モニターに映った初号機から目を背けることなく、レイは静かに行動を開始した。
華奢な手で、操縦席辺りの機器を操作しながら呟く。
「LCL緊急排除、MAGI サポート解除。…零号機、機能停止。再起動後、任務遂行」
僕は僕で僕
(117)
<作戦司令部>
主モニターには。零号機の行動が映し出されていた。
LCLを強制排出し、電源ケーブルを自ら断線させる映像が。
「ほぅ…」
司令席では、冬月がレイの行動に着目し、静かに感嘆の声を上げていた。
その声に答えるかのように、ゲンドウも静かに口を開く。
「自ら再起動を仕掛ける気か」
「…意図的に再起動だと?」
冬月の怪訝そうな表情を見て静かに微笑すると、ゲンドウはモニターを見つめつつ、自らの見解を述べる。
「綾波レイにも脳は在る。…学んだのだよ。我々と共に戦い、様々な体験を経て」
「不可能にも近い行動に思えるがな」
「零号機のコアは、リリスとの融合体…。そう考えるべきだ」
ゲンドウの説明に、冬月は静かに頷き、納得した表情を見せた。
綾波レイが何たるか、零号機が何たるか、冬月は知っていたからである。
そんな冬月の納得を他所に、モニターを見つめていたゲンドウは、初号機へと苛立たしげな声を放つ。
「シンジ、何をしている。今がチャンスだ。槍を投擲しろ」
-え?あ、はい。-
「青葉君…」
シンジの声が司令部に響く中、マヤは青葉の表情を窺い、心配そうな面持ちで声をかけていた。
現在の混乱の発端となった『綾波レイ』、その保護者たる『青葉シゲル』が、現在どんな想いを抱いているのか、想像出来なかったからである。
「俺を見るなッ。モニターを見てろッ」
マヤの言葉に返って来たのは、語気荒く、威圧的な言葉であった。
「う、うん」
いつに無い青葉の口調に、マヤは萎縮し、緊張した面持ちで作業に戻るだけだった。
青葉は零号機の映ったモニターを見つめると、心許ない理性で感情を押し殺し、現状を把握しようと思考を巡らす。
(どういう気だ?何をする気なんだ?)
<零号機、プラグ内>
全機能が停止した零号機プラグ内、レイは目を閉じ、深く、静かに、意識の深層へ潜るかのように集中していた。
焦り、緊張、戸惑い。
今の状態のレイに、そのような集中という思考の妨げとなる存在は無い。
唯、あるのは、願い。
切実な、それ故、純粋という響きに恥じることなき、無垢な祈り。
(…動いて。)
<初号機、プラグ内>
-初号機、投擲体勢。-
機能停止した零号機をモニターに映しながら、シンジは初号機に投擲体勢を取らせた。
右手に持った槍を引き絞り、視線は雨雲の先、使徒が存在すると推測される場所を見つめる。
-目標確認。誤差修正よし。-
-カウントダウン、入ります。10秒前。8、7、6、5-
職員達の声、マヤのカウントダウンが響く中、シンジは自分が出撃を志願した目的、今やらねばならぬことを思考する。
(アスカ達を、助けなきゃ。)
その瞬間であった。
-零号機、再起動ッ!!-
-シンジ君、避けてッ!-
日向の声に続き、ミサトの声がプラグに響いた。
シンジは突発的な声に驚き、零号機の映っていたモニターを慌て見た。
そこには活動を再開させた零号機、再起動を果たした零号機の姿が映っていた。
零号機は直進、真っ直ぐ初号機めがけタックルを仕掛ける。
「回ッ…ぐっ!」
シンジは初号機を回避させようとしたが、時既に遅しであった。
零号機は初号機を押し倒すと、馬乗りになり、更に行動を制限させようと、初号機の両肩を押さえ込む。
見事な手際、迅速な手並であった。
完全に動きを制限された初号機の中で、シンジは戸惑いと困惑に彩られた驚声を上げる。
「綾波が!綾波が何でアスカを助ける邪魔を?!」
