あの日、私は父の呻き声に目を覚ましました。
啜り泣くような、苦渋に充ちた呻き声に…。
私は、目を覚ましました。
僕は僕で僕
(113)
4歳でした。
そんな幼い頃の記憶を、未だに覚えてる自分が滑稽でもあるんですが、忘れられない記憶のようなので。
記憶。
そう。忌まわしいような、忘れ去りたい記憶。
私は父の呻き声に目を覚ますと、
ベットの傍らに両親の姿が無いことに気づき、不安な気持ちに掻き立てられるかのようにして、居間へと続く襖を開けました。
そこで、どんな惨劇が待っているのかも知らずに。
「お父…さん?」
襖を開けた私の瞳に飛び込んできたのは、せむし男のように背を丸め、低く苦しそうな呻き声を発する父の背中でした。
今だから分かるんですが、多分、あれは嗚咽していたんだと思います。
自分の犯した行為、罪の意識に苛まされて…。
「お父さん、泣いてるの?」
私は父の背中に歩み寄りながら、不安な気持ちを吐露するかのような口調で話しかけました。
ですが、その不安の気持ちは、直ぐに掻き消えてしまいました。
振り返った父の顔に、あまりにも困惑してしまって。
父は私の声に気づくと、ピタッと呻き声を止め、ゆっくりと私の方へと振り返りました。
ゆっくりと振り返った父は手に包丁を持ち、…顔は、顔は、…父の顔は血に塗れてました。
「お父さんの顔、怖い…」
血塗れの父の顔を見た私は、父の顔よりもその表情に恐怖していました。
引き攣ったような父の表情、笑っているのか、泣いているのか、それすらも判断出来ないような表情に。
私の言葉を聞いた父は、短く微笑みました。いえ、微笑まなかったのかも知れません。
ですが、私の記憶では、父は微かに微笑を浮かべていたと思います。
どうでもいいですね。…そんなこと。
私の言葉を聞いた父は、虚ろな瞳で私を見つめると、一言、優しげな口調で話しかけてくれました。
「御免な…」
それが、父の最後の言葉でした。
そう言い残すと、父は、私の目の前で、自分の胸を、心臓を、手に持っていた包丁で突き刺しました。
…血が、真っ赤な血が、沢山、溢れ出すように、吹き出ました。
人間は、あんなにも大量の血を流す生き物なんだと…、私が知ったのは、この時です。
「…ひっく、ヒック」
父の行為を見た私は、何だか悲しなって、切なくなって、泣き出してしまいました。
動かなくなった父を足元に、薄暗い部屋の中で。
何秒か、何十秒か、何分か、泣き続けた私は、キッチンの方で眠る母の姿を見つけ、とりあえず、その場へと駆け出しました。
涙を流したまま、興奮と戸惑いに、不完全な幼い心を捩(よじ)らせるようにして。
「お母さん、あのねッ、あのねッ。お母さん、あのねッ」
…子供、だっんだと思います。
母がキッチンで眠る筈無いのに、母の寝間着が赤茶色の筈無いのに…。
私は、母の側へ来た瞬間、恐怖に引き攣った声を上げるだけでした。
「ひッ!」
私の両親は、同じ日、同じ夜に、私の手の届かない所へいってしまいました。
…嫌な記憶ですね。
<ネルフ、シュミレーションプラグ試験場>
シンクロテスト。
いつ襲ってくるか知れない敵、使徒と呼ばれる敵に対する為、今日も、ハーモニクステストいう名のシンクロ試験が実施されていた。
日々の精神状態、誰がベストな状態かを探る為でもあるのだが。
六つ並んだエントリープラグの、六番目のプラグ内。
マユミの搭乗しているプラグである。
オレンジ色の液体、LCLに身を浸しながら、マユミは目を閉じつつ、苦味走った表情を見せていた。
過去の記憶、思い出したくない記憶を、脳裏に描いてしまった為に。
-聞こえてる?山岸さん。-
プラグ内に響くリツコの声に、マユミはビクッと体を震わすと、目を開けて答える。
「は、はい。聞こえてます」
-シンクロ率、8も低下よ。いつも通り、余計なことは考えずに。-
「…はい。御免なさい」
リツコの言葉に、マユミは謝罪の言葉を口にした。
なぜかは自分でも理解出来なかったが、これだけは分かっていた。
自分の存在自体が、人に迷惑を、邪魔になっているかもしれない…。そんな思いが胸の内、心の何処かに存在していたからである。
マユミは再び目を閉じつつ思考する。
(誰も、誰も、皆、必要な存在の人。…必要無い存在は、私。)
