初号機以外のエヴァ操縦者は帰還した。
唇を噛み締めるもの、虚空を見つめるもの、不安を感じるもの、意識不明のもの。
何にせよ、第十三使徒との戦いは終った。……ただ一人の少年を除いて。
僕は僕で僕
(94)
数時間後、ネルフ内の医療センター前。
二人の少女は医療センター前で何を語ることも無く、マナが退室してくるのを待っている。
一人の少女は長椅子に腰掛け、もう一人の少女は壁にもたれている。
治療の済んだ自らの体を気にすることも無く。
「…………遅いわね」
壁にもたれる少女、アスカが誰に言うことも無く呟いた。
その呟きに、長椅子に座るレイが訊ねる。
「誰が?」
「マナ」
`面倒臭い´と言う訳では無かったが、アスカは淡々とした表情で答えた。
その答えにレイは何も言わず、ただ壁を見つめる。
「………」
夏の夜、コオロギの鳴き声が響く中、二人の間に長い沈黙が流れる。
会話を交わす理由も、世間話をする道理も存在しなかったから。
プシュ。
二人が沈黙していると医療室の扉が開き、マナが喉元を押えながら姿を見せた。
「お待たせ……」
喉を使徒に潰された為、マナは濁(だみ)声だった。
その声に、アスカは少し驚いたような表情で口を開く。
「酷い声ね」
「うん…。…でも、意識的なものだから、一日か二日で元通りだって」
そう言って、マナは取り繕ったような微笑を見せた。
マナの微笑に、アスカは苦笑しながら口を開く。
「伊達にシンクロしてないって証拠よ」
「そうかも…」
マナは少し寂しげに、自分の喉を撫でながら答えた。
そんな風に二人が会話をしていると、館内放送が流れる。
-チルドレンは指令室に集合してください。繰り返します。チルドレンは……。-
「報告義務、か…。……行くわよ、マナ、レイ」
アスカが二人に声をかけると、三人は指令室に向かった。
そこで、どのような事実が待っているかは知らずに。
<指令室>
三人が指令室に入ると、そこにはマユミが学生服で立っていた。
戦闘不参加のマユミも、念の為に呼ばれた為だった。
三人が入って来たのを見て、マユミは安堵の微笑を見せながら話しかける。
「アスカさん、皆さん無事だったんですね」
「まぁ、それなりに」
「…そうね」
アスカは後ろ髪を軽く触りながら、レイは淡々とした表情で答えた。
二人の言葉に続き、マナが喉を押えながら冗談混じりに話す。
「私の喉は無事じゃないけど」
「あっ……」
その声を聞き、マユミは口を開けて驚いた表情を見せた。
その表情を見て、アスカが苦笑しながら話しかける。
「驚くこと無いわよ。これ位の怪我、私達は予想して乗ってるんだから」
「え、そうなんですか?」
アスカの言葉を聞き、マユミが訊ねた。
マユミの問いに、アスカはレイの顔を見ながら口を開く。
「当然よ。ね、レイ?」
「……私は死をいとわない」
アスカの問いに、レイは俯(うつむ)き加減に過激な言葉を口にした。
その言葉に、一同は沈黙してしまった。
アスカですらも、予想以上な言葉に口を閉ざしていた。
プシュ。
緊張した沈黙の中、指令室の扉が開き、そこからマヤが入室してきた。
マヤはチルドレン達の前に立つと、少し疲れたような表情で口を開く。
「戦闘、御苦労様でした。葛城三佐、赤木技術部長が不在ですので、私が報告を行います」
その言葉を聞き、アスカが怪訝な表情で口を開く。
「報告ったって、シンジが来てないわよ?」
「そのことも報告します」
マヤは神妙な面持ちで話した。そして報告を始める。
「まず松代の事故ですが、赤木博士ならびに葛城三佐は無事です。
葛城三佐は念の為、病院に収容されています。赤木博士は今日にでもネルフに戻って来ます」
(良かったぁ…。)
マヤの報告を聞き、マナは静かに胸を撫で下ろした。
同居してる者として、少なからず心配していたようだ。
そんなマナをよそに、報告は続く。
「それから参号機操縦者ですが、無事保護されました。でも、こちらも念の為、病院に収容されています」