-邪魔?…私には碇君の行動が邪魔。-
驚声に返って来たのは、冷静なレイの声であった。
シンジは、その言葉が理解出来ず、納得出来ず、思考が困窮の極みに達したかのような声を上げる。
「な、何言ってるんだよ?!理解出来ないよ!」
-槍を投擲するということは、シナリオに無い記述。委員会に反する行為。だから…、邪魔。-
「分かんないよ!そんなこと言ったって!」
-槍を渡して…。私の邪魔をしないで。-
レイの説明を聞いた所で、到底シンジに理解出来る筈も無い。
今の今まで味方と思い、信じ、頼っていた仲間が、理解を越えた行動、ネルフに反旗を翻すような行動を起こしたのだから。
そんな中、作戦司令部から回線が入る。
-シンジ君。絶対に渡しちゃ駄目よ。-
「ミサトさん?!…でも、どうやったら」
ミサトの声に、シンジは一瞬ではあったが安堵の表情を見せた。
だが、直ぐに現状を認識すると、緊張した表情を見せ、不安げな口調で呟き声を立てた。
そんな呟きに答えたのは、意外な人物、ネルフの総司令、ゲンドウであった。
-シンジ。…綾波レイ及び零号機は敵と判別する。攻撃しろ。-
苛烈な言葉だった。
だが、現状では最も適切な言葉だった。
作戦を放棄し、尚且つ敵対行動を取る零号機及び、レイに対しては。
しかし、シンジは現状を理解する前に叫んでいた。
「う、嘘だ。綾波が敵なんて、嘘だ!ミ、ミサトさん!嘘ですよね?!嘘って言ってくださいよ!ミサトさん!!」
-事実よ。綾波レイは現状を把握する限り、私達、ネルフ日本支部の敵よ。-
「リツコさんまで…」
シンジはリツコの説明に呟き声を立てると、零号機の映るモニターを見た。
零号機の頭部。
目の前に存在するのは、見紛う事無き零号機。
現状、現今、非情なまでの現実。
今起こっていることを、シンジは頭で理解しようとする。が、感情が、心が納得出来ない。
否定出来ない現実を前に、シンジは心を捩(よ)じらせ、声を荒げて叫ぶ。
「嘘だ!皆、嘘ついてる!嘘だ!」
シンジは現実から目を背け、司令部の言葉を拒絶しようとした。
だが、現実は拒絶すらも許さない。
-碇君、槍を。-
静かに、シンジの困惑する心を逆撫でするかのように、レイの声がプラグ内に響いた。
その声に、シンジは顔を覆い、歯を喰いしばりながら思考する。
困惑に混乱を重ねながら。
(綾波が槍を。綾波が槍を。綾波が槍を。でも、皆は敵だって。敵、敵、敵。綾波は、僕の…敵?)
-碇君、槍を。-
もう一度、レイの言葉が響いた瞬間、シンジの思考は極みに達した。
荒々しく操縦桿を握ると、シンジは悲鳴にも似た叫び声を上げる。
「綾波ぃぃぃぃッ!」
<作戦司令部>
初号機はあがき、もがいた。
零号機に押さえつけられ、自由を奪われ、行動を制限された状態では、その動きだけで精一杯であった。
作戦司令部・中央モニターには、その無様なまでな映像が映し出されていた。
ミサトは神妙な面持ちで映像を見つめつつ、今後展開すべき作戦を模索する。
(綾波レイ…。正直、強い。…それに、今のシンジ君じゃ万が一にも勝ち目は無い。)
正直、ミサトは初号機では零号機に勝つ術は無いと判断していた。
あの第三使徒戦での圧倒的な戦闘力。
使徒をズタズタに切り裂いた、レイの残虐性、判断力。
経歴不明という、未知数の可能性。
そのどれを取ってみても、シンジが勝利出来る可能性など見出せなかったからである。
「四号機操縦者、危険域です!精神汚染区域に突入しました!!」
「弐号機、依然として精神接続の回復の兆候無し。使徒との相対距離も変化ありません」
策を模索するミサトの許に、職員達の報告が届く。
