「…さて」 

ネルフ内の通路を歩いていた少年は、退避命令にも驚くことなく、淡々とした表情で呟き声を立てた。

渚カヲル。フィフスチルドレン、四号機操縦者。

 

 

僕は僕で僕

(125)

 

 

 


 

<アスカの病室>

  

「どーすんの?」

「必要なら名前を呼ぶんじゃないかな」

妥当な意見。

問いかけに返ってきたシンジの言葉は、至極真っ当なものだと感じられた。

幾ら退避命令があっても自分達は残っていた。幾ら逃げ出そうが自分達は最前線にいた。

別段、誇る気も驕る気も無いが、覚悟にも似た自負は持っているつもりだ。

少しだけそんな思考した後、アスカは放送の流れた方向を見た。

壁に埋め込まれた白色のスピーカー。その横で作動する監視カメラ。

後者の物を見て、アスカは思考する。

(気づいても良い頃だ…と思うけど。)

訪問者。

アスカの思考よろしく、看護婦が夕食の載ったカートと共に入室してきた。

あくまでも推測だが、これまでの状況を監視カメラで覗いていたのであろう。

(…ま、別にいいけどね。減るもんじゃなし。)

別段、怒りも驚きも感動も無かった。

チルドレンとして監視がつくのは当然だろうし、しかも精神攻撃を受けて入院ともなれば尚のこと。

そんな納得と共に、アスカは看護婦が夕食を用意する様を見つめた。

「食後にこちらの薬を飲んでください」

夕食を簡易テーブルに並べ終えた看護婦が今の言葉を発した瞬間、アスカの眉間が反応した。

ホンの僅か。一瞬だけだったが。

 

看護婦退室後。

「病人じゃないッつーの!」

テーブルに置かれた薬、錠剤を鷲掴みにすると、アスカは看護婦の出て行った扉めがけて投げつけた。

小気味良い音と共に、床に散らばる錠剤。

その様を呆気にとられて見つめていたシンジは、驚きの表情を`ゆっくり´と微笑みの表情へ変えて口を開く。

アスカの行為に感じたことを、そのまま言葉にして。

「やっぱりアスカだ。おかえり」

「え、あ、ただいま」

いきなりの言葉に驚きつつも、どうにか返事を返すアスカであった。

調子の狂った会話。

だが、不思議と穏やかになる室内の空気。

怒りも収まったのか、アスカは簡易テーブルをベットの側に寄せると、夕食の献立を見た。

粥、スープ、ミルク。

(弱った胃には適当かもね。)

数日間、食事を取っていなかったことを考慮にいれ、貧相な献立に納得。

ゆっくりと食道にスープを流し込む。

程好い味わい、心地よい温かさを感じながら、アスカは話しかける。

折りたたみの簡易椅子に座る少年、先程から微笑を絶やすことなく見つめてくる少年へ。

「マユミの病室、近いの?」

「隣だよ」

「ふ〜ん。あ、そうそう。そう言えばシンジは知ってたんでしょ?エヴァの意味」

「まぁね」

「いつぐらいから?」

「シンクロ率で一番になった時ぐらいかな…」

他愛ない会話のように見えて、重要な会話。

これまでの思考を再認識させるには、とても重要な会話。

さりげない質問に返ってきた解答。

満足過ぎるほどの解答に、アスカは自分への誉め言葉をかねて独り言のように話す。

「合点がいった。正解ね。悪くないわ、私」

素っ頓狂。

唐突にも感じるアスカの独り言に、シンジは素っ頓狂な顔を見せていた。

そのことに気づいたアスカは、照れくさそうに笑いながら話しかける。

「あ、いいの。こっちの話。気にしないで」

アスカの言葉にシンジは微笑みで答えると、これまでの会話に添うような内容を話し始める。

エヴァの意味に気づいたアスカの意図を汲み、自分の想っていたことを。
感じていたことを。本心から想い、感じていることを。

「僕は母さんの意思の中で動いている。そんな風に感じることがあるんだ。
気持ち悪いとか、そんなんじゃなくって、逆に気持ちいいって思う時があるんだ。気味悪いと思うかもしれないけど」

