ひ
ざ
まくら
ひざまくら
「いやぁ、今日も1日いいお天気ですね!」
「夏島の春は気候が安定するからね。ナミもしばらく『雨は降らない』って予報していたし。」
「…しっかしコイツはよく寝るな」
まどろんだ意識の中、自分の近くでそんな会話が交わされていることに、気付いていないわけではなかった。
「ヨホホ、随分気持ちいいのでしょうね。こんなに側で話していても目を覚ましませんよ」
「ソイツがそんな神経質なタマか。叩いたくらいじゃ起きねぇんじゃねぇか。試してみろよ、ブルック」
「そうですね、ゾロさーん、起きてくださーい」
「あら、本当に起きないわね」
「ゾロさーん」
ぐらぐらと、体が揺れている感覚も何となく感じた気がしている。おそらく。
それでも、その程度の刺激は俺の目を覚ますに及ばず。
「「「あ。」」」
そこで、目が覚めてりゃこんなことにはならなかったんだ。
ちらちらと耳の中に入ってくる音は、だんだん形を伴って言葉となり、
頭の底から意識を引っ張り上げて、ようやく仲間の声となる。
あぁ、チョッパーが側で喋ってやがる。
そう思い至った所で目が覚めた。何だか声が妙に近いのが気にかかる。
「…から。ダイニングでサンジが待ってるぞ」
「そうですね、じゃあそろそろ起きてもらわなくちゃ」
「おぅ…なぁ、ブルック。足痺れないか?」
妙なことを言うな、と思った。そして、視界が回転していることにも気が付いた。
何故か見えるのはチョッパーの蹄のついた足と緑の芝生で。
寝はじめた時は船壁に寄り掛かっていたはずなのに、今背中に壁を感じない。
その代わり、頭の下に
「いえ、大丈夫です」
「でも結構長い時間ゾロ乗せてたんだろ?フランキーが言ってたぞ」
ゴツ、とした感触。
まさかこれは。
いやな汗を感じながらぐいと頭を捻ると、
「あ、ゾロさん起きましたか?」
真っ青な空を隠すように、ブルックの顔。
目を覚ましたばかりの、動きが鈍い頭の中を、ものすごい勢いで先程のチョッパーとブルックの会話が駆け巡る。
俺は、コイツの脚の上で寝てたのか?
「ゾロ、おやつできたからダイニングに取りに来いって。サンジが言ってたぞ」
「ヨホホ、早く行かないとルフィさんに取られてしまうかもしれませんね」
え、それは困るぞ!とチョッパーは心の底から大変だと思った顔をした。
その様子にまたヨホホと可笑しそうに笑ったブルックは、チョッパーさんお先にどうぞと続ける。
…いや、こんな会話を実況している場合ではないのだ。
「ゾロ、ブルックが脚痛めるかもしれないから早めにどくんだぞ」
言われて、俺はようやくガバリと起き上がった。
そんな俺を振り返ることもなく、チョッパーは急ぎ足でパタパタとダイニングを目指した。
残されたのは、何故か知らないが楽しそうなブルックと、気まずくて仕方のない自分。
ガリガリと頭を掻けば、それも気まずさを体言しているようで堂々巡り。
「あー、悪ぃ。寝てた。」
何言ってるんだ、当たり前だろうが。
「はい、よく寝てらっしゃいました」
ヨホホ、とブルックが高らかに笑うのもまたいたたまれなくて、視線が逃げる。
「その、長いこと俺は…乗ってたのか、お前の」
「あぁ、お気になさらないでください。私何ともありませんから」
俺が言葉につまっている原因を取り違えて、ブルックは長い脚をバタバタと動かしてみせた。
「ヨホホ、でもこんな骸骨のひざ枕じゃ寝にくかったでしょうに」
「そんなことはねぇよ」
即答してから、何を言ってんだと後悔する。
ついでにひざ枕という単語に動揺している自分に気付く。
どうも先程から分が悪い。俺ばかり空回りして、何も知らないから呑気なブルックはどこまでも呑気で。
ヨホホ、それはよかったです!なんて弾んだ声で言われてしまえば、せっかく合わせた視線がまた逃げる。
これ以上時間を使ってもこの個人的な泥沼から抜けられないことはわかっていたので、立ち上がった。
それでも多少の気まずさは拭えず、右手は相変わらず頭をガリガリ掻いている。
「…悪かった」
「いえいえ、ですからお気になさらず」
ブルックはそう繰り返しても俺の眉間の皺が取れないのを見て、口を閉じて少し考え、
