夢からの目覚め方がわからない。  頬をつねろうにも手が自由にならない。手首に当たる手錠の感触が冷たい。足に力が入らず、鎖で つながれた両手首だけで体を支え続けているので、肩が重い痛みを孕んでいる。そして、夢の中にい るせいか、頭の芯が鈍く痺れたようで、物をよく考えられない。  それでも耳が足音を拾った瞬間、異様にリアルな恐怖を感じた。  背筋にぞっと冷たいものが走る。肌が粟立つ。小刻みに体が勝手に震えだして、近づくものよりも いっそ過剰な自分の反応をおそれた。これは本能が告げる恐怖か。いや、違う。 (自分は、知っている)  この足音の持ち主が自分に何をもたらすか――  ガチャリと扉を開く音に顔をあげた瞬間、目に入ったのは澄み切った緑の瞳。 (……!) 「イヤ―――――ア―――――――アアアアアアアアアアアア!」  絹を裂くような声が耳をつんざいた。自分の声帯を震わせているのがこの声だと気づくのが一瞬遅 れる。まさか、このような声を――自分が? いや、しかし――確かに、こわい。こわい! 恐ろし くてたまらない。この男をだれかどこかにやってくれ! 少しでも自分から離れた所へ!  萎えた足で地面を引っ掻き、少しでも体を遠ざけようとするのに構わず、男はずかずかと歩み寄っ て距離を縮め、鼻先まで顔を近づけて自分の顔を覗き込んだ。 「おや、ここしばらく頭がイッたままだったのに、もう正気に戻ったか。昨日までこの軍服を見ても 険しい顔ひとつせず、ただかわいらしく首をかしげていたではないか。お人形ごっこは終わりかな」 「よるな―――化け物! 悪魔! 触れるな!」 「この分だと、この薬の効き目にも期待は禁物のようだ。3日忘我で半日記憶喪失、そのあと逆戻り では即効の調教道具といっては宣伝負けする。まぁ、手っ取り早い手段など邪道と我らが研究顧問は 言うだろうが――しかし、記憶を取り戻したのは私の姿を見たのがきっかけか? とすれば、この存 在がそれだけ浸み込んだということかな。それはなかなかに快い」  伸ばされた手を噛もうとした歯がガチリと空振った。男の力強い手が犬猫に対するように、顎から 首の付け根まで無造作につかみ、そのまま、鎖にぶら下がった体ごと彼の高さまで引き上げた。限界 まで顎を反らさねばならず、口も開けずに自分はただ唸り声を洩らす。 「いや、実際君はよく耐えているよ。この薬の前は鞭だったんだが覚えているかい? 棘付革製の本 物でね。大の男でも泣き叫ぶ代物だが、君は声ひとつ上げなかった。残念だったよ。君の声は不思議 な響きがあって耳に心地良い。猿ぐつわをはめないのもそれが理由のひとつだ。まったく君は利口な ことに舌を噛もうとはしない! 実に賢明だ。瞠目に値する。わかるかな。私は君に死んでもらいた いのだよ! しかし殺して良いという命令を受けていない」  無造作にさらけだされた首筋に男が口を寄せる。首を振ろうとしても男の馬鹿力に逆らえない。な ぜかわかる、男がこれから何をするのか。頭に浮かぶイメージを、男は正確にトレースした。扱いの 乱暴さに反して、鎖骨のくぼみを舐める舌は丹念で、柔らかな感触が気持ち悪い。軽く吸い上げられ てぞくりとした。 (いやだ)  この感覚になじみがある。この感覚を“彼”以外が自分に与えることは許されない。おさまりかけ ていた震えが大きくなる。なんという屈辱。なんという悪夢……! しかもこれは序幕にすぎない。 これから本当の悪夢が始まると自分は知っている。 「君は肌が弱いな! なかなか痕が消えない。私はいつも痕をつけなおしているというより、色を塗 りなおしている心持ちがする。といっても、君の反応がいつも新鮮だから飽きはしないが。さて、ソ レスタルビーイングの優秀なるガンダムマイスター、我らが戦友の憎き仇!」  あくまで澄んだ瞳で、金髪に緑の目の悪魔は言った。 「今度こそ地獄を味あわせてあげよう。私が手を下すまでもなく、君が死んでくれるように」                     ***  彼が好きなのは髪と手と瞳。その広い胸に顔をうずめれば、やさしく頭を撫で、指で髪を梳かれ る。彼の顔を見上げれば、覗き込むように瞳を見つめて微笑みかけられる。彼のなめらかな頬に手を 滑らせれば、大きな手が上から重ねられ、優しく指を握られる。  