その報告に、ミサトは思考の幅を広げねばならないことを認識し、疲れたような`ため息´を発しながら思考を巡らす。
「はぁ…まったく」
(勝ち目無しに、時間無し。その上、相対距離も変化無し。無い無いづくしで、案も無し。…参ったわね。)
そんな冗談のような、洒落た思考をした時であった。
「俺に説得させてください!」
刻々と進行する現状に、理性で感情を抑えることが出来なくなり、席をいきり立った青葉であった。
だが、そんな青葉の怒気をすり抜けるようにして、リツコが冷静に言葉を放つ。
「無駄よ。綾波レイは命令を遂行する為、生き…いえ、存在しているのだから」
「しかしッ」
リツコの言葉に納得出来ず、青葉が更に声を上げようとした瞬間であった。
「待って」
青葉の言葉を制止させるかのように、ミサトが声を上げた。
そして、周囲の注目を集める中、ミサトは不敵な笑み混じりに言葉を繋ぐ。
「その案、乗ったわ」
「葛城さん…」
その言葉に、青葉の安堵したような声を立てた。
だが、ミサトは青葉の方に向かず、上に居る司令席を見上げ、真摯な眼差しで口を開く。
「碇司令。零号機戦、私に一任させて貰って構わないでしょうか?」
「構わん。その為の作戦部長だ」
「ありがとうございます」
ゲンドウの言葉に、ミサトは表情を変えることなく軽く頭を下げると、オペレーター職員達の方へ向き直った。
そして、力強く、作戦部長としての指示を下す。
「時間が無いわ!青葉君は直ちに零号機との通信準備!日向君はJAとの専用回線を開いて頂戴!」
<JAプラグ内>
「で、出来ません!そんなこと!」
ミサトの作戦に対するマナの回答は、拒絶の言葉であった。
そのことは予測済みだったのか、ミサトは然して表情を変えることなく、神妙な面持ちで話しかける。
-不可能でも、この際、可能にして貰います。-
「無茶苦茶ですよ!無理!無理です!」
-アスカ達の命が懸かってるの。無理も道理も一切合切引っ込めて、承知して貰います。-
「でも、綾波さんを…私が」
-全責任は私が持ちます。
もう一度言うけど、青葉君が回線を開いた瞬間がチャンスよ。第五使徒戦で見せた腕前、もう一度見せて頂戴。-
拒否権すら無いのか…。
ミサトの強引とも呼べる指示に、マナはそんなことを脳裏に描きつつも、受諾の言葉を口にする。
「了…解」
プツ。
マナからの了承を取りつけると、司令部からの回線は一方的に切れた。
過酷な現実の中で、マナは瞳を、肩を、心を震わせながら呟く。
「酷い。…酷いよぉ」
<初号機、プラグ内>
ミサトがJAへの作戦伝達を行っている間、初号機は無駄な抵抗を止めていた。
馬乗りという極度の体勢不利を認識した為か、混乱が収束した為か、それはシンジしか知る由の無い所である。
だが、シンジが抵抗を止めた所で、レイの任務が終わりを告げるものでもない。
レイは抵抗を止めた初号機を見つめながら、静かに話しかける。
-碇君、槍を。-
「駄目だよ、綾波!そこをどいて!どいて。じゃないと…。じゃないと、僕は」
シンジは説得の試みを行っていた。
不信。
レイがネルフに敵対するなど、シンジには信じられなかったからである。
しかし、レイはシンジの言葉を頑なに拒絶する。
-退けない。退くようには命令されて無いから。-
「綾波!違う!違うよッ!」
あまりに意固地、あまりに強固なレイの意志に、シンジは頭を左右に振りながら声を上げた。
その声と同時であった。
「ぐっ」
目眩。吐気。
強烈な目眩と吐気が、シンジの意識に深い幕を降ろそうとした。
切。
目眩と吐気の幕が降ろされる瞬間、それを切り裂いたものがあった。
否、正確にはモノではなく、言葉である。
-碇君、槍を。-