「使徒に取り込まれて、無傷だったって訳?」
アスカが少し驚いたような表情で訊ねた。
マヤは冷静に答える。
「無傷です。体は…」
マヤは言葉を途中で濁した。
参号機操縦者は無傷であったが、意識が回復していない所為だった。
「…碇君は?」
言葉を濁して俯(うつむ)くマヤを見つめながら、レイが訊ねた。
マヤは顔を上げ、レイに答える。
「…シンジ君…シンジ君は、初号機の中に取り込まれたと推測してます」
『!』
マナの言葉に、一同は驚きの表情を見せた。
そして、そのままの表情でアスカが口を開く。
「取り込まれたって、何で?!」
「……驚異的なシンクロ率を出したのが、原因だと推測しています」
マヤは冷静を装って答えた。
冷静を装わなければ、今にも自分という自己が崩れ落ちそうだっからだった。
「驚異的って…どの位の数値なんですか?」
マヤの報告を聞き、マユミが訊ねた。
マヤは話す。
「私達が観測したデータでは、400を越えた所まで確認しています」
「400……」
その言葉に、アスカは誰にも聞こえないような声で呟いた。
400という数値に、チルドレン達が沈黙してしまうと、マヤは気丈にも微笑んで話しかける。
「無論、私達は助け出すことに全力であたります。……いいえ…必ず助け出します。
だから今日は全員帰宅して、体の疲れを取ることに専念してください」
『了解』
チルドレン達は一応返事はしたものの、`心ここにあらず´のような返事だった。
その返事を聞き、マヤは声を上げる。
「以上、解散してください」
数分後、チルドレン達が解散した後。
指令室に一人残ったマヤは、報告書を見つめながら小さく呟く。
「…使徒を倒したのに……こんなに辛いなんて」
<移動中のヘリ内>
赤木親子とコダマは、ネルフ本部へと移動するヘリコプターの中にいた。
リツコは携帯用の端末で、ヘリ搭乗前に送って貰った参号機のデータを総チェックしている。
ナオコといえば、コダマと何やら今後のことを打ち合わせしていた。
「母さん、結論が出たわ」
データをチェックしていたリツコが、唐突にナオコに声をかけた。
リツコの声に、ナオコは訊ねる。
「結論って、何の?」
「参号機に侵入した使徒の正体。あくまでも推測の枠を出ないけど…」
そう言って、リツコはナオコに端末を手渡した。
ナオコとコダマは端末を覗き込みながら呟く。
「細菌の次は空間生物、その次は液体。…使徒の形状には恐れ入るわね」
「液体状の生物…」
ある程度、リツコがチェックしたデータを見ると、ナオコは口を開く。
「……すると、使徒は何らかの形で参号機に侵入し、液体ならではの特性をもって私達の目を逃れた。…そういうことね?」
「ええ。多分、輸送中に狙われたと思うわ。それしか考えられないし」
そう言って、リツコは考える仕草を見せた。
リツコの仕草を見て、ナオコは微笑みながら話しかける。
「参号機が使えるか、考えてるでしょ?」
「!」
ナオコの言葉に、リツコは驚いた表情を見せて訊ねる。
「御名答。…でも、どうして解ったの?」
「親子で科学者だもの。仕方ないわ」
そう言って、ナオコは笑った。
ナオコの笑顔を見ながら、リツコは微笑みながら話す。
「参号機のコアが無事って報告。…母さんも聞いたわよね?」
「ええ、聞いたわ。でも、参号機自体は殲滅されたんじゃないの?」
「頭部と腕部、それに胴体部を数箇所ね。ヘイフリックの限界を越えてるから、時間は掛かるでしょうけど…」
そう言って、リツコは再び考える仕草を見せた。
リツコの仕草を見ながら、ナオコは話す。
「碇司令の了承なら、私も協力してあげるわ」
「本当?」
リツコは少し驚いたような、それでいて嬉しそうに話した。
ナオコは話す。
「嘘じゃないわ。…その代わり、これは貸しよ」
「…高く付きそうね」
そうリツコが言った後、ナオコとコダマは少しだけ笑い声を立てた。
穏やかな雰囲気のヘリの中。
そんな雰囲気の中、リツコが思い出したように話しかける。
