第三新東京市近郊、深夜。

ラブホテルのような部屋で、一組の男女が裸体を交差させていた。

足りないものを欲し、足りないものを確かめ、足りないものを埋めるように。

 

 

 

僕は僕で僕

(108)

 

 

 


 

数十分後。

男と女はベットに横になっていた。

男は部屋の天井を見つめ、女は男の胸に顔を乗せて。

男は加持、女はミサトであった。

 

「いやらしい女ね…私って」

加持の匂いを感じながら、ミサトは少し疲れたような表情で呟いた。

その言葉に、加持は天井を見つめながら答える。

「情欲に溺れている方が人間としてリアルだ。…少しは欺(あざむ)けるさ」

「…うちの諜報部を?…それとも碇司令やリツコ?……それとも、私?」

加持の胸を指でなぞりながら、ミサトは`ゆっくり´と訊ねた。

加持はミサトを見ること無く答える。

「いや、自分を」

「他人を…でしょ」

加持の言葉を、ミサトは表情を変えること無く否定した。

ミサトは優しげな表情で言葉をつなぐ。

「貴方、人の事には興味ないもの。…そのくせ寂しがる。ホント、お父さんと同じね」

その言葉に沈黙で答えると、加持は部屋の灰皿を見ながら口を開く。

「……煙草、まだ吸ってたんだな」

加持の言葉を聞き、ミサトは灰皿にある自分の吸殻見た。

そして、軽く吐息を吐き出すと、苦笑しながら口を開く。

「こういう事の後にしか吸わないわ。だから知ってるのは、加持君だけ」

「そいつは、光栄だな」

ミサトを見ること無く、加持は視線を宙に浮かし、心ここに有らずのような口振りで答えた。

他愛も無い会話をしながら、ミサトは探りを入れるように自分が欲する真実を訊ねる。

「……で、人類補完計画、どこまで進んでるの?…人を滅ぼすアダム、なぜ地下に保護されてるの?」

「そいつが知りたくて、俺と会ってるのか?」

加持は淡々とした表情で訊ね返した。

ミサトは柔らかな微笑を浮かべ、簡潔に答える。

「それも有るわ。正直ね」

「御婦人に利用されるのは光栄の至りだが、こんな所じゃ喋れないな」

ミサトの言葉に、加持は苦笑しながら答えることを拒絶した。

そんな加持の言動に、ミサトは優しげに話しかける。

「今は私の希望が伝わればいいの。……ネルフ、そして碇司令の本当の目的は何?」

「こっちが知りたいさ」

グイッ。

そう言って、加持はミサトの体を抱き寄せ、強引に唇を重ねた。

「んッ」

突然の加持の行動に、ミサトは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔を見せた。

なかば強引に加持の体を剥がすと、ミサトはムッとした表情で話す。

「チョットごまかさないでよ。こんなとこで」

その言葉に苦笑すると、加持はミサトの体を強引に引き寄せた。

そしてキスと共に愛撫を始める。

「…ん……あっ」

艶やかなミサトの甘い声、濃厚なキスの音、ベットの軋む音、そんな音が入り混じって響く。

だが、その音は1分と経たずに止む。

ミサトが甘い声を止め、ゲッとした表情で声を上げたから。

「んむっ!ヤダッ、変なもの入れないでよ!……こんな時にもう」

ミサトの口に、加持が異物を混入したからだった。

異物を手に取って灰皿の横に置くと、ミサトは訊ねる。

「何?」

異物はカプセルの形をしていた。

そんなミサトの問いに、加持は笑顔を見せること無く答える。

「プレゼントさ、8年ぶりの…」

淡々と話す加持の顔を、ミサトは不思議そうに見つめている。

だが、そんなことに構いもせず、加持は淡々と言葉をつなぐ。

「……最後かもしれないがな」

 

 

<数日後、ネルフ>

 

「これで最後ですか?」

病院服を着たシンジが、防護ガラス越しに見えるナオコに訊ねた。

シンジはCTのような機械が置かれた、防護ガラスの窓が一つだけある部屋にいた。

 

