「こらこら、そんなに走ると転んじゃうぞ。ペンペン」
「クワッ!!クワワワワッ!!!」
本日はネルフ特権を利用して自主休校したシンジは両手をポケットに入れ、ペンペンを引き連れて夕方の商店街の散歩をしていた。
「ちゃんと道路の右側を通らなきゃダメだぞ。車が来たら大変だからね」
「クワワッ!!クワッ!!!クワッ!!!!」
「・・・ったく、何がそんなに楽しいのやら」
シンジの制止を振り切り、ペンペンは嬉しそうに羽根をバタつかせながら歩道を駈け回り、シンジはやれやれと溜息をついてその後を追ってゆく。
シンジにとっては退屈かも知れない夕飯の買い物ついでの散歩。
だが、ペンペンにとってはそんな退屈な散歩ですら、シンジが葛城邸へ来るまでは味わえなかった最高の贅沢だった。
何故ならば、飼い主であるミサトは社会人であり、多忙なネルフに勤めている事もあって残業や休日出勤も多い。
それ故、1日の多くを1匹だけで過ごすペンペンにとっては、玄関に鍵がかかっている為に行動範囲テリトリーが葛城邸と言う狭い空間だけ。
それが今ではシンジという遊び相手がいる事により、コミュニケーションの時間は増え、たまにはこの様に外へ出かける事も多くなった。
だからこそ、ペンペンにとっては只の散歩も見る物全てが珍しく、人が多く騒がしい商店街も恰好の遊び場になっていると言う訳である。
「おぉ〜〜い、ペンペンっ!!そっちには用がないぞぉぉ〜〜〜っ!!!」
しかし、ペンペンが商店街の脇道へ入り、シンジが掌をメガホンにして呼びかけた一拍の間の後。
「クワァァ〜〜〜ッ!!」
「どうしたっ!?ペンペンっ!!?」
脇道よりペンペンの叫び声が上がり、シンジは素早くポケットから両手を出し、何故かニヤリと笑ってペンペンの元へ駈け急いだ。
「可愛いぃ〜〜♪本物のペンギンさんだぁぁ〜〜〜♪♪」
「クワッ!!クワッ!!!クワワワワッ!!!!」
シンジが脇道へ入ると、お下げ髪で少し垂れ目の少女が地面に膝を付いてペンペンを抱きしめ、ペンペンは嫌そうに羽根をバタつかせていた。
その学校帰りらしい少女は、シンジが第三新東京市で通う事になった『第壱中学校』の女子制服を着ている。
また、シンジと同様に夕飯の買い物へ来たのか、ペンペンを抱く少女の肘にはスーパーの買い物袋がぶら下がっていた。
「・・・・・・君は?」
「クワッ!?」
少女の顔にシンジは少し驚いた様な表情を浮かべると、ペンペンは助けが来たと気づき、強引に少女の拘束から抜け出てシンジへ駈けて行く。
「あっ!?逃げないでよぉ〜〜♪」
少女は名残惜しそうにペンペンへ手を伸ばすが、手を伸ばした先に人の足がある事に気付き、反射的に視線を足を辿って上らせた次の瞬間。
「やあ、こんにちは。ペンギンが珍しいのかな?」
「えっ!?」
シンジは極上の笑みでニッコリと微笑み、少女はその微笑みに胸をドキッと高鳴らせ、顔を紅く染めながら言葉を失う。
「・・・んっ!?どうしたの?」
「い、いえっ!?な、何でもありませんっ!!?」
するとシンジは少女の元へ歩み寄り、上半身を屈めて少女の顔を覗き込み、少女はますます顔を真っ赤に染めて勢い良く俯いた。
「あれ?君も夕飯の買い物なの?」
「は、はいっ!!う、うちは私以外に男の人がいないしっ!!!
お、お父さんもお爺ちゃんも仕事で帰るのが遅くてっ!!お、お兄ちゃんは家事とかが全然ダメなんですっ!!!」
ふとシンジが少女の肘にぶら下がる買い物袋について尋ねると、少女は何やら慌てふためきながら言わなくても良い家族構成まで教える。
「へぇぇ〜〜〜、偉いんだね。それで今夜はカレーなのかな?」
「えっ!?ど、どうして、それをっ!!?」
シンジはその様子にクスリと笑いながら更に尋ね、少女は驚いて顔を上げるが、間近にあったシンジの笑顔にすぐさま勢い良く顔を俯かせた。
「だって、カレーのルーのパックが見えているよ?」
「そ、そう言えば、そうですねっ!!や、やだっ!!!わ、私ったらっ!!!!」
別にそれほど恥ずかしい事でもないのに、上から聞こえてくるクスクスと笑うシンジの笑い声に、少女は耳まで真っ赤に染める。
「クワッ!!」
「んっ!?ああ・・・。ごめん、ごめん」
一方、忘れ去られた存在のペンペンはシンジの足を嘴で突っついて散歩をしようとせがみ、シンジは何故かニヤリと笑ってペンペンの頭を撫でた。
実を言うと、シンジはペンペンとのコミニュケーションも勿論あるが、夕飯の買い物へ一緒に連れてきた最大の目的がもう1つあったりする。
それはペンペンの存在こそに理由があり、現在の常夏の国となってしまった日本では、かなり大きい水族館でしかペンギンを見る事が出来ない。
そんな珍鳥が商店街を歩いているならば、どうなるかなど考えなくとも解ると言う物。
道行く人の誰もが珍しさに足を止め、視線を向け、特に子供や若い女性、女子中学生や女子高生などにペンペンは大人気。
その中には少女の様に珍しさと可愛らしさから接触してくる者もおり、必然的に飼い主であろうと思われるシンジと交流が生まれるのは自明の理。
そして、それこそがシンジの目的であり、つまりシンジはペンペンをダシに近隣の若い女性達のナンパをしていたのである。
「ねえ、君?良かったら、この商店街を案内してくれないかな?」
「えっ!?」
「実は最近にこの街へ引っ越してきたばかりで、どの店が良いのかがまだ良く解らないんだよね」
「えっ!?」
シンジはニヤリ笑いを隠して再びニッコリと微笑み、本来の目的を達成すべく少女を誘うが、少女は顔を上げて何を言われたか解らず戸惑う。
ちなみに、確かにシンジは市役所の書類上で引っ越してきたのは最近だが、本当はこの街の誰よりも長く住んでいるので案内の必要などない。
「・・・ダメなのかい?」
「い、いえっ!!そ、そんな事ありませんっ!!!」
しかし、シンジが残念そうに溜息をつき、表情に悲しみを浮かべると、少女は勢い良く立ち上がって必死に首を左右にブルブルと振った。
「ありがとう・・・って、そう言えば、自己紹介がまだだったね。僕はシンジ。碇シンジ」
「は、はい・・・。わ、私は鈴原ア・・・。」
「待ったっ!!」
「っ!?」
その途端、シンジは微笑みを取り戻し、少女は再び紅く染めた顔を俯かせ、自己紹介を返そうとするも言葉を遮られて驚き顔を上げる。
「僕が君の名前を当ててあげるよ」
「・・・はい?」
更にはシンジに訳の解らない事を言われ、少女は驚き顔を戸惑い顔へ変え、表情に疑問符を幾つも浮かべた。
「う〜〜〜ん・・・。う〜〜〜ん・・・。う〜〜〜ん・・・。う〜〜〜ん・・・。う〜〜〜ん・・・。う〜〜〜ん・・・。う〜〜〜ん・・・。
見えてきた・・・。見えてきた・・・。見えてきた・・・。見えてきた・・・。見えてきた・・・。見えてきた・・・。見えてきた・・・。」
そんな少女の心中を余所にシンジは腕を組み、眉間に皺を刻んで唸り始め、少女はシンジがヤバい人なのかと想像して思わず一歩後退。
「・・・君の名前の中に季節の言葉が見える」
「は、はいっ!!あ、有ります、有りますっ!!!」
だが、それを察知したシンジが言葉を繋ぐと、少女は驚愕に目を見開いて、興味津々顔でシンジへ1歩どころか2歩前進して迫る。
「春・・・。夏・・・。秋・・・・・・。」
少女の様子に、シンジはニヤリと笑いそうになる口元を手で隠して考える仕草を取り、季節を春から順々に重ねて秋に達した瞬間。
「っ!?」
「冬・・・・・・。」
少女は更に目を大きく見開いて一歩前進して迫るが、秋を通り越して冬に達すると、興奮が冷めたかの様に肩をガックリと落とす。
「いや、違う・・・。秋だ・・・。秋・・・・・・。」
「す、凄いっ!!あ、当たってますよっ!!!」
その隙を狙ったかの様にシンジは季節を秋へ引き戻し、おかげで少女は一瞬冷めた興奮を冷める前以上に興奮して目を最大に見開く。
「う〜〜〜ん・・・。秋・・・。秋、あき、アキ・・・。そう、君の名前はアキナっ!!アキナでしょっ!!!」
「ああぁ〜〜〜、惜しい。私の名前はアキ。鈴原アキです。そのままアキで良かったんですよ」
更にその絶妙なタイミングを突き、シンジは少女をビシッと指さして予想した少女の名前を告げるも、残念ながら1字違いで不正解。
「あらら、残念。なかなか当たる物じゃないね」
「でも、それだけ解れば凄いですよ。私、超能力かと思いました」
それでも、それが代えって興奮を程良く冷まさせ、少女は興奮を残したままの驚き顔で瞳をキラキラと輝かす。
少女の名前は『鈴原アキ』、その名字で解る通りシンジの長年の親友である『鈴原トウジ』の妹。
その名前はシンジにとって忘れられない名前であり、精神年齢14歳時の初戦闘において、不慮の事故で大怪我を負わせてしまった少女の名前。
