太陽


 子どもの頃、移動教室の帰りにお土産屋で一枚のポストカードを見つけた。夕暮れ時の海辺、蜜柑のような
夕陽が、空を茜色に染めながら水平線の向こうに沈んでいく光景。体を半分ほど沈めて、昼間は人間の目を潰
さんばかりに強い太陽が、眺めることを許可してくれるかのように柔らかく光っていた。夕焼けの光を受けて
シルエットになった人間と、彼の弾き飛ばしたビーチボールだけが、そのポストカードの中で唯一黒い影になっ
ていた。
 小学生だった俺はその光景に酷く憧れた。あの燃えるような夕焼けを自分の目で見たいと、卒業まであと僅
かとなった時期にずっと考えていたし、中学、高校と進んでいった時にも密かに胸の中でくすぶり続けていた
夢のような物だった。

 ひょんなことから芸能プロダクションのプロデューサーとなってから二年以上が経った今、その光景は俺の
目の前にあった。水平線に体を沈めていく太陽は、直視しても目を細めずに済む程度の穏やかな光を放ってい
る。規則的に打ち寄せる波の音と、時折吹き付ける緩やかな風が頬を撫でる中、頭の中で美化され続けてきた
風景なんて問題にもならないほどの、圧倒的な存在感を太陽は放っていた。
 あのポストカードに写っていた風景はこの海岸のものであるらしいことを、この島で小売業を営む婦人の口
から知った。思わぬ形でガキだった俺の密かな夢を叶えてくれた張本人は、砂浜に刺したパラソルの下ですや
すやと寝息を立てている。海水浴を楽しむ客もまばらになってきて、砂浜から人の姿が減ってきていた。
 「それにしても……よく寝るなぁ」
 青いレジャーシートに、トレードマークの長い金髪が散っている。うつぶせになって昼寝タイムを満喫する
美希は、昨日海外ロケの全日程を無事に終了した所だった。予備日として予定を取っておいた今日はまる一日
がオフ。時間の使い方が少々勿体無い気がするが、水の温かい海でスイミングを楽しんだ後は、暖かい南国の
空気が馴染むのか、こうして眠りについている。
 弱冠十六歳にして、星井美希はすっかり「ビジュアルクイーン」の通り名で知られるスーパーアイドルとな
っていた。ビジュアル系アイドルの代名詞と言っても最早過言では無い。美しい物を追い求める才能に関して
美希の右に出る者はそうそういない、と俺は自信を持って言える。

 思えば遠くまで来たものだ。出会った当初はマイペース過ぎるほどのマイペース少女で、自由奔放と言えば
聞こえはいいが「ダラダラ生きる無気力人間」だった。取り得と言えば目立ちすぎるほどに目立つルックスと
年齢に似合わない抜群のスタイルぐらいのもので、仕事に遅刻、場の雰囲気を読んだ配慮というものはまず無
いし、営業先で失礼な態度を取るのはごくごく当たり前。世間知らずというにもあまりに物を知らない美希と
は、ミーティングするのも苦労したものだった。
 それが今、ショービジネス界の頂点に君臨する者の一人となって、こうして海外の高級ホテルを数日間借り
てロケに来るのもそう珍しくないことになっている。日本に戻れば今度はコンサートツアーだ。タレントとし
ての地位が上がっていくに連れて、スケジュールもどんどん過密になっていく。しかし、世間知らずのグータ
ラだったあの美希も自分なりに仕事のやりがいを見つけたのか、引き締まった表情を見せて積極的に取り組ん
でくれるようになってくれた。
 「美希、そろそろ起きないと体冷やすぞ」
 「……すう、すう……」
 とはいえ、一旦仕事を離れてしまえば、この通り。緊張感も何も無く、日頃の忙しさなどどこ吹く風、と実
に呑気なものだ。俺はといえば、折角オフを貰っても仕事のことばかりつい頭に浮かんでしまうというのに。

