【 HONEY?】
第二章『レイ』
遥か頭上で悠々と輪を描く鳶の、どこかのんびりとした鳴き声。
穏やかに降り注ぐ陽光のシャワー。
大地を撫でつけるように、ゆっくりと吹き抜けていく風。
そして、むせかえるような若葉と土の匂い。
その中にあって、半ば以上心地よいまどろみに身をたゆたわせていた僕は、ふと瞼を開ける。
目の前には空。
蒼い、空。
雲ひとつない。
青空。
高く、高く。
目の前にあって。
こう、手をかざせば触れられそうなほどに。
高い。
どこまでも、吸い込まれそうなほどに。
澄んだ空。
「…退屈?」
僕の頭を膝に乗せたまま、幼子を寝かしつけるように髪を撫ぜていた手を止めて…。
目を細めるように微笑って、小首を傾げて…。
上から僕の顔を覗き込む。
蒼銀の…いや、空色の髪の…。
「…碇クン?」
…ふぇ?
「…ふふ…寝惚けてた?」
…あ、いや。
「…頭撫でられるの…好き?」
…………。
「…………」
…いいよ、無理しなくても。笑えば?
「…ふふふ…ご免なさい?」
…むう。
で、なに?
「…ええ。碇クン、退屈してないかと思って」
んー?
いや、そんなことないよ。
たまには、こんなのもいいよね。
ただっ広い公園の、青い芝生の匂いにまみれながら…。
お日様の光を一身に浴びて。
遠くに聞こえる子供たちの声を耳にして。
ただ、時間の流れるままに任せる。
気持ちいいよね?
「そう?…よかった」
それに、膝枕のおまけつきだし。
…ミニスカートじゃないにしろ、ね?
「…ふふ」
ははは…。
今ね、寝惚け半分に空を見ながら思ったんだ。
こんな風に無為に時間を過ごす僕と、目の前の空。
限りなく続いていく空の前に居る、救いようがないほど矮小な僕。
感じるのは、僕をとりまくあらゆることへの迷い…。
何をするべきかな? どうするべきだろう?
漠然とした…けれども、暗澹たる重苦しい不安に押し潰されそうになる…。
でも、それでも。
触れてくれる掌が。
間近で感じることが出来る息遣いが。
温もりを分けてくれる体温が。
僕はちっぽけで…。
一人きりだけど…。
隣にはキミが居る。
綾波が、そこに居てくれる。
それを、思い出させてくれる。
それが、僕を…。
少し…そう、ほんの少しだけど…。
安心させてくれる。
安心することが出来る。
何とか出来そうな…。
何とかしよう…、そういう気になれる。
「…そう?」
うん。
「…ふふ」
?
「…ふふ…少し、キザ」
あはは…や、やっぱり?
「…でも」
え?
「…でも、嬉しい」
…うん。
「…私は…」
え?
「私は…私が、私でいられることとは別に…」
うん…?
「それとは別に、私という存在が誰かの助けになるというのなら…」
…………。
「すごく、うれしい…」
…うん。
「…それが、大好きなアナタであるのなら…いうことはない」
う、うん。その…ありがとう…。
「…いい」
あ、綾波ってさ…。
「?」
口数は少ないのに…その、時々大胆なことを言うよね。
「…そう?」
うん。
なんと言うか…今のも、結構恥ずかしかったよ。
「…ふふ」
ははは…。
ね、退屈じゃないだろ?
「ふふ…そうみたい…」
でもま、こういうのはたまにするからいいのかもね。
こんなのばっかりだと、きっと今度はあのうじゃうじゃした人ごみが恋しくなるよ。
きっとね?
「ふふ…そうかしら」
不本意だけどね。
「…ふふ」
…………。
「…………」
…………。
「…………」
…………。
「…………」
…綾波ってさ。
「?」
…綾波って、僕に触れるの好きだよね?
「そう?」
じゃない?
