「フフ……僕の出番というのもずいぶん久しぶりだね…………」
と、オレンジ色の溶液――――LCLに浸った少年が口元に微笑を浮かべたまま、ため息混じりにそ
うつぶやいた。
見るからに繊細な顔立ち、今はもう日本では見られない天然雪の如き肌、神秘的な佇まいで輝く紅色
の瞳。どれをとっても、まごうことなき美少年というやつである。
その美少年は白銀の髪を妖しく揺らめかせながら口を開き、
「ここのところずっとLCLに浸りっぱなしだったからね。そりゃあ、ふやけるというものさ」
とりあえず意味不明な言葉をのたまい、
「そうは思わないかい?冴島ミツキ君?」
「思わないわ」
いともあっさりと、にべもなくあしらわれた。
まあ、今更言う必要もないだろうが、ここはいつぞや出てきた某国にある某組織直轄の某研究所。
で、オレンジ色に照り返すLCLに浸っているのは渚カヲル少年。
一方の白衣の女性は、秘密結社ゼーレに属する科学者である冴島ミツキ博士27歳独身。
「……独身だとなにか問題あるのかしら?」
特にない。
「冴島博士、君は誰と話しているんだい?」
「バカには見えない人間と、よ」
「フフ…………君は時々、ホントに好意に値しないねぇ」
「キライってことかしら?」
「…………さあ、どうだろうね」
溶液の中と端末の前とで漫才のような会話をするのが、ここのところの二人の日課である。研究者と
研究対象という、ある意味相容れない間柄でこうなのだから、口で言うほど仲は悪くないのだろう。
「ところで……今日はなに?テストは明後日のはずよ」
「おっといけない。僕としたことが、すっかり忘れるところだったよ」
「……貴重な休みを返上してきたのだけど?」
やや憮然とした表情で応じるミツキだが、当のカヲルにはちっとも悪びれた様子は見られない。いい
意味でも悪い意味でも、マイペースなやつだった。
「実はこれを読んでいたんだけどね」
と、カヲルが取り出だしたるは防水加工された一冊の本。いつぞやのものとはまた違って、装丁から
して女性週刊誌のようだ。
「この間に渡したものね」
「その通りさ。実に有益な情報が書いてあったよ…………ご覧」
「…………」
度の強い眼鏡をかけてカヲルの示した部分を一読。
で、
「……まだ諦めてなかったの」
「フフ…………諦められるものではないさ」
ほんのわずかに嘆息とともに、呆れをも投げかけた。まあ、投げられたほうは簡単に受け止めて堪え
た様子などまるでないのだが。
それで結局、カヲルの曰くところの有益な情報――――ミツキをして呆れさせたのがなんなのか。
『女の胸は揉まれて大きくなる』
「まず貴方の場合は前提条件からして外れているわ」
「フッ……大いなる愛の前に性別の違いなどちっぽけなものさ…………」
などとのたまったその時、日本のとある少年が背筋に寒気を感じたとか感じなかったとか。
まあ、それは一旦置いといて。
「そういうわけだから、頼むよ冴島博士」
「……なにをかしら?」
その明晰な頭脳に次なるカヲルの行動を思い浮かべてみるミツキ。
「フッ……いけずなリリンだね君は…………わかっているんだろう?」
そう言うと、バンザイポーズを取り、自身の白い胸をこれでもかとばかりに誇示するカヲル。
「さあ!思う存分、これでもかこれでもかとばかりに揉み給へ!!」
イヤになるほど予想通りの行動だった。
「さあ、早く!行為に値するだろう!?」
「……………………」
「さあ!さあ!さあぁぁぁ~~~っっっ!!!」
「…………………………………………」
何故か頬を薔薇色に紅潮させ、額にうっすらと粒を浮かべたカヲルが、かぶりかんばかりにミツキに
迫る。ちなみに言うまでもないだろうが、カヲルは全裸である。
本人にその気があろうとなかろうと、これが日本だったらとりあえず猥褻ブツ陳列罪だ。
対するミツキは生っちろい胸板と目の前で揺れている――――――比較的おいたわしいソレを視線で
射貫きながら、今度こそあからさまに呆れかえったため息を大きく吐き出す。
で、うっとりと瞳を閉じたままなにか待っているカヲルを尻目に、傍らにある謎のボタンを押す。
どうして都合よくボタンが?――――などと考えてはいけない。科学者の部屋にボタンは必須なのだ。
ともかく、彼女の指がボタンを押下した直後、研究室の側壁が音を立てて開き
「ふぅぅぅぅぅん!!!!」
「はぁぁぁぁぁん!!!!」
身も心も暑苦しくなるような悩ましい雄叫びを挙げて二人の男、いや、漢が現れた。
禿げ上がった……いや、剃毛された頭頂に見事な不思議ホールをこさえた二人が、呆気に取ら
れて絶句しているカヲル無視して、滑るようにしてミツキの下へ。そして同時に流れ出すBGM。
その曲名は言うまでもなく、『世界の兄○達』だ。
「冴島のアネゴォォォォ!」
「ワシらになんの用ですかいのぉぉぉ!?」
研究所全体に響き渡り、防音加工された壁面を揺るがすほどの熱い漢声(かんせい)が迸る。
真正面からそれを受け止めたはずのミツキは、慣れているのかなんなのか、ともかくいつものように
冷たさを張りつけた表情を崩さず。
「実は彼が貴方たちに頼みたいことがあるそうなのよ」
そう言われた二人の漢は勢い良くカヲルを振り向き笑顔をキメ。その白い歯が、磨きぬい
た大理石を凌駕する輝きをもって激しくフラッシュ。
「詳しいことは……彼の足元にある雑誌を見て頂戴」
言われて二人の漢が雑誌の紙面を熟読。後、カヲルに振り向いてポージング。鍛えぬかれ
た筋肉がうねり、研究室の乏しい照明を照り返して激しくフラッシュ。
「じゃ……後は任せたわよ」
そう言って去っていくミツキに、漢たちは返事ではなくポーズで持って応えて見送った。
「……はっ!?」
茫然自失から蘇ったカヲルの視界にまず入って来たのは。
「「ふんっ!」」
ここまでくるといい加減しつこいが、二人の漢の見事な筋肉。
「フ……なんだいそれは?好意に値しないよ……」
口調はあくまでもいつも通りだが、身体は正直なもので、全身がおこりのように震えてさぶいぼが立
ってしまっている。
「時に少年ン!」
「ワシらに一丁、モンで欲しいそうじゃのう!?」
「……は?」
急に訳のわからないことを言い出した二人にカヲルが再び唖然としかけて……次の瞬間に凍りついた。
思い出したのだ。自分の足元にたゆたっている雑誌の中身のことを。
「い、いや、それは」
「なァに、ワシらに任せておけば万事上手くいく!」
「少年ン!君も今日からワシらの仲間じゃああああああ!!!」
「うおおおぉぉぉぉぉ~~~~!!!!」
そして―――――
眼前に迫りくる肉の大海原を前にカヲルは絹を裂くような悲鳴を上げるのだった。
あぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~
ミツキは研究室の出入り口に当る扉に背をもたれさせて、中から聞こえてくる悲鳴を聞いていた。今
ごろ阿鼻叫喚の地獄絵図…………または薔薇の花園が咲き誇っているに違いない。
そんなことを思い浮かべながら、彼女はカヲルの運命を想った。
(…………漢好きだっていうから本望でしょ…………)
彼女はいまだに勘違いしているらしい。
と、ふと…………自分の胸を見下ろしてみる。
「あんな非科学的なこと……効き目があるはず無いわ…………」
そんなことでどうにかなる問題なら、今ごろ彼女は―――――これ以上は言うまい。
「……………………」
A。ABCDEFG…………Z、のA。
「……………………」
右見て左見てまた右を見て―――――監視カメラがないのは確認済みで。
「……………………」
そっと両手を伸ばしてみる。
・
・
・
「………………ふ、どうかしてるわね、私も」
あと少し、というところで手を止めて、嘲るような苦笑を自分に向けて彼女はその場を去っていく。
その背後からは、まだしばらく少年の悲鳴が途切れることがなかったとさ。
死して屍拾う者なし。
新世紀エヴァンゲリオン リターン
パパは14歳
第七話 『被害者たちの挽歌』
ちゅんちゅん…………チチチチ…………
東の空に曙が輝き、薄紫にけぶる街並が太陽の色に包まれる頃、碇シンジの少し早い朝が訪れる。
「ふあああぁぁぁ……あ」
半身を起こし、大きく伸びをしながらあくびを漏らす。その際、ころんとなにかが彼の体の上から転
がったのだが、シンジはあまり気に留めていない。
何故なら、この程度で熟睡しているマイが起きることなどないからだ。
そしてシンジが起きても起き出さないのは他にもいる。自分たちの部屋があるにも関わらず、もはや
当たり前のような顔でダンナのふとんに潜りこんでいるレイ、アスカ、マナの三人だ。
おかげで、シンジの部屋のベッドはキングサイズに変えられていたりするのだが、まあ別の話し。
この家で唯一の男手にして生活の大黒柱の少年は、基本的に一途先に台所に姿をあらわす。
それが何故かと言うと、もはや周知であろうが彼の一日が朝食を作ることから始まるから。誰がそう
決めたわけでもないのだが、いつの間にやらそうなっていた。
最も、家族の中で唯一、アスカにとってだけはいつの間にやらではなくそれが当たり前のことで、た
いそう他の二人を悔しがらせてもいたのだが。
ともあれ、シンジは寝ている彼女たちを起こさないよう、そっとふとんから這い出そうとする。
本当なら、まだまだこのぬくもりに包まれてまどろんでいたいところだし、そうしていても歓迎こそ
すれ誰も文句は言わないだろうけど…………
そんなことを考えながら床に右足を降ろしたシンジだったが、
「……ん~~~、シンちゃぁ……」
「ま、マナってば…………」
もう片方、左足に抵抗を感じて見てみると、ところどころツンツンと寝グセのついたブラウンの髪の
少女の指が、きゅ、としっかりパジャマの裾を握っている。
シンジはしっかと握っている指をそっと外して抜けようとする……が、お約束というかなんというか
かなり力強く握っており放してくれない。
「う~~~ん…………」
「うにゃうにゃ、にゃ……」
困った顔しているシンジと、良い夢でも見ているのだろうか、実に幸せそうなマナ。
そんな彼女の顔を見ていると、無下にこの手を振り解こうとしている自分が悪者に思えてくる。
どうしたもんか、と考えていると、ただ握っているだけで満足していたはずの彼女が、次なるアクシ
ョンを引き起こした。
「うにゃっ!」
「わっ!?」
摩訶不思議な気合を入れると、握っていた手を思いきり自分のほうに引っ張る。
完全に油断していたシンジは、無論、為す術もなく引かれた方に倒れこむわけだ。
ぼすっ!