レイの放った何度目かの言葉、シンジが何度も耳にした言葉、レイを敵であると認識してしまった言葉。
その言葉に、シンジの意識は救われた。
自分の居場所、存在、まだ此処に留まらなければならない事を再認識して。
だが、強烈な嘔吐感までは拭えず、シンジは苦渋に眉を顰(ひそ)めながら、重苦しい息を吐き出した。
ゆっくりと、縺れた思考の糸を、端から一気に吐き出すようにして。
「綾波。…僕も、綾波も、きっと僕達は間違ってる」
息を吐き出した後、シンジが口にした言葉。
その言葉に、レイは不可思議なものを感じ、怪訝な瞳を見せながら小さく呟く。
-間違ってる?-
レイの問いかけに返って来たのは、意外な答えであった。
「御免…」
シンジは謝罪の言葉と共に、初号機に反撃を開始させていた。
初号機の肩口から、方錐形のニードルが放たれる。
-!-
<零号機、プラグ内>
一瞬であった。
瞬時の判断、咄嗟的な決断力が、レイの窮地を救った。
しかし、無傷では済まなかった。
左手という代償を払い、この窮地を脱したのであった。
(痛い。痛い。痛い。でも、左手だけじゃない。胸の奥、心臓、が痛い。)
レイは自分の左手を見つめながら、不思議と穏やかな表情で思考していた。
その間、レイが思考する間、零号機は傾き倒れ、大地に頬擦りする体勢になっていた。
初号機である。
初号機がニードルを発射させ、その隙に馬乗りの体勢から脱出したからである。
レイは`ゆっくり´と零号機の体を起こさせながら、静かに呟く。
「心が…痛い。…でも」
退くわけにはいかない。
その想い、決意だけが、レイの身体を支えていた。
零号機のモニターには、槍を構える初号機の姿が映る。
ニードルの刺さった左手をそのままに、レイは静かに分析を開始した。
敵意は?間合は?狙点は?…隙は?
(無い。…無ければ)
零号機は静かに、だが堂々と、正面から歩みを寄せた。
まるで、シンジが手出し出来ないと判断してるかのように。
初号機の真ん前に立つと、零号機は間髪入れずに攻撃を開始した。
ニードルが突き刺さったままの左手で。
その行為に驚き、シンジの、初号機の動きは固まってしまった。
(此処。)
レイは機知に富む行動によって初号機に隙を作り出すと、瞬時に次の指示を己に下す。
-ぐぁッ!-
零号機内に響く、シンジの呻き声。
初号機は弾き飛ばされた。
レイの、零号機の放った左拳の一撃によって。
痛み。
左手に走る痛みとは違った、また別な痛みを感じながら、レイは静かに呟く。
「槍は、使わせない」
一歩、一歩、一本、一本。
零号機は一歩進む度に、左手に刺さったニードルを引き抜いた。
ゆっくりと、その痛みを確かめるようにして。
グジュッ。
零号機が最後のニードルを引き抜いた時、仰向けに倒れる初号機の許に歩み寄った時、その回線は入った。
-止めるんだ、レイちゃん。止めろ!止めてくれ!頼む!-
「青葉…さん」
意外、意外な声であった。
しかも事務的な、職務に接したような声では無く、素の、自分の良く知る青葉の声であった。
レイの驚きを余所に、青葉の声はプラグ内に響く。
-命令だか何だか知らないが、そんなものは捨てちまったらいい!
後の事は俺が何とかする!だから、そんな命令捨てっちまえッ!頼む!俺を信じてくれ!!-
僅かの間の後、刹那と呼ぶに違わぬ間、レイは思考を巡らすと口を開く。
「無理。私の存在理…!」
危急、危機、危険。
レイの視界に危険を感じさせる映像が入った。
瞬時にレイは思考する。
(エネルギー波?回避、駄目?)
零号機の右側から強烈な光、陽電子の光が放たれた。
しかし、光は零号機と初号機の間を擦り抜け、突き抜け、ビルの合間に消える。
(逸れた?外れた?)
