ぱしゃっ
ケイジの床に濡れた音。その人が濡れた床を踏み鳴らした音。
その足元からオレンジ色の染みがゆっくりと伝わり、広がり、丸い水溜りが形成されていく。
同時に―――――
「はじめましてみなさん。シンジの母のユイです……………………って、あら?」
それを見つめる彼らの脳裏にも、ゆっくりとその光景…………事実が染み渡っていく。
否が応でも。
「母さん」
「ねえシンジ。みんなどうしたの?ハトが豆鉄砲食らったような顔してるけど」
なにかを噛み潰すかのように呼びかける息子の声に、あごに指を当てて小首を傾げる。破壊的に可愛
らしい仕草であったが、幸か不幸か、今この場で心にそんな余裕を持っている者はいなかった。
あろうことか、非常識と不条理を常として行動している例の三人ですら固まり凍り付いていた。
間抜けにも口を半開きにして。
そんな一同と『呆れ然り』といった表情のままプルプル震えている息子とを交代で見やるユイ。
そしてようやく前回のラストを飾った息子のシャウトがケイジに響き渡る。
「かあさん、なにやってるのさ!!」
若干トーンダウンしているような気がするが、気にしないでいただきたい。
「なにって……せっかくシンジを追って母さん環ってきたのにそういうこと言うの~~~?」
一方ユイはシンジの心無い言葉にショックを受けてヨヨヨと崩れ落ち、
「うっうっうっ…………ゲンドウさん、私たちの息子はやっぱり冷たくなってしまいました。昔はナ
ニもかもあんなにちっちゃかったのに、今では母に黙って娘を作るほど立派になっちゃって~~~。な
のに心は狭いのよぉ~~~。これもあなたの教育が悪いせいなんだから。うっうっうっ」
一部不適切な言葉を吐いて涙ながらにハンカチを噛む。
「なっ、なに変なこと言ってるんだよ母さん!そうじゃなくて僕が言ってるのは!」
「……言ってるのは?」
潤み上目遣いで、ユイ。
「なんだってそんなカッコしてなおかつそんなもの持ってあまつさえそんな若いのさ!!」
そう言って指差すシンジの先にいるのは、
セーラー服を着こみ何故か機関銃を持った推定年
齢14歳の母の姿だった。
元ネタは今更言うまでもないだろう。
新世紀エヴァンゲリオン リターン
パパは14歳
第六話 『ババも14歳』
「って、なんなのよこのふざけたサブタイトルは~~~っっっっ!!!!」
「か、母さん落ち着いてよっ!!」
感情の赴くままに機関銃を乱射しようとするユイを羽交い締めにして止める苦労性のシンジ。困った
両親を持つ息子というのも哀れである。
「ふーーーっ、ふーーーっ、ふーーーっ」
「どうどうどう……はい深呼吸~~~、すってぇ~~~~~、はいてぇ~~~~」
声に合わせて素直に深呼吸するユイの胸が大きく上下に動く。
セーラー服の上からなので詳しくはわからないが、何度見てもそこにあるのは14歳の少女に相応し
い慎ましやかな膨らみ。レイ以上、マナ以下……ってところだろうか。
因みに参考までにこの場の女性陣の対比を説明すると、
ミサト>リツコ>アスカ>マヤ>マナ>ユイ>レイ>>>>>マイ
となっている。ホントどうでもいい話だが。
「大丈夫?そろそろ落ち着いた?」
「ふぅ~、ふぅ~~~…………うん、大丈夫。だって母さんこんなに若いもの」
「そうそう、そんなに若いんだから細かいこと気にすることないよ」
なんだか猛獣使いのような心持ちで母親を宥めるシンジの口元にはあからさまな安堵が浮かんでいる。
だが、そんな彼の苦労を露知らぬ親不孝な娘がここにいた。
「ばぁ~~~!」
ぴしっ!と凍りつくユイ。
「ばぁ~、ばぁ~、ばぁばぁ~~~」
「だ、ダメだよマイ!そんなに連呼しちゃあ!!」
さらにまずいカンジに聞こえてしまうから。
事実、孫娘のまっっったく悪意のない言葉の暴力を浴びせられた彼女の心はかなり痛手を負っていた。
「……うっうっうっうっうっ……ひどいわひどいわ~~~。せっかく若くなって戻ってきたのに、全
く意味がないなんてぇ…………」
さすがに孫娘相手にキレるわけにもいかず、シトシトと心の汗を流すばかり。
ところがそんな彼女に救いの手を差し伸べる人物がいた。
ていうか。
墓穴を掘りに来た人物が。
「ユイッ!!!!」
ケイジの入り口から聞こえてきたその声に一同が振りかえる。
そこにいたのは、
「ユイ~~~~~~ッッッッッ!!!!!」
サングラスの隙間から滂沱と涙を流している、現在集中治療中のはずの男。
「ゲンドウ、さん?」
「……半分だけどね」
あまりにも変わり果てたその姿に思わず息子にお伺いを立てるユイに、シンジがこっくりと頷く。
「……!」
そして驚きの表情を張りつかせて振り向くユイに、ゲンドウは感涙のまま優しげに頷いた。
「ゲンドウさん……」
「ユイ……」
「ゲンドウさん!」
「ユイ!」
「ゲンドウさぁぁぁん!!!!」
「ユイィィィィ!!!!」
両手を広げ、満面のゲンドウスマイルを浮かべてリツコ薬の影響で満足に動か
ぬはずの両足を必至に駆り、コンマ一秒でも早く、愛する妻のもとに辿り着こうとする。
さすが前回は妻に会うために人類すら滅ぼそうとした男。見上げた根性だ。
「ユイッ!ユイッッ!!ユイッッッ!!!会いたかった、会いたかったぞぉぉぉ~~~~~!!!!」
「ゲンドウさんっ!」
そんな、ものすごく言いたかないが、ある意味健気な夫をその妻は、
じゃこんっ!
ズババババババババババババババババババババババババババッッッッ
「ぶろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろぉぉぉぉおおお!!!??」
機関銃の一斉放射で出迎えた。
「ほほほほほっ!ゲンドウさんっ!!あなたが今までにしたことは、ぜ~んぶシンジから聞いてるん
ですからねっっっ!!詳しい言い訳は後で聞くとして、とりあえずはお仕置きの前払い分!きっちりと
受け取ってもらうわよ!!!」
「ぶぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぉぉぉぉおおお!!!??」
「鬼の居ぬ間に命の洗濯ですか!?ナオコさんはおろか、リッちゃんにまであんなことやこんなこと、
あまつさえこ~んなことまでしたそうですねっ!!!」
「まっ、待ってくれユイ!話せばわかる!!」
「問答無用!!!」
ズババババババババババババババババババババババババババババババババババババッッッッッ
高らかな笑い声を機関銃の斉射音でかき消しながら、確実に急所に弾丸を叩きこんでいく妻。
お仕置きの前払いとか言っていたが、半ば以上ストレス発散が目的であることは間違いないだろう。
「結局……」
「一体なにがどうなってるわけ?」
「話が全然見えてこないわ…………」
目の前で繰り広げられる惨劇を至極冷静な目で傍観しながら、三人娘がぽつりとつぶやく。
まあ、なかなか話が先に進まないのはいつものことなのだから諦めてもらおう。
「お仕置きですよ、ゲンドウさん~~~~~♪♪♪」
「ぶぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼっっっ!!!!!」
「――――つまり」
冷たい床に打ち捨てられたボロ雑巾とその周りに散らばったBB弾の山を視界の端に捉えながら、リ
ツコが聞いた話を簡単にまとめる。
「ちゃんと生身で、マイちゃんとレイたちに会いたかったから戻ってきた、ということでよろしいの
ですかユイさん?」
「ええ、そうよリっちゃん」
にこにこと、それはそれはスッキリさわやかな笑顔でユイがそれに応じる。
ちなみに何故こんな若返った姿で、しかもセーラー服なんてマニア受けする恰好をしているのか、と
いう質問は、
『オトメの事情よ♪』
との一言だけで一蹴していた。
無論、あの惨劇を見た後でツッコミを働くものは皆無である。
「そう言うわけだから、改めてはじめまして。シンジの母、ユイです」
「……綾波、レイです」
「レイちゃん……ね」
「はい……」
向き合う二人の少女と少女。
背格好、顔の造り、胸の大きさまでソックリの二人であったが、その身に纏う雰囲気と貫禄……とで
も言おうか、それを見比べれば両者は明らかに別人であった。
元々髪と瞳の色が違うので見間違うことなど皆無なのだが。
「ごめんなさいね……うちのバカ旦那がロクデナシのおかげで辛い目をさせちゃって…………」
「……………………」
「本当に……ごめんなさい……」
わずかに唇をかみ締め頭を下げるユイ。自分の存在が間接的にとはいえ、綾波レイという哀れな少女
を生み出してしまったことを悔いていたのだ。
しかし―――――それは間違いである。
「やめて……」
「えっ?」
少なくともレイにとっては。
「そのことで謝って欲しくない…………」
「でも、私は」
「あなたがどう思おうと、あなたがいてくれたおかげでわたしはこの世界に生まれることができた。
綾波レイという肉体を持って、碇君に会うことができた…………全ての可能性を持つことができたわ」
自分がこの世界に存在し得た要因…………同時にそれは辛く苦しい道のりを辿る要因ともなったわけ
だが、その道の行きつく先はこの場にいる全員が知る通りである。
愛する少年と、その腕の中で安らいだ顔をしている幼子。
「たとえ計画のための道具だったとしても、司令と赤木博士がいたからわたしはあの時碇君に会うこ
とができた。この場に至る道を辿ることができた」
「れ、レイ……」
リツコが驚いたような声でぽつりと漏らし、床で血の海に沈んでいるゲンドウの頭がぴくりと動く。
ここに至るまでの道は、全て危ういバランスで保たれていた天秤が良い方向に動いた、その結果に過
ぎない。
その結果がどれだけ良いものであったとしても、そこまでにあった過去の辛い出来事がチャラになる
わけでは決してない。
だが――――――
「だから……そのことで謝らないで。
わたしは……ここにいれて……嬉しい」
結果良ければ全て良し。そういう言葉もある。
決して無闇に使うべき言葉ではないが、とても前向きな良い言葉である。
大切なのはこれからであり、過去の出来事に拘ることではない。過ちを過ちとして正しく認識し、よ
り良いこれからを辿ることのほうがよほど大切だ。
やり直しの機会が与えられ、相手もそれを望んでくれるのなら…………
彼女たちは、その為にあの世界から戻ってきたのだから。そしてなにより、愛しい娘に後悔のない綺
麗な世界と暖かい人たちを与えてやる為に。
「そうね……その通りね。ありがとうレイちゃん……」
「はい……」
「レイ…………私からも言わせてもらうわ。ありがとう…………」
「赤木博士」
振りかえったレイの紅い瞳に涙の粒を浮かべたリツコが映る。
シンジが未来から環り、計画の全てが水泡に消え、ゲンドウから謝罪されようと…………いや、だか
らこそリツコの心には残された罪悪感がヘドロのようにこびりついていたのである。
…………どれだけ馬鹿をやろうと、それはそれ、これはこれである。
だがそれが赦された。
今までの罪は消えはしないが、少なくとも隣りに立つ資格は与えられたのだ。
零れそうになる雫をそっと拭い、すっとレイを見つめる。
「でも……やっぱりこれだけは言わせて頂戴」
そしてゆっくりと、深深と頭を下げる。
「ごめんなさい………………ありがとう、レイ」
「はい、あか……!」
『赤木博士』と言いかけたレイの唇の前にすばやくリツコの人差し指が飛ぶ。前かがみのまま、全て
を吹っ切った綺麗な瞳と笑顔がそこにあった。
「リツコ、でいいわ。これは私からのお願いよ」
「わかりました…………リツコ」
「……えっ?」
リツコの初めての『お願い』を、素直にそのまま受け入れたレイの言葉に、さすがに驚いた顔をする。
「なにか、問題でも?」
「えっと……そういうわけじゃないんだけどね、レイ……」
レイに他意はない。
未来から逆行してきて、ライバルができたことで多少ヨゴレたりちょっとだけアグレッシヴな
性格になっても、本質的にはそう変わらないのだ。
「レ~イ」
さすがにそれを見るに見かねたミサトが割って入る。
「そういう時はね、いちおうこんなのでも年上なんだから『リツコさん』って呼ぶのよ。わかった?」
「はい。わかりました」
「よろしい!あ、それからあたしのこともミサトで良いわよん♪」
「はい……ミサトさん」
「よ~ろしい!」
びしっ!と親指を立てて前に突きだし、軽くウィンク。
そんな彼女らのやり取りを見ていたユイが微笑みながらシンジに話しかける。
「シンジ……ホントにいい娘を捕まえたわね」
「うん。僕もそう思う」
すぐそばに残り二人が控えているのも忘れ、なんのためらいもなくそうつぶやく。どこか呆けたよう
な表情をしているのはその言葉が本心からのものであるいい証拠だ。
「マイちゃんにとってもいいママになるわねぇ」
「あうー、う~~~」
マイも嬉しそうな顔をしてユイの言葉に頷く。
どうでもいいが、このあかちゃんはこの歳で既に言葉を理解しているらしい。まだ喋ることはできな
いが全くもって不可思議な幼子である。
「あっ、と……ごめんね、ほったらかしにしちゃって」
どことなく手持ち無沙汰気味だった二人―――――もちろんアスカとマナのほうに振り向き、
「……あら」
と、アスカの顔を見てちょっと驚いたような声を出す。
「あなた……キョウコの」
「えっ?ママのこと知ってるんですか?」
さすがにシンジの母親を前にいつものような態度を取るわけにもいかず、珍しくくすぐったい気分だ
ったが、彼女もまさかユイがキョウコのことを知っているとは思わなかった。
「知ってるわよ。あなたは覚えてないでしょうけど、子供の頃一度だけ会ってるもの…………キョウ
コの若い頃にそっくりね、アスカちゃん?」
「あ、はい……」
「まあ、会ってるって言っても物心つく前だったから覚えてなくて当たり前だけど、実はその頃のシ
ンジにも会ってるのよ」
「ええっ!?そうなんですか?」
衝撃の事実!アスカは誰よりも早くシンジと会っていた!
