恐怖?
孤独?
虚数空間の海に取り込まれた四号機の中で、マユミは恐怖と孤独に立ち向かっていた。
僕は僕で僕
(77)
四号機の中で、マユミは思考する。
(……これがディラックの海。
でも…どうやって逃げ出せば………私、解らない。)
第十二使徒に関しての情報を、マユミは多少なり知っていた。
日本支部が記録した戦闘データを、上官から見せられていた為である。
(スズハラ博士…。……私、駄目です。
怖い、怖いです。……逃げ出したい。)
そう思った後、マユミはプラグスーツの胸元を強く握った。
胸元には、加持から貰ったペンダントが入っていた。
プラグスーツの上からペンダントを握り締め、マユミは目を閉じ恐怖に震えながら呟く。
「……私を守って」
<数時間前、アメリカ第二支部>
数時間前のネバダでは、四号機に搭載されたS2機関の実験が開始されようとしていた。
司令官の指示のもと、タイムスケジュール通りに。
そして実験室には、スズハラ博士と第二支部の司令の姿があった。
「では、起動実験を開始しましょう」
そう言って、スズハラ博士は周りにいる研究員たちに声をかけた。
そして、背後にいる司令官を見て言葉をつなぐ。
「宜しいですかな、司令?」
「構わん、進めてくれ」
短く答えた司令は、あの軍の高官でもある男だった。
「了解です」
スズハラ博士は薄ら笑いのような笑顔で答えると、四号機に回線を開く。
「聞こえてるかね、山岸君?」
-はい、良く聞こえています。-
実験室のモニターに、マユミの少し緊張した表情が映し出された。
マユミの表情を見て、スズハラ博士は話しかける。
「この実験は、言わば仮想的に四号機を暴走させることにある。
すなわち、意図的な精神負荷をかけるんだ。……知ってるね」
-はい、搭乗前に伺いました。-
マユミは簡潔に答えた。
「宜しい。では、実験を始めましょう」
マユミの言葉に満面の笑顔で答えると、スズハラ博士は実験開始の合図を出した。
スズハラ博士とマユミが会話する中、背後で様子を見ていた司令は腕組みしながら思考する。
(S2機関が完成すれば、日本支部のエヴァなど物の数では無い。
見ていろ…日本支部。……委員会の老いぼれども。)
そう思考した後、司令は組んだ腕に力を込めた。
そして、実験は開始された。
「神経接続開始します」
「シンクロ値上昇していきます。…56、57、58、59」
「この数値で行きますと、実験後の精神汚染の心配はありません」
第二支部の職員達の会話が飛び交う。
職員達の報告を聞き、スズハラ博士は真剣な表情で口を開く。
「…起動させてください」
「四号機起動します。…うをっ!」
職員が四号機を起動させた瞬間、第二支部で異変が起きた。
グラリ。
第二支部全体が、傾(かたむ)いたのであった。
傾きを増していく実験室の中で、近くの椅子にしがみ付きながら司令が声を上げる。
「どうした?!何が起きた?!」
「わ、解りません!」
職員の一人がモニター台にしがみ付きながら、司令に答えた。
職員の言葉に、司令は更に声を上げる。
「解らないじゃないッ!中央司令部に連絡を取れ!」
司令の声の後、直ぐに他の職員が声を上げる。
「司令部より報告!第二支部は、正体不明の超エネルギー体に飲み込まれているそうです!」
「エネルギー体だと?!使徒か?!」
職員の報告を聞き、司令が声を上げ訊ねた。
傾き続ける実験室の中で、職員は焦り混じりに答える。
「いえ、使徒の反応は無いそうです!」
職員と司令の会話を聞き、スズハラ博士はエネルギー体の正体を把握していた。
スズハラ博士は思考する。
(……余波だね。…間違い無く。)
スズハラ博士が思考して数十秒後、傾き続ける実験室の傾きが突如止まった。
「と、止まった?」
「助かったのか?」
傾きが止まった事態に、職員達は不安げな表情で声を上げた。
職員達の言葉に、スズハラ博士は冷静に口を開く。
「いえ、完全に飲み込まれたのでしょう」
「どういうことだ、それは?」
スズハラ博士の言葉が理解出来ず、司令が訊ねた。
スズハラ博士は説明する。
「…先の日本支部の戦闘です。…ディラックの海、日本支部の技術部長が名付けた空間。
……それに飲み込まれたんですな」
ミシッ、ミシッ。
スズハラ博士が説明する間、実験室には奇妙な軋(きし)む音が聞こえていた。
どうやら第二支部は、虚数空間という空間の圧力に耐え切れず、外壁から崩れ始めているようだった。
軋(きし)む音が響く中、職員の一人が訊ねる。
「我々は助かるんですか?」
「…NO。それが答えです」
スズハラ博士の言葉は、過酷なものだった。
その言葉を聞き、職員の一人が取り乱して叫ぶ。
「うわぁぁぁぁ!嫌だ!死にたくない!」
職員が取り乱すと、司令が近づき腕を振りかぶる。
バキッ!