「気味悪いなんて思わないわ。むしろ私もそうありたい」

アスカの返事に微笑んで頷くと、シンジは席を立った。

「僕、帰るね」

「シンジ。私はね、本当に弐号機に乗れて良かったと思ってる。…死んだ筈のママに会えるんだから」

違和感。

アスカの様子にではない、その言葉の内容に違和感を感じ、シンジは小さく驚いた表情を見せて訊ねる。

「アスカのお母さん、死んだの?取り込まれたんじゃなくて」

「取り込まれた?」

「あ、いや、僕の母さんは取り込まれたから、エヴァに」

「そういった形の死ってこと?」

奇妙な問いかけに対して沈黙。

疑問の問いかけに、シンジは僅かの間だけ沈黙した。

自分の母はエヴァに取り込まれた。父もその認識のもと行動している筈。だが、アスカの母は死んでいる。

朧げに脳裏に浮かぶ疑惑。

心の奥底ではアスカの言葉を否定している。だが、現実の状態から言えば肯定の姿勢をとっていた方が是である。

記憶と推測の糸を辿るには短すぎる時間。

この短い時間で確証を得ることの出来ないシンジは、口元に手を当て戸惑いにも似た表情を見せて答える。

「…そうなのかも知れないね」

シンジの行動に訝しげなものを感じないでもないが、とりあえずアスカは会話を進めることにした。

これからのシンジの行動に興味を惹かれていたからであった。

「ま、いいわ。で、ここ出て何処行くの?」

「とりあえずミサトさんに話を聞きに行ってくる」

「妥当ね。悪い話じゃないといいけど」

「だね」

会話を終え、微笑み合う二人。

軽く別れの挨拶をするとシンジは去り、アスカだけが残る。

一人きりの病室で、アスカ思考する。 

(普通な会話も出来るじゃない。意外、でもある。あんなことの後だけに。)

少しだけ自嘲気味の微笑を見せた後、アスカは先程の初めて口にした言葉に想いを馳せ、一つの言葉を呟く。

少しだけ嬉しそうに。

少しだけ頬を染めて。

「言っちゃったぞ。バカヤロー」

 

 

<作戦司令部>

 

騒然としていた。

使徒出現の報もないままでの退避命令。騒然とならないほうが不思議でもある。

ネルフ本部の職員達は司令部に集まり、今後のことを協議していた。

否、協議ではない。話し合いである。

主要の核たる司令に副司令。
赤木親子にマヤ、コダマ、日向、青葉。作戦部長たるミサトすらも姿を見せていないのだから。

職員達は様々なことを憶測で話し合う。

ネルフの組織解体。

国連に対する強国の介入。

新たな使徒に勝つ算段が無く、否応無しの撤退。

憶測、推察で物事を話せることは用意である。だが、どれも現実的であるが真実味に欠けていた。

答えなき話し合いの中、主要人物の核たる人物が訪れる。

職員の一人がその人影に気づき、声を上げる。

「碇司令」

質問に逸(はや)ろうとする職員達を手の動き一つで制止させると、
ゲンドウは皆の顔が一瞥できる場所に立って話し始める。

これから起こるであろうこと、それ故に伝えねばならぬことを。

「君達には世話になった。後の処理は私が引き受ける。…君達は一刻も早く退避したまえ」

「使徒は、使徒戦は終わっていません」

「それも時期に終わる。…正直に言おう。君達は邪魔だ。今度の作戦及び、今後の作戦に」

「納得がいきません」

「君達個人に理解して貰おうなど思っていない。理解せずとも退去してもらう」

「それは命令ですか?」

「D20、聞いての通りだ」

「今度の作戦、危険なんですか?」

「ネバダ支部消失の件、君達も覚えている筈だ」

「あれと比較的近いことが、このネルフ本部、第三新東京市で発生する」

「止める術は?」

「無い。だから逃げろと言っている」

威圧的かつ絶望的な言葉であった。

危急的状況。ネルフ本部に逃場なし。

勝つ為の算段よりも、生き延びる為の算段の方が有効に思える言葉。

その言葉に、職員達は沈黙で答えるしかなかった。

「退避期限は12時間後。0600時までには退避完了しておくように。…以上で説明は終了だ。他に質問は?」

職員達との質疑応答を一区切りさせると、ゲンドウは周囲を一瞥し、命令を告げる。

ここに居る者に対しての最後の命令。最後通告を。

「職員、非職員、民間人、全てのネルフに関わりのある者に告げる。直ちに退避開始だ」

 