ネルフでは、シンジ達の医療チェックが行われていた。

他の子供達は滞りなく終了し、一足先に帰宅の途についている。

なぜ、シンジだけ医療チェックが遅れていると言えば、理由は一つしかない。

使徒に侵された痕跡を探す為、シンジだけ診断項目が多めに用意されていたからだった。

 

「もう少しの辛抱だから、我慢して頂戴」

シンジの問いに、ナオコが淡々とした表情で答えた。

ちなみにナオコは、シンジの様子が一望出来るよう、防護ガラス越しに立っている。

その言葉の後、室内にシンジの気落ちしたような声が響く。

-まだ続くんですね…。-

「残念ながら、ね」

そう言って、ナオコが苦笑すると、側にいるマヤが話しかける。

「赤木博士、準備完了です」

「了解」

簡潔に答えると、ナオコはシンジに話しかける。

「シンジ君。早速だけど、そこの機械に仰向けに寝て貰えるかしら?」

-こうですか?-

シンジは、機械に設置されているベットに仰向けになった。

その様子をガラス越しに確認すると、ナオコは幼子に語りかけるように話す。

「はい、良く出来ました。…サッと済ますから、楽にしてね」

ピ、ピ、ピ。

機械の作動音が響き、ベットが徐々に動き出す中、シンジは目を閉じて思考する。

(検査、検査…検査ばっかり。……こんなに多いと、モルモットになった気分がする。)

 

 

<ミサトのマンション>

 

「ク、クェ…」

ペンペンはサバの味噌煮を前にして、脂汗をかいていた。

そんなペンペンを覗き込むように、マユミが真摯な瞳で見つめている。

「煮物は駄目ですか?」

そう言って、マユミは少し残念そうな表情を見せた。

「………」

マユミの言葉に、ペンペンは「生が好きなんだけど…」と言ったような表情を見せた。

複雑な表情を見せるペンペンに、マユミは寂しそうに話しかける。

「嫌だったら食べなくてもいいですよ。…作り直しますから」

「………クゥ」

そんなマユミの表情を見て、ペンペンは心を決めた。

ガツ、ガツガツ。

ペンペンは14歳の少女の好意を無駄にするまいと、サバの味噌煮に`かぶりつく´のであった。

葛城家の一員である温泉ペンギン、ペンペン。

彼は心優しきペンギンであった。

 

「味噌煮はいけるんですね。良かった♪」

ペンペンの行動を見て、マユミは嬉しそうに微笑んだ。

そんなマユミの背後から、風呂上りのアスカが声をかける。

「何やってんの?」

「え、あ、ペンペンの食事調査です。どの程度まで食べれるかの調査を」

ズデッ。

マユミが話した瞬間、ペンペンは景気良く転んだ。

(…なはは、調査だったのね。)というようなことを思いながら。

そんなペンペンの行動に気づかず、マユミは楽しそうにアスカに話しかける。

「珍しいですよね。私、温泉ペンギンって種類、初めて知りました」

「…人間の知的欲求が生み出した傲慢の産物よ。何かの遺伝子実験の過程で生まれた産物だって、ミサトが言ってたわ」

マユミの言葉に、アスカは濡れた髪をタオルケットで拭きながら話した。

その言葉に、マユミは少しだけ冷めたい感覚を覚えると、俯(うつむ)き加減に口を開く。

「そう聞くと、どことなく可哀相ですね…」

「可哀相なんて言うもんじゃないわよ。ペンペンは同情なんか望んでないと思うし」

まるで、自分のことのように話すアスカだった。

その言葉を聞くと、マユミは苦笑しながら話す。

「ですね。ペンペンは強い子ですからね」

「そうそう。シンジに見習わせたいぐらいよ」

アスカは笑顔を見せながら話した。

その言葉を聞くと、マユミは思い出しように口を開く。

「そういえば、碇君。まだ検査してるんでしょうか?」

「やってるんじゃない?私達が終った頃には、まだ半分も終ってないって言ってたから」

アスカは、口では気にした素振りを見せなかったが、表情には`どことなく´を気にした感じを見せていた。

同じ時間に始まった医療チェックが、同じ時間に終らないことに対して。

 