 しばらく前からは、オフを取るとプライベートで美希と遊ぶことが多くなっていた。活動の一つの区切りと
して行ったドームでのコンサートの帰り道で、俺とのユニットを解消することを嫌がって引退までほのめかし
た美希との約束だった。もっとも、義務感からそうしていたという訳でもなく、仕事から離れて美希と過ごす
休日は純粋に楽しいものだった。どこかへ遊びに行くことが多かったが、俺のマンションに立ち寄ってそのま
ま一日をまったりと寝て過ごすこともあった。
 トモダチ、という関係を表面上は貫いているが、実際はもうトモダチ以上に踏み込んだ領域にいるのかもし
れない。以前よりも美希からのボディタッチが増えてスキンシップを取る機会が増えたし、遊びに行く時に腕
を組んで歩くこともあった。アイドルとプロデューサーという関係でもある以上、俺から美希に手を出すよう
なことは避けてきたが、澄み渡ったピュアな表情でくつろいだり笑ったりする美希に、打算計算も渦巻く仕事
に生きる俺は癒しのような物を感じていた。彼女と一緒に過ごす時間を求めている自分に気が付くまでにそう
時間はかからなかった。
 
 ビーチから人がほとんどいなくなったのを見計らって、シートに下ろした腰を持ち上げる。今だったら、少
しぐらい席を外しても平気だろう。念のために、美希の背中に大きなタオルを被せておく。
 夕暮れ時の日差しは柔らかい。水平線に半分以上隠れた太陽に吸い寄せられるように、俺は歩き出した。波
打ち際をずかずか歩いていくと、冷たくなりかけている海水の温度を足先に感じた。そのまま、ざばざば音を
立て、押し返してくる波の心地良い抵抗を感じながら、沖へ向かってひたすら歩き続ける。ずっと歩いていけ
ば、あの太陽に手が届きそうな気がした。しかし、常識で考えれば当たり前のことだが太陽に手なんて届くわ
けがない。肩まで海水に浸かる所まで歩いてきた所で、やっぱりそうだよな、と溜め息が漏れた。
 『ミキね、さっき男の人に声かけられちゃった』
 仕事の度に俺が当たり前のように耳にしていた言葉だった。この島へロケに来た時も美希はナンパに遭って
いたし、先ほどビーチで俺が買い物に行っている間に美希に言い寄っている男もいた。デビュー当時から、美
希が男に声をかけられるのはごくごく日常的なことで、仕事先で俳優や男性アイドルからデートに誘われたと
いう話も今までに幾度と無く聞いていた。学校で男子から告白された回数なんか数え切れないほどらしい。

 いつからだったのだろう。笑って聞き流していたはずの話を聞く度に苦しい思いが込み上げ、不安に駆られ
るようになったのは。それは単に、アイドルである美希のスキャンダルを忌み嫌うという事情だけから来る気
持で無いことは、すぐに自覚できた。……ただ、認めたくなかっただけで。
 俺は思う。美希にとって俺はプロデューサーだが、その役割を取り除いたら、俺は彼女にとってどういう存
在になるのだろう。ただ、一緒に過ごしていた時間が長いから仲がいいだけで、実際は美希が慣れた様子であ
しらい続けてきた有象無象の男達の一人に過ぎないのだろうか。芸能界にいる以上、美希が男を見る目も相当
肥えているはず。そんな美希のお眼鏡に適う男が出てきた時、俺は冷静なプロデューサーであり続けられるの
だろうか。そうでなければならないが、そうできるかは甚だ疑問だった。
 それ以前に、担当アイドルに情熱的な感情を抱いている自分はプロデューサー失格なのかもしれない。

 暗い気持ちになりかけていたその時、ザバッと水面を貫く音と共に後ろから突然何かが体に絡み付いてきた。
背中側から首に何かが巻きついてきて、その二本の何かとは別の硬い物が腹の辺りに絡みつき、そのままがっ
ちり張り付いた。タコにしては太過ぎるし、骨が入っているような感触。いったい何の生物だ。
 「あはっ、プロデューサーさんゲットなの」
 俺がそんな突然の事態に泡を食っていると、聞きなれた呑気な声が後ろから聞こえた。
 「美希……驚かすなよ」
 ビーチで寝そべっていたはずの美希が俺の首に腕を巻きつけ、脚で俺の胴にしがみついていた。ここからで
はよく見えないが、端から見たらコアラの親子みたいな格好になっているはずだ。いつの間にか美希は俺の背
後を取っていたわけだが、歩くにせよ泳ぐにせよ水の音一つせずに忍び寄ってこれたのはどういうわけだろう。
ただ単に、俺が美希の接近に気付かないほどボーッとしていたのだろうか。
 「潜ってきたんだよ」
 と、美希。なんだそういうことか。

