君と同盟



草木が両脇から迫ってくるような山道をじゃりじゃりと踏みしめる音だけがもうずっと続いていた。
人の気配など微塵もしない道は、獣道なのか人道なのか、もはやそれすらあいまいだ。
踏みだす一歩一歩が重く、夏のころに比べると相当涼しくなったというのに、芭蕉の首筋にはじんわりと汗が滲んでいた。
手前を行く弟子の姿はついさっき見た時よりも更に遠くなっている。
いいかげん足元を見ながら歩くのも嫌になって仰いだ中秋の空は、青く澄み渡っていた。
痛い足腰を引きずって歩いていた芭蕉は、小鳥になりたい、と詮無いことを考えて自分の限界を悟った。

「ね、ねぇ、曽良くん、ここらで休みにしよう」

立ち止まって先を行く弟子に声をかける。
しかし、弟子の歩は止まらない。
聞こえなかったのかと思い、もう一度今度は声の限りを振り絞った。
それでも留まらずに進んでいく曽良。
こうなると、わざと聞こえないふりをしているのは明白で、たまらなくなって芭蕉は悲鳴じみた声をあげた。

「無視せんといてー!! お願いだから師匠の声を聞いて! タイム! 休憩! 松尾もう限界! 限界だからぁ! 足も腰もガクガクで一歩も歩けない!」
「ハァ?」

やっと振り返った曽良の反応は大層冷たいものだった。

「だから休憩! 私もう無理」
「いやですよ。芭蕉さん、ついさっきもそう言って休んだばっかじゃないですか」

そうすげなく言って、曽良は再び歩き出そうとする。

「ちょびっとだけー! ちょびっとだけでいいから! もう足とか腰とか尻とかとにかく下半身がいったいんだよ!」

芭蕉はその場にしゃがみ込んで曽良の着物の裾を掴もうとした。
しかし触るなとばかりに、間髪いれず拳を見舞われ、芭蕉は「アシタバッ!」と叫びながら地に伏すことになった。

「勝手に休んでってください。僕は先に行きますんで」
「師匠を置いてくとか君酷過ぎるよ!! こんなクマとかタヌキとか出そうなところに一人はイヤー!」
「知りませんよ。嫌ならさっさと歩いてください」
「鬼ィ! 大体、曽良君が昨日の夜に無茶してくれたから、歩くの辛いんだからね! 責任とれよチクショー! 休憩してくれないならおんぶしろー!」

とうとう芭蕉は駄々をこね始める。
しかし、鬼よりもシビアな弟子が素直に言うことを聞いてくれるとは思えなかった。
案の定、汗も引くような冷たい一瞥と舌打ちが寄こされ、芭蕉は身を竦めた。

「仕方ないですね」

ふぅっとため息をついて、珍しく譲歩の色を見せる曽良に、芭蕉は期待をよせずにはいられなかった。
あの鬼弟子がやっと師を労わってくれようとしている。
ついに私の時代がきたのだ、と。
しかし、そんな喜びは束の間のことだった。きゅっと着物の前衣がきつくなったのを感じたかと思うと、強い力で引き倒された。

「ひぃっ!」

痛みに顔をゆがめる芭蕉をよそに、弟子は何食わぬ顔で芭蕉の襟首を引っ掴んだまま歩き始めた。
ずるずると荷物のように引っ張られて芭蕉は悲鳴をあげた。

「ヒェェェエ! これ違う! 君、師匠を何だと思ってるのー!」

弟子がとまることはなかった。





そうこうしながら宿に着いた時には、もう既に日はほとんど沈んで、真っ暗な東の空には月が昇っていた。
心身ともに疲れ切っていた二人は、提供された可も不可もない食事と風呂を淡々と済ませ、床に就いた。
灯りを消してしばらくすると、芭蕉のすぐ隣からは安らかな寝息が聞こえ始めた。
それを聞いて芭蕉はほっと胸を撫で下ろした。
今日は何もせずに大人しく寝るようだ。
しかし、同時にふつふつと怒りがこみ上げてきはじめた。
師匠がしくしくと痛む尻を抱えているというのに、隣で弟子は心地よさそうに眠っているのだ。
しかも尻の痛みの原因は他でもない弟子だ。
なんたる理不尽。
昼のことにしても、到底、師匠に対する態度とは思えない。
考えれば考えるほどに、己の境遇が哀れに思え、曽良に対する不満もいや増してくる。

(そうだよ、なんで私ばっかり酷い目にあわなきゃならないんだ! ここはひとつ弟子にきっつーいお仕置きを…!)

