伊勢七緒は怒っていた。 そりゃあもう、隊舎の廊下で七緒とすれ違った隊員たちが声をかけるのをためらってしまうくらいの迫力で…そう、例えるなら"烈火のごとく"怒っていた。 隊長の京楽春水が仕事を放り出したままぶらりとどこかへ消えてしまうのはいつものことだ。 それゆえ必然的に副隊長の七緒がデスクワークの殆どを請け負うことになる。 もともと事務仕事は好きなほうなので、それほど苦にはならない。 しかし、中にはどうしても隊長に目を通してもらわないと先に進まない案件も中には含まれていて。 (なのに、なのに、なのにっ!!!) (昨日、これだけはやっておいてくださいって、あれだけ念を押したのにっ…!!!) 『わかったわかった。そんなに怒るとかわいい顔がだいなしだよ〜七緒ちゃんv』 昨日、ヘラヘラと笑って自分を軽くあしらった京楽の顔を思い出されて七緒の怒りがさらに再燃する。 そもそも七緒は京楽が真面目に仕事をすることなど期待していない。 副隊長に就任して一週間もたたない内に [サボる隊長を探して無理やり仕事をさせるよりも、とりあえず必要最小限のことだけしてもらって、後は自分がこなした方が早く済む] と早々に悟ったのだから。 けれど、その"必要最低限"のことすらやらずに逃亡するというのは職務放棄に等しい行いだ。 到底許されることではない。 全く、どういう了見なのかは知らないが、一言言って…いや、蹴りのひとつでもいれてやらなければ気がすまない。 京楽が居そうなところはすべて見てまわった。残るはここ、隊舎内の京楽の私室のみである。 七緒は気を研ぎ澄まし霊圧を探るが、京楽のそれは感じられない。 …が、かといって、不在とは限らない。 隊長クラスともなれば、霊圧を消すくらい赤子の手を捻るくらい簡単な芸当だし、周囲の霊子をコントロールして部屋全体に結界を張り、そこに部屋などないかのように他人の目をくらませるコトだって可能なのだから。 京楽はここにいる。…しいて言うなら女のカンだ。 そう確信すると、七緒は怒りで高ぶった心を落ち着かせるために大きく深呼吸してから「失礼します」と京楽の私室の戸を勢いよく開けた。 ……次の瞬間、七緒は息を飲み、目を見張る。 彼女の目に映ったのは壁際の文机に向かう男の後姿だった。 くせのかかった肩より少し長い髪、白の隊長用の陣羽織の背に染め抜いてある数字は"八"…… (え……) その男はゆっくりと振り返るなり、戸惑っている七緒に微笑みかけた。 「やぁ七緒ちゃん、どうしたの?」 この声。 ああ、やっぱり―――――― 「京楽隊長…………」 唖然として七緒が呟いたのと同時に、ゴン☆という鈍い音とともに、足の甲に激しい痛みを感じて。 「痛ーーーーーーーっっっ!!!!!」 皆が何事かと思うくらい、七緒の甲高い悲鳴が隊舎内に響き渡った…………。 「はい、終わったよ」 「どうも………ありがとうございます」 京楽から書類を渡されて、七緒はパラパラとめくりながらそれらを確認する。 「…どうかな?」 「はい、大丈夫です。これで山本総隊長に提出できます」 神妙な顔つきで七緒が返事をすると、ぷっと京楽がふきだし、そのまま肩を震わせて笑い出した。 「…なんですか?」 「いや〜…さっきの七緒ちゃんの顔」 ぴくり、と七緒の眦が上がる。 そう…七緒は書類を挟んでいたボードをうっかり落としてしまい、運悪くそれの角の部分が足の甲に当たってしまったのだ。 あまりの痛さに不意をつかれて、派手に声を上げてしまった。 …伊勢七緒、一生の不覚である。 「七緒ちゃんの取り乱すのは久しぶりに見たんで、ちょっと………」 ちょっと? 笑われてそっぽを向いていた七緒の視線が京楽に向けられる。 「…新鮮だった」 そう満面の笑みを向ける京楽に、七緒は溜息をついて頭を下げた。 「……お騒がせして、申し訳ありません」 「いやいや。それより大丈夫かい?足は?」 「はい。たいしたことありません」 「それならいいけど……ボクの七緒ちゃんに何かあったらタイヘンだからね〜♪」 にっと笑って軽口をたたくのはやはりいつもの京楽だ。 だけど、目の前にいる京楽は普段目にしている京楽とは少し…いや、随分と雰囲気が違っていて、七緒は奇妙な違和感を感じていた。 そう。 "いつもの京楽"は編み笠をかぶり、長い髪を無造作に後ろでまとめ、顔には無精髭。 だらしなく死覇装の前をはだけ、隊長用の白の陣羽織の上には女物の派手な羽織を重ねている。 ちなみに、京楽のこの格好については『隊長職にありながらふざけている』と批判する人もいるが、『京楽隊長らしい』と好意的な意見が大勢を占めていたりする……。 なのに、今日の京楽ときたら、今まで好き放題にのばしていた髪は肩より長いくらいで切りそろえられていて、髭も顎にすこし残してはいるものの、見苦しいというほどではなく、その証拠に他はきれいに剃られている。 死覇装もきちんと前を合わせていて…そういえば白の陣羽織の"八"の字を京楽の背に見たのはいつが最後だっただろうか? どうして京楽がこんなマトモな格好をしているのか…その理由は大いに七緒の興味をそそった。 しかし、目の前の彼は「訊いて訊いて」と言わんばかりのオーラをムンムンと発している。ここはあえて無視してやるのも面白いかもしれない。 その二つの考えを天秤にかけた末、……結局秤は前者に大きく傾いた。 「隊長、今日はどうしてそのような格好をしておられるのですか?」 そう七緒がきりだすと、京楽はよく訊いてくれたと言わんばかりに上機嫌で喋り出した。 「実はさ、今度ボクの妹が嫁入りすることになってね………」 「ああ、それはおめでとうございます」 祝辞を述べる七緒に京楽は「ありがと」と礼を返し、 「それで今晩、うちでお相手を招いて婚約の祝宴を設けることになってね…。結婚前のお披露目の会ってやつ。 うちの家族だけじゃなく、親族連中もやってくるし、当然兄貴であるボクも出席しなきゃいけなくなったんだけど、両親や妹から『頼むからちゃんとした格好で来てくれ』って泣きつかれちゃってねー」 婚約のお披露目会を一族郎党集まって行う…流魂街出身の七緒には思いもよらないことだ。 尸魂界でも指折りの名門貴族といわれる京楽家が主宰の会となれば、内輪だけとはいえさぞかし華やかなものになることは容易に想像がつく。 生まれつき霊力が高い貴族の中にあっても"護廷十三隊の隊長"となればその地位は別格で、一族内でも彼が一目置かれている存在であることは間違いない。 しかし、いつものあの珍妙でだらしない格好ではいくらなんでも客人に失礼にあたるし、せっかくの"護廷十三隊の隊長"の価値も下がろうというものだ。 そこで、しぶしぶながら京楽は統学院時代からの親友である浮竹十四郎と卯ノ花烈に相談したところ、 「とりあえず、死覇装を浮竹みたいに着ていけば問題ないんじゃないかってことになったんだよねー」 「…………」 なるほど、そういうわけかと七緒は思った。 普通に正装するよりも、"護廷十三隊の隊長"をアピールするなら死覇装に陣羽織という格好が手っ取り早い。 これは妹の祝宴のため…つまり、こんなきちんとした格好をするのは今日限りということになる。 理由がわかれば何ということはない。 七緒は心の中でそっと安堵の溜息をついた。 「…で、七緒ちゃんはどう思う?」 「どう、とは?」 「いじわるだなぁ〜…。これこれ」 京楽が両手で自分を指差す。 「七緒ちゃんの感想がききたいなぁ」 ぬっと顔を前に突き出されて、七緒は反射的に頭を後ろに引くと、少し考えるそぶりをして言った。 「……似合っていてよろしいんじゃないでしょうか」 それを聞いて、京楽の顔がだらしなく崩れる。 「あ、そう?…じゃあ、明日からもずーっとこれにしよーかなー? ……七緒ちゃんがお願いするならそーしてもいいけどね」 じっ、と上目遣いで京楽が七緒を見る。 その視線をまっすぐに見返しながら、七緒は答えた。 「…そうですか。私はどちらでもかまいませんが」 「…………あれ?」 七緒の返答に、京楽は小首をかしげた。 「なんですか?」 「いやいや。七緒ちゃんのことだから、てっきりこれからずっとこーいう格好にしろって言われるのかと思ってたよ」 それを聞いて、七緒の瞳が少し揺れたが、京楽は気づかない。 「別に……外見だけ変わったところで、隊長自身がお変わりになられるわけではありませんから」 「あー……そう」 あまりにも素っ気無い七緒の台詞に、そりゃそうだけどさ、と京楽は一人ごちる。 