が、しかし!
「ああ、ちなみに『親同士で決めた許婚』とか『物心つく前に結婚の約束をしていた』とか、あまつ
さえ『王子様っぽいシンジからエンゲージリングを貰っていた』とかそういう
お約束はなかったからね~~~♪♪♪」
「そ、そうですか」
実は少しだけ期待していたアスカはちょっとがっかり。対照的にマナとレイのほうは一安心である。
「それから……あなたは?」
「あ、はじめまして!霧島マナです!!」
「あらあら元気のいい娘ね。シンジの母でユイです」
互いにこちらは初対面同士。マナにしてみれば自分だけ仲間ハズレになっているようでちょっとだけ
寂しい気分になっていたが、そこはそれ。有り余る活力が彼女の取り柄である。
有り余りすぎがアダとなって熱妄走を起こすのがたまにキズだが。
そんな感じの初会見の二人だったが、ユイは何故かマナの上から下を興味深そうにまじまじと見つめ
ている。
「あ、あの……なんですか?」
「ちょっとねぇ…………ふ~ん」
ちょっとね、などと言われても見られるほうのマナとしてはとてもじゃないが落ち着かない。しかも
相手が自分にとって『義母』であればなおさらだ。
(ううっ……いきなり姑チェックかしら……?)
そんな、口に出したらタダで済みそうもないことを心でつぶやいていたが、幸いなことにさすがのユ
イもテレパス能力までは持っていないらしく、
「なるほどねぇ……この娘がシンジの~~~♪」
「な、なんだよ母さん……」
やたらと楽しそうな声色でようやくマナを解放し、今度はシンジを言葉で縛る。
「なんだよ、じゃないでしょシンジ?さっき初号機の中であなたから話を聞いてた時、母さん気づい
ちゃったのよ」
「気づいたって……なににさ」
「ふふ~ん…………言ってもいいのかな~~~?マナちゃんのこと♪」
意味ありげにニヤリと笑って、人差し指を唇にあてる。14歳の身体に大人の雰囲気。そのアンバラ
ンスさが妙な魅力となってユイから現れている。
「シンジの初恋ってぇ…………マナちゃんでしょ?」
「ええっ!!?」
「ぶーーーーーーっっっっ!!!!!」
「なぁんですってぇぇぇぇぇ!!?」
噴出したのは無論シンジ。で、絶叫したのは言うまでもなくアスカだ。
で、驚きの声をあげたマナは顔を真っ赤に萌えさせて喜んでいる。
「か、か、か、か、母さん……ななななんでそんなこと……」
「あら、私はこれでもシンジのお母さんよ。シンジがマナちゃんのことを話している時だけ、ちょっ
と他と雰囲気が違ってたのよね~~~。それに初号機の中じゃ、心は繋がってたし」
繋がってたと言っても既にシンジとユイでは、その性質に若干の隔たりがあるから完全に心を覗いた
りすることはできないのだが…………と、これは今になって気づいたことだが言わずに黙っておく。
それでいてそんなことは少しも顔に出さずにあくまで満面の笑み…………さすが狸である。
「それで母さんわかっちゃったのよ、『ああ、シンジはマナちゃんのことが好きだったんだな』って。
そりゃ、アスカちゃんやレイのことも好きだったんでしょうけど、なんて言うかなホラ……ピンとくる
じゃない、女って」
「そういえばそうですねぇ~」
ねえ?、とミサトのほうに振り向くと、彼女もウンウンと首肯する。
そのミサトの口元にイヤらしい笑みが張りついているのは見間違いではないだろう。
そして彼女たちの期待通りに…………
「シンジ…………詳しく話を聞かせてもらいましょうか?」
「あわわわわわわ…………」
アスカのガンつけにシンジが泡を食い、
「……………………」
「うふふふっ♪綾波さんてば、そんな目で見てもダメダメだよ。今のマナちゃんはATフィールドを
さらに上回るラブラブフィールドに包まれてるんだから~~~♪♪♪」
「……………………」
「そ、そんな目で見ないでよ綾波ィィィ~~~」
レイは生者の生命活動すら止めるほどの絶対零度な視線を持ってマナを睨むも、効果がないと知ると、
今度は見る者を例外なく罪悪感に溺れさせる切ない視線でシンジを見つめていた。
「修羅場ね……」
「修羅場ですね……」
目の前で展開するそんな光景に、仕掛け人二人は楽しげに笑みを浮かべる。
誰も見ていないゲンドウの周りに広がる血の色がやけに紅かった。
「さて、と…………」
アレから15分後、ようやく落ち着いた一堂を前にしてユイが居住まいを正す。
「どこから話したものかしらね……シンジ?」
「……まず、僕としては母さんが初号機から出て『これた』理由……どうして母さんがいなくても初
号機が動くのかを知りたい。わかってると思うけど、使徒が来る以上エヴァはどうしても必要だから」
引っかき傷と青タンをこさえた顔を引き締める。
そして今度はそれをレイに向け、
「それからどうして使徒がが僕たちの知らない能力を持っているのか…………綾波はその理由に気づ
いているんだろ?」
「…………確証はないけど」
「それでもいいわ。シンジ君たちの知っている能力と異なるってことは、用意する作戦も当然変えて
いかなきゃいけないってこと。作戦部としては黙っているわけにはいかないわ」
シンジに代わり、ミサトがレイに返答する。こちらも珍しく表情を引き締めた仕事人になっていた。
「それじゃあまずは、私が初号機から出てこれた理由から話すわね」
コホン、と一つせき払いして。
「知っていると思うけど、エヴァのコアには人の魂がインストールされているわ。その魂の親近者で
あるパイロットとシンクロすることでエヴァは動く。これは、魂をクッションにすることで巨大な力の
器であるエヴァをコントロールする為なの」
以下、ユイの説明によれば―――――――
エヴァも兵器であるとは言え、人造人間と銘打ってある以上、魂がなければそれはただの肉の塊にす
ぎない。パイロットの存在意義は、本来、その魂となることであった。
魂と心を兼任し、エヴァを起動、同時に制御するのが当初の考えであった。
しかし、エヴァはたった一人で制御できるような相手ではなかった。エヴァという巨大で強大な器に
対して小人であるヒトはあまりに脆弱すぎたのだ。
それが判明したのは最初の起動実験―――――ユイの時である。周知の事実である通り、エヴァの最
初のパイロットであるユイはこの時エヴァ初号機の中に魂として吸収された。
その結果を踏まえ、残されたキョウコやナオコが現在のシンクロシステムを開発させる。
『コアに吸収された魂とパイロットの二人分を持って、ようやくエヴァを制御し得る』
このためユイとキョウコはエヴァの魂としてコアに吸収され、赤木ナオコ博士に殺害された一人目の
綾波レイもまた彼女らと同じ道を辿ったわけだが…………
「使徒の襲来が確実なものであった以上、それは必要悪だったわけよね」
まあ、かつてシンジたちがいた世界ではそのエヴァですら一部の人間の野望に利用されたのだが。
「どう?シンジ。コアに魂がインストールされてるのは知ってたでしょうけど、こういう理論の下で
それが成されていたのは知らなかったでしょ」
「うん……知らなかった……」
自慢するように比較的薄い胸を張って誇らしげなユイに、シンジは素直に感心する。
と、一方それを聞いたユイは少し考えるような顔になると、
「……すごい?」
そう言って、切れ長の目をネコのように輝かせてシンジの顔を覗きこむ。今や彼より背が低いため、
下から見上げるような感じになっていた。
「え?えっ、と……す、すごいと思うけど……」
自分と同じ14歳の姿で、しかも奥様方に比肩するほど美少女のユイである。頭で母親とわかっては
いても、多少口調がどぎまぎしてしまうのは無理もない。
しかも、実は何気にシンジはセーラー服に萌えていた。
それを知ってか知らずか、さらに追い詰めるようにユイはこんなことを言い出す。
「じゃあほめて」
「えっ!?」
「「「なっ!?」」」
何故か頬を紅潮させるシンジと、なにやら危険な空気を感じ取った三人。
「な、なにをいきなり言い出すのさ母さん……?」
「だってほら、ず~っとエヴァの中に一人ぼっちだったから、母さん寂しかったんだもの」
ちょっとうつむいて瞳を潤ませ、
「だからほめて」
「り、理由になってないよ~~~」
どうも肉体年齢だけでなく精神年齢まで落ちているような気がするのはシンジだけではないだろう。
「だいたいほめろったってどうすれば…………」
と、言いかけたところで。
「ならば私がほめてやろう!ユイ~~~っ!!」
ゲンドウ、いつの間にか大復活。
――――――が。
「うるさいっ!!!」
バキィッ! 「おぶっ!?」
「黙っててよっ!!!」
ボクゥッ! 「へぶっ!?」
「……じーさんは用済み」
グシャッ! 「ごぶっ!?」
触ると危険な女性陣により、即・殲滅。
どうやら姑には手を出せずとも、舅には容赦なく手を出すらしい。
そんな彼女たちの苛立ちも露知らず、その原因となった少女(見た目のみ)は絶好調だった。
「ほらほら、ほめてほめて♪」
「と、父さんってば血塗れになってるけどいいの?」
