葛城家の朝はシンジの朝食の準備から始まる。
朝はパン食のシンジはトーストと野菜サラダを手早く作るのを常としている。ダイニングテーブルで食事しているシンジの隣では、ペンペンが同じく朝食の生魚をもらっている。
シンジがやってきてからペンペンの食生活は大幅に改善された。かつて主人は自分と同じ物を同居人に与えていたのだから。
その主人の食生活がビールとレトルト物が主であったのだから、その悲惨さは言うに及ばない。
当の主人はというと、そろそろ食事も終わろうという頃になってようやく起き出してきた。
タンクトップにカットGパンという姿は、昨晩ビールを飲んでいた時のものと同じである。
髪はぼさぼさで腹を片手でぽりぽりと掻きながら現れる姿は、いつもの軍服姿からは想像したくないものである。
「おふぁよー、シンちゃん」
「おはようございます。すぐに食事します?」
「いい。シャワーあびてくる」
低血圧気味の彼女は起きぬけは全然だめであり、それはもうシンジも心得ている。
「トースト、いつもと同じでいいですか?」
「いいわ。じゃ…」
ぼー、としながらバスルームへ去るミサト。気にもせずシンジはパンをトースターに放り込む。
以前は起きぬけにいきなりビールをあおっていたのだが、シンジの強権発動によりあえなく中止の憂き目を見ている。
もっともミサト本人は諦めきれないらしく、未練げに冷蔵庫をのぞいたりしているが。
「やっぱり日本人なんだから、朝はごはんに味噌汁にするべきよ」
シャワーを浴びて目の醒めたらしいミサトがやってきて言う。
「ミサトさんはそれよりお酒が欲しいんでしょ」
「そうよお。日本人は昔から朝はご飯と味噌汁、それとお酒って相場が決まってんのに」
「ミサトさん、いつの生まれです?江戸時代?いまどき朝からご飯を食べてる若い人が何人いると思ってるんです?」
「どーせあたしはおばさんですよー!」
「だったら少しは節制しないと早く老けますよ」
「あたしはまだ若いもん。見て、このつるつるのお肌」
肩を見せに寄ろうとするミサト。
「目じりに皺ができてから泣いても知りませんよ」
「シンちゃん、きっつーい!」
黙ってごちそうさまをするシンジ。そのまま、台所の片付けに向かう。どうやら朝食の一切はシンジの仕事になっているようだ。
『だってミサトさんに任せておいたら、こっちの身が危険じゃないか!?』
ごもっともで。
ミサトの料理の腕が上がるまで、朝食はシンジが作ることになったらしい。
「ねえ、シンちゃん。今日の進路相談だけど…」
「別に無理して来てくれなくてもいいですよ」
「そうは言っても、これでも保護者なんだしい。行くわよ」
「頼みますから挑発的な格好してこないでくださいよ」
「あらぁ。いいじゃなあい?」
「ミサトさん。色気過剰の年増なんてみっともないですよ」
「…そこまで言う」
「言われたくなかったら、胸の開いた服なんか着てこないでくださいね」
「わかったわよ」
不満そうなミサト。
「あたしのこの魅力がわからないなんて。ぶちぶち…」
「なにぶつぶつ言ってるんですか?」
「シンちゃん、ひょっとして女の子に興味ないんじゃないの?」
ミサトの逆襲。
「若くてきれいな女の子なら興味あります」
動じないシンジ。
「えーえー。どうせあたしは行き遅れてるわよ。学校行くのよそうかしら」
「まあまあ。ミサトさんの姿を見るの楽しみにしてるのもいますから」
「そーお?へへぇ」
あっさり懐柔されるミサト。どうやらシンジのほうが上手らしい。
チャイムが鳴り、ミサトが出ようとする。
「うわさをすれば、ミサトさんのファンが来ましたよ」
<おはようございます!碇君いますか?>
「はーい。わざわざ悪いわねえ。ちょーち待ってね」
「ミサトさん。さっき言ったことわかってます?」