 

<ネルフ、喫茶室>

 

「はぁ…」

シンジは喫茶室の椅子に腰掛けながら、ため息を軽くついた。

数十項目あった医療チェックを粗方片付けたが、まだ数項目が残っていることを思い出したからだった。

医療チェックの為、飲み物を飲むことも無く、何も置かれていないテーブルを見つめながら、シンジは淡々と思考する。

(記憶が戻らないから、こんなに検査が多いのかな?……多分そうなんだろうな。)

そんな思考をしていると、日向が喫茶室に入室してきた。

椅子に座るシンジの姿を確認すると、日向は微笑みを見せ、歩み寄りながら話しかける。

「シンジ君も休憩かい?」

「あ、はい。…まぁ、そんな感じです」

日向の声に気づくと、シンジは適当に返事を返した。

ガタッ。

その言葉に苦笑すると、日向はシンジの前に座り、微笑みながら話しかける。

「…今の気持ちは、検査項目の多さにウンザリって気持ちだろ?…違うかい?」

「は、はい。そうです。何で解ったんですか?」

日向の指摘が図星だった為、シンジは驚きの表情で訊ねた。

そのことを察してか、日向は笑顔で答える。

「今日、医療チェックがあること知ってたし、シンジ君が疲れた顔してたからね」

「あっ…」

日向の言葉に、シンジは納得がいったという顔を見せた。

そして、自分の顔を手でなぞりながら訊ねる。

「僕、疲れた顔してました?」

「まぁね。…でも無理ないよ。朝から今の時間まで検査なんて、俺だって疲れると思うし」

そう言って、日向は同情するような表情を見せた。

ちなみに、今の時間は1900時である。

日向の言葉を聞き、シンジは小さく微笑みながら話す。

「大丈夫です。あと三つで終わりですから」

「そっか。それなら、あと一時間ぐらいで終了だな」

そう言って、日向は窓の外に見えるジオフロントの夜景を見た。

天井からビルディングがそびえる、一風変わった夜景を。

そんな日向をチラっと覗き見ながら、シンジは戸惑いの表情で口を開く。

「あ…あの」

「ん?どうした?」

声に気づき、日向は視線をシンジに移した。

シンジは俯(うつむ)き加減に訊ねる。

「…僕の検査って、どうして皆より多いんですか?……皆は終ってるって言うのに」

「あ、そのことか」

その問いに、日向はどうにか微笑んで答えたが、思考では焦りを見せていた。

日向は思考する。

(参ったな…。俺の口から言えるかよ。シンジ君は使徒の疑いがあるんだ…なんてさ。)

日向の顔を見つめると、シンジは訊ねる。

「……やっぱり、僕が記憶喪失だからですか?」

「そ、そりゃそうさ。シンジ君の記憶を戻す手段を探す為に、沢山の検査が必要だったんだと思うな、俺は」

これ幸いとばかりに、日向はシンジの言葉を肯定した。

日向の話を聞き、シンジはポツリと呟く。

「でも…記憶が戻らなくても、僕はエヴァってロボットに乗るんですよね?」

「あ、ああ…」

シンジの言葉に、日向は驚きつつも返事を返した。

日向は思考する。

(エヴァをロボット、か…。……記憶、本当に失くしてるんだな。)

 

思考する日向と、暗い表情を見せるシンジとの間に、奇妙な間が流れる。

誰も割って入れない程の、不可思議な間が。

そんな中、思考がまとまったのか、日向が優しげな表情で口を開く。

「ま、焦ることは無いさ。…いざとなったら、足りない記憶を新しい記憶で埋めることが出来るしね」

「足りない記憶を…埋める?」

日向の言葉に、シンジは不思議そうな表情で呟いた。

その呟きに、日向は話す。

「記憶を失くしたなら、失くした間の記憶を、新しく記憶すればいいんだよ。
その間の資料なら、作戦課や保安部に記録・保管されているから……って言っても、これは記憶が戻らない場合の手段だからなぁ」

