夕刻。
青葉は帰宅すると、眠そうな顔でメモ用紙に何やら書き込んでいた。
そして、それを食卓の上に置くと、浴室に向かった。
僕は僕で僕
(86)
浴室に来た青葉は、服を脱ぐ仕草を見せたが、フラフラと床に座り込んでしまった。
「ふぁぁ……」
そして、大きな欠伸(あくび)を一つ吐くと、その場で眠ってしまった。
青葉の行動にも無理は無い。
殆(ほとん)ど眠らずに堅実なオペレートをこなした後、ようやく得た休息時間であったから。
ゴトッ。
「ZZZ…」
上体を床に寝そべらすと、青葉は寝息を立てはじめた。
<リツコのマンション>
「寝るわ」
帰宅したリツコは、マナに一言話すと寝室に直行した。
「は、はい」
寝室に向かうリツコの後姿を見ながら、マナは言葉を返すだけであった。
リツコの`このような言動´は、これが最初では無かった。
日頃から多忙を極めるリツコは、何度かこういう言動を取ることがあった。
パタン。
リツコの寝室の扉が閉まると、マナは優しげな表情で呟く。
「……おやすみなさい」
<病院施設、シンジの病室>
アスカは帰宅途中に、シンジの病室に寄り道をしていた。
お弁当箱を返す為であった。
カタッ……。
病室のテーブルに空っぽの弁当箱を置くと、アスカは側にいるシンジを見つめた。
シンジは頭に包帯を巻き、腕に点滴を射した状態で眠っていた。
「………」
(シンジ……。)
アスカは話しかけようとしたが、声にならず、ただ見つめるだけだった。
五分後。
プシュ。
病室に扉の開く音が響く。
何も言わず、何も触れず、何をすることも無く、アスカはシンジの病室から去った。
<青葉のマンション>
ガチャ。
「ただいま……」
玄関に静かに響く声、レイは学校を終えて帰宅した。
そして、レイが靴を脱ぎながら玄関を見ると、そこには見慣れた青葉の靴があった。
スタスタ。
レイは靴を脱いで居間に来ると、青葉の姿を探した。
だが、何処にも青葉の姿は無かった。
そして、ふと食卓に置いてあった、青葉の書いたメモが目に入った。
メモを手に取り一読した後、レイは静かにもとの場所に戻した。
メモを戻した後、レイは自室に鞄を置き玄関に向かった。
「行ってきます……」
パタン。
靴を履き、小さく呟くと、レイはマンションを出た。
青葉のメモ用紙には、こう書いていた。
| レイちゃんへ 今日は夕食の用意が出来そうも無い。 俺のカードを置いておくので、好きなものを食べて欲しい。 何か用があったら、自室にいるので気兼ね無く起こしてくれ。 青葉より |
だが、メモ用紙の横に置いてあったカードは、そのままであった。
<ミサトのマンション>
日が沈み、夜が始まろうとする頃。
マユミは、ミサトのマンション前まで連れて来られていた。
無論、マユミの横にはミサトが立っている。
「あの…私…別に一人暮らしでも大丈夫ですけど……」
マユミは一緒に暮らすことを遠慮したのか、俯(うつむ)きながらミサトに話しかけた。
そんなマユミに、ミサトは苦笑しながら話す。
「何言ってんの。女の子の一人暮らしなんて、誰がどう見ても危険じゃない。
それに加持なんかと同居したら、妊娠させられちゃうわよ。気をつけなさい、あの男は獣なんだから」
加持のことを散々けなした後、ミサトは玄関の扉を開けようとした。
ガチャガチャ。
だが開かない。
普段なら、アスカが帰ってきている筈なのだが、今日は違った。
「……アスカ、帰って来て無いのかしら?」
ポケットから鍵を出しながら、ミサトは怪訝な表情で呟いた。
そして、ミサトは玄関の鍵を開けながら言葉をつなぐ。
「同い年のアスカって娘(こ)、山岸さんと同じパイロットなんだけど、彼女も私の家族だから仲良くしてね♪」
「…はい」
マユミは翳(かげ)りのある表情を見せながら答えた。
同居という初めての体験を迎え、マユミは不安を感じていたからだった。
ガチャ。
マユミが不安げな表情で、ミサトの背中を見つめていると、玄関の鍵が開く音がした。
そして、ミサトは玄関の扉を開くと、優しげな表情で口を開く。
「この扉を通り抜けた瞬間から、山岸さんは私の家族になるの……。…通ってくれる?」
「………」
その言葉に、マユミは何も言えず、驚いた表情でミサトの顔を見つめた。
そして、小さく呟く。
「私が…家族に……」
「…そうよ。……山岸さんが望めば、私は喜んで家族にならせて貰うわ」
マユミの呟きに、ミサトは優しい言葉と表情で答えた。
「私…私……」
ミサトの言葉に、マユミは胸が一杯になり、瞳を赤く滲(にじ)ませた。
そんなマユミを、ミサトは何も言わず、ただ優しく抱きしめるだけだった。