 

<司令室>

 

冬月と義足の男。

この二人の許にも放送は届いた。

忙しくなってきたな、と言わんばかりに首を捻(ひね)ると、冬月は義足の男に訊ねる。

「君はどうする?」

「どの道、逃げ場は失ってます。残りますよ。自分の意志でね」

「好きにしたまえ」

義足の男の言葉に苦笑いで答えると、冬月は行く先があるのか、司令室から去った。

一人残った義足の男は、俯き加減に重い口調で呟く。

「Outside…。会わなきゃな」

 

 

<ネルフ内、廊下>

 

「久しぶりだね。綾波レイ」

カヲルはレイと出会った。

偶然か、必然か、それは誰にも理解できない。

ただ、分かることが一つ。ここで二人が出会ってしまったということだけである。

人通りの少ない廊下で。誰の目にも触れない場所で。

刹那の沈黙の後、カヲルはレイの耳元に顔を寄せると、何事かをボソボソと呟く。

途端。

レイの顔に驚きが浮かぶ。

「あ…」

驚きと共にレイが何か言葉を発しようとした時であった。

カヲルの背後から、女性の声が響く。

「勝手に歩き回ったら困るじゃないの。こっちにも都合ってものがあるんだから」

ゆっくりと振り返ると、カヲルは特有の微笑を見せて訊ねる。

目の前にいる女性。ネルフ職員の服を着た女性へ。

「…貴方は?」

「伊吹マヤ。階級は一尉。技術部所属のオペレーター。他に質問は?」

「ありません」

「じゃ、一緒に来てもらえる。手続きとか登録作業とか済ませちゃうから」

「はい」

軽く了承の言葉を口にすると、カヲルはマヤの後に付き従うようにして歩き始めた。

一つの言葉を残して。

「またね、綾波レイ」

 

一人廊下に残ったレイは俯き、深く思考していた。

以前、面識があるのであろうか、「久しぶり」と話しかけてきたカヲルのことを思慮に加えながら。

(彼が来た。…委員会。…計画を。)

短い思考の後、レイは呟く。

「終局」

 

 

<エレベーター>

 

四輪用昇降機。

車専用エレベーター、ミサトの愛車の中、かなり特殊な状況の中で二人の人物が談話していてた。

車の持主ミサトと、その部下である日向であった。

ミサトは司令部に状況を聞きに行く途中、ちょうど同じ場所に向かおうとしていた日向に出会い、合流。

好都合、これ幸いとばかりに、
自分がいなかった間のことを聞き出すべく、情報収集という名の会話を始めたからであった。

助手席に腰かけた日向は、先程の件、退避命令に関して訊ねる。

「葛城三佐はどうされます?」

「必要とあらば逃げる。その前には情報よ。…次の件、お願い」

「先程フィフスが到着しました。今、伊吹一尉が登録作業中です」

「随分とタイミングがいいのね」

「退避命令中の来訪。偶然じゃないとお思いですか?」

「疑うことは私の性分」

面倒臭げに答えると、
運転席に腰かけていたミサトは体を起こしてハンドルにもたれかかると、先程の情報内で興味の湧いた事柄を訊ねる。

「彼の詳細は?」

「過去の経緯については綾波レイと同じく抹消済み。生年月日はファースト・インパクトと同一日と判明しています」

「委員会が直で送ってきた子供よ。必ず何かあるわ」

「マルドゥックの報告書、今回の件は非公開となっています。
それもあって、ちょいと諜報部のデータに割り込んでみたんですが…」

話の結部分で言葉を濁す日向。

その様子から推察し、ミサトは苦笑いを浮かべながら言葉を継ぎ足す。

「得物はゼロ、ね」

「…ご明察です」

「落ち込むことないわよ。お陰で今回の件、少し理解できたわ」

「はぁ」

力無い日向の返答を聞きながら、ミサトは少ないながらも手中にした情報の分析を始める。

これまで、これから。今後どういった行動を取るべきかを摸索して。

(諜報部も把握していないということは、碇司令も持っている情報は少ないと見るべき。
…にしても退避命令といい、フィフスといい、物事が急激に進んでいる。今後、これらの物事に大きく関係してく)

