「・・・また君に借りが出来たな」
天井に摩訶不思議な紋様図形が描かれ、まるで何かの儀式を行う場所を思わすネルフ司令公務室。
その部屋は無意味にただっ広く、部屋にあるのはゲンドウが座る司令席と冬月が座る司令席脇のソファーのみ。
『返すつもりもないんでしょ?』
「ふっ・・・。」
誰もが屈服するゲンドウの重々しい声に怯まないどころか、会話を楽しむ様に飄々とした声を返してくる電話の男に、ゲンドウがニヤリと笑う。
『彼らが情報公開法をタテに迫ってきた資料ですが・・・。ダミーも混ぜてあしらっておきました。
 政府は裏で法的整備を進めてますが、近日中に頓挫の予定です。・・・で、どうです?例の計画の方もこちらで手を打ちましょうか?』
「いや、君の資料を見る限りは問題はなかろう」
電話の男の報告と提案を聞きつつ、ゲンドウは机の上の書類と二足歩行型ロボットが写っている写真を興味なさ気に机脇のシュレッダーへかける。
『・・・では、シナリオ通りに』
カチャ・・・。
電話を通して聞こえるシュレッダーの音に、電話の男は苦笑混じりに応え、ゲンドウが別れの挨拶なしに受話器を置く。
パチーーーンッ!!
「・・・彼かね?」
「ああ・・・。」
それを合図に将棋の駒を打つ心地よい音が司令公務室に響き、冬月が目線だけをゲンドウに向け、ゲンドウがゲンドウポーズをとって応える。
「彼もドイツと日本の往復で忙しい事だ。・・・っと、そう言えば、サンプルの回収予算があっさり通ったぞ」
「委員会も自分が生き残る事を最優先に考えている。その為の金は惜しまんよ」
冬月がふと今朝に管理部より廻ってきた報告を思い出して告げると、ゲンドウはいつも嫌みな老人達が慌てふためく姿を想像して鼻で笑う。
「使徒はもう現れない、と言うのが彼らの論拠だったからな・・・。
 あと米国を除く全ての理事国が六号機の予算を承認したよ。 だが、それも時間の問題だろう。失業者アレルギーだからな。あの国は・・・。」
「・・・例の国は?」
同じ思いなのか、冬月も溜飲を下げた思いを漏らして苦笑を浮かべながら追加報告し、ゲンドウがそれに対して表情を素に戻して尋ねてきた。
「8号機から建造に参加するはずだ。第2次整備計画は生きているからな。・・・ただ、パイロットが見つかっていないと言う問題はあるが」
「問題ない・・・。足りない水は注ぎ足せば良い。そして、濁った水は下水へ流すに限る」
応えて冬月が更に苦笑を深めると、ゲンドウはゲンドウポーズで隠した口元を邪悪そうにニヤリと歪める。
(・・・シンジ君に拘りすぎだな)
パチーーーンッ!!
チルドレン追加とシンジ抹殺を意味するゲンドウの比喩を正確に読み取り、冬月は溜息をつきながら司令公務室に将棋の駒を打つ音を響かせた。




真世紀エヴァンゲリオン

Lesson:7 人の造りしもの





「ペンペン、良く噛んで食べるんだぞ?」
「クワッ!!」
空が青く澄み切った日本晴れの朝、既に制服へ着替えたシンジが食事する足下で、ペンペンが好物の焼き魚に舌鼓を打ってむしゃぶりついていた。
ちなみに、シンジは朝食準備の時間がなかったのか、トーストと目玉焼きにコーヒーと簡単なメニューで密かにペンペンより貧素。
「しかし・・・。昨日、あれだけ自分で起きるって言っておきながら、今日も寝坊っと・・・。お前の飼い主は本当にだらしない奴だな」
「クワッ!!クワァァ〜〜〜ッ!!!」
シンジは朝食は列べど席の主が居ない対面の席にやれやれと溜息をつき、ペンペンがシンジの意見を大いに頷く。
「・・・とは言ったものの。もう8時だし、そろそろ起こしてやるか」
壁時計へ視線を向けた後、シンジはテーブルに置いてあるピンクの小型リモコンを手に取り、リビングへ向けてスイッチを押した次の瞬間。
「きゃふっ!?」
「クワッ!?」
リビングに通じるミサトの部屋からミサトの悲鳴があがり、ペンペンが飼い主の危機を感じ取って食事の手を止めた。
「あんっ!!はあっ!!!んくっ!!!!おふっ!!!!!きゅうっ!!!!!!」
「・・・ま、こんな物かな?」
絶え間なく続くミサトの悲鳴にニヤリと笑い、シンジがリモコンのスイッチを切ると共に、ミサトの悲鳴もピタリと止まる。
「ク、クワァァ〜〜・・・。」
「んっ!?ペンペン、どうした?もう、お腹一杯なのかな?」
ペンペンはシンジのニヤリ笑いを目の当たりにしてシンジから後ずさり、シンジがペンペンの反応にキョトンと不思議顔で首を傾げたその時。
「シ、シンジ様・・・。こ、こういう起こし方はお止め下さい・・・・・・。」
ドタッ・・・。
昨晩は家に賊でも入ったのか、全裸で全身を荒縄で縛られたミサトがダイニングにふらつく足取りで現れ、力尽きる様に床へ両膝を折った。
余談だが、ミサトを縛る縄目は不思議な法則性を描いており、首とウエストを横に縛る一方で、首から股間を通して縦にも縛られている。
更にミサト自慢の巨乳を強調するかの様に胸筋をダイヤ型で縛られ、両手は後ろへ回されて拘束されていた。
「クワワワワワッ!!」
「だって、こうでもしないと起きないでしょ?」
ペンペンは飼い主の只ならぬ事態を察知して駈け寄るが、シンジはそんなミサトなど目もくれず、トーストをかじりながらリモコンの再び押す。
「ひゃうっ!?」
「クワッ!?」
その途端、ミサトは体をビクッと震わして弓なりに反らし、ペンペンが驚き飛び跳ねて一歩後退して固まった。
「んはっ!!くうっ!!!あはっ!!!!あんっ!!!!!きゅうっ!!!!!!」
「・・・明日からはちゃんと起きれる?」
打てば響く様に悲鳴をあげるミサトをクスクスと笑いながら、シンジがリモコンのスイッチを切る。
「んくっ・・・。はぁ・・・。はぁ・・・。
 は、はい・・・。あ、明日から必ず起きます・・・。だ、だから、お許し下さい・・・。はぁ・・・。はぁ・・・。」
するとミサトは両膝をついたまま脱力して前倒しに倒れ、お尻だけを高々と掲げて荒い息をつきつつ涙目の縋る様な視線をシンジへ向けた。
「よろしい・・・。でも、昨日も同じ事を言って起きながら、結局は今日も寝坊したよね?」
「はぁ・・・。はぁ・・・。も、申し訳ありません・・・。はぁ・・・。はぁ・・・。」
「・・・と言う事でミサトには罰が必要だ」
その視線に応えて優しくニッコリと微笑むも束の間、シンジは意地悪そうにニヤリと笑ってリモコンのスイッチをオン。
「んんっ!!やんっ!!!くうっ!!!!はあっ!!!!!きゅうっ!!!!!!」
「クワワワワワッ!?」
たちまちミサトはお尻だけを掲げたまま、悩ましげにお尻を左右にフリフリと振り始め、飼い主の悲鳴にペンペンが慌てて我に帰って駈け寄る。
ウィーーン、ウィーーン、ウィーーン、ウィーーン・・・。
「ク、クワワッ!!ク、クワワワワッ!!!ク、クワァァ〜〜〜っ!!!!」
だが、何故かミサトのお尻から生えている天敵の怪奇バナナ獣を見つけ、恐怖したペンペンは即座に自分の寝床である冷蔵庫へ戦略的撤退。
「んくぅぅ〜〜〜っ!!し、振動で縄がっ!!!な、縄がっ!!!!な、縄がぁぁぁ〜〜〜〜っ!!!!!
 シ、シンジ様ぁぁ〜〜〜っ!!お、お許しをぉぉぉ〜〜〜〜っ!!!な、何でも致しますからぁぁぁぁ〜〜〜〜っ!!!!」
「ん〜〜〜・・・。実に清々しい朝だね」
よりお尻を振って何やらアリ地獄に陥っているミサトを文字通り尻目に、シンジは食後のインスタントコーヒーの香りを優雅に楽しんでいた。


ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ・・・。
「はぁぁ〜〜〜・・・。生き返るぅぅぅ〜〜〜〜・・・・・・。」
取りあえずショーツとタンクトップだけを着たミサトは、キッチンテーブルの椅子に胡座をかいて座り、喉を鳴らして気付けのビールを一気飲み。
「・・・何が生き返るですか。朝っぱらから」
「い、良いじゃない。あ、朝っぱらから、シンジ君のせいで汗をかかされたんだからさぁぁ〜〜〜・・・。」
流しで洗い物をするシンジはミサトに呆れて溜息をつくと、ミサトはシンジの背中を睨んで誰のせいだと言わんばかりに怖ず怖ずと口を尖らす。
「ほお・・・。そんなに好きなら、今夜は牛乳じゃなくてビールにしようか?」
ガタッ!!ガタガタガタッ!!!
「ダ、ダメっ!!そ、そんなの死んじゃうっ!!!」
応えてシンジがニヤリと笑う顔を振り向かせた途端、ミサトは席を蹴って立ち上がり、何故か両手でお尻を押さえてダイニング隅まで素早く撤退。
「冗談ですよ。冗談」
「も、もう・・・。お、脅かさないでよ」
シンジは振り向き戻ってクスクスと笑い始め、ミサトがシンジの言葉に安堵して倒した椅子を戻して座り直すも束の間。
「・・・そう言えば」
ガタッ!!ガタガタガタッ!!!
「な、なにっ!?」
再びシンジが振り向き、すぐさまミサトはまたもや席を蹴って立ち上がり、何故か両手でお尻を押さえ、今度はリビング隅まで素早く撤退。
「いえね。今日、本当に学校へ来るつもりなのかと思って」
「何だ、その事か・・・。当たり前でしょ?進路相談なんだから」
そんなミサトに苦笑を浮かべた後、シンジはさっさと洗い物を終わらせようと振り向き戻り、ミサトはシンジの言葉に安堵してダイニングへ戻る。
「でも、仕事で忙しいんじゃないですか?無理しなくても良いですよ?」
「良いの、良いの。こんなチャンスは滅多にないんだしね」
シンジは何かと多忙なはずのミサトを心配するが、ミサトはケラケラと笑ってシンジの心配を吹き飛ばす。
「・・・チャンス?」
だが、その笑い声の中に引っかかる単語を見つけ、シンジが洗い物をしたまま言葉の語尾を半音上げて尋ねる。
「えっ!?あっ!?んん〜〜〜、何でもない。それとも、なぁ〜〜に?シンジ君は私に学校へ来られるとまずい事でもあるのかなぁぁ〜〜〜?」
するとミサトは笑うのを即座に止め、誤魔化す様に話題転換を計り、戯けた口調で問い質しながらも何やら目だけを真剣な物へと変えて尋ね返す。
「いいえ、全く。それより、来てくれるのは嬉しいですけど、日向さんに仕事を押し付けてばっかりいると、その内に愛想を尽かされますよ?」
「う゛っ・・・。」
敢えて話に乗ったシンジは、あっさりと切り返しつつ痛烈な嫌味を浴びせ、椅子に座り直そうとしていたミサトが図星を突かれて思わず固まる。
「さてと・・・。それじゃあ、ちゃんと遅刻しない様にするんですよ?」
「はいはい、解ってますって」
そうこうしている内に洗い物が終わり、シンジは愛用の緑のエプロンで手を拭うと外して椅子にかけ、ミサトへ注意を残しながら玄関へと向かう。
「なんか、返事に誠意がありませんが良いでしょう。では、また後で・・・。」
「はぁ〜〜い♪行ってらっつぁぁ〜〜〜い♪♪」
その注意をおざなりに応えた後、ミサトはようやく食事が落ち着いて出来ると言わんばかりに満面の笑顔で手を振ってシンジを見送る。
ちなみに、シンジは学校に全ての教科書どころか、鞄を置いてある為、体育などで着替えが必要ない限り常に手ぶらの登校。
それ故、家で宿題などの勉強が出来ないのだが、休み時間中や別の授業中に済ませたり、ネルフの訓練を言い訳にその殆どをサボっていた。
プシューー・・・。
「・・・さてと」
シンジが玄関先に消えて扉の閉まる音が聞こえると、ミサトは不意に表情を引き締めて電話の受話器を手に取る。
ピッ、ポッ、パッ、ポッ、ピッ・・・。トゥルルル・・・。カチャ・・・。
「今、家を出たわ。あとのガードはよろしく(安全の為とは言え、常に監視・・・か)」
そして、ナンバーを押して1コール後に出た相手へ手短に用件を伝え、ミサトはやるせない溜息をつきながら電話をすぐに切った。