<試験場、制御室>
シンジ以外の五人の子供達が映った中央モニター。
それを横目で窺い見ながら、マヤは隣に立つリツコへと訊ねる。
「最近の山岸さん、不安定ですね」
「困ったわね。色々な問題がある時期に」
一向に伸びないシンクログラフ、マユミのシンクログラフを眺めながら、リツコは淡々とした表情で答えるだけだった。
そんなリツコの言葉を聞き、マヤは『色々な問題』の一つでもある、シンジのことを訊ねる。
「シンジ君の結果、どうでした?」
「メディカルチェックは何の問題も診受けられず。今は様子見を兼ねて、入院して貰ってるわ」
その言葉を聞き、マヤは沈痛な表情を見せ、俯(うつむ)き加減にしながら呟くように話す。
「ホント、大変ですね。…色々と」
二人の会話通り、シンジはハーモニクステストを受けていなかった。
数日前に経験した嘔吐感が、未だに残っていたからだった。
<シンジの病室>
「僕…病気なのかな」
シンジはベットの上で膝を丸めると、シーツに顔を埋めながらそんなことを呟いた。
ここ数日、断続的に起こる、吐気、目眩、脱力など、様々な症状を経験した上での呟きであった。
ゆっくりと顔を上げると、シンジは遠くを見つめるような、虚ろな瞳を見せながら思考する。
(記憶喪失で病気持ちか…。最悪だな、僕。)
そうシンジが思考した時であった。
プシュッ。
病室の扉が開き、そこから見慣れた人物が入室して来た。
「シ〜ンちゃん♪調子どう?」
「あ…、ミサトさん」
入室して来た人物、ミサトの姿を瞳に入れると、シンジは小さく驚きの表情を見せながら声を上げた。
シンジの表情に苦笑すると、ミサトはベット側に簡易椅子を組みながら話しかける。
「今そこで、お医者さんに聞いて来たんだけどね。体の方は何とも無いって」
「そう、ですか…」
複雑な心境だった。
病気なんかじゃなかったのに、体は健康なんだと知ったのに、何の問題も無いと言うのに、シンジの心境は複雑であった。
複雑な想い。
心の奥に渦巻く、言い知れない不穏な思いがあったからである。
…自分なんか死んでしまえばいいのに。
だが、その思いはシンジの想いではなく、心の奥に秘めた願いであり、自意識すら気づいていない、潜在意識の祈りでもある。
「嬉しく無さそうね。問題無かったってのに」
ミサトは簡易椅子に腰を下ろし、足を組むと、苦笑混じりに話しかけた。
その言葉に、シンジは取り繕ったような口調で答える。
「あ、いえ、そんなこと無いですよ。わ〜い、嬉しいなぁ♪」
シンジの思いっきりワザとらしい返事に、ミサトは乾いた笑い声を立てる。
「あ、あはは…」
<パイロット更衣室>
殺風景な更衣室。
ハーモニクステストを終えた少女達は、何時ものように学生服へと着替えていた。
シュッ。
マナは桜色のプラグスーツを緩ませると、軽い`ため息´を吐き出しながら思考する。
「はぁ…」
(毎日、毎日、同じことの繰り返し。こんなの鯛焼き君じゃなくっても、嫌になるって。)
そんなマナの隣では、アスカが手早く、手馴れた手つきでシャツに着替えていた。
今日のテストが好調だったのか、その表情は少し微笑んでいるようにも見える。
マナはチラッとアスカを見ると、その、あまりに手際の良い着替えっぷりに感嘆の表情で呟く。
「…熟練の腕前だねぇ」
「は?何が?」
マナの呟きを聞き、アスカはスカートを履きながら、不思議そうな表情で訊ねた。
その問いに小さく苦笑すると、、マナは着替えるのを止め、近くの長椅子に腰掛けながら冗談混じりに答える。
ドサッ。
「見事な着替えの手並に、感嘆の極みなのであります」
「何それ。時代劇の観過ぎじゃないの?」
苦笑混じりに答えたアスカは、靴下を履き終える所であった。
そんなアスカに、マナは穏やかな表情を見せながら訊ねる。
「なんかさ…、飽きてこない?毎日、毎日、同じことの繰り返しで、まるで機械になったような気分にならない?」
「なぁ〜に馬」
と、アスカが答えようとした時、同じように着替えを進めていた少女の声が、話に割って入る。
「それが訓練であり、テストなんだと思います」
着替える手を休めず、黙々と着替えていたマユミの声であった。
マユミは淡々とした表情で着替えを進めながら、言葉をつなぐ。