思考を決に導こうとしていたミサトであったが、情報提供者によって遮られる。

「フィフスのシンクロテスト、どうします?」

日向の問いにミサトは真摯な瞳を見せると、不敵な表情で答える。

若干、挑発的な言葉遣いで。

「やるわ。
今回の所は小細工をやめて、素直に彼の実力、見せてもらいましょ」

 

 

<リツコの研究室>

 

「どーするんや?結局」

「どーするも、こーするも、やるよ。生まれたからには祝ってあげなきゃ。…悲しいじゃない」

トウジの質問に、マナは親猫に餌をやりながら答えた。

主の存在しない部屋で、トウジは適当な椅子に座り、マナは猫一家の寝床を作ってあげている所であった。

「その話やなくて、退避命令や。ワシらも退避するって事になったら、どーする気ってことや」

「私、肉親いないから」

「あ…」

他愛ない話題での予想外の言葉。

トウジは重い言葉の意味を悟り、素直に謝罪の言葉を口にする。

バツの悪そうな、苦虫を潰してしまったような顔で。

「すまん。悪かったな、霧島」

「いいよ、別に」

猫一家の寝床を作るのが先決なのか、トウジの謝罪が痛い所に刺さったのか、マナは背中を向けたままで答えた。

家族のいる少年に、家族のいない少女。

ネルフ以外に帰る場所のある少年と、帰る場所の無い少女。

たとえ友達であったとしても、境遇が違う。環境が違う。生活が違う。

互いの違う箇所を知った為か、二人は気不味いような雰囲気の中、沈黙してしまった。

いつものように陽気な話題、阿保みたいな会話を話せれば良いのだが、
両者とも肝心な場所では繊細な行動を取る性分の所為か、沈黙という行動しか取れなかった。

(前みたいにお祝いしたいな。今度は山岸さんも入れてさ…。)

思い出すのはリツコの妊娠騒動祝福会。

猫一家の様子を見つめながら、マナは寂しげな表情で昔を懐かしんだ。

あの頃は、毎日がお祭りみたいな感じだった。

戦自勤務から解放され、家族と呼べる人ができ、素敵な仲間が増え、毎日が楽しくて仕方なかった。

けれど、最近は壊れかかっている。

状況がそうさせるのか、自分の責任なのか分からないけど。

マナは鬱屈とした思考と共に`ため息´を吐き出すと、唐突に流れ始めた呼び出しアナウンスを耳にする。

-エヴァ搭乗者、霧島マナ、鈴原トウジ、碇シンジに告げます。
至急、指令室まで集合してください。繰り返します。エヴァ搭乗者、霧島マナ…。-

「召集や。行こか」

「先に行って。私、片付けてからいく」

小さな微笑でトウジに答えると、マナは寝床を作った道具を片付ける素振りを見せた。

「ほな、先行くで」

先に退室したトウジには悪いが、マナは正直一つの思考をしたかった。

トウジの前では出来ない、懺悔にも似た自虐とも取れる反省の思考を。

(また、嘘ついちゃった。…エヴァに居るのに、母さん。)

 

 

<マユミの病室前>

 

(運がいい。私のパスで開くなんて。)

アスカはシンジから得た情報を元に、マユミの病室に侵入しようとしていた。

退避勧告の所為もあってか、職員が皆無に近い状態の病院。

医師や看護婦はまだ存在しているが、退避準備で`てんてこ舞い´という状態である。

そういった経由もあってか、侵入作戦は意外に容易なものであった。

(チルドレンへの警備を疎かにしてんじゃないわよ。ったく…私的にはいいんだけど。)