自らの思考の程に、レイは静かに首を横に振ると、光の放たれた方向を見た。
そして、確信を掴んだような瞳を見せながら呟く。
「違う。…外した」
<弐号機、プラグ内>
-うっ。…くっ。…おかあさん。-
プラグ内に届く、呻きに近い囁き声。
四号機から響く、か細い小さな呻き声に、アスカは目を、意識を、醒ますに至った。
(声。…誰の声?)
意識に届いた声の方向を視界に入れると、アスカは一瞬呆けた顔を見せ、小さく呟く。
「マ…ユミ」
最悪な映像。
アスカの瞳に飛び込んできたのは、精神的苦痛に耐え忍ぶ、マユミの映像であった。
マユミの意識は使徒に侵されているのか、アスカに気づいた様子は無い。
アスカは声を上げる。
今、自分が目にしてる映像を信じることが出来ず、声を上げ、思考を重ねる。
「マユミッ?!」
(マユミが何で?!マユミが苦しんでる。
使徒が私の中から、消えた?マユミが苦しんでる。
使徒は?マユミが苦しんでる。
四号機が弐号機の上に?マユミが…。私を…。どうして?マユミが苦しんでる。)
思考の隙間に入ってくるマユミの映像、苦しむ映像、そのことが、現状認識よりも、アスカの中で優先された。
(マユミがぁッ!!)
アスカは焦りと怒りの混じった表情を見せ、操縦桿を握り、弐号機を動かそうとした。
だが、「…動かない?」
弐号機は精神回路をグチャグチャにされ、動く気配すら見せなかった。
そのことを知らないアスカは、焦りの色を濃くし、操縦桿を荒っぽく動かしながら声を上げる。
「どうなってんのよッ?!何で動かないのよッ!動いて!動けッ!このッ!このッ!」
しかし、幾度、機器を操作し、操縦桿を動かそうとも、弐号機は動かなかった。
そんな中、弐号機のプラグに悲しげな声が聞こえてくる。
-ぉかぁ…さん。-
母を呼ぶ声。
マユミが母を呼ぶ声が、プラグ内に響く。
その声に、アスカは事の事態を把握した。
今現在、なぜ自分への精神攻撃が止まったのか、なぜ使徒の光が消えたのか、なぜマユミが苦しんでるのか、そのことを理解した。
どうしようもない現実を突きつけられ、アスカは小さく呟く。
「マユミ…」
動かない弐号機、苦しむマユミ、非情に経過していく時間。
一秒一秒の秒針が地獄の針となり、体を突き刺す感覚。
息苦しい時間、アスカは耐え難い時間をプラグ内で過ごすことになった。
マユミが最後の呟きを発するまで。
-置いてかないで…。-
最後の呟きを聞いた瞬間、アスカの心は張り裂け、声を上げ、叫ぶ。
「マユミぃぃぃぃぃぃぃッ!!」
<作戦司令部>
「目標健在!初号機に接近しています!」
「陽電子砲、再充填まで30秒」
職員達の慌しい声が響く中、青葉は蚊帳の外を喰らっている感覚を覚えていた。
自分だけが、この事態を把握しておらず、作戦だけが進んでいるような感覚が。
(何が、何が起こったんだ?)
