弐号機、プラグ内。
足元に広がるLCLに滲む、血。
ヒクッと無意識に震える、腕。
僕は僕で僕
(121)
意識不明。
弐号機操縦者は、自ら命を絶つ行為を犯した。
だが、死んではいない。
絶命の寸前で踏み止まっていた。
額から夥(おびただ)しい血を流そうとも、意識とは関係なく腕が動こうとも。
アスカは生きている。
<参号機、プラグ内>
右腕、左脚。
装甲が間に合わず、生身が剥き出し状態の参号機。
そのプラグ内では、トウジが緊張の面持ちで声を上げていた。
「しゅ、出撃でっか?!」
-YES.装甲は完璧じゃないけど、鈴原君なら大丈夫。-
何が大丈夫なのかサッパリな、コダマの回線。
トウジは不安げな顔を色濃くしながら、頼りなげな声を立てる。
「そ、そないなこと言ったかて…」
-第二次コンタクト、準備良し。-
-主電源接続開始。-
小さなトウジの声を掻き消すような、職員達の報告。
弱気な心を増幅させるような、状況。
迷い、戸惑い、恐怖。
唐突に、トウジの胸に湧いた感情。
その感情を察してか、察せずしてか、コダマは芯のこもった口調で話しかける。
-地上では霧島さんが一人で戦ってる。助けてあげて。-
ビクッ!
大きく揺れる、トウジの肩。
(霧島が?一人で?惣流はどないしたんや?…何か、何かあったんやな。)
他人の感情に鈍感な少年は、周囲の状況には敏感であった。
否、敏感にならざる得なかった。
自分を参号機操縦者として認めた、現実を知った今となっては。
地上の状況を察したトウジは、瞬時に表情を変えて呟く。
頼りなさげな顔から、精悍な顔つきに変えて。
「…やるしか、あらへん」
覚悟完了。
鈴原トウジの中で、使徒戦に対するスイッチが入った瞬間であった。
その呟きと同時に、職員達の報告の声がプラグ内に響く。
-A10神経接続、異常無し。-
-思考形態は日本語を基礎原則として、フィックス。-
-初期コンタクト、全て問題無し。-
-双方向回線、開きます。-
参号機、鈴原トウジ、共に問題無し。
一時は暴走し、第13使徒として敵に回った参号機が、援軍、味方として地上へ出る。
そのこと、その過程を良く知る人物、コダマは感慨深げな面持ちで報告する。
-参号機、起動。…問題ありません。-
コダマの言葉は、参号機に関わった全ての人物の想いを代弁していた。
参号機、出撃準備完了。
<作戦司令部>
参号機、起動。
その報告が行われる中、ミサトは零号機のモニターを見つめていた。
「…そう」
コダマの報告に興味なさげに答えると、ミサトはモニターに映る人物、『綾波レイ』を見つめた。
学生服に、ヘッドセット。
緊急出撃だというのに、落ち着き払って目を閉じる、レイの姿を。
(心強い。でも、危険。…今は味方なだけ、マシか。)
刹那の思考に幕を下ろすと、ミサトは職員達に指示を下す。
「零号機と初号機を前衛に配置。初陣の参号機には後衛に就いて貰います。参号機には、20Xを装備させて」
「強力過ぎませんか?!危険です、葛城三佐!」
遮。
マヤの、ミサトの指示を遮る声。
本来ならば、パレットライフル、ポジトロン・ライフルが常套な武器なのだが、今回はよりにもよって、一番強力なポジトロン・20Xライフル。
衛星軌道の敵を撃ち抜こうとした武器を選択したのだから、マヤの声も当然である。
だが、ミサトはその言葉を冷淡に退ける。
「越権行為よ。伊吹一尉」
マヤは技術局の所属である為、ミサトの言葉は妥当な発言であった。
だが、マヤは納得出来ず、声を上げて指示の訂正を求める。
「最悪の場合を考慮したとしても、納得出来ませんッ!」
不穏な空気。
険悪な空気が司令部に流れようとした、瞬間。
「マヤ、座れッ!初号機射出だ!」
日向が声を荒げて、マヤに注意を促した。
(え?…あ。)
その声に、一瞬虚に憑かれたマヤであったが、日向の視線に何か含みがあるものを感じ取り、大人しく席についた。
落ち着きを取り戻した司令部に、職員達の声が響く。
「初号機、射出準備」
「JAに使徒接近!」
「射出位置、大涌谷」