あまりに容易に侵入出来たことに対し腹立たしく思いながらも、アスカの口許はニヤけていた。

マユミに会えるという喜びが入り混じっていたからだった。

「おっ邪魔しま〜す…」

弐号機操縦者の専用パスで病室の扉を開けると、アスカはその光景を瞳に入れた。

あまりに残酷な光景、以前のマユミを知る者には辛い光景を。

アスカは幼い頃に見た、これと良く似た光景を思い出しながら呟く。

「マユミ」

 

虚ろな瞳、口許には涎の跡、何事かを呟きながら両手の指をモゾモゾと揉み続ける少女。

現今。現時点の状況でのマユミの姿であった。

 

 

<指令室>

 

チルドレンの召集放送は、ミサトによって発せられたものであった。

日向との談話を終え、作戦司令部でリツコに会うと、今後の展望を問いただしたからだった。

返ってきた解答は事務的なものだったが。

フィフスを考慮に入れ、ギリギリまで基本スケジュールはそのまま。
予定消化と共に、C級勤務以上の職員の撤退準備開始。撤退理由の詳細については、準備開始時に直接説明。

ミサトはこの内容を容認した。

短絡的であったが、現時点での自己目的としては及第点だったからである。

脳裏の疑問はそのままに、今は静観し、情報を収集するべきだ。

現在最も自分に欠けているものは、情報。

幸いにも今の所、自分は撤退準備をする必要は無い。

時間的余裕の許す限り、情報収集と分析にあたるべきである。

ミサトなりに判断し、指示に従うことを決めたからだった。

 

「早速だけど、シンクロテストに参加してもらいます。いいわね」

無意味に広い空間に感じられる指令室で、
ミサトは一人の少年に向かい、若干威圧的ともとれる口調で指示を下していた。

少年。灰色の髪の少年。フィフス・チルドレン、渚カヲルであった。

カヲルは威圧的な口調に臆することなく、赤い瞳でミサトを見据えながら訊ねる。

「機体は?」

「四号機。以前の操縦者用に調整されてるけど、互換性のテストも兼ねて、そのまま乗ってもらいます。…不服?」

「いえ、問題ありません」

カヲルは出された条件を事も無げに受諾した。

その様相、驚きも困惑も恐れも感じさせないカヲルの態度に、ミサトは驚きを憶えざる得なかった。

(問題アリアリでしょうにッ。)

こちらは四号機のコア変換無しに乗れと言っているのだ。
しかも到着早々。少しは躊躇いや拒絶があってもいいものだが。これが、この少年の処世術とでも言うのであろうか?

ミサトは戸惑いにも似た疑問を憶えたが、あえて心の内に封じ込めておくことにした。

渚カヲルという少年の経歴が未だに不鮮明ということが、
単刀直入に訊ねることに対して妨げとなっていたからであった。

 