「そう言えば、シンジ君の方は?」
「…それなんだけど、ちょっと不味いかもしれないわ」
『シンジ』の名前が出ると、ナオコの表情は真剣なものになっていた。
その表情に、リツコが訊ねる。
「不味いって…十年前のデータが?」
「ええ。でも、それだけじゃない気がするの」
そう言いながら、ナオコは手に持っていた端末をリツコに返した。
端末を手に取ると、リツコは呟くように訊ねる。
「それだけじゃない?…」
「まぁ、何にしても、報告とデータだけじゃ把握できないわ。この目で見て、確かめないと…」
リツコの問いに、ナオコは自分の口からは答えを出さなかった。
そんな二人の会話を他所に、ヘリのパイロットが声を上げる。
「第三新東京市が見えてきました。相変わらず、綺麗な夜景です」
その言葉に、三人が窓の外を見ると、そこには都市的な夜景が広がっていた。
リツコは夜景を見ながら思う。
(…確かに、綺麗という言葉に値する。
……でも、それは人の汚さを隠す為のカーテンに過ぎない。)
<中央司令部>
数時間後。
中央司令部ではナオコの指示のもと、初号機のエントリープラグ内の映像を映し出す作業を行っていた。
リツコはコダマと共に、他のエヴァの損害状況を確認しに向かっている。
「ダミーシステムが原因。それに付け加えて、シンジ君のシンクロ率が邪魔してる。信号回路が混線してパンクしたのよ。」
足を怪我している為、ナオコは司令部の椅子に腰掛けたまま話した。
青葉から回線が繋がらないことを聞き、ナオコは初号機のデータを見ながら、直ぐに答えを導き出して。
ナオコの言葉を聞くと、青葉は口を開く。
「じゃあ、一度、信号回路をダウンしてみます」
「何、このデータ?」
唐突なナオコの声に、システムダウンのボタンを押そうとした青葉は手を止めた。
ナオコは声を上げると、青葉に指示を下す。
「青葉君、作業中止。至急、シンジ君のデータを見せて頂戴。弐号機が撃破された時からのね」
そう指示を下した後、ナオコは思考する。
(極僅かだけど、この波形データは異常を記録してる…。
一つの体に、二つの波形データなんて尋常じゃない。精神が二つあるとしか考え……。)
「!」
そこまで思考した後、ナオコは驚いた表情を見せた。
そして真剣な表情を見せると、誰にも聞こえないような声で呟く。
「……それだけ、じゃ無かったわね」
<初号機ケイジ前>
回収された初号機は、装甲板が外れた所為もあって、剥き出しの体に、包帯のような物を巻き付ける作業が行われていた。
その様子を、リツコとコダマは静かな表情で見つめていた。
そしてコダマが驚いた表情で呟く。
「装甲板を剥がすなんて……」
「装甲板じゃないわ。拘束具よ。エヴァ本来の力を、私達が押さえ込む為の拘束具なの」
リツコは作業を見つめながら答えた。
そして、言葉をつなぐ。
「その呪縛が、シンジ君…いえ、エヴァ自身の力で解かれた。……そういうことよ」
「呪縛、ですか……」
リツコの説明に、コダマは自分を納得させるように呟いた。
そしてコダマは顔を上げて、初号機の顔を見つめた。
初号機の頭部は拘束具を外れ、いつもは隠されて見えずにある、奇怪な瞳と暴虐な歯を剥き出しにしていた。
(……怖い。)
初号機を見て、コダマは素直にそう感じた。
そんなことをコダマが考えていると、リツコが声を上げる。
「マヤ、解った?」
リツコの声に、コダマは通路に顔を向けると、そこにはマヤが歩いて来ていた。
マヤはリツコの前に来ると、報告書を手渡しながら口を開く。
「はい、ある程度ですけど。…これがエヴァ各機、損害状況ならびに修復項目のリストです」
リツコは報告書を受け取ると、それを一枚一枚チェックしながら訊ねる。
「…マヤの見立てた所、何号機が時間が掛かりそう?」
「私的な意見ですが、零号機だと思います。前回の戦闘を考慮に入れて、細胞の再生には時間が掛かると思います」
リツコの助手らしく、マヤの回答は理にかなっていた。
「確かにそうね。でも、正解じゃないわ」