とばかりにシンジは再びふとんの世界へ。
と、いうか、今度のふとんは14歳の少女たちの柔らかく暖かい肉体そのもの。オプションとして当
歳の赤子もついており、まさに理想的な最高の肉ぶとんと言って良いだろう。
しかも、なんとも高機能なことにふとんたちは自律思考を持っていた。
「ん……いかりくん……」
「ばぁかしんじぃ…………」
「むにゅ……しん……ちゃ……」
「う~~、ぶ~~~……あぅ、ぱぁ……」
それぞれ夢に誰を出演させているのか一聴瞭然の寝言を漏らしつつ、少年にまとわり……ではなく少
年を包み込んでくる。
「……………………」
右腕と左足と後頭部にふかっ、とした感触を感じる。やや慎ましい右腕。左足と後頭部は、比べれば
後頭部のほうが少し量感があるだろうか。
なんにせよ、それが甘くて危険な感触であることは言うまでもない。
頬にこそばゆい、絹糸のような蒼銀の髪。
かぐわしく、あまやかに耳朶を打つ微かな吐息。
一生懸命に脚を抱え込む健気な細腕。
身体全体ですがりつく、幸せなぬくもり。
それら全てが朝から彼を満ち足りた気分にさせ、同時に危険と紙一重な気分にもさせる。
前者はともかく……後者のほうは、オトコならまぁ、無理もないのだ。
なんせ朝なわけだし。
(逃げちゃダメだっ、逃げちゃダメだっ、逃げちゃダメだっ、逃げちゃダメだっ!)
心で唸るように念仏を繰り返すシンジ。ちなみになにから逃げてちゃダメなのかは謎である。
「あらあら……シンジってば今日も幸せそうねぇ」
部屋の扉の影からこっそりとその様子を覗いていたユイが微笑みながらつぶやく。
「ホントはシンジと一緒に朝ご飯の支度したかったんだけど……」
いくらなんでもあの場に踏み込むような野暮なマネはできるわけない。
この埋め合わせはまた次の機会に期待するとして、とりあえずピンクのパジャマの上から愛用のエプ
ロンを身につけるユイ。
今日の朝食はスクランブルエッグと香ばしいトースト。そして豆から挽いたコーヒーに決めた。
「ううっ…………どうしろってのさ、この状況…………」
なんにせよ、シンジの幸せで悩ましい早朝はもうしばらく続くらしい。
「ぱぁ……ぶぅ」
なにやら寝言をつぶやきながら、小さなカタマリがはいずって少年の腹に頭をおちつけた。
碇家の早朝は大概こんなモンである。
「え~、であるからして、この公式ではxに値を代入して…………」
教師のやる気なさそうな声と数人のひそひそと話す声とが混じりあう教室。
いつの間にやら舞台は第三新東京市立第壱中学校2年A組の数学の授業となり、時刻も朝からは午後
の12:20になっていた。
もうすぐ退屈な4時限目の授業も終わり、お昼の時間である。
教壇でまるで機械仕掛けのロボットのように教鞭を振る教師の声に耳を貸すものなどいる筈もなく、
クラスメートはそれぞれ好き勝手なことをしている。
もっとも、さすがに堂々と授業をボイコットするわけにもいかず、その反骨りはささやかなものだが。
とはいっても、こちらもさすがというかなんというか、シンジを初めとした例の連中はもちろんそん
な細かいことなど気にする様子もなく、一堂そろって、授業中だということを気にした様子はない。
シンジの隣りでマイと一緒に舟を漕いでいるレイをはじめとして、アスカやマナも既に半分夢の中。
ユイだけは一人ノートパソコンに向かってなにやら熱心にキーを叩いているが、
「うふふふふふ…………」
などと不気味な笑みを漏らしているようでは、到底授業を真面目に聞いているとは思えない。
まあ、彼女の場合はとうの昔に義務教育を済ませているのだから、そもそもここにいることが何かの
間違いなのだが、真実を知っていて、止めさせようとする人間はいなかった。
というより、ただ積極的にツッコもうとする根性の持ち主がいないだけである。
ユイがここに中学生として転校してきてから早3日がたった。
どこからどうみても自分たちと同じ年齢にしか見えない彼女が、既に子持ちで、しかもそれがシンジ
だという話は当然誰も信じなかったし、ユイたちも別に信じられずとも構わないので、無理に家庭の事
情を押しつけようとしなかった。
それよりも、だ。
なによりも問題だったのはユイが可愛らしいことだ。
少しクセのある濃い茶色のショートヘアー。小ぶりな顔の造りはどこまで愛らしく、少しつり気味の
悪戯っぽく輝く瞳。どこか艶っぽい薄い唇は、彼女の全体が持つ大人っぽい雰囲気にマッチしている。
が、身体の造りはまだまだ未成熟な14歳そのもの。
肉体と雰囲気のアンバランスさが醸し出す非常な魅力が、すっかり男子連中の心を捉えてしまった。
おかげさまで転校してきた次の日には、早くも攻勢の手を伸ばす者もいたがユイは、
『ごめんなさいねぇ。私、好きな人がいるのよ♪』
とまあ、そんなこと言って断ってしまったのである。
そうなれば当然の流れで、逆恨みの視線が向かう先にシンジの姿が浮かび上がる。
まあ、無理もなかろう。ユイは四六時中シンジと一緒に行動しているし、時には奥さんたちと同じよ
うにシンジに飛びついたりしがみついたり……とにかくスキンシップを楽しんでいるのだ。
思春期真っ只中の健康中学生男子や、独身街道まっしぐらの中年男子教員からしてみれば、今のシン
ジは許すべからざる超・スケコマーシそのものである。
で、そんな彼らの中でいささか血の気の多い連中が愛と怒りと悲しみのやっかみ感情を素直にぶつけ
ようとして…………
つい昨日、天誅と書かれて校内の伝説の木に逆さ釣りにされた数名が同情の視線を受けていた。
そんなわけで、校内のアンチ・シンジ活動はますます活発化していくのである。
以上のように、本人が意図したつもりはないのだが、ユイの登場は結果として校内におけるシンジの
立場をますます微妙なものとした。
最もこの程度のことをユイをはじめとした女性陣が気にするはずもなく、シンジもシンジで、多少は
あれだったが、さして気にしていなかった。
それほどに今の自分の周囲が充実していたとも言えるか。
それよりなにより、シンジが恐れたのはユイの本当の本命(多分)である父・碇ゲンドウの存在。
今はまだ前回のお仕置きの影響で病院だが、どうせ一両十中にはゴキブリの如く雄々しく復活するのだ。
まさかあのくらいでゲンドウがどうこうなるなど、シンジをはじめ誰も夢にも思っていない。
主治医の榊タイゾウさん(71)ですら、
「なーんもせんでもよかろうじゃ」
と、思いっきり放置プレイに走っている。
話は少しそれたが、復活したゲンドウが第壱中学校校内でのユイの大人気っぷりを知れば、彼がいっ
たい何を考えて、どういう行動に出るか…………ここ数日のゲンドウの自爆っぷりを知る者ならば想像
に難くない。
そんなわけで、このまま放っておいたら、碇ゲンドウ・第壱中学校再臨―――――という誠にイヤす
ぎるイベントのフラグは見事に立てられるわけである。
だが今のところはそのことについては心配していても仕方ない。
シンジはユイから視線を外し、別の机のほうへと向ける。
「トウジ……ケンスケ…………二人ともどうしたんだろう……?」
そこには空っぽの机が二つ並んでいる。
この3日間、つまり、先のシャムシエル戦以来ずっと主不在の状態は続いていた。シンジは『前回』の
こともあって、またあの二人がなにかしでかしたのではないかと心配になっていた。
実際のところしでかしたのは彼の奥さん方なのだが、ダンナはそのことを知らない。
ともあれシンジは二人のことをとても心配している。
「まさかと思うけど…………この間の戦いでまたなにかあったんじゃあ……?」
小さくつぶやくシンジ。
その予想は半分正しく、半分間違っている。
要するに加害者が誰かという認識において。
「「「…………ん……ふぁ」」」
図らずも、加害者3人が揃ってあくびを漏らした。
「はぁ…………」
「……?」
「なによシンジ、景気の悪いため息なんかついちゃって」
ユイお手製の弁当に箸をつけながらシンジが心ここに在らずといった感じでため息をつく。
燦々と降り注ぐ太陽の光の下に、その表情はあまりにそぐわない。
「あら、もしかして味付け間違えちゃったかしらね?」
小首を傾げたユイが自分の弁当箱の中のミニハンバーグをひょいと口に放りこむ。
もぐむぐもぐ
「ん~~~、なんか変かしら?」
「あ、いや、そういうことじゃなくって…………」
「美味しいです…………お弁当」
「マイちゃんも早く食べられるようになるといいね~~~」
「うぶぅぶ……」
マナが人差し指でマイの唇をくすぐる。まだ歯も生え揃っていない口がもごもごと動いた。
シンジとしても、それに異論を差し挟むつもりはない。
母の料理の腕にはまだまだ自分では及びもつかないと、そう思っている。
「で、いったいなんだってのよ」
「え?なにが?」
「なにがじゃなくって、なんでため息なんてついてんのよ」
「ああ……そのこと?」
言われて虚空に視線を向ける。
「トウジとケンスケ……今日も休みだなぁ、って…………なにかあったのかな?」
「「「…………」」」
その二人の名前を出した瞬間、加害者三人の顔にほんの一瞬だけ何かが走った。
「…………さあ?風邪でも引いてんじゃないの?」
「バカは風邪引かないって言うけど、万が一ってこともあるかもしれないし」
「……鬼のかく乱」
「そうなのかなぁ……」
爽やかにすっとぼける3人の言葉を微塵も疑いもせず、シンジはそういうものか、と思ってしまう。
空を見上げると、青く輝くキャンバスに二人の笑顔が浮かび上がる。普通の感性の持ち主ならなるべく
勘弁願いたい光景を思い浮かべながらつぶやく。
「風邪が治ったら、戻ってくるかなぁ…………」
「残念だがそれはないな」
「「「「「!?」」」」」
「?」
突如、背後から聞こえてきたトーンの低い声に、5人+1人が振りかえる。
正直言って、対人戦闘に関してもそれなりの実力を持つチルドレンとプロであるマナ。加えて、根拠は
なくとも天下無敵の碇ユイをして気配を気づかせないとは…………只者ではないはず。
アスカとマナはいつでも動けるようわずかに腰を浮かし、シンジとレイはフィールドを即時に展開でき
るよう外部への心の壁を強くする。
そしてユイは、懐の秘密アイテムを使うチャンス!とばかりに口の端を持ち上げていたりした。
臨戦体制で構えるシンジたちに、屋上のコンクリートを叩くブーツの音が一つ、一つと近づいていくる。
そしてその人物は、シンジたちから見てちょうど逆行の影から外れるギリギリのところで立ち止まる。
「残念だが、もう彼が君たちの前に現れることはない……」
姿を晒したその男――――今なら男とわかる――――は果たして、
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「…………へんたいさん?」
ぽつりとつぶやくレイの一言で全てを説明できるような気がした。
「……へんたいさん、ではない」
無感情に返す男だったが、はっきり言って説得力は皆無である。
なにせこのくそ熱い真昼間の日本において、全身を覆う黒一色のマントを羽織り、これまた真っ黒なバ
イザーをかけている人間など、へんたいさん以外のなんだと言うのか。
街中を歩こうものなら、速攻で職務質問である。
とりあえず、いろんな意味で愕然としている一堂の中で、一番最初に声をかけたのはやはり彼女。
「ところでそう言うあなたはどちらさま?シンジのお友達…………確か相田ケンスケ君だっけ?彼のこ
とを知っているみたいだけど」
「ああ…………彼のことは良く知っている」
ケンスケの事を良く知らないユイの問いに、男はやはりなんの感情も見せずに答えた。
まるで自分の心を遠いどこかに置いてきてしまったような…………そんな暗さがある。
ていうか。
「ケンスケだろ?」
「………………」
「どっからどう見ても相田のバカよねぇ」
「………………」
「その天然アタマといい、ソバカスといい…………」
「………………」
「……やっぱりへんたいさん」
「………………」
無言の男。返す言葉もない、といったところだろうか?
そう。黒マントに黒バイザーの謎の男…………その正体は、彼を知る者ならば一目でバレバレ、風邪を
引いて第三新東京市より行方不明となっていた、相田ケンスケその人であった!