カチャ・・・。
「良し、サードが出たぞ。抜かるなよ」
葛城邸があるコンフォートマンション17前の環状道路を挟んで真向かいにある2階建てのコーポ藤波の206号室。
閉めきられたカーテンの隙間から出ている望遠鏡を覗いたまま受話器を電話へ置き、マイクに向かって指示を出す一見してサラリーマン風の男。
その望遠鏡のレンズ内には、葛城邸より出てきたシンジが写っており、歩調に合わせてレンズ先も動き、常にシンジをレンズ中央で捉えていた。
実は何を隠そう、この部屋はサードチルドレンガード班の司令室であり、この男こそネルフ保安部サードチルドレンガード班班長である。
『ポイント2、了解』
『ポイント5、了解』
『ポイント4、了解』
『ポイント1、了解』
『ポイント3、了解』
男の指示に各所より報告が返り、男はレンズを覗き込んだまま緊張で乾く唇を舐め、シンジがエレベーターへ乗ると共に視線を隣へ移す。
(今日こそは絶対に・・・。)
そこには5つの小型モニターがあり、11階にある葛城邸からマンションのエントランスを抜けるまでの各所がリアルタイムで映されていた。
(・・・・・・な゛っ!?)
その内の1つエレベーター内モニターを油断なく凝視していた男だったが、シンジがモニターに向かってニッコリと微笑むなり驚愕に目を見開く。
何故ならば、このモニターは超小型監視カメラによって撮られており、その存在を知っていても見つけるのはかなり困難な代物だからである。
(ぐ、偶然だ・・・。ま、まさかな・・・・・・。)
見ているつもりが見られている気になり、男が額に噴き出した嫌な汗を思わず腕で拭ったその時。
「っ!?」
シンジがズボンのポケットより絆創膏を取り出したかと思ったら、監視カメラのレンズ口へ絆創膏を貼り付け、モニターの映像が闇に変わった。
「モニターが死んだっ!!注意を怠るなっ!!!」
『『『『『了解っ!!』』』』』
すぐさま男は望遠鏡のレンズへ視線を戻して指示を飛ばし、各所から緊張感の伴った威勢の良い返事が返ってくる。
「ポイント2、エレベーターの所在地を逐次報告せよっ!!」
『了解・・・。現在、エレベーターは8階・・・。7階・・・。6階・・・。5・・・。4・・・。3・・・。2・・・。』
男はシンジが出てくるであろうエントランスへレンズを合わせ、ポイント2が男の指示にエレベーター所在階数をカウントダウンしてゆく。
ちなみに、ポイント2とはシンジがもしエレベーターを途中で降りても良い様に待機しているマンション6階エレベーター前を示す隠語。
また、ポイント1は11階の通路、ポイント3は1階エレベーター前、ポイント4はエントランス前、ポイント5はマンション屋上を意味する。
『1っ!!』
「・・・・・・ポイント3、どうしたっ!?出て来ないぞっ!!!」
そして、エレベーターが1階に到着して緊張が走るも、いつまで経ってもエントランスにシンジの姿が現れない。
『は、班長・・・。そ、それが・・・・・・。』
「何だっ!?何があったっ!!?」
ポイント3は茫然と震える声で報告を返し、男がシンジをロストした事に焦り怒鳴って素早い報告を促す。
『ま、毎日、ご苦労様です・・・。で、でも、もう少し努力しましょう・・・・・・。』
「・・・はっ!?」
するとポイント3から意味不明な報告が返り、男は思わず茫然と目が点。
『そ、そう書かれた紙が監視カメラを塞ぐ絆創膏に張られていました』
「な、なんだとぉぉ〜〜〜っ!?」
だが、ポイント3が追加報告をするなり、男は目を最大に見開いてビックリ仰天。
「か、各所、サードの行方を探せっ!!」
『ポイント5、見あたりませんっ!!』
『ポイント1、階段を使った形跡はないですっ!!』
『ポイント4、こちらへは未だ出てきませんっ!!』
『ポイント2、途中でエレベーターを降りた形跡もありませんっ!!』
『ポイント3、エレベーター内に異常なしっ!!』
それでも、すぐさま男は精神を再構成して指示を怒鳴り飛ばすが、どのポイントからも朗報は返ってこない。
ガシャンッ!!
「何て事だっ!!またしてもっ!!!」
頭に着けていたインカムを外して、床へ思いっ切り投げつけ、男が自分達の失態を忌々し気に吐き捨てる。
実を言うと、紛いなりとも腕は一流の男達が今さっきの様にシンジを見失うのは何もこれが初めてではなかった。
それこそ、日々日常的に起こっており、シンジは男達の監視下の目の前で場所と時を選ばず行方を忽然と消すのである。
特に女の子連れの時などは、痕跡も目撃者も全く残さない正に神隠しとも言える見事な行方のくらまし方であった。
この事態を重くみた男達は、シンジの私物などに発信器を秘密裏に何度か取り付けるも、その全てがシンジに悉く排除されてしまう始末。
唯一の希望はネルフより支給され、常に携帯義務のある発信器の付いた携帯電話だが、これもシンジが電源を切ってしまうと無用の長物。
その上、本来の3人シフトではなく、厳重な6人シフトで組んでいるにも関わらず、シンジにあっさりと行方をくらまされている有り様だった。
『・・・班長、上への定時連絡はどうしますか?』
「そんなの決まっているだろっ!!サードは何ら異常なく学校へ向かっただっ!!!」
数分後に迫るネルフ本部への定時報告に焦り、ポイント5が恐る恐る尋ねると、男は怒鳴って事実の隠蔽を指示。
『ですが・・・。前みたいに、サードが午後から学校に現れて、その矛盾点を突かれたらどうするんですか?』
「ド阿呆っ!!そうならない為にも、これから今すぐサードを探すんだよっ!!!」
『りょ、了解っ!!』
しかし、こうも度重なる虚偽報告はまずいのではと進言するが、男に尚も強く怒鳴られ、ポイント5は怯え竦んで事実の隠蔽を了承した。


「ニューシドニー港までの航路データーの打ち込みを終了しました」
「よろしい。では、あとはオートパイロットに任せるんだ」
国連オーストラリア方面軍第4艦隊は半年に及ぶ哨戒任務を終え、母港であるニューシドニー港への帰路についていた。
「ふう・・・。やっと終わったか。陸が恋しいですよ」
「こらこら、港に着くまでは任務中だぞ?副長も諸君等もまだ気を抜くんじゃない」
艦長席の脇に立つ副長が思わず安堵の溜息を漏らして肩の力を抜くが、艦長席に座る艦長は副長を叱りながらブリッチへも檄を飛ばす。
「そう言う艦長だって・・・。ブリッチは禁煙でなかったのですか?」
「おお、そうだったな。すまん、すまん」
だが、副長はパイプに火を着けようとしている1番気が緩んでいる艦長にニヤリと笑い、艦長がバツの悪そうな顔で火を消した。
「「「「「はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!」」」」」
「ぬ、ぬう・・・。」
ブリッチ各員が艦長と副長の方へ視線を向けて笑い声をあげ、艦長が恥ずかしそうに帽子を目深に被って顔を隠したその時。
「艦長っ!!」
「どうしたっ!?」
突如、索敵長が切羽詰まった声をあげ、艦長が帽子の鍔を元に戻すと、一瞬にしてブリッチに緊張が走り、即座に各員がコンソールに向き直った。
「あっ!?い、いえ・・・。な、何でもありません」
「・・・なんだ?どうしたんだ?」
しかし、索敵長は続く言葉をゴニョゴニョと濁し、艦長が人を呼んでおきながら何だと不思議そうに眉を寄せる。
「はい、レーダーが弾道弾の様な影を捉えたのですが・・・。一瞬で消えました」
すると索敵長はコンソール各所の調節ダイアルを回しながら、しきりに首を傾げて頼りなさ気な声で報告を返した。
「ふむ・・・。副長、どう思う?」
「解りません。ですが、万が一と言う事もあります」
艦長は顎を右手でさすって考え込んだ後、目線だけを向けて副長へ意見を求め、副長が神妙な顔つきで艦長の心を読み取る様に頷く。
「だな・・・。通信長、基地へ暗号電文で確認を取れっ!!全艦は警戒レベルをレベル3へ移行っ!!!」
「了解っ!!」
艦長も頷いて指示を飛ばすが、レーダーにその後の反応はなく、1時間後にレーダーログから先ほどの反応は未確認飛行物体として処理された。