ならば、何故そんな忘れられない名前を間違えたかと言えば、シンジがわざと名前を間違えて見せたのである。
その結果、アキの心の中ではシンジの認識が初対面から数分で一気に友達レベルまで上がり、それどころかシンジへの興味まで沸いていた。
もし反対にここで正確な名前を告げていたとしたら、アキの心の中で少なからずの恐怖心が沸き、代えって心を引かす結果になっていたであろう。
これこそ、シンジが師匠『加持リョウジ』より伝授された52の口説き技の1つ『99%の真実に1%の嘘を混ぜて心を掴む』の応用である。
「ありがとう・・・。それじゃあ、お互いに自己紹介が済んだところで行こうか?アキちゃん」
「っ!?」
シンジはおもむろにアキの手を取って握り、運動会のフォークダンス以外で男の子に触れた事のないアキは驚いて体をビクッと震わせた。
「あっ!?ごめん、ごめん。もしかして、嫌だったかな?」
「い、いえ・・・。そ、そんな事ないです・・・・・・。」
慌ててシンジは手を離し、心底にすまなそうな表情で謝ると、アキは紅く染めた顔を俯かせながら、怖ず怖ずとシンジへ手を差し出す。
「そう?じゃあ、はぐれない様にこのまま手を繋いでいようか?(・・・そうか。今回は無事だったんだね。アキちゃん・・・・・・。)」
「・・・は、はい」
応えてシンジは再びアキの手を握り、はぐれる方が難しい商店街をアキから案内して貰う為に、2人はしっかりと手を繋いで脇道を出て行った。
「ねぇ〜〜ん♪奥さんは大丈夫なのぉぉ〜〜〜♪♪」
「ああ、今日は生け花の会合があるとか言っていたからな」
何処かのエレベーターの中、人目がないせいか、只ならぬ甘っ苦しい雰囲気を放ち、仲睦まじそうに腕を組む妙齢の女性と中年男性。
「じゃあ・・・。今日は遅くなっても大丈夫なのね♪」
「それどころか、出張と言ってあるから今夜は君の家にも行けるぞ?」
「キャァァ〜〜〜♪部長のHぃぃ〜〜〜〜♪♪こんな所へ誘った揚げ句♪私の家へ来て何するつもりなの♪♪」
女性は腕を組んでいる状態から男性の正面へ回り込んで抱きつき、表情をにやけさせている男性の首へ両手を回してキスをせがむ。
ちなみに、女性が言うこんな所とは何処なのかは全くの謎だが、2人の会話からはオフィッスなラブの臭いがプンプンと漂っている。
「こらこら、待てないのか?」
「部長のいじわるぅ〜〜っ!!」
「・・・ほら、もう着くぞ」
チ〜〜〜ンッ!!
だが、男性は表情をにやけさせたまま女性の口を手で押さえてガードし、口を尖らす女性へエレベーターの目的地到着を知らすベルの音で諭した。
ガァァーーー・・・・。
「さあ、早く行きましょう♪」
「おいおい、あまりはりきり過ぎるなよ?」
ゆっくりと開くエレベーターの扉が開ききるのが待てず、女性が男性の腕を引っ張って、2人がエレベーターから出ようとしたその時。
「・・・クワッ?」
ガァァーーー・・・・。ガッシャンッ!!
目の前の部屋の扉に寄りかかってポテトチップスを食べているペンギンと目が合い、扉が開ききったのに2人はエレベーターから出ずに固まった。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
両者の間に不思議な沈黙が流れ、ペンギンの方もボテトチップスの袋へ手を伸ばしたまま、次の1枚を取ろうとせずに固まっている。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
瞬く間に十数秒が過ぎ、ペンギンが首を傾げた次の瞬間。
ガァァーーー・・・・。ガッシャンッ!!
「い、今の・・・。な、なに?」
「・・・ペ、ペンギンだろ?」
エレベーターの扉が再び閉まり、その拍子に2人は解凍して茫然顔を見合わせた。
どうやら、商店街では大人気のペンギンも場所によっては珍しいを通り越し、言葉を失ってしまうほど驚愕に値する生物となってしまう様である。
「クワワッ!!」
また、扉の向こう側では件のペンギンであるペンペンも解凍し、再びポテトチップスを食べ始めてご満悦に鳴く。
良く見れば、ペンペンの周りにはたくさんのお菓子が列んでおり、ジュースも1.5リットルのペットボトルで用意され、至れり尽くせりの状態。
「目標をセンターに入れて、スイッチっ!!」
「あっ!!」
「目標をセンターに入れて、スイッチっ!!」
「あっ!!」
「目標をセンターに入れて、スイッチっ!!」
「あっ!!」
そして、ペンペンが寄りかかる扉の向こう側では、シンジの緊迫した声とアキの悲鳴が交互にあがっていた。
「目標をセンターに入れて、スイッチっ!!」
「あっ!!」
「目標をセンターに入れて、スイッチっ!!」
「あっ!!」
「目標をセンターに入れて、スイッチっ!!」
「あっ!!」
残念ながら、その部屋はまだ外が明るいのに何故かカーテンが締めきられて暗く、シンジとアキが暗闇の中で何をしているのかは全くの謎。
「目標をセンターに入れて、スイッチっ!!」
「あっ!!」
「目標をセンターに入れて、スイッチっ!!」
「あっ!!」
「目標をセンターに入れて、スイッチっ!!」
「あっ!!」
取りあえず手がかりとしては、シンジとアキの声にかき消されて解りづらいが、先ほどから断続的にベットが軋む様な音が部屋に響いていた。
「目標をセンターに入れて、スイ・・・。」
ピピピピピピピピピピッ!!
不意に暗闇の中に小さな光が灯ると同時に電子音が部屋に響き、シンジが光と音の発生源である電話の受話器へ手を伸ばす。
「アキちゃん、ごめんね。ちょっとだけ待っていてね?」
「はぁ・・・。はぁ・・・。は、はい・・・。はぁ・・・。はぁ・・・。」
受話器を取る前に、シンジはアキを見下ろして口元へ人差し指を立て、アキはシンジを見上げて何故か荒い息をつきながら頷いた。
「ええ、解ってます。延長、お願いします」
『はぁぁ〜〜〜?』
「えっ!?・・・あっ!!?間違えた」
電話に出るも返ってきたミサトの間延びした声に驚き、シンジは耳から受話器を離し、それが携帯電話だと知ってバツの悪そうな表情を浮かべる。
『ちょっと、シンジ君っ!!あんた、何処にいるのよっ!!!今朝、夕方から訓練があるって言ったでしょっ!!!!』
「やあ、済みません。ちょっと勘違いして・・・。」
携帯電話を耳元から離していても聞こえてくるミサトの怒鳴り声に、シンジが苦笑しながら再び電話に出たその時。
ジリリリンッ!!ジリリリンッ!!!
「ええ、解ってます。延長、お願いします」
部屋に備え付けられている電話が鳴り、シンジは受話器を取って、先ほどと同じ言葉を繰り返して受話器を置いた。
「・・・と言う事で、あと1時間半ほどしたら向かいますので」
『あんた、なに言ってんのよっ!!訓練は遊びじゃないのよっ!!!私達はあなたの為を思って訓・・・。』
ピッ!!
続いてミサトの方へも言付けを伝えた後、何やら怒鳴るミサトを放って、シンジは一方的に電話を切ってしまう。
しかも、ご丁寧に再びかかって来ない様に携帯電話の電源を切る始末。
「・・・良いんですか?」
「良いの、良いの。それより、今は・・・。」
聞こえてきた怒鳴り声の意味は解らなかったが、アキが心配そうにシンジを見上げると、シンジはニッコリと微笑んでアキの唇を唇で軽く塞いだ。
「目標をセンターに入れて、スイッチっ!!」
「あっ!!」
「目標をセンターに入れて、スイッチっ!!」
「あっ!!」
「目標をセンターに入れて、スイッチっ!!」
「あっ!!」
その後、部屋には再びシンジの緊迫した声とアキの悲鳴が交互にあがり、断続的にベットが軋む様な音だけが響き始める。
「目標をセンターに入れて、スイッチっ!!」
「あっ!!」
「目標をセンターに入れて、スイッチっ!!」
「あっ!!」
「目標をセンターに入れて、スイッチっ!!」
「あっ!!」
一体、シンジとアキが何をしているのかは全くの謎だが、アキの心の中ではシンジのランクが出逢ってから2時間で恋人まで急上昇していた。
真世紀エヴァンゲリオン
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N
T
H
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Lesson:3 鳴らない、電話
『では、スタジオから松崎の篠原ナツコさぁ〜〜ん』
『はい、おはようございます。篠原です。今朝はなんと西伊豆の松崎へダイビングへ来ているんですよ』
リビングから聞こえてくる朝の清々しさを伴うTV番組の音。
プルルルルルルルルルッ!!