「それでは、書類を一番隊まで届けなければなりませんので」 失礼します、と七緒はすっと立ち上がり京楽の部屋を後にした。 戸を閉めてから、ふうと小さく息をつくと七緒は足早にその場を離れた。 「うーん……思ったよりもうけなかったかなー?」 七緒が去った部屋で、京楽はぼりぼりと頭の後ろを掻きながら、そのままごろりと横になった。 『とてもよくお似合いになってますよ』 『うん、きっと七緒君も喜んでくれるぞ!!』 着衣を整えこざっぱりとした京楽の姿を見た浮竹と卯ノ花がそう太鼓判を押してくれたので、京楽もすっかりその気になっていたのだけれど……。 「案外アテにならないもんだねぇ。あの二人の言うことも、さ……」 七緒は副隊長執務室に入るなり、背中ごしに急いで戸を閉めた。 緊張の糸が解けてしまったのか、七緒はそのままズルズルとその場に座り込んでしまった。 その途端、七緒の頬はカーッと熱くなる。 それは、ここに来るまで小走りして息があがったから、とかそういうわけではなく………… 「ああ、もう………………」 七緒の頭をよぎるのは、先ほどの京楽の姿。 確かに今まであのだらしない格好をなんとかして欲しいと思ってはいたけど。 普通の格好をしただけで。 あんなに……あんなに…… 格好良くなるなんて………!!! あの時、すっかり見ちがえた京楽に思わず見とれてしまって、不本意ながら醜態をさらすはめになってしまったけれど…。 そのおかげで自分の動揺を京楽に悟られなかったのは幸いだったと七緒は胸をなでおろす。 ああ。 それにしても、なんてかわいくないことを言ってしまったのだろう。 『どう思う?』 そう訊いた京楽が望んでいたのはあんな言葉じゃないのはわかっていた。 京楽の肩透かしをくったような、少し落胆したような表情がそれをまざまざと物語っていて、七緒の胸をきゅっとしめつける。 京楽は尸魂界でも指折りの名門貴族出身でありながら、それを鼻にかけることもなければ、気取ったところも微塵もない。 いくら死神としても実力があっても"流魂街出身"ということで、不当に差別されたり侮られることを多く経験してきた七緒にとっては、それはとても驚くべきことで。 自分だけではない。誰とでもわけへだてなく接するし、人当たりの良い明るい性格で、同僚や部下からも慕われている。 いちいちあげればそれこそキリはないけれど…彼がなにより優しい人だということは傍にいる七緒が一番よく知っている。 多分、名門貴族の出とか護廷十三隊の隊長とか、そんな肩書きを抜きにしても、十分ステキな人なのだ。 なのに………… あんな格好したら、ホントはいい男だって、みんなにわかってしまう。 そうしたら、きっとみんなが彼に注目して、振り向いて。 もう、独り占めできなくなる。 もう、私だけの隊長ではなくなってしまう……………。 「バッカみたい………」 七緒は自嘲するかのように呟く。 "私だけの隊長"だなんて。なにをうぬぼれてるの、七緒。 『ボクのかわいい七緒ちゃんv』 そう言われるたび、高鳴る胸の鼓動を抑えるようになったのはいつからだろう。 それを知られることを恐れて、まるで気のないフリをするようになったのは? 気づかれてはならない。 私の気持ちを。 告げてはならない。 本当の想いを。 思わせぶりな態度を示すのも、ほんのお遊びみたいなもの。 彼にとってはこの世のことはすべて"たわむれ"なのだから――― 私に許されているのは副隊長として、彼の有能な補佐官として一番近くにいることだけ。 そして、少しでも彼の役にたつこと―――それが七緒の望みだった。 なのに、京楽のほんの些細な言葉や行動で動揺してしまう。ドキドキしてしまう。 傍にいればいるほど、ふくらんでいく想いがはじけてしまった時。 私はどうなるのだろう……。 七緒は両手を頬にあてる。 だが、内側からの熱はまだ引きそうにない。 ふう、と七緒は溜息をついて、頭を抱えた。 ああ、もう。 好きすぎて困る、なんて―――。 当サイトでの初!の京七ssです。 いつもおちゃらけている京楽に惹かれつつも、彼の真意を測りかねて自分の気持ちをセーブしているというのがうちの七緒ちゃんの基本姿勢…なため、こんなカンジの話になりました。 20070526up ←戻る お題提供サイト:COUNT TEN.様 |