逢魔ヶ時
ゆっくりと瞼を開けると、閉め切った木窓の隙間から光が一筋漏れて真っ暗な床に橙色の日溜りを作っていた。
光が洩れているということは、まだ日が沈みきっていない。
今日は少し早く目が覚めたようだ。
抱えて寝ていた刀を確認し、起き上がって着替えを始める。
刀を抱えて寝るのはいつ誰に襲撃されても良いようにと、師匠に教えられたことだった。
着替え終えると、思い切って窓を開けた。
瞬間、部屋中にオレンジ色が流れて来て、クライヴ自身もオレンジに染まってしまう。
どれくらいぶりに日の光を見たのだろうか。
落ち行く陽光だとしても、半ヴァンパイアの身には少々辛い。
窓からは遠くに広がる田畑と石造りの家々が見える。
どの家からも白い煙が上がって、人々の営みを感じさせる。
暖かな食事が用意され、畑仕事に精を出してきた男たちを女と子どもは笑顔で迎えるのだろう。
貧しい辺境の寒村でも健気に生きる人々の営み。
その暖かさを想像は出来ても感じたことは一度もない。
知らないものはそれを羨ましいと思うこともできない。
窓から離れ、机に向かう。
今日の明け方に村長から貰った村の地図を広げた。
この村も他の村と同じように村の真ん中には教会と広場がある。
そこを中心に放射線状に路地が走って家々が立ち並ぶ。
だが、村の西北、教会の裏手側には山につながる鬱蒼とした森があるために、扇状に村は発展している。
そして森の入り口付近が赤い丸で囲まれ、墓地と書いてある。
今朝聞き出したばかりの情報だ。
今回の相手がアンデッドか吸血鬼なのかはまだわからないが、
死体はそのまま葬られているらしいので、どちらにしろ墓地が危険なことに変わりはない。
地図を畳んで懐にしまうと、墓地の前にまずは階下で食事をしようとドアノブに手をかけた。
開けっ放しの窓の所為でオレンジ色に染まった部屋に急に黒い影が覆いかぶさってくる。
はっとして振り返ると逆光で真っ黒だが、見覚えのあるシルエットが桟に腰かけていた。
「クライヴ」
と声をかける影の表情は分からないが、薄笑いを浮かべているに違いなかった。
「レイブンルフト…!」
手にしていた刀の柄を取り、臨戦態勢に入る。
この間自ら姿を消したばかりの仇が目の前に現われるとは思いもよらず、
柄を握る手に冷たい汗が流れる。
レイブンルフトが桟から降りて部屋に入ってくる。
「何を興奮している。今夜は出かけても無駄だ」
「なんだと?」
一歩一歩レイブンルフトがゆっくりと近づいてくる。
「今日の食事はもう済ませてしまったからな」
近づくにつれ、レイブンルフトの表情がだんだんはっきりしてくる。
男の纏う血の生臭い臭気も一緒に濃くなってくる。
「ここの女は不味い」
と口端を長い舌で舐めながらレイブンルフトが呟く。
オレンジの世界から隔離された狭く暗い路地裏で、土気色した顔の女は虚ろな目を開いて今も倒れているのだろう。
近づく男を見据え、柄から刀身を抜いて切りかからなければならないはずが、血の臭いに酔ってしまって身体が動かない。
「お前を誘き寄せるためとはいえ、一週間もここの女の血を啜るのは辛かったぞ」
「こ…っの…!」
レイブンルフトはもはや眼前にせまっている。
情けなくも片膝をついてしまったが、顔だけはあげて必死に睨みつけた。
「血の臭いはお前には刺激が強すぎたか?」
レイブンルフトの節くれ立った手がクライヴの顎を捕らえる。
抗う間もなくもう片方の手で胸倉を掴まれたかと思うと、そのまま引っ張り上げられ、ドアに強か押さえつけられて蹂躙するような口付けが与えられた。
血の名残のある舌が口蓋や舌に絡んで、クライヴは快感なのか嫌悪なのか分からない興奮に襲われた。
実の父親にキスをされているという事がぼんやりとしこりのように頭の隅で引っかかって警鐘を鳴らす。
「…っはぁ…はッ」
窒息しそうなキスから解放されたかと思うと、身体が一瞬ふっと浮いて次の瞬間には
スプリングのきいていないベッドで背中を強かに打った。
衝撃から起き上がろうとするとすかさずレイブンルフトが圧し掛かってくる。
かろうじて握っていた刀は払いのけられ、派手な音を立てて部屋の隅に追いやられた。
「口直しをさせてもらうぞ」
と不敵に笑い、再び深く口付けを仕掛けてくる。
押し返そうと腕に力を入れるが血に酔っていては抵抗もままならない。
吐き気がするほど気持ち悪いと思う一方で、思考が霞むような感覚を心地よく思っている自分もいる。