「…では、今度何かお返しをしてもらいましょう」
と言って楽しそうに立ち上がった。
さてダイニングに向かいましょうか、とか
お待たせしてサンジさん怒ってるでしょうかね、とか
後ろ手に握ったステッキをご機嫌に揺らしつつ喋るブルックの背中を追いながら、
どうしてこんなに自分が動揺しているのか、の理由について思い当たりそうになって頭を振った。
その日の夜は宴会だった。名目はすでに覚えていない。
元々祭好きな連中に、あんな賑やかな音楽家を仲間に加えてしまったのだから、
総大将である船長の気分が盛り上がり安くなっているのも道理で。
フランキーが即席で作った大テーブルを芝生の甲板に出して、
興に乗じてコックの作った色鮮やかな魚の大皿料理が並べられ、
陽気なバイオリンの調べと仲間達の笑い声が重なり、今宵の夕餉も随分盛り上がった。
水面に沈む夕日を見ながらの酒も美味かった。
そんな夜も更けて。
テーブルの上の皿はどこに何の料理が乗っていたのか思い出せない程綺麗に食べ尽くされ、
その反動のようにテーブルクロスはめちゃくちゃに汚れている。
いつもは目くじら立ててマナーがどうのと怒るコックも、これも宴が盛り上がった証と思うことにしたのか
今日は何も言わなかった。
それとも場所がダイニングで無い、ということが大きいのだろうか。
そんなどうでもいいことを考えながら船壁に背中を付ける。
すでにテーブルの周りに人はいない。皆パラパラとあちこちに散ってしまっていた。
先程まで台風のように話し声やら笑い声やらで騒がしかった船上が嘘のように、
今はナミとロビンの小さな話し声がさざ波のように静かに響くのみだ。
このまま寝ちまうか、と欠伸をしながら思う。
キープしていた酒瓶も空になった所だ。
夏島らしく、夜に吹く風もぬるく心地よい。
あぁいい夜だった、と瞼を閉じて意識をシャットダウン仕掛けた所で、足音がした。
俺の側の芝生を優しく踏む、軽やかな気配。
「…ブルック」
「ヨホ、失礼。起こしましたか?」
チョコ、とシルクハットを上げて挨拶。
見上げるのが困難な程の大男なのに、コイツが纏う雰囲気はいつも柔らかく優しい。
「いや、寝入るとこだった。」
「それはそれは。お邪魔ですか?」
「別に構わねぇよ」
しばらく、視線だけ見上げる俺と体ごと見下ろしているブルックで固まる。
…これは一体何の間だ?
考えている内に昼間のことを思い出し、ムズムズと背中の方から気まずさが這い上ってくる。
「…何だよ、ブルック」
「いえ、別に」
風だけが妙に柔らかいのが気にくわない。
いろいろに耐えられなくなり、俺は不器用に言葉を繋げてしまう。
「別にって、何かあんだろ。何だよ」
「…」
「ブルック。」
「…では、失礼します。」
そう言うと、ブルックは俺の脚の上にコロリと横になった。
「な!ブル、」
「昼間のお返しです」
驚きの割に、言葉は感情に追い付かない。
ヨホホホホ、と愉快そうに笑うブルックに合わせて脚の上のアフロが揺れる。
それが、吹いてくる夜風よりも柔らかいと、感じてしまったのだから俺はもう重症だ。
もう何も言えなくて(どうせ何か言ったって薮蛇だ)、
ブルックを脚に乗せたまま、夜風に当たる。
ビロードのような滑らかな夜空の黒は、この優しい骸骨の瞳の空洞によく似ている。
「…具合はいいかよ」
「えぇ、とっても!ゾロさん越しに夜空が見えて、星が綺麗です!」
やっぱり何も言わなきゃ良かった。
自分の顔がどうなっているかわからなかったので、ぐいと上を見上げてごまかす。
確かに、今日の星は見事だ。
酒のせいでない酔いが、視界を緩くくるりと廻して、
妙に暖かい心臓の訳に、答えを出すのはとりあえず後にすることにした。
今じゃあまりに的確すぎる。
「…いつまでこうしてりゃいいんだ?」
「そうですねぇ…あ、さっきナミさんにこの海域でしか見れない星座を教えてもらったんですよ!
では、それが見つかるまでということで。」
「あぁ、そうかよ」
ならなるべく永いこと、見つかってくれるなよ、と
俺は見ているはずもない銀の星の群れに目配せをした。