「おん待たせしましたぁ〜。
最終決戦兵器、人造人間エヴァンゲリオン専属操縦者三名、ご到着で〜す!」

ミサトとカヲルが対峙する中、廊下で合流したのであろうか、召集されたチルドレン・三名が姿を見せた。

朗らかな声と冗談的な内容に乗せられたのか、ミサトは破顔と呼ぶに称しない表情で歓迎する。

「待ってたわ。霧島さん」

「えぇ〜、ワシ等はいらんのかいなぁ」

トウジの言葉に苦笑すると、ミサトはチルドレン達を見回しながら答える。

「鈴原君もシンジ君も待ってたわよ。貴方達も今からシンクロテストに参加して貰うから、そのつもりでね」

「退避命令はいいんですか?」

「一応テストに関しては許可を貰ってるわ。詳しいことは後で話すから」

マナの問いに、ミサトは簡潔に答えた。

否、答えざる得なかった。自分自身、そこまで詳しい状況を把握している訳ではない。

そのことが瞬時に脳裏をよぎったからであった。

「あの、彼は?」

「フィフス・チルドレンの渚カヲル君よ。四号機に乗って貰うことになってるわ」

見慣れぬ少年に気づいたシンジの言葉に、ミサトは視線をカヲルにやりながら簡潔に紹介した。

敵意などは持っていないが、不安要素の一環であるかも知れない少年。

そんな危惧のような思いが、ミサトに簡潔に紹介させるに至った。

だが、カヲルはミサトの意図など関係無いような笑顔を見せ、シンジに話しかける。

「よろしく。碇シンジ君」

「よ、よろしく」

子供達が自己紹介を終えたのを確認すると、ミサトは一つ吐息を発し、招集をかけた用件を簡潔に告げる。

「彼を更衣室に案内してね。じゃ、今から30分後にテスト開始ってことで宜しく」

用件を告げると、ミサトは多忙を極めているのか指令室を後にする仕草を見せた。

その後姿を見て、シンジは何かを話しかけようとしたが、出来なかった。

躊躇いが邪魔をした。

忙しげなミサトの背中を視認してしまった為か、元々の繊細な性格が災いしてしまったためか、
遠ざかるミサトの背中を見つめるだけで声をかけることが出来なかった。

(アスカのこと、話したかったのに…。)

シンジが俯き加減に思考していると、不意に声をかけられる。

先程、自己紹介した少年。渚カヲルに。

「早速だけど、更衣室に案内してもらっていいかな?」

 

 

<更衣室>

 

「何処行くの?」

「ションベン。手間かかるさかい、先行っとってくれ」

簡単に用件を伝えると、トウジは下半身だけプラグスーツを着たまま男子更衣室を後にした。

実際、プラグスーツを着てしまうと、小用をするにも若干の手間を要するので、その言葉にも納得がいく。

シンジはトウジが出て行ったことを確認すると、目の前で鼻歌混じりに紺のプラグスーツに身を通すカヲルを見た。

交響曲第九番『合唱』

鼻歌にしては随分と高尚なものであった。

だが、シンジは鼻歌よりも、カヲルの着替えの手際の良さに対し、小さく驚いた表情を見せて思考していた。

(慣れてるな。最初は戸惑ったのに。)

最初は慣れると言うよりも、気持ちが悪かった。

素肌に密着する服を着るのは、何とも筆舌にし難い感覚だと思ったものだった。

「歌はいいね」

「え?」

いきなり話しかけられたことに戸惑うシンジを尻目に、カヲルは微笑みと共に話しかける。

「歌は心を満たしくれる。リリンの生み出した文化の極みだよ。…そう感じないか?碇君」

「え?あ、渚君って歌が好きなの?」

「カヲルでいいよ。碇君」

「僕も、あの、シ、シンジでいいよ」

妙に顔を紅潮させ、言葉を詰まらせながらもシンジはカヲルの言葉を受諾した。

案外いい関係になれるかも知れないな、という思いを抱きながら。

だが、そのシンジの想いは次に起こすカヲルの行動によって大きく揺らぐ。

カヲルはシンジに近づくと顔を寄せると、二つの瞳を見つめて独り言のように呟く。

「過程が違っても、お互いにこの星で生きていく形は、リリンと同じ形に落ち着いたか」

「何を…言ってるの?」

戸惑いの言葉が届いたのか、カヲルは顔を離すと、爽やかな涼風のような笑顔で答える。

困惑に彩られたシンジの心を優しく包み込むような言葉で。

「君と僕が似ているってことさ」

 

 

<プラグ実験室>

 

緊張した空気。

モニターにはシンジ達の映像が映し出されている。

周囲にはリツコ、コダマ、マヤ、日向、ミサト。退避勧告ということも要因となったのか、主要人物で固められていた。

手馴れた面々でのシンクロテスト、大した異常も無く終えるものと思われていた。

「あと0.3下げてみて」

「はい」

リツコの指示にマヤは即座に反応し、四号機のシンクロ領域をコンマ3下げた。

擬似的負荷に対する四号機の反応は驚異的なものであった。

四号機の持つ、否、フィフスチルドレンの持つresist領域は無尽蔵なのか?