「私達の使命は、上からの命令を着実に実行出来ること。それが第一だと思いますから」
「…そうね。私も、そう思う」
マユミの言葉に答えたのは、一足先に着替え終わり、靴の踵を整えていたレイであった。
その二人の言葉に、アスカとマナは呆気に取られた表情を見せていた。
無論、以前に決意の程を聞いたレイにでは無く、マユミという、普段は寡黙で目立つことの無いような少女に対してである。
マユミはレイの言葉に視線を向けると、穏やかな微笑を見せて話しかける。
「結局、私達って、使徒を倒すだけの道具なのかも知れませんね」
道具。
穏やかな表情から放たれた言葉は、惨酷なまでにエヴァ操縦者の立場を見透かしていた。
その言葉に、レイは静かにマユミを見つめ、アスカは考える仕草を見せ、マナは俯(うつむ)き加減に沈黙した。
あまりにも過激で、あまりにも的を射ていた言葉だった為に…。
<シンジの病室>
他愛も無い会話。
エヴァの指揮官と操縦者としてでは無く、人生の先輩と後輩、姉と弟のような雰囲気での会話。
そんな会話を、ミサトとシンジは楽しんでいた。
暖かい木漏れ日が病室に注ぎ込む中、シンジは微笑み混じりに訊ねる。
「それで、何て言ったんですか?」
「何も。だって言う必要無いじゃない。理屈ばっかで語る奴に、感覚的な考えを話しても、理解出来る筈無いし」
「確かに、理詰めでこられたら困っちゃいますよね」
ミサトの言葉に納得したのか、シンジは頷きながら相槌を打った。
その言葉に、ミサトは楽しそうに話しかける。
「彼女は知らなかったのよねぇ〜。理屈も、度を過ぎると屁理屈になるってことを♪」
「妙に、納得です」
シンジが大きく頷いたのを見て、ミサトは苦笑いを浮かべると、プゥと頬を膨らまし、冗談混じりの言葉を口にする。
「シンちゃん、『妙』は余計よ。私が屁理屈こねてるように聞こえちゃうじゃない」
ミサトの冗談に、シンジは穏やかな表情で笑った。
そして、ミサトもシンジの笑顔に釣られるようにして、柔らかな笑い声を立てる。
穏やかな、暖かな、緩やかな空気が流れる病室。
そんな和やか雰囲気の中、ミサトは`ゆっくり´と真剣な表情を作ると、シンジの方を見ず、俯(うつむ)き加減にしながら訊ねる。
「…あ、あのさ、シンちゃん。記憶の方、相変わらずなの?」
「え?あ…、記憶ですか?」
唐突な感のあるミサトの表情の変化、自分に対する問いに、
シンジは多少緊張した面持ちで答えると、ベットの上で膝を丸め、静かにミサトを見つめながら言葉をつなぐ。
「…少し。何となくですけど、戻ってきてるような感じがします」
その言葉に、ミサトは思わず顔を上げ、驚きの瞳でシンジを見つめた。
まさか、希望的予測で聞いた質問に、希望的な答えが返ってくるとは、夢にも思っていなかった為である。
ミサトは驚きの瞳をそのままに、シンジへと勢い良く訊ねる。
「ど、どこら辺まで思い出したのッ?!」
あまりのミサトの剣幕に、シンジは苦笑しながら答える。
「思い出したとは言って無いです。戻ってきてる感じがしてるだけです」
「へ?」
理解し難いシンジの言葉に、鳩が豆鉄砲を食らったような顔を見せるミサトであった。
その表情に微笑むと、シンジは静かに話し始める。
「何て言えばいいのか、良く分からないんですけど…。
記憶の感覚って言うのかな?そんな感じのものが、還ってきてるような気がするんです」
「記憶の…感覚?」
シンジの言葉を準(なぞら)えるようにして呟くと、ミサトは腕を組み、考える仕草を見せた。
そして、しばらくの沈黙の後、ミサトは真摯な瞳を見せながら口を開く。
「それってさ。深層心理みたいなもんなのかな?」
「自分には難しいこと分かりません。けど、ミサトさんが言うなら、それかも知れませんね」
「…そっか」
シンジの言葉に、ミサトは頭を掻き上げながら、どことなく寂しげに呟いた。
そんなミサトの表情、呟きに、シンジは穏やかな表情を見せながら訊ねる。
「何か、僕に話でもあったんですか?」
「ん、まぁね。…でも、記憶らしい記憶が戻ってないんじゃ訊けないよね」
加持。
ミサトの訊きたいことは、加持の伝言についてのことだった。
-あと、迷惑ついでに俺の育てていた花がある。俺の代わりに水をやってくれると嬉しい。場所はシンジ君が知っている。-