ところが、ミサトの部屋は朝とは思えないどんよりとした空気が立ちこめ、咽せっかえる様な汗の臭いで充満していた。
プルルルルルルルルルッ!!
電話の呼び声に布団がモゾモゾと動き、布団からミサトの手が受話器を求めて電話の周囲を彷徨う。
ちなみに、ミサトはシンジと一緒に住み始めてから、長年愛用していた万年床と別れを告げ、今では広いダブルベットでご就寝をしていた。
無論、このダブルベットはミサトが自発的に買ってきた物ではなく、シンジが同居翌日にミサトへの断りもなく勝手に買ってきた物である。
その性能は素晴らしくスプリングが効いて寝心地は良いのだが、ミサトの部屋には大きすぎて部屋の半分の面積をまるまる占領していた。
また、ベットの四方を取り囲むキャノピーには、贅沢な刺繍が施されたレースカーテンがかけられ、この部屋にゴージャスな雰囲気を放っている。
プルルルルルルルルルッ!!カチャッ・・・。
『シンジ君、おはよう♪ねえねえ、ズル休みしちゃったんだけど、良かったら一緒に何処かへドライブにでも行かない♪♪』
カチャッ・・・。
数コールの末、ようやく受話器に辿り着いた手だったが、受話器を上げた途端に聞こえてきた嬉しそうな声に、すぐさまミサトは受話器を置いた。
プルルルルルルルルルッ!!カチャッ・・・。
『シンジ君、酷いよ。いきなり切るなんて・・・。もうっ!!お姉さん、怒っちゃうぞっ!!!』
すると間を置かずして再び電話のベルが鳴り、ミサトは布団の中で深い溜息をつきながら、今度はきちんと受話器を布団の中へ持ってくる。
「はぁ〜〜い・・・。もしもし、どなたですか?」
『えっ!?・・・あ、あの、そちらは碇さんのお宅ですよね?』
ミサトがあからさまに不機嫌声で電話に出ると、受話器の向こう側で一瞬だけ沈黙の間が流れた後、妙に焦りまくる女性の声が返ってきた。
「ええ、その通りですけど」
『な゛っ!?それじゃあ、あなたは何よっ!!!こんな朝早くからっ!!!!シンジ君は一人暮らしって言ってい・・・。』
カチャッ・・・。
応えて頷くと、電話の女性は今までと態度を一変させて猛烈な勢いで捲し立て、ミサトは面倒くさそうに再び深い溜息をついて受話器を戻す。
しかも、ご丁寧に再びかかって来ない様に受話器は上げたまま。
「はぁぁ〜〜〜・・・。なんで、私が・・・・・・。」
ガラッ!!
「ミサトさん、もう朝ですよ。そろそろ起きなくて良いんですか?」
更に深い深ぁ〜〜い溜息をつき、ミサトはぬくい布団を被り直すも、襖が勢い良く開き、新たにミサトの安眠を邪魔する者が現れる。
「さっきまで寝かせてくれなかったのはシンジ君じゃない・・・。お願ぁ〜〜い・・・。もう少し寝かせてぇぇ〜〜〜・・・・・・。」
「何を言ってるんですか。昨日の夜、また遅刻したらリツコさんに怒られるから、必ず起こしてくれって言ってたじゃないですか」
「それもシンジ君のせいじゃない・・・。まだ2時間しか寝てないのよぉぉ〜〜〜・・・・・・。」
「ほらほら、起きたっ!!起きたっ!!!」
布団から顔も出さずに布団をモゾモゾと動かして甘えるミサトを許さず、シンジはミサトがくるまっている布団を無理矢理はぎ取った。
「もぉ〜〜・・・。何すんのよぉぉ〜〜〜・・・・・・。」
「・・・全く、仕方がないですね」
それでも何故か全裸で寝ていたミサトは身を丸めて起きようとせず、シンジは溜息をつきながら勝手にミサトの箪笥を物色して着替えを取り出す。
「ほら、足を上げて」
「ん〜〜〜・・・。」
そして、シンジが強引にミサトを仰向けにさせると、ミサトはシンジの指示通りに足を上げ、シンジからショーツを履かせて貰う。
「それじゃあ、万歳して」
「ん〜〜〜・・・。」
続いて、シンジはミサトの上半身を起こして背後に回り、ミサトはシンジの指示通りに両手を挙げ、更にシンジからブラジャーを付けて貰う始末。
その後も、シンジはミサトへ服をテキパキと着せてゆき、ミサトも慣れたものでシンジの指示通り成すがまま着替えさせられてゆく。
「はい、終わりましたよ」
「ん〜〜〜・・・。ありがとう・・・・・・。」
数分後にはすっかりミサトの服装はネルフへ出勤する物へと変わり、あとはミサトがしっかりと寝ぼけ眼を醒ますだけ。
「じゃあ、僕は学校へ行って来ますから」
「ん〜〜〜・・・。行ってらっしゃい・・・・・・。」
だが、シンジが支えを離してベットから下りると、すぐにミサトはベットへ倒れ、学校へ登校するシンジへ寝ころんだまま手を振って見送る。
「ちゃんと起きるんですよ?大丈夫ですか?」
「ん〜〜〜・・・。解ってる。大丈夫よ・・・・・・。」
ガラッ・・・。
「はぁ〜〜・・・。これでやっと寝れる・・・・・・。」
一抹の不安を残しながらシンジは部屋を出て行くと、その不安通りミサトは瞬く間に二度寝へ突入した。
「やれやれ、ミサトさんにも困ったものだよね・・・って、あれ?マヤさんじゃないですか?こんな朝早くからどうしたんです?」
葛城邸があるマンションのエントランスを抜け、シンジが車道へ視線を向けると、マンション前でスクーターに乗ったマヤが待機していた。
「えっ!?そ、それは・・・。そ、その・・・。え、えっと・・・。そ、そうっ!!た、たまたま近くを通りがかって偶然にっ!!!」
「へぇぇ〜〜〜・・・。そうなんですか。でも、こう毎日偶然が続くと2人の運命を感じません?」
何故か焦りまくるマヤをクスクスと笑った後、シンジはマヤへニッコリと微笑む。
ちなみに、マヤが住むネルフ女子独身寮はここからかなり離れており、この道はマヤの通勤ルートでもない。
それ故、マヤがこの時間にこの道を通りがかるのは偶然を通り越して奇跡に近かったりする。
「シ、シンジ君ったら、上手いんだから・・・。」
「じゃあ、僕とマヤさんの運命を深める為にも、今日もお願いできます?」
するとマヤは耳まで真っ赤に染めて俯き、シンジは暗黙の了解を得て、スクーターのマヤの後ろへ座り込む。
実を言うと、1週間ほど前よりマヤは毎日この道をスクーターで通りがかり、ほぼ毎日の如くシンジを学校まで送って行っているのである。
更に余談だが、マヤは普通自動車免許こそ持っていたが車は持っておらず、スクーターもつい1週間ほど前に買ったばかりの新車。
「え、ええ、もちろんよ。し、しっかり掴まってね?」
「はい、解ってます」
マヤは背中に感じるシンジの体温にジーンと感動しながら注意をし、シンジは更にマヤへ体を密着させるとマヤの前へ手を回した。
「キャっ!?」
「あっ!?ご、ごめんなさい」
その際、何故か腰へ回されるはずのシンジの手が少し上にあるマヤの胸へ回り、マヤは驚いて体をビクッと震わし、シンジが慌てて手を離す。
「い、良いのよ。し、仕方がないんだから、気にしないで掴まって」
「はい・・・。」
だが、鼓動を早鐘鳴らすマヤは首を左右に振って声を上擦らせ、シンジは再びマヤの胸へ手を回し、マヤの背中でニヤリ笑いを浮かべる。
「ちゃ、ちゃんと掴まった?そ、それじゃあ、行くわよ」
「ええ、大丈夫ですよ」
そして、スクーターの2人乗りは違法だと言うのに、マヤとシンジはシンジの通う第壱中の途中の公園まで短いドライブへ向かった。
ピピピピピピピピピピッ!!
はぎ取られた布団を再び被り、相変わらず二度寝を貪り食っているミサト。
ピピピピピピピピピピッ!!
