「アスカッ!」
アスカの悲鳴が聞こえた瞬間、シンジは咄嗟的に声を上げた。
そして、直ぐに左手で口元を押さえ込んだ。
僕は僕で僕
(92)
(僕が……表に出ようとしている。)
口元を押さえ込んだシンジは、自分の状態を理解していた。
深層心理部の『碇シンジ』が、表層心理の自我を越えて、行動させたことに。
そして、鼻で2〜3度呼吸を整えると、シンジは右手で胸元を押えながら呟く。
「何だ…この感じ…。……ザラザラしてる」
参号機を目標と指示され、アスカが襲撃され、その次のことを思考しようとすると、シンジの胸は不快感に支配された。
自らの意思で感じる不快感ではなく、胸の奥から湧き出るような不快感に。
<作戦司令部>
弐号機が沈黙した事態に、作戦司令部は慌しく対処していた。
事態に対処しようとする職員達の会話が飛び交う中、青葉が声を上げる。
「弐号機、完全に沈黙!」
「救助班を直ちに派遣!回収急げ!」
その言葉に、冬月は即座に指示を出した。だが、事態は収まりを見せない。
「目標、今度は零号機に向かっています!」
マヤの声は、参号機が弐号機から零号機に標的を移したことを告げていた。
そのことを理解し、ゲンドウは指示を下す。
「零号機とJAで迎撃体勢。初号機を直ぐに応援に回せ」
「了解です。シンジ君、聞こえてる?零号機、JAで対処するから、直ぐ応援に向かって頂戴」
ゲンドウの指示に即座に反応し、マヤは初号機のシンジへと回線を開いていた。
-は…はい。…了…解です。-
モニターからは、息苦しそうに口元を押さえ込んだシンジが映っていた。
その状況に、マヤは驚いた表情で訊ねる。
「どうしたの?気分でも悪いの?」
-い、いえ、何でもありません。…応援に向かいます。-
プツ。
シンジからの回線は、一方的に初号機側から切られた。
その後、マヤは直ぐにシンジのデータをチェックした。
(脳波、心拍、体温、…身体面に異常無し。…精神に若干の乱れあり。
…弐号機のことが原因?……あ!)
瞬時に、そこまで思考すると、マヤは報告義務を思い出し、司令席に声を上げる。
「初号機、零号機の応援に向かいました!」
マヤの声が響くと、ゲンドウの隣にいる冬月が小さく呟く。
「……間に合うか?」
「…いや、後手に回った。零号機まで距離がある」
ゲンドウと冬月の会話は、戦闘内容のことであった。
『三機総掛かり』という案は良かったが、実際に展開した後、その案の効果は薄いことを話していた。
ゲンドウの言葉を聞いた後、冬月はモニターに映る参号機を見ながら呟く。
「いざとなれば…」
「ああ…ダミーを使う」
冬月の言葉を継ぎ足すように、ゲンドウは呟いた。
<零号機内>
(乗ってるわ…彼……。)
モニターに映る参号機を見ながら、レイは参号機操縦者のことを考えていた。
そして、参号機に誰が乗っているのかを、レイは知っていた。
-JAと初号機が向かってるから、それまで頑張って欲しい。-
レイの思考は、司令部の日向からの回線に遮られた。
その言葉を聞き、レイは短く答える。
「……了解」
カチッ。
答えた後、レイは参号機を確認しようとモニターを操作した。
「!」
確認した参号機の姿は、レイを驚かせた。
そこには、体を力強く異様な形に曲げる、参号機の姿があったからだった。
ギュギュッ。
参号機が体を捩(ねじ)る音が、野辺山に響く。
その行動に、どう対処するべきか、レイは迷っていたが、突如、変化が起こる。
ギュン!
参号機は体の捩(ねじ)れを解放すると、一瞬にして宙に舞った。
「!」
その行動に完全に虚を突かれ、零号機は身動き一つ取ることが出来なかった。
使徒は空中で前方回転しながら、零号機めがけて突進した。
ガスンッ!