…………もっとも、本人はそのことを認めていないが、状況証拠だけで十分である。
「どうしたのさケンスケ、そんなカッコして。風邪引いてたんじゃなかったの?」
「……君の知っている相田ケンスケは死んだ…………彼の生きた証、受け取って欲しい」
「なにワケのわかんないこと言ってんのよ。バッカじゃないの?」
『生きた証』を差し出す男に容赦のないアスカ。
それにしてもモデルガン一丁が『生きた証』とは、ずいぶんと貧相な人生である。
「ところでケンスケ、いつまでもカッコつけてないで、それ外したら?暑くない?」
「……違うんだよシンジ」
バイザーを指して言うシンジに、ケンスケはあくまで路線をずらさぬまま寂しく笑う。
そしてそのバイザーにそっと指をかけ、
「ヤツの改造で頭ん中かき回されてね…………それからなんだ」
「「「「……!」」」」
外して現れた顔は確かにケンスケのものだった。しかしそのあまりに変わり果てた姿に一同は息を飲む。
「……まあ♪」
いや、若干一名、感動の声を漏らしていたようだが。
「感情が昂ぶるとね……光るんだ。ぼーっとね…………マンガだろ?」
「いや……マンガ……っていうか」
「どっちかって言ったら特撮よねぇ♪」
ケンスケが外したバイザーの向こう側ではウル○ラアイが光って……いや、フラッシュしていた。
ユイが感激するのも無理はない。
「……もう君に野戦食を作ってやることはできない……………………ウッウッウッ………………」
ルルルー、とばかりに変わり果ててしまった自分に涙するケンスケ。
フラッシュするウルト○アイの輝きに反射して、涙が妙にきらきらと輝いていた。
「……で?あんた、今までどこでなにしてたのよ」
「言っただろ……ヤツの研究所でモルモットにされてたのさ」
再びバイザーをかけながら、アスカの問いに答えるケンスケ。
「ヤツ?」
「ああ…………俺とトウジに悪夢のような実験を施したヤツ…………」
「実験……ねえ?」
「この第三新東京市で、こんなマヌケな実験するような科学者っていったら…………」
「あの人くらいだね…………」
はぁ……と深いため息をついて呆れるシンジ。
「リッちゃんもお茶目さんねぇ。こんな楽しいことしてるなら私も呼んでくれればいいのに」
「……ちっとも楽しくなんかないッス」
「母さんてば…………いちおう本人の前なのに」
今更、この母親に常識的なことを説いても意味が無いことなど知ってはいるが、それでも言わずにいれ
ない、唯一の常識人・碇シンジ。
この母とあの父から生まれたとは思えないほどである。
「んで?なんでまたこんなところにこんなカッコして出てきたわけよ?」
「あと鈴原君はどうしたの?」
続けざまに問い掛けるアスカとマナに、ケンスケは小さくを息を吸って吐く。
「……まずトウジはネルフの病院で入院中だ。VIP用の特別病棟でな…………」
「VIP用?」
「ネルフでも特別な地位にいる人間…………わたしたちチルドレンや幹部クラスの人間専用の病棟よ」
まだあまりネルフの内情に詳しくないマナが首を捻り、入院回数に関してはネルフでもトップのレイが
それに答えた。
「ふぅん…………鈴原君がVIPねぇ……?」
「ま、確かにあいつもチルドレンだったけど、それってまだ先の話しよね」
さりげにとんでもなく重要なことを漏らしているアスカだったりするが、幸い、ケンスケはそのことに
気づかない様子で自分の話を続けた。
「そして俺がこのマントを羽織っている理由だが…………」
その場でばさりと翻し…………似合ってない。
「復讐者といったらこの恰好だろう……ま、トレンドだったのは結構前の話だがな」
「フクシュウシャ……?なにそれ」
「復讐って、ケンスケ…………なんだよそれ!?」
あまりに聞き捨てのならない言葉にシンジが素早く反応する。
対してケンスケは、そんなシンジにも毅然と、
「シンジ…………お前にはわからないだろうな…………俺は、俺をこんな身体にする原因を作ったヤツ
を許さない…………………………あ、いや、別にそういうわけじゃないから、そんな目で見ないで?」
弱気な態度で返答した。理由は言うまでも無いだろう。
「……?どうしたのケンスケ」
「い、いや、なんでもないなんでもない…………ともかく、そういうわけだ…………」
言って身を翻したその先は、鉄の扉で閉じられた屋上の出口。
「ケンスケ!どこに行くつもりなんだよ!?」
「…………言っただろう」
「復讐なんてそんなの…………なにも意味なんてないじゃないか!!」
「わかっている。でもそうしなければ俺は先に進めないんだ…………」
あまりにも唐突に、しかも局地的に発生したシリアスな雰囲気が二人を包む。
が、その実、全然シリアスでなかったりする。
「俺はもう…………止まれないんだよ、シンジ…………」
「ケンスケェェェェ~~~~」
無駄に寂しげな笑みを残して屋上を去っていくケンスケの背中にシンジの声が突き刺さる。ちなみにシ
ンジは思いっきり本気でこれをやっているのだから、結構スゴイものがある。
ある意味で天然といえよう。
「……どうでもいいんだけど」
思いっきり外した新人お笑い芸人のギャグを見ているかのような口調でマナがポツリとつぶやく。
「結局、あの人なにしに来たわけ?ここに」
「さあ?バカの考えることなんて、あたしにわかるわけないじゃん」
というわけで放課後。
「ねぇ、ケンスケ……いったいどこに行くのさ」
「……ついてくればわかる」
あのあとケンスケは結局、授業に出席していった。廊下で先生に見つかってとっ捕まったのだが、あの
カッコで最初から最後まで授業を受けていったのだからある意味大物ではあるのだが……
もはやクラスメートの連中が、そんな彼にツッコミの一つも入れなかったのが、2-Aというクラスの
特異性を端的に表していた。もっとも、そんなイヤな特異性を身につけたのはつい最近であって、もとも
と彼らがそんなアレな感性の持ち主ではなかったということを名誉のために明記しておく。
……話をご一行に戻そう。
既に何度も乗り慣れたリニアトレインを使ってジオフロントに降り立った一行は、ケンスケの後をひた
すらついて歩いていた。
少女たちにしてみれば、ケンスケが何をするかなど別にどうでも良いのだが、シンジがケンスケについ
ていっている以上、無視してほかのことをする気にはもっとなれなかった。
良い意味でも悪い意味でも、彼女たちの行動指針はシンジ中心なのだ。
「……ついたぞ」
「ここって…………」
「病院じゃない」
ずどぉぉぉぉん……というほどでもないが、とにかく眼前に聳え立つやたら立派な建造物。その名も誰
がつけたかネルフ病院(仮)。
「仮名なんじゃないの」
地の文にツッコミつつ、ユイと彼女の腕の中のマイがその建物を見上げる。
実はリツコの支配下に置かれていると言われている、ネルフの鬼門の一つ…………直上に暗雲が立ち込