お笑い草だ。彼はこの自分を綿菓子か何かと勘違いしているのか。  自分はヴェーダの意に従う機械にすぎない。実際のところ、それを彼が知らないはずがない。任務 を果たすことが自分の存在理由。自分にとっての彼の価値はヴェーダの意を実現することができる、 マイスターであるという事実のみ。  だから、彼がこんなふうに自分を扱う理由などない。 「あなたはおかしい。ロックオン」 「何が?」 「私はこのように扱われる存在ではない」 「は! そんなわけがない。お前はいつだってやさしくされたいって言ってるぜ」 「言ってなどいない」 「言ってるんだよ。ここが」  顎を軽く持ち上げられると目をつむる癖がついた。唇に落とされると思った口づけは右のまぶたの 上に、左に移って離れた。 「……?」 「目が言ってる。ああ、いまは唇にキスしてほしかったのに、って文句だな。悪い悪い」  言ってなどいない。と口にしようと思って、しかし唇に降りてくる口づけをそれで失うのは嫌で黙 ってキスを受ける。ということは、彼のいうことは図星、なのか?  ときどき、彼は自分より自分のことを知っているのではないかと思う。  彼はあまりに自分の奥底に隠れた望みを見つけ出してしまう。今は些細なことだけれど、いつか自 分には許されないような大きな望みまで見つけられるのではないかと思うと、少し…… 「お前の望みなら何でも叶えてやるさ。だから、どこにも行くな……消えちまわないでくれよ」 「死なないという確約は無理だ」 「その無理を通してほしいんだよ。お前は変なところで諦めがよさそうで不安だ」  その声が思いのほか真摯で、一縷な思いに満ちていて、思わずうなずいていた。 「……努力する」 「いい子だ! ほら、こっちにおいで」  破顔した彼の招きに従い、ベッドに座る彼の膝にまたがる。器用な指がシャツのボタンを外してい くのを眺める。ああ、ほらいけない。何か自分の中で望みが目覚めようとしている。欲しいと思う。 欲が目覚める。不安になって、彼の指を捕らえた。 「? どうした?」 「……自分でできる」 「そうか?」 「当り前だろう」 「ほう。じゃあ、どうぞ」  ベッドに後ろ手をついて、ロックオンはにっこり笑った。何をばかなことを。服の脱ぎ着など5歳 の子供でもできる。上から4つ目のボタンをはずそうと指をかける。かけながら、少し目線を上げ て、ロックオンの様子をうかがった。見ていた。  思わず、指が滑る。少しあわてて目をまたボタンに落とした。ボタンをはずそうとするが、うまく 指に力が入らない。指先と、シャツの隙間から外気に触れる胸もとが熱い。ボタンを外すどころか、 上まで全部かけて襟元まできっちりしまいたくなった。あの目に布一枚の防御もなく体をさらすなん てできるわけがない……! 「困った奴だな。やっぱりできないんじゃないか。俺に任せときな」  にっ、と軽く笑って、彼は動けずに服の合わせをつかむ自分の手に触れた。既に逆らうのは諦めている。  なぜなら、彼はもう自分が奥底に隠していた望み、欲を見つけ出してしまっているのだ。  体中が熱くてたまらない。  彼が触れていない個所などもうどこにもない。うなじが繊細な指先にくすぐられ、背中をひろい掌 に撫でられる。熱い口内に乳首が包まれ、押しつぶすように舌で転がされたときは、こらえきれず声 を上げた。  何をされても全身がふるえてしまう。過剰に反応する自分の体が恥ずかしい。  とうとう下肢に伸ばされた手が、指がすでに濡れきった中に沈められ、声にならない悲鳴が漏れた。 「ロック……ロックオン……ああ、待って…ッ」 「どうして?」  耳たぶに唇を寄せていた彼の声が、近くで耳朶を打つ。  その声にぞくりと身を震わせたところで、彼は自分の中に差し込んだ指を2本に増やし、容赦なく その長い指で奥を探り、かきまぜる。過ぎた快感に目の前が白くなる。 「あんっ、あぁ……あん…んっ」  こらえきれずに首を振る。恥も外聞もなく喘いでも快感を逃しきれない。  ぬちゃぬちゃといういやらしい音が高く聞こえるのに顔が熱くなる。これはすべて彼に触られて自 分が感じた証拠なのだ。体中を、彼の手に、指に、掌に、唇に、舌になぞられ、撫でられ、口づけら れて、すっかり濡れそぼった自分の下肢。 