Childrenに祝福を…
第十三話
『絶望、そして残された希望』
前編
葛城家の朝である。
アスカは朝からお風呂に入ろうとしている。
脱衣所から鼻歌が聞こえるところをみると、機嫌は良いようだ。
勢い良くドアを開けて風呂場に入ったアスカは、湯船に張られたお湯の温度を見ようと手をつっこむ。
「あっつーっ!」
アスカは思わず手を引っ込めてしまう。
「あんのお、バカシンジ。どうしていつもこんなに熱くするのよ!」
脱衣所に出たアスカはタオルを身体に巻くと、シンジに文句言おうとアコーディオンカーテンを引き開けた。
「こらあ!シンジ!熱いじゃないの!」
「あ、そうだった?」
シンジはお鍋を両手で持ったまま、のほほんとした受け答えをする。
「そうだったじゃなーい!あたしの玉のお肌がヤケドしちゃうじゃない!そしたら責任とってくれるわけぇ?!」
「責任ったって…」
あきれ顔のシンジである。
「僕はいつもちゃんとちょうどいい温度にしてるよ」
「うそばっかり!だったらどうしてあんなに熱くするのよ?!」
「ちゃんと42度にしてるって」
「えー?!42度お?茹だっちゃうわよ。いい!お風呂は40度を越えちゃダメなの!」
「そんなぬるいお湯なんて…」
「まあまあシンちゃん。シンちゃんが入るわけじゃないんだから」
ビール片手に二人のやりとりを聞いていたミサトが止めに入る。
「そ、それはそうですけど」
シンジは不満そうである。
「なんだかあなた達の会話って夫婦の会話って感じなんだけどお?」
からかうような表情を浮かべてミサトが言う。
「ええっ?!」
「な、なんてこと言うのよ!あたしがどうしてシンジと夫婦なのよ!」
とはいえ二人とも赤くなっているのだから、語るに落ちるというものである。
「加持さんとヨリが戻ったからって、自分といっしょにしないでよね!」
アスカの逆襲である。
「加持なんかとはなんでもないわよ」
そらっとぼけるミサトである。
そのとたん、電話のコールが鳴り出す。
<よぉ、葛城。酒のうまい店見つけたんだ。今晩どうだい?じゃ>
ミサトはあちゃーという顔をしている。
「ふん!どーせあたしは酒のつきあいなんてできないわよ。言ってるそばからこれじゃない!」
「アスカ。ミサトさんにも事情ってものがあるんだよ」
「うるさい!ミサトの肩なんか持っちゃって」
アスカはアコーディオンカーテンを閉めて脱衣所へ戻ってしまった。
「あらら…」
呆気にとられた表情のミサトである。
「いいの?シンちゃん。アスカ、怒ってるわよ」
「まあ、しょうがないですよ。それより、ビール、ほどほどにしておいてください」
二缶目のビールに手を出そうとしていたミサトを目ざとく見つけて、すかさず先手を打つシンジである。
ミサトが手を引っ込めるのを確認してから、シンジはおもむろに脱衣所へ向かった。
「アスカ?加減はどう?」
脱衣所からドア越しに声をかける。
「もううめたからいいわよ」
「今度からもう少しぬるめにするよ」
「ちゃんとしてよね。朝からヤケドしたくないから」
「でも、熱めのほうが目が覚めるから」
「程度問題よ」
「わかったよ」
やれやれといった表情のシンジである。
***
ネルフ本部、シンクロテストルーム。
アスカ、シンジ、レイの三人はシミュレーションプラグの中にいた。
測定室のモニタに三人の様子が映っている。
「E型ハーモニクステスト、異常なし」
マヤがコンソールに向かいながら報告する。
「深度調整数値を全てクリア」
オペレータ席に座った日向がミサトを振り返る。
「ミサトさん、なんだか疲れてませんか?」
「いろいろとね。プライベートで」
どこか投げやりなミサトである。
「加持君?」
リツコが書類を見ながらつっこみを入れる。
「うるさいわね!」
あっかんべーをするミサトである。これではバレバレであろう。
「どう?シンジ君の調子は?」
とぼけようとしたのか、マヤに問いかけるミサトである。
「ええ。まあまあですね」
モニタを見ながらマヤが答える。
「最近ちょっと調子悪いのかしらねー」
「そうですね。決して悪くはないんですが、ちょっと落ち気味ですね。それに比べてアスカは調子良いです」
「シンジ君を抜いた、か」
考え込むミサトである。
「自信過剰にならないといいけど」
ミサトはマイクを掴むとシンジに話しかける。
「聞こえる?シンジ君」
<聞こえますよ>
プラグの中からシンジが応じる。
「どこか具合悪いの?」
「いえ。別に。どうかしたんですか?」