参号機は浴びせ蹴りのような体勢で、零号機の胴体部に攻撃を加えた。
零号機は堪らず地面に倒れこんだ。
その動きを逃さず捉えた参号機は、即座に零号機の上に馬乗りになった。
「クッ!……」
その状態から脱出しようと思考したが、レイが思考を進める前に、参号機が行動を起こした。
グヴァッ。
参号機は開けた口を、より一層大きく開けると、その口から体液のような物を吐き出した。
液体は零号機の左腕に付着する。
ジュジュッ。
その液体が付着すると、零号機の左腕からは白煙が上がった。
参号機の攻撃に、レイは声に成らない声を上げる。
「ッ!」
<作戦司令部>
「零号機左腕部に使徒侵入!」
参号機の行動に、マヤが声を上げていた。
作戦司令部では、既に参号機ではなく『使徒』と言葉が使われていた。
マヤの報告に、ゲンドウが静かに答える。
「左腕部、切断」
「しかし、神経接続を解除しないと…」
ゲンドウの苛烈な言葉に、マヤは戸惑いの表情を隠せなかった。
だが、そんな表情など気にする様子も無く、ゲンドウは話す。
「切断だ。…急げ」
「………はい」
それ以上抵抗すること無く、マヤはゲンドウの指示に従った。
零号機・左腕部が使徒に侵入された事態に、時間的余裕が無い所為でもあった。
プシュッ。
司令部に零号機の左腕が切断される音が響いた。
<野辺山、零号機>
「………ッ」
神経接続されたまま左腕を切断され、レイは自分の左腕を押えながら小さく声を上げた。
参号機は動かなくなった零号機を見下ろす。
そして、背後に迫ってきた足音に気づいた。
「綾波さん!」
参号機のもとに駆けつけた機体は、『霧島マナ』の乗るJAであった。
マナの乗るJAに、レイでは無く、司令部の音声が聞こえてくる。
-零号機、中破!パイロットは負傷!-
その音声を聞き、マナは怒りに手を震わせながら口を開く。
「何よ、何よ、何よ!使徒だか何だか知らないけど、私の友達を…友達を傷つけるのは許さないんだからッ!」
ガシッ。
そうマナが声を上げた後、JAはパレットガンを身構えた。
参号機は、その行動に怯(ひる)むこと無く、真っ直ぐ前進してくる。
ズガガガッ!
その行動に躊躇(ちゅうちょ)無く、JAはトリガーを引いた。
トウジが乗っているプラグが、そのままであることを知らない所為でもあったが。
シュッ。
パレットガンを見を屈(かが)めて避けると、参号機は手を異様な迄に伸ばした。
参号機の手はJAの喉元を捉え、握り潰そうとしていた。
「あ…グゥ…ッ……」
その攻撃に、マナは苦しそうに呻(うめ)き声を上げることしか出来なかった。
グジュッ!
数秒後、JAの首が握り潰される音が響いた。
<野辺山、初号機>
野辺山の山間部を駆け抜ける初号機内に、司令部の音声が響く。
-JA戦闘不能!パイロットの生存は確認!!-
その音声が響くと、シンジの胸は一層締め付けられる。
(この不快感……間違いない。…『碇シンジ』…君だね。)
初号機を操縦し、口元を押さえ込みながら、シンジは不快感の答えも見出していた。
自我を越えようとしている自分の中の自分が、不快感を感じさせていることに。
-目標、接近!-
シンジが思考していると、青葉の声が聞こえてきた。
そして、直ぐに父の声が聞こえてくる。
-目標は接近中だ。あと20で接触する。…お前が倒せ。-
「…う…うん」
シンジは返事をすることに集中して答えた。
そうしなければ、今にも『自分の中の自分』が弾け出そうだったから。
ズサッ。
そして、参号機が見える位置まで来ると、初号機は砂煙を上げながら足を止めた。
モニターに参号機をアップで映すと、シンジは息苦しそうに呟く。
「最悪だ……」
初号機のモニターには、参号機のエントリープラグが映っていた。
「…でも…使徒だ。…あれは…人類の敵なんだ」
シンジは自分に言い聞かせるように呟き、初号機にパレットガンのトリガーを引かせる。
カチッ、ズガガガガガッ。
トリガーを引く音に続き、弾丸の発射音が響く。
野辺山には硝煙と火薬の匂いが残る。
(……やった?…そんな筈無い。手応えが無さ過ぎる。)
そう思った後、シンジはモニターを操作し、参号機の姿を探した。
探しながら、シンジは唐突に声を上げる。
「中に子供が!僕と同い歳の子供が乗ってるんだ!!」
「!」
自分の行動に、シンジは驚きの表情を隠せなかった。
そんなシンジに、司令部の音声が伝わる。
-使徒の反応、今だ健在。-
(健在…。……どこッ?)
