第十伍使徒戦後。ネルフ、真夜中のシャワールーム。

戦闘後に襲ってきた吐気も収まり、シンジは戦いの苦い垢を洗い流すように頭からシャワーを浴びていた。

「…良かったんだ。これで」

 

 

 

僕は僕で僕

(118)

 

 

 


 

「何が良かったんや?」

シンジの呟きが聞こえたのか、隣で頭を洗っていたトウジが声を立てた。

その声に小さく驚いた表情を見せたが、直ぐに表情を消し、シンジは普段通りの口調で答える。

「あ、うん、別に大した事じゃないよ」

「そっかぁ」

そう呟くと、トウジは髪を洗い流し始めた。

騒がしげに響く、シャワーの音、水の流れる音。

そんな音を聴覚に響かせながら、シンジは俯き加減に思考する。

(どうなるんだろう。綾波。)

シンジが思考に心を揺らしていると、不意にトウジが話しかける。

「ホンマのこと言うたら、綾波のことやろ?」

「え?う、うん」

シンジは驚きつつも返事を返した。

まさか綾波のことを、トウジまで知っているとは、思いもしなかったからである。

だが、シンジの驚きを他所に、トウジは髪を洗い流しながら話しかける。

「まだ敵と決まった訳や無い。今それでええ。そう思うしかない」

「だよ、ね」

短く言葉を返すと、シンジはトウジの想いが詰まった言葉に微笑を見せた。

だが、その微笑みは直ぐに掻き消された。

失われていた記憶。

以前、レイが口にした言葉を思い出して。

(…でも、綾波は言ってた。)

「生は魂の呪縛。死は魂の解放」

レイの言葉を思い出すと、シンジは小さく困惑したような瞳を見せながら思考する。

(あの時、僕は泣いてた。綾波が悲しくて、綾波が切なくて、綾波が寂しくて。
…でも、あの時の僕は、僕じゃない様な気もしてる。僕は、分からない。僕が…分からない。)

シンジはシャワーを浴びつつ、縺(もつ)れた思考を繰り返す。

だが、答えは導き出せない。

唯、シャワーの音だけが虚しく響くだけだった。

 

 

<隔離室>

 

作戦から外された青葉は、隔離室に入れられていた。

だが、そこは隔離室という名を借りた独居房であった。

ベッドにトイレ、それに小さな小窓付きの鉄扉。どこからどう見ても、囚人が入る独居房であった。

 

(…静かになった。)

青葉はベットに体を横たえた姿勢で、気配を感じ取っていた。

周囲の騒音が消えたこと、それに対しての戦闘が終わった気配を。

戦闘中は職員への伝達事項の通達などで、騒がしいぐらいに放送が流れる。

だが、それも止んだ。

あの苦渋だらけの戦闘も終わったのか?

そんな青葉の疑念を払うかのようにして、扉は開かれる。

ガチャ。

鍵が外される音、扉が開く音と共に、男の声が響く。

「馬鹿しやがって」

「…なんだ。日向か」

青葉は入室してきた男の顔を見て、興味無さげに呟いた。

その物言いに、日向は眉を顰(ひそ)めると、再び扉を閉める仕草を見せた。

ギギーッ。

鉄の扉がゆっくりと、音を立てて閉まっていく。

その様に、青葉は慌てて体を起こすと、懇願するような眼差しを見せて声を上げる。

「待ってたよ、日向君!いや、日向様!」

そんな青葉の祈りにも似た声が通じたのか、鉄の扉は再び開かれる運びとなった。

日向は機嫌は、かなり斜め方向に走っていたが。

 