現実を把握しきれない青葉を他所に、作戦司令部は動きを加速する。
ミサトは中央モニターを見つめ、声を上げる。
「霧島さん、第二射用意ッ!」
「なッ?!」
ミサトが言葉を放った瞬間、青葉は虚を突かれた表情を見せ、次の瞬間、事の次第を理解した。
止め処無い怒りとも共に、分析される情報。
(俺を、俺を囮にしたって訳かッ。)
青葉が怒りに頬を引き攣らせる中、マナの声が作戦司令部に響く。
-嫌です!撃ちたくない!撃てない!私に綾波さんが撃てる筈ないですよぉッ!!-
「我儘を言ってる暇は無いの!第二射用意!」
-嫌!嫌です!こんなのッ!こんなの嫌です!!-
マナの強固な拒絶の言葉に、ミサトは真摯な瞳を見せ、冷淡とも取れる口調で言い放つ。
「…命令です。第二射用意」
その時、ミサトの背後から男の声が響いた。
「葛城三佐」
「何ッ?!」
聞き慣れた声に、ミサトが煩わしげに振り向いた瞬間。
パシーンッ。
強烈な平手が御見舞いされた。
送り主は無論、陽電子砲の囮とされた青葉であった。
その行為に、水を打ったように静まり返る作戦司令部。
だが、青葉はそんなことなど意に介した様子も無く、静かに、無表情に言い放つ。
「規約違反は承知しているつもりです。今後の処置は如何様(いかよう)にでも」
その言葉に、ミサトは赤く腫れた頬をそのままに、コクリと頷くと、周囲の人間に指示を下す。
「日向君、警備の人間を呼んで頂戴」
そして、青葉の方に向き直り、言葉を繋ぐ。
「本作戦終了まで、貴方の身柄は拘束させて貰います。いいわね?」
「構いません」
ミサトの言葉に静かに答えると、青葉はマナの映る中央モニターを見た。
青葉と目が合ったマナは、悲しみと驚きの混じった瞳で呟く。
-青葉さん…。-
マナの呟きに、青葉は何か言おうとしたが、何も言えなかった。
予想よりも早く、警備の人間が到着してしまった為であった。
「霧島さん、第二射用意」
青葉が連行された後、ミサトは再びJAへ指示を下した。
だが、またしても指示を遮る人物が現れる。
「その必要は無いわ」
「リツコ?!」
意外な人物の、意外な言葉に、ミサトは驚きの表情も露に言葉を繋ぐ。
「リツコまで青葉君の味方に回る気?」
「そんなんじゃないわよ」
ミサトの言葉を軽く受け流すと、リツコは何時に無い真剣な表情を見せた。
そして、静かにミサトの耳元に近づくと、囁くように話しかける。
「山岸さんの意識が完全に途絶したわ」
「!…それって」
「母さんも医療班の準備に回ったわ。
…JAを新たな標的(まと)にさせない為にも、今は援護策、初号機の援護がベストだと思うわ」
「クッ…」
リツコの言葉に、ミサトは唇を噛んだ。
四号機捕獲戦を模倣する作戦を立て、実施するまでは良かった。
だが、遂行力が及ばなかった。
幾ら帷幕を張り巡らした所で、それを実行するだけの力、遂行力が無いことには話にならない。
ミサトは一番大事な所で、戦術の一番大事な所を見逃していた。
苦渋。
苦い思いを噛み締めつつ、ミサトはマナへと指示を下す。
「第二射の準備中止。霧島さん、JAを援護に回して」
-援…護?-
突如変化した作戦内容ついて行けず、マナは呆けた表情を見せた。
しかし、ミサトはそんな表情など意に介さず、キッと踵(きびす)を返し、口を開く。
「後は日向君の指示に従って頂戴」
中央モニターを背にしたミサトは、頬を抑え、口惜しそうに、それでいて寂しそうに呟く。
「痛いじゃない。…畜生」
「失敗か」
それまで作戦を静観していた冬月は、事の成り行きの程に呟き声を立てた。
その言葉に、ゲンドウが手を組んだ姿勢で、口元を隠しながら答える。
「狙いは良かった。だが、狙撃手が子供ではな」
「故にチルドレンたる資格がある。私はそう見るが、違うかね?」
冬月の言葉に、ゲンドウは口元だけで微笑した。
<弐号機、プラグ内>
マユミの意識が途絶した中、アスカは懸命の想いを込め、弐号機の機器の類を操作していた。
動かないのなら、動かしてやる。
そんな意志と共に脳裏に描かれる、強烈な想い。
(死なせない!死なせない!死なせない!絶対、死なせないッ!!)
自分の身代わりになってまで救いに来たマユミ、仲直りしてないのに救いに来たマユミ、かけがえの無い友人。
その想いだけが、今のアスカを動かしていた。
しかし、エヴァは意志だけで動くものでは無い。
アスカは髪を振り乱し、機器の類を殴りつけながら声を上げる。
「電源供給は生きてる。モニター類も正常。なのに…、なのに何で動かないのよッ!!」
ガンッ!