「いいのいいの、あんなのほっときなさい」
あまりにあんまりな妻の言い草に、ルルルーと流れたしょっぱい涙が血と混じってトマトジュースっ
ぽくなった。
「それより早くほめてちょうだい、シンジ」
「…………はあ、全くもう」
話の腰、折りまくりのユイに、これ以上逆らっても益はない……どころか、これ以上の無理を言い出
しかねないと判断したシンジ。
「わかったよ……これでいい?」
どこか不精不精ながら、観念して目線のやや下にあるユイの頭をゆっくりと撫ぜた。
「……ん~~~」
自分の髪を撫でまわすその手の感触に、うっとりするような声を出すユイ。息子に対する母の態度で
ないような気もするのだが、まあ、いいだろう。
もちろん良くない人たちもいたのだが、さすがに彼女に逆らうことはできないようで、その代わりに
心の閻魔帳にシンジの罪状を一つ書き加えていた。
やがてシンジが手を離すと、ほう……とため息を一つつく。
「シンジ…………女の扱いが上手になったわねぇ…………」
「ご、誤解を招くようなこと言わないでよ!」
「「「……………………」」」
「み、みんなまでっ!」
冷たい視線で睨む奥さんたちにルルルーと心で涙を流す。さすがは女難の星の下に生まれてきた男で
ある。泣くも笑うもほとんどが女絡みだ。
「ふう……それじゃいい加減、話を先に進めるわね」
「止めたのは母さんじゃないか!」
「で…………そうそう、それでどうして私がいなくても初号機が動くかだけど」
すっぱりとシンジを無視して強引に話を進めるユイ。周囲も居住まいを正し、彼女の話に耳を傾け始
めれば、シンジとしてもそうするより他にない。
良くも悪くもここの連中は切り替えの早い連中であった。
「要するに、クッションとなる魂が必要無いからよ」
「クッションが必要無い……ですか?」
同じ科学者であるリツコがユイの言葉に怪訝な顔をする。
「ということはもしかして…………当初の起動計画が!?」
「ええ……今のシンジなら起動と制御、この二つを同時に、一人で行うことができるわ」
「でも、どうして?普通の人間ではそれが不可能だったから今のシンクロシステムが立案されたんじ
ゃなかったんですか?……んしょ」
今度はリツコの弟子的な立場であるマヤが問う。
最後の『んしょ』というのは腕の中のマイを抱きなおした声。荒事回避のため、マイは彼女のところ
に避難していたのだ―――――と、それはともかくユイは答える。
「えっとマヤちゃんだったかしら?それはね、シンジの魂が普通の人間……私たちとは比較にならな
いほどに巨大で強大だからよ…………」
少しだけ辛そうな声色で。
「そう、ヒトに在らざるほどに…………」
「「「えっ!?」」」
ユイのその一言によってケイジに緊張が走り、件の少年に視線が集まる。
「……………………」
見た目(だけ)はどこにでもいる普通の少年のどこをどうひっくり返せばそんな言葉が出てくるのか、
それなりの事情を知った後でも想像はつきにくい。
「ちょっとあんたたち!勘違いしないでよね!!」
そんな周囲の無遠慮とも言える視線に憤慨したのか、アスカが強い口調で唾を飛ばす。
「確かにシンジやあたしたちは普通の連中とは一味も二味も違う経験つんできて、そのせいで知らな
いところがヘンに変わってるかもしれないわ。でもね!だからってあたしたち自体は何にも変わってな
いのよ!ヘンにびびってそんな目で見てんじゃないわよっ!!」
「まあ、ちょっと落ち着きなさいアスカ」
激昂するアスカであったが、それに対してミサトはやんわり返す。
「別に変な目で見るつもりなんてあたしらにはこれっぽちもないわよ。ただいきなりとんでもないこ
と言われてちょっと驚いてるだけ」
「そうよ。それにシンジ君が多少普通のヒトとかけ離れてるなんてこと、14歳で子持ちだとか女房
が3人いるとか母親が同じ年齢だとか、そういうことに比べたらぜんっぜんたいしたことないわ」
追随するリツコに他のオペレーターズもウンウンと首肯する。
要するに、いまさら非常識が一つ二つ増えようとそんなのホントにいまさらだ、ってことだ。
「むう……ならいいんだけど……」
「……それじゃ続けるわよ」
アスカがどうにかこうにか落ち着いたのを確認して、再び口を開く。
「とにかく今のシンジなら、コアに私がいない状態でエヴァに乗っても魂を吸収される事は無いし、
逆に余計な障害物なしでエヴァにダイレクトに繋がる分、さらに自分の思いのままに操ることができる
ようになるはずよ。簡単に言えば暴走なしにシンクロ率400%の状態を維持できる……ってことね」
「……それはまた……すごいですね」
「ただそれだけの能力を、機体に振りまわされずに使いこなせるかどうかはシンジ次第だけど」
目を細めて自分を見るユイからばつが悪そうに視線を外すシンジ。
とてもじゃないが、今の自分では『初号機400%』という凶悪な道具を完璧に使いこなせる自信は
なかった。
ついでに言えば、その周りを固める周辺機器もついてこれない。
『初号機400%』の超・高機動能力を活かすには現状のエントリープラグの慣性制御システムはあ
まりにおそまつだし、今回の戦闘でシンジが見せた高機動に耐えられないような筋組織では、当然それ
以上の動きに応えられる筈もない。一回出撃して、ちょっと動く度にどこか壊してしまうのでは、あま
りにコストパフォーマンスが悪すぎるだろう。
それ以前にそんな欠陥兵器を運用するなどもっての外だ。
その辺をどう改善するかは、ユイを交えた技術部の仕事であり、制限された能力をどれだけ有効に運
用するかは作戦部の仕事である。
単純に戦闘力が増した、で喜んでられないほどに課題は多かった。
「というわけで、これで私が初号機の中から出てきても大丈夫な理由はわかったわね?」
「ええ。特に問題はないみたいですし、技術部としてもユイ博士がいてくだされば大きな技術レベル
の上昇に繋がりますし、大歓迎ですわ」
「ありがと、リっちゃん♪」
「それじゃあそれはいいとして、使徒があたしたちの知らない能力を持っているのはなんでかしら?」
アスカがちらりとレイに目線を向けて言う。作戦部長として、そちらのほうがなによりも大問題なミ
サトも同じように目線を向けてじっと彼女を見つめた。
そしてそれを皮切りに、その場にいる全員の注目がレイに集まる。
「……………………」
それだけの数の視線を一心に浴びてもなお、彼女は普段の姿勢を崩さずそれらを受け止めた。
「綾波…………」
「……(こくん)」
促すシンジに頷いて返し、その小さな口を開き始める。
「……使徒という存在は『全て』はじまりの人間、第一使徒アダムに依存して成り立っているわ。第
十八使徒リリン…………ヒト、それに第二使徒リリス…………わたしもそう…………」
「「「えっ!?」」」
先ほど聞かされた話の中で端折られていた部分に驚きの声を上げるオペレーターズ。が、横にいたリ
ツコが黙ってそれを制した。
「依存しているというのはどういうことなのレイ?」
「アダムが存在しない限り、使徒もまたこの世界に存在できないということです。使徒を構成する全
ての事象はアダムから枝分かれし、そこから得られる力でもってそれがある…………」
つまり使徒……ヒトも含んだ、そう呼ばれている全ての存在の頂点にアダムは君臨し、下位にいる使
徒たちとは目に見えぬ霊的なエネルギーバイパスによって繋がっている。そしてそのバイパスを通して
アダムからエネルギーを分けてもらい、使徒は全ての活動を成しているということになる。
「ちょっと待って。それじゃあたしたちが生きるも死ぬも全部アダムの意のまま、っていうこと?」
「……そういうことです」
「そ、それって!」
「待ちなさいミサトちゃん」
激昂しかけたミサトをユイが真剣な表情で制す。
「報告によればアダムは元々意思を持たない純粋なエネルギー体のようなもので、当然、そこに人類
を滅ぼそうなどという意思があるはず無い…………そうよねレイ?」
「はい」
「……それならいいんだけど」
その報告をしたのが誰なのか、ユイはあえて語らず、ミサトも気づかなかった。
最後の一瞬までアダムに接触し、調べていたのが誰であったのかを。
「その理屈から考えると、ヒトの持つ知恵の実、それから使徒の持つ力の実というのはアダムの持つ
エネルギーそのものとするのが正しいわね」
「そうなのアスカさん?」
「そうよ。後でいろいろ教えたげるからあんたも少し勉強しときなさい」
「はーい、わっかりましたせんせ~」
そんな話の腰を折るマナの能天気な声はさて置いて。
「それで、使徒とアダムの関係はわかったけど、それと今回の件とどう関係があるワケ?」
それに負けず劣らず、どこか緊張感を失ったミサトの声が問い、それに対して彼女の親友の声が呆れ
たように答える。
「……まだわからないのミサト?」
「なによ、賢い赤木博士にならわかるわけ?」
「あなた以外ならみんなわかってるわよ…………レイがさっき言ってたでしょ?