数分後、隔離室を出た後。

青葉は廊下を歩き出すと、急に深刻ぶったような表情を見せて訊ねる。

今後のこと、今後の処遇、今後の展望を。

「戦闘は?」

「終わったよ。ロンギヌスの槍、一撃だ」

「シンジ君か?」

「いや、霧島マナだ」

日向の簡潔な言葉に、青葉は意外そうな顔、驚いたような表情を見せた。

実際、あの状況で、シンジ以外に槍を投擲出来る人物を、思い浮かべることが出来なかったからである。

青葉の表情に、日向は淡々とした口調で訊ねる。

「意外か?」

「…あ、ああ」

多少呆気に取られていた表情を見せた青葉であったが、どうにか状況を飲み込むと、一番聞きたかった質問を訊ねる。

零号機操縦者。

零号機で造反という行為を犯した、『綾波レイ』のことを。

「零号機は?」

「回収された。零号機はケイジ。操縦者、綾波レイは…」

そこまで言った日向は、隣を歩く青葉の表情を覗き見た。

威圧する瞳。だが、懇願の眼差し。

切実な願いを込めたような青葉の瞳が、日向の目に映った。

その瞳に悲しげなものを感じると、日向は目を背け、静かに口を開く。

「…司令室だ。今後の処遇について、話を受けてる所だろうな」

「そうか」

日向の言葉を受け、青葉は小さく頷き、自分を納得させるような素振りを見せた。

その行動に、日向は苦笑混じりに話しかける。

「相変わらずだな。…自分のことよりも、まず他人か」

「当然だ。それに自分のことなら、ある程度予想出来る」

青葉が怒気混じりに発した言葉を聞くと、日向は神妙な面持ちを見せて口を開く。

「良くて減棒。悪くて降格。…最悪、クビだな」

そう言うと、日向は首を切る仕草を見せた。

その行為に青葉は冷めた表情を見せると、口許だけで小さく笑った。

否、笑うことしか出来なかった。

レイの状況と、自分の状況。

似ているようでも違い過ぎる状況、そのことを認識した今となっては。

 

後日、青葉に辞令が下った。

解雇という名を冠した、形式的な辞令であった。

 

 

<男子更衣室前>

 

シンジ達が更衣室で制服に着替えている頃。

更衣室の前で、少女が膝を抱えた格好、体操座りのような姿勢で蹲(うずくま)っていた。

少女の着衣は、桜色のプラグスーツ。

霧島マナであった。

第十伍使徒戦の勝利を決定付けた少女の筈なのだが、そんな様子など、今のマナには無い。

マナは膝に顔を埋(うず)めたまま思考する。

(もう限界。駄目、もう支えられない。…もう、自分を演じられない。)

演技。

この少女は、自分を、霧島マナという少女を演じていた。

友人という存在を初めて認識した時から、悲しいぐらいに自己を演じきった。

明るく陽気に振舞ってみたり、馬鹿なことを言ってふざけてみたり、調子に乗ってハメを外してみたり。

それも全て、
友人を傷つけない為、友人を支える為、心からの友人を失わない為。

しかし、それも限界だった。

マナは自分に降りかかった出来事を思い出し、小刻みに肩を震わした。

襲ってくる悲しみから、闇雲に耐えるようにして。

 

プシュッ。

数分後。

更衣室の扉が開く音共に、聞き慣れた少年達の声が廊下に響く。

「なんや、記憶が戻ったんか?!」

「うん。多分、だけど」

「良かったやないかい!」

トウジの喜悦な声に苦笑し、シンジが言葉を返そうとした瞬間、視界の隅に違和感漂う少女が映った。

あまりにも自分の知ってる少女と様相が違うことに驚き、シンジは戸惑いの想いを声に込めながら話しかける。

「…マナ?」

聞き慣れた声。

待ち望んでいた声。

今一番必要な声を聴覚に響かせると、マナは`ゆっくり´と顔を上げ、悲しみを堪(こら)えた言葉を紡ぐ。

「シ…ンジ君」

酷い顔だった。

ずっと泣いていたのか、目は充血し、その下は赤く腫れ、鼻からは涙混じりの鼻水を垂らしていた。

だが、シンジ達には笑えない。笑える筈も無い。

こんなにも崩れてしまったマナを見るのは、初めてだったからである。

「…シンジ君。シンジ君。シンジ君」

他の言葉を忘れてしまったのか、マナの口からはシンジの名しか出てこない。

その状況に、シンジは戸惑い、困惑した表情を見せた。

どうしたらいいのだろう?