マヤの回答を、リツコは否定した。
マヤは訊ねる。
「だとすると、弐号機ですか?」
「いいえ、それも違うわ。…正解は参号機よ」
リツコはサクッと重要な事実を話した。
その事実に、マヤは驚きの表情を見せて声を上げる。
「さ、参号機ですか?でも、参号機は破棄されたんじゃ?!」
「30分前に碇司令の許可を貰ったわ。…修復するわよ、参号機」
そう言って、リツコは報告書に目を通す。
だが、リツコの言葉に納得のいかず、マヤは訊ねる。
「しかし、あの状態はヘイフリックの限界を越えてます」
「でも、コアは無傷よ。それに使えるボディも残ってる。使えるものを使わない手は無いわ」
そう話すと、リツコはサラリと話題を変える。
「シンジ君の方はどう?母さん、私に何も言って来てない?」
「はい。今の所、何も…」
シンジの話題になると、マヤは顔に翳(かげ)りを見せて答えた。
マヤの表情を見て、リツコは話す。
「私に言って来ないのは、いい兆候よ。それに似たような事態に、一度対処してるから…母さん」
「こんなことが以前にも…」
二人の会話を黙って聞いていたコダマが、驚いた表情で呟いた。
その呟きを聞き、リツコは淡々と話す。
「以前と言っても、十年前の話よ。ここがネルフって呼ばれる前の話」
「その時の事態は、どうなったんですか?」
リツコの話を聞き、マヤが訊ねた。
リツコは答える。
「失敗したわ。理論は完璧だったのに、事態自体に拒絶されて」
「………」
失敗という言葉に、マヤは思わず口を閉ざしてしまった。
そんな中、館内にアナウンスが流れる。
-赤木技術部長、赤木技術部長、至急、中央司令部まで。繰り返します。赤木………。-
そのアナウンスを聞き、リツコは眉をしかめて思考する。
(それだけじゃなかったのね……。)
そう思考した後、リツコは二人に向かって口を開く。
「行くわよ。何かあったのかもしれないから」
『はい』
二人は同じように声を合わせて答えた。
そして、三人は司令部へと歩き始めた。
歩き出したリツコの背後で、コダマはマヤへと小声で話しかける。
「あの…十年前って、ネルフは何て呼ばれてたんですか?」
「え?あ、ああ、ゲヒルンだけど」
これからの事を考えていたマヤは、思考を中断させてコダマに答えた。
マヤの言葉に、コダマは頷きながら話す。
「ゲヒルンですか…。私、知りませんでした」
「多分、知らなくて当然だと思う。あまり表立って、活動して無かったみたいだから」
そう言って、マヤは微笑んで見せた。
ちなみに、コダマが知らなかった理由は、最近までD級勤務者だった為である。
そして、マヤの微笑みに、コダマも微笑み返しながら話す。
「私の知らないこと、これからも教えて下さいね。伊吹一尉」
「別に私で良かったら、いつでも教えるわ。その代わり、私にも教えてくれる?私の知らないこと」
そう言って、マヤは`さり気´無く握手を求める手を出した。
その手を優しく握り返すと、コダマは微笑んで話す。
「はい。宜しくお願いします」
二人が歩きながら交わした握手は、緊迫した状況に不釣合いな程、暖かで穏やかな握手だった。
<司令室>
司令室にはゲンドウと冬月がいた。
薄明かりの照明の中、冬月が訊ねる。
「MAGI �の破壊。……偶然か?」
「さぁな。何にしても、我々は手駒を一つ無くした」
冬月の問いに答えず、ゲンドウは自分の思いを口にした。
その言葉を聞き、冬月は話す。
「無くした駒の替わりに、新たな駒を手に入れる。参号機然り、S2機関然り……常套手段だな」
「…無くしたことを嘆くより、新たに得る方法を探す。……それだけだ」
そう答えた後、ゲンドウは僅かの間だけ目を閉じた。
そして、ゆっくりと目を開けると呟く。
「…今は、それでいい」
つづく
あとがき
今回は赤木親子の為に書いた気がします。(笑)
あと、『ヘイフリックの限界』ですが、細胞分裂回数の限界です。
もっと簡単に言うと、自己治癒能力の限界と考えて貰えると助かります。