『アダムが既に目覚めているから』って…………」
「?…………ああっ!!!」
長い髪を舞い上げて振り向いた視線の先にいるのはもちろん。
「……そういうことよ」
「う~?」
みんなの視線を一身に集めたマイは、きょとんとした表情でそれらを受け止めた。
「わたしたちが元いたこの世界では、アダムは幼体にまで還元されて封印されていたわ。でも今のア
ダムは完全に目覚めてマイと一緒に世界を見ている…………」
「使徒に供給されるエネルギーの絶対量が増加して当然ね」
わずかなため息と共にユイが結論を出した。
なんとも言えぬ重たい空気の中、静寂だけがその場に広がる。
「あーうー?」
腕の中でこんなに無邪気な声を出すことしかできない子供の中には、人類全てを滅ぼし、再生するこ
とすらできる力がある。その現実を思うと、不憫で居た堪れなかった。
「マヤさん、いいですか?」
「あ、うん……はい」
マヤからマイを受け取って抱きしめ、その頬に少し口づける。
「うい~~~、ぱぁー」
マイが自分の額に触れてくすぐる髪を握ってつんつん引っ張って遊ぶ。
世界中の幸せな家庭のどこにでもある、普通の光景。安らぎに満ちた平和そのもの。
一度手にした大切なものをおいそれと手放せるほどシンジは、そしてこの場にいる全ての人間たちは
無欲ではなかった。
「……僕がアダムの力を使えるのはどうして?僕もリリンであることは変わらないのに」
第十八使徒リリンは、アダムからは知恵の力しか授かっていない。故にシンジとて、本来ならば生身
のままでATフィールドを張ることもかなわないはずなのだが、それができる。何故か?
そう思って聞いたのだが、実のところはだいたいの予想はついていた。それでもなおそうしたのは、
確認のためと…………もしかしたら証が欲しかったのかもしれない。
それが愚かなことであるとわかってはいても。
「綾波?」
「……碇君とマイの間は、この世の誰よりも太く強い絆で繋がれているもの」
「だから普通のリリンよりもより強大な力が流れてくるというわけだね?」
頷いて、
「それに碇君は一度世界の中心となって、アダムそのものにも触れているから…………」
「そっか…………」
そういう意味では、シンジこそが力の実と知恵の実の二つを手にした、真なる使徒であるのかもしれ
ない。最もアダムに近しい者として。
「でもそれならアスカと……霧島さんだったかしら?二人もシンジ君と同じ事ができるんじゃないの」
「マナでいいですよ、リツコさん」
「……次からそうさせてもらうわ。で、どうなのかしら?」
「まあ、できないことはないと思うわよ。こっちに来てからなんだか妙に力が有り余ってるし」
「そうそう、わたしもそれわかるな~」
ってことは、この世界に来てから繰り広げた妄走活動の数々はそのせいなんだろうか?
「だけど、とりあえず今は無理ね。使い方がわからないもの」
「シンちゃんとかレイさんは無意識でその辺がわかってるみたいだけど」
「そう……なるほどね」
まあ、この二人ならばなにもわざわざ力の実を用いなくとも自分の力だけでそれなりに凶悪なのだか
ら、今のところは事足りるだろう。
それに可能になったとしても、シンジやレイ同様、その力を破壊目的に使うことは無いだろうし。
ともあれ―――――
「それじゃ結局のところ、わかってるのはこれから先に現れる使徒もみんなシンジ君たちが知ってい
るのとは違った能力を持っているってことと―――――」
「エヴァ各機の性能アップが急務である……ってことね」
「そういうこと。しっかりやってちょうだいよリツコ…………?」
そこまで言ってふとなにかを考え込むような仕草になるアスカ。
「ん?どしたのアスカさん?」
「いやちょっと……なんか忘れてるような……?」
うむむぅ……と頭を捻るアスカの頭上をカラスがあほーと鳴きながら三羽ほどよぎった後…………
「!!あああああーーーーっっっ!!」
思い出した。
「加持さんと髭とあたしの弐号機!!!!」
「へっ?か、加持???」
まず反応したのは、さすがというべきかミサトであった。
「あのブワァカがどうしたのよ」
「じ、実はかくかくしかじかで…………」
「なっ、なんですってぇ!?無理やり強奪したウィングキャリアーを加持とドイツ支部長に操縦させ
て日本にやってきたぁ!!?」
「しかも第三新東京港に墜落してそのまま忘れただなんて……なに考えているの!?」
「……っていうか僕はどうして今のやり取りで会話が成立しているのかの方が不思議なんだけど……」
「それはお約束というヤツだよ、シンちゃん♪」
「……気にしたら負け」
「そういうものかなぁ……?」
そういうもんである。
「ど、どうしようかミサト?」
「う~ん…………まあ、加持はどうでもいいから放っておけばいいとして、問題はドイツ支部長よね。
前にドイツ勤務だった頃に会ってたけど、かなりのガンコオヤジだったわよ、アレ」
「あら、それなら大丈夫よミサトちゃん。私にまかせといて!」
とんっと、しつこいが比較的薄い胸を叩いて得意げなユイ。
「昔あのおじさんとはいろいろあったから、きっと私のお願いも聞いてくれるはずよ」
「そ、そうですか…………ならお願いします…………」
「ええっ、お願いされたわっ♪」
あえて何故とは聞かぬミサト他数名。それが賢明であろう。
「うふふっ♪せっかくだからあの時の借りを全部返してもらおうかしら」
「「「「…………」」」」
「うふふふふっ♪♪楽しみねぇ……今のうちになにをお願いするか考えておかなくちゃ」
「「「「……………………」」」」
「うふ、うふふ、うふふふふふ………………」
「「「「………………………………」」」」
まさに『触らぬユイにたたりなし』ってなもんである。
『触れるな危険!』でもよい。
「うふふ…………あら?みんなどうしたの?」
「「「「いえ、なんでもありません」」」」
「そう?それならいいんだけど…………」
頬に手を当てて小首を傾げる『今の』ユイには邪気は全く感じられない。どこまでも可憐で無邪気で
ちょっぴりお茶目なセーラー少女であった。
さて、使徒を倒していろいろと話をしているうちに、いつの間にやら時計の針は縦180度からわず
かに傾き、外に輝く太陽の光は第三新東京市を見下ろす山の向こう側に隠れつつあった。
外で転げるように遊ぶ子供も友達の家にゲームをしに行っていた子供も、そしてスーパーに夕飯の買
い物に行っていたお母さんたちももう、お家に帰る時間である。
それはここネルフの初号機ケイジにいる者たちにとっても同じで、全員例外なくそろそろお腹が空い
てきた頃であったし、その表情にもあからさまに疲れが見えはじめてきていた…………のを、この場の
最高権力者であるユイはすばやく見て取っていた。
「それじゃ、もう遅くなってきたことだしそろそろ解散にしましょう?今日上がったそれぞれの問題
は明日以降に対応すればいいし。それに、私環って来たばかりで疲れちゃったもの。いいでしょ?ミサ
トちゃん」
「え?あ、はい!それじゃそうしましょうか!んじゃ、というわけで今日は解散!!」
鶴ならぬミサトのその一声に、みんなどこかほっとしたような息を漏らすと、それぞれ好き勝手に話
しながらケイジの出口に向かって歩き始める。
「マヤ、今日はもう仕事はいいから帰ってもいいわよ。いろいろあって、あなたも頭の中を整理した
いでしょ?」
「い、いえ!だ、大丈夫ですっ!わたし、先輩のこと信じてますからっ!!」
「そう言わずに言うこと聞きなさい、いいわね?」
「は、はい」
「さ~て、そんじゃあたしも帰ってえびちゅで一杯やりますかねぇ~~~」
「シンジシンジッ!あたし今日の晩ゴハン、ハンバーグがいいなっ!!」
「わたし湯豆腐……」
「レイさんって渋いのねぇ~」
「豆腐はタンパク質がいっぱいで美味しいわ」
「ふぅ~ん…………あ、シンちゃん!わたしはオムレツね!!」
「シンジ、母さんはステーキが食べたいわ♪な~んか無性にお肉が食べたい気分なのよねぇ~」
「…………なんにせよ作るのは僕だけなんだね」
「う~、う~~~。あーう、ぶーーー」
「はいはい、わかってるよ。マイのを一番最初にやってあげるからね」
「あーーー♪♪♪」
「…………なあ、シゲル?」
「…………なんだいマコト?」
「おれたち…………ここまで一回もセリフがなかったな」
「ああ…………存在自体は示唆されてたのにな」
「「…………………………」」
「忘れられてるより……たち悪いよな」
「ああ……悪いよな」
30分後――――――誰もいなくなり、電気も落ちた暗闇のケイジの片隅で。
「うっうっうっ…………」
うっうっうっ…………
「えぐっえぐっえぐっ…………」
えぐっえぐっえぐっ…………
「ひっくひっくひっく…………」
ひっくひっくひっく…………
低く聞こえるうめき声とじゅるるっ、というすすり声が壁に反響してそこにだけ響き渡っている。
しかしてその発信元は?
「うっうっうっ…………私はいらない父親なのか?夫なのか?じーさんなのか?」
自ら作った血溜まりの真ん中で、いつの間にやら復活し、いつの間にか忘れ去られていたゲンドウが
寂しく膝小僧を抱えて鼻水と涙の味を噛み締めていた。
さてさてこうして帰宅の途についた一行。
さすがのリツコも、こうもいろんなことがいっぺんに起きてしまってはもう仕事などする気にもなれ
ないらしく、珍しく残業なしでとっとと帰っていった。
仕事の鬼であるリツコからしてそうなのであるのだから、ネルフの給料ドロボー・葛城ミサトなど言
わずもがな。総勢五名を引き連れ、えびちゅの入った袋を片手に意気揚揚と自宅のドアの前に立つ。
で、開く。
「たっだいまぁ、ってぇぇぇぇぇ~~~!!?」
まずその目に飛び込んできたのは夥しいまでのダンボールの山々山々山々。
「なっ、なんなのよコレぇ~~~?」
がしゃんっ!