日向は自分の考えが、記憶が戻らないという最悪なケース時の、選択手段の一つに過ぎないことに気づいた。

そして、申し訳無さそうに首の後ろを掻きながら、言葉をつなぐ。

「…まぁ、自分を知るって行為は、悪い行為じゃないから、知りたくなったら何時でも相談してくれよ」

「あ、はい。…ありがとうございます」

日向の言葉を聞き、シンジは戸惑いつつも返事を返した。

返事を返すと、シンジは俯(うつむ)き加減に思考する。

(新しい昔の記憶…。

僕の記憶。…僕の思い出。…僕が過ごした時間。……僕の。)

そんなことを思考していると、室内にアナウンスが響く。

-日向マコト一尉、作戦課第三会議室まで御連絡を御願いします。繰り返します。日向マコト一尉……-

「ゲッ、何だよ?休憩取るって言った筈だぞ、俺は…ったく、ブツブツ」

アナウンスに文句を言いながら、日向は席を立った。

そんな日向を見て、シンジは微笑みながら話しかける。

「日向さんも忙しいんですね」

「ん、まぁね。この歳で一尉なんて肩書き貰ったら、変にシガラミとか仕事が増えちゃって…って、シンジ君に愚痴ってもしょうがないよな」

14歳の少年に愚痴をこぼしたことに気づき、日向は苦笑いのような表情を見せた。

シンジは日向を瞳に映しながら話す。

「…ありがとうございました。もし、自分のことを知りたくなったら、真っ先に日向さんに相談しますから」

「いつでも聞きに来てくれよ。作戦課は歓迎するからさ。葛城三佐を筆頭にね」

そう言って、日向は楽しげな微笑を浮かべた。

「はい」

日向の言葉を聞き、シンジは満面の微笑で頷いた。

そこへ、再びアナウンスが流れる。

-日向マコト一尉、作戦課第三会議室まで御連絡を御願いします。繰り返します。日向マコト一尉……-

「じゃ、俺行くから。検査、頑張ってな」

アナウンスを聞いた日向は、シンジに言葉をかけ、喫茶室を後にした。

 

日向の去った後。

喫茶室に一人残ったシンジは、胸に熱いものを感じていた。

(ネルフの人達って、皆…皆いい人達ばっかりで…。どうしようも無いぐらいに…胸が、苦しい。
……どうしようも、無いぐらいに。)

人の優しさに触れた少年は、悲しくも無いのに、痛くも無いのに、胸から込み上げてくる熱いモノに瞳を潤ませた。

ただ、それだけだった。

 

 

<青葉のマンション>

 

「ビンゴ」

自室の椅子に座っていた青葉は、小粋な言葉と共に、ニヤッとした微笑を浮かべた。

指には黒い小さなチップのようなもの。

目の前のテーブルには、バラバラに分解された『加持から貰ったライター』。

 

青葉シゲルという男。

彼はネルフ本部中央作戦室付オペーレーター、通信・情報分析担当している。

階級も、数々の経験を経て、一尉に昇進している。

その肩書きと実績は、伊達では無かったという事である。

青葉はチップを天井の照明に透かしてみると、体の奥底から湧く、知的好奇心のようなものに背筋を震わせた。

加持という男への猜疑心からか、新たな知識を目前に控えた恐怖心からか、それは青葉自身にしか解らない。

ただ、青葉の手の中には黒いチップが存在する。

それだけは、誰にも変える事の出来ない真実である。

青葉は静かな微笑を浮かべると、ポツリと小さく呟く。

「鬼が出るか、蛇が出るか…。……どの道、マトモな道じゃない」

そんなことを呟いた後、青葉は唐突に加持の言葉を思い出した。

初めて会った時に聞いた言葉を。

「素人が首を突っ込むな、火傷するぞ」

加持の言葉を思い出した為か、青葉は微笑を消し真剣な表情を見せると、自分に言い聞かせるように呟く。

「誰でも最初は素人さ…」

 