-けない。僕の居場所は、ここしかないんだ。-
アスカが機器の類を殴りつけた瞬間、どこかへと回線が繋がってしまった。
その聞き覚えのある声に、アスカは乱れた髪をそのままに小さく呟く。
「…シンジ?」
<初号機、プラグ内>
零号機に弾き飛ばされ、仰向きに倒れされた瞬間、シンジの意識は遠くに飛んだ。
シンジは輝きを無くしたような瞳で、遠くを見つめたような瞳で、呆けたような表情を見せていた。
薄い、夢のような意識の中、シンジは感じる。
郷愁。
懐かしい匂いのする場所。
シンジの脳裏には第四使徒戦後が描かれる。
レイを救う為に懸命で戦った。けれども、レイはそのことを許さなかった。あの時の出来事を。
強烈に、そう、あの時も強烈に、レイはシンジの頬を叩いたのである。
「戦闘の邪魔しないで…」
(そうだ。…あの時も綾波に。)
ゆっくりと瞳に黒い輝きを取り戻すと、シンジは静かな深呼吸と共に瞬きを始める。
だが、その間も戦闘は休むこと無く進む。
作戦司令部からの回線が、初号機内に響く。
-零号機操縦者、綾波レイに告げます。敵対行動を止め、直ちに回収作業に入りなさい。然らざれば攻撃します。-
その命令に対する、レイの答えは頑ななまでの沈黙であった。
そんな沈黙が流れる中、シンジの意識は回復に向かおうとしていた。
瞳に輝きを取り戻し、呆けた表情を確かな表情へ変えて。
シンジは確信に近い意識を抱きながら思考する。
(…思い出した。綾波。綾波レイ。僕は綾波を知ってる。会ってる。感じたんだ。あの時、あの瞬間に…。)
そして、ゆっくりと視線を零号機の映るモニターへやると、再び思考の糸を繋ぎ、意志の篭った声を放つ。
(綾波。僕は、僕は綾波には邪魔かもしれない。でも…)
「…やらなきゃいけない」
シンジの声は、零号機内にも、レイにも届いた。
(来る?)
そう思考したレイは、零号機に中腰の体勢で身構えさせた。
シンジは構えを見せる零号機を視認すると、初号機を勢い良く立ち上がらせて口を開く。
「思い出したよ。綾波のこと、零号機のこと、使徒のこと、僕のこと」
-記憶が?-
「分かんない。でも、でもね、僕も退けない。僕の居場所は、ここしかないんだ」
-そう。-
強い意志。
『碇シンジ』の言葉に、レイは強い意志のようなものを感じた。
そして、その意志は、この戦闘を、『碇シンジ』を無傷で済ますことが出来ないことを示唆していた。
レイは静かに息を吐き出すと、零号機に肩口からプログナイフを取り出させた。
その行為に、シンジは思考する。
(プログナイフで槍と?…槍、槍か。…父さんか、うん。)
「槍は…僕に槍は」
槍とナイフ。
父の指示。
圧倒的に違う武器の能力差と、父の槍を投擲しろという指示。
その両方を思考した後、シンジは決断した。
初号機は司令部の指示も無いまま、槍を放つ。
-!-
迂闊。
プログナイフを身構えるという行動を見せていた所為もあり、レイは完全に虚を突かれた。
初号機は槍で攻撃してくるものと思っていたが、まさか、投げるとは。
しかも、見当違いの方向に向かって。
(どうして?…あの方向!)