自分の言動に気を取られ、シンジは使徒を見失っていた。
カチッカチッ。
忙しげにモニターを操作して使徒を探すが、シンジが見つけるよりも、参号機の攻撃の方が早かった。
参号機は初号機の右後方部から、首筋を狙って腕を伸ばしていた。
ガシッ。
シンジの一瞬の隙を見逃さず捉えた参号機は、首筋を握る手に力を込めた。
ググッ。
「クッ、クソッ…」
首を絞められながら、シンジは抵抗する手段を模索した。
まず、手に握っていたパレットガンで、右背後を狙って撃ったが、虚しく空を切るだけであった。
次に背後目掛けて蹴りを放ったが、参号機は腕を伸ばしている為、それも空を切った。
(ま、まずい……な。)
シンジの思考通り、その状況は最悪の事態であった。
そして、シンジの状況と裏腹な言葉が、この事態に声を上げる。
「戦うなんて出来ない!!助けなきゃ!助けなきゃ!人殺しなんて出来ない!」
<作戦司令部>
シンジの声は司令部にも届き、ゲンドウの知る所となっていた。
シンジの言葉に、ゲンドウは静かに語りかける。
「戦え。さもなくば、お前が死ぬぞ」
-戦うよ……。でも、人が乗ってるんだよ!-
シンジの言動は不可解極まりないものであった。
一度了承の言葉を口にし、次に拒絶の言葉を口にしたのだから。
その言葉を、ゲンドウは拒絶するものと受け取った。
ゲンドウは声を上げ、先程と同じ言葉を命令する。
「戦え!お前が死ぬぞ!!」
-いいよ!人を殺すよりはいい!!-
シンジは心の奥から湧き出る言葉を口にしていた。
自分の中の自分の言葉を。
ググッ。
シンジの言葉を聞き、ゲンドウは握り締めていた両手に力を込めた。
そして、席を立ち声を荒げながら命令する。
「パイロットと初号機のシンクロを全面カット!ダミーに切り替えろ!」
「し、しかし、ダミーシステムには、まだ問題も多く、赤木博士の指示無く……」
ゲンドウの言葉に、マヤは戸惑いの表情で忠告のようなものを助言した。
だが、その言葉を聞き流し、ゲンドウは命令する。
「構わん。今のパイロットより役に立つ。やれ」
「…はい」
マヤはゲンドウの言葉に抗うことは出来なかった。
カチッ。
そして、静かにダミーの作動スイッチを押した。
<初号機内>
突然、初号機内のエントリープラグに赤色灯が点(とも)った。
その事態が理解出来ず、シンジは呟く。
「何だ?…何が起きたんだ?」
プラグ内には聞きなれ無い機械の作動音に混じって、司令部の会話が響く。
-信号。受信を確認。-
-管制システム、切り替え完了。-
-全神経、ダミーシステムへ直結完了。-
-感情素子の32.8%が不鮮明。モニターできません。-
そんな会話の後、ゲンドウの声が初号機に響く。
-システム解放。攻撃開始。-
グゥォォォォォォォ!!
プラグ内に叫び声が響く。
何度か聞いたことのある叫び声…初号機の叫び声が…。
その事態に、シンジは驚きと怒りの入り混じった表情で声を上げる。
「何をしたんだ!父さんッ!!」
<作戦司令部>
作戦司令部の中央モニターには、初号機の様子が映し出されていた。
赤く妖しく瞳を光らせ、暴虐な口を開き、参号機の掴んだ首筋の手を、鷲掴みにする初号機の姿が。
グシャッ!
そして、参号機の手を一瞬にして、初号機が握り潰した。
「…これが…ダミープラグの…『力』なの」
初号機の行動に、マヤは驚嘆を禁じ得ず、ただ呟くだけであった。
マヤの驚嘆を他所に、他の職員は声を上げ報告する。
「システム正常!」
「さらにゲイン上がります!」
モニターには初号機が参号機の首筋を握り絞め付ける姿が映し出される。
そして、数秒も経たない内に、鈍い破壊音が聞こえてくる。
グシャリ。
参号機の頭は、力無く項垂(うなだ)れる。
参号機頭部は、装甲の皮一枚で繋がっているだけであった。
だが、初号機の攻撃は止まない。
既に無抵抗の参号機の首を絞め付け、体を持ち上げる。
そして、そのまま軽々と、何の躊躇(ちゅうちょ)も無く、地面に叩きつけた。
ゲンドウは初号機の攻撃を、静かに見つめていた。
その表情には微笑すら感じられた。
ゲンドウは、シンジの父である前に、ネルフの総司令であったから。
「さ、参号機、完全に沈黙……」
初号機の暴虐無人な戦いを目の当たりにしながらも、青葉は報告義務をこなした。
グシャッ…。
その報告の後、初号機は参号機の頭部を叩き潰す音が響いた。
モニターには参号機の無残なまでの姿と、血まみれの初号機の姿が映る。
(酷いッ!)
その光景にマヤは思わず目を覆った。
この時、マヤはシンジのシンロデータの異変に気づかなかった。
異常なまでに上昇していくシンクロ率に。
<初号機内>
初号機内のモニターには、残酷なまでに破壊される参号機の姿が映っている。
そして、その様子を、シンジは静かな表情で見つめている。
先程までの表情とは一変して……。
シンジは思考する。
(…やっぱり、君は優しすぎる。…残酷なまでに…優しすぎる。
戦う前に、もっと話しておくべきだった。……僕が君との約束を守るってことを。)
そう思考した後、シンジは静かな微笑を見せて口を開く。
「うん。…心配しなくてもいい。…助けて見せる」
そう呟いた後、シンジは操縦桿を握りながら言葉をつなぐ。
「…助ける。…君との約束は守る。……それが、どんな形になっても…必ず」
ガツン、ガツン。
シンジが呟く間も初号機の攻撃は止まず、参号機を傷つける衝撃音が伝わってくる。
その音を聞き、シンジは静かに目を閉じて呟く。
「母さん……僕は…ここに居る」
つづく
あとがき
ある意味、勢いで書き上げました。
最初に書き始めた時の気持ちに近くて、少しだけ嬉しいかも。(笑)