 「ほら美希、下りて下りて。背中に当たってるから」
 「無理だよ。ここじゃミキ、足届かないもん」
 俺が肩まで浸かる深さだから、美希がここで降りられないのは納得だ。しかし肩甲骨の辺りには、年月を経
た今でも歳不相応なサイズの、女性特有のとても柔らかい物が遠慮無しに押し付けられていて、俺の道徳観が
揺らぐ。このままでは変な気を起こしてしまいそうだった。
 「ねえ、何かあったの?」
 俺の気持ちなんか知ったこっちゃないのか、美希はしがみついたまま背中から離れようとせず、それどころ
かますます肌を密着させてくる。自分の容姿やスタイルをはっきり自覚した上でこういったくっつき方をして
くるのだから、凶悪の一言だ。水着の無い部分で直接触れる、はちきれそうな素肌の感触が苦しいぐらいだ。
 「悩んでるみたいに見えたから」
 どうしてそんなことを、と訊き返す俺に、美希はそう答えた。
 「悩んでる……確かにそうだな。仕事が充実してるのは嬉しいけど、休み、もっと取れないかな、って」
 適当な言い訳を用意してお茶を濁す。
 「あー……そうだね。ミキもお仕事は楽しいけど、今日みたいにのんびり休めたらいいって思うな」
 正面から風が吹きつけてきた。波に体をさらわれないよう、足の指に力が入る。
 「たまにはサボっちゃおうよ」
 ぽつりと美希が言った。
 「ダメ。やることはちゃんとやりなさい」
 「……はーい」
 にべもなく言い放つ俺に、美希は低いトーンで、しかしどこか楽しそうな色を含ませた声で返事をした。
 「プロデューサーさんってさ、ミキが悪いことしたら叱るよね」
 「そりゃ当たり前だろう。別に俺のは叱るってほどでも無いと思うけど」
 「……ミキの周りの人は、ミキのことを叱ってくれないの」
 抑揚の無い、ガッカリしたような声だった。
 「お姉ちゃんとプロデューサーさんぐらいだよ、ちゃんと叱ってくれるの」
 「律子は?」
 「あ、律子……さんも。律子さんはちょっと怖いけど」
 付け足すように美希は言って、鼻から息を吐いた。
 律子は新しい事務所を立てて俺の先輩と一緒に765プロを離れていったらしいが、最近どうしているのだろう。
あそこの事務所に所属するタレントもテレビで頻繁に見かけるようになったし、概ね順調なのだろう。先輩の
後について行って色々と研修していた頃にあれやこれやと話をしたことが懐かしい。
 「叱られないのが嫌なのか?」
 「……そうじゃないんだけど……ねぇプロデューサーさん、『叱る』って勇気がいることなんだよね」
 「勇気?」
 「お姉ちゃんが教育実習から帰ってきた時に言ってたの。『生徒を叱るって勇気がいる』って」
 それは一理あるかもしれない。相手の間違いを正すことが目的だから自分が間違っていてはならないし、言
うからには自らが手本になるべき存在で無くてはならない。言われた方も素直にこちらの言葉を受け入れてく
れない可能性だってある。相手から反感を買うことだってあるだろうし、咎められてしょんぼりした姿であっ
ても、ムカッと来て苛立つ姿であっても、そんな様子を見せられると相手を傷つけてしまったような気になっ
て、こちら側も心が痛むのだ。
 「ミキは家族だからあれこれ言っても大丈夫だけど、生徒を叱った時は、嫌われちゃうんじゃないかって不
安になった、って言ってたの」
 「そう言えば俺も、美希がデビューしたばっかりの頃は、一言諭す度に『言い過ぎたかも』って緊張してた
よ。でも、多少イヤな印象持たれたとしても、きっちり言わなきゃ美希のためにならないからな」
 「あ、それ、ミキを叱った時にお姉ちゃんも言ってた。言わなきゃミキのためにならないって」
 「ま、でも、あの頃と比べると美希は随分しっかりしてきたと思うよ。仕事中の顔つきがまるで違う。ただ
顔が可愛いだけだったらここまでにはなれなかったよ。真剣に仕事に取り組むようになってからの人気の上が
り方、凄かっただろ?」
 「……ミキは、プロデューサーさんの言う通りにしてただけだよ」
 首にしがみついた手から伸びた指が、俺の鎖骨をなぞった。水平線の上に乗った太陽はもう半分以上沈んで
しまっていて、海水の温度も冷たく感じられるようになってきた。
 「それで、美希の周りの人が美希を叱ってくれない、っていうのは?」
 「うん。ミキが悪いことしたな、って思って謝っても、『ミキは悪くないよ』『ミキはそれでいいんだよ』
って、そればっかり。学校の友達とか、パパやママだってそうなんだもん。怒られてばっかりはヤだけど、笑
って許してくれるばっかりで何も言ってくれないのも寂しいの……」
 美希が周囲から甘やかされて育ってきたというのは、仕事を一緒にしている内にすぐ分かった。両親の教育
方針がぬるい、というのも、早い内から感じていた。だからこそ、美希のお姉さんは美希に厳しく接するのか
もしれない。美希が言うには、それでも姉妹関係は良好らしい。信頼関係が成り立っているのだろう。
 まぁ、周囲の人の気持ちも理解できないではない。変にひねくれていないだけ、キツイ一言を言った時に返
ってくる純粋な反応に後ろめたい感情を呼び覚まされるのだろう。かといって何でもかんでも許容するのは怠
慢とも言えるが。
 「ちゃんと叱ってもらえると『あ、この人はミキのことを真面目に考えてくれてるんだ』って思って、言わ
れた瞬間はちょっとヤな気分だけど、後からあったかい気持ちになるの」
 「そっか。じゃあ、俺のやってきたことは間違いじゃなかった、ってワケだ」
 「間違いなんてとんでもないよ! ミキをトップアイドルにして、こんな所まで連れて来てくれた……そん
な凄いプロデューサーさんのこと、ミキは、す……じゃなくて、尊敬してるよ」
 ──す? 今、何かを言い直していたようだけど……まさか。
 気のせいだよな、きっと。そんな都合のいいこと、あるわけが無い。
 「ははっ、そりゃ光栄だな。じゃ、冷えて来たところだし、そろそろホテルに戻ろうか」
 「なら、このまんま岸までおんぶしてね」
 「……分かったよ」
 背中から下りてもらおうかと思った所で、美希は足が届かないということを思い出し、そのまま美希の言葉
に従って岸の方まで歩いていくことにした。後ろを振り向いて歩いていると、押し寄せてくる波に背中を押さ
れているようだった。