キュィィィィィーーーーーーンッ!!
高度1万2千の距離に敷かれた雲海を切り裂き、淡いオレンジ色の輝きをその身に纏い、音速を遥かに越える超スピードで空を飛んで行く黒い影。
「さて・・・。見えたね」
ズボンのポケットに両手を入れて大地と水平の体勢で飛ぶ黒い影は、前方に見えてきた濁りきった灰色の積乱雲に眉を顰めて呟いた。
シュポッ!!
その成層圏にまで達しているとも思える巨大な積乱雲へ速度そのままに突っ込み、黒い影が身に纏うオレンジ色の輝きを更に強く光輝かせる。
ゴロゴロゴロッ!!
         ドガァァーーーンッ!!
ゴロゴロゴロッ!!
         ドガァァーーーンッ!!
ゴロゴロゴロッ!!
         ドガァァーーーンッ!!
凄まじい豪雨と雷の龍が踊り狂う中、黒い影は全く怯む事なく突き進み、不意に体勢を天地逆さまにして急下降を始めた。
ゴロゴロゴロッ!!
         ドガァァーーーンッ!!
ゴロゴロゴロッ!!
         ドガァァーーーンッ!!
ゴロゴロゴロッ!!
         ドガァァーーーンッ!!
そして、幾層にも連なる厚い厚い雲の壁を抜け、遂に目の前へ視界が広がるも、そこに地上は見あたらない。
有るのは、見渡す限りの紅い海と所々に点在する塩の柱、厚い雲に阻まれて太陽の光がわずかにしか届かない死を連想させる薄暗く濁った世界。
「浄化されし地、南極・・・。神話のエデンとも言える場所だけど、いつ見てもここは地獄だね。あの時の海を思い出すよ・・・・・・。」
高度数百メートルの位置で滞空すると、黒い影は体勢を天地正位置に戻して、眼下の光景に溜息をつきながらズボンのポケットから両手を出した。
「さあ・・・。来いっ!!」
海へ向かって両掌を突き出し、左右の人差し指と親指の先を合わせて三角形を作り、黒い影がその三角形へ気合いを込めて叫んだ次の瞬間。
ザッパァァァァァーーーーーーンッ!!
ザァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
海面より凄まじい水柱が立ち上り、一瞬だけ時が止まったかの様に水柱が固まった後、重力に引かれて豪雨の如く水柱が海面へ再び戻ってゆく。
「フフ、良かった・・・。まだ、僕をちゃんと待っていてくれたんだね」
すると黒い影の目の前に全長50メートルはあろうかと言う巨大な槍が天に槍先を向けて現れ、黒い影が満足そうにニヤリ笑いを浮かべる。
その槍は元は1本の棒だったのか、柄を二重螺旋で描き巻きながら柄尻で折り返して槍先まで伸び、双頭の刃を持つ不思議な形状をしていた。
「でも、せっかく目覚めて貰ったところに悪いんだけど・・・。君の出番はまだまだ先だ」
両手を上下に大きく開き、黒い影が円を描いて左右の手の位置を逆転させると共に、槍も円を描いて槍先を海へと向けて自由落下を始める。
「だから、もう少しだけ今暫くは眠っていて貰うよ」
だが、黒い影の目の前を柄尻が通り過ぎる際、黒い影が柄尻をちょこんと軽く下へ押した途端。
ザッパァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーンッ!!
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!
槍は凄まじい速度で落下して海を切り裂き、水のクレーターを作って数百メートル底の海底を露出させ、轟音をあげつつ海底に突き刺さった。
ザパ、ザパ、ザパ、ザパ、ザッパァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーンッ!!
同時に押し広げられた膨大な水量がビックウエーブを作って周囲へ広がろうとするが、不可視な壁によって行く手を阻まれる。
ザッパァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーンッ!!
行き場を失った波はその壁に沿って進み、半径数百メートルと言う巨大な半円球を海面に描き、黒い影の足下でぶつかり合って勢いを相殺。
ザァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
一拍の間の後、膨大な水量は落下して元の位置へと戻り、多少の波はあれども海面が元の状態へと戻る。
「さてと・・・。これで後はアレの到着を待つだけだね。それじゃあ、遅刻しちゃいそうだから急ぐとしますか」
黒い影は両手をズボンのポケットに戻して、眼下の光景を満足そうに頷くと、上昇をかけて今来た道を引き返し始めた。


(碇君・・・・・・。)
シンジが姿を現すであろう葛城邸方向の道路先へ向けた視線を片時も離さず、公園前で静かに佇んでシンジの到着を待つレイ。
ここは葛城邸と第壱中の中間地点にある第三新東京市のビル群を望む事が出来る高台の公園。
但し、綾波邸からこの公園を通って学校へ行くには、少し回り道をしなくてはならない位置にある。
(碇君・・・。遅い・・・・・・。)
つい先ほどまでは、レイの前を第壱中の生徒達が学校へと通り過ぎていったが、始業時間が迫った今は目の前の一本道に人通りは全くない。
しかし、遅刻に焦る様子は全く見られず、むしろデートに遅刻した恋人を待つかの様に乙女の表情を浮かべ、レイは心を弾ませていた。
また、先ほどから立つ軸足をしきりに変えている様子から、レイが随分と長い間ずっとここに佇んでいる事が伺い知れる。
(・・・もうすぐ、学校が始まる)
全く現れる気配すら見せないシンジを不思議に思い、レイがシンジからプレゼントして貰った腕時計へ一瞬だけ視線を向けたその時。
ピーー、ポーー、ピーー、ポーー、ピーー、ポーーッ!!
「・・・・・・っ!?」
目の前を救急車が通り過ぎて行き、レイは思わず救急車へ視線を向けて見送り、救急車の姿が先の曲がり角へ消えると共に目を大きく見開いた。
(ま、まさか・・・。い、碇君っ!?
 ・・・交通事故っ!?・・・複雑骨折っ!!?・・・意識不明っ!!!?・・・危篤っ!!!!?・・・ご臨終っ!!!!!?)
そして、お得意の連想ゲームで妄想をドンドンと膨らませ、レイの脳裏に病院の霊安室で白い布を顔に被せたシンジの姿が思い浮かんだ次の瞬間。
「い、嫌っ!!わ、私を置いて逝かないでっ!!!い、碇君っ!!!!」
妄想と現実が混ざり合って涙をポロポロとこぼしながら、レイは救急車の後を追って駈け出し始めた。
「・・・綾波?」
「えっ!?」
だが、背後からシンジの声がかかり、レイが立ち止まって泣き顔を振り向かせ、公園の公衆トイレから出てくるシンジの姿を確認した途端。
「碇くぅぅぅぅぅ〜〜〜〜〜〜んっ!!」
「おわっ!?」
今度は嬉し涙をこぼしながら、レイはシンジの元へ駈け飛び抱きつき、シンジは慌ててレイを受け止めつつ勢いに押されてトイレ内へ後退。
「碇君っ!!碇君っ!!!碇君っ!!!!無事だったのねっ!!!!!」
「無事?・・・何の事?」
レイは現実を確かめるべくシンジを力強くギュッと抱きしめるが、当然レイの妄想など解るはずもないシンジはキョトンと不思議顔で首を傾げる。
「碇君は交通事故でっ!!複雑骨折でっ!!!意識不明でっ!!!!危篤でっ!!!!!ご臨終なのっ!!!!!!」
「あ、綾波・・・。ひ、人を勝手に殺さないでよ・・・・・・。」
するとレイは少し抱擁を解いて泣き顔を上げ、シンジは必死に説明するレイの妄想に大粒の汗をタラ〜リと流して顔を引きつらせた。
「・・・ご、ごめんなさい」
「いや、こっちこそ・・・。遅れたのは僕の方だからね」
「碇君・・・。いつ来たの?碇君を待っていたのに気付かな・・・。」
たちまちレイは悲しそうに顔をシュンと俯かせるが、シンジの優しい言葉に顔を上げ、ふと浮かんだ疑問をシンジへ尋ねようとした直後。
ちなみに、この公園は出入口が1つしかなく、公衆トイレへ入るにはレイの目の前を必ず通り過ぎないといけない。
それにも関わらず、シンジは忽然と公園内公衆トイレから現れたのだから、レイが不思議に思うのも無理はない話。
「っ!?」
シンジはその疑問をレイの唇に唇を重ねて封じ、レイは驚愕に目を見開くも一瞬の事、すぐに目を瞑ってシンジの口撃を受け入れ始めた。
「んっ・・んっ・・。」
           「・・・んっ・んんっ」
「・んっ・んんっ・。」
           「・・・・んんんんっ」
「んんっ・・・んんっ」
           「・・んんっ・・んっ」
時たま甘い息を漏らしながら、レイがシンジの首へ両手を回すと、シンジはレイの細い腰へ両手を回し、何故か後ろ歩きでトイレへ戻って行く。
「んっ・・・。んんっ」
           ギィィーーー・・・。
「・・・んんんっ・。」
           バタンッ!!
「んんっ・・・んんっ」
           ガチャ、ガチャ・・・。カチャンッ!!
そのまま男子トイレ1番奥の個室へ2人で入り、何を思ったのか、シンジがドアに鍵をかける。
「んんんっ!?・・・ダ、ダメ。い、碇君・・・・・・。」
「うん、解った。良く考えたら遅刻寸前だもんね。うんうん・・・。それじゃあ、学校へ行こうか?」
「・・・えっ!?そ、そんな、ダメっ!!!」
「フフ、それでは解らないよ・・・。是非、綾波の口から僕はどっちの言葉を信じたら良いのかを聞かせてくれないかな?」
「・・・い、碇君の意地悪」
一体、こんな所へ2人で入って何をしようかと言うのは全くの謎だが、シンジとレイが個室から出てきたのは小一時間後だった。


「ねえねえ、聞いた、聞いた?」
「うんうん、聞いた、聞いた」
「ああ、あれでしょ?」
「そうそう、それ、それ」
午前中の授業も終わり、誰もが一時の解放を求めて自由を謳歌するお昼休み。
昼食のお弁当を食べ終え、たわいもない雑談に興じる女生徒達の本日の話題は、今朝から第壱中水面下で囁かれている噂だった。
「なになに?何の話?」
「あれ、知らないの?今、学校中の噂だよ。今朝、学校の途中にある公園で碇君と綾波さんがキスしてたって・・・。」
「・・・う、嘘っ!?」
「嘘かどうかは知らないけど、3年生の人が見たって言う噂・・・って、ミキ、どうしたの?顔が真っ青だよ?」
その内容は3年生のとある女子生徒から発せられた『シンジとレイがキスしちゃっていたよ疑惑』と言う物。
実を言うと、今朝シンジとレイが熱いキスを交わしている際、噂を発した女子生徒が自転車で公園の前を通りがかって目撃していたのである。
但し、彼女は猛スピードで走っていた為、目撃したのはほんの一瞬であり、驚き自転車を慌てて止めて振り返った時には2人の姿は既になかった。
「えっ!?あっ!!?う、うん・・・。ちょ、ちょっと驚いただけ(う、嘘だよね。い、碇君・・・・・・。)」
「それにしても、やっぱりそうだったんだね」
「そうだよね。あの綾波さんがだもんね」
「そうそう、今まで私達が幾ら話しかけても応えてくれなかったのに、碇君が話しかける時は別だもんね。綾波さんって・・・。」
だが、特徴あるレイの蒼銀の髪を見間違うはずもなく、彼女は今さっき見た光景を確信にまで至らす。
もっとも、彼女はキスの相手がシンジだとまでは解らなかったのだが、シンジだと考え確信した訳として最近のシンジとレイの関係があげられた。
シンジとレイは第5使徒戦以来ずっとほぼ常に登下校を一緒にしており、実際に本日も2時間目が終了すると共に仲良く登校してきている。
この事実により、それまでは単なる噂だった物が、信憑性のある噂として現実味が帯び、瞬く間に第壱中の隅々まで広がった。
(水山さんまで・・・。遂にこれでうちのクラスだけでも6人目・・・。噂が本当なら、綾波も入れて7人・・・。
 何処までも恐ろしい奴・・・。だけど、さすがのシンジも今回ばかりは苦しいだろな。これだけ噂が広まれば・・・・・・。)
教室をグルリと見渡して、噂で明らかにショックを受けている女子生徒を6人ほど見つけ、ケンスケは驚愕に顔を引きつらせる。
(・・・で、シンジが今ここに居ないって事は、やっぱり言い訳にでも行ってるんだろうな。一体、学校全体にしたら、どれだけいるんだ?)
そして、ケンスケが噂の片割れであるレイへ視線を向けたその時。
ちなみに、レイは何やらお疲れのご様子であり、4時間目の途中からお昼休みになっても机に突っ伏して居眠りをしていた。
ブォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーンッ!!
「な、なんやっ!?」
突如、窓の外から車の凄まじいエンジン音が聞こえ、机に両脚を上げ、満腹感に浸って眠そうに鼻をほじっていたトウジがビックリ仰天。
「なんやっ!?なんやっ!!?なんやっ!!!?」
「この音っ!?本物のガソリンカーの音だよっ!!!凄いっ!!!!凄いっ!!!!!凄すぎるぅぅ〜〜〜っ!!!!!!」
その際、爪で鼻の中を引っ掻いて鼻血を出すも、トウジは構わず窓辺へ猛ダッシュを駈け、ケンスケもその後に続き、教室の全員が窓辺へ集まる。
ウィィーーーンッ!!キキキキキキキキキキッ!!!
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「おおっ!?」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
そして、学校敷地内を猛スピードで走り、見事なスピンターンを決めて駐車した真紅のスポーツカーに、男子生徒達が彼方此方で歓声が湧かす。
一方、車などに興味がない女生徒達は爆音の正体も解ると、再び元の席へあっさりと戻って談笑を再開させる。
グィン・・・。
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「おおっ!?」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
一拍の間の後、車のガルウイングが跳ねて開き、車内より女性の生足がスラリと伸び、男子生徒達が目を輝かせて先ほどとは異質な歓声を湧かす。
・・・バタンッ!!
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「おおっ!?おおっ!!?おおっ!!!?」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
続いて、黄色のツーピースに青のタイトミニと言う服装を決め、サングラスをかけていても解る美女が車内より現れ、歓声がますます大きくなる。
「はぁぁ〜〜〜い♪」
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「うひょぉぉ〜〜〜っ!!」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
全教室の窓辺から向けられている数多の熱い視線に応え、美女はサングラスを外して素顔を晒し、男子生徒達がその美貌に異様な熱気を放つ。
「むっちゃ凄いのぉ〜〜・・・。ボインボインやで」
「ああっ!!あれこそ、正に大人の魅力っ!!!」
美女が歩く度に揺れる豊満な胸に興奮して、トウジは鼻息をフンフンと荒くさせ、ケンスケはすかさずビデオカメラを回して美女の胸を撮影。
余談だが、トウジは鼻息が荒くなった為、見事なくらい鼻血が出血大サービスしており、鼻から血がボタボタとたれまくり。
「・・・ばっかみたい」
女生徒達は只ならぬ異様な熱気を発散させている窓辺へ揃って白い視線を向け、ヒカリが主にトウジへ向かって吐き捨てる。
「い、碇君・・・。そ、そんな事しちゃダメなの・・・・・・。」
この騒がしさの中、レイは目を醒ます事なく伏せた頬をポッと紅く染め、男子生徒達に混ざって何やらピンクの熱気を放っていた。