どうすればいいのだろう?

そんな想いを感じての戸惑いであった。

ポン。

シンジが返事に窮していると、トウジが肩を叩いてきた。

トウジはシンジの耳元に口をやると、マナに聞こえないように囁きかける。

「必要なんはシンジや。…助けたれ」

ポン。

自分の意思を伝えた後、トウジは再びシンジの肩を叩くと、
ゆっくりとした足取りで、二人の間を傷つけないようにして、その場から立ち去った。

沈黙。

廊下には、言葉を無くしたように、唯見つめ合うだけの二人が残る。

泣き腫らしたマナの顔を瞳に映すと、シンジは優しげな微笑を浮かべ、静かに話しかける。

「喉、渇かない?」

 

…気の利かない台詞であった。

 

 

<喫茶室>

 

人気の無い喫茶室。

マナが制服に着替えた後、訪れた喫茶室は、静けさ漂う空間と化していた。

深夜ということもあるが、使徒戦後ということも影響しているのであろう。

シンジとマナはそれぞれ飲み物を買うと、適当な席に静かに、向かい合うようにして座った。

言いようの無い沈黙が、二人の間に流れる。

何を語ることも無く、唯、静かに流れる室内音楽に耳を傾けるだけの二人。

クラシック音楽。

精神を落ち着かせるにはこの上ない音楽が、二人の耳に響く。

穏やかに流れるような、緩やかな時間。

俯いて涙を拭うマナを他所に頬杖をつくと、シンジは飲み物を眺めながら呟く。

「…死せる王女のためのパヴァーヌ」

その呟きが理解し難かったのか、マナは`ゆっくり´と顔を上げると、小さく呟くようにして訊ねる。

「何…が?」

「ん?あ、かかってる曲の名前。ラヴェルって人の曲」

「悲しい曲だね」

「…うん」

シンジは小さく頷くと、マナの顔を見つめた。

落ち着きを多少取り戻したのか、涙は流れることを止め、悲しみの色は薄いものとなっていた。

そのことを認識すると、シンジは事の次第を確かめるべく、だが威圧的にならないよう、親しげな瞳を見せながら訊ねる。

「何があったの?」

その言葉を受けた途端、マナの瞳が滲み始めた。

溢れる、涙。

堪えきれない、涙。

止め処なく流れる涙をそのままに、マナは嗚咽混じりに呟く。

「アスカ、山岸さん、綾波さん。私が、私が…」

「マナ…」

その状況に、シンジは呟くことしか出来なかった。

 

数分後。

マナの嗚咽が止まると、シンジは不安げな面持ちで訊ねる。

「大丈夫?」

「うん」

マナの返事に安心したのか、シンジは微笑みを見せると、穏やかな口調で話しかける。

ありったけの優しさで包み込むような想いを込めて。

「話せないなら、話さなくていい。
僕が必要だったら、必要になったら、その時にでも話してくれれば、それでいいから」

シンジの言葉は、マナの心を愛撫するかのように抱きしめる。

心地良い感覚に満たされる、心。

陽射しのような暖かさに包まれる、心。

不安、恐怖、悲哀。

今まで思い描いていた負の感情が、洗い流れるような感覚。

そのような感覚に抱かれながら、マナは静かに頷いた。

シンジの想いを受け止めるように、胸を抑えながら。

 

沈黙する二人。

先程の会話の後、シンジは音楽に耳を傾け、マナは俯いて何か思案している様子であった。

流れるような時間の中で、室内に流れていた音楽が変わる。

優しく感傷的なラヴェルの『死せる乙女のためのパヴァーヌ』から、穏やかな薫り漂うマーラーの『交響曲第二番』へと。

すると、室内に静かに流れ始めた音楽と共に、それまで思案していたマナが、静かに口を開く。

「ねぇ、シンジ君」

「何?」

シンジが訊ね返した後、マナは頬を仄(ほの)かに桜色に染め、俯き加減に、恥ずかしそうに呟く。

「…抱いて、欲しい」

 