だが、またしても安眠を邪魔する者が現れ、電話の呼び声に布団がモゾモゾと動き、布団からミサトの手が受話器を求めて電話機の周囲を彷徨う。
「はぁ〜〜い・・・。もしもし、葛城ですけど・・・。
・・・って、そう、私の名前は葛城ミサト。確かに碇シンジ君と同居していますが、私の立場は名字が違うけど保護者なので安心して下さい」
数コールの末、ようやく携帯電話へ手が届き、ミサトは布団へ携帯電話を引き入れて電話に出た後、いきなり電話の相手に自己紹介を始める。
『・・・そんな事は知ってるわよ。あなた、何を言ってるの?ミサト』
「なんだ、リツコか・・・。」
電話の向こう側の人物は一瞬だけ呆けてしまい、ミサトは電話から返ってきた声に胸をホッと撫で下ろして安堵の溜息をつくも束の間。
『なんだとは何よ。今、何時だと思ってるの?』
「ん〜〜〜・・・。何時なの?・・・って、げっ!?10時半っ!!?」
リツコに棘のある怒鳴り声を返され、ミサトは目覚まし時計も布団の中へ引き入れ、時刻を見るなり驚愕して吐き出した安堵の溜息を飲み込んだ。
『全く、何を考えているのよっ!!こうも毎日、毎日、遅刻だとそろそろ碇司令や副司令の耳に届くわよっ!!!』
「うっうっ・・・。うっうっうっ・・・・・・。」
『大体、幹部が遅刻して・・・って、ど、どうしたのっ!?ミ、ミサトっ!!?』
すかさずリツコは更に怒鳴って追撃をかけるが、いきなりミサトが泣き出してビックリ仰天。
「リツコ、お願ぁ〜〜い・・・。お願いだから、シンジ君との同居生活を解消して・・・・・・。」
『・・・か、彼と上手くいっていないの?』
するとミサトは嗚咽混じりに己の悩みを語り始め、その悩みの根元を作ったリツコは焦りまくった声でお悩み相談会を開く。
「このままじゃ、気が休まらないのよ・・・。
シンジ君が家に来てから2週間・・・。寝ても、醒めても、シンジ君の事を警戒しないといけないし・・・。
毎日、毎日、かかってくる電話は女からばかりで、電話に出れば罵られ、恨まれ・・・。この前なんか泣かれて、どうしようかと思ったわ」
『そ、そう・・・。さ、さっきのアレはそういう訳だったのね・・・。』
ミサトの抱える想像以上の悩みとシンジの素行を知ると同時に、リツコは電話の最初にあった自己紹介の理由を知って大粒の汗をタラ〜リと流す。
「最近、マヤちゃんの私を見る目も怖いし・・・。昨日だって、私の食べていたお蕎麦へ目を離している内に唐辛子を山盛りに入れて・・・。」
『ね、ねえ、タコのジレンマって話を知っている?』
「タコぉ〜〜?あの足が8本あって、おつまみにすると美味しいアレ?」
更にミサトは悩みを漏らし続けようとするが、このままではまずいと悟ったリツコは話題転換を計り、ミサトはまんまとその計略に乗ってしまう。
『タコの場合・・・。目の前にタコ壺があると、それが例え罠だと認識していても思わず本能的に入ってしまうのよ。
そして、入ってしまったが最後、そこから抜け出せない。なにせ、返しが付いている上、タコ壺はタコにとって最高の住処だから』
「はぁぁ〜〜〜?あんた、いきなり何を言い出すのよ」
おかげで、ミサトの嗚咽は止まり、いきなり訳の解らない事を言い出したリツコに、ミサトは呆れ声でその意味を聞き返した。
『つまり、あなたはもう抜け出せないって事よ。碇司令もあなた達の同居を承認し・・・。』
「どうしてよっ!?どうして、私だけっ!!?なんでっ!!!?何故、何故っ!!!!?Whyっ!!!!!?」
しかし、リツコから告げられた解答に憤って言葉を遮り、ミサトは被っていた布団を勢い良くはね除け、ベットの上に立ち上がって捲し立てる。
『そ、それに何だかんだ言って、今の生活を満喫しているんじゃない?ミ、ミサト』
「なに言ってんのよっ!?そんな訳ないじゃないっ!!!どう満喫しろって言うのよっ!!!?」
あまりの剣幕にリツコは萎えてしまいそうになる心を奮い立たせるも、ますますミサトの怒りはエスカレートしてゆくばかり。
『そ、そうかしら?く、口で文句を言っている割には、最近は定時で帰ろうとするし、シンジ君と同居する前より良く笑うようになったわ』
「ち、違うわよっ!!て、定時に帰るのは日向君が優秀で・・・。わ、笑うようになったのは、笑うしかないからよっ!!!」
それでもリツコは勇気を振り絞って果敢に攻めてみると、突如にしてミサトの言葉に勢いがなくなり始めた。
『な、なら、どうして実力行使に出ないの?も、もっと本気に私ではなく、副司令にでも上申すれば、すぐに解決する問題よ』
「そ、それは・・・。そ、その・・・。だ、だから・・・・・・。」
それどころか、リツコの更なる追撃を受け、ミサトは言葉を濁して口ごもり、受話器を持つ手をワナワナと震わす。
『ほら、見なさい。あなた、口ではシンジ君の文句を言いながら、心ではシンジ君に惹かれているのよ』
「そ、そんな事ない・・・。そ、そんな事ない・・・。そ、そんな事ない・・・。」
完全にリツコは会話のイニシアティブを取り戻し、ミサトですら自覚していなかった事をズバズバと指摘する。
『だから、タコのジレンマなの。・・・自分では気付いていない様だけど、他人の目から見ると毎日が充実している様に見えているわ』
「そ、そんな事ない・・・。そ、そんな事ない・・・。そ、そんな事ない・・・。」
リツコから指摘される度に思い当たるフシがあるのか、ミサトは過剰なまでに体をギクギクッと震わせ、徐々に目を大きく見開いてゆく。
『確かに今の状態を作り出したのは私・・・。それは謝るわ。でも、今の状態を受け入れたのはあなたよ』
「そ、そんな事ない・・・。そ、そんな事ない・・・。そ、そんな事ない・・・。」
そして、その震えは全身の震えへと変わり、ミサトは訳もなく涙をルルルーと流しながら、遂には力無くベットの上に女の子座りで座り込んだ。
『・・・って、あっ!?仕事が入ったから切るわ。お昼前には出勤してきなさいよね?じゃあ・・・。』
「そ、そんな事ない・・・。そ、そんな事ない・・・。そ、そんな事ない・・・。」
一方、リツコは自分の言い放った指摘にそれ程の効果があったとは知らず、入ってきた仕事にミサトのアフターケアも忘れて電話を切ってしまう。
『プーーー・・・。プーーー・・・。プーーー・・・。プーーー・・・。プーーー・・・。』
「そ、そんな事ない・・・。そ、そんな事ない・・・。そ、そんな事ない・・・。」
電話が切れた後もミサトは携帯電話を耳に当てたまま、虚ろな瞳で涙を流しながら虚空を見つめ、譫言の様に同じ言葉を繰り返していた。
「ギューーンッ!!ドドドドドドドドドドッ!!!ドワァァーーーッ!!!!」
第壱中2年A組の教室に響く激しい戦闘音。
「良し、対空ミサイル発射っ!!シャパッ!!!シュパパパパッ!!!!」
その正体は、学校へ戦闘機のプラモデルを持ち込み、良い歳して1人戦争ごっこをする危ない短髪で眼鏡をかけた少年の声。
「なにっ!?外しただとっ!!?ちいっ!!!ガガガガガガガガガガッ!!!!」
戦闘機を持つ反対側の手にはビデオカメラを持ち、きっと少年にはそのレンズ越しに見える何気ない教室の風景が戦場にでも見えているのだろう。
「やるっ!!このプレッシャー・・・。あいつかっ!!?ならばっ!!!!ギュューーーンッ!!!!!」
その奇行も1人静かにやっていれば問題はないのだが、少年は教室を所狭しと駈け回り、はた迷惑な戦場を無作為に広げていた。
少年の名前は『相田ケンスケ』、ご覧の通りミリタリーとカメラをこよなく愛するあまり、少し度が過ぎてちょっぴり危ない奴である。
「この地表すれすれの超低空飛行ならば付いて来れまいっ!!ギュューーーンッ!!!」
「はぁぁ〜〜〜・・・。」
そんなケンスケの奇行に教室中の誰もが困った様な視線を1点に集中させ、集まった視線に1人の少女が深い溜息をつきながら席を立ち上がった。
「ちょっと、相田君っ!!」
「んっ!?なに・・・って、あっ!!?ピンク・・・。」
少女はケンスケを注意しようと怒鳴るが、運悪くケンスケは床を匍匐前進していた為、上げられたカメラレンズが少女のショーツを見事に激写。
「・・・えっ!?キャっ!!?」
一瞬だけ何の事だか解らなかった少女だが、すぐさまケンスケの視線に気づき、慌てて膝を合わせて、スカートの上から両手で股間を押さえた。
「あ・い・だ・くぅぅ〜〜〜んっ!!」
「い、いや・・・。こ、これは不可抗力なんだ・・・。い、委員長・・・・・・。」
一拍の間の後、頭上より地獄から聞こえてくる様な唸り声が聞こえ、ケンスケが更に恐る恐るカメラレンズを上げるとそこにあったのは般若の顔。
「不潔っ!!不潔っ!!!不潔よぉぉ〜〜〜っ!!!!もちろん、ちゃんと毎日洗っているけど不潔よぉぉぉ〜〜〜〜っ!!!!!
だって、当たり前じゃないっ!!もしかしたら、見せる事になるかも知れない・・・って、キャッ!!?不潔よぉぉ〜〜〜っ!!!!」
ガゴッ!!ガゴッ!!!ガゴッ!!!!ガコッ!!!!!ガコッ!!!!!!