め、雷光が轟いているような気がするのは、きっと気のせいなのだろう。
ここ、地下だし。
同じように上を見上げていたシンジの首が、横に向き直り口を開く。
「ケンスケ…………こんなところにいったいなにが?」
「……………………」
ケンスケは答えず、ただ見上げるのみだったが……しかし、そのバイザーの奥でフラッシュが輝いていた。
彼の感情が昂ぶっている証拠である――――――かといって緊張感は全くないのが哀しいところだ。
「ケンスケ?」
「俺は行く。ついてくるのなら好きにしろ…………」
全く似合わないシリアスモードを発揮して、ケンスケは病院の正面玄関に歩を進める。
その黒い背中にシンジが叫ぶ。
「ケンスケ!!」
「シンジ…………言ったはずだ。おまえの知っている相田ケンスケは死んだ…………と」
しかしシンジの意など気にも留めず、ケンスケは逝く。
「ケンスケぇ!」
「無駄だッ!」
「っじゃなくて、そんなんじゃぁ!」
シンジ以外、完全に傍観モードに入っている一行を振りきるようにケンスケが走る。
己の暗い想いを昇華させるために直疾る。
走って、疾って、走って、走って、疾って、走って、疾って……………………
「キサマッ!ここでいったいなにをやっているかっっっ!?」
「なんだおまえら!俺の邪魔をする気ならば容赦しないぞっっ!!」
「なんだとっ!?おいっ!正面玄関前に不審者だっ!全員集合~~~~~っっっ!!!」
「ぬっ!?さては俺の邪魔をする気だなッ?来るならこいっ、悪の木星蜥蜴めっっっ!!!!」
「なにワケのわからんこと言ってるかっ!全員、とっかん~~~~!!!!」
「おっ、おのれっ!おっ、おっ、おぉぉぉぉぉ~~~~~!?」
「…………だから言ったのに」
黒ずくめの漢たちにもみくちゃにされる黒ずくめを眺めながらポツリとシンジ。
職員たちに恐れられているとは言ってもそこはそれ。いちおう、国際組織直轄の病院なのだから厳重な
警戒体制が敷かれているのは至極当然。
となれば、黒ずくめのアレが登場すればああなるのも至極当然なのである。
「話がぜんっっっぜん、先に進まないわねぇ…………」
はぁ……と深いため息をついたのはいったい誰だったか。
もしかしたらそれはその場の誰でもなかったかもしれない。
結局、その後の展開を期待したユイがとりなしたことでその場は事無きを得て、舞台はようやく院内に。
が、やはり黒ずくめは目立って仕方ない。
ネルフ直轄とはいえ、いちおう一般の利用客も居るために、無論シンジたちはその身いっぱいに視線を
浴びることになる。居心地悪いこと夥しい……はずなのだが、それはシンジだけのようだ。
良い意味でも悪い意味でも、ンなこと気にしない強者ぞろいの一行なのである。
まあ、それは置いといて、一行の三歩ほど先を歩く当の黒ずくめ・相田ケンスケ。
先ほどからなにやら感情昂ぶりまくリらしく、顔面もフラッシュしまくりで、あたりに輝かしい閃光と
迷惑を振りまいていた。
「ちょっとアナタっ!病院内でフラッシュを焚いて歩かないでくださいっ!そこに書いてあるでしょ!?」
「す、すいません…………」
と、婦長さんに注意されても、所詮は中学生。感情のコントロールなどできようはずもなく、白衣のナ
ースさんたちに白い目で見られていた。
そうこうしているうちに、
「……ここだ」
「ここって…………こんなところあったっけ?」
辿りついた目の前に聳え立つは、あからさまに不吉っぽい黒塗りのドア。
いちおうVIP病棟にある病室の一つのようだが、少なくともシンジはこんなところに来たことはない。
「この中にケンスケの……?」
「ああ」
簡潔に答え頷くケンスケの顔を見て、まぶしげに目を細める。彼の感情の昂ぶりは益々もって激しくな
っているようだ。
…………珍妙な光景である。
それにしてもあまりに不安を掻きたてるような扉である。そもそもシンジは黒という色が好きではない。
その色は、過去に何度も不幸と恐怖をもたらした色だったからだ。
だいたい、人は自分の知らないもの、見たことのないものには根拠のない不安を抱くのが普通だ。
「ねえ、母さん。ここって…………母さん?」
その不安をなんとか消そうと振りかえったが、
「?……綾波、母さんは?」
「いないわ」
「いないわ、って…………いつの間に?」
「いつの間にか」
「あーあーう~~~」
さっきまでそこでマイをあやしていたユイが、正しくいつの間にか消えており、マイはレイの腕の中に
小さく収まって笑っていた。
「ついでにアスカとマナもいないわ」
「えっ?アスカまで?……どこ行ったんだろう二人とも」
アスカも消えたと聞き、道理で静かだ……などと本人が聞いたらヒスを起こしそうなことを思っていた
が、それはそれとして、マナを含めた三人がいなくなりシンジの胸中には新たな不安がこみ上げてきた。
まあ、要するにいつも通りのアレっぽい予感というやつである。
「う~~~ん」
悩むシンジ。彼女らがまたぞろけったいな騒ぎを起こすと、世間様に多大な迷惑がかかってしまう。そ
れは非常に申し訳のないことだが…………
「……ま、いっか」
とりあえず自分がそれにまきこまれる可能性も低そうだし、一時忘れることにしたようだ。
(……どうせ今からろくでもないことが起きるに決まってるんだ…………絶対)
ある種確信のようなものを持っているシンジ。危険把握能力だけはピカイチである。
はぁ、とため息をつくシンジの横で、レイは頬をうっすらとピンクに染めてなんだか嬉しそう。左腕に
マイを抱きかかえ、右手でシンジの袖をちょん、と摘むように握っている。
ついに訪れた親子三人水入らず、という状態にいっぱいの幸せを感じているようだ。
ちなみに、ケンスケの存在など無意識化で排除しているのは言うまでもない。
「シンジ」
「あっ、なに?」
「……………………」
「おまえは…………って、な、なんだ綾波……」
「……………………」
バイザーの奥を激しく輝かせている彼女の視線は、雄弁に語っていた。
(何故わたしと碇君の邪魔をするの?そう……あなた、敵なのね。わたしと碇君の邪魔をする敵、敵、
敵、敵、敵、敵、テキテキテキテキテキテキテキテキテキテキ………………)
シンジから見えない位置で強烈に綾しい笑みを迸らせるレイ。
ケンスケが物理的に排除される日もそう遠くないかもしれない。
「と、とにかくだ…………行くぞシンジ」
「?……うん」
ケンスケが何に怯えているのかさっぱりわからないシンジは、彼の様子に首を捻りながら黒い扉が開い
ていくのをじっと見つめた。
「これが真実だ…………」
「…………何も見えない?」
開いた先に広がる漆黒の空間には暗澹とした空気が濃密に漂い、否が応にも冷たい汗を吹き出させる。
死の匂いがシンジの嗅覚を突き刺し、慣れ親しんだ感覚がその身を浸した。