呟いた後、青葉は大きな`ため息´を吐き出しながら思考する。

(…にしても、レイちゃん遅いな。)

 

 

<第三新東京市>

 

(あ、この服、可愛い♪)

第三新東京市の一画にある本屋の中で、マナは一冊の雑誌を手に取った。

どこにでもあるようなファッション雑誌を。

マナは雑誌を読みながら思考する。

(こんな服着てデートしたら楽しいだろうなぁ…。……でも、シンジ君って鈍いからなぁ。)

シンジのことを想い出しながら、マナは苦笑のような微笑を浮かべていた。

記憶を失くしても、マナのことを憶えていなくても、二人の約束を忘れていても、シンジはシンジである。

そんな心の決まりごとを含んだ上での微笑だった。

 

「いらっしゃいませぇ」

マナが雑誌を棚に戻すと、店員の声が店内に響いた。

その声に、マナは出入口付近を何気に見た。

(綾波さん?…珍しいこともあるもんだ。)

そんなことを思考しレイの姿を確認した後、マナは何か思いついたのか、ニヤッと微笑むと、本棚の間に隠れるような行動を見せた。

どうやらレイを驚かせようという腹づもりらしい。

マナは悪戯心に胸をワクワクさせながら、心の中で俳句を詠む。

(綾波さん たまにはドッキリ いいんじゃない?)

 

「……」

そんなマナの思惑など知らず、レイは欲しい本でもあるのか、専門書のコーナーを物色していた。

レイは数冊の本を手に取り、新書などを載せる平台の上に積むと、パラパラと内容を読み始めた。

『心は脳を超える』

『心身問題と量子力学』

『自我と脳』

レイが取り出した本は、いずれも脳という体のパーツに関する専門書だった。

彼女もまた、記憶を失くした少年の為に、自分の出来ることを模索している一人であった。

「ワッ!」

レイが集中して本を読み始めると、背後からマナが声を上げた。

静けさが漂っていた店内に、マナの声が一段と響く。

店内の客達も何事かと、マナの方を一斉に視線をやった。

だが、レイだけは我関せずのような雰囲気で、読書に集中している。

マナは客達の視線に気まずい感覚を憶えながら、黙々と読書に集中するレイの肩を叩き、話しかける。

「あ、あの…、綾波さん?」

レイは然したる驚いた表情も見せず、静かに本を読む手を止め、横目でマナを見ながら口を開く。

「…JA操縦者。何?」

「何って…驚いてないの?」

マナの問いに、レイは顎に手を置く仕草を見せ、僅かの間だけ沈黙すると、ポツリと呟く。

「少し、驚いたかも」

レイの言葉に、マナは乾いた笑い声を上げながら、自分へ一言。

「なはは。貫禄負け決定〜」

「負け?…勝負?」

レイはマナの言葉に不思議そうな表情を見せた。

その呟きに、マナは苦笑のような微笑を見せながら答える。

「あ、いいの。こっちの話だから」

「…そう」

マナに静かに答えると、レイは再び本を読み始めた。

そんなレイの行動に微笑を見せると、マナは平台に積まれた本のタイトルを見て呟く。

「『自我と脳』…難しい本、読んでるんだ」

その呟きを聞き、レイは寂しげな表情で呟く。

「…碇君の記憶。私達との思い出。……出来れば思い出して欲しいから」

「綾波さん…」

その呟きに、マナは嬉しそうな表情で呟いた。

初めて、レイの優しさに触れたような気がしたから。

 

だが、レイはマナの呟きを無視し、本を読み始める仕草を見せながら、真摯な赤い瞳で思考する。

(でも、もう一人の碇君は違う。…彼は……違う。)

 

 

<司令室>

 