「ふ…っん、ああ…お…ねが……い…!」 「感じやすいにもほどがあるぜ、やらしい奴」  ようやく指が抜かれる。その感覚にもぞくりとした。そして次の彼の行動に仰天する。  彼の息が下腹部にかかって、その顔が太股の間に、唇が、自分のアソコにぴったりとはりついて―― 「やぁ、あ、あ……あああああっ!」  シーツを握りしめて顔を横倒しにして必死に堪えた。  全身が波打つように幾度も震える。体中から汗が噴き出すのがわかった。  アソコの中をうごめく柔らかい生き物が、奥までねぶるように執拗にぐちょぐちょになっている内 壁を舐めまわす。  下から聞こえるぴちゃぴちゃと鳴る水音が聞くに堪えないあからさまさだ。全身が敏感になってい て、腰を押さえる手が少し滑っただけで、ぞくぞくしてたまらない。  ひときわ音を立てて、彼が啜りあげた瞬間、全身が痙攣した。目の前が白く染まる。 「……ティエリア」  目を開くと、すぐ近くから見下ろす優しい目があった。 「ロックオン……」 「どんだけ快感に弱いんだ。落ちるのが早すぎだぜ」 「え」 「かわいいよ」  どきんとした瞬間、ゆっくりと自分の中に沈み込む質量に目を見開いた。 「だめ……! 入らな…無理……!」 「せまいな。力抜け、ティエリア」 「ムリだ。物理的に!」 「だだこねんなよ、しょうがねえな……ッ」  中途半端なこの状態がきついのか、眉をひそめた彼の表情に胸がうずいた。  すっかり下半身は蕩けていて痛みは少ないが、信じられない質量が体の中におさめられていく感覚 がこわい。けれど、いとおしげに自分を見つめる目に抗えない。 「わかった。なら…キス、を。今すぐ」  くすりと、彼は笑った。願いはすぐに叶えられ、唇が降りてくる。口内で舌を絡ませるとぞわぞわ と慣れた快感が走り、体の力が少し抜ける。その隙をつくように、ぐん、と奥までねじ込まれた。 「ぁん!」 「ほら、全部入った」  体の中で彼が脈打つのを感じる。  奥まで貫かれ、痛みに満たされて、それでも感じているのは快感だ。とろりと奥で痺れ、浸み出す 快感がある。呼吸が苦しくて喘ぐような音が自分でうるさい。けれど、彼は褒めるように自分の頭を 撫ぜ、自分が弱いらしい鎖骨のくぼみに音を立ててキスをした。さらに下半身が蕩けるのを感じる。 「動くぜ」                     *** 「…………!!!!」  目を見開いて必死に唇を噛み、声を噛んだ。断りもなく激しく動き出した目の前の男の行為には、 やさしさのかけらもない。ただの拷問でしかない。苦痛しか感じない。手首を吊るす鎖をつかみ、肩 に顔を押し付けて、好き勝手に揺さぶられながら、灼熱のように熱い痛みに耐える。 「声を聞かせてはくれないのかな。いっただろう。私は君の声が気に入っている。せっかく今日は何 の道具も持ってきていないのだから、当たり前に楽しませてもらわねば期待外れというものだ」  また打ち込まれる熱い衝撃は無理やり自分の中をこじ開け、ねじ込んでくるもので、下から真っ二 つに引き裂かれるような苦痛を感じる。奥歯を食いしばって悲鳴を噛み殺し、低い声を出した。 「ふざけるな…これが、捕虜への扱いか……! 貴様は軍人にふさわしくない」 「この状況下でよく言う。辱めも応えないか? 私にされても? ほら、君の大事な人だよ」  顎をつかまれ、無理やり彼のほうに顔を向けさせられる。馬鹿馬鹿しい。こうした行為に関して は、彼以外など同列で全員が無価値だ。なんの意味も、 「ティエリア?」  彼だった。  薄暗い牢で汚れた自分の体に触れる手。金髪の男は消えて、ただ一人の彼が目の前に。とすれば、 この体に埋め込まれたのは、彼の――? 「ロックオン…」  柔らかく向けられた微笑みに、堪えに堪えて保ってきた緊張の糸が、ぷつんと切れた。  全身が緩く力が抜ける。入っているのが彼と思うと、じわりと下肢が濡れてきた。彼が触れている 顎、肌、すべてが熱くなってくる。腰の輪郭をなぞり、つかむその手、自分の上に重なる彼の胸、す べてに感じ始める。獣のように牙を剥いていたのが夢のように柔らかい気持ちになる。  そして、楔のように何度も抜いては打ち込まれる熱さに、全身で応えようと、感じようとする。苦 痛に泣き、同時に与えられる目のくらむような快感に喘ぐ。