少女は恥ずかしさと怒りに顔を真っ赤に染め、手近な机の上に置いてあった国語辞典の角でケンスケの頭を叩きまくり。
少女の名前は『洞木ヒカリ』、ご覧の通り皆から頼られ、信頼される学級委員長であると同時に、潔癖性で妄想癖も持つ鬼委員長。
また、委員長だけあって髪型は大人しく、ロングヘアーを両サイドに2つ結わえて垂らし、なかなか消えてくれないソバカスが悩みの夢見る乙女。
「ぐえっ!!ぐえっ!!!ぐえっ!!!!ぐえっ!!!!!ぐえっ!!!!!!」
「・・・・・・え、衛生兵っ!!え、衛生兵ぇぇ〜〜〜っ!!!」
ヒカリの制裁でケンスケの瞳の輝きが加速的に薄れてゆき、あまりに凄惨な光景を見るに耐えかね、男子生徒の1人が助けを呼んだその時。
ガラッ・・・。
「・・・な、何、やっとんのや?い、イインチョ・・・・・・。」
教室の扉が開いて、黒いジャージを着た角刈りの少年が現れ、扉を開いた途端に見えた凄惨な光景に顔を引きつらせた。
ちなみに、ムチウチ症にでもなったのか、少年は首にコルセットを着けており、右腕も三角巾で釣られてギプスをはめている。
「す、鈴原っ!?」
「ト、トウジ・・・。」
ヒカリは少年の痛々しい姿を見て動きを止め、ケンスケは思わぬ助け人に感謝してその名を弱々しく呟く。
少年の名前は『鈴原トウジ』、その名字で解る通りアキの妹であり、義理と友情を愛し、男とは何かを解く硬派。
「そ、その怪我、どうしたのっ!?だ、大丈夫っ!!?」
ボドッ・・・。
「ぐえっ!!」
血相を変えたヒカリは思わず国語辞典をその場へ落下させ、ケンスケは不幸にも股間へ国語辞典の一撃を喰らい、体をビクンッと跳ねさせて沈黙。
「い、いや・・・。わ、わしは大丈夫やけど・・・。ケ、ケンスケの方こそ、大丈夫なんか?」
「えっ!?」
同じ男として同情するトウジの指摘を受け、ヒカリが足下へ視線を向けると、ケンスケが白目を剥いて体をピクピクッと痙攣させていた。
「相田ぁ〜〜っ!!傷は浅いぞぉぉ〜〜〜っ!!!しっかりしろぉぉぉ〜〜〜っ!!!!」
「まずいっ!!瞳孔に反応がないっ!!!すぐに蘇生マッサージだっ!!!!」
すぐさまトウジ同様にケンスケを同情した男子生徒達がケンスケの元へ集い、その中の2人が悶絶しているケンスケの肩へ腕を絡ませて立たせる。
「おうっ!!行くぞっ!!!1、2っ!!!!」
「「「「「1、2っ!!」」」」」
そして、1人のかけ声を合図に男子生徒達がケンスケの腰を拳で叩くという不思議な光景がしばらく続いた。
「相田君、ごめんね。私、良く解らないけど・・・。凄く痛いんでしょ?」
「良いって、良いって・・・。俺も悪かったんだからさ」
心底そまなそうに謝罪するヒカリを笑って許すケンスケだが、未だケンスケの顔色は青ざめており、かなり笑顔もぎこちなかった。
余談だが、先ほどヒカリのショーツを撮影してしまった件のビデオテープは、ヒカリに没収されてしまった事は言うまでもない。
「なんや、随分と減ったみたいやな・・・。」
漂う気まずい雰囲気に耐えかね、トウジは話題の転換を計りつつ、しばらく学校へ来ない内に空席が目立つようになった教室を見渡す。
「疎開だよ。疎開・・・。みんな、転校しちゃったよ。街中であれだけ派手に戦争されちゃあね」
「喜んどるのは、お前だけやろな。生でドンパチ見れるよってに」
ケンスケはヒカリにこれ以上謝らせるのは忍びないと話に乗り、トウジは話の内容の割に軽い口調で返してきたケンスケに苦笑を浮かべた。
「まあね・・・。トウジこそ、その怪我はどうしちゃったの?もしかして、この間の騒ぎで巻きぞいでも食ったとか?」
「鈴原、そうなのっ!?それで2週間も学校を休んでいたのっ!!?」
「ああ・・・。せや、その通りや」
ならばとケンスケも冗談半分に尋ね、ヒカリはケンスケの言葉に驚いて尋ね、そこにあったトウジの怒気を含ませた表情に言葉を失った。
「ケンスケもあの時おったやろ?
あの後、妹を見つけたのはええんやけど・・・。わし等の上に瓦礫が落ちてきてな。目が醒めて気付いたら、病院のベットの上やったわ」
「・・・そうか、それで電話しても家に誰も居なかったのか。それでアキちゃんは大丈夫なのか?」
話を聞いているだけでトウジの怒りが伝わり、良くトウジの家へ遊びに行くケンスケは、真剣な表情でトウジの妹であるアキの安否を気づかう。
「ああ、わしはよう覚えておらんのやけど・・・。アキの話だとわしが咄嗟に庇ったらしくて、アキには怪我1つなかったのが幸いや」
「なら、名誉の負傷だな」
応えてトウジはやや怒りを霧散させて誇らしそうに胸を張り、ケンスケはウンウンと頷いて勇敢なトウジの行為を褒め称えた。
「まあ、そういうこっちゃなっ!!ガッハッハッハッハッ!!!がはっ!!!?痛ぅぅ〜〜〜っ!!!!!」
「ほら、怪我しているんだから調子に乗らないのっ!!」
おかげで、有頂天になったトウジは高笑いを上げ、ムチウチ症なのを忘れて首も反らすものだから激痛が走って涙目になり、ヒカリから叱られる。
「はぁ・・・はぁ・・・。はぁ・・・。はぁ・・・。はぁ・・・。
しかし、あのロボットのパイロットはほんまにヘボやなっ!!ムチャ腹立つわっ!!!味方が暴れてどないするっちゅうんじゃっ!!!!」
「それなんだけど、1つ噂があるんだよ。トウジが休んでいる間に転校してきた・・・。」
脂汗を流して荒い息で呼吸を整えた後、再び怒りをあらわに怒鳴り始めたトウジに、ケンスケが何やら声を潜めて囁こうとしたその時。
ガラッ!!
「みんな、おはようっ!!今日も良い天気だねっ!!!」
教室の扉が開き、朝早く出たはずのシンジがご機嫌なハイテンションで重役出勤をしてきた。
「なに言ってるの♪もう3時間目は終わちゃったし、もうすぐお昼じゃない♪♪」
「昨日はどうしたの♪私、ずっと待ってたんだから♪♪」
「サボってばかりいると不良になっちゃうぞ♪」
「でも、勉強も出来ちゃうんだから凄いよねぇ〜〜♪」
その途端、教室にいた大半の女子生徒達がわらわらとシンジの周りに笑顔で集まり始め、男子生徒全員がシンジを睨んで嫉妬の炎を燃やす。
「なんや・・・。えらい人気者が転校してきたんやな」
「それそれ、さっきの続きだけど・・・。」
トウジは女子生徒達に囲まれている見知らぬクラスメイトを眺めながら2人に尋ねると、ケンスケが先ほど中断した噂話を再開させた。
「あっ!?」
だが、またしてもシンジによってケンスケの噂話は中断させられ、シンジの驚き声に教室の誰もがシンジへ視線を向ける。
「・・・やっと退院が出来たんだね。綾波」
「っ!?」
するとシンジは窓辺の席で頬杖を付いて外を眺めてるレイの元へ向かい、レイはシンジの声に驚いて目を見開いた顔を勢い良く振り向かせた。
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「っ!?」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
そして、シンジに注目していた教室中の全員が、見た事もないレイのリアクションに驚くが、更なる驚きが全員を襲う。
「退院、おめでとう」
「・・・あ、ありがとう」
シンジがニッコリと微笑むと、レイは頬をポポポポポッと紅く染めて俯き、小さい声ながら返事を返した。
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「っ!?」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
この乙女チックなレイのリアクションに、教室中の全員が驚愕に目を最大に見開いて言葉を失い、大口を開けて固まってしまう。
何故ならば、レイと言えば無表情であり、例え話しかけても最低限の受け答えしかしない無口さ。
それ故、1年生の時に転校してきたレイだが、そんな性格では友達が出来るはずもなく、今では希にヒカリがクラスの仕事で話しかける程度。
また、その類い希な容姿と神秘性から、今まで交際を申し込まれようとも常に冷たい一言で断ってきたレイ。
そんなレイが今目の前で明らかに恋する乙女の表情をしており、これを驚かずして何に驚けという話。
「・・・い、碇君。あ、綾波さんと知り合いなの?」
「うん、そうだよ。僕と綾波は・・・。」
「い、い、い、い、碇やとぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜っ!!」
数秒後、いち早く我を取り戻した女子生徒の1人が驚き顔のまま尋ね、シンジが説明しようとするが、トウジの怒鳴り声によって遮られる。
(・・・あれ?トウジ、なんであんな怪我をしているんだろう?)
