携帯電話



 トーク番組の収録を控えた、とある日の夕方。
 あと三十分ほどで収録開始の時間を迎えることになる。
 メイク、ヘアスタイルの調整も終わって後はその時間を待つのみだった。
 番組前の打ち合わせも終わって、私のプロデューサーさんは暇そうに欠伸なんてしている。
 「うーーー……っ」
 ここ最近肩や背中に感じる重さを解消しようと、私は椅子に座ったまま体を反らした。
 「どうしたんだ? 春香。緊張してるか?」
 「緊張といえば緊張してるんですけど、なんていうか……肩が凝っちゃってるみたいで」
 「そうなのか。マッサージしてやろうか?」
 「え、プロデューサーさんが、ですか?」
 「春香さえイヤじゃなければ、な。資格持ってるわけじゃないが結構得意なんだ」
 ほんの数秒の間、私の頭の中を色々なことが駆け巡った。
 男の人が私の体に触れるなんて、だとか、プロデューサーさんにボディタッチされるんだ、だとか。
 一緒に仕事をしてしばらく経つプロデューサーさんはとても信頼できる存在で、憧れの存在だ。
 そんな彼に体を触られると意識すると、胸がドキドキした。
 「じゃ、じゃあ……お願いします」
 「よし、了解だ。体の力抜いて、リラックスしてろよ」
 「……はい」
 私が返事をすると、肩に大きな手が後ろから降り立った。
 鏡を背にしているので彼の様子が窺えないのが残念といえば残念ではある。
 「じゃ、行くぞ。よっ……」
 親指と思しき太さの指がうなじの数cm下を圧迫してきた。思っていたよりも圧力が強いが、痛くは無い。
 「わ……わっ」
 痛くなる寸前の丁度良い力加減が、肩の痛い部分を無遠慮に揉んで来る。親指以外の四本の長い指が、私の鎖骨に触れていた。
 「どうだ春香、痛くないか?」
 「はい……き、気持ちいいですね、これ」
 痒い所に手が届く感覚とでも言うのか、確かに気持ちがいいといえば気持ち良かった。
 硬くなっていたものがほぐれていくのを感じる。
 (気持ちいいんだけど……なんていうか)
 肩こりがどうこうという話ではなく、体が段々と熱くなってきた。
 背中を預けたこの体勢から、肩だけでなく別の所も触られたらどうしよう……などという思考が頭に浮かぶ。
 (このままブラのホックを外されたら、肩を揉んでいる手が前に回ってきたら……でも、彼にだったらされても……)
 プロデューサーがそんなことをするわけが無いと信じてはいるが、頭の中でどんどん妄想が加速してしまう。
 ヘンなことを考えていけないと思いつつも熱が急速に昂っていって、思わず拳に力が入った。
 と、身を硬くしてしまっていると、うなじに温かい物が触れて、首筋がビリッと痺れた。
 「ひゃうっ!?」
 口から勝手に声が出てしまった。
 「ど、どうした」
 「す……すいません、ビックリしちゃって……」
 「あぁ、そうか。悪い悪い。じゃ、うなじもマッサージするからな」
 心の準備をするようプロデューサーに促されて、首筋に意識を集中してみる。
 「……ふ……ぁ……」
 肩の時と違ってダイレクトに彼の指が肌に触れている。
 その温かさと同時に、指紋のザラつきまでも感じ取れたような気がした。
 「こ、声出すなって……」
 「ち、違うんですっ! プロデューサーさんの指がきもち……じゃなくて、くすぐったくて」
 気持ちよくて、と言おうとしたのを慌てて飲み込んで、別の言葉で上書きした。
 うなじをこんな風に触られたのなんて初めてで、快感めいた未知の妖しい感覚が全身に行き渡り始めていた。
 下半身の根元、体の中心がムラムラと疼いているのを意識は感じ取っていた。
  「っは……はァ、ん……」
 熱い。熱い。熱い。全身が熱い。
 直接的に表現するなら、性欲。
 疼きはどんどん昂っていって、私は半ば無意識に太腿を擦り合わせていた。
 声を出してはいけないと頭で分かってはいても、吐息に紛れて声が漏れてしまった。