「やあ、待たせちゃったかな?」
「っ!?い、いえ、そんな・・・。」
ぼんやりと窓の外の景色を眺めていたアキは、いきなり背後からシンジに話しかけられて驚き、体をビクッと震わせながらシンジの方へ振り向く。
ここは特別教室が集まる第壱中別棟であり、昼休みにも関わらず廊下はシーンと静まり返る人が滅多に訪れない場所。
しかも、シンジとアキがいる教室は授業で週に2度も使えば多いくらいの被服室である為、まず人が訪れる事のない恰好の密談場所と言えた。
「話があるって何かな?」
「は、はい・・・。あ、あの・・・。じ、実は・・・・・・。」
シンジがニッコリと笑いながら自分をここへ呼び出した理由を問うが、アキは俯いて何やら言葉を濁して口ごもる。
「・・・僕と綾波の噂についてだね?」
「っ!?・・・・・・は、はい」
ならばとシンジが溜息混じりに応えてあげると、アキは顔を勢い良く上げた後、すぐに顔を俯かせて弱々しく頷いた。
「アキちゃんは僕がエヴァのパイロットだって知っているよね?」
「はい・・・。」
「実はね。綾波もそうなんだよ」
「えっ!?そうなんですかっ!!?」
シンジはアキの様子に仕方がないなとレイの秘密を明かし、アキが驚きに目を見開きながら再び顔を上げる。
「・・・だからなんだよ。僕と綾波が一緒に登下校を始めたのは・・・。
 アキちゃんにはいまいち実感が出来ないかも知れないけど、エヴァのパイロットと言うのは色々な所から狙われているんだ」
「狙われている?」
言葉を溜める様に一呼吸を置き、シンジは苦笑を浮かべて己の置かれた立場の秘密を明かすが、アキは首を傾げてキョトンと不思議顔。
「そう、誘拐や暗殺・・・。その他、諸々ね」
「ゆ、誘拐っ!?あ、暗殺っ!!?」 
だが、続いたシンジの具体的な単語に、アキはTVやマンガでしか見た事のない世界が目の前にある事を知ってビックリ仰天。
「そう、それだけの危険を冒してでも、有り余るくらいの魅力と驚異を兼ね備えているんだよ。野心家にとっての僕達は・・・。
 だから、効率良く守られる為に僕等は一緒に登下校を始めたと言う訳なんだ。
 僕もアキちゃんとなかなか一緒に帰れなくて寂しいけど・・・。僕も紛いなりとも軍隊の一員だから命令には逆らえないし、仕方がないのさ」
「・・・そうだったんですか」
そんなアキの心を落ち着かせようと、シンジは敢えて戯けた口調で言葉を重ねて肩を竦め、アキはやや茫然としつつシンジをマジマジと凝視する。
「解ってくれた?」
「で、でも・・・。い、碇さんと綾波先輩がキスして・・・。」
シンジがこれで誤解も解けただろうと微笑んで確認を問いかけるも応えず、アキがそれよりも聞きたい噂の真相を尋ねようとしたその時。
「っ!?」
いきなりシンジはアキの腰へ手を回して抱きつき、驚いたアキが思わず言葉を止める。
「悲しいな・・・。アキちゃんは僕の事よりも下世話な噂の方を信じると言うのかい?」
「そ、そんな違いますっ!!」
その隙を突き、シンジはアキの耳元で寂しく悲しそうに囁き、アキは罪悪感に心がキュンと締めつけられ、問いていたはずが問われて否定を叫ぶ。
「なら、僕の事を信じてくれるよね?」
「はい・・・。」
「ありがとう」
するとシンジは抱擁を少し解いて、信頼しきった視線を向けるアキへニッコリと微笑みつつ、アキの唇に唇を重ねて軽く短いキスを与えた。
これこそ、シンジが師匠『加持リョウジ』より伝授された52の口説き技の1つ『愛を問われたら、反対に愛を確かめて愛の向上』の応用である。
「・・・あとお願いがあるんです」
「なんだい?アキちゃんの頼みなら何でも聞くよ?」
アキは嬉しそうにほんのりと頬を紅く染めて俯きつつ上目づかいを向け、シンジがアキの言葉に頷いて極上の笑みでニッコリと微笑むも束の間。
「あの・・・。碇さんは秘密にしようって言ったけど・・・。友達とかに私と碇さんがつき合っているって言っても良いで・・・。」
「それはダメだっ!!」
怖ず怖ずとアキの口を出てきた言葉を遮り、シンジは強い口調で否定してアキを鋭く睨む。
「・・・ど、どうしてですか?」
思っても見なかったシンジの反応に怯み、アキはやや涙目になりがならも、自分達の関係を公表する事が出来ない理由を問いた。
「アキちゃん・・・。さっき、僕が色々な所から狙われているって言ったよね?」
「・・・は、はい」
「もし、アキちゃんとの関係がバレてごらん。そんな事になったら、アキちゃんも狙われるかも知れないんだよ?」
「ど、どうしてですかっ!?」 
シンジは鋭い視線のままアキの両肩に両手を置いて理由を説明するが、アキはその理由こそが解らず驚きに目を見開きながら更に問う。
「これはあまり言いたくはないんだけど・・・。アキちゃんが僕の弱点となりえる恰好の的だからさ。
 実際、アキちゃんが万が一にでも誘拐されたら、僕は相手の要求を絶対に飲むだろう。・・・アキちゃんを守る為にね。
 だけど、それは決してあってはならない事態だ。
 何故なら、エヴァがネルフ以外の手に渡ったら、世界のミリタリーバランスは崩れ、第4次世界大戦を引き起こす原因となるからね。
 これは嘘でもなければ、大げさな話でもない。そうなった時、確実に間違いなく起こる事なんだ。
 確かに僕達の事を世間に公表する事が出来ないのは辛いけど、これは絶対に避けなければならない。
 ・・・何よりも、アキちゃんが酷い目に遭うのが僕には耐えられない。だから、我慢してくれないかな?僕もアキちゃんと一緒に我慢するから」
応えてシンジは言葉前半を厳しい顔つきで語り、言葉後半をやるせない溜息混じりに語り、言葉最後を辛そうな表情で語った。
「解りました・・・。でも、嬉しい。碇さんがそんな風に私の事を想ってくれていたなんて・・・・・・。」
「・・・当たり前の事だよ」
アキは己を大事にしてくれるシンジの優しさに感動して、シンジの右肩に幸せそうな顔を埋めつつシンジの背中へ手を回す。
「碇さん・・・。」
「・・・アキちゃん」
シンジも左手でアキの腰を抱き返しつつ、右手はアキの左胸を揉みし抱き、アキの首筋にキスを重ねて甘噛んだ途端。
「んんっ・・・。ダ、ダメです・・・。だ、誰か来ちゃいます・・・・・・。」
「大丈夫だよ。こんな所、誰も来やしないよ」
アキは体をビクッと震わせて弓なりに反らし、弱々しくシンジを押し退けようとするが、シンジに力強く背を壁に押し付けられてしまう。
「で、でも・・・。が、学校でこんな事するなんて・・・。あんっ!?」
「・・・構いやしないさ。さっきも言っただろう?僕達が会える時間は確実に減ったんだ。なら、少しでも積極的に2人の時間を作らないとね」
そして、アキが言うこんな事とはどんな事なのかは全くの謎だが、シンジの右手がアキのスカートの中へ侵入しようかとした次の瞬間。
ガラッ!!
「「っ!?」」
「あっ!?アキ、こんな所に居たんだ。随分と探したんだよ」
不意に教室の扉が開き、同時に2人が電光石火の早業で5メートルほど離ると、教室に黒髪碧眼で三つ編みを腰まで伸ばした女生徒が現れた。
女生徒の名前は『洞木ノゾミ』、その名字で解る通りヒカリの1歳下の妹であり、アキと親友で同じクラスの女の子。
「それじゃあ、例の件をトウジによろしくね」
「は、はいっ!!わ、解りましたっ!!!(も、もうっ!!!!ノ、ノゾミの馬鹿っ!!!!!)」
シンジは何事もなかった様にアキへ一声残して教室を出て行き、アキはシンジの誤魔化し策に乗りながら間が悪すぎる己の親友を心の中で毒づく。
「なに、なにっ!?アキってば、碇先輩と知り合いなのっ!!?」
「えっ!?あっ!!?うん・・・。お兄ちゃんと友達でね。今、頼まれ事を頼まれていたの」
シンジを見送った後、ノゾミは学校一の有名人と知り合いなアキに驚き、目を輝かせてアキの元へ駆け寄った。
「なら、今度紹介してよっ!?うちのお姉ちゃんだと頼りにならなくってさっ!!!」
「・・・うん、今度ね(絶対にヤだっ!!)」
そんなノゾミに気取られぬ様にドキドキと緊張しつつ、アキはやや乱れた着衣を慎重でありながらせっせと素早く直してゆく。
(そうだ、そうだ・・・。もう1人、まだ山田さんを音楽準備室に待たせていたんだっけ。
 アキちゃんがあんまり可愛いから我を忘れるところだったよ・・・。いやいや、危ない、危ない・・・・・・。)
その頃、まんまとアキの説得を成功させたシンジは、現在第壱中に蔓延する噂の誤解を解くべく、9人目の説得の為に音楽準備室へ向かっていた。