「なにがあ?」
「そんな格好で出て、あいつら喜ばせないでください、ってこと」
「あらー?シンちゃん、焼餅焼いてくれるのぉ?」
「そう思ってくれていいです」
「ふっふーん。わかったわん」
ご機嫌のミサトはダイニングから手だけ出して挨拶することで我慢した。
「じゃ、行ってきます」
ドアから出たシンジは、ミサトの声を聞けたからか感涙を滝のように流すトウジとケンスケを見てため息をついた。
シンジが去った後、ペンペンの冷蔵庫ハウスの奥から缶ビールを取り出したミサトは、家主の抗議を無視して本日最初のビールをあおっていた。
「ふっふーん。シンちゃんもまだまだ甘いわねえ」
どうやら二人の化かし合いはいい勝負のようである。
受話器を取るミサト。その顔は酔っ払いのものではない、厳しい顔。
「今、家を出たわ。後のガード、よろしく」
「いいよなあ、碇は。あんなきれいな人といっしょに暮らせて」
「そやそや。男の夢っちゅうもんやな」
「二人ともミサトさんが家ではどんなにひどいか知らないから、そんなことが言えるんだよ」
「ええやんけ」
「そうだよ。それだけ心を開いてくれてるってことだろ?」
「そりゃそうかもしれないけど」
あのだらしない姿をさらすことすら警戒心を緩めるための演技ではないか、とも疑うシンジ。結局のところ、シンジもミサトを信用しきってはいないのだ。
それでも、友人たちに向けるシンジの笑顔はなんの屈託もないように見える。
だが、時折さりげなく周囲に向けられるシンジの視線は、らしくない鋭さを見せる。
休み時間、シンジは窓から解体作業の進む使徒の姿を眺めている。車の爆音がし、目を転ずると駐車場に赤いスポーツカーがスピンターンを決めながら滑り込むところだった。
ドアを開け、スーツにサングラスの女性が現れる。もちろん葛城ミサト、その人である。いつの間にか窓に鈴なりになった男子生徒たちから歓声が上がる。
トウジとケンスケはVサインを出す。それに応えてミサトもVサイン。シンジは顔を押さえる。あああ。あれだけ言っておいたのに、全然気にしてやしない。
ケンスケはビデオを回している。
「やっぱミサトさんはエエわア!」
「うんうん!」
トウジとケンスケの会話に白けるシンジ。
「そうかあ?」
「あれでNERVの作戦部長やいうのがまた凄い!」
「うんうん!」
それはいいんだけど。
「私生活は破滅型だよ、あの人」
横目でシンジをにらむトウジとケンスケ。
「えかったなあ、ケンスケ。シンジがトーヘンボクで。」
「…ま、”敵”じゃないのは確かだね」
クラスの女生徒たちはまったく関係ない会話に夢中である。意図的に男子生徒の行動を無視しているとしか思えない。
「ばっかみたい!」
これはクラス委員の洞木ヒカリの言葉である。
クラスの騒ぎに一人我関せずの姿勢を貫くレイ。机に頬杖をついたまま、空を眺めている。
「ああーっ! ああいう人が彼女やったらなあ!」
「正気か?トウジ」
「わかってないねえ、センセ!
よっしゃ! 地球の平和はおまえに任せた! だからミサトさんはわしらに任せい!」
背中をどつかれてせき込むシンジ。
順番待ちのシンジは窓の外に目をやっている。ミサトは父兄待合室である。
「じゃ、碇君。先帰るわ」
レイがシンジに声をかけていく。
それに気づいた何人かがざわっとなる。教室を出て行くレイを見送ったトウジがシンジに詰め寄る。
「おい!碇。おまえ、綾波と何かあったんか?」
「? 別に何も」
「うそつけ。あの無愛想女が挨拶するとこなんか、初めてや」
「やっぱり同じエヴァのパイロットだからか?」
「ケンスケ。ほんとうに何もなかったんだよ」
「そうかあ?」
本当に何もなかったわけではあるまい? いやに絡む二人。ひょっとして二人とも綾波の隠れファンなのか?