人の理性が拒否していても、半分流れる魔の血がもっと血が欲しいと求めている。
「うっ、あ、あぁ…!」
「ほら、お前の本能が現われるぞ」
喜色ばんだレイブンルフトの声が聞こえる。
「違う…!」
レイブンルフトの手が身体のラインをなぞり、血の臭気に興奮して擡げる自身を撫で上げる。
「く…ッん」
鈍い快感が身体の中で燻る。
手の動きはどんどん大胆になり、ベルトが解かれて直に自身を握りこまれた。
一物に絶え間ない快楽を与えつつ、もう一方の手は裾から潜って腹を滑り、胸の突起を摘んだり、捏ねたりと更にクライヴを惑乱に陥れる。
憎い男の手で高められる屈辱と不慣れな強い快楽に目尻から涙が零れ落ちる。
「これしきで泣くとは、女どころか自分で慰めたこともないのか?」
師匠に性欲処理の仕方を教えられたことがあったが、憎悪に塗れた日々で自ら慰めなければならないほど性欲を感じることなどありはしなかった。
クライヴは真っ赤になった顔を背け、枕に押し付けた。
ズボンに手がかけられて「まずい」と思い、手を伸ばして引きとめようとしたが、振り切るように一気に抜かれ、先走りに濡れる下半身が露にされる。
「やめ…ろ」
血の臭いにもだんだんと慣れ、霞がかった思考が少しはっきりしてきた。
しかし、そのおかげで仇にいいように弄ばれているという屈辱もはっきりと身に染みることになった。
陰茎を弄んでいた指が奥の秘処へと這い、クライヴはびくりと身体を強張らせた。
「なにを…!」
慌てて身を捩って逃げようとするが、圧倒的な力にあっさりと押さえ込まれてしまう。
疎いクライヴにはレイブンルフトの行為の意味が分からなかった。
これから自分の身に何がおこるのかわからない不安と恐怖に目を瞑って耐えるしかない。
輪を描くように縁を擦る動きに時折様子を伺う様に指先に力が加えられたかと思うと、いきなり指を突き立てられた。
「いッ…た…」
荒い息を吐いて頭を仰け反らせる。
その顎を捕らえられて引き戻されると、垂れる長髪の間に深い青色の目とあった。
「黒い髪は私に似ているが、その紫の瞳はあの女のものだな。
涙に塗れたその色は美しかったぞ。ますますお前が欲しくなる」
まさか、レイブンルフトが母の事を覚えているとは思わなかった。
気まぐれに弄んだ女の一人、いくら子どもができたとはいえ、覚えているはずもないと思っていた。
だが、感傷的になるほど母親に深い想いもない。
自分を生んだ女というだけだ。
気を一瞬逸らされた隙に指が体内で蠢き始め、奇妙な感覚に太腿が痙攣する。
指が動く度にもたらされる鈍痛の中に腰が痺れるような疼きが混じり、自分でも信じられないほど甘い声があがる。
殺すでも痛めつけるだけでもないレイブンルフトの意図が全くわからなかった。
「はっ…何がしたいんだッ!」
とうとう耐え切れなくなって叫ぶと
レイブンルフトはにやりと笑って一点を強く抉った。
「ああぁあ!」
全身が粟立ち、自身がびくびくと痙攣して先走りをたらたらと零す。
「私はお前が私の血にもがき苦しみ、抗いきれずにこちらへ堕ちるのが見たい」
そう言ってレイブンルフトは指を引き抜くと、前を寛げていきり立つ自身を取り出した。
「父と姦通した罪をもつ者が天使の勇者でいられるか?」
クライヴの顔からさっと血の気が引く。
この男はどこまでも外道だ。
手足をばたつかせ、身を捩り、必死にもがく。
これ以上堕ちるわけにはいかない。
ラビエルの纏う柔らかい光が不意に思い起こされる。
自分の前に突如として舞い降りてきた天使に差し伸べられた光。
それを手繰ろうともがいてももがいても、こうして足元から絡めとられる。
この男は巧妙に手をまわし、じわじわと自分を闇に引きずり込もうとしているのだ。
押し退ける手は頭上で纏め上げられて抜き取られたベルトで拘束された。
膝裏を掴まれ、胸に着くほど持ち上げられて腰が浮く。
秘処に脈打つ男のものが宛がわれた。
逃げられはしないと男の眼が言っている。
「やめろッ!離せ!」
「もっと私を憎め」
ゆっくりと身体を引き裂くように楔が埋め込まれる。
あまりの質量と熱さに目の前が真っ赤に染まる。
「嫌だ、嫌だッ!いやだぁぁ!」
脳裏でラビエルに初めて出会った時の映像がフラッシュのように浮かぶ。
暗い墓地に降ってくる白い羽根、羽根、羽根。
そして降りてきたラビエルは光そのものだった。
