ヒトリノヨル




 「ただいま」
 帰宅の挨拶を告げる私に、背後で重たい返事が響く。
 実家で暮らしていた頃と違って、玄関のドアを閉める前に「お帰り」の声は聞かれない。
 いや、そもそも実家にいた頃も両親が仕事に出ていることが多かったから、同じようなものか。
 壁際のハンガーにスーツの上着をかけ、誰もいないのをいいことにズボンもその場で下ろしてかける。
 こんな冬の時期には、脚が剥き出しになるスカートよりもパンツスーツの方が有難い。
 暖房のスイッチを入れ、タンスからひとしきりの着替えを引っつかんで、そのままバスルームへ直行する。

 息の白くなる外気に晒されて冷え込んだ体を熱いシャワーで温めながら、私は今日一日を思い出していた。
担当アイドルへどんな挨拶をしたか、今日やったレッスンの出来はどうだったか、打ち合わせでどんなことを
話したか、担当アイドルが帰ってから何をしたか。
 そして、あの人と今日は一言でも言葉を交わせたかどうか。
 「……はぁ」
 溜息が漏れる。少人数で切り盛りしている芸能事務所だから仕方の無いことだが、ここの所彼とプライベー
トの時間なんてものは全く取れておらず、下手をすれば朝に交わす挨拶がその日話すことの全て、なんてこと
だってある。『忙殺』という言葉がぴったりだ。
 以前、「仕事と私だったらどっちが大切か」と質問したことがあった。別に意地悪をしようと思っていたわ
けではなく、どちらの答えが返ってきても私は納得できたのだが、どちらか一つに答えを絞れずに頭を抱えて
悩む彼に思わず笑ってしまったことがあった。仕事の大切さは理解しているし、その上で──今は恋人でもあ
る──パートナーの私を大事に思ってくれていると私は解釈した。
 仕事をほったらかしてまで相手してもらうなんてもっての外とはいえ、二人の時間が取れない日々が続くに
つれて、部屋の隅に溜まる埃のように私はモヤモヤしたものを感じ始めていた。おはようの一言と軽い事務連
絡だけで終わってしまうコミュニケーションが寂しい。もっと近い距離で、彼の匂いが分かる距離で、仕事と
関係ないお喋りがしたい。長くて関節の太い指と私の小さくて細い指とを絡めあいたい。わざわざ屈んでもら
うのが嫌で、こちらが爪先立ちになってするキスもご無沙汰だ。
 それに、何もかもを晒して肌を重ねあう心地良さも、品が無いようで認めたくないけれど、求めている。
 愛を囁くだけの逢瀬の時だけではなく、行為そのものがもたらす肉体的な『キモチよさ』も……。
 人恋しさにも似たざわつきが、じりじりと全身に広がっていく。そして、私は両脚の付け根へ手を……
 「……っと、いけないいけない」
 体を洗って一日の疲れを洗い流している所で、なんてはしたない。浴室の中にいるのは私だけなのに、スト
ーブに当たった時のようにかっと顔が熱くなる。
 意識の底で密かに燃える情欲の炎を踏み消そうと、ポンプから出したシャンプーを手に取って、私はわざと
乱暴に髪を洗った。ぼんやりとした裸眼の世界が、この時は嬉しく感じられた。