シンジは不思議そうな顔をして問い返す。
「あ、なんでもないの」
<ミサト。あたしはどうだった?>
アスカが会話に割り込んでくる。
「調子いいわよ、アスカ。シンジ君を抜いたわ」
<ほんと?!>
「そ。いよいよアスカがエースパイロットね」
<やりい!>
プラグの中で満面の笑みを浮かべるアスカである。
モニタを見つめながら、ミサトは複雑な表情をしていた。
***
「だから言ってたじゃない。必ず近いうちにシンジを抜いてみせるって」
「そうだね。やっぱりアスカはすごいよ」
ロッカー室からの廊下の途中である。
アスカは嬉しくて仕方がないといった表情である。
そんなアスカをシンジは柔らかな笑みで見守っている。
「それとも、くやしい?あたしに抜かれちゃって」
「そりゃあ、まあ。悔しくないと言ったら嘘になるけど。でも、アスカはずっとがんばってきたから」
「シンジ…」
「なに?」
「これであたし、シンジに追いついたわよ」
「?」
シンジはアスカに不思議そうな顔を向ける。
「うふふ…」
アスカは笑いながら、どんどん先に歩いて行ってしまう。
「アスカ、早いよ」
「早く早く。あたし、お腹空いちゃった」
「今日の当番は僕だっけ?」
「いいじゃない。お祝いよ、お祝い」
「なんだかねえ」
ぼやきながらも早足になるシンジである。
帰りのバスの中でもアスカはずっと機嫌が良かった。
鼻歌でも出そうな雰囲気である。
そんなアスカをシンジは少し困ったような笑顔を浮かべながら見守っていた。
***
翌日の日中。
第三新東京市の上空に使徒が現れた。
シマウマのような縞模様を持つ、巨大な球体が音もなく中空に浮かんでいる。
前兆もなく、いきなり出現した使徒にNERVは騒然となった。
けたたましく警報が鳴り渡る。
NERVのオペレーターたちは、大至急住民の避難をさせ始めなくてはならなかった。
住民の避難が終わるまでは、使徒に対する攻撃はお預けである。
そのため、巨大な球体が現れる以前に、その影が先に出現していたことにだれも気づかなかった。
<西区の住民避難、あと5分かかります>
<目標は微速進行中。毎時2.5キロ>
オペレーターの報告が響く中、ミサトが発令所に駆け込んでくる。
「遅いわよ」
リツコが振り返ってとがめ立てする。
「ごめん」
それだけ言うと、ミサトは青葉に問いかけた。
「どうなってんの?富士の電波観測所は?」
ミサトの問いに青葉が振り返る。
「探知してません。直上にいきなり現れました」
「パターンオレンジ。ATフィールド反応なし」
「どういうこと?」
日向の報告に、ミサトは怪訝そうな声を出す。
「新種の使徒かしら?」
「MAGIは判断を保留しています」
リツコの言葉に、マヤが応じる。
「もう。こんな時に碇指令はいないのよね…」
ミサトは空っぽの指令席を見上げながらそう不満を漏らした。
***
道路に落ちた影がゆっくりと移動していく。
その上空には巨大な球体状の使徒。ビル街の上空に悠然と浮かんでいる。
その使徒の写るモニタを睨みながら、シンジは緊張した面もちでいた。
すでに初号機に搭乗し、地表に出ている。
ひょいと初号機の首を伸ばして、直接カメラ視界に入れて使徒を確認する。
「あれか…」
そうつぶやくと、シンジは再び初号機をビル陰にひそませた。
<みんな聞こえる?>
ミサトが発令所から呼びかけてくる。
<目標のデータは送った通り。今はそれだけしかわからないわ」
シンジは難しい表情をしている。
<慎重に接近して反応をうかがい、可能であれば市街地上空外への誘導も行う>
ミサトの指示をレイはビル陰にひそませた零号機の中で聞いている。
<先行する一機を残りが援護>
アスカの弐号機がビル陰を進んでいる。
<よろし?>
「りょうか〜い。じゃ、あたしがいきまーす!」
アスカが緊張感のない声をあげる。
「ちょっと、アスカ。何を?」
「だいじょうぶよお、シンジ。あたしが一番近いし。それに初号機はパレットガンじゃない?弐号機はハンドガン装備よ。取り回しはこっちのほうがいいわ」
「そ、それはそうだけど…」
<アスカ。慎重にね>
「わかってる、ミサト」
そう応じながらアスカは真剣な真剣な表情を浮かべていた。
<シンジ君、レイ。バックアップ位置について>
「はい」
「了解」
初号機と零号機がビル陰を移動していく。
「アスカ、大丈夫かしら?」
発令所でミサトは心配そうな声を出していた。
「大丈夫じゃない?アスカ、このところ調子いいし」