 

<集中治療室前>

 

暗がりの廊下。

治療中の赤ランプが点灯する中、真紅のプラグスーツを身に纏った少女が、長椅子で祈るような姿勢を見せていた。

惣流・アスカ・ラングレーであった。

アスカは組んだ手を額につけると、苦みばしったような表情で思考する。

(…私は無力だ。)

弐号機は結果的とはいえ、無様な失態を犯してしまった。

操縦者として、この上ない不名誉な結果を残してしまった。

だが、何よりも、仲違いしていた友人まで傷つけてしまった。

そのことが、アスカに自虐的な思考をさせ、無力と思わしめるに至っていた。

しかし、幾ら自分を虐め、蔑んだ所で状況は変わるものでもない。

そのことを熟知しているだけに、アスカの思考という名の苦悩は、より深みを増していった。

 

数分後。

治療中の赤ランプが消え、移動式ベットと共に医師達が姿を現した。

その光景を瞳に入れた瞬間。

「マユミッ!」

アスカは声を上げ、ベットに横たわるマユミの元へ駆け寄ろうとしていた。

だが、それを遮る人物が居た。

「話しかけないでッ」

威圧的且つ、感情を押し殺したような声で注意を促す女性。

医師達と共に治療に当たっていたナオコであった。

ビクッ。

威圧的な声に体を震わせると、アスカは声の主、ナオコの顔を見つめた。

怯えたようなアスカの顔を一瞥すると、ナオコは静かに、冷静に言い放つ。

「彼女は脳…いえ、心を傷つけられたのよ。治療の為にも分かって頂戴」

ナオコの言葉。

病室へ運ばれる為、遠ざかっていく移動式ベット。

その二つのことを理解させると、アスカは踵を返し、治療室前から駆け去った。

移動式ベットとは全く逆の方向へ。

 

(酷いものね。状態も、状況も。)

アスカが駆け去った後、ナオコは長椅子に腰掛けること無く、壁にもたれかかりながら、憂鬱な思考を巡らしていた。

残酷な現状、現実。

それらを踏まえた上での今後の見通しを模索しながら。

だが、どんなに暗褐色な思考をしたとしても、己に課せられた使命、目的は認識していた。

(…けど、匙(さじ)を投げる訳にはいかないか。)

ここで投げ出してしまっては、今も戦い続ける子供達に顔向け出来なくなる。

そのことを熟知していたからである。

そんな思考をし、壁から背中を離したときである。

「赤木博士、居られますか?」

廊下の暗がりから、聞きなれた声が響いた。

その声に苦笑すると、ナオコは声を立てる。

「ここよ。コダマさん」

その声を確認し、コダマが駆け出す音が廊下に響く。

ナオコの目前まで来ると、コダマは足を止め、脇に挟んでいた報告書を差し出しながら口を開く。

「シンジ君のゲノム検査結果、判明したとの報告が入りました」

「判明?終了じゃなくって?」

「はい。判明と言ってました。こちらが報告書です」

コダマから報告書を受け取ると、ナオコはそれに目を通しながら訊ねる。

「貴方は見たの?」

「いえ、赤木博士に直接手渡せとの事でしたから」

「そう」

短く言葉を返すと、ナオコは報告書に集中し始めた。

ゲノム。

一つの物体が持つ、全ての遺伝子情報。

その特出された部分だけが記載された報告書に、ナオコは真摯に目を通す。

どんなに疲れていようが、どんなに落ち込もうが、自分に課せられた使命には手抜きをしない。

そんな心構えがあるからだった。

「…な」

報告書を次々と捲り、報告書の意図する所を把握した瞬間、ナオコの表情が曇った。

その表情、呟きに不穏なものを感じたのか、隣に立つコダマが不安げな面持ちで訊ねる。

「あの、どうかされました」

「シンジ君を大至急確保出来る?」

「保安部に要請すれば、直ちに動くと思いますが…」

「あ、いえ、やっぱりいいわ」

「は、はぁ…」

質問、それに対する回答の拒否。

ナオコとの会話は、コダマには不可解極まりないものであった。

だが、コダマの怪訝な表情を他所に、ナオコは深刻な表情で思考を巡らす。

(PCR(DNA複製酵素連鎖反応)によって、導き出された結果が…拒絶。
この結果が私に来た段階で、この状態ということは、アンチセンス的処置も間に合わない。…処置の仕様が無い。)