 風呂上りの体が冷めない内にベッドへ入って、しばらく。翌日にも仕事が控えているというのに、私は中々
寝付くことができなかった。
 さっき浴びたシャワーは、体の内でちろちろと舌を覗かせる欲求を洗い流してはくれなかったようだ。爪先
までじんと火照っているのは、熱めの温水のおかげでは無い──そのことを自覚して、また私は溜息をついた。
 「……しょうがないなぁ、もう……」
 このまま睡魔の訪れるのを待っていても埒が明かない。さっさとこの昂りを沈めてしまおう。
 枕元の携帯電話、その待ち受け画面には、彼と一緒に取ったプリクラの画像を設定してある。毎朝毎晩、そ
れどころか携帯電話を開く度に、トクンと音を立てて胸が高鳴る。今は、それに加えて切なく胸が締め付けら
れるようだった。
 頭の中のメモリに彼の姿を焼き付けてから、ベッドの下へ手を伸ばして『道具袋』を取り出す。私しか知ら
ないナンバーでロックをかけた錠を開く。何の変哲も無いはずのファスナーの音がいやらしく聞こえたのは、
きっと私がその気になってしまっているから。
 薄明かりも付けない暗闇の中、手探りで最初に取り出したのは、電動歯ブラシ。歯ブラシといっても、当然
自分の歯を磨く用のブラシは別にある。
 親指を登らせてスイッチを入れると、室内が静かでなければ聞こえないほど静かなモーター音が鳴った。
 そのまま、唸りを上げるブラシを胸元へ這わせていく。
 「……はぁ……っ……」
 パジャマ越しに胸の頂点へそれを押し当てる。彼のアパートで、泊まりの仕事があった時のホテルで、はた
また他の人が帰った後の事務所で、甘く濃厚な時間を過ごした時のことを思い出しながら。
 上半身に走る痺れのようなものが腰へ下ってくるが、布地越しの刺激はすぐに物足りなくなってしまう。
 ボタンに手をかけて外し、パジャマの中へブラシを滑り込ませるまでに時間はかからなかった。
 「あ、あっ……」
 痛いとも感じかねないチクチクした感触が気持ちいい。乳首を引っ掻くように何度もブラシを往復させ、体
の感覚を強い刺激に馴染ませていく。
 抱かれた時の記憶が鮮明に頭の中へ蘇ってくる。胸は必ずと言っていいほどたっぷり触られるけれど、いつ
からだったか、軽く撫でられるだけでもたちまち体が熱くなるようになってしまった。
 快楽を仕込まれていく──私の心も体も彼の色に染められていくんだと感じた時、妙に興奮したことをふと
思い出した。彼の目の前で自慰をするように言われ、ツボを押さえられてすっかりのぼせ上がっていた私はそ
の通りに淫らなショーを見せてしまった。自分一人でしている時とは大違い。強制されてすることなんだから
気持ちよくなんて、と思っていたけれど、そもそも強制されたわけでは無く、自分も少し乗り気になっていた。
 なにより──気持ちよかった。
 またある時は縄で拘束されてねちっこく愛撫され、蜜にまみれてとろとろになった大事な所も視姦の末にた
っぷりと指や舌で嬲られて……口では嫌がっていても何度も絶頂を迎えてしまった。
 ひょっとしたら私はそっちの気があるのかもしれない。いやいや、まさか。
 自分の中に湧き上がった気持ちに慌てて首を振りつつも、下半身へ手を伸ばす。
 「んっ……!」
 中指が少し触れただけで、電流が走った。胸の先端に押し当てた電動歯ブラシはそのままに、潤いを帯びた
そこへ指を差し込む。すんなりと中指を飲み込んだそこへ、人差し指を足す。
 「はぁっ、はぁ……んんっ……」
 指を抜き差しする度に、腰からゾクゾクするような感覚が広がる。それでも自分の細い指では、あのゴリゴ
リと私の中を深くまで掻き回すあの太くて長い彼の指には及ばず、もどかしさが募る。
 じれったくなった私は、電動歯ブラシの入っていた袋からもう一本、『道具』を取り出した。通信販売で買
った、いわゆる『大人のおもちゃ』という奴だ。手に取ってみると、ペタペタした生々しいシリコンの感触。
 このまま入れても大丈夫かな、と思いながら、入り口にセットして、体の内側へゆっくり押し込む。
 「あ……く……くぅん!」
 細い指を入れた時とは違う、脚の間を押し広げられるような感覚と共に、バイブレーターが入ってきた。力
を抜いて一番深い所まで銃身を沈めさせて、ふうと息を吐く。
 上を見ても、覆い被さってくる逞しい身体は無く、一つに繋がっている時の温もりも感じられない。ふと一
人でこんなことをしているのが空しく思え、それを打ち消すかのように、うつぶせになってきつく目を閉じた。
 お尻を高く上げて、後ろから彼を受け入れる時の体勢を作ってから、バイブレーターのスイッチをONにする。
 「う、ぁ……ああぁ……!」
 振動と共に体内で張型がうねって、壁を無理矢理に押し広げようとその身をよじる。円を描くようなその動
きに、蛇口が開いて嬌声と荒い息が漏れ出て行く。もう少し奥に押し込むと、私の弱い所……もとい、一番大
きな快感を得られるポイントにその先端が当たった。
 「あぁっ! くうぅ、うぅ……!」
 脚の付け根が一気に熱を持った。内側から膣壁を舐め回されるような挙動に、ゆっくり高まりつつあった絶
頂への水位が一気に上がる。もっと大きな快楽を求めたくて、私の好きなツボへバイブレーターを強く押し付
けると、頭がクラクラするようだった。自然と胎内がきつくなって、密着度が高まる。
 この気持ちよさをもっと味わっていたいという気持ちと、早く絶頂に上り詰めたいという気持ちとが胸の内
でひしめき合う。迷っている内に、ふわりと浮遊感を自覚し始めた。
 いい。今日はこのまま上り詰めてしまおう。目を開いたら、現実に戻ってしまいそうだから。レバーを押し
上げて、モーターの回転数を上げる。
 「ひ、あぁ……も、イッ、ちゃ……ああっっ!!」
 ぱちん、と頭の中で何かが音を立てて弾けた。足の先に力が入り、手の指先から力が抜けていく。波に揺ら
れるようで、空に上っていくようでもある、高揚感。