加持の育てていた花、シンジが所在を知っている花、自分に託された花。
花の場所を知る為、シンジに訊ねたかったのだが、記憶が戻っていなければ、その行為も無意味でしかなかった。
だが、心当たりはある。
以前、加持が耕していた畑である。
しかし、あの時の畑にはスイカしか植えられていなかった。
そのことが、ミサトに確信たる思考をさせなかった為、シンジへと訊ねたのであった。
「…ミサトさん。今の僕で良かったら、訊いてみてください。もしかしたら、思い出すかもしれませんし」
「そ、そうよね。何かの切っ掛けになるかも知れないわよね」
ミサトは、シンジの言葉に救われるような思いを感じると、加持の伝言を掻い摘んで説明した。
伝言の理由は告げず、その内容を選ぶかのようにして。
数分後。
「花、ですか…」
「そんなに考え込まないで。ゆっくり思い出してくれればいいから」
腕組みして考える仕草を見せるシンジに、ミサトは柔らかな微笑を見せながら話しかけた。
その言葉に、シンジは顔を上げると、申し訳無さそうな表情を見せながら答える。
「御免なさい。役に立たなくて」
シンジの謝意の言葉に、ミサトは思わず苦笑してしまった。
記憶を失くしても、こんな所はシンジのままなんだと知って。
ミサトは優しげな瞳で、謝罪するシンジの顔を見つめた。
緩やかに流れる時間、一時の平和を楽しむかのような時間が流れるかと思われた。
だが、その時間は来訪者によって遮られる。
プシュッ。
「葛城三佐、少し宜しいですか?」
資料片手に訪れた日向であった。
真剣な表情で話しかける日向に、ミサトは冗談混じりに答える。
「あらデートの御誘い?モテる女は辛いわね」
「か、葛城さんッ」
ミサトの冗談に、日向は顔を赤くしながら声を上げた。
「冗談よ」
その言動にサクッと言葉を返すと、ミサトは椅子から立ち上がりながら、シンジへと話しかける。
「じゃ、シンちゃん。私、お仕事に行って来るから、養生してね」
「はい。いってらっしゃい」
シンジは微笑みの表情で、ミサトを見送った。
ミサト達が去り、シンジ一人きりになった病室。
賑やかで暖かだった病室も、一人になってしまうと、何となく寂しく冷たいものに感じられる。
そして、そんな思いを感じたシンジは、ゆっくりと体をベットに横たえながら呟く。
「花か…」
<ジオフロント内部、公園>
先の第十四使徒戦の傷跡、ジオフロントの天井に開いた巨大な穴、第三新東京市へと直結された空洞。
そんな穴を見上げながら、ベンチに腰掛けていたミサトは、日向の言葉に驚くようにして視線を下げた。
ミサトは日向に視線をやらず、前方の本部施設を見つめながら訊ねる。
「エヴァ拾参号機までの建造を開始?世界七ヶ所で?」
その問いに、ミサトに背を見せるように立っていた日向は、真摯な眼差しで答える。
「上海経由の情報です。ソースに信頼は置けます」
「何故この時期に、量産を急ぐの?」
「使徒が今までのように単独ではなく、複数同時展開のケースを見越してのものでしょうか?」
「どうかしら。非公式に行う理由が無いわ。…にしても、最近、随分と金の動きの激しいこと」
「ここに来て予算倍増ですからね。それだけ上も切羽詰ってるってことでしょうか」
「委員会の焦りらしきものを感じるわね」
日向と言葉のキャッチボールをしながら、ミサトは思考を整理させていた。
誰が、誰の、何の、何の為の思惑で、事態と状況が進んでいるのかを把握しようとして。
「では、力関係でしょうか?日本支部には、六機ものエヴァが存在する訳ですから」
「そうね。それも有り得るわ…」
日向の言葉に呟くようして答えたミサトは、口元に手を置きながら、ゆっくりと思考を巡らす。
(力関係、エヴァの驚異的な力…。人が生き残る為には、自分達をも滅ぼそうとした力をも利用する。それが人間。
…力関係の線、濃いかも知れない。)
<本部出入口>
第三新東京市とネルフ本部を繋ぐ、巨大なゲート。
関係者のみが利用出来るゲート前で、アスカは暇そうな顔を見せ、壁にもたれ掛かっていた。
誰も通る気配を見せないゲートを見つめながら、アスカは思考する。
(道具か…。マユミの奴、ホント馬鹿よね。
んなの分かりきってることじゃない。今更そんなことに気づくなんてさ。…ホント、馬鹿よ。)