思考の末に導き出された結論は、残酷且つ無情なものであった。

残酷な遺伝子。

原因は、第十一使徒、強制サルベージ。

それらが影響し合った結果、最悪な現実が生まれた。

無慈悲な報告書を手に、ナオコは悲しげな瞳を浮かべると、疲れきったような声で呟く。

「夢」

「はい?」

ナオコの呟きが理解し難かったのか、コダマは訊ね返すような声を上げた。

だが、ナオコはその声を無視し、静かに暗がりの廊下へと呟く。

「私達は夢を見ていたのかも知れない…。甘く、優しく、希望の薫る…浅い夢を」

 

耐え難い事実に、ナオコは挫折を味わった。

匙(さじ)を投げるという、苦渋に満ちた挫折を。

 

 

<女子更衣室>

 

集中治療室前から駆け出したアスカは、女子更衣室に足を運んでいた。

プラグスーツを着たままだったことも、若干影響しているのであろう。

自分のロッカーに頭をもたげるようにして寄りかかると、自らが駆け出したことについて思考する。

(何逃げてんのよ、私は。…逃げる必要なんて無いのに。)

ガンッ。

そんな思考をし、右手でロッカーを殴りつけた瞬間であった。

不意に隣のロッカー、開けっ放しのロッカーが目に入った。

慌てて着替えたのだろうか、ロッカーには、プラグスーツが脱ぎ捨てるように置かれている。

そのプラグスーツの色を認識すると、アスカは無表情に、淡々とした口調で呟く。

「マナ」

 

数時間前の出来事。

第十伍使徒戦が終了した時の出来事。

弐号機ケイジでは、圧倒的敗北を喫したアスカが、膝を抱え、苦渋を噛み締めるようにして蹲(うずくま)っていた。

そんなアスカの背中に、マナの言葉が心の痛い所に突き刺さる。

「アスカ、大丈夫?」

マナは悪戯に話しかけた訳では無い。

思いやり、優しさの一端から、弐号機ケイジまで足を運び、言葉をかけた。

唯、それだけだった。

だが、アスカにはその優しさが痛かった。

鋭い目つきで立ち上がると、アスカは不遜な表情を見せ、怒気を巻き散らかすかのように言葉を放つ。

「大丈夫ぅ?はッ、戦自の女に心配されるようじゃ、私も終わりね!」

「ア、アスカ…」

戦自の女。

予想だにしなかった酷な言葉に、マナの心は苦痛を感じ、怯えたような、それでいて少し歪んだような表情を見せた。

だが、アスカの言葉は止まない。

「私は平気よ!アンタ達に心配される程、ヤワな訓練を受けてないっての!」

「…それならいいけど」

剣のように攻撃的なアスカの言葉に、マナは表情を曇らせ、呟くことしか出来なかった。

だが、その呟きが、アスカの怒りを増幅させる。

アスカはマナに詰め寄ると、睨み付けるような眼差しを向けて声を上げる。

「何がいいのよ!マユミは意識不明なのよッ!それにレイも敵に回った!何がいいのよ!説明してよ!」

その言葉を受け、マナは張り裂けそうな想いを抱きつつも、声を上げて自分の思いを伝える。

「分かんない!私だって分かんないよ!いきなり色んなことが起こって、混乱して、でも必死でシンジ君と頑張って」

パンッ。

強烈な平手打ち。

マナの言葉の途中で、アスカが怒気を込めた平手打ちを見舞った。

涙が滲むマナの瞳。

溢れ出ようとする涙を堪えながら、マナは訴えかけるように言葉を紡ぐ。

「…あすかぁ」

 