整備中の初号機を見下ろすシンジ。
結局のところ、人間は生き延びるためにどれほどでも浅ましくなれるのかもしれない。
ここの大人たちにとって、禁断の技術に手を出すことも、人類のためという名目さえあれば許されることなのだろう。
「零号機の、胸部生体部品はどう?」
リツコがマヤに聞いている。
「大破ですからねえ……。新作しますが、追加予算の枠、ぎりぎりですよ」
「これでドイツから弐号機が届けば、少しは楽になるのかしら」
「逆かもしれませんよ。地上でやってる使徒の処理も、タダじゃないんでしょう?」
マコトがまぜっ返す。
「ほーんと。お金に関してはセコいところねえ。人類の命運を賭けてるんでしょう? ここ」
ミサトの嘆きは個人的理由もあるようだ。
「仕方ないわよ。”人はエヴァのみで生きるに非ず”。生き残った人達が生きていくにはお金がかかるのよ」
「予算、ね。……じゃあ、司令はまた会議なの?」
「ええ、今は機上の人よ」
「指令が留守だと、ここも静かでいいですね」
えらい言われようだ、と考えるシンジ。まあ、上に立つ者などいつでもそんなものかもしれないが。
画面にセカンドインパクト後の歴史の教科書の一部らしいものが写っている。海面上昇、とか戦乱勃発、とか新型爆弾投下、とか第2新東京とかの記述が見える。
画面が切り替わり、南極で原因不明の爆発が起こったとの記事のある新聞になる。
「そう。歴史の教科書では、大質量隕石による大惨事となっているけど、事実は往々にして隠蔽されるものなのよ。15年前、人類は、最初の『使徒』と呼称する人型の物体を南極で発見したの。でもその調査中に、原因不明の大爆発を起こしたのよ。それがセカンドインパクトの正体」
やれやれ。首を振るシンジ。大深度エスカレーターの上にシンジ、リツコ、ミサト。リツコの言葉にミサトはそっぽを向いている。その様子をちらりと見るシンジ。
「じゃ、僕たちのやることは?」
「予想されるサード・インパクトを未然に防ぐ。そのための、NERVとエヴァンゲリオンなのよ。ところで…」
リツコはミサトを振り向く。
「あれ、予定通り、明日やるそうよ」
「わかったわ」
これは雪でも降るかもしれない、と思うシンジ。もっとも、シンジは雪というものを見たことはないが。
「仕事で旧東京まで行ってくるわ。たぶん帰りは遅いから、夕食は何か出ばって。……じゃあ」
別に出張る必要はないのだが、ミサトさんの変わりっぷりはすごい、とトーストをくわえたまま考えるシンジ。
「どうしたんですか?」
「シンジ君。
急いでNERVに来てちょうだい。すぐに輸送機を発進させます。着替えてからケージへ来て」
マヤの声はかなり切迫している。
「使徒ですか?」
「そうじゃないんだけど。緊急よ。急いで」
「わかりました」
授業を早退して、専用列車へ向かうシンジ。
まさかミサトさんになにかあったんじゃ。
状況説明を受けるシンジ。
「要するにそのロボットを引き止めるんですね?」
「そうよ。ただ、原子炉内蔵だから人間が手動で止めるしかないの」
「まさか?」
「そ。目標と併走して、あたしを背後から乗り移らせて。後は目標の移動を可能な限り引き止めて」
「中に入るんですか?ミサトさん」
「そうよ」
「無茶ですよ」
「無茶は承知よ。でも、他にベターな方法はないの」
「危なすぎですよ」
「大丈夫、エヴァなら万が一の直撃にも耐えられるわ」
「そういうことじゃなくて!ミサトさんが…」
「ま、やれることやっとかないとねえ。後味悪いでしょ?」
「…」
ミサトのいやに明るい笑顔に何も言えなくなるシンジ。