そして、力の限り殴りつけ声を上げる。
「取り乱すな!馬鹿者!」
そして、スズハラ博士の方を向き、冷静な表情で言葉をつなぐ。
「スズハラ博士、我々の生き残る道は残っていない。…そう仰(おっしゃ)るのだな」
「はい、残念ながら…」
スズハラ博士は淡々とした表情で答えた。
年齢なりの卓越した死への心構えが、そうさせていたのだろう。
スズハラ博士の言葉を聞き、司令は思考する。
(なるほどな…。謀ったな、キール。
そういう手で来るとは…。正直、甘く見すぎていたか…。
まさか、我々の存在自体を消し去ろうとするとは……。)
「!」
思考を進める間、司令は`あること´を思いついた。
そして口を開く。
「四号機、四号機も駄目か?」
司令の言葉に、スズハラ博士は微笑を見せた。
そして、微笑を浮かべたまま話し始める。
「いえ、アレは別です。…先の日本支部の行動から、助かる可能性は十分に持っています」
「…そうか」
スズハラ博士の言葉に、司令は少し安堵したような表情を見せ呟いた。
ミシッミシッ。
二人が会話する間、軋(きし)む音は次第に大きくなっていた。
その音を聞き司令は職員へと話しかける。
「時間が無い。…四号機へ回線を開け。話をしたい」
回線が開いた後。
-何が起きたんですか?-
マユミは回線が開くと、直ぐに現状事態を訊ねた。
だが、司令はマユミの言葉に答えず、質問を始める。
「……山岸君、君は先の第十二使徒との戦闘データを見た筈だな?」
-…はい。-
マユミは戸惑いながらも頷いて答えた。
頷きと言葉を確認すると、司令は説明する。
「その状況に、我々は陥ってしまったようだ」
-そんな?!-
司令の言葉を聞き、マユミは声を上げながらも理解していた。
現時点で置かれている状況と、第二支部ごと飲み込まれた事態を。
司令は真剣な表情でマユミに話しかける。
「ここも、そう長くはもつまい。…君はスズハラ博士から生き残る算段を教えてもらうんだ」
-……………。-
司令の言葉に、マユミは何も言うことが出来なかった。
何も言えず俯くマユミを見て、司令は優しげな表情を浮かべ語りかける。
「生きろ。…君は我々が存在した証だ」
そう言った後、司令はスズハラ博士と場所を変わった。
四号機のモニターの前に立つと、スズハラ博士は微笑みながら口を開く。
「孫に会う機会が在ったら、宜しく頼むよ。…まぁ年の順で言えば、私が先にいって当然だからね」
-博士……。-
マユミは顔を上げて呟いた。
マユミは今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「さて、生き残る算段だか…君は生きて戻る意思があるかね?」
マユミの顔を見て、スズハラ博士は訊ねた。
少しの沈黙の後、マユミは口を開く。
-………はい。-
「なら何も言うことは無い。君は、日本…第三新東京市に戻りなさい」
スズハラ博士は、そう言って優しく語りかけた。
-え?り、理解できません。-
何をいっているのか理解出来ず、マユミは困惑の表情で訊ねた。
スズハラ博士は話す。
「イメージの問題だよ。
帰りたい場所、会いたい人、それをイメージすれば、おのずと道は開かれる。…そんなもんだ」
-解りません。そんなこと言われても……。-