時は戻り、現在。

アスカは頭をもたげたままの姿勢で思考する。

(何で…マナを。マナの勝利が?マナの心配する顔が?マナの優しさが?…違う。)

自らの思考に全て拒絶すると、アスカは自らが取り乱した原因を呟く。

低く、悲しみを押し殺した声で。

「…あいつの名前を口にするから」

そう呟いた後、アスカは無性に泣きたくなった。

だが、悲しみが心を支配しても、肩は震えても、涙は出てこなかった。

理由は唯一つ。

母が消えたあの日から、涙を流すことを止めたから。

 

 

<翌朝、ミサト宅>

 

戦後処理を終えたミサトは、疲れた足を引きずりながら自室へと辿り着いた。

相変わらずの密度の高い使徒戦に辟易としたのか、今後の作戦を想定した為か、その顔色は冴えない。

ゆっくりと、自室の椅子に腰掛け、机にもたれかかると、側に置いてあった電話機を瞳に入れた。

加持。

電話機を見つめ、一人の男のことを思い出すと、ミサトは寂しげな表情で思考する。

(鳴らない電話か…。)

 

 

<リツコ宅>

 

牛乳、トースト、ベーコンエッグ。

朝を迎えた赤木家では、リツコが一人で朝食を取っていた。

昨日は夜間戦闘だったこともあり、マナを起こす気が引けたのであろう。

だが、そんな気遣いは無用であった。

「…おはようございます」

寝ぼけ顔のマナが、寝室から顔を出したからである。

どうやら、リツコが朝食を準備する音が聞こえた為と思われる。

そんなマナに微笑すると、リツコは柔らかな口調で話しかける。

「おはよう。朝御飯、一緒に食べる?」

「はい」

マナの返事を確認すると、リツコは席を立ち、マナの分も準備して上げようとした。

だが、その行為を制止させるかのように、マナが慌てて話しかける。

「あ、自分で用意するからいいです」

そう言った後、マナはフライパンを火にかけ、冷蔵庫からベーコンと卵を取り出した。

誰にだって朝は来る。

どんなに泣いたって朝は来る。

そのことを悟ったのか、マナの表情は昨夜と打って変わったように、楽しげなものであった。

何時もの様で何時もと違うマナの行動を見つめると、リツコは不思議そうな表情で思考する。

(雰囲気、どことなく違和感があるわね。)

そんな思考をした後、リツコは真実を追究すべく、台所に立つマナに訊ねる。

「霧島さん。貴方、女になった?」

「どっ!」

不意打ちのような言葉に、卵を握り潰すマナであった。

 

数分後、マナの朝食が出来た後。

食卓に朝食の香りが漂う中、リツコは微笑み混じりに訊ねる。

「猫の名前、決まったの?」

「はい。ガンモとツクネとスージーです」

「おでん?」

「はい」

マナの大きな頷きを確認すると、リツコは微笑し、静かに思考を巡らしてみた。

近いうちに生まれるであろう猫のこと。

マナの考えた猫の名前のこと。

そして、思考がある結論に達したのか、リツコは何時に無い真剣な表情を見せながら呟く。

「怖いわね」

「…あんまり気に入らなかったんですか?」

怖いという言葉が気なったのか、マナは多少臆したような面持ちで訊ねた。

リツコは苦笑混じりの表情で答える。

「別に。唯、四匹目が生まれたら、次の名前はどうなるのかって想像したの」

その言葉に、マナは笑い、リツコもつられるようにして微笑を見せた。

いつも通りの、穏やかで平凡な朝であった。

 

朝食を終えた後。

マナは食器を洗いながら、食卓で煙草を吸うリツコに訊ねる。

「山岸さん、容態はどうなんですか?」

「一応、安定したわ」

淡々とした口調で、リツコは言葉返した。

だが、その言葉は、マナには何より、どんな言葉よりも喜ばしいものであった。

マナは喜びと安堵の入り混じった声で話しかける。

「良かったですね」

「ええ。でも、当分の間は面会謝絶よ」

「当分って、どの位ですか?」

マナの言葉に僅かの間だけ沈黙すると、リツコは煙草の灰を灰皿に落としながら静かに答える。

「…彼女次第ね」

 