「以上。これが参号機の修復予定です」

ゲンドウと冬月を見据えながら、リツコは『参号機・修復計画』の進行具合を説明していた。

リツコの説明を聞き、冬月が手元の資料を見ながら訊ねる。

「ドイツからかね?」

「無い物は、ある所から持って来ればいい。そういうことですから」

冬月の問いに、リツコは苦笑混じりの言葉で答えた。

ドイツへのパーツ申請を出すであろう、冬月とゲンドウへの言葉でもあったからだった。

リツコの言葉の意味が解るのか、冬月は深い`ため息´を吐き出しながら答える。

「どの国もエヴァが欲しい時期に、建造途中のパーツを…。やれやれだな」

冬月の言動に、リツコは苦笑しながら話しかける。

「胃薬は技術部から提供させて頂きますわ」

リツコが滅多に口にしない冗談を聞き、冬月は小さく驚いた表情を見せた。

そして、直ぐに驚きの表情を消すと、微笑みながら答える。

「そうしてもらえると助かる」

こうして、リツコの参号機に関する報告作業は、和やかな雰囲気と共に終了した。

 

二人きりになった司令室。

先程の雰囲気が抜けないのか、冬月が微笑み混じりに話しかける。

「まさか、あの赤木君が冗談を言うとはな」

その言葉を聞き、ゲンドウは普段通りの硬い表情で答える。

「母親と共に居るからだろう。…松代が壊滅した所為でもあるが」

「あそこの復旧予算も、エヴァと肩を並べる程だ。…上から苦言を貰ったよ」

ゲンドウの言葉に、冬月は表情を真剣なものにしながら話した。

その話を聞き、ゲンドウは思い出したように口を開く。

「明後日、市議の定例だったな」

「ああ。とりあえず、申請を先に済ませてから向かうつもりだ」

淡々とした表情でゲンドウに答えると、冬月は何かを思い出したのか、含み笑いを浮かべながら言葉をつなぐ。

「明後日は君が行くかね?…たまには上の空気を吸うのも悪くなかろう?」

いつも面倒事を押し付けられ、苦渋の表情を見せているネルフの副司令、冬月の僅かばかりの抵抗であった。

冬月の言葉を聞き、ゲンドウはその場を誤魔化すように、手元の資料を手にしながら口を開く。

「参号機操縦者の調子はどうだ?」

(こ、この男は…全く。)

ゲンドウの言葉に、冬月は怒りを通り越し、呆れてしまった。

よりにもよって普段から気にしたことも無い、参号機操縦者のことを口にするとは思わなかったからだった。

冬月は額に手を置き、疲れたような表情で答える。

「模擬体でのシンクロは無難な所だ。あとは参号機・修復後にどう出るか、だな」

 

 

<参号機ケイジ>

 

「…いつ、乗るんやろ?」

漆黒の参号機を黒い瞳に映しながら、学生服姿のトウジはポツリと呟いた。

医療チェックを無難に済ませたトウジは、参号機ケイジに足を運んでいた。

だが、修復途中ということもあって、ボディの大半は剥き出しになったままである。

そんな中、トウジの呟きを掻き消すように、忙しげに働く作業員達の声が参号機ケイジに響く。

「三番の部品、ありませんか?」

「倉庫に予備が有った筈だけどなぁ」

「お〜い、チェックするから誰か見てよ」

「あ、俺行きま〜す!」

作業員達の働く姿を見ながら、トウジは下唇を噛み締めながら俯(うつむ)き加減に呟く。

「ワシが、もう少しマシに運転しとったら…こないなこと」

トウジという少年は、人一倍責任感が強い少年であった。

その責任感が、現時点でのトウジの心を圧迫していた。

誰から責められたという訳でもないのだが、自分自身のエヴァに対する責任感というモノに、心を苛まされていた。

その責任感は、トウジに一つの思いを抱かせていた。

『悔しい』という思いを。

 

僅かな時間が流れる。

トウジが重苦しい気持ちを感じながら沈黙していると、横から聞き慣れない声が聞こえてくる。

「暗い顔しちゃって、鈴原君、どっか痛いの?」

ネルフの女性職員だった。

その声の主を見ても、誰だか思い出せず、トウジは困惑した表情で口を開く。

「あのぉ?…誰でっか?」

ネルフの女性職員は手元の書類を胸に抱き、微笑みながら答える。

「あ、御免ね。鈴原君のこと、妹から良く聞かされてるから、どーにも初対面って感じがしなくって♪」

(ワシのこと?妹?)