えびちゅの袋を思わず取り落としたのも気づかず、呆然とその山に見入るミサト。
と、そんな彼女のよこからひょこっと頭を出す少女一人。
「あら、もう荷物が届いてるのね。シロネコさんはやっぱり仕事が早いわねぇ」
「や、やっぱりユイさんの仕業なんですか……?」
「ええ、そうよ。あ、それから他のみんなのぶんの荷物も手配しておいたから」
「えっ?ほ、ホントですか!?でもわたしの荷物なんて第二の基地にあるのにどうやって?」
「あたしもほとんど着の身着のままできたのに…………」
「ふふっ…………それはぁ、企業秘密よ♪」
「そ、そうなんですか…………」
人差し指を唇にあてて微笑むユイだったが…………目が笑ってない。
こういう時に下手に口を開くと災いの元になるのは、この場の全員、本能で察していた。
「あ、あのぅ……でもなんであたしの部屋にみんなの荷物があるんでしょ?この階の他の部屋を取っ
たんじゃあ……?」
とはいえ、大量のダンボールと、そこから出てくるであろうあふれんばかりの私物に占領されている
我が家を想像して、ミサトは覚悟を決めて引きつりつつ言ってみた。
無論、ユイの前では吹けば飛ぶような覚悟なのだが。
「あらあら…………ミサトちゃんってばそんなこと言って…………ダメよ?せっかく一つになれた家
族の絆を引き裂くようなこと言っちゃあ…………?」
「い!?ち、違います違います!そういうつもりじゃないんですっ!!」
ほら飛んだ。
が、実際問題としてミサトにはこんなことを言う理由がある。
「た、ただあたしは、その……この部屋にこの人数はちょっと狭いんじゃないかと思いまして……」
「あら、そういうことなの?でも、そのことなら大丈夫よ」
「へっ?だ、大丈夫って…………」
「入ってみればわかるわよ」
そう言って微笑み、ただいまを言って部屋に踏み込んでいく。
「いったいなにがどうなってるんだろうねぇ?」
「さあ?でもユイママのすることだから、間違いはないんじゃない?」
「……って言うか、もはやあたしに拒否権は存在していないのねぇ~~~」
「す、すいませんミサトさん……母さんがわがまま言っちゃって……」
「碇君、わたしお腹空いた」
などと言い合いながら、ダンボールの山の脇をすりぬけて玄関を抜けると――――――
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……あ~~~」
「ふふっ♪さすがは竹中工務店の皆さんね。もう開通式まで終わってるわ」
「あ、あたしの……あたしのおウチが……あたしの部屋がぁ…………あは、あはははは」
ぺたん……とフローリングにお尻をついて力なく笑うミサト。
今朝までの光景と異なり、部屋が広くなっている。
隣りの部屋とを隔てる側面の壁がブチ抜かれ、ついでにミサトの部屋もブチ抜かれ
部屋が二倍の広さになっていた。
で、目の前に山になっているのはミサトの部屋にあったゴミ。
「じゃなくてあたしの私物だわよ~~~っっっ!!!」
「どこが?」
「…………うっうっうっ」
身も蓋もないアスカの言いようにヨヨヨと崩れる29歳。
「あ、あの、ミサトさん……こ、これで涙を拭いてください」
「うっうっ……ぐしゅっ……うん…………ブビィィィィッッッ!!」
シンジの差し出したハンカチを受け取り、お約束で鼻をチンするミサト。
一方、そんなミサトの事情などどこ吹く風の他の四人といえば、
「さ、それじゃみんな張りきってお部屋を片付けるわよ!」
「は~い!」
「とりあえずこのゴミをなんとかしなくちゃ」
「萌えるものと萌えないものに分別するのを忘れないようにね♪」
「お母様、字が違います」
「え?あらあら、母さんうっかりだわ」
などと言いながら、さっくりと彼女を無視してそれぞれの作業に取り掛かっていた。
無論、もはやシンジにも止めることは不可能なのである。
「うっうっうっうっうっ…………」
「み、ミサトさん……そのハンカチあげるから元気出してくださいね。
そ、それじゃあ僕も片づけを手伝ってきますから…………気を落さないでくださいね」
「うっうっうっうっうっうっうっ……………………ブビィィィィィッッッ!!!!」
シンジから渡された白いハンカチーフを片手に、ミサトはただ一人、邪魔にならないよう部屋の片隅
で膝を丸めているのであった。
あおーーーーーーーん おんおん…………
ばうばうばうばうっ おんおんおんおん…………
帳が落ち、とっぷりと闇に包まれた空に月が一点、散りばめられた星々に照らされ輝く夜。
改装もバッチリ終了し、涙酒をかっくらったミサトが枕を濡らしているここ葛城……ではなく、既に
碇邸と化している『旧』葛城邸にも、おネムの時間がやってきていた。
時刻は深夜2:00。草木も眠る丑三つ時とはこの刻のことである。
一人一室与えられた各々の部屋で、既に全員が寝息を立てて夜明けをまんじりと待っていた。
そう……一人一室。
一夫多妻状態のシンジと他三人+マイ。
彼らは正式には籍を入れていないものの、心は既に夫婦・家族として繋がっているのは明白であり、
そう考えれば、彼らが全員同室になるのは自然の流れかと思われたのだが、
『いちおうまだ中学生なんだから、ケジメだけはつけときましょうね~』
という家主(ミサトではない)の一声で、レイたちは内心で舌打ちすることになったというわけだ。
が…………この言葉の裏を返すとこうなる。
『ケジメだけは……』
『だけは……』
『だけは……』
『だけは……』
というわけで、ケジメだけつけとけば後は各々、煮るなり焼くなりお好きなように。という意味も込
められているのである。
少なくとも連中はそう受け取った。
受け取ったからには、そのまま黙っている理由もなく、それぞれが虎視眈々と抜け駆けを狙っていた
りするのだが……………………まあ、何をするにも、最後の一線を越えるのだけは不可能だろう。
四六時中、寝る時までもパパにべったりの娘の前で、ダンナと激しくプロレスごっこをする根性の持
ち主がいるのなら話は別なのだが。
…………で、話を戻すが丑三つ時である。
古来よりこの時刻は魑魅魍魎が訪れる時刻として有名であり、またそれ以上に、内容よりもワラ人形
で有名な、丑の刻参りが行われる時刻としても知られている。
もちろんそれはエラく大昔のお話であり、妖怪退治の専門家、安倍晴明も蘆屋道満もいないこの科学
万能、と言わずとも千能くらいはある時代に、そんなものを信じている者はごく一部だった。
それは当然、ここ碇家の人間も同様であり、その将来的な大黒柱、碇シンジ少年もいつものように隣
りに愛娘を侍らせて静かな寝息を立てていた。
それはこちらに戻ってきて、これから日常となり得る普通の光景…………
のはずだったのだが。
不信心がたたったか、それとも誰かがシンジに丑の刻を参ったか。
「うっ…………ううっ……う~~~ん」
どうやらたった今、彼の枕元に魑魅魍魎が訪れたようだ。
その名は夢魔。
人の見る夢の中に入って悪戯をしていくナイト・メアである。
「こ、ここは…………」
と問われてどこかと答えると、言うまでもなくシンジが見ている夢の世界である。
しかしそれはあくまで神の視点から見た客観的な話であり、シンジの視点からすれば、
「また……初号機の中?」
と思わせるような光景であった。
水の中を思わせるような揺らめきに、ゆっくりと過ぎていく泡沫。頭上から差し込む光の柱は拡散し
て幾筋も立ち上っている。
見る人の目を奪う美しく幻想的なその光景に、しかしシンジは別のものを感じていた。
「生命の気配がない…………ここは…………あそこに似ている」
己の忌まわしい記憶の中の、血の紅に行きついた瞬間、
「―――――!!」
突如として目の前の光景が切り替わり、透明な青が、濁った赤に変わり果てた。
「これはっ、ここはっ!」
頭上に光はなく下に泡はなく。
そこにあるのは赤く濁った月と地球。
そしてその間…………世界の中心にいるのは紛れもなく自分。
「――――これがあなたの望んだ世界、…………そのものよ」
と、その自分の上に全裸で跨っているレイ。
自分が最初に意識した少女。
そして、最初に自分を意識してくれた少女。
母の面影と雰囲気を持ち、それでありながら異性を感じた、ある意味、最も自分に身近な他人。
命を捨ててまで自分を護ってくれた。
真実を知って恐怖し、拒絶までした自分のために、最後には絶対者であったはずの男を裏切ってまで
自分の下に来てくれた…………
おそらく、最も自分を純粋に想ってくれているであろう少女。
シンジは、万感の想いを込めて、少女の名を呼んだ。
「あや、なみ……」
そう。思い出した。全て思い出した。
あの時に何があったのか、そして自分になにが起きたのか。
全ての奇跡のはじまりの刻を、シンジは全て思い出した。
思い出した瞬間、シンジは見上げたところにある彼女の澄んだ笑みが何を求めているかも思い出した。
はじまるはずなのだ。これがあの時の通りならば。
彼女は純粋な人だ。まっさらなその心には、シンジの姿が強く刻まれている。何よりもシンジを求め、
何よりもシンジに求められたがっている。
それはそれで彼女の美点なのだ…………が、困った点もある。
純粋ゆえに自分の想いに素直…………言いかえれば想い通りに妄走するってことだ。
突発的かつ一直線。周囲を省みずに、しかもそのパワーは半端でない。
かくして彼女は己の思いを遂げるために心を奮わし、小さな桜色の唇を震わせ言葉を発す。
「そして…………」
「あ、綾波…………」
ゴクリ――――とシンジの喉が動く。
「コレがわたしの望み、そのものよ」
「う、うわあぁぁぁぁあああぁぁぁっっっ!!あ、綾波ィィィィィ~~~!!!!」
というわけではじまった。
ちなみに言うまでもないことだが、なにがはじまったのかは全くの謎である。
―――――で、数分後。
「……………………」
「……………………」
片方は妙につかれきった顔で、そしてもう片方は妙に満足そうな顔で見詰め合う二人がそこにある。
が、その片方、シンジは冷静に状況把握……というか、今後の予定について思いを巡らせていた。
(そうだよ……確かこの後は……)
「碇君……うれしい」
(来るんだよな……彼女が)
「碇君……もういち」
ど、と言う前に。
「邪魔よファーストォォォォォォォォッッッ!!!!」
(ほら来た)
横合いから飛んできたアスカの足の裏を舐めさせられ、地平の彼方に消えていくレイの姿を、嘆息と
共に見送るシンジ。妙に覚めきっているのは、これが夢だとわかっているからなのか?
どこにそんなものがあるのか、土煙を立てて地面に着地したアスカがゆっくりとこちらに振りかえり
自分のほうに近づいてくる。
「シンジぃ……」
「アスカ……」
濡れた声と瞳で少年を見つめる少女と、少女を見つめ返す少年。
彼らの視線がごく近い真中でじりじりと重なり合い…………
「ねえシンジ……あたしと一つにならない?っていうか、もちろんなるわよね?」
「あ、アスカ…………相変わらず強引だね」
自分のセリフも記憶通りになぞり、記憶通りの言葉をかけてくるアスカに返す。夢とはいえ、ここら
辺が妙に律儀で可笑しさを誘う。結局、自分は自分の中で傍観者にしかなれないのだということをシン
ジはようやく悟った。
「あたしね……あたし、あんたのことが好きよ」
「…………うん。知ってる」
「どうして知ってるの?」
「アスカの心に聞いたから」
心を隔てる境界線、ATフィールドが解放されて、シンジは全ての心に触れた。その中には当然アス
カの心もあった…………というか、シンジが最も長く触れていたのは、最も身近だった彼女の心だ。
それは逆に、アスカもシンジの心に触れたということも意味している。
で、ありながらあえて彼女はこんなことを聞いた。
「それじゃあシンジはあたしのことを好き?」
「…………知ってるくせに」
「ちゃんと言葉にして聞かせてよ」
「…………好きだよ………………拒絶されたら殺したくなるくらいに」
(そうだ……僕は一度アスカの首をしめたんだ。触れた時に)
彼女を求めて拒絶された時、シンジは思い余って彼女を殺そうとした。
そして、
「あたしも好きよ。見てくれないなら壊したくなるくらいに」
アスカはアスカで、自分だけを見ようとしないくせに自分に触れてくるシンジの心を壊そうとした。
そんな風に二人の心が激しくぶつかり合って、そして絡まりあった結果、結局二人とも互いを完全に
理解し合えたからそれで良かったのだろうが…………
(アスカはそうだろうけど…………僕も意外と激情家だったんだよなぁ…………)
などと思い出したら少し恥ずかしくなった。
と、浸るのもつかの間。
「あたしはあんたが好きで、あんたもあたしが好き」
「あ、うん……」
言って浮かべる艶っぽい笑みに、ゾクリと背筋に寒気が走る。
恐怖だったかそれとも別のなにかだったかは、何故か思い出せなかった。
そしてついでに言えば、それまで漂っていた切ない雰囲気がどこかに吹っ飛んでいったことに、当時
のシンジは気づいていなかったが、今のシンジはイヤになるほど気づいていた。
その雰囲気にたがわず、艶のある笑みを浮かべたアスカがアレっぽいオーラを纏いつつ言う。
「じゃっ、シンジぃ!一つになりましょっ!!心が一つになったんだからカラダも一つになるの!」
「ちょ、ちょっと待ってよアスカ!ぼ、僕、今、疲れてて……」
ちなみに腰もヌケているのだが、その理由は全くの謎である。
「だいじょーぶっ!ファーストなんかよりずっと良くしてあげるから、そんなのすぐに吹っ飛ぶわ!!