「続いて零号機、射出準備に入ります」
戦闘。
戦いはまだ続いているという認識。
そのことを悟ったマヤは、苦渋を噛み締めた表情で日向に話しかける。
「我を忘れちゃ、いけないよね」
「たまにはいいさ。…だが、今は駄目だ」
「…うん」
マヤは静かに頷いて答えた。
その頷きを瞳に映すと、日向は苦笑混じりに思考する。
(良きにしろ、悪しきにしろ、青葉の影響だな。…間違い無く。)
初号機、零号機、大涌谷へ射出。
<地上、大涌谷>
「はぁ、はぁ…」
JAのプラグ内に響く、マナの荒い息づかい。
間断なく続く緊張からの呼吸の乱れであった。
(使徒を引きつける。使徒を引きつける。使徒を引きつける。)
呼吸を整えながら、現状認識。
体調。
(問題無し。)
電源供給位置確認。
(ギリギリって所。)
パレットライフルには残り弾、2発。
(厳しい。)
使徒。
(来たッ!)
モニターに視線をやったマナは、迫り来る第16使徒の姿を認識し、行動を開始する。
中腰の姿勢を見せての射撃、そして、すかさず後退。
大涌谷に硝煙が上がる。
(想像つくけど、反応は?)
-パターン、青ッ!-
思考宜しく職員の声が上がると、マナは最後の弾を硝煙の中へ撃ち込む。
命中。
使徒の体が地面に落ちる音が、大涌谷に響く。
「…こんなんじゃ、終わってくれないよね」
一つ呟くと、マナは真摯な面持ちでJAにパレットライフルを持ち直させた。
肩に担いだ格好から、両手で持つ格好。
まるで、長剣でも構えるような格好を見せた。
-パターン青、使徒健在ッ。-
ヒュッ。
職員の声と同時に、硝煙の中から使徒が飛び出し、JAへと襲い掛かる。
「甘いッてぇぇぇッ!」
狙い澄ました、迎撃。
使徒はパレットライフルに打ち据えられ、地面に叩きつけられた。
そのことを認識すると、マナは即座にJAを後退させた。
時間稼ぎ。
自分に課せられた使命を理解していたからであった。
後退するJA。
この間に、マナは再び現状認識に移る。
自身の状態。JAの状態。装備状況。これからの行動。それらを把握する為に。
その矢先、モニターを見ていたマナは、奇妙な付着物を見つけた。
パレットライフルに付着した、赤黒い液体。
(何これ?血?使徒の血?傷ついてる?…使徒が?)
脳裏に湧いた疑問。
その問いを司令部に解消して貰おうと、回線を開こうとした途端、逆に司令部から、ミサトから回線が入った。
-霧島さん、今からエヴァ三機を増援に送るわ。協力して、迎撃して頂戴。-
「え?あ、はい。って、エヴァ三機って?!」
予想外の増援。
予想していた数よりも、多いエヴァ。
そのことに驚き、訊ね返したマナであったが、ミサトからの回答は逆に驚きを大きくさせるものであった。
-シンジ君、レイ、鈴原君。可能な限りの戦力よ。必ず殲滅、必ず生きて帰ってくること、いいわねッ。-
「りょ、了解ですッ!」
驚きと共に全身に走る昂揚。
増援が、仲間が、欠けがえの無い友人達が、救援に来てくれる。
そんな想いが駆け巡ったからであった。
(…私だけじゃない。皆がいる。皆が来てくれる。)
間断なき戦闘の中、マナは心地よい想いを噛み締めた。
その想いが、油断を招いていることに気づかずに。
-霧島さん、使徒接近!迎撃ッ!-
不意に響いたミサトの声に焦り、マナは慌ててモニターを見た。
「!」
第16使徒の触手が目の前に、迫っていた。
(南無三ッ。)
追い詰められた状況に覚悟を決め、マナが身を縮めて目を閉じた、途端。
パレットガンの連射する音が、大涌谷に響き渡る。
自分が、ましてや使徒が発する筈の無い音を聞き、マナは静かに目を開け、音の主を探し見た。
溢れ出る感情。
喜びの感情に心を震わせながら、マナは声を上げる。
「シンジ君!」
マナの瞳には紫色の機体。
エヴァンゲリオン初号機が映っていた。
<初号機、プラグ内>
数秒前。
「何だよ、これ」
驚。
いち早く大涌谷に射出された初号機内で、シンジは驚きの瞳を隠せなかった。
(弐号機が…頭にプログナイフ。使徒?…マナは?!)