「しかし、あのごっつう別嬪さんは何やったんやろな?」
「やっぱ、あれだろ?今日は進路相談だし、誰かの保護者って事じゃないか?」
テッシュを詰めた鼻の下をビロ〜ンと伸ばし、何かを揉む様に手をワキワキと妖しく動かしているトウジ。
「ええのぉ〜〜・・・。わしもあんな別嬪さんに保護されたいのぉぉ〜〜〜・・・・・・。」
「くぅぅ〜〜〜っ!!一体、誰なんだっ!!?そんな羨ましい奴はっ!!!?」
ケンスケもまた夢見心地の様子で先ほど撮影したばかりのビデオをリプレイさせ、トウジと一緒に先ほどの美女について談義を交わしていた。
(不潔っ!!・・・ばっかみたいっ!!!ばっかみたいっ!!!!ばっかみたいっ!!!!!)
興奮して自然と声が大きくなっている2人の会話に、興味なさ気を装いながらも失敗して、ヒカリが主にトウジを鋭く白い視線で睨みまくり。
「はぁぁ〜〜〜い♪」
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「おおっ!?」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
すると正に噂をすれば影、先ほどの美女が教室へ颯爽と現れ、男子生徒達が突然の事態に混乱しながらも一斉に歓声をあげる。
一方、女生徒達は同性だけに美女への興味などはなく、うかれまくっている愚かな男子生徒達へヒカリ同様の白い視線を向けていた。
「ん〜〜〜・・・。そうねん♪そこの君♪♪」
「えっ!?あっ!!?は、はいっ!!!!わ、わし・・・。いえ、僕ですかっ!!!!!」
美女は教壇に立つと、教室をグルリと見渡してトウジを指さし、ご指名のかかったトウジは驚きながら喜び席を勢い良く立ち上がる。
「なんだよっ!!なんだよっ!!!なんで、トウジがっ!!!!」
「許さんっ!!許さんっ!!!許さぁぁ〜〜〜んっ!!!!」
「何故だっ!?もしかして、時代はジャージなのかっ!!?」
「くそぉ〜〜っ!!呪ってやるっ!!!呪ってやるっ!!!!呪ってやるっ!!!!!」
たちまちケンスケを筆頭に男子生徒達が嫉妬の炎をメラメラと燃やしてトウジへ呪詛を飛ばす。
ちなみに、美女がトウジをご指名した理由は至極簡単。
理由その1、とある非公開組織の作戦室モニターでトウジを作戦中に見かけたのを何となく見覚えていた。
理由その2、学生服の中で1人だけジャージを着ている為に目立っていたから。
理由その3、間抜けに詮された鼻のテッシュを見て、何処となく興味を惹かれるものがあった。
「そう、君♪名前・・・。何て言うの♪♪」
「す、鈴原トウジっ!!じゅ、14歳っ!!!しゅ、趣味は読書に映画鑑賞ですっ!!!!」
だが、そんな物は負け犬の遠吠えに等しく、美女に名前を聞かれ、トウジが手足をビシッと直立不動にさせ、声高らかに自己紹介をした次の瞬間。
フンッ!!ポトッ・・・。
「えっ!?・・・キャァァ〜〜〜っ!!!嫌ぁぁぁ〜〜〜〜っ!!!!汚ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜いっ!!!!!」
鼻息が荒くなったトウジの鼻からテッシュが勢い良く噴き飛び、2席前にいた女生徒の頭の上に落ちて、その彼女が半狂乱に教室を駈け出て行く。
(なによっ!!なによっ!!!デレデレしちゃってっ!!!!
 何が趣味は読書に映画鑑賞よっ!!鈴原の場合、読書って言ってもマンガだし・・・。映画鑑賞なんて、Hなビデオの事じゃないっ!!!
 不潔、不潔、不潔っ!!私、知ってるのよっ!!!この前、相田君と自動販売機でHな本とビデオを買っていたのを見たんだからっ!!!!)
美女に興味を持たれて舞い上がっているトウジの間抜けな姿に、洞木株取引市場では鈴原トウジ銘柄株が売りの殺到で株価は底値を割って大暴落。
「じゃあ、鈴原君♪」
「は、はいっ!!な、何でしょうっ!!!」
舞い上がるトウジはヒカリの白い視線にも気付かず、美女のニッコリ笑顔に幸せ一杯のご機嫌な返事を返す。
「シンちゃんが居ないみたいだけど・・・。何処へ行ったか知らない?」
「え゛っ!?・・・シ、シンちゃん?」
しかし、美女の質問の中に人物の名前を表す名詞が出た途端、トウジは勿論の事、教室の全員が一斉に押し黙り、教室がシーンと静まり返った。
何故ならば、このクラスで名前を略してシンちゃんと呼べる人物はたった1人しか存在しないからである。
「そっ、シンちゃん♪シンジ君のクラスはここでしょ♪♪」
「・・・あ、あなたはシンジとどういう関係なんでしょうか?」
美女はトウジの問いに誰もが思っていた通りの答えを応え、女生徒達の心の問いかけを代弁するかの様に、トウジが震える声で更に問う。
「私?・・・私は葛城ミサト♪シンちゃんの保護者で同居人よ♪♪
 あっ!?名字で解ると思うけど、シンちゃんとは血も繋がっていないし、親戚でも従姉妹でもないから、そこのところをよろしくね♪」
応えて美女がシンジとの関係をやけに詳しく自己紹介をすると、教室の空気がピッキーーーンッと凍った。
(ほほう・・・。あの娘とあの娘、それにあの娘・・・。このクラスだけで7人も居るとは・・・。予想以上ね)
ミサトは再び教室をグルリと見渡し、長年の経験で周囲とは違う驚き方をしている女生徒を7人ほど見つけ、忌々し気に眉間へ皺を寄せたその時。
「・・・あれ、ミサトさん?」
「シンちゃぁ〜〜ん♪もうっ、探しちゃったわよん♪♪」
またもや正に噂をすれば影、件のシンジが教室へ現れ、ミサトがいつもとは違う呼び名でシンジを呼びながら笑顔でシンジの元へ駈け寄って行く。
「シ、シンちゃんっ!?」
「まったまたぁ〜〜♪いつも、そう呼んでいるじゃない。照れちゃったりなんかして♪♪
 (申し訳ありませんっ!!申し訳ありませんっ!!!シンジ様っ!!!!今だけ、今だけですからっ!!!!!お許し下さいっ!!!!!!)」
その上、あまりに懐かしい呼び名にシンジが驚いている隙を狙い、ミサトはシンジの腕に己の腕を絡めて皆へシンジとの仲を必死にアピール。
「ちょ、ちょっとっ!?ミ、ミサトさんっ!!?(・・・げげっ!!!?ミサトさん、何やったんだっ!!!!?
 綾波との事が済んだと思ったら、また明日も説得して廻らなくちゃ・・・って、そうかっ!?今朝、言ってたチャンスって、これかっ!!?)」
ミサトの態度に戸惑いつつ、シンジは特に仲の良い7人の女生徒達が疑いの眼差しを向けているのを見つけ、ミサトの企みに気付いて愕然とした。
チャキ、チャキ、チャキ、チャキ、チャキ・・・。
「お、おい・・・。ト、トウジ、何、やってんだ?」
いちゃつく2人に教室が静まり返る中、何処か聞き覚えのある音が響き、ケンスケは音の発生源へ視線を向けて驚きにギョッと目を見開く。
「わしはあいつを殺らなあかんっ!!殺っとかな気が済まへんのやぁぁ〜〜〜っ!!!
 往生せいやぁぁ〜〜〜っ!!きょえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
ケンスケの問いに応えず、エッジ最大出力のカッターを振り上げ、ご乱心したトウジが奇声を発しながらシンジへ向かって突撃を開始した直後。
ボグッ!!
「ぶべらっ!?」
シンジの声を聞きつけて意識を覚醒したレイが、分厚い英和辞典を投げつけてトウジの側頭部へ直撃させ、トウジは横倒しに床へ倒れて轟沈。
「んひょっ!?」
ガンッ!!
同時にミサトへも筆箱が投げつけられたが、ミサトは素晴らしい危機感知力と反射神経で避け、筆箱が黒板にぶつかって中身が床に散らばる。
「レイっ!!あにすんのよっ!!!危ないじゃないっ!!!!」
「ちっ・・・。ばーさんは用済みなのに」
「・・・あ、綾波(あ、相変わらず、無茶するね・・・・・・。)」
すぐさまミサトはレイへ向かって猛烈に怒鳴るも、レイは無表情に舌打ちして堪えた様子はなく、シンジがレイの仕打ちに顔を引きつらせた。
「お、おい、誰か・・・。ト、トウジを保健室へ連れて行くのを手伝ってくれよ」
「相田君、鈴原なんて放っておきなさいよっ!!みんなも手伝う必要なんてないわっ!!!」
時同じくして、ケンスケと共に数人が昏倒しているトウジの元へ駈け寄ろうとするが、教室に響いたヒカリの凄まじい一喝に思わず歩を止める。
「・・・い、委員長」
(そうよっ!!ばっかみたいっ!!!自業自得よっ!!!!)
こうして、ケンスケを含めた教室全員がヒカリの怒りに触れる事を恐れ、トウジは5時間目の進路相談が始まるまで床に放置されたままとなった。