―――――と、言うわけだから、アスカ、イクわよ!!!!」
「あっ!うっ!?あ、アスカぁぁぁぁああぁああ!!!??」
魂消るような絶叫を辺りに響かせるシンジの上に、対照的に嬉々とした表情を浮かべたアスカが覆い
被さる。
思考が徐々にホワイトアウトしていったのを思い出しながらシンジは、
(やっぱりアスカって強引だよなぁ…………)
とか考えていた。
ちなみにしつこいようだが、シンジがどう良くなって、アスカがどこにイクのかは全くの謎である。
「はあ……はあ……はあ…………ああぁ~~~」
「ふう……ふう……ふう…………ふうぅ~~~」
レイの時同様、数分後には妙に満足げなアスカと妙に疲れきったシンジとが仲良く力尽きていた。違
っているのはシンジの疲労度数だろう。
もちろん先ほどよりも現在のほうが度数が高いのは言うまでもない。
(アスカは激しいからなぁ…………)
なにが激しいのかはさっぱりだが、そんなことを心でつぶやいて桃色に色づいた吐息を漏らしながら
同じく彩づいた彼女の顔を見上げる。
「どうしたのシンジ?」
「ん…………いや、アスカだなぁ、って思って」
「なによそれ?」
怪訝な顔つきで見下げるアスカ。ここら辺は以前とあまり変わっていなかった。
「それよりシンジィ…………もう一回しましょ、もう一回♪」
「へっ?ちょ、ちょっと待って……僕、もう……」
「な~に言ってんのよ!男でしょ!!」
この場合、逆に男だからダメなのだが…………と、それはともかく、唇を重ねようと顔を近づけてく
るアスカに、思わず目を瞑って構えるシンジ。
が、
「…………アスカ?」
予想に反して訪れぬ感触に、目を開いてみると。
「えへへっ、シンちゃんっ」
いつの間にやらアスカがマナに変身していた。
というわけではもちろんなく、先ほどのレイの時のようにマナが実力で彼女を排除したのだろう。ど
んな手段を使ったのかは不明だったが、シンジにそれを確認する気はさらさらなかった。
ていうか、聞きたくても聞けない。なんとなく。
「なんだか……久しぶりだねシンちゃん」
「うん…………でもさっき会ったばかりなんだよね」
「あんなの会ったうちに入らないよ。会うって言うのは、こうしてお互いに違う人どうしで会うって
言うことだよ。あんなふうに他の人と一緒くたになっちゃうのはイヤだよ」
と、そういうのはもちろんインパクトの真っ只中での意識の邂逅のことを言う。
「シンちゃんはシンちゃんだけでなきゃイヤ。わたしもあんなその他大勢みたいな感じでシンちゃん
の中に入っていくのはイヤ。シンちゃんでないシンちゃんに、わたしでないわたしで会うなんて冗談じ
ゃないわよっ!」
「……うん、そうだね。僕もあれは違うと思う」
やや興奮気味のマナにシンジは優しく同意を返す。彼女の気持ちはわかりすぎるくらいわかっていた
し、自分も真実同じ気持ちだったからだ。
ただ、アスカやマナと心を通わせることができたのはシンジにとって良かったことといえた。とはい
え、それも一つに交じり合った偽りのぬくもりの中に溺れていては、まるで意味のないことである。
「でしょ?あんなの違うもん。だから久しぶりなんだよ」
「そうだね。それじゃあ改めて…………久しぶり、マナ」
「うんっ!久しぶりだねっ!!」
ニッコリと笑顔の輝きを上から零し、それを受け止めてシンジも笑う。久しぶりに見る彼女の笑顔は
はじめて出会ったあの時よりも、ずっとあたたかくきれいだった。シンジの蘇った記憶にもマナのこの
笑顔は強く焼きついている。
(でもなぁ…………)
焼きついた笑顔をもう一度焼きつかせながら反語を漏らす。
この後の展開を思い出したから、なんとなく、あの時と同じ感動を味わえない自分が少し悔しかった。
(いっつもいきなりなんだよなぁ…………マナってば)
ある意味、彼女ら三人の中で最も行動に予測がつかないのがマナである。
この時もそうだった…………というか、予測してしかるべきだったのだが、当時のシンジは目の前の
笑顔に心を奪われていたため、それができなかった。
「じゃ、しよっか!」
「…………えっ?」
(えっ?じゃないだろ、僕)
戸惑いの声をあげる自分に、冷静なツッコミをいれるシンジ。
「し、しようって……ナニを?」
「ナニってやだ……そんなの女の娘に言わせるなんて。もしかしてシンちゃんってそういう趣味?」
(断じて違うよっ!)
どういう趣味なのかはこちらにはさっぱりわからないのだが、シンジにはわかるらしい。
そんな内心のシンジの反論は当然ながら伝わることはなく、過去の出来事は現実さながらのリアルな
光景を映して進んでいく。
「ま、マナが何を言っているのか……わからないよ」
「……ん~~~~~~」
言われてマナは唇に人差し指をあてて少し考え込み、
「まっ!いっか!!」
「いっか!、ってなにが……んむむっ!?んんんんん~~~~~っっっ!!?」
自分の唇でシンジの唇を文字通り塞いで、身体ごとのしかかっていくのだった。
ちなみにこの後二人が以下略。
(多分…………この時なんだろうな、マイが産まれたのって…………)
(形がどうあれ、僕たちが互いに求め合って、互いに絆を欲していたのは間違いないことだから)
(肉体的な繋がりがあったわけじゃない。全ては精神的なものだけだったけど…………)
(僕たちの想いは間違いなく本物で、それが僕の中で結び合って)
(…………もしかしたらそれをアダムが叶えてくれたのかもしれない)
(マイは…………僕たちに望まれて産まれてきたんだ…………)
シンジは光る命の輝きと、力強い産声をどこかに感じていた。
「……………………」
シンジは衰弱していた。
「んふふっ♪これでわたしたち、もう他人じゃないねっ!」
対照的にマナはひたすら元気だった。どころか、妙につやつやしているような気がしないでもない。
男と女でこうも変わるものだから不思議である。
「さてっ!そりでは他人じゃなくなったところでもう一回いってみよー!ねっ!シンちゃん♪」
「いや、それはちょっと勘弁…………」
「ぶー!どうしてよっ!!」
今の彼のザマを見てわからないのだろうか?
口を尖らせて拗ねているマナになんとか思いとどまってもらおうとシンジが口を開きかける。
と、
「それは君がシンジ君に相応しくないからさ」
どこからか何者かの声が聞こえてきた。
で、シンジは例によって思い出してしまっていた。
(そ、そういえばそうだったんだよね…………カヲル君…………)
この後の思い出したくない惨劇を思い出してしまい、ゲンナリしているシンジだったが、マナと、そ
して『当時』のシンジは驚きの表情を張り付かせている。
「だ、誰っ!?」
「その声はカヲル君!?ど、どこにいるのさ!!」
「フフ……慌てないでおくれシンジ君、すぐに君の下へ行くよ…………ただ、その前に僕たちの愛の
前に立ちふさがる障害は取り除かなければね」
「なっ、なに言ってんのよ……って、な、なによコレ!!?」
「まっ、マナーーーーッ!!?」
マナの周囲に紅い光が一瞬輝いたと思った瞬間、彼女の身体が紅い球体に包まれる。
で―――――、
「きゃ、きゃあああああぁぁぁぁぁ…………」
球体から頭だけを出したまま、激しく回転してどこぞへと去っていった。
「か、カヲル君なにを……!?」
「ふふ……大丈夫さ、心優しい僕のシンジ君……彼女には少し退席を願っただけさ…………」
さすがに慌てるシンジに、優しげな声で答えるカヲルがゆっくりと姿を現した。
その時の彼の様子を詳しく描いてみようと思う。
華奢ではあるが程よく筋肉のついた若鮎のような身体を、少し引いた弓の弦のようにしならせ、
それを誇示するように両手をまっすぐに伸ばし、互いに絡ませてポージング。
しっとりと湿り気を含んだ絹糸のような美しい銀髪が、わずかに紅潮した白皙の頬に
張りつき、潤みを含んだ紅い瞳がわずかに開かれ、まつげが儚げに震える。
頭部にはいばらの冠を被り、その唇に薔薇を一輪くわえて、
股間はもちろん無花果だ。
その背後だけ桃色空間なのはもは
やお約束である。
嗚呼、こんな描写ホントに書きたくなかった。
「ふふふ…………シンジ君。愛しい君の為に僕は来たよ…………」
「か、か、カヲル君……どうしてここに?」
妖しく腰をうねらせ、ちょっと異質なフェロモンを撒き散らしているカヲルに引きつつシンジが問う。
そんな彼にカヲルはこう答えた。
「希望だよ…………」
「き、君が何を言っているのか……本気でワケわかんないよ……」
まあ、普通の感性の持ち主なら絶対にわからないだろう。ていうか、むしろわかったら彼と同類の思
考形態を持っているということになる。
それだけは絶対に避けたい――――――――と、シンジでさえそう思った。
「ふふ、それよりシンジ君……久しぶりだね」
「あ、うん。久しぶりだねカヲル君」
互いに再開の挨拶を交わして、カヲルは不意に表情を引き締める。
ゆれる腰の動きを止め、潤んだ瞳に深い輝きを灯す。
「――――――シンジ君。今の君は何を望むんだい?」
「…………世界の解放を」
尋ねるカヲルに、シンジは答えた。
「もう一度……望んで良いのならあの世界を」
「開かれた世界を望むのは君しかいないかもしれない。他に望んだリリンがいたとしても、互いのA
Tフィールドが傷つけあうだけかもしれないよ」
「それでも……いいんだ。もしかしたら僕はずっと独りぼっちになるかもしれない。だけど、ずっと
ここにいるよりも可能性があるんだ…………皆と分かり合えたように、可能性が」
「誰かが君を好きになってくれるかもしれない?」
「好きになれるかもしれない」
きっぱりと言い放ち、息を吸い込み、
「もう一度、会いたいと思ったんだ…………」
(あの世界でそれは叶わなかったけど…………)
解放した世界に残されたのは自分と、灯火の消えかかったアスカ。
やがて彼女も消え、LCLの中に溶けた人々は結局誰一人として他人の存在を望まなかった。
凍りついた時間と世界、怠惰なぬくもり、偽りのふれあいに、海の中で文字通り溺れた。
もちろん再会を望んだ人たちはいた。
しかし彼女たちは、ともすれば溶けていってしまいそうな、儚く、そして大切な命を、母親として護
っていってやらなければならなかった。
そして十月十日が流れ、望み、望まれて世界に誕生した娘に、少年を託した。
(僕とマイはそうやって出会って、それから時間を逆行したんだ……)
シンジは今夢を見ている。世界に戻った時に忘れてしまっていた大切な記憶を。
レイに会い、アスカに会い、マナに会い…………彼女らと確かめ合った記憶を。
もう二度と、このことをシンジが忘れることはないだろう。そしていつか、娘が大きく成長した時、
いろんなことを語ってやろうと思った。
どうして産まれてきたのか、どんな想いを受けたのか。
そんなまだ見ぬ楽しみに浸るシンジにカヲルが語り掛ける。
「……それが君の望みであるのなら、僕はもう、止めることはできない。僕は一度死を望んだ存在だ
から、もう君に会うことはないのかもしれないけれど……」
「カヲル君…………」
「ああ、そんな顔をしてはいけないよ。あの時の僕は君の心を考えていなかった。君の心が傷つきや
すく壊れやすいということを知っていながらあんなことをさせてしまった……僕が悪いのさ」
「そ、そんなことないよ!」
「フフ……優しいねシンジ君。でもそうやって人の罪をも抱え込もうとするのは君の悪い癖だよ。で
ももし……もし君が許してくれるのなら…………」
そう言ってカヲルの口元に、笑みが浮かぶ。
と、同時に、彼の腰が自意識を持ったかのように行動を開始。
「君に僕の望みを叶えてほしいんだ…………」
で、お約束通りに桃色時空復活だ。
「の、望み……?」
「そう……僕の望みは……!」
周囲に薔薇の花びらを散らせながらポージング。
「シンジ君、君とニ身合体したいんだ」
となると生まれてくるのは…………ゲドウだろうか?