スズハラ博士が何を言っているのか、マユミには皆目見当がつかなかった。
「言わば虚数空間を利用した空間移動、と考えればいいよ」
スズハラ博士は、ある程度の予測の上での仮説を持っていた。
虚数空間という別次元を利用すれば、脱出する場所も変更可能なのでは…と。
ある意味、虚数空間と、エヴァの意思と、操縦者の意思を利用したワープであった。
説明を聞き、マユミは呟く。
-空間移動……。-
マユミの呟きを聞き、スズハラ博士は諭すように語りかける。
「…信じなさい。…自分と…エヴァと…エヴァの中に存在するものを」
ミシッミシッ。
二人が会話をしていると、先程にも増して大きくなった軋(きし)む音が聞こえてきた。
その音に、スズハラ博士は呟く。
「もたないね…」
そう言った後、スズハラ博士は言葉をつなぐ。
「これから残りの電源を、出来る限り四号機に送り込む。…君は電源消費を最小限に抑え、生きる努力をしなさい」
-はい…。-
マユミには答えることしか出来なかった。
その以外の言葉を考える精神的余裕など存在しなかったから。
「じゃ、お別れだ…」
プツ。
そう言って、スズハラ博士は四号機の回線を切った。
ミシッミシッ。
だんだんと音が大きくなる実験室の中で、スズハラ博士が職員に話しかける。
「第二支部の残存電源を四号機に送って下さい。四号機の許容範囲限界まで」
「了解です」
職員達は落ち着いたのか、諦めたのか、冷静に淡々と作業を始めた。
作業の進む中、司令がスズハラ博士へと話しかける。
「話は終わりかね?」
「ええ…。……私は貴方を誤解していたようです」
司令の言葉に答えると、スズハラ博士は苦笑しながら口を開いた。
スズハラ博士の言葉に、司令は訊ねる。
「どんな風に?」
「極悪非道な権力志向者と思ってましたよ」
スズハラ博士の言葉は、単刀直入なものだった。
その言葉を聞き、司令は笑って答える。
「ハッハ、そうか。…しかし、そう思われることをやっていたがな」
そう言った後、穏やかな表情で沈黙する二人。
そして軋(きし)む音が更に大きさを増す中、スズハラ博士が口を開く。
「…なぜ彼女を?」
「彼女は子供だ。まだ若い。……それに」
司令は何かを思い出したのか、途中で言葉を切った。
スズハラ博士は訊ねる。
「それに?」
「私にも同い年の娘がいる」
司令は微笑みながら答えた。
そして、遠く見つめるような眼差しで言葉をつなぐ。
「自慢の娘でな。これから、会えなくなるのが残念ではあるが…」
司令が話した直後、職員が報告する。
「司令部からの通信が途絶えました」
その報告は、司令部が虚数空間に押し潰されたことを示していた。
報告を聞き、二人は呟く。
「そろそろ、か…」
「そろそろ、ですな…」
数分後。
「四号機への電源供給、終了しました」
職員の言葉が、実験室で聞こえた…最後の言葉だった。
アメリカ第二支部は四号機を残し、完全に消滅した。
<再び、四号機の中>
四号機の中で、マユミは思考していた。
なぜ、初号機とJAは虚数空間の海から脱出できたのかを。
(……暴走。
でも…暴走を自分で起こすなんて…可能なの?)
そう思考した後、マユミは俯(うつむ)きながら呟く。
「…不可能。…そんなこと」
つづく
あとがき
TATTERED,TANGLED AND TORN.