「それで・・・。将来、綾波さんはどうしたいのかな?」
やや廊下のざわめきが聞こえるも、静まり返った教室でトップバッターのレイが進路相談を受けていた。
ちなみに、本来なら担任である老教師が行うべきだが、老教師ではいまいち頼りない為、副担任である男性国語教師が進路相談を行っている。
また、本来レイの保護者はリツコなのだが、本日リツコは諸事情により多忙で来れず、代理人としてミサトが進路相談を受けていた。
「碇君と1つになりたい・・・。」
ペシッ!!
国語教師の問いに、レイが即答で応えた途端、レイの隣に座るミサトからレイの頭頂へ空手チョップが飛ぶ。
「・・・痛い」
「レイ、真面目に応えなさいっ!!」
両手で痛む頭を押さえ、レイは口を尖らせながら上目づかいで睨むが、ミサトは全く意に介せず怒鳴って叱る。
「ま、まあまあ、葛城さん・・・。わ、私の言い方が悪かったかも知れません。
 では、改めて・・・。将来、綾波さんはどんな職業につきたいと思っているんですか?」
その様子にちょっぴり顔を引きつらせ、国語教師は己の問い方が悪かったんだとミサトへ諭して宥め、改めてレイへ言葉を補って尋ねた。
何故ならば、レイの珍回答は今に始まった事ではない。
実際、国語教師は以前に将来の夢と言う題の作文宿題を出した際、レイに『無に還りたい』とだけ書かれた原稿を返されて戸惑ったくらいである。
「碇君のお嫁さん・・・。な、何を言わせるのよ」
ペシッ!!
恥ずかしそうにポッと紅く染めた頬を両手で隠し押さえ、レイが即答で応えた途端、再びミサトからレイの頭頂へ空手チョップが飛ぶ。
「・・・痛い」
「真面目に応えろって言ってるでしょっ!!」
両手で痛む頭を押さえ、レイは口を尖らせながら上目づかいで睨むが、ミサトは先ほどよりも大声で怒鳴って叱る。
「ま、まあまあ、葛城さん・・・。も、もう少し具体的にすれば良いかも知れません。
 では、改めて・・・。この学校を卒業したら、綾波さんは何処の高校へ行きたいのですか?」
その様子に顔を引きつらせ、国語教師は己の問い方が悪かったんだとミサトへ諭して宥め、改めてレイへ言葉を補って尋ねた。
「碇君と同じ学校・・・。学生結婚するの」
ペシッ!!
胸の前で手を組み、乙女の表情で夢見心地に浸りつつ、レイが即答で応えた途端、またもやミサトからレイの頭頂へ空手チョップが飛ぶ。
「・・・痛い」
「あんたには主体性って物がないのっ!!大体、学生結婚って何よっ!!!私だってまだ結婚していないのに生意気いうじゃないっ!!!!」
「ばーさんは用済み・・・。早く家を出て行くのね。あそこは私と碇君の家だから」
「あんですってぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜っ!!」
両手で痛む頭を押さえ、レイは勝ち誇った様にニヤリと笑い、ミサトはレイの言葉にカチンと怒髪天になり、レイの襟首を両手で掴んで寄せる。
「ま、まあまあ、葛城さん・・・。
 でも、綾波さんがそう望むなら、もっと勉強して頑張らないといけませんね」
その切羽詰まる様子に汗をダラダラと流し、国語教師は必死にミサトを宥めつつ話題転換を計った。
「えっ!?レイって、そんなに成績が悪いんですか?」
「いえ、そんな事はありません。むしろ、常に学年上位の成績を保っていて良いと言える方なんですが・・・。」
するとミサトは社会科講師の言葉の先にある意味に気付いて食いつき、レイの襟首から両手を離して、国語教師へ心底に意外そうな顔を向ける。
「・・ですが?」
「碇君は特別と言うか・・・。かなり別格なんですよね」
その視線に応えて、国語教師は何とも言えない表情の上に苦笑を重ねた。


「ぜ、全国模試1位ぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜〜っ!?」
レイの進路相談も終わり、シンジの進路相談が始まるや否や見せられたシンジの成績に、ミサトは驚愕のあまり絶叫を教室に轟かせた。
「・・・おおうっ!?後光が見えるっ!!!」
一拍の間の後、ミサトはゆっくりとシンジへ視線を向け、平然としているシンジの姿に高潔さを感じ、思わず席を立ち上がって後ずさる。
「何、言ってるんですか・・・。ミサトさんだって、この国の最高学府を出ているでしょ。大した事ありませんよ」
「そ、そりゃ、そうだけど・・・。(わ、私の場合は本当に出ただけだから・・・・・・。)」
シンジはそんなミサトに苦笑を浮かべ、ミサトはシンジの言葉に自堕落な大学時代を思い出して顔を引きつらせながら席へ座り直す。
余談だが、中学2年生を35年も繰り返していれば、必然的に同年代の子供達より成績が高くなってゆくのは当然の事。
しかも、サードインパクトを防ぐ為に様々な知識を吸収しているシンジにとって、中学程度の学問は稚戯にも等しくこれくらいの成績は当たり前。
ところが、第壱中へ転校する以前の学校の成績では絵に描いた様なくらい平々凡々のシンジ。
それ故、特にリツコなどはこの変化をかなり怪しんだのだが、あまり好成績を取ると虐められるから自粛していたとシンジに言われて矛を収めた。
実際、シンジの過去を調べた報告書には、学校の報告書では隠匿されて決して掲載されないイジメの実態がまざまざと書かれていたからである。
もっとも、今のシンジを見る限り虐められていた事実の方が信じられず、当然の如くリツコがこの事実に対しても追求の手を伸ばす。
それでも、シンジは転校で生まれ変わりを決意したと語り、高校デビューならぬ転校生デビューだと言い、リツコの追求を軽ぅ〜く回避していた。
「そこでなんですが・・・。ご承知の通り、日本には飛び級と言う制度は存在していません。
 出来うるなら、今すぐにでも碇君を飛び級の存在する国へ留学させ、それ相応の環境で学ぶ事をお薦めします。
 先日、行った知能テストでも、碇君はかなり高い数値を示しており、これならば十分に海外の学力レベルにも通用・・・。」
エヴァのパイロットである事を承知しながらも、国語教師はシンジの才能を生かすべく、ダメもとでシンジの海外留学案をミサトへ頼み込む。
「嬉しい申し出ではありますが、それは出来ません。残念ながら、シンジ君は学生である前にネルフの一員ですから」
「・・・やはり、そうですか」
だが、ミサトは国語教師の言葉を遮ると、辛そうな表情を浮かべて首を左右に振り、国語教師が心底残念そうに深い溜息をついて項垂れた。
「まあまあ、ミサトさんも先生もそんなに暗くなる事はないですよ。だって、僕自身にそんな意思はありませんからね」
2人の間に沈痛な思いが交錯するも、当の本人であるシンジはクスクスと笑って肩を竦め、あっさりと2人の重い雰囲気を吹き飛ばす。
「しかし、碇君っ!!君にはせっかくの才能があるんだっ!!!なら、それを生かそうとするべきだぞっ!!!!」
「そうよっ!!さっきはあんな事を言ったけど、シンジ君が真剣に望むなら碇司令に掛け合っても良いのよっ!!!」
その途端、国語教師はシンジを奮い立たせようと熱血を迸らせ、ミサトも建て前を引っ込めて本音を語り、シンジの本音を叫び尋ねた。
「いえ、僕はそんな事より・・・。1年後もこうした平和な毎日が続いている事を望みますよ」
(・・・シンジ君)
応えてシンジは窓の外の景色へ遠い目を向け、ミサトはその寂しそうな横顔に辛そうな表情を浮かべながら、胸をキュンキュンと高鳴らせる。
「・・・・・・。」
         「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
         「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
         「・・・・・・。」
3人の間に何とも形容しがたい沈黙が流れ、静かで穏やかな時だけが流れてゆく。
「・・・・・・。」
         「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
         「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
         「・・・・・・。」
しかし、限りある制限時間をいつまでもこうしている訳にもいかず、国語教師は2番目に聞かなくてはと思っていた事をミサトへ尋ねた。
「・・・碇君の意思は解りました。
 でも、この出席率は解らないんですが・・・。葛城さん、これほどネルフでは訓練を本当にしているのでしょうか?」
「げっ!?」
ミサトの前に差し出された出席簿に青ざめ、シンジは出席簿を奪い取ろうとするが、ミサトによって素早く回避される。
「・・・シンジくぅ〜〜ん。この出席率はなぁぁ〜〜〜にぃぃぃ〜〜〜〜?」
「ははははは・・・。な、何でしょうね?」
一目で解る多すぎる欠席数に、ミサトは出席簿から白い目線だけをシンジへ向けて尋ね、シンジが乾いた笑い声をあげて誤魔化した次の瞬間。
バンッ!!
「何でしょうじゃないでしょっ!!今朝だって、訓練なんて無かったのに2時間も遅刻しているじゃないっ!!!
 第一、ちゃんと家を出たはずなのに、2時間も何処で何をしていたのっ!!全く、うちの諜報部も嘘ばっかり報告してっ!!!」
ミサトは右掌で机を思いっ切り叩き、自分だって仕事をサボりまくっているのを棚に上げてシンジを怒鳴りつけた。
「そう、それです。今朝から碇君と綾波さんの不純異性交遊の噂が流れているが・・・。本当のところ、どうなんだね?碇君」
「プライバシーの侵害です。以後、この件に関しては黙秘権を行使します」
「碇君っ!!いくら成績が優秀でも、素行が悪ければ日本教育ではダメなんだぞっ!!!」
その上、国語教師に噂の真相を尋ねられ、進退窮まったシンジは腕を組んで黙秘を決め込み、国語教師もその横柄な態度に怒鳴り声をあげる。
(いつの間にレイと・・・。明日から出張だって言うのにっ!!
 マヤちゃんの時の事もあるし・・・。こうなったら、日向君にでも頼んで監視させる必要があるわねっ!!)
ミサトは噂を聞いて眉をピクリと跳ねさせた後、最近のレイの様子からシンジとの間にある種の絆が結ばれた事を確信して奥歯をギリリと噛んだ。