「そうねえ。シンジ君の調子がいまいちなのが問題なのよね」
リツコの言葉にも不安を隠しきれないミサトである。
「シンジ君、何かトラブルでもあるの?」
「別にないわ」
「そう?」
「だからよけい気になるのよ」
ミサトの視線の先のモニタには、使徒に接近する弐号機が写っている。
***
「シンジ、ファースト、そっちの配置はどう?」
アスカは弐号機をビル陰にひそませながら問いかけていた。
<もうちょっと>
<まだよ>
その頃、シンジは初号機のアンビリカルケーブルをビル角に引っかけて四苦八苦していた。
「なんだ?長さが足りないのか?」
シンジは初号機のアンビリカルケーブルを切断する。
切り離されたコンセントは地面に落下する寸前に逆噴射をして軟着陸する。
シンジは手早く新しいケーブルを引き出すと初号機の背中に装着した。
「急がないと…」
シンジの顔には焦りの色が見える。
弐号機はビル陰に隠れたまま、使徒の様子をうかがっていた。
「まだなの…?」
アスカの表情にも焦りが見える。
使徒が弐号機の目前をゆっくりと行き過ぎていく。
「やるっきゃないか」
アスカはレバーを握る手に力を込めた。
「待ちなさい!」
そう叫びながら、アスカは弐号機をビル陰から飛び出させた。
ハンドガンが発砲の閃光を三回閃かせる。
「アスカ?!」
シンジは初号機の中で発砲の音を聞いていた。
弐号機の放った弾丸は狙いあやまたず、使徒目がけて殺到する。
しかし、着弾の寸前、忽然と使徒の姿が消えてしまった。
「「消えた?!」」
弐号機の中のアスカと、発令所のリツコは同時に驚愕の叫びをもらした。
唐突に発令所の中に警報音が鳴り響き始める。
「なに?!」
「パターン青、使徒発見!弐号機の真下です!」
ミサトの叫びに日向が答える。
「なんですって?!」
***
弐号機の真下、足下から黒い影が急速に広がっていく。
アスカはぎょっとなって足物を見た。
「なによこれぇ?!」
影が広がるにつれて、ビルが沈み込み始める。そして弐号機も。
「か、影え?」
弐号機が影目がけて発砲する。
しかし、放たれた弾丸は吸い込まれるように影の中へ消えてしまう。
「何なのよ?変よこれ」
アスカがはっとした表情になる。
いつの間にか、弐号機の直上に縞模様の球体が浮かんでいる。
アスカの表情が引きつる。
「いやああああっ!」
アスカの口から悲鳴が漏れた。
<アスカ、逃げて!アスカ>
ミサトからの通信が入るが、すでにどうしようもない。
「アスカ!早く逃げて、アスカ!」
シンジはシートから身を乗り出すようにして叫んでいた。
「い、いやあああ…な、なんなの?これ。どうなってるの?」
パニックに襲われかけたアスカに関わりないように、弐号機はずぶずぶと沈んでいく。
必死であがいているが、まるで蟻地獄に捕まった蟻のようである。
「やだ、やだ!…シンジ、シンジい!」
アスカはべそをかきそうになっている。
「シンジ、シンジ、助けて!シンジい!」
ミサトとリツコは影の中に沈んでいく弐号機を凍り付いたように見つめていた。
スピーカーからアスカの悲痛な声が響く。
ミサトがはっと我に返る。
「プラグ射出!信号送って!」
ミサトの命令はマヤの絶望的な声で遮られた。
「だめです!反応ありません!」
「そんな?!」
ミサトの顔が引きつったまま凍り付いた。
弐号機の頭部まで影の中に沈みかけている。
「シンジ、シンジ…ガガッ…」
ついに通信もとぎれてしまう。
「アスカあっ!」
叫びながら、シンジは初号機をビル陰から飛び出させた。
使徒目がけて一気にダッシュする。
<シンジ君!レイ!弐号機を救出!急いで!>
初号機のプラグの中にミサトの悲鳴のような命令が響きわたる。
「わかってます!」
シンジは斬りつけるように答えながら、一気に距離をつめていく。
ビルの屋上にライフルを据えた零号機が、使徒を狙撃し始める。
しかし、発射された弾丸は使徒を素通りして背後のビルに爆発を起こす。
「また消えた?!」
マヤは信じられないという声を出す。
「シンジ君、気をつけて」
リツコも、いささかあせっているようだ。
初号機の足下に素早く影が滑り込んでくる。
「影?!」
初号機はジャンプして影から飛び下がる。
影にもぐり込まれた自動車があっという間に飲み込まれていく。
初号機は高層ビルの壁面につかまると、にじり登り始める。
そのビルもずぶずぶと沈み込み始める。
「な、なんだってんだ?」
シンジは初号機をビルの屋上からジャンプさせる。