もっと奥に、あなたを感じたい……もっ と激しく! 足りない、まだ足りない。もっと来て、奥に!  何を口走ったかも覚えていない。ただ、快感に流され、思う存分に感じて、意識を白ませた。遠く なる意識の向こうで彼が何かをささやく。 (聞こえない)  なにを? 「素晴らしい大サービスだ。客選びの厳しさを除けば文句のつけようがないな」  全身に鳥肌が立って目が覚めた。 (――彼じゃない)  当然だ。なぜここに彼がいるなんて、一瞬でも信じられるはずがないのに、なぜ、ここに彼がいる なんて……! 「かわいかったよ。その冷たい赤い目も欲情で濡れることがあるんだな。蠱惑的極まりない」 「……き、さ…ま、貴様――」 「濡れるといったら下もか。さっきと大違いで大洪水だな。私の左手はこの始末だ」  粘液が糸を引く指を見せつけて、男は舐めとって見せた。この男に触れられて自分は乱れたのか。 あんな濡れるほど感じて――なんという――! 目線で人が殺せたら、彼は即死しただろう。一番殺 したいのは自分だった。悔しさと情けなさを凌駕する煮えたぎるような憤怒が脳髄を支配する。 「騙したな……ッ!! 騙したな!!!」 「催眠術一つに簡単に引っかかる方がどうかしている。まあ、薬の効果が残っていたと考えれば無理 もないがね。いいじゃないか。歯を食いしばって耐えているより、よほど性に合ってみえたぞ。淫乱 な君は輝いていたよ。私のぺニスさえ咥えかねない勢いだった」 「……許さない」 「私は君を許せるよ。私の戦友を殺したマイスターはもういない。娼婦を恨む筋合いはないからな。 かわいいティエリア・アーデ。これから毎晩男たちにかわいがってもらうといい。いままでいじめて 悪かったね。お似合いの服と綺麗な部屋を用意しよう」 「ふざけるな……ッ!」 「ふざけてなどいない」  男は手を伸ばし、うなじから首筋まで撫でた。肌が一瞬、ふるえたことにぞっとする。彼と思って 受け入れた男の体を、自分の身体は覚えてしまったのか。そして、それをこの男は――くつくつと笑 ったこの男は、察したのだ。自分がこの男の女になったと? 「どうして君に対してこんな扱いをしたくなるか疑問だった。もともと虜囚をこうやって辱めるのは 私のスタイルではないのだよ。しかし簡単な理由だ。君がそういう扱いにふさわしい人間だからだっ たわけだ。まったく、君みたいに冷たくてきれいなお人形は、男を銜え込むのに一番役に立つ」  言葉ひとつひとつに傷ついていると自覚できるのが業腹だった。 (殺したい)  この男も自分も殺したい。自分の体は彼だけのものだったのに――彼のものであれば、自分は機械 でもなく娼婦でもなくいられたのに!  ゆっくりと絶望が心を覆っていく。こんな自分など、……そうだ、死んでしまえばいい。どうせ自 分に代わりなどいくらでもいる。捕虜になるようなマイスターをヴェーダは失敗作とみなすだろう。 ロックオンだって―― 「わが軍には、女性にあぶれてたまっている兵士もいる。5,6人よこすから相手してやってくれ。 金も払うよ。君ははじめ感度が悪いから、薬でも使うといい。彼らに預けておくから下手に抵抗せず 飲んでくれよ。そのほうがきっとお互い楽しい」  喉を鳴らして男は笑う。  そう。ロックオンだって、こんな誰かの女になってしまった自分のことなど。 「それじゃあまた今度。君がちゃんと娼婦としての振る舞いを覚えたら、また遊びに来るとしよう」  背中を向ける間際の、男の嘲笑も目に入らない。関係ない。自分など死ねばいい。彼以外の男に声 を聞かせたこの口に、舌を噛み切る以外の使い道などもうない。 『消えちまわないでくれよ』  耳の中で響いた声に体が凍った。  無理だ。このような目に遭って、死んではいけないなどと。無理だ。 『その無理を通してほしいんだよ。お前は変なところで諦めがよさそうで不安だ』  その言葉は、彼のティエリア・アーデに向けた言葉だ。すでに自分は彼のものではないのだから。  しかし、彼の声が消えない。  私は唇を噛んだ。 「……ふっ……く……」  涙がこぼれる。この水滴が床に落ちる前に拭ってくれる手は失われたのに。私は、男に汚された体 で泣いた。 (私は、死ぬことも許されない―――)  これは悪夢だ。  わかっているのに、夢からの目覚め方がわからない。