女性職員の言葉を聞き、トウジの頭の中は余計に困惑してしまった。

そんなトウジを察してか、女性職員は苦笑しながら口を開く。

「洞木、コダマ。苗字に聞き覚えあるでしょ?鈴原トウジ君」

「へ?は?……な、な、な、なッ?!ほ、洞木ぃぃぃぃ?!」

今にも腰を抜かすような、トウジの驚きぶりであった。

そんなトウジの驚いた様子に笑顔を見せると、コダマは握手を求める手を差し出しながら話しかける。

「初めまして、だよね?とりあえず、宜しく♪」

「あぅ、あぅ」

驚きが大きかったのか、トウジはオットセイのような言葉で頷いて答えた。

そして、口を大きく開けたまま、コダマの手を握った。

トウジの言動に好感を覚えながら、コダマは微笑みの表情で話しかける。

「参号機、時間掛かるから、そのつもりでね♪」

ピクリ。

コダマの『参号機』という言葉に、トウジは過敏に反応した。

トウジは驚きの表情を、ゆっくりと真剣な表情にすると、真摯な瞳を見せて訊ねる。

「当分は乗れへん、そう言うことでっか?」

「あ、うん。そうだけど…」

いつに無い真剣な眼差しのトウジに、コダマは多少驚きながらも答えた。

コダマの言葉を聞き、トウジは何かを考える仕草を見せて沈黙した。

その様子を不思議そうに見つめると、コダマは思考する。

(変わった子よね。…驚いてたかと思ったら、急に真面目な顔見せたり。…ヒカリの奴、鈴原君のこんな所が気に入ったのかしら?)

「…使徒が来ても、待機っちゅうんは嫌なんです」

(え?)

唐突に話し始めたトウジに、コダマは驚きながらも目をやった。

だが、コダマが見ていようと、見ていまいと、トウジの話は続く。

「あんな歯痒い思いは、この前の戦闘で充分です。…ワシ、ワシが選ばれたからには…戦う。ちゃう、戦いたいんです」

トウジの話を聞き、コダマは納得がいったような表情で思考する。

(な〜る(ほど)、好戦的な所が気に入ったのね。)

そんな思考をした後、コダマは微笑みながらトウジに話しかける。

「でも、大丈夫よ。使徒が来ても、シンジ君達が居るから」

「(せ)やからやないですかッ!せやから、ワシ!……ワシ」

トウジは言葉に詰まると、その場に居た堪れなくなったのか、突然、逃げ去るように駆け出した。

「あ、鈴原君?!」

いきなりの行動と言葉に戸惑いながらも、コダマは呼び止めようとした。

だが、トウジは振り向きもせず、その場から駆け去ってしまった。

 

「…行っちゃった」

一人取り残されたような感じのコダマは、ポツリと寂しそうに呟いた。

そして、周囲の作業を眺めながら、何気に先程のトウジの言葉を呟く。

「せやからやないですか…か」

呟いた後、コダマは床に視線を落とし、なぜトウジがこの言葉を口にしたかを考えてみた。

(使徒が居るから、戦う。シンジ君達が居るから、戦いたい。……あ!そういうこと。)

思考が達したのか、コダマは何かに気づいた表情を見せた後、柔らかな微笑を浮かべて呟く。

「優しいんだ。…彼って」

 

 

<ネルフ内、移動通路>

 