今も、さっきからずっと頭撫でてるし…。
「…気持ちよくない?」
いや、気持ちよくないってわけじゃないけど…。
「…………」
ああ!もう!
そうです、気持ちいいですよっ!
「ふふふ…」
うう…んむっ!?
「…ん…」
………ん。
「…………」
…………。
ど、どうしたのさ、いきなり?
「…キス…嫌い?」
い、いや、別に嫌いってことはないけど。
「…今日は」
?
「今日は、アナタと私が初めてキスした日だから…」
へ?
そうなの?
「…ええ」
へえ…そうなんだ…。
よく憶えてるね?
「…ふふ」
?
「…だから」
うん?
「…だから、今日はたくさんキスをしようと思ってたの」
…あ…
「…………」
…………。
「…ふふ。碇クン、真っ赤。」
あ、綾波こそ…。
「…………」
…………。
「…………」
…………。
「…………」
…………。
「…………」
…もっと…する?
「…………」
…………。
「…うん」
……ん。
「……んぅ…」
……む…ん…。
「…ん…んむ…」
……っ…。
「…ふぁ…ん…」
…ん…む…。
「…ん…ふぅ…」
………ふぅ。
「……ん…ん」
…………。
「…………」
…………。
「…………」
…………。
「…私も、気持ちいいから」
…え?
「…アナタに触れるてると」
…あ、ああ、その話。
「アナタに、こうして触れていると…」
…うん?
「『アナタと私』の間にある『身体』が境界線みたいで…とてももどかしくて…」
…………。
「でも、同時に『アナタと私』が別々の人間であることが確認できて、とても安心する…」
…うん。
「それが、気持ちいいから…」
そう。
少し、複雑だね?
「そう?」
と、思うよ。
「ふふふ…碇クンはどう?」
僕?
僕は…そうだな…。
触れられるのは好きだけど…触れるのは少し苦手かな…?
「…わがまま」
あはは…そうかもね。
嫌いじゃないんだけど…なにかね。
うまく言えないんだけど…そうだな…。
どうすればいいのか、わからなくなるんだ、多分。
大切にしたいのに、壊したくなるというか…。
「…よくわからない」
ははは…。
うん、綾波にはわからないと思うよ。
「…どうして?」
綾波が、女の子だから…かな?
「…………」
ま、とにかく、そんな感じかな。
「…………」
…あの…綾波さん?
「…なに?」
…そんなに強くほっぺた抓られると、結構痛かったりするんですけど。
「…そう?」
…あの〜もしかして何か怒ってらっしゃる?
「…別に」
…うう〜。
「…でも、触れられるのは好き?」
え、あ、うん。
「…どうして?」
うん?
そうだね…。
やっぱり、気持ちいいから、かな。
「…触れられるのが?」
うん。
綾波に触れられると、直接感じられるから。
「…………」
綾波が、僕を好きでいてくれるってことを。
綾波の、好意を。
僕には、それがすごく気持ちいい。
「…私も、同じ」
え?
「私も、アナタに触れられると気持ちいい」
あ。
「アナタに、触れることより、触れられることの方がずっと嬉しい」
…うん。
「だから、もっと触れて欲しい…」
…うん、ゴメン。
「…………」
…でもね、さっき言ったことは本当なんだ。
「?」
綾波に触れてると、わからなくなるんだ。
本当に、壊してしまいたくなる。
「…それでも、いい」
え?
「それでも、いい」
…綾波?
「でも、きっと、私は壊れないから」
…あ。
「きっと、アナタは壊さないから」
…………。
「私は、アナタのことが好きで」
…………。
「アナタは、私のことを好きでいてくれるから」
…………。
「だから、大丈夫」
…うん。
そうだね。
「ええ」
…信じてくれてるんだね。
「ええ」
ありがと。
「…いい」
うん。
「…だから」
うん?
「…だから、碇クン…」
…うん。
後書き
というわけで、ヤマなしオチなしイミなしシリーズ第二弾です。
うひ〜恥ずかしい〜(笑)
以上(笑)