初号機は隣のビルにかろうじて貼り付くことができた。もう一度壁面をにじり登り、屋上へ上がる。
屋上へ登ったシンジは愕然とした声を上げた。
「街が…ない?」
初号機の周囲のビルはほとんどが影の中に沈んでしまい、真っ黒な影だけが広がっている。
<シンジ君、レイ、後退するわ>
プラグの中にミサトの声が響く。
「ちょっと待ってください!」
シンジは血相を変える。
<命令よ。下がりなさい>
シンジはものすごい表情でモニタのミサトを睨みつけた。
モニタの中のミサトは苦渋をにじませている。
その背後の冷静な表情のリツコを見て、シンジの心は決まった。
初号機がアンビリカルケーブルを切断する。
<シンジ君?!何を?>
モニタの中のミサトが驚愕する。
「すみません!後をお願いします」
初号機はビルの屋上に立ち上がると、屋上からジャンプした。
「碇君?!」
レイが初めて悲鳴のような叫び声を上げた。
<待ちなさい!シンジ君!>
ミサトの命令にはかまわず、初号機は広がる影の中に飛び込んで行った。
***
発令所でミサトは初号機の消え去った後の市街のスクリーンを呆然と見つめていた。
「何で?シンジ君」
そんなミサトを一瞥してからリツコが命じる。
「探査ヘリ、出動して。ケーブルの回収を」
しばらく身動きしなかったミサトだが、我に返ったようだ。
「日向君、初号機の探知はできる?」
「だめですね。一切の探知波を受け付けません」
「…そう」
***
「葛城三佐、つらいでしょうね」
マヤがミサトを見やりながら言う。
ミサトは青葉と何か話している。
「弐号機のアンビリカルケーブルを引き上げてみたら、先はなくなっていたそうよ」
リツコが感情を感じさせない声で言う。
「それじゃあ?」
「内蔵電源に残された量はわずかだけど、シンジ君が闇雲にエヴァを動かさず、生命維持モードで耐えることができれば…」
スクリーンには使徒の上空を旋回するヘリコプターが映っている。
「16時間は生きていられるわ」
「そんな…」
マヤが手で口を押さえる。
「ちょっと待ちなさいよ。アスカはどうなの?」
ミサトが割って入ってくる。
「アスカも同じよ」
冷然と答えるリツコにミサトの表情が険しくなる。
「シンジ君はアスカを助けに入ったのよ。動かないでいるはずないじゃない!」
「この際、アスカは諦めるべきだわ」
「な、なに言ってるの?」
リツコの言葉にミサトの表情が変わる。
***
箱根外輪山中腹の駐車場。
ネルフの移動指揮車とサポート車が並んでいる。
空は日が沈んだ直後で、赤く照り返しが映えている。
どこからか鐘の音が聞こえる。まるで弔鐘のようにもの悲しく響いている。
山陰に零号機がうずくまっている。待機中のようだ。
市街地上空には使徒。夕陽に赤く照らされている。
その使徒をミサトは双眼鏡で観察している。
「国連軍の包囲完了しました」
移動指揮車の中から青葉が報告する。
「影は?」
「動いてません。直径600mを越えたところで停止したままです」
ミサトの問いに日向が答える。
ミサトは双眼鏡を目から離すと、厳しい目で使徒を見つめ、ゆっくりと振り返る。
「でも、地上部隊なんて役に立つんですか?」
「プレッシャーかけてるつもりなのよ。私たちに」
ミサトの言葉に、リツコが肩をすくめる。
「やれやれね。独断専行と命令無視。作戦部長としてはどうするの?」
「帰ってきたら厳罰ね」
「できるかしら?」
どこかからかう口調のリツコである。
「当たり前じゃない」
「帰ってくれば、だけど」
その言葉に、ミサトはキッとなってリツコを睨みつけた。
二人のやりとりをレイは黙って聞いていた。
レイの視線は市街に広がる影に向けられたままである。
「碇君、どうして?」
誰に問いかけるともなくつぶやくレイ。
応える者はいない。
…… to be continued
Copyright by ZUMI
Ver.1.0 2000/1/18
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*感想をお願いします。zumi@ma.neweb.ne.jp
またしても二ヶ月もあいてしまいました。申し訳ない。
このあたりからオリジナル色が強くなっていきます。
残念ながら、これからどんどん厳しくなっていくんですよね。
読むほうもつらいと思いますが、書くのもつらいんですよね。(;_;)
とはいえ、最後までどうかお見捨てなきよう、よろしくお願いします。m(_
_)m