「と、トウジ?!」

移動通路に乗っていたシンジは、逆側から激走してくるトウジに驚き、戸惑いの表情で声を上げた。

ピタッ。

シンジを追い越した時点で、トウジの足が止まった。

そして、ゆっくりと振り返りながら口を開く。

「…シンジか?」

一目散に駆け出した為か、トウジは聞き慣れた声を聞き、ようやくシンジの存在を確認していた。

トウジの問いかけに、シンジは苦笑しながら訊ね返す。

「うん、そうけだけど。…どうかしたの?移動通路を逆走したりして」

「大したことやあらへん。気にすんな」

「…う、うん」

なんとなく、(トウジって凄いな)と思いながら、シンジは頷いて答えた。

そんなシンジの思考を知らず、トウジは普段通りの表情を見せながら訊ねる。

「身体検査、終ったんか?」

「やっと、ね」

シンジは検査が終ったことが嬉しいのか、微笑を見せて答えた。

その言葉に、トウジは呆れ気味の表情で話しかける。

「えらい長かったなぁ。なんぞ悪いもんでも食うたんやないか?」

「それは無いと思うよ。ここのところ、食事取って無いから」

「そぉかぁ〜。ここんところって、どんくらいや?」

「ん〜と、二日ぐらいかな?」

「そないにか?!死んでまうで、マジでッ!」

「大丈夫だよ。人間は2〜3日、食事しなくても死ねないように出来てるから」

そう言って、シンジは微笑んで答えた。

しかし、言葉には違和的なものを含んでいた。

普通なら『死なない』と表現する言葉を、『死ねない』と表現して使っていたことである。

シンジが微笑みながら口にした言葉は、意外な程に、深層心理下の心を露呈していた。

だが、トウジはその言葉に気づかず、心配するような表情で呟く。

「そない言うたかてなぁ…」

そして、何かを考える仕草を見せ、考えをまとめると景気良く口を開く。

「よっしゃッ!今日はシンジに飯を奢ったる!ワシが奢ったるさかい、腹一杯食うんや!」

「奢ってくれるの?…いいの?」

多少、シンジは申し訳無さそうな表情で訊ねた。

その表情を見て、トウジは満面の笑顔を見せて答える。

「遠慮はいらんで。帰り道のお好み焼き屋やさかい、値段もリーズナブルや」

「あはは」

シンジは、思わずトウジの言葉に笑ってしまった。

トウジとリーズナブルという言葉に、とてつもない違和感を感じたからかもしれない。

いきなり笑い出したシンジに、トウジは呆気に取られた表情で訊ねる。

「なんや?ワシ、変なこと言うたか?」

「え?…あ、ううん」

トウジの問いに、シンジは首を横に振ると、瞳に不安の色を映しながら思考する。

(……変だ。…トウジの言葉を面白いって思うなんて。

トウジとの記憶は無い筈なのに…トウジの言葉を聞いて笑ってた。)

「!」

思考の最中、シンジは何かに気づいたような表情を見せ、小さく誰にも聞こえない声で呟く。

「もしかして…」

シンジの様子を見て、トウジが不思議そうな表情で訊ねる。

「なんや?どーかしたんか?」

「ううん、何でも無い」

シンジはトウジに答えながらも、淡々と思考する。

(…記憶の感覚が…戻ってきてる?)

 

 

<二日後、寂れた山道>

 

「葛城か?俺だ」

加持が山道の公衆電話から、ミサトヘ電話をかけていた。

-只今、留守にしています。発信音の後にメッセージをどうぞ。-

ピーッ。

相手の居ない電話口に話していたことを自嘲すると、加持は真剣な表情を見せて口を開く。

「葛城。俺だ。多分この話を聞いてる時は…」

 

ガチャン。

加持は用件を言い終わると、受話器を元に戻し、誰に言うべきも無く、真摯な瞳を見せて呟く。

「最後の仕事か…」

そして、テレホン・カードの差出口から、ネルフの真っ赤なカードを取り出した。

加持はカードの色を見つめながら、感慨深げに呟く。

「まるで…血の色だな」

 

 

 

つづく


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あとがき

『綾波展』Onlyで公開して頂いた(108)です。
『綾波展』さん、ありがとうございました。

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