 「ミキね、さっきまた男の人に声かけられたよ」
 「え、またか。俺がこっちに来てる間?」
 「うん、ガイジンさんだった。カッコよかったけど言葉が分からないし、スルーしちゃった」
 安心したと同時に、胸がちくりと痛む。
 「……そうか」
 「だって顔と体しか見てないんだもん」
 「中身をよく知らないとどうしても外見重視になっちゃうから、それはどうしようも無いな」
 「中身かぁ……プロデューサーさんはよく知ってるよね」
 「そうだな。昔は怠け者だったけど、頑張るようになったよ。苦労を知らなかったってだけで、根は素直な
いい子だしな。近くで見てるからよく分かる」
 俺がそう言うと、呑気に喋っていた美希がぴたりと押し黙った。
 海の水位は俺の腰の下までになっていて、しがみついていた腕と脚からするりと力が抜け、ざぼんと水の音
と共に美希が体を下ろした。
 いきなりどうしたのかと後ろを振り向いてみると、そこには真面目な顔をした美希の姿があった。茜色の夕
焼け空の下で優しい光を浴びて、海水に濡れた金髪がオレンジ色にキラキラ輝いていた。腰まで水に浸かり、
波の音と太陽を背にして立つ美希の姿はどこか幻想的で、現実離れした美しさだった。
 すっかり見慣れた顔なのに、見惚れたまま目を離せなくなってしまいそうだった。
 「美希、どうしたんだ?」
 「……うん、やっぱり言う、今言わなきゃ」
 相手に言い聞かせる気は無さそうな、自分だけに向けた言葉だった。肘から伸びた細い腕に筋が走った。拳
を握り締めたのだろうか。