すなわち、おいたわしい感覚である。
(…………もしかして父さん?)
戻ってきて以来、知る限り最も惨い目に会わされている父親の姿が脳裏に浮かんだ。
『うっうっうっ…………ユイ、私は悲しいぞ…………』
脳裏の父は何故かさめざめと泣いていた。
「シンジ…………こいつだよ」
「……………………」
ケンスケの声に、父を余所にうっちゃって暗闇に目を凝らす。
「こいつのせいで俺は…………俺はっ……!」
「……!?」
バッ!
二筋の光の剣が部屋に突き立って、落ち窪んだ暗闇を切り裂いた。
「……そ、そんな…………なんで、なんでケンスケの……?」
「こういうことだ……シンジ」
「………………」
「あう?」
剣の切っ先は部屋の中のある一点を鋭く抉り、そこにある存在を、逃げること叶わぬように光の中に張
りつけていた。
許されざる罪を犯した咎人。
「…………そんな…………トウジ」
目の前の光景が信じられず、小さくかぶりを振って否定しようとするシンジ。
「ふぁ……ぁぁう……あうぅ」
一方、マイは全く興味なさげに小さくあくびを漏らすのだった。
数刻後―――――――
ネルフ本部
「はぁ…………」
「どうしたのよシンジ。景気の悪いため息なんてついちゃってさ」
「ちょっとね……」
発令所でプラグスーツに着替えたアスカが、シンジの腕を胸に抱え込んで顔を覗きこむ。
一方制服姿のシンジは、そんな柔らかい感触に包まれていることにも気を留めていないようだ。
「あそこで何かあったわけ?もしかして相田の馬鹿になんかされたとか」
「されたというか、なんというか…………」
脳裏に思い返すは、数刻前のまっっっこと馬鹿馬鹿しい―――――――
『と、トウジ…………?』
『ああ……俺はこいつのせいでこんな身体にされたのさ』
『そ、そうなんだ…………それはまあ、ともかくとして』
『……どうして埋まっているの?』
そう、彼は病院の床から首だけ出して埋まっていた。……別に石っぽくなっていたりはしないのだが、
なんとなく、雰囲気が言うなればコンクリ男、といった風情だ。
そして額には燦然と輝く肉の一文字。
『俺がこんな目に合っているというのに、元凶のコイツはこの程度で……!』
『……程度としてはどっちもどっちだと思うんだけど…………』
『なんだとっ!?所詮、キレイな身体のおまえにはわかるまいっっっ!』
まあ、確かにこの屈辱は、受けた者でなければわからないかもしれない。
『う…………』
と、その時、コンクリ男が目覚めた。
『あぁ~ら、バカトウジ。ようやくお目覚めねぇ』
『誰だよそれ……』
『バカはあなたも同じ……』
『な、なんやここは…………わいは確か……?んんっ!?』
しばしぼんやりとしていた焦点が、やがて一箇所で止まる。
『……ふあ?』
どこかは言うまでもない。
『マイはんッ!わいのためにこないなむさいところに来てくれはったんですねっっっ!?わいはっ、
わいは三国一の果報モンですっっ!』
『また…………』
始まってしまった異常な展開にシンジがため息をつく。顔色を赤くして鼻息荒くしているケダモノか
ら、マイとレイをかばうように背中に隠しながらも落ちついているのは、
『ぬっ……ふんっ!な、なんや!?動けッ、動くんやわい!わい!?何故動かん!!?』
『そりゃあ、それだけ見事に埋まってれば動かないと思うよ…………』
どれだけふんが、と頑張ってみても、自由になるのは首から上だけという保険があるからか。
『ふんっっっぬぅぅぅ~~~~~~』
だがこれ以上ないほどに珍妙で不気味な動きは、はっきり言って健康に悪いこと夥しい。
『碇君。殲滅してもいい?』
『……気持ちはわかるけど、とりあえず我慢して』
『…………碇君がそう言うならそうする』
あからさまに気分悪そうなシンジと、怜悧な表情に眉をひそめて感情を表すレイ。
だが、マイはなにやら目をきらきらと輝かせて見入っていた。信じられない、というか、趣味が悪い
というか、どうやらこの珍妙な動きがお気に召したらしい。
……間違ってもトウジ自身がお気に召したわけではないことは、彼女の名誉のために明記しておく。
そして最後の一人は、
『……トウジ』
『ふんっ、ふんんんぬぅっ?…………って、なんやケンスケか。今忙しいから後にしといてんか』
『……………………』
『ふんがーーーっ!!!マイは~~~ん、今行きまっせ~~~~~~!!!!』
『……くくくっ』
わき目も振らずにふんばりまくるトウジを見下ろし、ケンスケが薄く、酷薄な微笑を浮かべる。
『くくくくっ、あはははははっっっ…………』
『ケ、ケンスケ?』
ひとしきり笑い声を上げると、
『シンジぃっ!!!』
『なに?』
『お、俺の生きた証をっっ!生きた証を今こそ返してくれッッッ!!!!』
ぶわっ、と振り向くと、ジャキーーーン、カモ~~~ン!とばかりに右手を突き出す。
んが。
『それならさっきアスカが捨ててたわ…………どぶに』
『なにっ……』
ケンスケショック。右手もしんなりとしてへなっ、となった。
まあ、生きた証、自分の人生の象徴が既に亡き者とされていれば無理もなかろう。
『あ、アレは高かったのに…………お小遣いはたいて買ったのに…………』
『売ってるんだ……人生の証って』
『な、ならばっ!ここは漢らしく己の拳でっっっ!』
『ふんんーーーっぬぶっっっ!!?』
勢い良くトウジの後頭部にケンスケの拳が打ち下ろされ、鈍い音が奏でられる。
『な、なにひゅるんひゃケンひゅケっっっ!?ひた、かんれしもたやないひゃいっっっ!!!』
『ふっ…………何を言っているのかはさっぱりわからんが、とりあえず俺はおまえの知っている相田
ケンスケではないっっっ!おまえの知っている相田ケンスケは死んだっっっ!!!』
一声吼え、表情を覆っていたバイザーを外し投げ捨てる。
顕れた素顔は…………面白いくらいに輝いていた。
『なんややっぱりケンスケやないか』
『………………』
『でもずいぶんとおもろい顔になったのぉ…………やっぱそれも趣味なんか?』
自分もおもろい顔になったとは露知らず、そんなことを言うトウジ。
『でも趣味やったら止めたほうがエエと思うで?はっきり言うたると、ヘンや』
『ふっ……ふふふふふっっっ…………』
『なんや?どしたんやケンスケ?……にしてもまぶしいのう。もうちっと調節してえな』
現在のケンスケの顔面の構造がどうなっているのか知らない自分の一言一言が、顔面フラッシュの光
量を増やしていき、もはや限界一杯一杯となっていた。
当然、ケンスケの堪忍袋の緒も、限界一杯一杯まで伸びていた。
『やはりキサマは俺の宿敵っっっ!!覚悟しろ悪の木星蜥蜴ーーーーっっっ!!!!』
『は?なにわけのわからなべっ!!?』
『うふわはっはーーーーっっっ!!復讐するは我にありっ!!!』
がんっ!がんっ!がんっ!がんっ!がんっ!がんっ!がんっ!!!!