しかし合体対象のシンジはイマイチ意味を掴めていないようで、カヲルに聞き返す。
「あ、あの、カヲル君、それってどういう意味?」
「一つになろう、ってことさ」
「なろう……って、えええええええぇぇぇぇぇぇっっっ!!!??」
「フフ……君は自分の立場を少し知ったほうがいいよ、碇シンジ君」
「ど、どんな立場なんだよっ!カヲル君!!」
「受けってことさ…………」
「ウケっ!!?」
「別の言葉ではネコとも言うね……そして僕の役目は攻めでありタチである」
どうやらカヲルはごく一部のリリンの文化を完全に極めてしまったようだ。偏り過ぎである。
「ヤ○イはいいねえ……リリンの産んだ文化の極みだよ。さあシンジ君、共に歌おうじゃないか、あ
の素晴らしき風と木の詩を」
知ってる人だけ知っている…………が、もちろんシンジはそんなこと知るはずもない。
「そ、それってどんな詩なのさっ!」
「もちろん僕たち愛がの奏でる悦びの詩さ。さあ!今こそ僕と一緒に天国へのキックオフさ!!」
「う、うわっ!ちょちょちょちょ、ちょっと待ってよ~~~~~~!!!!」
絶叫を迸らせつつ、本気で襲い掛かるカヲルから逃げようとするが、先ほどまでの謎の行為の影響で
腰に力が入らず、身動きが取れない。
「フフ……可愛いよシンジ君……」
「ああ…………やめてよカヲル君…………」
かぼそい声をもらし、(カヲルにとって)そそる表情でイヤイヤするシンジ。おかげさまでカヲルの
完全可動式謎機関は元気いっぱい。もはやシンジの貞操もこれまでか!?
―――――――と、思われたその時だった。
「……………………なにをやっているのかしら?」
ピタリ
とばかりに妄走済みのカヲルをもフリーズさせる冷たい声が降ってきた。
「うちの子に何をしようとしているんですか?あなたは」
「か、母さん!?」
「母さん?……ということはあなたが碇ユイさんですか……」
そう。そこにいたのはユイである。
と言っても今現在のように14歳のセーラー姿でなく、推定年齢27歳当時の白衣を着た姿である。
その彼女がこめかみに青筋をピクらせてにこにこしていた。正に決壊寸前のダム状態で、カヲルに静
かな口調で話しかける。その周囲には『ゴゴゴゴゴ』……っという擬音が張りついている。
こうなった以上、もはやカヲルから明日の朝日が奪われてしまうのは確実である。
「詳しい話はこちらで聞かせてもらいましょうか……?」
「フッ……何をするんだい?僕の白いうなじを掴んで持ち上げるなんて……野蛮なリリンじゃないか。
シンジ君の母上とはいえ好意に値しないよ」
「……シンジ、母さん、すぐに戻ってくるから少し待ってて頂戴ね…………すぐ片付けるから」
「は、はいっ!」
「フフ……ネコのように連れて行かないでくれないかい?僕はどちらかといえばタチのほうが好みな
のさ。相手がシンジ君ならネコでも良いんだけど、君では行為に値しないよ」
片手で軽々とカヲルの首根っこを掴んで行くパワフルな母の後姿を見送るシンジ。
・
・
・
ガンッ!バキッ!メキャ、ブキャ、ゴキャキャッ!ズババババババッ、バシュッ!ズドドドドドーーーーーン!!!
(…………ごめんよカヲル君。どうかやすらかに…………)
遠くから聞こえてくる痛そうな音の羅列に、心でそっと彼の冥福を祈るシンジ。なにげに薄情である。
(カヲル君には気の毒だけど、これはもうすでに起きたことだからいまさら軌道修正はできないんだ
よね…………で、確かこの後は母さんに外に出してもらって…………)
そして辿りついた砂浜に、傷ついたアスカがいたのである。
と、仰向けのままそんなことを考えていたシンジの上に人の影が重なった。
「お待たせ、シンジ♪」
「か、母さん……」
ニコニコと、さっきまでとはベクトルの違う笑みを浮かべたユイが後ろ手を組、少し前かがみでシン
ジを見下ろしている。
「あ、あの、カヲル君は……いえ、なんでもありません」
「あらあら、どうしたのシンジ?」
そんな機嫌の良さそうな彼女に、気になってカヲルのことを聞こうと思ったが、やはり思いとどまる。
なんというか、血桜の散った白衣が全てを物語っているような気がしたからだ。
自分を見下ろす母から視線を外し、ふと周りを見渡す。
「……………………」
赤い世界。そこでたくさんのヒトビトの心が溶け合い、遊んでいる。
その輪の中から既に外れているシンジには、彼らの一人一人がかろうじて判別できたが、当人たちは
他人のいない自分だけの世界をひたすらに泳いでいた。すぐ隣りに他人がいることに気づかずに。
恐らく彼らは、隣りを泳ぐ他人すらも自分と認識しているのだろう。
((矛盾してて……狭い場所だな…………))
図らずも、シンジはあの時と同じ事を考えてため息をついていた。
そんな息子を見、ユイは口を開く。
「―――――もういいのね?」
「あの世界に……幸せがどこにあるのかまだわからない。だけどどうしたら幸せになるのかはわかっ
たつもりだから。自分以外の誰かを好きになれるのは、自分しか好きになれないことよりも良いと思う
んだ…………嫌いになっても、それは少し悲しいことだけど、決して無意味じゃない。だって一人じゃ
嫌いになることだってできないから…………」
(好きになるのも嫌いになるのも、それは生きてるってことなんだ。それがなく、自分のことだけし
かないのは……死んでいるのと同じだ。だって、自分もいないもの)
「……生きていればどこでだって天国になれるよ」
(だから、自分以外の誰かといれればわかりあえる…………いつか、きっと)
「でも母さんは…………母さんはどうするの?」
母がどうするつもりなのかわかっていたからシンジはこの時そう聞いた。だが、彼女は何も答えず、
ただ微笑んで遠ざかって行くだけだった。世界に環っていくシンジを見つめながら。
そのことを思い返しながらシンジは母を見上げていた。
――――――見上げる。
(…………あれ?)
なにか違和感を感じた。
(僕は確かこの時母さんを見下ろしてたよな…………なのになんで見上げてるの?)
記憶通りの流れならば、既に現実世界の赤い海に浮上していておかしくないはずなのに、何故か自分
はここで仰向けになっている。
それに。
「うふふふ♪」
「か、母さん?」
妙に嬉しそうな顔で笑っているユイがあまりに不吉だった。
「心配してくれるのねシンジ、母さん嬉しいわ」
「そ、そうかな?」
記憶にない展開に、声色がうろたえているのをはっきり自覚する。
同時にいつも感じているアノ予感が、まるで風船のように、今にも破裂するんじゃないかって勢いで
膨らんできたのを感じ取り、思わず腰が後ずさる。
が、何故か。
(う、動けない!?)
なにか重たいもので押さえつけられているかのように、身体が重く、動かない。
「ふふっ……母さんがどうするか知りたいのね……なら教えてあげる……」
「お、重いッ!動かないッ!?ど、どうなってるのさ!!」
「こうするのよ~~~~~っっっ♪♪♪」
「う、うわぁぁぁぁぁっっっ!!?」
瞬きする間にセーラー服を着た14歳の美少女に変身したユイがシンジにのしかかる。
「か、か、かあさ~~んっ!ぼ、僕たち実の親子なんだよっ!!?」
「大丈夫よ!母さんの愛は、そんなものだって乗り越えられるわ!!」
「む、無理だってば~~~、うぷっ!!」
抵抗らしい抵抗もできぬまま、ユイの胸元に抱え込まれるシンジの頭。夢のはずなのにその感触は妙
にリアルで、柔らかくて暖かだった。
頭だけでなく、全身でのしかかっているため、身体中のあちこちが柔らかいぬくもりにつつまている。
はっきり言って、本音ではとても気持ちのいい思いをしているシンジであったが、ぼちぼちそうも言
ってられなくなってきた。
「むむむっ!んむー、んむー、んんん~~~~っっ!!!」
「あんっ♪シンジってば、そんなに激しく動かないでっ♪」
何故か妙に嬉しそうな声で、ますますシンジの頭を強く抱え込むユイだったが、一方のシンジはたま
ったモンではない。
(く、苦しいっ!息ができないっ!?)