 「プロデューサーさん、聞いて欲しいことがあるの」
 いつになく真剣な、翡翠色の瞳が俺を真っ直ぐに見つめた。美希がそう言った瞬間、大きな波が美希の背後
から打ちつけてきて、バランスを崩して俺の方に細い体が倒れこんできた。手を伸ばして美希の肩を掴んで支
えると、美希は胸元で握り締めていた拳を開き、俺の上腕を掴んだ。

 「…………好きです」

 美希が独り言を呟くように、だがしっかりと俺の目を見つめながら言った。たった四文字だけの究極にシン
プルな、それでいて頭が沸騰してしまうほど強力な呪文だった。
 ステージの直前でもリラックスできるようになり、緊張感を完全に征服できていた美希が、全身をガチガチ
に硬直させていた。潮風が寒いのか、微かに震えているようにも見える。
 「好きっていうのは……その、友達として、とか?」
 どうリアクションを返せば分からないままに尋ねてみると、金髪が横に揺れた。
 「言ったら勿体無いと思ってずーっと黙ってたけど……ミキ、プロデューサーさんが好き。トモダチじゃな
くって、彼女になりたいの」
 「で、でも……美希はアイドルで、俺はお前のプロデューサーで……」
 「……仕事のことは抜きで答えて欲しいの」
 俺の目を見つめていた美希の目が伏せられた。
 「『好きです』ってもう数え切れないぐらい言われたけど、自分から言うのなんて初めてなの。ミキのこと
を好きって言ってくれた人は、学校にも芸能界にも、数え切れないぐらい沢山いるのに、プロデューサーさん
だけは全然……。どうしてダメなのかな、なんで一番言って欲しい人に言ってもらえないのかな、って思って
ミキなりに色々考えたよ。どうやったらプロデューサーさんに振り向いてもらえるのかな、そんなことを考え
ながら、もっとキレイになろうとしてみたり、お仕事一生懸命頑張ったり、一緒に遊びに行く時は精一杯おめ
かししたり……でもダメだったの。何をしたらいいか分からなくて、最後の手段なの……もし、これがダメだ
ったら……」
 声を震わせながら語り続けた美希が、そこで言葉を止めた。
 波に揺れる水面に、波紋が幾つか見えた。
 先程、沖の方でした会話が頭の中に蘇る。信頼されているのは以前から感じていたことだったが、まさか美
希がそんな想いを持っていたなんて分からなかった。俺が美希に抱いていた感情と同種の情熱。
 ……いや、本当は、気付いていながら俺が目を背けていただけだったのかもしれない。
 「……ミキみたいな女の子じゃ、嫌?」
 ミキが手の甲で目元を拭った。
 「嫌なわけ、無いだろ」
 「だったら、答えを聞かせて欲しいの。ダメだったら、トモダチのままでいいから……」
 美希の気持ちは痛いほどに伝わってきた。俺だって、美希に対しては熱い想いを抱えている。でもそれは本
来ならば立場上持ってはいけない物だ。美希の将来を傷つけてしまうことに繋がりかねないから、俺は言葉に
出すことも避けてきた。
 しかし、ここで自らの気持ちを押し殺してまで美希を拒絶することは、果たして美希自身を傷つけないこと
になるのだろうか。ずっと黙っていた末に勇気を振り絞り、とうとう打ち明けられた想いを切り捨ててしまう
ことは本当に正しいのか。ただ単に、俺に美希を守り抜いてやるだけの覚悟が無いだけなんじゃないのか。
 今こそ、一歩を踏み出す時だ。そう確信した。
 「美希、俺は……」
 美希の肩をきつく抱く。ビクッと肩を震わせながら伏せていた顔が上がり、海水でない液体で頬が縦に濡れ
てしまっているのが目に止まった。
 「俺も、美希が好きだ」
 「……うっ……!」
 潤んでいた瞳から、ドッと涙が溢れ出した。
 「泣かしてごめん」
 そう言いながら、濡れた金髪に指を差し入れて頭を優しく撫でる。

 抱擁しながら重ねた唇は、海水か涙か、とにかく塩辛かった。




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