『べっ!べらっ!なっ、なにするばっ!ケンスぶっ!!!!』
『言ったはずだっっっ!俺はおまえの知っている相田ケンスケではなーーーいっっっ!!!!』
『……………………』
『……………………』
『……………………』
目の前で展開する一方的な復讐劇を、妙に冷め切った目つきで見つめる三人。
『なんかさ、場違いだよね、僕ら』
『…………(こくん)』
『ぶべっ!ぶべべべべっ!え、ええかげんにせえや!!お、おまえなんぞこうしたるっっっ!!!』
かぶっっっ!!
『!?痛ッッ!?か、噛んだねっっっ!!?』
『噛んでなにが悪いんや!オノレはええ!そうやって光っとれば気が晴れるんやからな!!』
『お、俺だって好きで光ってるわけじゃない!!』
『まだ言うかっっ!』
かぶーーーーっっっ!!!
『うわぁぁぁっ!?に、二度も噛んだ!父さんにもかじられたことなかったのに!!!』
『『………………………………』』
途中からキャラクターの変貌したケンスケとトウジ。
その二人をぼんやりと見ながらシンジはつまらなそうにつぶやいた。
『綾波、そろそろネルフにいこっか』
『そうね……』
『あぶ……あぶぅ』
そうしてシンジたちが立ち去った後も、その部屋から二人のバカの声が途切れることがなかった。
『『ぬがががががが~~~~~~っっっ!!!!!』』
「――――――っていうことがあってね。少し疲れてるんだ」
「あんたもバカねぇ……あんなのにつき合ってたら疲れるのあったりまえじゃない」
「仕方ないじゃないか……成り行きだったんだから」
「大変だったんだね、シンちゃん」
「あ……マナ」
後ろからひょこ、と顔を出してきたマナはシンジと同じく制服姿でくふふ笑いを張りつけている。
なんだかイヤ~な予感……というか防衛本能というか、をアスカが感じる暇もなく、
「ならわたしが癒してあげるっ♪」
とばかりシンジの背中にべったり張りつき、摩擦熱で火ぃ吹くんじゃないかってばかりの勢いで頬擦り。
「だぁーーーっ!あんたはどうしてこう、いつもいつも隙あればシンジにひっつくのよっ!!!」
「いいじゃん別に。そう言うアスカだってシンちゃんの右っ側一人占めしてるくせに」
「あ、あたしはいいのよっ!なんたって……なんたってシンジのお嫁さんなんだからっっっ!!」
「ぶーーーっ!それだったらわたしも同じですっ、理由になってませ~~~ん」
「うぬぬぬ…………」
「はぁ…………いいんだけどね」
なんだか益々疲れたような顔をしてため息をつくシンジだったが、美少女二人をかぶりつかせといて
それは、人類の敵というものである。
(綾波とマイと三人だけでまだ良かったかもなぁ…………アスカたちがいたら絶対、トウジたちもた
だじゃ済まなかったろうし…………?)
なすがままでそんなことを考えていたシンジだったが、ふと思い出したことがあった。
「ねえアスカ、マナ」
「「ん?なに?」」
「母さんもそうだけど、いきなり居なくなってどこ行ってたのさ」
「ああ、病院で?」
「うん。誰かのお見舞いにでも行ってたの?」
そうは言ってみたものの、二人ともまだこの街に来て日が浅い。と言えばシンジも同じなのだが、そ
もそも前回、彼女たちはこの時期まだドイツ、第二新東京、初号機のコアと別々に遥か遠くに居たのだ。
病院に見舞うような知り合いがトウジたち以外にいるとは少し考えにくい。
トウジたちにしろ、具合を見舞うというよりは、一発見舞うと言ったほうが正しいのだし。
「……シンジ、気になる?」
「まあ、そりゃあ……」
「そうねぇ…………そう。例えば、例えばよ?」
「う、うん」
なにかよからぬことでも思いついたのか、小悪魔めいた笑みを浮かべているアスカの顔が妙に可愛ら
しくて、少し頬に血を上らせるシンジ。
またその一方で、何を言い出すのかと少しばかり緊張もしていた。
「例えば…………あたしが病院で男と会ってたって言ったら………………どうする?」
「えっ……」
「えええぇぇぇっ!!?」
前半シンジのどこかあ然とした声と、後半マナの大げさな一声である。
「アスカが男の人と……?」
「そ…………どうなの?」
聞く、アスカの声には大きな期待と、ほんのわずかな、小指の先ほどの不安とがないまぜになってい
る。見ればマナもいつの間にか少し真面目な顔をして耳を傾けていた。
しかし肝心のシンジはといえば、彼女らのそんな様子など気づく風もない。
(おとこ…………男。ヲトコ、漢の子。
みんな男。どれも同じだけど微妙に違う気がする…………………………じゃなくて!)