「転校生っ!!おのれの名前はなんちゅうんじゃいっ!!!」
誰もがトウジへ視線を向け、シンジがトウジのコルセットとギプスに首を傾げていると、トウジが憤怒の表情で鼻息荒く近寄ってきた。
「僕はシンジ。碇シンジ・・・。2週間前に転校してきたんだ」
「おんどれかぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜っ!!」
シンジは微笑みながら友好の握手をしようとトウジへ左手を差し出すが、トウジはシンジの握手を受け取らず、左手でシンジの襟首へ掴みかかる。
「おい、トウジっ!!どうしたんだよっ!!!」
「鈴原、止めなさいっ!!何をする気っ!!!」
「やかましいっ!!こいつはなっ!!!こいつはなっ!!!!こいつはなぁぁ〜〜〜っ!!!!!」
突然の事態にケンスケとヒカリが驚いて止めようとするが、トウジは耳を貸さず、信じられない事に左手1本でシンジを持ち上げ始めた次の瞬間。
「やれやれ・・・。いきなり、何をするんだい?」
「うぐっ!!」
シンジに親指と人差し指の付け根にあるツボを力強く押さえられ、あまりの激痛にトウジは手を離し、左手を抱えてその場へしゃがみ込んだ。
「ほら、何だと聞いているだろ?」
「ふはぁぁ〜〜〜っ!!」
更にシンジは邪悪そうなニヤリ笑いを浮かべながら、トウジの髪を掴んで顔を上げさせ、ムチウチ症のトウジが声にならない悲鳴をあげる。
「っ!?・・・ごめん。君の迫力に押されて、つい本気になちゃって・・・。痛かったよね?本当にごめん・・・。ごめんね・・・・・・。」
しかし、周囲の驚き顔にふと気付いて我に帰り、慌ててシンジはニヤリ笑いを消して、自分もしゃがみ込んでトウジを心配そうに気づかう。
(し、失敗したぁぁ〜〜〜・・・。ど、どうして、僕って怒るとこうなんだろう・・・。む、昔はこんなんじゃなかったのに・・・・・・。)
キーン、コーン、カーン、コーン・・・。
それでも教室に広がった雰囲気は拭いきれず、シンジが心の中で今の失敗を頭を抱えていると、タイミング良く学校のチャイムが鳴り響いた。
「え〜〜・・・。この様に人類は、その最大の試練を迎えたのであります」
4時間目の授業は数学なのだが、担任である老教師は授業を脱線してセカンドインパクトを振り返った体験談を話していた。
実を言うと、この老教師が授業を脱線してセカンドインパクトの体験談を語るのはいつもの事。
それ故、生徒達はまたいつもの話かと言った感じで誰一人として聞いてはおらず、各々が好き勝手な事をしている。
(絶対にヤバいって感じだよ・・・。ああ、これで僕のバラ色学園ライフも終わりか・・・。今年はつまらない年になりそうだな・・・・・・。)
その例に漏れず、シンジも話を聞いておらず、既に授業が始まって30分が過ぎているのに、先ほどの失敗を頭を抱えて後悔し続けていた。
どうやら、この辺の過去のちょっとした後悔を引きずってしまう癖は、幾ら歳を取っても治っていないらしい。
(なら、いっその事、学校へ来るのを止めよっかな・・・。大体、僕には必要ないしてね。うん、そうだよ。そうしよっと)
それでも歳を取るにつれ、引きずる時間も少なくなり、今では30分もすると後悔は綺麗さっぱりと消えてしまうまで成長していた。
(・・・って、あれ?)
30分の後悔の末、明日からは登校拒否を決め込んだシンジは晴れ晴れとした顔を上げ、開いていた端末のディスプレイを見て驚く。
『碇君、気にする事なんて全然ないよ。どう見ても、鈴原の方が悪いんだから』
『そうだよ。誰だって、あんな事されて怒らない人なんていないよ』
『そうそう、鈴原って野蛮だよねぇ〜〜』
『だから、元気を出してよ。碇君』
ディスプレイにはシンジを励ますチャット文で溢れており、その励ましを調べて見ればバックスクロールで10画面分にも及んでいた。
(やっぱり、学生の本分は勉強だよねっ!!ちゃんと明日も来なくっちゃっ!!!バリバリ勉強するぞぉぉ〜〜〜っ!!!!)
『みんな、ありがとう。でも、彼にも何か理由があったんだろうから、クラスメイトを悪く言うのはよくないよ?』
シンジは30分もかけた決断をあっさりと1秒で覆し、お礼のチャット文を送りつつも、きちんとトウジのフォローも忘れない。
『碇君、やっさしぃ〜〜♪』
『ほんと、ほんと♪・・・それに比べて鈴原の奴ぅ〜〜っ!!』
『さっきから碇君の背中を怖い目で睨んでいるよ』
『なに、あの目・・・。まるでケモノみたい』
その途端、シンジを賛美する声とトウジを非難する声が続々と届けられ、シンジは心の中でニヤリと笑い、更にトウジのフォローを送り続ける。
ちなみに、シンジ対女の子多数のチャットは無作為に女子全員と繋がっていた為、シンジのトウジを気づかう言葉に心を動かされた者が1人いた。
(・・・私、誤解してた。軽いだけの人かと思っていたけど・・・。みんなが言う様に碇君って本当に優しいんだ・・・・・・。)
潔癖性故に女慣れしている感じのシンジをあまり好ましく思っていなかったヒカリだったが、シンジの認識を改めてシンジへ視線を向けたその時。
(っ!?・・・な、なに、今の?ど、どうして、こんなにドキドキしているの?)
たまたま2人の視線が合い、シンジがニッコリと微笑むと、ヒカリを胸をドキッと高鳴らせ、慌てて視線を戻して紅く染まった顔を俯かせる。
そんな2人のリアクションを見て、心を激しく揺り動かされた者が1人いた。
(これはなに?心がザラザラする・・・。心が悲鳴をあげている・・・。不愉快・・・。そう、不愉快なのね。私・・・。
何故・・・。何故・・・。何故・・・。それは碇君が彼女へ笑ったから・・・。
この感情はなに?・・・知っている。本で読んだ事がある・・・。これは嫉妬・・・。私、嫉妬をしているのね・・・・・・。)
先ほどからシンジの背中を見つめていたレイは、心に沸き上がった感情を持て余して連想ゲームを始め、答えを導き出して感情をあらわにする。
(い、今のは何かの間違いよ・・・。そ、そうよ。そ、そうに違いないわ。だ、だって、私は・・・。
・・・って、ひぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜〜っ!?な、何なのっ!!?わ、私、何か悪い事したっ!!!?あ、綾波さんっ!!!!?)
ヒカリは再びシンジの方へ視線を向けるが、シンジの向こう側にあったレイの鋭い睨みを受け、慌てて視線を戻して今度は恐怖に胸を高鳴らす。
(あの綾波がねぇ〜〜・・・っと、出来た、出来た。さて、ちゃんと応えてくれよ?)
レイの様子に驚いて目を丸くさせつつ、ケンスケは学校のサーバーへハッキングをかけ、シンジ・ハレームのチャットへの割り込みに成功。
『ねえ、ねえ、碇君があのロボットのパイロットってホント? Y/N』
そして、最近流れている学校の噂の真相を確かめようと女の子口調でチャット文を送ると、シンジが驚いた様に顔を上げて辺りを見渡し始めた。
『ホントなんでしょ? Y/N』
すると後ろの席の女の子2人組がシンジと視線が合った事で手を振り、ケンスケはこれ幸いと更なる追撃をかけた一拍の間の後。
『あれ?言ってなかったっけ?そう、僕があのロボットのパイロットだよ』
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「ええぇぇ〜〜〜っ!?」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
シンジからの返答がなされ、ケンスケによって守秘機能が外されていた為、クラス全員が驚き声を上げて席を立ち、シンジの周りに集まって来る。
「その頃、私は根部川に住んでましてね・・・。」
授業中にも関わらず、更に相当の騒ぎとなっているのに、未だ老教師は気付いていないのか窓の外を見て昔を懐かしんでいた。
「ちょっと、みんなっ!!まだ授業中でしょっ!!!席に着いて下さいっ!!!!」
代わって委員長であるヒカリが使命感に燃え、怒鳴り声を教室中に響かすが、騒がしさに打ち消されて誰の耳にも届いていない。
「ねね、どうやって選ばれたの?」
「ねえ、テストとかあったの?」
「怖くなかった?」
「操縦席ってどんなの?」
「それは・・・。秘密です。何せ秘密組織だからね」
矢次になされる質問に苦笑を浮かべた後、シンジは人差し指を立てて口元へ当て、ニッコリと笑いながらウインクして応える。
「じゃあ、じゃあ、あのロボットなんて名前なの?」
「ロボットの名前はエヴァンゲッリオン、エヴァンゲリオン初号機」
「必殺技とか有るのかっ!?」
「必殺技は良いねぇ〜〜・・・。必殺技はリリンが生み出した究極のお約束さ・・・。今度、作ろうかな?」
「やっだぁ〜〜っ!!碇君、なに言ってるの?」
「やっぱり、意味が解らない?でも、これは僕の友達の口癖なんだよ」
それでも応えられる範囲はジョークを交えて応え、シンジを中心に和気藹々とした笑え声と歓声が沸く。
「でも、凄いわぁ〜〜。学校の誇りよね」
「碇君、何処に住んでるの?」
「旧市街の方?」
「戦う時、怖くないのか?」
この騒ぎの原因を作ったケンスケはと言うと、席を移動してシンジの言葉を一字一句漏らさぬ様に聞き耳を立て、端末に何かを打ち込んでいた。
「はぁぁ〜〜〜・・・。(はっ!?鈴原っ!!?)」
ますますエスカレートしてゆく騒ぎに深い溜息をつき、ヒカリは今一度怒鳴ろうとするが、不意にトウジの事が気になって視線を向ける。
「っ!?」
案の定、シンジがパイロットと知ったトウジは、先ほどの休み時間以上の憤怒の表情を浮かべており、ヒカリは恐怖に思わず一歩後退した。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
人気の全くない校舎裏で対峙するシンジとトウジ。
既にここへ到着してから5分は経過していようと言うのに、連れ出したトウジはただだた無言でシンジを睨んでいる。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
一方、シンジはトウジの鋭い視線を軽く受け流し、涼しい顔で口元をわずかに歪ませ、ズボンのポケットに両手を入れて立っていた。
2人から少し離れた位置にはケンスケがおり、青春の1ページを逃すまいとビデオカメラを回している。
「さて・・・。そろそろ、何とかを言ったらどうなんだい?僕はお腹が空いたんだけどね」
いい加減、何も喋ろうとしないトウジに焦れ、シンジが溜息混じりに話しかけた次の瞬間。
ドゴッ!!