 一瞬でガンと突き上げられるような大きな快感だったけれど、冷めるのも早かった。ベッドの中で彼の腕に
抱かれながら余韻に浸るあの心地良い時間は、ここには無い。「気持ちよかった?」と時には自信無さげに尋
ねてくる低い声も聞こえなければ、汗で張り付いた前髪を除けて頬を撫でてくれる大きな手も無いし、何より
も、私よりも年上の癖に見せる少年のような笑顔が見えない。
 ここにいるのは、一人で自慰の後始末をする私だけだ。
 「……寂しいよ」
 自分が寂しがり屋だと思い知らされる瞬間。物事を常に論理的に考え、ここの所は特に感情で動くことを避
けている私だけれど、それでも、恋しさや寂しさが沸き起こるのは抑えられない。
 快感は得られるのに、後に残るのは心に差し込む隙間風の冷たさばかり。一人でこんなことをしたって満足
なんてできないのが分かっていて、どうしてこんなに空しいことをしてしまうんだろう。
 剥き出しになった肌に再びパジャマを纏って携帯電話を開くと、日付を通り過ぎて三時間近くが経っていた。
 声が聞きたい。でも、さすがにこんな時間に電話はかけられないし、メールを送るのも気が引ける。アドレ
ス帳から彼のデータを呼び出した所で、結局私は二つ折りの本体を元に戻してしまった。

 涙が込み上げそうになるのを堪えながら、私は強引に目を閉じた。
 うすれていく意識に、眠気を誘うほどの疲労がほんの少しだけありがたく感じられた。


 終わり



―後書き―


スランプを乗り切るリハビリにでも、と思って書き始めたんですが、やはり一人エッチだとそう長くはなりま
せんね。コメント貰って初めて気が付いたんですが、このSSには律子の名前が出てきてないんですね。
序盤のシャワーのシーンで誰だか分かるように書いたつもりだったんですが、一人称で終始登場人物が一人だ けだから分かりにくくなってしまったかも?


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