ラビエルが助けに来てはくれないかと願ったが、視界のどこにも柔らかな光は見当たらなかった。
押し出そうと力を込めるが、それ以上の力で無理やり隘路が開かれる。
「全部入ったぞ…切れはしなかったようだな」
確かめるようにレイブンルフトがぐるりと銜え込んだ入り口をなぞる。
空気を求めてぱくぱくと口が動く。
どこかに縋りたいのに戒められた手ではそれもままならない。
少し萎れた陰茎にレイブンルフトの指が絡み、ゆっくりと扱き始める。
感じたくもないのに、愛撫を施されると疼くような快感が押し寄せてくる。
「あ、はぁ…」
「いい、か?」
レイブンルフトが嘲笑いながらゆるりと腰を揺する。
戦慄く内壁が反動で自身を締め上げ、さすがにきついのか、レイブンルフトが顔を顰める。
クライヴは首を横に振って嫌だと訴えるが、途切れ途切れに嬌声をあげているのでは
もっとしてくれと言っているようなものだ。
「はっ、身も世もなく啼かせてやろう。その方が屈辱も増すだろう?」
そう言ってレイブンルフトは腰を打ちつけ始める。
「…ッ、う…ぁ」
声を漏らすまいと歯を食い縛っても、性感を掠めるような動きに翻弄されて吐息が零れる。
わざと一番感じる場所を外して揺すり上げる動きに、もっと強い刺激が欲しいと無意識に腰が揺れる。
「…ぁッ、あ」
殺してやりたいほど憎い、しかも実の父親に犯されているというのに感じる浅ましい己の身が忌々しい。
この男と同じ、道徳や倫理を何とも思わぬ淫蕩な血が自分にも流れているのだと思い知る。
「我慢せずに啼け!ほら、いいと言ってみろ」
冷たい手がクライヴの涙を絡めて頬を擦る。
そして歯列をこじ開けるように口腔内に侵入してくる。
「んん…う、あ」
三本の指はまるで口腔を犯すように動いたかと思うとすぐに引き抜かれたが、開かされた口は弛緩し、閉じることもできず喘ぎと唾液が零れる。
それを見たレイブンルフトは一層激しく攻めたて始めた。
「ひッ…あぁぁっ…」
理性も羞恥もどろどろに熔け、全身が炙られるように熱かった。
脊髄を走る快感に身を捩じらせ、離すまいと男の腰に自ら脚を絡める。
レイブンルフトが身を屈め、首筋に舌を這わせてくる。
「クライヴ、クライヴ、我が息子よ」
レイブンルフトの低く呻くような声は恍惚とした色を含み、血を分けた子を抱くという興奮に酔っているのかもしれなかった。
血管を確かめるように何度も何度も舌が往復し、時折当たる鋭い歯の感触に何度も身を竦ませた。
その緊張のせいで銜え込んだ雄身を締め付け、恐怖と紙一重の快楽を享受することになる。
「あ、あぁ…も、もう…いっ…ぅああッ!」
抜けてしまうギリギリまで引き抜き、一気に突き入れる。
限界が近いのか、クライヴは濃い体液を零す自身をレイブンルフトの腹に擦り付けるように腰を閃かせている。
「イけ…!」
「ッああぁぁ!」
揺らめく腰を押さえつけ、深く抉るように突き入れると同時に尿道を親指の腹でくじってやると、クライヴは背を弓形に撓ませて白濁をレイブンルフトの手中に放った。
引き絞るような内壁に促され、レイブンルフトも極めた余韻で戦慄くクライヴの体内で果てる。
今まで感じたことのない激しい絶頂にクライヴはぐったりと虚脱し、意識は明滅を繰り返していた。
レイブンルフトはベッドを降り、乱れた着衣を整えると窓辺に歩み寄った。
とっぷりと日は暮れ、爪のような三日月が夜空に昇っていた。
「お前を王子として迎える準備はしてある。
もっと私を憎むがいい。
その憎しみでお前が血に負け、私の前に跪く日を待っているぞ」
指先一つも動かせないクライヴに向かって独白するようにそう告げると、窓を蹴ってレイブンルフトは闇の中に紛れて消えた。
月明かりの差す部屋の中、クライヴはまどろみを感じながらとうとう戻れないところまで堕ちてしまったと思った。
闇の血を持った自分がまっとうに生きられるはずもない。
ましてや天使の勇者なんて大それたことができるはずもない。
それなのに、必死で頼み込んでくるラビエルに絆されて、その光で自分も救われるかもしれないと淡い期待を抱いたことも馬鹿らしい。
天使ですら救いがたい己の存在。
乾いた笑いが零れてくる。
もうラビエルに会うこともない。
全ての元凶、アンデッドの王を殺し、自らの命も絶って全てを独りで終わらせるしかない。
レイブンルフトの思惑通り、長年燻り続けた憎悪の炎は勢いを増し、身の内を焦がしてクライヴ自身を飲み込もうとしていた。