驚きから焦りへと、瞳の色を変えたシンジは、即座にJAの所在と現状を確認し、パレットガンを連射した。
一心不乱。
目の前の敵を殲滅する為に。
「シンジ君!」
使徒へとパレットガンを連射した後、マナの発した言葉はシンジを安堵させた。
だが、気は抜けない。
そのことを、これまでの戦闘で十分に経験しているシンジは、真摯な瞳で話しかける。
「マナ、下がって。武器を取りに行って」
-あ、うん。了解。-
使徒から距離を取るJAを確認すると、シンジは大きく息を吐き出す。
「はぁ…」
そして、呼吸と共に思考を巡らす。
(アスカ、生きてるかな?…回線、全然聞こえなかった。
前の戦闘で、僕が無理な御願いしたから、回線封鎖されたのかな…。だったら、僕の所為だ。)
自問自答をするシンジの背後で、響く音。
射出口の開く音だった。
(…誰?トウジかな?)
音に思考し、モニターに視線をやると、シンジは驚きの瞳を見せた。
青い機体。
見紛うことなき零号機が、そこに立っていたからであった。
その光景に驚き、戸惑い、シンジは声を上げて訊ねる。
「あ、綾波?!」
驚きの声に返ってきた声は、静かな声。
だが、少しだけ感情が、喜びにも似た感情が宿った声が、初号機に、シンジの許に響く。
「碇…君」
一方。
大涌谷の山間部に射出された参号機といえば。
「何や…、えらい距離あるやないかい」
使徒戦から、完全に蚊帳の外に置かれていた。
<作戦司令部>
司令席。
ゲンドウは戦闘の様子を静観していた。
その傍らで直立する人物、冬月が真摯な口調で話しかける。
「邂逅。…いいんだな、これで」
「それは私の決めることではない」
無表情。
淡々とした口振りで、ゲンドウは冬月の問いに答えた。
その回答に、冬月は苦虫を潰したような表情を浮かべて思考する。
(互いに惹かれあう。それは遺伝子の罪か、それとも愚者の行いか。…くだらん思考だ。)
自らの思考に侮蔑の決を下すと、冬月はモニターに視線をやった。
モニターには、第16使徒が初号機に襲いかかる様が映されていた。
その映像に、冬月は呟く。
「…弐号機操縦者の心か」
<地上、大涌谷>
-碇君、危ない。-
邂逅の余韻を遮ったもの。
第16使徒の触手であった。
レイに気を取られたシンジは、隙を見せ、触手の接触を許してしまった。
右腕に突き刺さる、第16使徒の触手。
そこから伝わる苦痛、快感。
(う゛。何だ?この感触?…知ってる。僕は、この感触を知ってる。)
腕に広がる葉脈を他所に、シンジは奇妙な感覚を感じていた。
以前にも同じような感触を感じたのではないか?
この感覚は、誰かに似ている?
複雑に入り混じったような、奇妙なデ・ジャヴを感じていた。
-碇君。-
シンジが奇妙な感覚を抱く最中、零号機がプログナイフを手に駆け寄った。
だが、その声、レイの声は届かず、シンジは葉脈の浮き立った腕を見つめながら、小さく呟く。
「あ…。アスカだね、この感覚」
途端。
シンジの意識に、葉脈から声が伝わる。
-私と一緒に、一つになる?アンタも寂しいんでしょ。-
「寂しい?」
葉脈からの声にシンジが答えると、レイの声が必死に割って入る。
切なげに、狂おしいばかりの感情を込めて。
-碇君、駄目。-
だが、その声はシンジに届かない。
唯、葉脈からの声がシンジの脳裏に響く。
-寂しさは嫌い。だから一緒に、一つに。-
ドクン、ドクン、ドクンと脈打つ鼓動を耳に響かせながら、シンジは思考する。
(感覚はアスカ。でも、この感触は?この感触…知ってる。この、感覚。!)