<シンジの病室>
夜。
未だにシンジは眠っていた。
眠っている間に点滴は外され、頭の包帯も新しい物に代えられていた。
「………」
真っ暗な部屋で、シンジは`ゆっくり´と目を開けた。
そして、か細く弱々しい声で呟く。
「……頭が…痛い」
プシュ。
シンジが呟いた後、病室の扉が開いた。
その音を聞き、シンジは寝た状態のままで扉の方を見た。
「……綾波」
シンジの瞳には、レイが映っていた。
レイの姿を確認すると、シンジは上体を`ゆっくり´と起こし始めた。
ズキッ…ズキッ…。
「………クッ」
その動作は、シンジの頭の傷を疼(うず)かせた。
痛みを感じながら体を起こすと、気丈にもシンジは微笑を見せて話しかける。
「……廊下で話さない?」
コクリ。
シンジが苦痛混じりに発した言葉を聞き、レイは静かに頷いて答えた。
<病室前、廊下>
二人は廊下の長椅子に腰を下ろすと、顔を合わせずに正面だけを見つめた。
二人の瞳には真っ白な壁、無機質な壁が映る。
廊下の窓から月の光が二人を照らす中、レイが静かに訊ねる。
「…なぜ、私を庇(かば)ったの?」
「解らない。………でも、解ってる」
シンジは壁を見つめながら、理解し難い言葉を口にした。
そして、頭の包帯に触れながら言葉をつなぐ。
「僕の中の僕…。……僕が邪魔をした」
「!」
シンジの言葉に、レイは一瞬だけ驚いた表情を見せた。
だが、直ぐに表情を消して、無表情に小さく呟く。
「……そう」
レイが呟いた後、二人は月明かりの静寂の中で沈黙した。
そんな静寂の中、シンジが淡々とした表情で呟く。
「……綾波は生きてる。…僕も生きてる。…僕の中の僕も生きてる。……今は、それだけ」
シンジの呟きを聞き、レイは壁を見つめながら無表情に呟く。
「…生は魂の呪縛。…死は魂の解放。……私は死を待ち望んでる」
ポタリ、ポタリ。
レイが呟いた後、不意にシンジの瞳から涙がこぼれ始めた。
自分が意識せず、不意に涙が溢れ始めた状況に、シンジは驚いた表情を見せていた。
「…涙が…止まらない」
シンジは両手に涙を落としながら呟いた。
その状況を見つめながら、レイは不思議そうな表情で訊ねる。
「…なぜ、泣いてるの?」
「僕。……僕の中の僕が泣いてるんだ」
そう呟いた後、シンジは自分に対して言葉をつなぐ。
「…泣かないで…僕の中の僕」
「……碇君」
シンジの言葉に、レイは呟くだけだった。
この時、レイは確信した。
自分が知るシンジは、紛れも無く『碇シンジ』の中に居るということに。
<ミサトのマンション、浴室>
マユミは浴室でシャワーを浴びていた。
全ての出来事を洗い流すように、頭からシャワーを浴びていた。
マユミは手にシャンプーを取りながら思考する。
(………葛城ミサトさん。悪い人じゃないみたい。
…私に優しくしてくれる。……そんな気がする。)
プシュ。
そう思った後、マユミはシャンプーを頭につけた。
ゴシゴシ。
長い黒髪を丁寧に洗いながら、マユミはポツリと呟く。
「…LCLの匂いが残ってる」
ビクン。
そう言った後、マユミは自分の言葉に反応して、体を小さく震わせた。
そしてタイルの上に跪(ひざまず)きながら、両手で自分の肩を押さえ込んだ。
マユミは震えながら呟く。
「司令を…博士を……私は…見殺しにした」
呟きながら、マユミは司令の言葉を思い出す。
「君は我々が生きた証だ」
自分の言葉を引き鉄にして、マユミはアメリカ第二支部の出来事を思い出した。
だが、それはマユミにとって残酷な記憶でしかなかった。
思い出した後、マユミは浴室のタイルに蹲(うずくま)りながら呟く。
「……私に…生きる価値なんて無い」
<ミサトのマンション、居間>
グビグビ。
マユミが浴室で震える中、ミサトは居間でビールを飲んでいた。
ミサトは飲みながら思考する。
(山岸さん。…いい子よね。…少し、いい子過ぎるのが気になるけど。)
ガチャ。
「ただいまぁ〜」
ミサトがビールを飲んでいると、玄関からアスカの声が聞こえた。
アスカの声に、ミサトは微笑みながら声を上げる。
「おかえんなさ〜い♪」
アスカは居間まで来ると、いつもと変わらない表情でミサトに訊ねる。
「靴が多いけど、誰か来てるの?」
「チョッチね。新しい同居人が来てるの」
そう言って、ミサトは楽しそうに微笑んだ。
ミサトの言葉に、アスカは素っ気無い表情で答える。
「そう、私の部屋は譲らないわよ」
そう言った後、アスカは自室に向かおうとした。
ガラッ。
アスカが向かおうとした瞬間、浴室の扉が開いた。