目的が決まれば、あとは手段だ。
どう復讐するか、と布団の中で丸まって考えをあれこれと考えてみたが、ここはやはり、かのハンムラビ法典にも書かれていた古典的な手段が良いだろう。
目には目を、歯には歯を、尻には尻を、である。
芭蕉の頭の中では、組み敷かれてヒィヒィ泣きながら許しを乞う曽良の図が広がっていた。
彼の口元は緩み、早くも勝利の妄想に酔っている。
あとはそれを現実にするだけだった。
がばり、と勢いよく上掛けをはねのけ、「私の尻の痛み恨み嫉み、思い知れぇぇえ!」 と叫びながら、芭蕉は隣へと飛びかかった。
途端、伸びてきた手腕に真っ向から喉を捕えられる。
そのまま押し戻すかのように突き飛ばされた。
気道が圧迫されたせいで空気の潰れた音を漏らして、芭蕉は尻を強かに畳に打ちつけた。
妄想は夢として儚く散っていったことを、いやでも認識せざるを得なかった。
芭蕉が痛みに涙を滲ませながら、畳の上でもんどり打っていると、「寝込みを襲うとはいい度胸ですね、芭蕉さん」と、弟子の至極冷静な声が降ってきて、うすら寒いものが背中を這いあがるのを感じた。
芭蕉がそろりと視線を声のほうに向けると、開いた窓の桟に腰掛けて、曾良は尻をさする師を見下ろしていた。
差し込む十六夜の月明かりは十五夜と変わらず明々としていて、行灯もつけていないのに曽良からは芭蕉の顔がよく見えた。
およそ俳聖とは思えないような冴えない中年。
中身は子どもとさして変わりはしないが。
逆に芭蕉の側からは、月明かりが逆光となって曽良の表情がよく見えなかった。
それが更に芭蕉の恐怖を煽ることとなった。
曽良は足を伸ばし、つま先で芭蕉の夜着の裾を割って下帯の上から芭蕉の一物を柔く踏みつける。
芭蕉は身を竦めた。
急所を捕えられたからだけではない。
重力すら操れるのかと思うような威圧感が、頭上から重くのしかかっていたからだ。

「そ、そそそ曾良くん!!」
「芭蕉さん、自分で下帯、解いてください」
「ぁえ…!?」

間抜けな声を上げる芭蕉に、曾良は足先に力を込めて、ぐり、とそこを少し強く圧迫した。

「聞こえませんでしたか? さっさと脱げ」

ヒッと息を詰まらせて芭蕉の顔が青くなる。潰されると思ったのだろう。
芭蕉は顔を今度は赤く染めながら、おずおずと下肢に手を伸ばして下帯を抜き取る。
露になったそこはすこし兆し始めていた。

「あんた、露出狂ですか」
「君が脱げって言ったんじゃないか……!」
「脱げとは言いましたが、興奮しろとは言ってないでしょうが」

やわやわと踏んでやるとそこは更に硬度を増す。

「君がそうやって触るから……!」

上気した芭蕉の顔はどう見ても不惑もとうに越えた中年のはずだが、曽良の目にはどんな女や若衆よりも扇情的に見えた。
芭蕉のそこがすっかり立ち上がったのを見て曾良はふ、と笑う。
ゆっくりと足の裏で撫で擦ると気持ちいいのか芭蕉の口からだらしなく色めいた声が漏れる。
しかし、それは曽良の望む声音ではなかった。
もっと引き攣った声が聞きたくなってつま先でぴん、と強く弾いてやった。

「ッひ、ぃ…!」

芭蕉は曾良の思い通りに啼いて、身体を跳ねさせた。
足先一つで面白いほど反応する芭蕉に興を覚えた曾良は、緩やかだった足の動きを強く押し付けるような苛烈なものに変える。

「いッ!ああぁあ」

芭蕉は腰を引いて無意識に逃げを打とうとする。
その髪を曽良は頭頂から引っ掴んだ。
こうなると後ろへずり下がろうとしても、髪を引っ張られてその痛みに逃げられなくなる。

「は、はなし……!」

ぼろぼろと涙を零し、必死の形相でもがく芭蕉の顔を見ると更に酷くしたくなる。
髪を掴んでいた手を突き放すようにして解放してやると、芭蕉は雪崩れるように畳の上に倒れた。
曽良は傍でぐたっと転がっていたクマを掴むと、思い切りその顔にぶつけた。
バシィ、と布が頬を打つ音がした。

「ヒィィィ!」
「うるさいですよ、芭蕉さん。そのぐったりしたクマを口に詰めますよ」

そう言って、親指で先走りを吐く小さな穴をぐりぐりとこねてやる。

「あ、あ、」

芭蕉は転がったクマを手繰り寄せ、それを握り締めた。
畳に頬を押し付け、歯を食いしばって健気に声を抑えようとしているのが愛おしかった。
そんな芭蕉の努力にも関わらず、緩んだ口元からは次々と嬌声が漏れ出てしまっていたが。
足裏で幹全体を擦り上げると、芭蕉のものが脈打ち、限界の近さを示していた。
芭蕉自身、あともう少しも保たないことはわかっていたが、たかだか足で擦られただけでイくなど、年長のプライドが許さなかった。
芭蕉は目をしっかと瞑って、まだイくもんかまだイくもんか、と心の中で唱えた。

「とっととイってください」

つま先が芭蕉の一物を下へと滑り落ちる。
そして、いきがけの駄賃とばかりに陰嚢を軽く押しつぶし、尻の狭間へと滑り込んだ。
そのまま、濡れた親指に入口を探り当てられた。

「あ…っ」

すぼまりに指を押しあてられたまま、もう片方の足が幹を摩り、いよいよ限界が見える。
性器だけでなく、下腹から太腿までひくひくと震え、握りしめたクマのぬいぐるみには一層、圧がかかっていく。
ぐ、と力を込めて指先が、浅く孔にめり込んだ。

「いっ…ひ、あぁあ」

耐えきれずにとうとう芭蕉は気をやった。
白い粘液が曽良のしなやかな足に絡んだ。
ぐったりとしている師はそのままに、曽良は特に驚きも怒りもせず、手近な手拭いで丁寧にそれを拭き取った。
曽良は桟から降り、芭蕉の傍にしゃがむと、その顎を捕えて口付けた。
弛緩した舌をくすぐって深く吸う。
粘膜の撫ぜられる心地よさに芭蕉は身震いをした。
今日もまたなし崩しに抱かれるのかぁ、とぼんやり口づけに酔いながら芭蕉は思った。
が、曽良は口を離すと、そのまま己の床に潜り込んで微動だにしなくなった。
放っておかれた芭蕉は事態を呑み込めずに、数秒呆け、終にあわてて曽良の布団へとにじりよった。

「え…ちょっ…寝るの!?」
「なんですか。明日早いんですよ」
「いやいやだって曽良くん何にもしてないでしょ? 私を抱きたいんじゃないのそうなんじゃないの? え?」
「別に僕は芭蕉さんに突っ込みたいわけじゃないんで」

うるさくしたら口縫いとめますよ、と残酷な言葉を残して、弟子は瞼を閉じた。

「君は私をどうしたいんだよぉぉ!!」

更ける夜に芭蕉の泣き声だけが響いた。



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