このデータを確認した周囲の人物は、そう思わざる得なかった。

「このデータに間違いは無いのね」

静かに走る緊張の中、ミサトが真摯な面持ちで訊ねる。

「全ての計測システムは正常に作動しています」

「MAGI によるデータ誤差、認められません」

「コアの変換なしに四号機とシンクロするなんて」

マヤ、日向、コダマの報告に対し、ミサトが眉間に小さく皺を寄せると、リツコの声が耳に届く。

「信じられない。システム上あり得ない筈なのに…。レイでさえ、失敗したのよ」

「でも、事実なのよ」

リツコの困惑の言葉をミサトは一蹴すると、周囲の人物を力づけるかのように言葉をつなぐ。

心の奥底でカヲルに対しての評価を、詳細不明人物から注意人物へ変更しながら。

「事実をまず受け止めてから、原因を探って」

 

 

<司令室>

 

-フィフスの少年がレイに接触したそうだ。-

「そうか」

室内にはゲンドウが一人。

職員達への説明を終えたゲンドウは、冬月からフィフス・チルドレン、渚カヲルに関する報告を受けていた。

情報は赴任したばかりのレイと同じく不鮮明。不安要素であることに間違いは無い。

この認識のもと、ゲンドウも冬月も行動していた。

-今、フィフスのデータをMAGI が全力をあげて探っている。…大方の予想はついているがな。-

「構わん。調査は引続き続行してくれ。ただし、最低限の人数で頼む」

-それなら、彼女一人でやっている。心配は無用だ。-

彼女という言葉に、ゲンドウは暫(しば)しの間だが沈黙した。

リツコはシンクロテスト中。他に該当する人物といえば。

ゲンドウが思考を決に導こうとする中、冬月が言葉をつなぐ。

-赤木君だ。-

赤木ナオコ。彼女か。

ゲンドウは予想と現実が一致したことを認識すると、受話器を握る手に力を込め口を開く。

彼女も残ってくれているのか。心強い人物が残ってくれた。そう言わんばかりの口調で。

「宜しく伝えてくれ」

 

 

<実験室前>

 

「じゃ、ペンペン迎えに行ってくるから、あとヨロシク」

言葉一つを残して、ミサトはシンクロテスト終了間際という状況下から抜け出た。

正直、情報はこれ以上望めるものでもないし、後の報告でも確認できる。

現状では市内全域への退避勧告も出ていることあり、身の回りの整理にも時間を割かねばならない。

(ったく、自分のこともままならない。精神的余裕まで無くなる。…我儘言えないか。)

結論の思考と共に`ため息´を吐き出すと、ミサトは足早に歩き始めた。

途端、不意に背後から声をかけられる。

「結婚しようか、葛城」

「今、時間無いの。後でね、加持。…へ?結婚?って、加持?!」

聞きなれた声に適当に言葉を返したミサトは、自分が聞いた言葉の内容と声に気づき、足を止めて振り返る。

驚きの瞳には義足の男が映る。

「元気そうで何よりだ」

加持リョウジ。

死んだとばかり思っていた男との再会。

相変わらずの無精髭に胡散臭い笑顔。万年発情期男。

激情。

胸に込み上げてくる喜び。だが、別なものも胸の奥から湧き上がってくる。

止め処無く溢れる感情に身を任せ、ミサトは思いっきり振りかぶる。

「ッ、この馬鹿!!」

微笑を浮かべていた加持は、いきなり拳で殴られた。

だが、殴られるままにした。

彼女の受けた痛みが、そのまま拳に比例している。そう感じていたからだった。

赤くなった頬を軽くなでると、加持は薄く目を閉じ静かに口を開く。

「…お熱い歓迎、痛み入る」

「冗談言ってる場合じゃないッ」

憤懣と呼ぶに相応しいミサトの表情。

そんな怒気を発するミサトを擦り抜けるようにして、加持は先程の言葉に対しての返答を求める。

ゆっくりと目を開け、両の瞳でミサトを真剣に見つめて。

「プロポーズの返事を欲しいんだが」

「え、あ、あ、い、いいけど」

顔を真っ赤に紅潮させ、詰まりながらも了承の言葉。

途端、加持は一生離さないと言わんばかりに、力強くミサトを抱きしめる。

口づけではなく、抱擁。

若干意外な加持の行動に驚きつつも、ミサトは加持の抱擁を受け入れた。

愛してる男の抱擁を断る女なんて、とても野暮だと思ったから。

 

