑問に思う訳です。
カプが成立するのは多分これの半年後。
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