もどかしい。
アスカには、あのマユミの発言が`もどかしく´って堪らなかった。
幼い頃から、操縦者として訓練を受けていたアスカには、マユミの発言は痛いほど理解していた。
そう。
理解してるが故に、もどかしくって、もどかしくって、一言注意しなければ気が済まない程の気持ちが、胸の奥から湧いてきたのである。
そんな、小難しいような気持ちを抱きながら、アスカは俯(うつむ)き加減に小さく呟く。
「生きてることの…もどかしさ」
アスカが呟いてから数分が流れると、巨大なゲートが開き、アスカが待ちかねていた人物が姿を見せた。
長い黒髪を持つ少女、寡黙な口から過激な言葉を放った少女である。
マユミがゲートから出て来たのを見ると、アスはその場に駆け寄り、勢い良く口を開く。
「マユミッ!」
少女の名を口にすると、アスカは自分を鼓舞するかのように胸に手を置き、真摯な瞳で声を上げる。
「私達は道具よ。けど、それが何だっての?そんなの誰だって分かりきってることじゃないッ。
だから、だからッ、私は道具たる自分が幸せになる為、誰よりも認められた存在になる為、今もこうしてエヴァに乗ってる!乗ってるのよッ!!」
そう言い放つと、アスカはクルッと踵を返し、マユミの許から駆け去った。
アスカの遠ざかる背中を見つめながら、マユミは驚きと戸惑いが混じったような呆け顔を見せていた。
一体何が起こったのか、混乱しきったような顔を。
だが、アスカの背中が見えなくなる頃、ようやく、マユミは事の次第を把握した。
なぜ、アスカが自分の元に訪れ、自分の想いを口にしたのかを。
マユミは俯(うつむ)き加減に小さく微笑むと、こめ髪を右手で掻き上げながら、寂しそうに自嘲するように呟く。
「だから、アスカさんは必要な存在。…だから、私は不必要な存在」
<鈴原家>
「ただいまぁ〜」
「あ、おかえりぃ〜」
ネルフから帰宅したトウジを待っていたのは、明るい出迎えの声、妹の元気な声だった。
その声の元気さに苦笑したトウジであったが、直ぐに表情を真剣なものにした。
今日、今日こそ、祖父のことを伝えなければいけない。
そんな真摯な思いが胸の内にあったからである。
「ちょっと話があるんやけど、ええか?」
台所で夕食の準備をしている妹へと、トウジは普段通りに話しかけた。
その言葉を聞き、妹は微笑みながら冗談を口にする。
「お風呂当番の交代なら嫌(や)だよ。私、この前も洗ったんだからね」
「すまんな、感謝しとる」
妹の言葉に、実直な言葉で答えるトウジであった。
その言葉を訝(いぶか)しげに思ったのか、妹は不思議そうな顔を見せながら頷いて答える。
「…う、うん」
トウジは、マユミから聞いた事実、祖父に関する事実を、そのまま、ありのままに伝えた。
もう、祖父は帰って来れないことを、ありのままに…。
「…これが、ワシの知っとる全部や」
祖父のことを話し終えたトウジは、神妙な面持ちを見せながら妹を見つめた。
妹は顔を見せないよう、俯(うつむ)き、沈黙していた。
だが、いつまでも沈黙する訳にはいかなかったのか、ゆっくりと顔を上げた。
妹は気丈にも微笑を見せながら話しかける。
「お、お兄ちゃん。お腹空いたよね。直ぐに御飯の用意するから」
「お、応」
トウジは妹の反応に、意外な印象を拭えなかった。
父親から祖父の話を聞いた時は、あんなにも取り乱した妹が、今は微笑みすら見せている。
その言動に、トウジは少し安堵したような、安心したような気持ちを抱くと、調理の手を進める妹の背中へ、柔らかな口調で話しかける。
「なんや安心したで。いきなり泣かれるもんと思てたからな」
「そ、そんな訳…わ、訳」
もう、駄目だった。
トウジの前、兄の前では泣くまいと、感情を抑えるようにして耐えていたが、…もう、駄目だった。
ポロポロ、ポロポロと止め処なく零れ落ちてくる涙に、妹は視界を滲ませて泣きだした。
嗚咽混じりに、誰を罵ることもなく。
突然泣き出した妹に、トウジはギュッと唇を噛み締め、拳(こぶし)を握り締めた。
兄という立場からでは無く、自分の分も泣いてくれる妹の優しさを知っていたから。
トウジは、妹の泣き声を聞きながら、自らの胸に湧く、激情を押し殺すだけだった。
つづく
あとがき
しばしの間、『僕は…』に専念します。