「へぇぇ〜〜〜・・・。ミサトさん、明日から出張ですか」
放課後の訓練も終わり、まだ夕陽も沈んでいないのにネルフのカフェラウンジで中ジョッキの生ビールを酌み交わすシンジとミサト。
余談だが、放課後の訓練後の一杯はシンジとミサトの間で恒例化している為、他にも客はいるが既に見慣れて誰も2人へ注意をしようともしない。
「ええ、リツコと3日ほど旧東京の方にね」
「3日もですか。それは寂しいですね(そうか、出張か・・・。なら、綾波か、マヤさんでも呼んで・・・・・・。)」
ミサトが明日からの出張スケジュールを伝えると、シンジはジョッキを傾けて顔を隠しながら何やらニヤニヤと笑い出した。
「だからね。日向君に留守番を頼もうと思っているから」
「ええっ!?」
ドンッ!!
だが、シンジを値踏みしていたミサトは、その笑いをあっさりと見抜いて追加情報を伝え、驚いたシンジがジョッキをテーブルへ叩きつけ下げる。
「なによ、そんなに驚くほど?(あったり前じゃないっ!!外でならまだしも、家へ連れ込むなんてルール違反でしょっ!!!)」
「いいえ、別に・・・。(くそぉぉ〜〜〜、せっかくのチャンスが・・・。さすが、作戦部長の名は伊達じゃないな・・・・・・。)」
ミサトは勝利を確信してニヤリとほくそ笑み、シンジは敗北を悟るも悔しさは表面に出さず、再びジョッキを傾けて溜息をジョッキの中へ隠す。
「あっ!?シンジ君、ここに居たんだ♪探しちゃった♪♪」
「何ですか?マヤさん」
「クッキーを焼いてみたんだけど・・・。食べてみない♪」
するとそこへマヤがご機嫌なニコニコ笑顔で現れ、クッキーが乗せられたお皿をシンジへ差し出した。
「良いんですか?」
「もちろん♪シンジ君の為に作ったんだから♪♪」
「それじゃあ、遠慮なく」
シンジはこんな事ならビールではなくコーヒーにしておけば良かったなと思いつつクッキーへ手を伸ばす。
「ついでに、葛城さんも良かったらどうぞ」
「え、ええ・・・。い、頂くわ(・・・ついでって、どういう意味よっ!!)」
マヤの邪魔だと言わんばかりの視線とマヤの言葉に眉をピクピクと跳ねさせ、ミサトもムカムカと苛立ちながらクッキーへ手を伸ばした。
「・・・シンジ君、どう?」
クッキーを食べるシンジの一挙一動を緊張の面もちで見守りつつ、マヤはシンジがクッキーを飲み込むのを確認して感想を尋ねる。
「美味しいですよ。とっても」
「本当っ!?」
応えてシンジがニッコリと微笑むと、マヤは心底に嬉しそうな笑顔で表情を輝かせた。
「そうね。なかなかイケてると思うわよ。少し甘すぎる気がしないでもないけどね」
「ねえ、シンジ君。今度はケーキにも挑戦してみようと思うんだけど・・・。また、食べてくれる?」
「はい、喜んで」
続いて、ミサトも感想を述べるが、マヤはミサトを完全に無視してシンジのみへ話しかけ、シンジの返事にますます表情を輝かす。
「マヤちゃん、どうしちゃったの?いきなり意気込んじゃって」
「だって、シンジ君もお菓子が作れるって聞いたし・・・。なら、私も作れるようになりたいなぁ〜〜と思って」
「どうして?」
無視されたミサトは頬をヒクヒクと引くつかせながら会話に割り込むと、マヤは何やらクスリと笑って今度はミサトの話に応じる。
「そうなれば、シンジ君とも色々と話が合うじゃないですか。
 葛城さんも一緒にどうですか?・・・あっ!?そう言えば、葛城さんはお料理が出来ないんでしたっけ?」
「ぐぐぐぐぐっ・・・。(なによ、なによ、なによぉぉ〜〜〜っ!!何が言いたい訳ぇぇぇ〜〜〜〜っ!!!
 私は料理が出来ないんじゃなくて、ただ単にしないだけよっ!!私だってやろうと思えば、料理くらい幾らでも出来るわよっ!!!)」
しかし、マヤは続けた言葉の中に猛毒を塗った棘を含み放ち、ミサトは奥歯をギリギリと噛んで悔しがり、話しかけるんじゃなかったと大後悔。
(普段はどちらかと言えば、気弱なのに・・・。マヤさんって、こういう事には強気なんだよね)
正に一発触発の女の戦いを暢気に眺め、シンジがクッキーを食べながら心の中でクスクスと笑い、これからどうなるんだろうと思ったその時。
「あら、美味しそうね?だけど、これを作るのに随分と時間がかかったんじゃない?」
「はい♪実を言うと、2回も焼くのに失敗しちゃって♪先輩も1つどうですか・・・って、せ、先輩っ!?」
「そう・・・。あなた、それで午後から見かけなかったのね」
背後からかかった声にマヤは振り返り、白衣のポケットに両手を入れ、怒り心頭と言った感じで真後ろに睨み立っていたリツコにビックリ仰天。
何故ならば、リツコが言う通り、マヤはクッキーを焼く為に午後からの仕事を今までサボっていたからである。
「い、いえ、違うんです・・・。わ、私はただ・・・・・・。」
「クッキーを焼いていたんでしょ?私に仕事を押し付けて・・・。おかげで、レイの進路相談へ行けなかったわ」
「お、押し付けてだなんて・・・。ち、違います。そ、そんなつもりは・・・。」
「つもりはなかったもかも知れないけど、結果的にはそうなったのよね?」
「・・・は、はい」
リツコがマヤを睨んだまま1歩前進する度、マヤは首をゆっくりと左右に振りながら後ろ歩きで一歩後退。
「認めたわね?なら、罰として私が出張から帰ってくるまでに、例のプログラムを完成させておきなさい」
「あ、あれは1週間はかかる物じゃないですかっ!?3日でなんて絶対に無理ですっ!!!」
そして、遂に壁際まで追い詰めると、リツコはキスをするぞと言わんばかりの距離まで顔を寄せ、マヤへきつすぎる罰を言い放った。
「まあ、普通に出勤して、普通に帰れば無理でしょうけど・・・。泊まり込みでもすれば、あなたなら出来るんじゃなくて?」
「そ、そんなぁぁ〜〜〜・・・。」
「・・・解ったわね?」
「わ、解りました・・・。」
マヤは過酷な罰に悲鳴をあげるが、リツコにあっさりと切り返され、自分が悪いと言う自覚もあって涙目になりつつも罰を了承する。
「それじゃあ、今すぐ始めるわよ。今日だけは手伝ってあげるわ」
「あ、ありがとうございます・・・って、な、何をするんですかっ!?」
「あなたが逃げないようにするだけよ。ほら、さっさと歩きなさい」
「うっうっ・・・。シ、シンジくぅ〜〜ん・・・。ま、またねぇぇ〜〜〜・・・。うっうっうっ・・・・・・。」
リツコはマヤが了承するや否や、マヤの首根っこを掴み、マヤは涙をルルルーと流しながらリツコに連行されてカフェラウンジを出て行った。
「(しっしっしっしっしっ・・・。良い気味だわ。天罰よ、天罰)
 さてと・・・。それじゃあ、ちっち寄るところがあるから一緒に帰れないけど、早く帰ってくるのよ?シンジ君」
「ええ、解りました」
「んじゃねぇぇ〜〜〜♪」
情けないマヤの姿を満足気に見送った後、ジョッキに残ったビールを一気飲みし、ミサトもシンジへ一声残してカフェラウンジを出て行く。
「・・・明日から綾波の家へ泊まりに行こっかな」
ミサトの姿が完全に消えると、1人残ったシンジは明日からの灰色ライフをいかに薔薇色ライフに変えようかと思い悩み始めた。


プシューー・・・。
「ただいまぁぁ〜〜〜・・・。っ!?っ!!?っ!!!?」
「お帰りぃぃ〜〜〜♪」
傷心のマヤを慰め、ミサトより1時間ほど遅れて帰宅したシンジは、葛城邸内へ1歩踏み込んだ瞬間に驚愕して目を最大に見開いた。
(こ、この匂いは・・・。ま、まさかっ!?)
かなりの躊躇いが感じられる間の後、帰宅の挨拶をした手前、シンジは退く事を許されず、震える足取りで恐る恐る葛城邸内へ歩を進めて行く。
(ま、間違いないっ!!・・・こ、これはカレーの匂いっ!!!)
1歩進む度に鼻腔へ食欲をそそるカレーの匂いが増し漂ってくるが、シンジの歩調は更に低下して反対に足の震えが加速的の増し始める。
(ど、どうして・・・。ど、どうして、こんな事にっ!?な、何故だっ!!?な、何故なんだぁぁ〜〜〜っ!!!?)
否応なしにシンジの脳裏に走馬燈の様に浮かんでは消えて蘇るミサトのカレーを食べて酷い事になった数々の思い出。
(・・・はっ!?も、もしかして・・・。きょ、今日、たくさん嘘をついちゃった罰なのかっ!!?)
だが、幾ら歩調を落としてもダイニングは確実に近づき、シンジは顔面蒼白になって汗をダラダラと流しながら魂の咆哮をあげる。
(や、やっぱりぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!)
それでも、この目で見るまでは信じられず、一縷の希望を持つつ遂にダイニングへ踏み入れるが、シンジを待っていたのは予想通りの光景。
「じゃぁ〜〜ん♪どうどう、私だってやれば出来るのよん♪♪」
ご機嫌にニコニコと笑いながらキッチンテーブルに夕飯である手製のカレーライスを盛ってゆくミサト。
「・・・ど、どうしちゃったんですか?今日に限って・・・・・・。」
その姿にシンジの希望は絶望へと変わり、シンジは涙がこぼれ落ちそうなるのを必死に堪え、何故こんな事態になったのか聞かずにはおれず問う。
「マヤちゃんにあれだけ言われて、引っ込むほど大人しくしているミサトさんじゃないのよん♪」
(マ、マヤさぁぁ〜〜〜んっ!!う、恨むよっ!!!そ、それとも、本当は僕の事が嫌いなのぉぉぉ〜〜〜〜っ!!!!)
応えてミサトは不敵な笑みを浮かべ、シンジは目の前の原因の全てがマヤにある事を知って、心の中でマヤへの絶叫をあげた。
「さあ、そんな事より♪座って、座って♪♪」
そんなシンジの心の内が解るはずもなく、ミサトはいつもシンジが座る椅子を引き、シンジの受け入れ態勢を整える。
「い、いや・・・。じ、実はマヤさんから貰ったクッキーを食べ過ぎて・・・・・・。」
しかし、足は一歩も前へ進もうとはせず、シンジが苦し紛れに咄嗟の嘘をついて食事を断ろうとした途端。
「・・・えっ!?」
「お、お腹が凄く空いていたんですよっ!!」
ミサトの目が見開いてウルッとちょっぴり潤み始め、シンジはその瞳に心が非常に傷んで嘘を即座に撤回。
「そうでしょ、そうでしょ♪なら、冷めない内に早く食べましょ♪♪」
たちまちミサトの瞳に嬉しさが広がり、ミサトはいつも座っているシンジの対面の席へ座る。
(逃げちゃダメだっ!!逃げちゃダメだっ!!!逃げちゃダメだっ!!!!逃げちゃダメだっ!!!!!逃げちゃダメだっ!!!!!!
 逃げちゃダメだっ!!逃げちゃダメだっ!!!逃げちゃダメだっ!!!!逃げちゃダメだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!)
そして、シンジは数年ぶりに過去の座右の銘を唱えながら意を決して歩を進め、死だけが待つ電気椅子とも言える己の席へ座った。


「・・・ど、どう?」
スプーンを口へ運んでゆくシンジの一挙一動を緊張の面もちで見守りつつ、ミサトはシンジがスプーンを口に入れたのを確認して感想を尋ねる。
「美味いっ!!美味いよっ!!!ミサトさんっ!!!!」
「そう・・・。良かったぁ〜〜・・・・・・。」
「本当に美味いよっ!!これは下手な店で食べるよりも絶対に美味いっ!!」
「もう、シンジ君ったら・・・。でも、そんなに慌てなくても大丈夫よ。まだまだ、お代わりは一杯あるんだから」
「本当っ!?これなら、何杯でも食べられるって感じだよっ!!!」
「良かったら、また作ってあげるわよ?」
するとシンジは続けざまにスプーンを皿と口へ交互にハイスピードで運び始め、ミサトはその掻き込む様な見事な食いっぷりにホッと一安心。
「・・・また?そんな事を言わないで毎日作って下さいよ」
「ありがとう・・・。だけど、毎日がカレーだと飽きちゃうでしょ?」
「それもそうだ」
「「ぷっ!!・・・あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!!」」
そして、大して面白くもない青臭いドラマの様な会話を交わして顔を見合わせ、シンジとミサトは揃って吹き出し、お腹を抱えて馬鹿笑い。
「でも、ミサトさんがこれだけ頑張ってくれたんだから、僕も頑張らないといけないな」
「・・・何に?」
一頻り笑うと、不意にシンジは妖艶な笑みを浮かべてミサトへ流し目を送った。
「もちろん・・・。夜のデザート作りさ」
「っ!?・・・ば、馬鹿。しょ、食事中よ・・・・・・。」
シンジの言いたい事が解らず、一瞬だけキョトンと不思議顔になるも一瞬後に意味が解るや否や、ミサトは紅く染めた顔をシンジから逸らす。
「馬鹿ぁぁ〜〜〜?」
するとシンジは眉をピクリと跳ねさせ、ミサトの言った単語の語尾を半音上げて繰り返した途端。
ガタッ!!ガタガタッ!!!
「も、申し訳ありませんっ!!シ、シンジ様っ!!!」
ミサトは恐怖にハッと目を見開き、慌てて椅子から下りてダイニングの隅まで下がり、シンジへ向かって額を擦り付けんばかりの土下座。
「フフ、可愛いね・・・。ミサトは・・・・・・。」
「・・・あっ!?」
シンジはそんなミサトにクスリと笑い、席を立ってミサトの元へ歩み寄り、右手の人差し指でミサトの顎を上げてミサトの唇に唇を重ねた。
「今日のミサトはカレー味だね・・・。」
「・・・い、いけません。お、お食事が・・・・・・。」
短い大人のキスを交わした後、シンジはミサトを床へゆっくりと押し倒してゆき、ミサトがシンジの胸に両手を置いて押し退けようと抵抗する。
「大丈夫。少し遅れたけど・・・。これは食前酒だから」
「んんっ・・・。んんんっ・・・。んんんっ・・・・・・。」
しかし、シンジが左手に持っていたエビチュを口に含み、口移しでミサトへ与えると、ミサトはあれよあれよと抵抗を弱めて陥落。
「ク、クワァァ〜〜〜・・・。」
プシューー・・・。
こんな光景を夕飯時に目の当たりにされたペンペンは茫然と鳴き、ここにいてはまずいと気を利かせ、自分の寝床である冷蔵庫へと入って行った。