長い抱擁の後、加持は`ゆっくり´と体を離すと、いつに無い真剣な表情でミサトに訊ねる。

会わなければいけない人。話さなければいけない人を脳裏に思い出して。

「時間が無い所を悪いんだが、彼女の病室を教えてくれないか。副司令に聞きそびれちまってさ」

ミサトは察知した。

加持が切実に求めている`彼女´の名を。

少し驚いた瞳を見せるミサトに対し、加持は真摯な眼差しで求める。

彼女の居場所を。

「頼む」

 

 

<ネルフ内、廊下>

 

カヲルとの出会いを経たレイは、呆然と立ち尽くしていた。

自分は何をやるべきか、それを摸索する為に深い思考の中にいたからだった。

「綾波さんですね」

思考の最中、話しかけられた。

誰かと顔を上げると、そこにはネルフの男性職員が立っていた。

職員はレイの視線が自分に注目されたことを認識すると、簡潔に用件を伝える。

「赤木博士よりの伝言を伝えます。明日0900時に作戦を発動します。
作戦名は『Imagine The Swan』。繊細は後ほど報告します。…と伝えてくれて言われました」

「了解」

職員の言葉に静かに答えた瞬間、レイは自分が何をやるべきか認識した。

否、正しくは再認識した。

これから自分が何のために生き、自分が何のために存在しているのかを。

居場所。

自分の居場所。心地の良い居場所。暖かい場所。

途端、一人の少年を思い出す。

(碇君。)

 

綾波レイは`あの日´から、シンジに自分の素体を見られた日から一度も会っていなかった。

怖かったのか、怖がられたのか。状況なのか、自分の所為のなのか、理解できなかったが。

唯、これだけは分かる。

(…会える理由が、一つだけ。)

 

 

<マユミの病室>

 

Three score mile and ten.

Can I get there by candle-light?

綺麗な歌声が聞こえてきた。

加持が病室の扉を開けた瞬間に。

(この歌、確か『How many miles to Babylon?』だよな。)

聴覚からの情報に憶測での分析。

だが、その憶測での分析は正解であった。

Mother Goose.

英国の民謡。童歌。曲調・歌詞を変え、ヨーロッパ地方でも謡われている歌。

なぜ?誰が?

加持は瞬時の思考の後、歌声の方に目をやると、充分過ぎるほどの答えを得た。

ベットに上体を起こした少女と、その隣に腰かける少女。

少女が二人。

虚ろな瞳を見せ、俯き沈黙するマユミ。

その隣で優しげな慈愛の微笑を見せながら、自らの心を慰めるように歌うアスカ。

今ここで起こっている出来事に対し、明確な解答を得た加持であった。

「Yes,and back again,…あ」

ようやく加持の入室に気づいたのか、アスカは歌を中断させると、安堵したような微笑を見せて声をかけようとした。

だが、相手に遮られた。しかも、予想を裏切るような言葉で。

「すまない。続けて」

加持の放った言葉。目を背けながら、顔を伏せながら口にした言葉は、アスカにとって意外なものであった。

冗談でも言ってくれるものと、笑顔の一つでも見せてくれるものと期待していた身としては。

 

If your heels are nimble and light,

You may get there by candle-light.

癒しにも似た、透明で澄んだ声が病室に静かに響く。

邪気の無い、穏やかな歌声。

アスカの歌声を聞きがなら、加持は二つの想いを感じていた。

幸と不幸。喜びと悲しみ。二つの言葉にも似た両極端の想いを。

アスカの復活と、マユミの沈黙。

二つの想いに責められながら、加持は俯いたままの姿勢で、自虐気味の思考をめぐらす。

喜びを押し殺し、悲しみを噛み殺しながら。

(…俺には辿り着けそうもない。)

 

 

 

つづく


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あとがき
散漫としてる。
『完結まで何マイル?』って心境。

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