そこには虚ろな暗い表情をしたマユミが、タオルケットを体に巻きつけて立っていた。
マユミの登場に、ミサトは楽しげに口を開く。
「四号機専属操縦者、山岸マユミ、14歳。仲良くして頂戴♪」
「四号機…操縦者……」
ミサトの言葉を聞き、アスカは呟きながらマユミを見つめた。
マユミは、アスカの視線を感じながら口を開く。
「あの……私、着替えを持ってないので…」
「え?あ、そうね。アスカ、貸してあげてくれる?」
マユミの言葉を聞き、ミサトはアスカに訊ねた。
アスカは淡々とした表情で答える。
「……こっちに来て。…私の部屋で着替えればいいから」
「は、はい」
同じ歳の少女に気を使い、敬語で返事を返すマユミであった。
そんな二人を見て、ミサトは微笑みながら思う。
(結構上手く行きそうじゃない♪)
<アスカの自室>
「下着は、これ。パジャマは私着ないから、適当に選んで着てくれる?」
タンスの引出しから下着を手渡しながら、アスカはマユミに話しかけた。
マユミは緊張気味に言葉を返す。
「あ、ありがとうございます」
「気、使わないで。これから同居するんだから」
そう言って、アスカは苦笑して見せた。
「は、はい」
アスカの言葉に、やはり緊張気味に言葉を返すマユミであった。
ドサッ。
マユミの返事を聞いた後、アスカは自分のベットに体を横たえながら思う。
(……誰でも良かったんだ。…誰かに優しくしたかったんだ。………私。)
「あ、あの……」
アスカが思考していると、唐突にマユミに話しかけられた。
マユミの言葉に、アスカは体を起こして訊ねる。
「ん、何?」
「このブラ……私には大きいみたいです」
マユミは顔を赤くしながら、不釣合いなブラをはめていた。
その状況に、アスカは笑いながら答える。
「悪いけど、サイズそれしか持ってないの」
結局、今夜は自分の下着をつけるマユミであった。
<深夜、アスカの自室>
マユミはアスカの部屋に布団を敷いて横になっていた。
何処で寝ればいいのか、ミサトに訊ねようとしたが、返事は返ってこなかったからだった。
昨日の戦闘指揮での疲れが出たのか、ミサトは居間で爆睡していた。
真っ暗な部屋の中、二人とも目を閉じていたが、眠ってはいなかった。
そんな中、ベットの上のアスカが、マユミに背を向けたまま口を開く。
「マユミ、起きてる?」
「…何です?アスカさん」
マユミは天井を見つめながら言葉を返した。
短い時間の中、いつの間にか、二人の呼び方は決まっていた。
アスカはマユミと呼び、マユミはアスカさんと呼ぶ、そんな決まりが自然と出来ていた。
「……初号機パイロット、って知ってる?」
暗闇の中、アスカはシンジのことを話していた。
「……」
その言葉に、マユミは少し沈黙した後、ゆっくりと口を開く。
「……今日、パイロットとして初めて会いました。通り掛かりですけど……彼、怪我してました」
「…その怪我、私がさせたんだ。……私が、初号機と四号機を撃ち抜いて」
アスカの言葉には覇気がなく、弱々しいものであった。
その言葉に、マユミは静かに答える。
「アスカさんは悪く無いです。……原因は全部、私…私ですから」
マユミが話した後、二人は少しの間だけ沈黙した。
そして、ゆっくりとアスカが口を開く。
「………酷ね。…その言葉」
「……ごめんなさい」
マユミは、ただ謝罪の言葉を口にするだけだった。
アスカは静かに話しかける。
「…寝よ。……なんか疲れちゃった」
「はい…おやすみなさい」
アスカの言葉を聞き、マユミも静かに話した。
だが、アスカは何も答えず、ただ毛布を体に包(くる)ませるだけだった。
真っ暗な部屋の中、マユミは天井を見上げながら思う。
(……生きてるだけで、私は迷惑をかけてるのかもしれない。
…存在するだけで…邪魔をしているのかもしれない。)
(……死ぬ勇気も無いのに。)
そう思った後、アスカに背を向けた形で体を丸くしながら、マユミは目を閉じた。
<シンジの病室>
真っ暗な病室の中。
シンジの涙が止まった後、レイは帰宅した。
そして、シンジは自分のベットに腰掛けて、アスカが持ってきた弁当箱を見つめていた。
(…アスカ。……来てたんだ。)
カタッ。
そう思った後、シンジは弁当箱を手に取った。
そして呟く。
「……約束、守ったんだね」
シンジはアスカの言葉を覚えていた。
「お、お弁当箱、洗って返すって言いに来たのよ」
アスカの言葉を思い出した後、シンジは寂しげな表情で呟く。
「約束、か……」
つづく
あとがき
気づいた方もいると思いますが、マユミの展開は本編の第弐話を参考にしています。
シンジの役回りを、マユミにやって貰いました。