 

<ネルフの病院施設>

 

第十伍使徒戦から数日後、ネルフの病院施設。

マユミの病室では、ナオコによる診察が行われていた。

だが、診察とは名ばかりで、医師達に指示を下すだけという簡易的なものであった。

「薬物投与は出来るだけ抑えて頂戴」

「はい」

医師の言葉を確認すると、ナオコは、ベットに体を起こしていたマユミへと話しかける。

虚ろな瞳で、ブツブツと独り言を呟くマユミへと。

「山岸さん、おはよう」

だが、ナオコへの返事は返って来ない。

唯、淡々と独り言を呟くマユミの言葉だけが、ナオコの耳に届く。

「お母さんのお腹からね、中身が出てるの」

「だから動かないと思ってね、頑張って戻したの。…でもね、お母さん動かないの」

「私の手が真っ赤で…。怖くなって大きな声出したの」

「置いてかないで…って」

切々と聞こえる、マユミの言葉。

その言葉はあまりにも残酷で、惨い光景を物語っていた。

 

 

<暗闇の会議室>

 

同日、ゲンドウは暗闇の会議室へ召集されていた。

許可無く、初号機を凍結解除した事。

回収不可能の位置、月軌道上にまで投擲されたロンギヌスの槍の事。

それらを審議される為であった。

そして暗闇の中、委員会の象徴たるモノリスが、ゲンドウへと言葉を浴びせる。

一方的且つ威圧的に。

「ロンギヌスの槍、何故使用した」

「エヴァシリーズ、まだ予定には揃っていないのだぞ」

委員達の言葉に、ゲンドウは顔色を変えること無く、冷静に言葉を返す。

付け入る隙を与えぬよう、短く、言葉を選ぶようにして。

「使徒殲滅を優先させました。やむを得ない事象(じしょう)です」

だが、直ぐ様、委員達は威圧的な言葉を返す。

「やむを得ないか?言い訳にはもっと説得力を持たせたまえ」

「最近の君の行動には、目に余るものがあるな」

目に余る。

モノリスの一つが口にした言葉を聞くと、ゲンドウは短い微笑を見せ、手を組みながら口を開く。

「…目に余るべき存在、綾波レイ。あれは」

発信音。

ゲンドウの話の途中で、唐突に回線が鳴った。

煩わしげに回線を取ると、ゲンドウは回線をかけた主に静かに話しかける。

「冬月、審議中だ。…分かった」

回線の主、冬月の言葉を聞くと、ゲンドウは静かに回線を置いた。

そして、モノリスを見つめながら話しかける。

「使徒が現在接近中です。続きはまた後程」

「その時、君の席が残っていたらな」

揶揄するような委員の言葉を受けながら、ゲンドウは暗闇に消えた。

ゲンドウの去った後、暗闇の会議室に、低いキールの声が響く。

「これまでだな。碇」

 

 

<ネルフ地下施設>

 

人工進化研究所第三分室というプレートのかかった部屋。

埃を被った医療器具。

医療ベット。

見慣れぬ機器。

そのようなものが、広い部屋の中に淡々と置かれている場所。

空虚と絶望が交差するような部屋の中に、少女は居た。

青い髪に赤い瞳、学制服を着た少女。

綾波レイであった。

レイはベットに腰掛け、何を見つめるわけでも無く、唯、虚ろな瞳を宙に浮かせていた。

淡々と、流れることを忘れたような緩い時間が経過していく。

そんな無味な時間の中、室内に使徒出現の報を知らせる警報が鳴り響いた。

だが、レイは慌てたような表情、素振りなど一切見せず、唯、自分を確かめるように静かに呟く。

「使徒。…私は」

 

 

 

つづく


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あとがき
She's not there.

ƒeƒŒƒ[ƒN‚È‚çECƒiƒr Yahoo Šy“V LINE‚ªƒf[ƒ^Á”ïƒ[ƒ‚ÅŒŽŠz500‰~`I
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