思考が決に達した途端。
シンジは目を大きく見開き、嘔吐するような声を立てる。
「ぅ、うぇッ」
左手で口許を抑えると、シンジは思考する。
(思い出した。…僕は犯されたんだ。使徒に、使徒に自分の心を分けたんだ。…だから。)
遮。
シンジの思考を遮る、葉脈からの声。
-厭なの?悲しみに満ちた心を望むの?-
脳裏に響く声に、ゆっくりと大きく息を吐き出すと、シンジは顔を上げ、悲しみと喜びの混じった顔で問いに答える。
真実を知った悲しみと、完全な記憶を取り戻した喜びの混じった顔で。
「厭じゃないけど、駄目なんだ。…僕には先客がいるから」
-?!-
意外な言葉に、葉脈の感情は戸惑いを見せた。
その隙を見逃さず、シンジは一気に腕に侵食した触手を引き抜く。
謝罪の言葉と共に。
「御免ね」
触手を引き抜くと、目の前には零号機。
いつの間に?と驚くシンジを尻目に、零号機は手に持っていたプログナイフで、触手を切りつける。
使徒の傷口にプログナイフを突き刺し、一気に下へ切り裂くようにして。
ビシャッ!
使徒の返り血に身を染める、零号機と初号機。
血染めの機体の中で、シンジは小さな笑い声を立てる。
「はは。死んじゃった。…ははは」
-碇君。-
悲しげに響く、レイの声。
奇妙なシンジの笑い声に、レイは呟くことしか出来なかった。
一方。
大涌谷山間部、参号機付近では。
「何や?戦闘終わってもうたやないかいッ!ワシの活躍はぁッ!出番はぁぁぁぁぁッ!」
少年の雄叫びが、虚しく響いていた。
<作戦司令部>
使徒殲滅、作戦終了。
戦闘の緊張感から開放された職員達の間に穏やかな空気が流れる中、リツコが真摯な眼差しで呟く。
「御免ね…ね」
その呟きが聞こえたのか、隣に立っていたミサトが妙に冷めたような表情で話しかける。
「優しい子よね、シンジ君って。…でも、それが命取りになることもあるわ」
「あら、残酷って説もあるんじゃなくて?」
「どっちにしたって、優しさは罪よ」
「…ミサトにしては、随分マトモなこと言うのね」
「にしては、は余計」
リツコの言葉に、舌を小さく出して答えると、踵を返し、司令室を後にする素振りを見せた。
その行動に、リツコは怪訝な表情を見せて訊ねる。
「戦後処理、いいの?」
「日向君に一任したわ。私、行くとこあるし」
「行くって、何処…あ」
「謝っても、謝りきれないけどね。…じゃ、後宜しく」
翳りのある表情で弱々しい微笑を見せると、ミサトは再び踵を返した。
その背中に悲しみを感じ取り、リツコは自分が思っていることを素直に口に出す。
今まで照れ臭くって言えなかったような言葉を。
「貴方の作戦指揮は一流よ。私が保証するわ」
その言葉に、ミサトは背中を見せたまま、手を振る仕草だけで答えた。
まるで、世辞は無用と言わんばかりの背中であったが。
ミサトの去った後。
リツコは再び思考を巡らす。
シンジの言葉、シンジ変化について。
(恐らく全てを思い出した。…にしても、怖い声で笑ってた。)
そんな思考の後。
何気に、リツコはシンジの笑い声を真似てみた。
「ははは…」
その声を聞き、戦後処理をしていた職員達は、驚きと戸惑いの瞳で凝視する。
奇異な声、不気味な声でリツコが笑ったのだから、それも致し方ない。
「…な、何よ」
周囲の痛い視線に、耳を真っ赤にするリツコであった。
つづく
あとがき
予想以上に戦闘が早く片付いてしまいました。