特に一番最後のはだいぶ違う気がしながらも、そもそも論点が違うことに気がついてかぶりを振る。
「ア、アスカっ!?そ、それってホントの話なの!?」
「え?えっ!?」
「だ、だからその……お、男の人と会ってたって!」
思いもよらぬほどに取り乱し、両腕をがっしと掴んで迫るシンジに驚くアスカ。
「いや、だからそれは例えばで……」
「例えばでもなんでもそんなのダメだよ!」
「!……な、なんで?」
驚き一転、今度は期待の面持ち。ついでにマナも一転してどこかぶーたれた顔に。
「だ、だってアスカはその、僕の…………」
「……シンジ」
「あ!え、えっと……」
今更ながらにこっぱずかしいことを口走ろうとしていたことに気づき、顔を真っ赤に染め上げる。
アスカもアスカで、話を振った方が薔薇色に色づかせて艶っぽさを演出している。
「……………………」
「……………………」
お互い黙り込み、顔を合わせようとせずとも時折ちらりちらりと窺い合う様はとっても初々しく、
微笑ましいカップルの構図そのものだったが、得てしてこうした構図ほど、ハタから見ててやってら
んねーものはない。
まして今回は一方に想いを寄せる多感な少女である。
「うー」
「「……………………」」
「うー、うー……」
「「………………………………」」
「うぅぅ~~~~~………………わんっ!」
吠えた。そして飛びかかった。
「わっ、ま、マナ!?」
「シンちゃんずるいっ!アスカばっかりご贔屓なんだっっっ!」
「ご贔屓って……別に」
「な、なによ!それのどこがいけないのよっっ!」
「ずるいっ、ずるいずるいずるいっっっ!!」
「あーもー、わかったから落ちついてよマナ」
とかくだだっこほど、その手に負えないものはない。特にマナは、それまでの反動からかちょっと
子供っぽい面が強く、シンジ+その他の苦労もひとしおである。
ごしごしと首筋に額をこすりつけるマナの頭を、子犬にするように撫でてやりながら、
「それで結局、どこに行ってたんだよ」
「え?あ、ああ……ほら、確かもうすぐ第五使徒が来る頃じゃない?」
「……ラミエルか」
「うん、それでユイママとそこのマナとで考えて、チョットした準備をしてたのよ…………って、
ほらいい加減あんたも離れなさいよっ!!!」
「準備って……」
マナの頭を力づくで引き剥がそうとしているアスカを見やりながら首を捻るシンジ。
ラミエルは手強い。数ある使徒の中でも、攻撃力だけを見れば最強だろう。例えば、今のシンジが
『使徒として』全力を出したとしても、及ぶべくもない。
だから彼女の言う通り、何らかの前準備は必要だろうが、第四使徒戦で判明した通り、今の使徒は
前回の使徒と明らかに能力が異なっている。
「どんななの、アスカ?」
「うぬぬぬっ……いたっ!引っ掻くんじゃないわよッ!!……ってなによ!?今忙しいんだけど!」
「いやまあ……それはよくわかるんだけどね。とばっちり僕のほうにもきてるし…………」
「じゃあ、後にしてっっっ!」
「はいはい……それはいいけど、もう少し手加減してくれないかな…………」
横っ面に余波をモロに食らいながら、シンジはため息をつく。
どうせ母と彼女らの考えたことである。自分がいくら悩んだところで判るような常識的なもののは
ずがないし、今更止められるはずもない…………なんてことを考えていた。
これを心の成長と評価するか、単に諦めがついているだけ、と評価するかは人それぞれだろう。
さて、ネルフに到着してからもいろいろとあったが、そもそも本日のメインはレイの零号機の起動
実験であり、そして港の事故現場から回収したアスカの弐号機の起動実験なのだ。
とは言っても、起動に関して特に誰も心配はしていなかった。
確かに一ヶ月前の零号機の起動実験では起動に失敗し、零号機は暴走、レイが重傷を負うという結
果に終わっていたが一ヶ月前のレイと今のレイとでは事情が異なる。
彼女によれば魂が時間を遡り、融合したのはちょうどその実験の直後、病院のベッドで目覚めた時
なのだそうだ。アスカの場合は、逆行前でもシンクロ率に差こそあれ、起動に問題はなかったのだ。
なので、発令所から起動準備に入っている黄色と紅の機体を見るシンジも、安心して見ていられた。
「零号機、弐号機ともに起動準備整いました」
「ん。それでは起動を開始してくれる」
「了解」
一般職員の間では第四使徒戦にて名誉の負傷と伝えられているゲンドウと冬月の代わりに発令所の
指揮を採るユイの声。まだあどけなさの残り、ながらも包容力を感じさせる声に命ぜられているとい
うだけで、発令所の士気は冗談抜きで普段の200%であった。
シンジはそんなたまの立派な母親の姿が、少しだけ誇らしかった。
そして彼の隣りに立つマナはというと。
「ねえ、シンちゃん」
「ん?なに?」
腕の中に眠るマイの髪を梳りユイと同じ、否、それ以上の包容力を以って抱くマナが、天使のほっ
ぺたをこしょこしょくすぐりながら、年若い夫に話しかける。
「エヴァンゲリオンに乗って戦うって……どんな感じかな?」
「え?どうしたのいきなり?」
「うん……」
ちゅちゅ、と小さくぷよぷよした指をおしゃぶり代わりにしているマイをいとおしげに見下ろして
いるその横顔に、どこか憂いの色を見つけてシンジが眉をひそめた。
「……なに考えてるの?」
「……………………」
「気にしてるんだ。自分だけエヴァに乗れないこと」
「うん」
やはりすぐに見ぬかれた。そのことに少しだけ誇らしい気分になりながら、素直に頷いた。
少し離れたところでは、発令所の優秀なオペレーターたちが一つ一つ確実に起動のプロセスを進め
ているのが見て取れる。彼らの報告する声が一つ挙がるたびにユイの声が重なり、エヴァに生命が吹
きこまれていく。
そしてその巨人たちを操るのは綾波レイと惣流・アスカ・ラングレーの両乙女。
いつもは自分と同じ立場にいる二人は、この時は立場を異にしていた。
この二人……いや、シンジを含めて三人は、エヴァに乗っている時はチルドレンと呼ばれる戦士だった。
そして自分は、言ってしまえばネルフに身の置き場のないただの一般人だった。それがそうでない
のは、ここにシンジやユイがいるからにすぎない。
『自分はシンジの戦いの役には立っていない』
ネルフに身の置き場がないということは、つまりそういうことである。
言えばシンジはきっと否定してくれるだろう。アスカは怒るだろうし、レイは静かに嗜めるだろう。
誰かがこんなことを言えば、きっと自分も馬鹿なこと、と笑い飛ばしているのは間違いない。
だから、
(単純にヤキモチなんだろうな、これ)
マナはこの気持ちが、自分だけシンジの隣りにいられないことから来る悋気であろうことは重々承
知していた。自己嫌悪すら抱いてしまうほどつまらない……と感じている気持ちだ。
(こんなことまでバレてないよね…………さすがにちょっと恥ずかしいし)
顔を上げてシンジの顔を窺うと、優しい色を湛えた黒耀の瞳があった。
(……だいじょぶみたい)
「あのねシンちゃん……」
「うん…………」
話しはじめたマナの瞳を、やはり穏やかな色で見つめシンジが応じる。決して促すわけでなく、た
だ相手の語る想いのままを受け止めてくれる。そう、相手に思わせるのがシンジだ。
「わたしね、あの二人が羨ましいんだ」
「……綾波とアスカが?」
「うん…………っていうか、シンちゃんのこと助けてあげられることが。わたしだけシンちゃんの
こと助けてあげられない」
「そんな」
――――ことはない、と言いかけたシンジの唇に細い指が押し当てられる。
「わかってるってば。ただのないモノねだり」
「……………………」
シンジの唇を塞いでいる指先が、そっとその形を確かめるようになぞり、まさぐる。
少しだけ荒れてるなぁ、とか思いながら存分に感触を楽しみ、
「好きの人のためならなんだってしてあげたいと思うのが乙女心ってヤツなの。それができるのが
女の子にとっては幸せにもなるの。わたしよりもいっぱい感じられる二人が羨ましいだけ」
「…………できれば僕は誰にも戦って欲しくないんだけどな」
「ん。そう言ってくれるシンちゃんがいてくれるから、今のままでも十分すぎるほど幸せなんだけど」
そこで、かなりあからさまな含み笑いを浮かべて二機の巨人を振り仰ぐ。
「だけど、やっぱり少し羨ましいから~~~、やくとくっ!」
今度はぱっ、とシンジに向き直り、その肩に頭をもたれかけさせてごろごろと甘えはじめた。
その瞬間、黄色と紅色の巨人から感じる目に見えないプレッシャーがあからさまに増大したのは、
絶対に気のせいなどではないだろう。
「ん~~~、ふふふふふっ♪」
「まったく……しょうがないなぁ」
『『怒怒怒』』
「ユ、ユイ博士?零号機と弐号機の神経パルスに激しいノイズが走ってるんですけど?」
「あら、別に良いじゃない。少しくらいわかんないわよ」
「そ、そういうものなんでしょうか?」
「そういうものよ。それとも青葉君、あなた馬に蹴られてみる?今なら良い馬紹介するわよ?」
「え、遠慮しとくッス……」
「あらそう?風雲再起はホントに良い馬なのよ?」
(あ、赤木博士まで…………変わったなぁ、ネルフも)
ついこないまでの緊迫感に包まれていた実験風景を懐かしく思いながらもオペレートを続ける青葉。
まあ、何も事が悪い方向に進んでいないのだから、彼にも不満はないのだが、ところ構わずいちゃ
つかれると、独り身としてはけっこう堪えるものがある。
(職場で唯一、同年代の女の子といえば……)
「先輩っ……いつ見ても凛々しいです……」
(これだしなぁ…………ほとほと女運ないよな、俺)
目許をうっとりと潤ませながらも危なげなく手元を動かしているマヤを見て、青葉はふかぶかとた
め息をつく。
そんな彼の心中を見抜いたか、
「青葉君、ちゃんとお仕事には集中してね♪」
「あっ!は、はい!!失礼しました!!」
ユイがやんわりと叱責し、ロンゲに半ばまで覆われた背筋がぴんと伸びる。