「ク、クワァァ〜〜〜・・・。」
「・・・はっ!?」
茫然とした様なペンペンの鳴き声に、ミサトはいつの間にか突入していた妄想から我に帰り、慌てて対面にいるシンジへ視線を向けた。
「シ、シンジ君・・・。そ、そんなに急いで食べなくても・・・・・・。」
そして、ミサトはシンジの掻き込む様な凄まじい食いっぷりに思わず茫然と目が点。
「ク、クワァァ〜〜〜・・・。」
「・・・シ、シンジ君?」
だが、シンジからの返事はなく、そのミサトの妄想とは少し違う鬼気迫るシンジの食いっぷりの勢いはますばかり。
ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ・・・。
「ぷっはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
どれくらいミサトが妄想に時間を費やしたかは解らないが、シンジは一気に一皿を食べ終わると、続けざまにエビチュを一気飲みして一息をつく。
「お、お代わり・・・。い、要る?」
「いえ、お腹はもう一杯です。ご馳走様でした」
ガタッ!!
茫然から立ち直れないままミサトがお代わりを勧めるが、シンジは右腕で無造作に口元を拭うと席を立ち上がった。
「あっ!?部屋に行くの?」
「はい、今日は疲れたのでもう寝ます」
「・・・えっ!?まだ8時半よ?」
「おやすみなさい・・・。」
「・・・お、おやすみ」
そして、シンジはややふらつく足取りで自分の部屋へと向かい始め、ミサトは改めて茫然となりながらシンジの背中を見送る。
ガラッ、バタンッ!!・・・・・・ドタッ!!!
しばらくすると、シンジの部屋の襖が勢い良く開き閉じ、シンジがベットへ倒れ込む様な音がダイニングへ聞こえてきた。
「・・・そう言えば、さっき体育の長距離走で疲れたって言ってたっけ?あぁ〜〜あ、明日から出張なのにつまんないわね・・・・・・。」
シンジの早すぎる就寝に首を傾げながら、久々に1人の長い夜になりそうだと、ミサトがシンジの部屋の方へ視線を向けたまま寂しそうに呟く。
「あら、どうしたの?お代わりはたくさんあるんだから遠慮なく食べて良いのよ?ペンペン」
「ク、クワァァ〜〜〜・・・。」
一拍の間の後、ふとミサトは食が全く進んでいないペンペンに気付き、ペンペンはミサトの言葉に己も死を覚悟しなくてはと決意を固めた。


プシューーー・・・。
「ク、クワァァ〜〜〜・・・。」
一睡もせず死の予感と闘い、体内時計で朝を感じたペンペンは朝日を見て生を確認しようと、寝床の冷蔵庫から蹌踉めきながら出てきた。
バタッ・・・。
「ク、クワッ・・・。」
だが、閉めきられたカーテンの向こう側にあるベランダへ届く事なく、ペンペンがリビングで力尽きて轟沈した次の瞬間。
ガラッ・・・。
「おはよ」
「ク、クワァァァァァ〜〜〜〜〜〜っ!!」
リビングに珍しく寝坊もせずネルフ正装を身に纏った死神が現れ、ペンペンは忍び寄る死の影に意識を一気に覚醒して寝床の冷蔵庫へ即時撤退。
「あによぉ〜〜・・・。そんなに驚かなくても良いじゃない。
 ・・って、あら?シンジ君、まだ起きていないのかしら?珍しいわね・・・・・・。」
ミサトはその反応に口を尖らせた後、未だリビングにカーテンが閉めきられている事に気付き、同時にシンジがまだ起きていない事を知った。


「・・・・・・・。・・・・・・君。・・・・・ジ君。・・・・ンジ君。・・・シンジ君。シンジ君。シンジ君っ!!シンジ君っ!!!」
「うっ・・・。うっうっ・・・。ミ、ミサトさん・・・・・・。」
夢の中で大河を渡ろうと船待ちをしていると何処か遠くから呼びかけられ、シンジが意識を覚醒させると目の前にミサトの心配そうな顔をあった。
余談だが、この時の夢の中で船待ちをしていた待合所の小屋には『三途の渡し』と言う看板がついていたとシンジは後に苦笑混じりで語っている。
「もう朝ですか・・・。あうっ!?」
シンジはベットから上半身を起こそうとするも、途中で力無く崩れ倒れ戻ってしまう。
「ほら、無理しないのっ!!酷い熱なんだからっ!!!」
「・・・すみません」
ミサトはシンジを抱き抱え、シンジの枕の上に自分が使っている枕を重ね、シンジを寝ながら座らせる体勢にさせる。
「それより、大丈夫?お医者さんを呼ぼうか?」
「いえ、そこまでしなくても大丈夫です」
「・・・そう?でも、今日は学校を休みなさい。あとで私が連絡を入れておくから」
「はい、お願いします」
「うん、素直でよろしい♪じゃあ、これでも食べて元気を付けなさい♪♪」
かなり疲労困憊しているのか、シンジは普段のナリを潜め、ミサトの言う事を黙って頷いていたが、ミサトがシンジへお粥を差し出した途端。
「・・・うぐっ!!
 す、すみません・・・。しょ、食欲がなくて・・・。そ、それにさっき薬を飲んだばかりですから・・・・・・。」
こみ上げてきた吐き気に慌てて口を右手で押さえ、シンジは意識が朦朧とする頭を必死に働かせ、嘘をついて食事を断ろうとする。
「いいえ、ダメよ。こんな時だからこそ、食べるものをちゃんと食べておかないと・・・。ねっ!?
 それに昨日のカレーを少し混ぜてカレー味にしてあるから1口食べれば食欲増進よん♪ほら、ふぅ〜〜、ふぅ〜〜・・・。あぁぁ〜〜〜ん♪♪」
だが、ミサトはシンジの意見を許さず、お粥をレンゲですくって吐息で熱さを冷まし、レンゲをシンジの口元へ差し出した。
「あ、あぁぁ〜〜〜ん・・・。ふぐっ!?」
バタッ・・・。
長い長い躊躇いの後、シンジは意識が朦朧とするあまり考えるのを止めてしまい、口を開いてレンゲを啜り、お粥を喉へ通すと共にベットへ昏倒。
「ほら、全部食べないと元気が出ないわよ・・・。ふぅ〜〜、ふぅ〜〜・・・。あぁぁ〜〜〜ん♪」
「あ、あぁぁ〜〜〜ん・・・。おごっ!?」
バタッ・・・。
しかし、ミサトはシンジを抱き起こして地獄へ引き戻し、既に意識がないシンジは差し出されたレンゲへ機械的に口を開け、再びベットへ昏倒。
「しょうがないわねぇ〜〜♪(フフ・・・。シンジ君ったら、赤ちゃんみたいでいつもとは立場が逆ね♪♪)」
世話の焼けるシンジに胸の奥で眠っていた母性愛が疼き、ミサトは優しく微笑みながらシンジがお粥を完食するまで同じ動作を繰り返した。


ガラッ・・・。
ミサトが葛城邸を出て30分弱後、シンジが床に這い蹲りながら部屋から出てきた。
「はぁ・・・。はぁ・・・。はぁ・・・。はぁ・・・。はぁ・・・。はぁ・・・。」
そして、荒い息をつきながらキッチンを目指して、シンジは這い蹲ったまま挫けそうになる四肢を奮い立たせて進んで行く。
「はぁ・・・。はぁ・・・。」
              「はぁ・・・。はぁ・・・。」
「はぁ・・・。はぁ・・・。」
              「はぁ・・・。はぁ・・・。」
「はぁ・・・。はぁ・・・。」
              「はぁ・・・。はぁ・・・。」
だが、その進みは亀の如く遅々と進まず、シンジの荒い息使いだけが次第に速まってゆく。
「はぁ・・・。はぁ・・・。」
              「はぁ・・・。はぁ・・・。」
「はぁ・・・。はぁ・・・。」
              「はぁ・・・。はぁ・・・。」
「はぁ・・・。はぁ・・・。」
              「はぁ・・・。はぁ・・・。」
いつもなら5秒とかからない距離を10分弱も使ってキッチンへ到着すると、シンジはキッチンテーブルの椅子を支えに立ち上がろうとする。
「うぐっ!!」
バタッ・・・。
しかし、テーブルの上にある目標の電話機へ手をかける途中で膝の力が抜け、シンジは床へと倒れてしまう。
ガシャンッ!!
「はぁ・・・。はぁ・・・。はぁ・・・。はぁ・・・。はぁ・・・。はぁ・・・。」
それでも、シンジと共に電話機も床へ落ち、シンジは必死に手を伸ばして受話器を取り、朦朧とする意識の中で誰に助けを呼ぶか考える。
(だ、誰か、誰か、適役は・・・。そ、そうだ。ユ、ユリコさんを呼ぼう・・・。か、看護婦だし、きっと僕を救ってくれるはず・・・・・・。)
ピッ・・・。ポッ・・・。パッ・・・。ポッ・・・。プッ・・・。ピッ・・・。
選考人物が決まるや否や、シンジは電話番号を押してゆくが、指先が震えてなかなか目標が定まらず、ゆっくりと慎重にボタンを押してゆく。
プルルルル・・・。プルルルル・・・。プルルルル・・・。プルルルル・・・。カチャ・・・。
『はい、もしもし?』
「はぁ・・・。はぁ・・・。はぁ・・・。はぁ・・・。はぁ・・・。はぁ・・・。」
苦労の末、ようやく電話が繋がるも、シンジの意識が加速的に薄れ始める。
「し、死ぬ・・・。た、助けて・・・・・・。」
ドタッ・・・。
最早、耳からは音が入らない無音の世界で必死に気力を振り絞ると、シンジは弱々しく呟いて力尽き、受話器を手の内から床へこぼし落とす。
(こ、これで死んだら・・・。ま、間違いなく今までの中で1番情けない死に方だよね・・・・・・。)
苦しさを感じながらも急速に体が楽になってゆくのを感じ、シンジは完全に薄れゆく意識の中で苦笑を浮かべた。



感想はこちらAnneまで、、、。

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