猫のようなポーズで着地すると、すぐさまJAを追って走り出す。夕陽があたりを赤く染める中、奇妙な追いかけっこが続く。
JAに追いついた初号機は、突起をつかんで引き止めた。それでもJAは動き続けようとする。
ミサトは初号機の手のひらからJAの後部機械室へ乗り移る。放射能防護服で動きにくいせいか、手をすべらせてひやっとさせる。
ミサトはなんとか入り口にたどり着くと、中へと入り込んだ。
JAの動きは止まらない。初号機の踵が地面にめり込む。シンジは初号機をJAの正面に回らせる。
「止まれーっ!このお」
JAの肩口の開口から蒸気が噴き出す。かなり過熱が進んでいるようだ。炉心溶解まであまり間がないかもしれない。
「ミサトさん!早く!」
だがJAの動きは止まらない。じりじりした時間が過ぎる。
JAが大きく揺れ動く。あちこちから蒸気が噴き出す。
「ミサトさん!もういい。逃げて!」
いよいよ蒸気の噴出が急になる。
「ミサトさん!」
もうだめか、と思った瞬間、JAの活動が急激に停止していく。
しきりに動いていたマニピュレーターも止まり、進もうともしなくなる。蒸気の噴出も止まり、動作音もしなくなる。
「ええ。もう、最低だけどね」
JAの内部、制御盤にもたれて座りこんだまま、ミサトは投げやりな調子で答える。
「よかったぁ!ホントによかった!どうなることかと思いましたよ。
ホントに奇跡ってあるんですね!」
「ええ…」
いつになくはしゃいだ様子のシンジの声に、気のない返事をするミサト。
奇跡は用意されてたのよ、誰かにね。ミサトの思いはシンジには伝わらない。
リツコがゲンドウに報告している。
「初号機の回収は無事終了しました。汚染の心配はありません。葛城一尉の行動以外は、すべてシナリオ通りです」
「ご苦労」
そしてペンペンの冷蔵庫ハウスから缶ビールを取りだし、一気に飲み始める。
「ぷはああああ。くううーっ!」
あっけに取られているシンジ。
「ミサトさん、朝からビールは止めたんじゃないんですか?」
「いいじゃないのお。今日くらい。お祝いよ、おいわい。昨日はあやうく死にそこなったんだもの」
「まあ、気持ちはわかりますけどね。今日だけですよ」
「ええー?いいじゃない。そんなカタいこと言わなくったってえ」
「だめです。それにペンペンが怒ってますよ。自宅を倉庫代わりに使うなって」
「さあーて、朝シャン、朝シャン」
シンジの言葉を無視して、バスルームへ向かうミサト。ジト目で見送るシンジ。
「ねえ、ペンペン。今度ドアに暗証番号つけようか?」
「くわ!」
シンジの提案にすかさず賛成するペンペン。どうやら二人の化かし合いはまだまだ続きそうである。
ドアホンが鳴り、トウジとケンスケが現れる。残念。本日はお姿はおろか、声も聞けなかった二人であった。
相変わらずミサトを持ち上げ続ける二人に、シンジは渋い顔である。
「ああ、やっぱカッコええなあ、ミサトさんは」
「まあ、そうは思うけど、家の中じゃひどいもんだよ。ずぼらだし、カッコ悪いし、マジでだらしないし。こっちの身にもなってよ」
「碇。それってうらやましいと思うよ」
「ん?」
立ち止まるシンジ。
「それだけ本当の姿を見せてるんだろ?本当の家族だと思ってるんだよ」
「そうだなあ。そうかもね」
ケンスケの言葉に苦笑いするシンジ。再び歩き始める。
…… to be continued
やはりさっさとアスカを出すべきだったかな。
ただ、いくつか大事なエピソードもあったことだし。
それにアスカのキャラがいまいち固まってなかったりして。
どんな出会いにしようかな。