なんだかんだ言いつつも、ネルフの現支配者の一声には逆らえないようだ。
「フォーマット、フェイズ2へ移行」
「零号機、弐号機、パイロットとの接続を開始」
「回線、開きます」
「…………零号機、起動しました。シンクロ率91.65%」
「すごい数値ね。まあ、今のあの子なら当たり前なのかもしれないけど。
…………弐号機のアスカは?」
レイの弾き出した数値に感嘆のため息をつきながら、もう一人の少女について問うリツコ。その声
音に聞くまでもないが、といったニュアンスが漂っているのを隠していない。
「弐号機のシンクロ率……0%!?」
「…………は?」
だから、柄にもなく間の抜けた声を出してしまったのも無理はないのかもしれない。
「それは本当なの?誤報とか言うのはシャレじゃないわよ」
「そ、そんなんじゃありません!見てください!!」
報告をした日向の元に足早に近づくと、柳眉をわずかに逆立てて彼の手元を覗きこむ。
「見ての通りでしょう?」
「そうね……シンジ君、見てくれる?」
手招きに応じ、マナと共に端末を覗きこむ。
そこには起動指数には遥か遠いシンクロ率を示す、ある意味残酷な数字があった。
「そんな…………」
「原因に心当たりは?」
「…………」
「シンジ、どんな些細なことでもいいのよ?」
いつの間にかそばに来ていたユイも、珍しく真剣な顔つきで問う。彼女もまた、科学者でありネル
フ技術部の優秀なスタッフであることに変わりはないのだ。
「…………最後の頃のアスカはかなり追い詰められてて」
「精神的に?」
「……うん。僕は…………」
「ストップ。現状、男の懺悔なんてなんの役にも立たないわ。欲しいのは情報だけよ。
過去への無駄な旅行は内面世界だけでやってて頂戴」
「…………」
「それで?アスカちゃんは最後の最後までずっとそうだったの?」
切り裂くような母の厳しい言葉に、シンジではなくむしろ周囲のほうが内心驚いていた。今までの
態度から、てっきり息子には甘いのかと思っていたのだが…………
「シンジ?」
「……アスカは最後の最後には、エヴァに乗ってた。乗って量産機と……それからは言いたくない」
「そう。なら今のアスカちゃんに問題はないと考えるのが妥当ね」
「……とすると、弐号機」
リアリストたちが問題の把握に努めている横で、既に打ち捨てられてしまっているシンジが小さく
ため息をついた。
「シンちゃん…………大丈夫?」
「ああ……大丈夫、なんともないよ。ただ、まだ僕は引きずってるんだなぁ……って思って」
「しょうがないよ……あんなの、忘れようとして忘れられるものじゃないもん」
シンジの裾を摘んでマナが少し身震いする。
「わたしはあの時の当事者じゃなくて、シンちゃんたちの記憶を少しわけてもらっただけだけど、
それだけでもこんなに怖い…………」
つぶやくマナの肩をシンジは黙って抱きしめる。
怖くない、そう瞳で語り掛けてその手に少し力を入れると、彼女の身体から力が抜けた。
「…………うん」
なにやらシリアス気味にらぶらぶやっている外界を離れ、一方の弐号機では。
『ま、ママ…………?』
光の海の中、実に数年ぶりに再会した母。
肉のある身体ではなく、精神のみの再会だったがそれでも彼女の心待ちにしていた瞬間だった。
『あの』時は本当に一瞬のことだったし、今にしてみれば自分も正気ではなかった。だから、よう
やく幸せになれた自分を見てもらえると――――アスカは本当に楽しみにしていたのだ。
だが、その母は……
あまりに変わり果てていた。
『光が…………広がっていく…………』
何がどう変わり果てていたかなど、言葉にする必要はない。問題は、惣流・キョウコ・ツェペリン
が、例によって例の如く普通でなくなってしまったということであろう。
そしてこの様子は、外の発令所にも届いていた。
ヴィ~~~ッ、ヴィ~~~~ッ
『酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠
酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠
酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠
酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠酸欠』
「さっ、さんけつ?なんのことだいったい!?」
発令所のモニターを埋め尽くす『酸素欠乏症』の略語にいまだ非常識な事態に耐性のない日向が戸
惑いの叫びをあげる。
一方、存在自体が非常識な連中はあくまで冷静だった。
「アスカちゃん。アスカちゃん、聞こえる?」
『ユ、ユイママッ?ママが、ママが変なの!!』
「落ち着いてアスカちゃん。キョウコが変なのは最初からわかってるわ」
かつての親友に対し、ひどい言い草もあったもんである。
「それでアスカ、いったいそちらで何があったの?今のあなたでエヴァが起動しないとなると、根本
的な問題になるわ」
リツコが極めて事務的な口調で問いただす。アスカもそれで多少は落ち着いたのか、一つ深呼吸して
「実はかくかくしかじかで…………」
お約束で説明した。
「なるほど、そんなことが…………」
「キョウコったら相変わらずねぇ」
それで通じるほうも通じるほう…………などと無粋なことを考える者ももはやこの場にはいない。
なにはともあれ、弐号機は起動しない。これは厳然たる事実。
「原因はひとまず置いとくとして、弐号機が起動しないということだけははっきりしたわね」
「復帰にはリハビリが必要だということもね」
そしてこの場にはニュータ○プな少年も健気な幼馴染もいたりしない。キョウコ復活までの道程は、
どうやら果てしなく遠そうだった。
「ねえ、シンちゃん?これってもしかしてアスカさんてば戦線離脱ってこと?」
「う~ん…………僕も詳しくは知らないけど2クールくらいはかかるんじゃないかな?」
「甘いわねシンちゃん、3クールはかかるわよ」
『いったい何の話なのよ~~~っっっ!!?』
話のノリのせいか、それとも単にシリアスが苦手なだけか、だんだんいつもの調子に戻りつつあるア
スカ。精神崩壊の憂き目に遭っている母をうっちゃって、何やら妙に生き生きしているのはいかがなものか。
そんなちょっぴりマニアックな会話のその一方では、
「ねえ、リツコ…………あたし、ちょ~っち会話についてけなくって寂しいんだけどさ。いったい
何がどうなったワケ?てか、むしろなんであんたらあれで会話が成立してんのよ」
「愚問ね。常識の範囲内の会話よ。むしろ自分の無知を恥じるべきよ、葛城一尉」
「いや、常識って……あたしゃ、ガッコでも軍のカリキュラムでも学んだ覚えないんだけど」
中途半端に常識人なため、出番が減りつつあるミサトが呆れたようなつぶやいていた。
「あの~~~、すいませぇん……未確認飛行物体が第三新東京市に向けて接近中…………
おそらく第五の使徒なんですけど~~~?誰か聞いてます?…………誰も聞いてないんだろなぁ」
とりあえず、日向の弱々しい使徒接近のほうとともに、
アスカ、戦力外通告
と、あいなった。期待はずれもいいところである。
一方その頃―――――――
「ひとり……さびしい。そう、わたし、忘れられてるのね……ネタに走りすぎて超シカトなのね……
お話の最後……閉めるということ……オチるということ。初めてのはずなのに、初めてじゃない気がする」
冗談抜きですっかり忘れ去られていたレイが、零号機のエントリープラグで二度目のオチを体験していた。
作者の戯言
やれやれというか、なんと言うか…………ちょっと前に完成させていたつもりで、投稿前に見直しし
ようと思ったら、何故か後半の80行余りがぶっちぎれていて、途方にくれた第七話です。
まあ、例によって例の如く、しょうもない内容。いつも以上に中身もへったくれもないモンですが、
本人が書いていて楽しいのでオールOKな作品、ようやく公開です。
ところでちょっと気になっていることが一点。
この『パパ』はギャグ作品であると同時に、ラブ米の要素も含んでいる(つもり)の作品です。シン
ジの恋愛は既に成就してるので、正確なところではコメディの要素のほうが強いのですが、このラブの
部分…………いかがなもんでしょうか?
書いている本人は、これでもかなり赤面満開で書いているのですが…………ちょっと、ご意見を聞い
てみたいなぁ、とか思ったりする今日この頃です。
だってこれ、カテゴリ的には完璧にギャグ『のみ』になりそうだからなぁ…………(^^;)
ぽけっとさんへの感想はこちら
Anneのコメント。
>「まず貴方の場合は前提条件からして外れているわ」
>「フッ……大いなる愛の前に性別の違いなどちっぽけなものさ…………」
カヲルの場合、揉むとかの以前に・・・。
シリコンとか、ホルモンを注入した方が早いんじゃない?(笑)
・・・と言うか、それだけの想いがありながらも自己進化できないカヲルってダメ使徒?(爆)
>思春期真っ只中の健康中学生男子や、独身街道まっしぐらの中年男子教員からしてみれば、今のシン
>ジは許すべからざる超・スケコマーシそのものである。
確かに天然スケコマシは人類の敵ですからね。
・・・って、いや、待てよ。ここのシンジは様々な業によって生み出された世界から還ってきたシンジ。
ならば・・・。天然スケコマシではなく、人工スケコマシっ!?(笑)
>「……君の知っている相田ケンスケは死んだ…………彼の生きた証、受け取って欲しい」
・・・やっぱり(笑)
衣装の描写からまさか、まさかとは思ってはいましたが、やっぱりなんちゃってアキトだったんですね(^^;)
>『と、トウジ…………?』
>『ああ……俺はこいつのせいでこんな身体にされたのさ』
・・・で、こっちはなんちゃってユリカと言う訳ですね?(爆)
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