彼の人に雪を見る


彼の人に雪を見る


夕方、出て行ったゾロと入れ違いにキッチンに入ったとき
ダイニングテーブルに手を置いて、立ったまま煙草を吸っていたサンジの顔に少し引っ掛かった。
何か悩んでるのか?と聞いたら、
サンジはほんの少し目を丸くして、それから煙草を加えたまま笑って
チョッパーは目敏いな、さすが名医だよ、と
帽子の上からくしゃくしゃ頭を撫でられた。

こっそり後ろから近付き、冷蔵庫の鍵と格闘していたルフィを
叱り飛ばしたサンジはもういつもの調子だったので、
俺はひとまず安心してサンジに夕飯の催促をし、キッチンを出た。
出ていくときに、チラリと、水切り籠に白くて綺麗なティーカップが伏せてあるのが見えた。



その日の夜、俺は見張りだった。
今船は波を割って、冬島の海域を進んでいる。
毛布を片手に男部屋を出れば、キンキンに冷やされた夜の冷気に抱きしめられる。
ふぁぁ、と思わず出てしまった欠伸は、
真っ白なもやもやになって、夜に混ざっていった。

サニー号は前のメリーと違って、見張り台が室内にある。
俺は寒いのは平気だけど、
ウソップなんかはこういう時にありがてぇよな、なんて昨日しみじみ言っていた。
そういうもんか、なんて思いながら扉を開けて、びっくりした。
展望室に、交代するはずのブルックがいなかったのだ。

見張りを忘れている、ということはないはずだ。
数時間前、皆で寝室に向かうとき「
私、今日はこっちですので」と言って展望室の方へ向かうブルックとすれ違っている。
じゃあ一体どこにいるんだろう。
トイレかな?とキョロキョロしてみると、
梯子の上に繋がっている扉が開いていた。


展望室のさらに上。
フランキーいわく「本当の景色を楽しむために」作られたサニー号のてっぺん。
いつもはナミとかルフィが海を見て楽しむぐらいにしか使っていないスペースに、ブルックは立っていた。
元々大きいのにさらに足元から見上げる形になったため、
その姿はまるで月に届いてしまいそうに見えた。


「ブルック。」

声をかけると、ちょっとだけびっくりしたみたいで
ひゅっと肩を竦めてから振り向いた。
ブルックは服も髪も全身黒いから、夜に溶けてしまいそうで
後ろに背負う銀の星はそのままブルックにまぶされてるみたいだ。

「チョッパーさん。失礼しました。
 少し見たら戻るつもりだったのですが、思ったより長居してしまいましたね。」
「何を見てたんだ?」

何も考えず投げかけた質問だったのに、ブルックは黙ってしまった。
ちょこん、と壁に背をつけ座って待ってみると、一度閉じてしまったブルックの口がまた開く。


「…夜を、見ていました。」
「夜?夜空ってことか?」
「いえ、空も、星も、波も全部。今日は静かないい夜ですね。」

言われて、ザザ、ザザと控えめに響く潮騒が耳に入ってきた。
墨で満たされてるみたいな夜の海は、とっぷりと黒くて少し怖かったけれど
波打つ音だけは子守唄みたいに優しい。


「…一日の終わりとはじまりが、こんなに穏やかだったなんて、私初めて知りました。」


ブルックの言葉はさざ波のように優しくて、
その声色も凪いだみたいに静かな落ち着きに満ちていたのに。
『穏やかだった』と表現したブルックが、何だかとても悲しかった。

「チョッパーさんは交代に来てくれたんですよね。
 私はもうしばらくここにいますから、チョッパーさんはどうぞ暖かい所へ」

展望台の縁にかけたブルックの指は、細くて白くて、
なんだかその色は、あのドクトリーヌの城の誰も入らなくなった部屋の窓に出来た氷柱に似ていて、
きっとブルックの指はこの冬島海域の寒さで、
その氷と同じ温度に冷えてしまってるんだと思ったら
やっぱり泣きたいような気持ちになって、

「いいんだ!俺、今日はここで見張りするぞ!」

俺も、いっしょに夜を見るんだ、と。
そう叫んで、じっとブルックを見つめた。
体でこちらに振り向いたブルックの、氷雪のような白くて細い指先は
一瞬空を掴むような動きをしてから、ゆっくりと降ろされた。


「…ヨホホ。お寒くありませんか?」
「俺、寒さには強いから。毛布もあるし。
 ブルックこそ、ずっと外にいたんだろ?体冷えてないか?」
「えぇ、大丈夫です。私は、寒くありません」

その台詞も、やっぱり穏やかで優しかったのに。
それでも何かが欠けてる気がして、心臓がキュッと小さくなったみたいに切なくて。
ブルックのシルクハットが少しだけ触れている月も、
今日に限って折れてしまいそうなか細い三日月なものだから。
俺は、たまらなくなってブルックに毛布を引っ掛けて、布ごと抱き着いた。

「ヨホ!どうしました?危ないですよ、私落ちちゃいます。」
「…さっきの嘘だ、やっぱり俺寒い。」
「ですから展望室に、」
「でも俺も夜見たいんだ」
「だったら毛布、」
「いっしょに入ろうブルック。そっちの方があったかいぞ!」

キョトン、と俺を見つめ返してくるブルックの顔が可笑しくて。
ちょっと笑ってしまった俺にヨホホ、と笑い返してくれたその声は
素直に優しくて安心した。



二人で大きな毛布に包まりぬくぬくと。
俺の毛皮に触れるブルックのスーツは、
やっぱり冷気に冷やされて霜が下りてるんじゃないかと思う程冷たかった。

「…チョッパーさん、私冷たくないですか?」
「大丈夫。俺、あったかいから。
 あのな、ブルック。昔ドクターが教えてくれたんだけど、
 熱って、あったかい方から冷たい方へ移動するんだって」

洞窟のようなあの懐かしい我が家で、
実験器具を前に嬉しそうに語ってくれたドクターの笑顔を思い出す。

いいか、チョッパー。
あったかい奴ってのは、冷えちまった奴の側にいるだけで、その熱を分けてやれるんだ。
そして、

「それで、同じ温度になったら熱の移動が終わるんだ。」

いっしょに、お揃いにあったかくなる。
それが、自然というでっかい神様が決めた優しい摂理。

「だから、こうしてたらブルックも俺と同じ温度だ。すぐあったかくなるぞ。」
「…そう、ですね。ヨホホ」

夜に遠慮したような小さな笑いだったけど、その声が今日で一番優しかった。


「今日は、本当にいい夜です!」


毛布の中で、ブルックの指はだんだん暖かくなっていく。
月に照らされたブルックの白い横顔は、俺の好きな雪の色だ。



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