「むむむむ~~~~!!!」
「やんっ♪ダメだってばシンジ」
(じゃなくてっ……!い、息ができないんだって……ば…………ま、まずい……ホントにやばい)
夢の中なのに妙にリアルに意識が遠くなっていく。
徐々に見えなくなっていく世界をまぶたに焼きつけながら、シンジは―――――――
「ぶはっ!」
「あう~~~?」
大きく息を吐いてシンジが目覚めた時、最初に目に入ったのはころんと転がるマイのおなかだった。
どうやら寝返りを打っているうちに、シンジの呼吸を塞いでしまったらしい。
「…………どうりで、苦しいわけだよ。それに…………」
激しく呼吸を求める肺を落ち着かせながら、自分のベッドの上を見渡し、ため息をつく。
「重くて動けないはずだよ、これじゃあ…………」
「すーーー、すーーー」
「く~~~……んーーー、ばぁかぁ…………」
「むにゃ、シンちゃん…………むにゅ…………」
レイが胸に、アスカが腹に、そんでもってマナが腰の辺りにしがみつくようにして寝息を立てていた。
「……う~」
シンジの頭から転がり落ちたマイが目を一本線にしたまま、再び父の頭にすがりつき寝息を立てる。
正直重たくて、朝からしんどいが、ほっとするやわらかさと暖かさだった。
「まったく、もう…………」
そう、毒づきながらも、シンジの口元には笑みが浮かび、彼女らを見つめる目はどこまでも優しい。
カーテンの隙間から差し込んでくる光は、いつのまにか蒼白い月でなく、白金の太陽に変わっていた。
「おっはよ、シンちゃん」
「おはようマナ」
「遅いわよあんた、今ごろ起きてきて」
「あははは、面目ない。ちょっと夢見がよかったもんで」
一番遅くまで寝ていたマナがシンジの部屋から顔を出し、ダイニングに家族が全員揃う。
ただし家族といっても、それはあくまで『碇』に連なる家族なのであって、もう一人の家族ともいえ
るミサトはいまだに夢の中だ。きっと今ごろ酒の海に溺れていることだろう。
「もうすぐ朝ご飯の用意ができるから、顔洗ってきなよ。母さんもね」
「「は~い」」
マナに次いで遅く起きてきたのは、意外なことにユイだった。アスカはシンジに起こされるのにすっ
かり慣れているため、彼に呼ばれれば意外とアッサリと起きてくる。レイは低血圧で寝起きは悪いが、
これまで規則正しい生活を送ってきたおかげで、朝は早い。マイに関しては言うまでもないだろう。
とてとてと小さくリズミカルな足音を奏でて洗面所に向かう二人の姿を見送り、レイと二人で朝食を
テーブルに並べる。
今朝の献立は白いご飯と大根のみそしる。それから卵焼きとほうれんそうのおひたしとオーソドック
スなもので、もちろんマイには哺乳ビンにミルクを用意している。
「ねえシンジー、お茶っぱ切れてるわよ?」
「あ、昨日買ってきたのが上の棚に入ってるから、それ使ってくれる?」
「オッケー!」
アスカも以前のようにテーブルでふんぞり返ってるだけでなく、少しはお手伝いをしようと思い始め
たようだ。もっともかいがいしくシンジの料理の手伝いをしているレイに、対抗心を燃やしたという事
情もあるのだが、まあ、なんにせよいい傾向である。
「ところで母さん、母さんは今日はどうするの?」
「ん?どうするのって?」
卵焼きを頬張りながらユイが聞き返す。昨日のセーラー服ではないが、少し丈の大きいパジャマを着
ている様は他の三人と並んでも遜色ない。少し開いた胸元から除く白い肌が目にまぶしい。
「あたしたちは学校に行っちゃうけど、その間ユイママはどうするの?ミサトもネルフに……今日は
無理かしらね、あの様子だと」
「まあ、ミサトさんはともかくとして、お母さんもネルフに行くの?」
「そうねぇ……どうしたもんかしら。一日一回くらいは行っておいたほうがいいとは思うけど、正直
なところ、一日中いなくちゃいけないわけじゃないの。技術部にはリッちゃんとマヤちゃんがいるし」
「ん……むー」
膝の上のマイの口もとを、首から下げた涎掛けで拭いながら小首を傾げる。
「それじゃあどうするの?」
「ん~~~……………………!」
「んく、んく、んく……う?」
「……?」
「そうね…………その手もあるわね」
ふと、ユイがマイにミルクをやる手を止めて顔を上げる。
その瞳には、シンジの主観で、あまりに危険過ぎる光が宿っていた。曰く、アレな光である。
「か、母さん…………いったい何を企んでいるの?」
「え?あらあら……いやだわシンジったら、企むだなんて人聞きの悪い」
「じゃ、じゃあ、なにを考えてるのさ!?」
「おほほほ、別に普通のことよ~~~」
「母さんの普通は普通の人と違うんだって……」
「あーうー、あ~~、あーー!」
「あらあら、ごめんねマイちゃん」
なおも言い募ろうとするシンジであったが、ご飯のお預けを食って催促するマイの声に遮られてユイ
まで届かない。というか、無視された。
さすがにマイに文句を言うわけにはいかず、シンジは朝から難しい顔だったが、
「まあまあシンちゃん、朝からそんなテンション高くしちゃダメだよ」
「碇君、おみそしるおかわり」
「う、うん」
ニコニコ顔といつもの顔でお茶碗を差し出す二人のそれを受け取り、中身をよそう。
そこでなんとなくこの話は終わったのが、シンジの心にはやっぱり一抹のアレな不安が残るのだった。
それから少し時間が流れて、朝の学校。
いつものようにマイを背中から抱きなおして席に座る。
「トウジとケンスケ来てないね……どうしたんだろう?」
「さあ?あいつらのことだから、またシェルターから出てとばっちりでも食ったんじゃない?」
「そうなのかなぁ?あれだけ言ったのにそんなことするかな」
「大丈夫。馬鹿は死ななきゃ治らないもの」
「なんにしても自業自得だよねっ」
その原因を作った少女たちはどこまでも薄情だった。
き~んこ~ん、か~んこ~ん
がららららららっ
「おはようございます、みなさん」
担任の老教師が登場し、そこかしこで各々の話題に華を咲かせていた子供たちも一斉に席につく。
「え~~~、ホームルームの前に、今日も新しく入ってきた転校生を紹介します」
ざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわざわ…………
前代未聞の二日連続転校生の知らせに、教室に津波のようなざわめきが起こる。
一方でシンジは。
(絶対そうだ!間違いない!!なに考えてるんだよ~~~)
転校生がいったい誰であるのか、完全に確信してイヤンイヤンと頭を振りたくった。
「碇君、転校生というのは……」
「あ、綾波……言わないで、お願いだからさ」
「では、どうぞ」
がららっ!
現実逃避するシンジの嘆きも虚しく、教室のドアが開かれ、そこから一人の少女の姿が現れる。
茶色のショートシャギーの髪と、茶目っ気たっぷりに輝く黒い瞳。全体的に細身の身体は、どこもか
しこも儚げで、保護欲を掻きたてるに十分であった。
が、彼女の抱くその雰囲気は儚い、という言葉とはまるで程遠く、健康的な魅力を発している。
そんな彼女に、教室中の誰もが目を奪われていたのだが、その中の一角だけがぽっかりと穴が開いて
いるかのように別の空気を発散していた。
教壇の前に立った彼女はそんな彼らをちらりと一瞥し、一瞬だけにやりと笑う。
「みなさんはじめまして、碇ユイです。よろしくお願いしますね」
「「「「「「…………いかり?」」」」」」
「はい♪碇です」
ニッコリと笑ってそう言うユイの言葉に、クラス中の視線が一気にシンジに集まる。
シンジたち、ではなく、シンジに限定しているところが彼の立場を良く現していたりする。
「ううっ……」
身体中に突き刺ささってくる、イタすぎる視線に肩身の狭い思いをするシンジ。ユイはそんな息子の
気持ちを知っているのか、知っていてわざとなの、さらにとんでもないことを言ってしまう。
「あ、ちなみにそこのシンジとは実の親子なんですよ♪息子ともども仲良くしてくださいね♪」
・
・
・
「ええええええーーーーーーっっっ!!!??」
…………その後シンジがどんな目に遭ったかは、もはや語るまでもないだろう。
作者の戯言
仕事が忙しくて全然執筆ができません(涙)
というわけで、随分のご無沙汰でしたが、ようやく『パパ』の6話です。
で、今回は、前回の戯言からすると、もっとギャグテイストの高い話になるはずだったんですけど、
話の都合上、どうしても混ぜてなければならないエピソードが多くて、自然とギャグの度数も下がりっ
ぱなしでした。それどころか、変なところでシリアスとギャグが混在しており、非常に見にくく、メチ
ャクチャな構成となってしまいました。これではガトー少佐に「未熟!」と罵られても仕方ありません。
とまあ、反省はここまでとして、今回でいちおう物語の導入部は終了しました。各種設定の説明と過
去の清算。それから一部を除いたメインキャラ一同の登場がなり、以降、必須のシリアスシーンはしば
らく顔を出さなくなるはずです。
そんなわけですので、僕の拙いギャグを楽しみにしてくださってる方々は、懲りずに期待してやって
くださいね(^^)
あ、それから、以前にEF5で行われていた人気投票で、この『パパ』に投票してくださった方々に
この場を借りて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
まさか票が入るとは思ってなかったからなぁ…………しかも5票も。大感激でした(^^)
ぽけっとさんへの感想はこちら
Anneのコメント。
>「って、なんなのよこのふざけたサブタイトルは~~~っっっっ!!!!」
・・・そお?(笑)
私はなかなかハイセンスなサブタイトルだと思うけどな(爆)
>「鬼の居ぬ間に命の洗濯ですか!?ナオコさんはおろか、リッちゃんにまであんなことやこんなこと、
> あまつさえこ~んなことまでしたそうですねっ!!!」
>「まっ、待ってくれユイ!話せばわかる!!」
いやいや、例え海よりも深ぁ~~い訳が有れども絶対に話しても分かり合えないと思います(^^;)
まあ、前世での己の所業を恨み、悔い改めるしか有りませんね。
さもないと奥さんどころか、孫も抱かせて貰えないのは確実(笑)
>「ああ、ちなみに『親同士で決めた許婚』とか『物心つく前に結婚の約束をしていた』とか、あまつ
> さえ『王子様っぽいシンジからエンゲージリングを貰っていた』とかそういうお約束はなかったからね~~~♪♪♪」
>「そ、そうですか」
ユイってば、良い性格してますね。
ありがちなお約束を打破する素敵すぎる先制攻撃です(笑)
>「か、か、かあさ~~んっ!ぼ、僕たち実の親子なんだよっ!!?」
>「大丈夫よ!母さんの愛は、そんなものだって乗り越えられるわ!!」
>「む、無理だってば~~~、うぷっ!!」
・・・やっぱり(笑)
この2人、やっぱり既にそういう関係だったんですね(^^;)
あとユイのセーラー服もシンジは萌えてる様ですし、密かにこれはシンジの趣味に合わせたユイの策略かも(爆)
>「みなさんはじめまして、碇ユイです。よろしくお願いしますね」
・・・・・・やっぱり(爆)
<Back>
<Menu>
<Next>
テレワークならECナビ Yahoo 楽天
LINEがデータ消費ゼロで月額500円~!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル