バニラ・アイスクリーム氏の悲劇 -side B
そろりと覗いた薄暗い部屋の中は部屋の主の周りだけディスプレイから洩れる緑色の光が反射していた。
一歩二歩とゆっくり音を立てずに忍び寄る。
ディスプレイを眺めたり、手元の資料を読んだりと忙しそうな部屋主は相当集中しているらしく、部屋に侵入したことにも、背後に迫っていることにもきづいていないようだ。
1、2の3!
「遊んで、ドナテロー!」
「うわあああ」
後ろから思いっきり抱きつくと、ドナテロは本当に飛び上がらんばかりに驚く。
「やーい、驚いたー」
その背にしがみついたままけらけらとミケランジェロは笑う。
イラッとしたものの、構うと面白がるのは分かっているので、愉快犯に冷たい視線だけを送ってはぁ、と大きなため息をつくとドナテロはまた作業に戻る。
「僕は今忙しいからラフにでも遊んでもらってくれる?」
「残念!ラフは今レオとケンカ中」
「またやってんの…」
また、ため息が洩れる。
今、このかまって貰いたがりのお守りをしてくれるのは誰もいない、ということにドナテロは一気に疲れを感じる。
「だからさ、遊んで、ドナテロ」
密着したミケランジェロから甘いにおいが微かにしてくる。
お菓子の好きなこの兄弟からはスナックの匂いだったり、チョコレートの匂いだったりが常にするものだが、今日はバニラの匂いがする。
「はいはい、今度ね。っていうか、マイキー、アイスクリーム食べてきたでしょ?」
「え、何で分かったの?」
ビンゴ、とドナテロは心の中で呟く。
頭脳労働で糖分を消費した身体がミケランジェロの甘い匂いに反応する。
アイスクリームの白熊のようなアイボリーの色、舌に乗せた時の冷たくて甘い感覚を思い出すと、無性に食べたくなってくる。
「さーて、何でかな?」
「何で何で?ドナちゃん、もしかしてエスパー?」
うるさいミケランジェロを背から引き剥がしながら、ドナテロは椅子から立ち上がる。
「どこ行くの?」
「気分転換。僕もアイスクリームでも食べてくるよ」
ドナテロが両の目頭を指で押さえながら部屋の出口へと歩き始めるとミケランジェロも
「じゃあ、オイラも食べる」と嬉しそうについてくる。
「さっき食べたんだろ?そんなに甘いものばっかり食べてると太るぞ」
「だーいじょぶ、その分だけ動くも…ンッ!?」
部屋を出て直ぐのところで横から手が伸びてきてミケランジェロは強制的に口を噤ませられる。
何事だとドナテロの方を見ると、人差し指を唇に当てて、静かに、と無言で訴えられた。
当のドナテロは、少し困惑したような呆れたような表情をしていた。
口を覆っていたドナテロの手が離れてある方向を指し示す。
その先には吹き抜けで丸見えの階下のリビング。
少し奥まったそこには重なる影が見える。
「誰と誰がケンカ中だって?」
こそこそと話しかけてくるドナテロは不機嫌極まりない顔をして二人を親指で指す。
「……イチャイチャモードになってるみたい」
ミケランジェロも呆れたような笑みを浮かべてドナテロを見返した。
痴話喧嘩は犬も食わない、と言うが本当にしょうもないな、とドナテロは痛感した。
「でも…」、と見ているこちらが恥ずかしくなってくるような二人を見て思う。
バカみたいに甘くて幸せそうだ、と。
「うわー、キスしちゃってるよー」
「これじゃ、アイスクリームはおあずけだね。部屋戻るよ」
「ええ?おもしろくなりそうなのにー」
「覗きなんて趣味悪いよー。ほら、かまってあげるからおいで」
おもちゃを取り上げられてつまらなさそうにする子どものようなミケランジェロの腕を掴んで促すとぱっと顔色を変えてついてくる。
「え、かまってくれるの!ドナテロ、大好きー」
「はいはい、僕も大好きだよー」
「ドナちゃん、もしかして二人のラブラブが羨ましくなった?」
ドナテロは一瞬目を丸くする。
ミケランジェロの鋭さには時々舌を巻く。
「まぁね」
二人に当てられていない、というと嘘になる。
ドナテロはふっと笑うと、ちゅっと軽く音を立ててミケランジェロに口付けた。
また、バニラの匂いがした。
甘い空気は伝染するものらしい。
翌日、ドナテロは泣きそうなミケランジェロに叩き起こされることになった。
喉が渇いて水を飲みに言ったところ、リビングで一晩放置されて哀れにもどろどろの甘い液体になってしまった元アイスクリームを発見してしまったのである。
「オイラのアイスクリームちゃんがぁぁ…」
叩き起こされるのも、悲しそうなミケランジェロを見るのも嫌だが、結局バニラの匂いだけで一口もアイスクリームを食べられなかったことにドナテロは常ならぬ腹立たしさを覚えた。
アイスクリームの仇、と息巻く二人に先に起きてきたラファエロが犠牲になるのはそれから2時間後のこと。