 (ダメ、こんな声出してたらプロデューサーさんに誤解されちゃう……!)
 はしたない女の子だと思われたら、嫌われてしまうかもしれない。
 唇をキュッと結んで、押し寄せる快楽の波に耐える。肩凝りのことなんてすっかり頭から抜けてしまっていた。
 しかし、そんな決心も束の間、頭の中がピンク色になってしまっては快楽をこらえることなんてできなかった。
 「んっ……ん……んん」
 もう耐えられない。
 どうにかして発散したい。
 頭がクラクラしてどうにかなってしまいそうだった。
 「すっ、すいませんっ! ちょっとお手洗いに行って来ます!」
 どうにかそれだけの言葉を絞り出すと、私はプロデューサーさんの返事を聞かずにバッグを引っつかんで走り出していた。
 楽屋の扉を勢いよく開けて、廊下の角を曲がった先のトイレへ一直線に向かう。
 呼吸が荒くなっていたのは走ったからじゃない、なんていうことは考えるまでも無かった。
 誰もいないトイレの個室に滑り込むなり、バッグを開いて携帯電話を取り出す。
 折りたたみ式の携帯電話の、普通はリチウム電池を取り出す時ぐらいにしか使わない蓋を開けて、その裏を見る。
 「はぁ……はぁ……」
 いつだったか、私とプロデューサーさんの二人で撮りに行ったプリクラがそこには貼ってある。
 カメラで写真を撮る時は恥ずかしくてできなかったけれど、なけなしの勇気を振り絞って腕を組んで撮った一枚だ。
 「プロデューサーさん……」
 写真を頭に焼き付け、目を閉じてその情景を目蓋の裏に思い描けることを確認してから蓋を閉じる。
 エッチな気分を一人で処理する時は、いつも彼のことを頭に思い浮かべる。
 気持ちを打ち明ければ、もしかしたら本当にそういうことができる関係になれるのかもしれない。
 でも、私にはまだ彼に想いを伝える勇気は無かった。それが、時々切なくなる。
 ミニスカートのホックを外して、輪になってストンと落ちたそれを見届けてからショーツにも手をかけて下ろす。
 「やだ、私ったらもうこんなに……」
 便座に腰掛けた所で指を脚の間に伸ばしてみると、垂れてきそうなぐらいに濡れてしまっていた。
 「んっ……!」
 先ほどマッサージをされていた時の火照りは数十秒では到底冷めるわけも無く、指を触れさせただけで電流が走った。
 ただ肩を揉んでもらっていただけでこんなにしてしまうなんて、なんて不健全ではしたないんだろう。
 清純なイメージで売っているアイドルが聞いて呆れる。
 (プロデューサーさん、ごめんなさい……)
 届くわけが無いとわかっていながら、憧れの男性に頭の中で謝罪の言葉を述べる。
 その一方で、もしも私のこの小さな指が彼の大きな手から伸びた長い指だったら……と妄想する。
 あの場で、彼に胸を揉まれていたら、と思い浮かべながら服の上から乳首の位置を探り当てると、布地越しでも分かるぐらい
硬くなっていた。
 ひねるようにして刺激してみると、甘い電流がジンと流れて、重い溜め息が漏れた。
 彼はどういう触り方をするんだろう。私の気持ちいい所もすぐに探り当てて、ネチネチそこを嬲るのだろうか。
 後ろからここをちょっとキツイぐらいの力でグリグリされたら、きっと私はいやらしい声をあげてしまうに違いない。
 そんなことを思い浮かべるだけでも下腹部がじりじりと熱く疼いた。
 たまらなくなって、右手の指で粘液を掬い取って、一番気持ちいい所へと塗りつけていく。
 剥き出しになったそこを指で捏ねると、足先までもが猛烈に痺れた。
 (ああ、プロデューサーさんにいじって欲しいよぅ……)
 痒い所を掻いている時のような爽快感と、更なる疼きが同時に押し寄せてきて、頭の中がいっぱいになる。
 右手に感じる粘り気がますます強くなっていき、狭い個室の中がふしだらな空気でいっぱいになるのを感じる。
  「あっ……ん……は、だめ……声が出ちゃう……」