「ふぐっ!!」
「フフ、問答無用かい?なかなか積極的だね」
トウジが怪我をしていない左拳で殴りかかってくるが、シンジは両手をポケットに入れたまま横へ避け、そこから膝蹴りをトウジのお腹に放った。
(それとも・・・。これが若さという物かな?)
「はがっ!!」
ドスッ・・・。
シンジは禍々しいほどにニヤリと笑いながら一旦は膝を引き、すぐさま再び同じ箇所へ膝蹴りを放ち、トウジは後ろへ崩れ落ちて地面へ倒れる。
「トウジっ!!」
「・・・相田君だったかな?君も僕と一戦交えるのかな?」
「い、いやっ!?お、俺は違うっ!!?だ、断じて違うぞっ!!!?」
慌ててケンスケは撮影を止めてトウジへ駈け寄ろうとするが、目を細めて笑うシンジに殺気を向けられ、恐怖して立ち止まるどころか一歩後退。
「じゃあ、彼が何に怒っているのかを知っていないかな?どうやら、彼は喋れない様だからね」
「ぐあぁぁ〜〜〜っ!!」
シンジはその様子にクスクスと笑いながらトウジの左肩付け根にあるツボへ踵を乗せ、トウジはあまりの激痛に悲鳴を上げてのたうち回る。
余談だが、不思議な時間の迷宮に捕らわれたシンジだが、幾ら歳を取ろうと、幾ら鍛えようと、成長しない物が1つだけあった。
それは己自身の肉体であり、こればかりは時間がリセットされる度、14歳の初めて第三新東京市へ来た時点の外面身体能力へ戻ってしまう。
それ故、シンジは自分の身を守る為、いかに力を使わず相手を制するかという合気道に代表される様な知識だけは達人級に達していた。
今見せているトウジへ攻撃も、教室でトウジを制した技も、その知識のほんの一片である。
「わ、解ったっ!!い、言うっ!!!い、言うっ!!!!い、言うから、この足を退けてやってくれっ!!!!!」
「OK」
シンジの足下に縋り付き、ケンスケはシンジの足を退かそうと試みながら懇願し、シンジはやや軽い溜息をついて踵をトウジの左肩から退けた。
「じ、実はその・・・。ト、トウジのその怪我・・・。こ、この前の騒ぎで巻き込まれちゃって・・・。そ、それでだと思う・・・・・・。」
「っ!?(・・・そうか、そうだったんだ。アキちゃんへ怪我がいかなかった分、トウジに反動が向かったんだ)」
恐る恐るケンスケが言葉を選んで話すと、シンジは驚きに目を見開き、ポケットから出した腕を組んで右手を口元に当てて何かを考え込み始める。
「お、おい、大丈夫かっ!?ト、トウジっ!!?い、今すぐ、保健室へ連れて行ってやるからなっ!!!!」
その隙に気絶したトウジの両脇に手を入れて引きずり、これ以上いたらヤバいと判断したケンスケは、すかさずこの場から逃げ出そうとした。
「ちょっと待ってくれない?」
「ひぃっ!?」
だが、短い思考の渦から帰ってきたシンジによってトウジの両足首が掴まれ、勢い余ってケンスケはトウジの下敷きになって尻餅をつく。
「さてと・・・。」
「うがっ!?」
するとシンジはトウジの膝を掴んで膝裏のツボを力強く押し、新たな激痛にトウジが体をビクッと跳ねさせて目を醒ます。
「話は聞いたよ。その怪我の原因について・・・。少なからず僕にも責任が有るみだいだね。
それは済まないと思う・・・。でも、君にも非があると思うよ。
あの時は非常事態宣言が発令され、避難が義務づけられたはずだし、何よりも僕はシェルターのある場所で戦っていないのだから。
それに想像してみると良い。象は足下を歩く蟻に気を付けて歩くと思うかい?・・・その答えは否。そんな事をしていたら気が持たないよ」
「やかましいっ!!わしはお前を殴らないかんっ!!!殴っとかな気が済まへんのやっ!!!!」
シンジは立ち上がってトウジを見下ろしながら詫びるが、トウジはますます憤って怒鳴り、体中に走る激痛を必死に耐えて起き上がった。
「・・・僕の話を聞いてなかったの?その怪我は自業自得だよ」
「やかましいっちゅうてるやろっ!!この怪我の事はどうでも良いんじゃっ!!!」
更には教室の一件で懲りていないのか、シンジの襟首を左手で掴み、トウジはその怪力でシンジを持ち上げ始める。
「それなら、何をそんなに怒っているのさ。訳も解らずに殴られるのは嫌だし、言い分によっては殴られてあげるよ」
「なんやとぉぉ〜〜〜っ!!」
「お、落ち着けっ!!お、落ち着け、トウジっ!!!い、碇が言う事ももっともだぞっ!!!!」
だが、シンジは怯えるどころか、肩を竦めて小馬鹿にした様に深い溜息をつき、トウジは鼻息を荒くして怒鳴り、慌ててケンスケが仲裁に入った。
「わしはな・・・。わしはな・・・。わしはな・・・。昨日、腹を空かせて夕飯を待っとたんやっ!!」
「「・・・はぁぁ〜〜〜?」」
ケンスケの仲裁にやや怒りを収め、シンジを下ろしたトウジは、いきなり意味不明な事を言い始め、シンジとケンスケは思わず茫然と目が点。
「腹がグーグーと鳴っとたけど、妹が夕飯はカレーだって言うっとたから腹空かせて楽しみに待っとたんやっ!!
せやけど、妹は8時を回っても帰って来んっ!!連絡もあらへんっ!!!こんな事は今まで1度もなかった事やっ!!!!
わしは必死に探したでっ!!妹の友達の家に電話したり、近所や学校まで探したんやが見つからへんっ!!!
こりゃ、あかんと思ったわしは、警察に連絡しようと家へ帰ったら、その警察のおっちゃんと一緒に妹が家へ帰っていたんやっ!!」
「なんだ・・・。アキちゃんに何かあったのか?」
呆れ半分にトウジの話を聞いていたケンスケだったが、アキが警察の御用になったと聞いて驚き、目を見開いてトウジへ尋ねる。
「ここまで言うたら解るやろっ!!転校生っ!!!
妹に何度も問いつめたら、やっと相手の名前を言うたわっ!!碇シンジとなっ!!!
お前、解っとるんかっ!?妹は・・・。妹は・・・。妹はまだ中学1年やでっ!!!あないな所へ連れ込んで何したんやっ!!!!」
「一応、聞くけど・・・。妹さんの名前は?」
トウジはケンスケの質問を無視して再びシンジを持ち上げ、シンジはトウジが言わんとする誰かを知っていながら名前を問う。
「鈴原アキやっ!!聞き覚えがあるやろっ!!!」
「ああ、良く知っているよ・・・。でも、君は何か誤解をしている。
僕も彼女を置いて出て行くのは忍びなかったのだけど、どうしても外せない用があったんだ。それに良く寝ていたからね。アキちゃん」
応えてトウジは唾を飛ばして怒鳴り、シンジは顔へ飛んできた唾に顔を顰めつつも、真剣な眼差しでトウジの怒りに燃えたぎる瞳を覗き込んだ。
つまり、事の次第は以下の通り。
昨日、シンジと交流を深めたアキは遊び疲れて寝てしまい、予定に訓練を控えていたシンジは後ろ髪引かれる思いでメモを残して帰ったのである。
その後、目が醒めたアキは家へ帰ろうとしたところ、運悪く怪しげなホテルが建ち並ぶ繁華街の裏通りで補導員に補導されてしまった。
そして、補導員と一緒に家へ帰ってきたアキを叱り、全くの謎の想像力を働かせたトウジは、アキからシンジの名前を聞き出して怒っている次第。
「馴れ馴れしく妹を名前で呼ぶなぁぁ〜〜〜っ!!」
シンジがアキを名前で呼んだ途端、トウジは堪忍袋の緒が切れた事を自覚しつつ、襟首を掴んでいた手を離してシンジを突き放す。
「今は見逃したけど・・・。僕は言ったはずだよ。
言い分によっては殴られてあげるとね?・・・でも、僕は納得しなかったから、このまま続けるなら正当防衛に徹するよ?」
しかし、シンジは少し蹌踉めいた程度でバランスをすぐ取り戻し、ポケットを両手に入れると、禍々しいほどにニヤリと笑った。
「トウジ、止せっ!!事情は良く解らないけど、お前は怪我しているんだぞっ!!!」
「ケンスケ、離せっ!!わしはあいつを殴らないかんっ!!!殴っとかな気が済まへんのやぁぁ〜〜〜っ!!!!」
「うわっ!?」
同時にシンジの殺気がまるで突風の様に体を突き抜け、慌ててケンスケはトウジを羽交い締めるが、トウジの怒りのパワーで振り解かれる。
「歯、食いしばれぇぇ〜〜〜っ!!」
「やれやれ、困ったね・・・。っ!?」
怒りで怪我を忘れたトウジはギプスをする右拳で殴りかかり、シンジは余裕で避けようとするが、視界に捉えたある物に気付いて動きを止めた。
バギッ!!
「うわぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜っ!!」
その結果、石膏で固められた拳の一撃を喰らったシンジは勢い良く吹き飛び、後方にあったコンクリートの壁へ叩きつけられた次の瞬間。
ドゴォォーーーンッ!!
「「っ!?」」
凄まじい衝撃音と共に、コンクリートの壁が見事なくらい粉砕され、トウジとケンスケは驚愕してこれ以上ないくらい目を最大に見開く。
もし、ここで2人が角度を変えて今の様子を見ていたら、もう1つの興味深い事実に驚いていたであろう。
それは、ほんのわずかな瞬きにも満たない刹那だけシンジの背中でオレンジ色の光が放たれ、その光がコンクリートを粉砕していた事にである。
「・・・ト、トウジ、いくら何でもやりすぎだぞ」
「わ、わしかて、こないなるなんて・・・。」
あまりに信じがたい光景にトウジとケンスケは茫然としたまま、やっとの思いで呟いたその時。
「い、碇さんっ!!」
「「アキ(ちゃん)っ!?」」
2人の後ろから悲鳴にも近い驚き声があがり、トウジとケンスケが振り向くと、顔面蒼白にしたアキが立っていた。
ちなみに、アキがここにいる理由は、シンジとトウジの事を心配して2年A組を訪ね、2人が居ない事を知って学校中を探していたからである。
「碇さん、しっかりして下さいっ!?大丈夫ですかっ!!?」
「うっ・・・。うっうっ・・・。」
アキは2人に目もくれずシンジの元へ駈け寄り、背中を支えてシンジの上半身を起こし、その拍子にシンジがわずかに目を開いて呻き声をあげた。
「・・・良かった。碇さん、立てますか?」
「ああ・・・。げっほっ!!がっほっ!!!」
アキが胸をホッと撫で下ろすも束の間、シンジは激しく咳き込んで吐血し、着ている白いシャツを鮮血で真っ赤に染める。
「碇さんっ!!碇さんっ!!!碇さんっ!!!!」
「だ、大丈夫・・・。だ、大丈夫だよ。ア、アキちゃん・・・・・・。」
驚きながらもアキはすぐさまハンカチを取り出し、涙ながらにシンジの口元を拭き、シンジはアキを安心させるかの様に弱々しく微笑んだ。
「どうして、こんな酷い事するのっ!!碇さんは何も悪くないって言ったでしょっ!!!応えて、お兄ちゃんっ!!!!」
「せ、せやけど・・・。わ、わしは・・・。わ、わしは・・・。わ、わしは・・・。わ、わしは・・・。わ、わしは・・・。」
涙目で怒鳴るアキの責めと見た目にも明かなシンジの酷い容体に、トウジは激しい罪悪感に苛まれ、見開いた瞳をワナワナと震わす。
「い、良いんだ。ア、アキちゃん・・・。か、彼には僕を殴る権利がある。か、彼は君のお兄さんなんだから・・・。うぐっ!?」
「碇さんっ!!」
シンジは歯を食いしばって激痛に耐えながら立ち上がるが、数歩歩いたところで耐えきれなくなって再び倒れ、慌ててアキが駈け寄る。
余談だが、シンジの言っている事が先ほどとは全く違うのだが、あまりの事態にトウジとケンスケは全く気付いていない。
更に言えば、殴られたのは左頬で、壁にぶつけたのは背中なのに、何故かシンジはお腹を押さえている。
「・・・あ、綾波?」
「非常召集・・・。」
だが、アキが駈け寄るよりも早く、シンジの頭上に影が射し、シンジが上を見上げると、レイが丁度シンジの頭の上の位置に立っていた。
「そ、そう、解った・・・。す、鈴原君、ごめん・・・・・・。
こ、この話はまた後で・・・。そ、それとシェルターへ急いで・・・。で、でも、今度はシェルターから出ないようにね?・・・ふぐっ!?」
「碇君、無理をしてはダメ」
「・・・あ、綾波、ありがとう」
「いい・・・。」
シンジは立ち上がろうとするが、やはり激痛に耐えかねて膝を折り、すかさずレイはシンジの腕を取って肩を貸す。
ウゥゥ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!
『只今、東海地方を中心とした関東中部の全域に非常事態宣言が発令されました。
速やかに全校の生徒は担任の先生の指示に従ってシェルターへ避難して下さい。繰り返し、お伝えします・・・。』
いきなりのレイの出現に思わず呆気に取られていた3人だったが、街に響いたサイレンの音と校内放送に我に帰り、自分達の教室へ駈けて行った。
「綾波、ありがとう。もう、ここまで来れば良いよ」
「えっ!?」
校舎の角を曲がった途端、シンジはレイの肩から離れ、先ほどまでの痛々しさぶりが嘘の様に自力で立ち、レイはビックリ仰天。
「それじゃあ、今度は僕の番だね」
「えっ!?」
それどころか、おもむろにシンジはレイの背中と膝に手を回して胸の前で抱き抱え、レイは2度ビックリ仰天。
「さあ、行くよっ!!僕にしっかりと掴まってっ!!!」
「えっ!?」
そうかと思ったら、シンジは猛スピードで駈け出し、レイは3度ビックリ仰天しながら、走る振動で振り落ちない様にシンジの首へ両手を回す。
「2人とも早く乗りなさい・・・って、何処へ行くんだっ!?サードっ!!?」
「おい、乗れっ!!追うぞっ!!!」
更に校門へ横付けされたネルフ保安部の車へ乗り込むかと思ったら、シンジはその横を通り抜けてしまい、レイは4度ビックリ仰天。
「フフ、悪の秘密組織から逃れる僕達・・・。まるで愛の逃避行の様だね」
「・・・お、下ろして」
間近にあるシンジの微笑みに、レイは頬をポッと紅く染めつつ、シンジの肩越しに見える車に任務を思い出して、シンジへ止まる様にせがむ。
「嫌なのかい?僕との愛の逃避行は・・・。」
「(碇君と愛の逃避行?・・・愛の逃避行。愛と逃避行・・・。逃避行は逃げる事・・・。愛し合う2人が逃げる。碇君と私・・・。
愛の逃避行。・・・知っている。本で読んだ事がある・・・。それは駆け落ち。私、碇君と駆け落ちするのね)・・・い、嫌じゃない」
しかし、シンジが悲しそうな表情を浮かべると、レイはお得意の連想ゲームをして頬をポポッと紅く染め、シンジの首へ回す手を更に力を込めた。
「そう言えば、さっき少し見えちゃったんだけど・・・。
綾波・・・。意外と大人っぽいパンツを履いているんだね。でも、良く似合っているよ」
ふとシンジは先ほど倒れていた際に2人の位置関係から必然的に見えてしまったレイのブルーのヒモショーツを思い出してクスクスと笑い始める。
「・・・な、何を言うのよ。
(あの本に書いてあった通り・・・。ラブラブ・・・。これで碇君と私はラブラブ・・・。リボンを解くのは碇君なの・・・。)」
おかげで、レイはシンジの顔がまともに見れず、またもや謎の連想ゲームをして、紅くポポポッと染めた頬をシンジの頬へ寄せ合わせて隠す。
一体、レイがどんな本を参考にしたかは全くの謎だが、一般的に本屋などでは隅の売場で売られている黒いカバーで包まれた文庫本。
また余談だが、今朝ヒカリが何気なくレイの読んでいる本が何だろうと覗き込み、顔を真っ赤っかに染めて『不潔よっ!!』と叫んだ逸話もある。
「おいっ!!2人とも待ちなさいっ!!!使徒が来ているんだぞっ!!!!」
「くそっ!!車なのに何で追いつけないんだっ!!!もう60キロは出ているんだぞっ!!!!」
2人の背後にはネルフ保安部の車が迫り、保安部員が拡声器で2人へ呼びかけていたが、2人の出すラブラブ雰囲気がその呼びかけを遮っていた。
感想はこちらAnneまで、、、。
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