レイは投擲した方向を一瞥し、初めて察知した。
あの方向、右側に投擲された槍の場所、あそこにはJAが…居る。
零号機は踵を返し、槍の回収に向かおうとした。
だが、その行為は隙を生んでいた。
「御免ッ。行かせられない」
初号機は零号機を背中から押し倒すと、そのまま押さえ込んだ。
レイは初号機を跳ね除けようと、操縦桿を操作しながら声を上げる。
-ッ!離して!-
<作戦司令部>
「初号機が槍を放擲!」
「槍はJA付近へ着地します!」
「!」
職員達の報告に、ミサトは我が耳を疑い、中央モニターへと振り返った。
そして、その状況を瞬時に把握すると、各機体への回線を手に声を上げる。
「シンジ君、そのままレイを足止めしといて!霧島さん、援護中止!槍が来るわ!回収次第、投擲準備!」
-え?え?え?-
援護に向かっていたマナ、JAからの回線からは、意味が判らないといった声を上がっていた。
しかし、その声を他所に、事態は急激に速度を上げて進む。
「ロンギヌスの槍、JAの距離200に着地!」
「霧島さん、回収急いで!」
職員の声と、ミサトの指示を確認すると、マナは慌てて了承の言葉を口にする。
-え?あ、はい!!-
マナとの通信後、中央モニターには、市街地に突き刺さるロンギヌスの槍の映像が映される。
その映像をミサトが見つめていると、傍らに立っていたリツコが口許に手を当てながら口を開く。
「機転、と呼ぶべきかしら?」
「苦し紛れの閃きよ。…でも」
「でも?」
「希望の閃光よ。私達にとっては」
そう口にした後、ミサトは乾いていた唇を軽く舐めた。
数秒後、職員の慌しい声が作戦司令部に響く。
「JA、槍を回収!直ちに投擲体勢に入ります!」
「MAGI による相対距離、軌道修正完了!」
その声を確認すると、ミサトは力強く、マナへと指示を下す。
「カウントダウンは省略ッ!霧島さん、投げてッ!」
司令部に、マナの声が響く。
-ったぁぁぁぁぁッ!!-
JAの投擲した槍は、雨雲を突き抜け、成層圏を突破し、衛星軌道に達し、使徒のATフィールドを突き破る。
裂けるATフィールド、そして、使徒は貫かれた。
意外な程、呆気ない幕切れ。
しかし、多大な犠牲を払うことになった幕切れ。
犠牲。
第十伍使徒は、あまりに多大な犠牲と傷を残していった。
深く、刳(えぐ)るようにして。
<初号機、プラグ内>
(…止まった。動かなくなった?)
「綾波?」
急に動かなくなった零号機に、シンジは怪訝な表情で思考し、口を開いた。
その言葉に、零号機から、レイの小さな呟き声が返ってきた。
-任務失敗。私の理由も…消えた。-
(何?何を言ってるの?)
シンジには、レイが何を言っているのか理解出来なかった。
任務。
理由。
そのどちらもが、シンジに理解出来ず、納得出来ないものであった。
だが、シンジの思考を他所に、レイは静かに話しかける。
-碇君、離して。もう抵抗しないから。-
「え、うん」
初号機の束縛が解けたのを確認すると、レイは司令部へと回線を開いた。
-こちら綾波レイ。敵対行動を中止します。-
-了解した。回収班の指示に従い行動したまえ。-
-はい。-
冬月の指示に、レイは受諾の言葉を口にすると、静かに目を閉じた。
全てを拒絶し、頑なに自己の壁を守るようにして。
零号機が回収されていく中、シンジは何も言えなかった。
否、何も出来なかった。
戦闘後、再び襲ってきた嘔吐感に苛まされていたからだった。
シンジは口許に手を当てながら呟く。
「うっ、まただ」
幾度となく襲ってくる嘔吐感。
(もう胃の中は空っぽだって言うのに…。駄目だ。気分悪い。)
そんな思考の後、シンジは操縦席にもたれかかり、背もたれを大きく倒した。
嘔吐感から発生したであろう脱力感、そのような感覚に体を支配された為であった。
シンジは気を紛らわそうと思ったのか、モニターのスイッチを切り替えると、そこに映った映像を見て寂しそうに呟く。
「雨…、上がってるのに」
夜雨の上がった第三新東京市。
黒雲は消えても、黒い匂いは消えそうもなかった。
つづく
あとがき
参りました。降参です。