 予想していたよりもずっと快感が強くて思わず声が出そうになるのを、空いた左手で口を塞いで強引にやり過ごした。
 強すぎる刺激を抑えようとして右手の動きを緩めると、それはそれで不満だった。
 もっと気持ちよくなりたい。でも、気持ち良くなったら声が出てしまうかもしれない。
 かといって声が出ないように緩い刺激を続けているだけでは、焼け付くように熱い性欲が永遠に消えない。
 もしも外に誰かがいたらどうしよう。世に名の知れたアイドルがこんなことをしていると知れてしまったら。
 最悪のケースを脳裏に思い描き、熱に浮かされた肉体に一瞬寒気が走った。
 息を殺して耳に意識を集中してみると、外には誰もいないようだ。
 (足音が聞こえたら中断すればいいよね……)
 言い訳じみていて信頼性に欠ける。それでも、我慢できない。
 三日食事を抜いた犬が『待て』で一時間も二時間も待たされている。そんな飢餓感があった。
 粘液にまみれた右手をトイレットペーパーで拭い、折り畳まれた携帯電話を開いて、左手でバッグからハンカチを取り出す。
 赤いマニキュアを塗った親指でマナーモードにしてからメニューを開き、着信時の設定をする画面へ移行させる。
 それに気付いたのは偶然だった。
 ある日、自宅のテーブルで勉強している時にたまたま携帯電話を太腿の間に置いていた。
 ぼんやりと英文に目を通していると突如股間に強い振動が来て……思わず声が出てしまった。
 またある日、ムラムラしていた時に試してみたら、あまりの気持ちよさに大声をあげるのを我慢できなくなり、タオルを噛んで口
を塞ぎながらあっさり達してしまい、病み付きになってその後三回も絶頂を迎えてしまった。
 その時以来、私にとって携帯電話はコミュニケーションを取るためだけのモノでは無くなったのだ。
 着信設定をバイブレーションに設定し、手の中で携帯電話がブルブルと震え始める。
 得られるであろう快感の大きさを期待して、思わず「ごくり」と喉が鳴った。
 本体が汚れないようにハンカチで包み、猛烈な快楽を呼び起こすスイッチへと近づけて行く。
 「んぐっ! んんんっ!」
 頭をガンと殴られたような衝撃が走り、一瞬目の前が霞んだ。口を塞いでいても鼻から小さく声が漏れ出てしまった。
 それでも、もう躊躇は無かった。大好きな彼のことを思い浮かべながら、平たいローターを押し付けていく。
 (あぁ……これ、気持ちよすぎるよぉ……)
 テレビ出演直前だというのにも関わらず、アイドルがテレビ局のトイレで自慰に耽る。
 悪いことをしているという後ろめたさと、プロデューサーさんをオカズにするという背徳感が快感を余計に加速させていく。
 いけないことだと思えば思うほど、体の中心がどんどん熱くなっていった。
 「ふ……ぅ、んぁ……あ」
 腰から放たれる痺れのようなものが全身の感覚を奪っていき、目の前が段々と白くぼやけ、下腹部で炎が燃え上がる。
 いつもの半分も時間がかかっていないように感じるが、私は早々に達してしまいそうだった。
 「ぁ……い、イく……イッちゃ……ぅ」
 我慢する理由も無い。口だけはグッと強く抑えたまま、振動を続ける携帯電話を乱暴に押し付けた。
 体の内側から押し寄せてくる波に身を任せて、流れるままに絶頂を迎えた。
 その余韻に浸ろうとした所、目元が僅かに濡れていたように感じた。


 「ふぅ……メイクとかは大丈夫だよね……よしっ」
 スタイリストに整えてもらった髪が乱れていないことを確かめると、足早にトイレを後にする。
 外に出ると、プロデューサーさんが壁際に寄りかかって私を待っていた。
 「そろそろ向かおうか、春香」
 「は……はいっ!」
 私の姿を確認するとプロデューサーさんが歩き出し、私は後をついていく。
 その後ろ姿は、前屈みだったように見えた。


 終わり




―後書き―

変な声が聞こえたけど実はただのマッサージでした的な定番のシチュを少しいじってみました。